2017年11月24日。金曜日。
「あれ? 戸庭、まだ着替えなくて良いのか?」
太陽が顔を出して、寝室からリビングへと移動した俺に、アンチョビがそう口にした。
アンチョビの言うように、いつもなら俺はスーツに着替えている頃合いだ。
「ああ。そういえば今日は代休を取ったんだって思い出したんだよ」
「ふうん、そうなのか。最近、戸庭は前にも増して忙しそうだったしな。うん、ゆっくり休むと良い!」
上司には電話で「ウイルス性胃腸炎でドクターストップが出ました」と伝えた。「マジかよ」と呟く上司の声には感情が乗っていなかったが、まぁ、うん、何とかなるだろう。
「いやいや、アンチョビさん。せっかく休日が取れたんだからやるべきことがあるでしょう」
「ん? 遊びにでも行くのか?」
「昨日の会議の続きだよ」
俺が言うと、アンチョビは目を伏せる。
「……ん、でも、それは――そう、戸庭は働き過ぎだからな。きちんと休んだ方が良いぞ。映画を観たり本を読んだり」
アンチョビの反応が芳しくない理由もようやくわかった。
彼女は、元の世界へ帰るのを半ば諦めかけているのだ。
これ以上頑張っても無駄なんじゃないかと、アンチョビらしくもなく、弱気になっている。
俺まで弱気に飲まれてしまったら、終わりだ。
「大丈夫だよ。ほら、俺、元気だし。今日は会議で決まり。有効な策が見つかるまで続けるよ」
ウイルス性胃腸炎と言ったのは、5日間ほどは他人への感染を口実に休みを作れるからだ。
実際、本当に俺がウイルス性胃腸炎だったなら、来週の火曜辺りまで出社は禁止される。
だから、この5日間で、結果を出す。
「そうは言うけどな」
「俺が良いって言うから、良いんだ」
「アンチョビさん、元の世界へ帰りたくないのか」
「アンツィオ高校のみんなに会いたいんだろう」
「だったら、さあ、気合いを入れて、始めよう」
俺がそう応えると、彼女の様子に変化があった。
「……うん、うん、そうだな」
言い含めるように頷き、アンチョビは笑顔で言葉を続ける。
「よーし、じゃあ、やるか!」
◇ ◆ ◇
朝食をさっと済ませ、こたつを挟んでアンチョビと対面する。
コーヒーを一口啜ると、俺は口火を切った。
「方針を変える必要はないと思うんだよね」
「どういうことだ?」
アンチョビが首を傾げる。
「ガルパンの制作陣に話を聞くっていう第一目的は間違ってないんじゃないかってこと。間違ってたのは方法だ」
アンチョビは渋い顔をして、
「怒られてしまったしなあ。まぁそうだろう。しかし、それじゃあどうするんだ?」
「アンチョビがここにいるぞーっていうのをアピールするんだ。制作陣じゃなくて、まずはファンや一般人に『あれ、本物なんじゃない?』と思わせる」
「ふむ」
「つまりは向こうが無視できない存在になってやろうってことだね」
「声優や音響、ガルパンの関係者はたくさんいるし、その中の誰かの目に留まれば御の字だ」
「向こうから声をかけてくれるかもしれない」
「理屈はわかったが、具体的にどうやるんだ? 大事なのはそこだろ」
「これを使う」
言って、俺は脇に置いていたPCの画面を見せる。
そこには、上から下へとフォローしたユーザーの呟きが並んでいる。
「えーっと……確かこれ、ツイッターだったか?」
「そう。ここでアンチョビさんの声や姿をツイートする」
「俺のフォロワーが……えーっと、今のところ842か」
「まぁこれはもう少し数を増やすとして、1000人ってことにしよう」
「作りたてのアカウントじゃフォロワーはゼロだから、アンチョビさんのツイートを俺が引用して、1000人に飛ばす」
フォロワーからは俺も正気を疑われるだろうが、そこは乗りかかった船だ。一緒に沈む覚悟はある。
アンチョビの存在が信用されれば、どうせまた浮上するのだ。
「もっとも、1000人全てがツイートを見るわけじゃないし、動画まで観てくれるのはその中でも稀だろう」
「しかし、俺のフォロワーの中にもアンチョビさんのツイートをRTする人間はきっといる」
「徐々に信憑性を増していけば、どんどんその数も増えていくはずだ。」
「元より1000人でおさめるつもりはない。大事なのはクオリティと継続」
「とにかく一発目はインパクトを出したいな。バズりさえすればこっちのもんだ」
俺が言い切ると、アンチョビは口を横へ広げ、「うー」と唸った。
「すまん。何を言っているのか理解できないんだが」
あぁ、そうか。ガルパンの世界にツイッターは存在しないと言っていた。
詳しい用語はわからないだろう。
リツイートやらフォロワーやら、一つ一つの用語をかみ砕いて説明していくと最後にアンチョビは「おぉーっ! 良いじゃないかーっ!」と大きく笑った。
「カメラやマイクなんかの機材はこれから池袋に行って買ってくるよ。その間にアンチョビさんは話す内容をまとめておいて」
「おーっ! 任せとけ!」
そうやって胸を叩く頼もしいアンチョビを家に残し、俺は東武東上線でどんぶらこ、池袋へ。
駅正面にそびえるヤマダ電機で機材を購入すると、すぐに下り列車で戻った。
「買ってきたよ」
「早いな! 昼食はまだ出来てないぞ!」
「え? 昼食? 原稿は?」
俺が訊くと、キッチンに立つアンチョビがすまし顔で答える。
「ふふーん、出来てるに決まってるだろう。私を誰だと思ってるんだ?」
「安斎千代美さんでしょうか」
「アンチョビだっ! ドゥーチェ、アンチョビっ! ほら、机の上に置いてあるぞ!」
ぷりぷりと怒るアンチョビに従い、机の上からコピー用紙を手に取る。
印刷された原稿は、A4のコピー用紙2枚分。
各所に、「ここ強調!」とか「この辺はその場のノリ!」とか、丸文字で注意書きが挿入されている。
ノリで喋る部分が全体の4割以上を占めている気がするが、まぁアンチョビ自身が自信満々なのだから問題ないだろう。
アドリブが上手くなければきっと戦車道の隊長は務まらない。
「どうだ? よく出来てるだろ」
キッチンから戻ったアンチョビに声をかけられる。
「70点くらいかなー」
「なんだと!? どこを直せば良い!」
「いや手直しは必要ないよ。これでいこう」
アンチョビが「良いのか悪いのかどっちなんだ……」とぼやくので、「良いんだよ」と返しておく。
さて、それじゃあ、この勢いのまま撮ってしまうか。
俺はアンチョビではないけど、ノリと勢いっていうのはやっぱり重要だと思う。
「あのさ、音声より動画の方がインパクトがあると思うんだけど、動画でも良い?」
「このご時世だし、あんまり顔出しはしない方が良いんだけど」
「む、このご時世というのがよくわからないが、問題ないぞ!」
「知っての通り、向こうでもばんばん撮られてたしな!」
「そもそもアニメがあるんだから、こっちの世界でも顔出ししてるようなものだろう?」
「あぁ、そうだった」
ふとした瞬間に、目の前の彼女が、ガルパンの中の彼女と同一人物だと忘れてしまいそうになる。
俺が忘れてどうするという話だ。
「じゃ、撮りましょうか」
「え? すぐ撮るのか?」
「問題あるならもう少し後にするけど」
「い、いや、撮るのは良いんだが、き、着替えさせてくれ」
ふとアンチョビを見れば、部屋着にエプロン、地味な黒縁眼鏡と、確かに人前に出るような服装ではない。
「それじゃあ、せっかくだからアンツィオの制服にしよう。その方がアンチョビらしさが出て信用も得られるだろうし」
「おー、良い考えだな! よし、着替えてくるから待ってろ!」
ばーんと部屋を出て行って、十数分後にばーんと戻ってきた彼女は、アンツィオの制服に身を包んでおり、髪の毛を馴染みのリボンでまとめていた。
アンチョビが制服を着るのは、思い返してみれば、我が家へ彼女が現れて以来のことかと思う。
「どうだ!」
「とてもかわいい」
「そ、そうか?」
照れるアンチョビへ「そこ座って」と促す。
あまり生活感を漂わせるのもどうかと思うので、壁を背景にする形だ。
アンチョビが姿勢を正し、それをビデオカメラのレンズで捉える。
ビデオカメラの位置を調整し、三脚で固定する。
「いきますよ」
「おー!」
「――録画、スタート!」
俺が言うと、アンチョビはにかっと笑って、「まず始めに名乗っておくぞ!」と切り出した。
◇ ◆ ◇
「まず始めに名乗っておくぞ! 私の名前はアンチョビ! アンツィオ高校で戦車道の隊長をやってるぞ!」
「……とはいえ、私のことを知ってる人もいると思う。私たちの戦車道は、こっちの世界ではガルパンって呼ばれてるみたいだからな」
「まぁ信じてくれる人だけ信じてくれたら嬉しいんだが、私はガルパンの世界から、こっちの世界へ出てきてしまったんだ」
「あぁああ急にこんな話を聞いて信用できないのはわかる! でももう少しだけ聞いてくれ!」
「とりあえず、私がこうしてここにいることとか、喋ってることを色んな人に知って欲しいんだ」
「……私は、元の世界へ帰る手段がわからない」
「だからとにかく情報が集めたい! アンチョビを名乗る女の子がなんか言ってるらしいぞ! て、噂になるだけでも大助かりだ!」
「私のことを信用できる人も信用できない人も、どうかこの動画を広めてくれ! わかったな! ドゥーチェとの約束だぞ!」
「あ、信用できない人はツイッターでリプライをくれれば、音声くらいならいくらでも録音するし、動画だって撮るぞ! よろしく!」
「じゃあまたなー!」
モニタ上で、ぶんぶんと手を振っていたアンチョビの姿がぴたりと止まる。
「うん、良いと思う」
さすがアンチョビ。一発撮りでこれだけ喋れれば上等だ。
なによりリアリティがある。
しかし俺の言葉に、アンチョビは納得のいっていないような表情を見せる。
「んー、戸庭、なんか反応が薄いな」
「感情表現が苦手なので。点数にすると90点超えは固いよ」
「90点!? いや、100点を目指さなきゃダメだろ!」
「……んー、正直撮り直してもこれより良くはならないと思うけど。じゃあ何度か撮ってみます?」
「もちろんだ!」
そうアンチョビが言うので、5回ほど新たに動画を撮影してみる。
ノリと勢いで話していた部分には台詞に変更があるが、大筋の流れは変わりない。
しかしやはり、何度も同じ話をしていればノリと勢いというのは衰えていくものだ。
「うーん、やっぱりワンテイク目が一番良い気がするなあ」
「だから言ったじゃないすか」
「何事もやってみなきゃわからないだろー!」
良いことを言う。
とにかく、公開する動画が出来上がったので、あとは編集&圧縮、ツイートをするのみとなった。
ツイートの時刻は17時半に決めた。
「なんで夕方なんだ?」
「会社勤めと学生の帰宅ラッシュが重なる時間だから。みんな移動中はスマホいじるからね」
「おー、なるほど」
とはいえ、現在、16時過ぎ。
予定時刻まで1時間という微妙な隙間があるので、編集と圧縮を終わらせると、アンチョビと二人用のボードゲーム(バトルラインとか)を遊んで待つ。
そして17時20分。
「じゃあ、アンチョビさんのアカウントでログインするよ」
あらかじめ、ツイッターアカウントは作成しておいた。
表示名はシンプルに『アンチョビ』だ。
プロフィール欄には、ガルパンの世界から出てきてしまった件など、動画で話した内容を短くまとめて記載してある。
まだツイートは一つもない。
「はい、ログインしました。じゃあ、動画を添付するから、文章を入力して」
元気よく「任せろ!」と答えるアンチョビへPCを譲る。
アンチョビは軽快にキーボードを叩き、「アンチョビだ! とにかく動画を観てくれ! そして拡散してくれ!」と入力した。
単刀直入でとても宜しい。
「これで動画を添付したことになってるのか?」
画面を見ると、文章入力欄の下にアンチョビの顔が表示されている。
「あー、はいはい、大丈夫。あとはそこのツイートってボタン押せばオッケー」
アンチョビはにかっと笑うと、「アーヴァンティっ!」とツイートボタンを押した。
「さあ、どうだ!」
「ちょっと待って」
アカウントのフォロワーは俺一人だ。
だから、いまだこの動画は誰の目にも留まっていない。
俺はスマホを操作すると、自分のアカウントで、「友人のアンチョビさんから、皆さんへ伝えたいことがあるようです」とコメントを付け、アンチョビのツイートを引用RTした。
ぶうんと、アンチョビのスマホが震える。
「おぉ! きたか!」
「たぶん、俺がRTした通知だと思うよ」
おそらくツイッターの反応を見ているのだろう、アンチョビがスマホの画面をスライドさせる。
数秒して、「お、おぉ?」とアンチョビは声を発した。
「通知がたくさんきてるぞ! あ、あ、また増えてる。凄いな戸庭っ!」
言われて俺もPCのモニタを見る。ツイートのいいね数は1、RT数も同じく1。
F5で更新すると、いいねが84、RTが104に増加した。
気になってアンチョビのフォロワー数を確認してみると、こちらもぽつぽつと増えており、現在、45。
「これは、凄いんだよな!? な!?」
「うん。すごい」
画面を更新する度に、それぞれの数字が増加する。
徐々に増加速度も上がっており、この様子だとすぐに4桁へ到達するだろう。
あぁほら、すでにRT数は926だ。
「フォローしてくれた人は、フォローしかえした方が良いか!?」
「あからさまな広告っぽいの以外はばんばんしちゃって良いと思う」
「あ、それと、リプライがいくつか来てるから返事をかえそう」
「……下品なコメントも少なくないから、こっちはちゃんと選別しましょうね」
「よしきたっ!」
アンチョビはそう言って、スマホの画面と向かい合う。
時ににんまりと笑い、時に赤面し、時にげんなりとした表情を浮かべながら、一件一件リプライへ対処していく。
俺のアカウントにもリプライがあるので、こっちも同じ作業に移った。
「本物みたいですね」「よく出来てますね」「マジですか?」とか、そんな反応全てに「本当ですよ」と返す。
アンチョビの方には、俺の方よりも具体的な質問が多かった。
例えば「大洗行った?」とか「アンツィオには招聘されたんだよね。いつ頃呼ばれたの?」とか「ペパロニ達とは土日も会ったりするの?」とか。
おそらく本当にアンチョビの存在を信じているのはごく僅か――というか、いないだろう。
彼女が本物だという前提の、あくまでお遊びとして質問を投げかけているのだと思う。
しかし、それでもバズは生まれ、彼女の存在は広まる。ありがたい限りだ。
夕飯を食べるのも忘れてツイッターに没頭し、お互い、気付いた頃には午後10時を回っていた。
「腹減った」
「……夜も遅いけど、パスタでも茹でるかあ」
のそりとアンチョビが立ち上がり、キッチンで鍋に水を入れ始める。
待つこと15分。「できたぞー」とアンチョビが皿を運んでくる。
――と、ふいにスマホが震え、『あれ誰? お前に彼女出来るわけないし、職場の同僚?』と友人から失礼極まりないメッセージが届いた。
「本物だっつってんだろ」
俺はアンチョビに「ちょっと良い?」と断りを入れると、パスタを手に持つアンチョビをフォーカスし、ぱしゃりと撮影。
画像をその友人へ送りつけてやった。
すると友人から「明日お前ん家行く」とふざけたメッセージが返ってくる。はっはっは。
「いただきます」
アンチョビの作るペペロンチーノ。うまし。
◇ ◆ ◇
2017年11月25日。土曜日。
昨日やり取りをしていた友人が、別の友人を引き連れて我が家へやってきた。
「うっわ、マジやんけ」
「え、彼女? いつできたの?」
玄関先でアンチョビを目にした途端に騒ぎ出す二人へ「とりあえず入って」と促す。
リビングで三人こたつを囲んで座ると、アンチョビが「どうぞ」と笑顔でコーヒーのカップを差し出した。エスプレッソだ。
友人らが心なしか緊張した様子で「あ、どうも」と受け取るのが面白い。
「で、君らは何しに来たわけ?」
「なんかツイッターで変なこと言ってるからおちょくりにきた」
「俺もまぁ気になって真相を確かめに来た感じだよね」
……正直、家にあげはしたが、今はこいつらの相手をしている余裕はない。
冷やかしに現れただけだというのなら尚更である。
「彼女はアンチョビ本人です。はい、帰って」
「いやそれじゃ説明になっとらんでしょ」
「こっちは忙しいの。くだらん話ならまた今度聞いてやるから。ほら帰って」
そう言って追い返そうとするものの、二人はふて腐れた顔で「帰らん」「冷たくない?」とかなんとかぼやくばかりだ。
しばらく愚にも付かないやり取りを繰り返していると、アンチョビが割って入った。
「まぁまぁ。せっかく来てくれたんじゃないか。少し落ち着け戸庭」
「天使か」「天使」
……いやいや。
「こいつらがいると計画も進まないよ」
「とはいえなあ、ここまで来てくれたのを追い返すのも申し訳ないだろう」
「こいつらは良いの。どうせ暇してんだから、追い返したら追い返したでどっかで酒飲んでるだけだよ」
「しかしなあ――」
「ちょっと待った!」
今度は俺の友人が割って入る。
「言い争いは良くない。良くないですよ」
「元々お前らのせいだけどね」
「どうせ争うなら、麻雀で勝負をつけましょう」
…………?
「あのさ、人の話聞いてた? 麻雀すんのに時間かかるでしょ? その時間も惜しいの。ねえ、わかる?」
「あ、負けるのが怖いのね。ごめんごめん、悪かった」
「は? ……あ、いやいや」
「おぉおお良いじゃないか! 楽しそうだ! やろうやろう!」
――俺が言いよどんだ隙に、アンチョビが乗ってしまった。
「アンチョビさん、麻雀のルールわかるの?」
「なんとなくわかるぞ!」
わかってないやつだな、これ。
「……まぁ良いや、じゃあやりますか。俺だけ反論し続けるのもなんだし」
俺が言うと、友人二人は「「うぇーーい!」」と歓声を上げた。
◇ ◆ ◇
「えー、じゃあ、こっちの横に長い方が、花澤。そんで、縦に長い方が、長田ね」
「花澤です」「長田です」
「アンチョビだ! よろしくな!」
花澤と長田の二人が、右手を差し出したアンチョビと順に握手をする。
結局、麻雀は、南入することすらなく、アンチョビが長田から親倍満を食らい飛ばされて終わった。
勝者となった長田は「じゃあもうちょっといさせて」と宣言。
仕方なく俺はそれを認め、友人らは、今日一日、我が家へ居座ることとなったのだ。
「まぁ、それならどうせだし、二人とも手伝ってくれる?」
「はあ? 何を?」
「わかるでしょう。アンチョビの宣伝さ」
昨日のアンチョビのツイートは、最終的にRT数が5桁にも及んだ。
幸先は良い。大事なのは、間髪入れずにアピールし続けることだ。
なので今日も今日とて新たに動画を撮るのだが、ただ昨日と同じようにやるというのはあまり宜しくない。
「二人とも、昨日のアンチョビの動画観た?」
「観たから来たっつったでしょ」「そりゃ観たよ」
「おぉー、どうだった?」
嬉しそうにアンチョビが問う。
「あー、なんか、すげえなって思いました」
語彙力。
「声も姿も本物によく似てるし、まぁクオリティ高いよね。よくここまでやれるなあと思いますよ。あ、もちろん良い意味で」
口ぶりから、やはりアンチョビが本物だと信じているわけではないのだとわかる。
「こっちは『よく似てる』って感想を変えたいんだよ。どうしたら本物だと信じる?」
「何やられても信じないと思うけどね。無理でしょ。次元の壁ってあるじゃん?」
「だから、俺は、それでも信じてるんだよ」
「じゃあ戸庭の時と同じことをやれば良いのでは?」
……なるほど。
俺がアンチョビを信じたのは、彼女と延々語り続けたからだ。
質問を交えながら、彼女の言葉に耳を傾け、仕草や表情を眺めることで、画面の向こうの彼女と同一人物だと知れた。
それと、同じことを、やる。
「アンチョビさんアンチョビさん、ちょっとしばらくこいつらと喋ってみてくれる?」
「し、指示がざっくりすぎないか?」
「じゃあアンツィオ高校の紹介してよ。P40とか、ジェラートの話とか」
「おー、それなら任せろ!」
「花澤と長田は、適宜、適当な質問をアンチョビさんにして」
「指示がざっくりすぎん?」
そうして、アンチョビと、花澤と長田の二人が会話する様子を隣で眺める。
ジェスチャーを交えて活き活きと話すアンチョビは、太陽のようで、やはりというべきか、当然なのだが、まさにアンチョビそのものだ。
先程は「無理」と断じていた花澤も、すでに心を掴まれているのがわかる。
三言二言では駄目なのだ。
アンチョビの存在を信じさせるためには、時間をかける必要がある。
昨日の動画は1分足らず。短すぎた。
しかし反対に、あまりに長すぎるのも良くはない。
見ず知らずの他人が作った30分超えの動画なんて、そもそも、観る前からお断りである。
ちょうど良い時間は、大体5分くらいかと思う。
5分の動画も、積もれば数時間だ。
コンテンツとしては、視聴者からの質問に答える形式が良いだろう。
昨日、アンチョビがツイッターのリプライに答えていたのを、動画の中でやる感じだ。
あとは、新しく興味を持ってくれた人のために、過去の動画を漁りやすくするのも重要だろう。
「よし。ユーチューバー始めるか」
俺が言うと、三人は揃って首を傾げた。
◇ ◆ ◇
さて、ユーチューバーとはいえ、実際やることといえば、普通に動画を撮ってちょこっと手を入れてユーチューブにアップロードするだけの話である。
編集のない方が自然なアンチョビ感を演出できるだろうし(アンチョビ感とは)、そもそも、凝った動画編集など出来る面子は俺たちの中にいない。
とはいえ、5分ともなればそれなりに台本は必要だし、アンチョビへの質問も用意しなければならない。
アンチョビに頼み、ツイッターにて「次の動画を撮るから、みんな、私への質問をくれないか!」と募ったところ、50以上の質問がばーんと集まった。
俺が質問を選別し、それへの返答をアンチョビが考えつつ、台本の構成に組み込む。
花澤と長田の二人は特に出来ることもないので、裏でずっとガルパンの劇場版を観賞しつつ酒を飲んでいた。
アンチョビがスクリーンへ登場する度に「あっアンチョビさんだ!」と声をあげるのが実に騒々しい。
アンチョビは、アニメでの自分の姿を目にするのに慣れないのか、彼らの声を耳にしてスクリーンへ目を向けると、苦しいんだか恥ずかしいんだかよくわからない複雑な表情を浮かべていた。
動画の撮影は、花澤と長田がいびきをかき始めた頃に行った。
二人は邪魔なので、俺の寝室へ運搬。
前回同様、壁を背にして質問を答えるアンチョビを撮影した。
「本当に任せていいのか?」
「二人いても仕方ないしね。朝までには終わらせとくから」
アンチョビが自身の寝室へ向かったのを見送って、俺はPCと向かい合う。
出来上がった動画に、文字入れをする作業だ。
基本的には撮影した動画そのままだが、最低限、質問内容は文字にして画面端にでも配置した方がわかりやすいだろうとアンチョビと打ち合わせた。
コーヒーカップ片手に黙々と作業を続けていると、深夜4時頃には編集が終わった。