2017年12月16日。土曜日。
タブレットでVtuberの動画を眺めているとアンチョビが「おはよーうっ!」と現れた。
右手にみかんとりんごの入った籠を提げている。
「戸庭、元気か?」
「ぼちぼちかな。まだ熱はあるけどね。アンチョビさんは元気そうでなにより」
「うんうん、しっかり休んでばっちり治せよ」
「そのつもりだよ。あぁそれより、ユーチューブ見てて思い出したんだけど、アンチョビさんの動画編集しなきゃだよね。悪いんだけど家からノートPC持ってきてくれる?」
「……しっかり休んでばっちり治す気は本当にあるのか?」
疑わしげに見るアンチョビに俺は言葉をかえす。
「病院って暇なんだよね。1日1時間作業してた方が気が紛れる。アンチョビさんはデスクトップPCの方使ってよ」
りんごを食べながら5分ほど交渉したところで、アンチョビは「じゃあ明日だ。明日からな」と折れた。
アンチョビが帰り、なるべく眠った方が治りも早くなるだろうと俺は目を瞑った。
仮眠のつもりが、目覚めると真夜中。
俺は暗闇の院内を恐る恐る歩き用を足すと、再び病室へ戻り布団にくるまった。
◇ ◆ ◇
2017年12月17日。日曜日。
アンチョビの持ってきてくれたノートPCで動画の編集をしていると、花澤と長田がやってきた。
「転職案件やね」「これに懲りて無茶はやめよう」
「そうだなー、考えてみよっかな」
初めこそ殊勝な言葉を吐く二人だったが、すぐに花澤によってボードゲームが持ち出された。
コヨーテを1時間。
熱中して遊んでいたら体温が38度を超えて看護師に怒られた。
アンチョビへ電話でそのことを話すと、彼女にも「安静にしなきゃ駄目って言っただろ!」と怒られた。
◇ ◆ ◇
2017年12月21日。木曜日。
ようやくの退院である。
最後の診察で医者には「次また過労で入院したら治療費倍額請求するぞ」と言われた。
俺は「二度と来るか」と短く返した。
受付ではアンチョビが待っており、一緒に病院を出てバスに乗った。
バスを降りると、件のうどん屋で昼食をとった。
「会社にはいつから行くんだ?」
「来週から。明日まで入院してることになってるからね」
「――ちょっと待て。頭の中で審議する」
数分間、アンチョビは「うーん」と考え込み、
「うん、OKだ」
「重畳です」
うどんを平らげ、食後のお冷やを飲んでいると、アンチョビが「そういえば」と思い出したように口にする。
「今日の分の動画はもう撮ってあるからな。編集頼むぞ。私、午後はいないからな」
「どこか行くの?」
「うん、バイトを始めたんだ」
誇らしげにアンチョビは言うが、俺は驚くばかりだ。
「……いやいや、しなくて良いって。前にも言った通り、俺の給料で十分でしょう」
「働いてる暇があるんなら、その時間を使って元の世界へ帰る方法を探した方が良い」
「そうは言うがな。四六時中考え込んでばっかりいるわけじゃないだろ。時間は空いてるんだ」
「というか、そもそももう面接も通って働き始めてるしな!」
「ええ、どこの店?」
「食べに来るか? 隣駅のイタリア料理店だ!」
――まったく、すごい行動力だなあ。
まぁ、俺にアンチョビの行動を止める権利はない。
俺が渡せる金に限りがあるのも確かだし、アンチョビに欲しいものがあるのなら自分の稼いだ金で買うのも良いだろう。
……けれど、この、一抹の寂しさは何だ。
その根源を突き止めるのは、骨が折れそうだった。
午後になり、久しぶりの我が家を満喫して、俺は戯れに二度目のガルパン最終章を観に出かけた。
家へ戻るとアンチョビが夕食を作り終えていて、俺はそれを食べて眠った。
体の疲れはなく、気持ちよく寝られた。
◇ ◆ ◇
2017年12月22日。金曜日。
監督と約束した場所は、荻窪の小さな食事処だった。
時間は夕食時の午後19時。
それまで俺とアンチョビは、延々と家でガルパンを一話からぶっ通しで観賞した。
荻窪に到着し、飲み屋街を歩く。
ぽつぽつと灯る店の明かりと、酔いはじめのおっさん達の笑い声が、なんともいえない高揚を抱かせる。
「戸庭。店につくまで我慢だぞ」
心中を見透かされたのか、アンチョビがそう忠告する。
俺は「監督と会うのに酒飲んだりなんかしないよ」と返し、いささか歩調を早めた。
店に辿り着き、中へ入ると、カウンターに立つおばちゃんに「いらっしゃい」と声をかけられる。
「あの、待ち合わせをしてるんですけど」
「あぁ、はいはい。もういらっしゃってますよ。2階に上がって正面の部屋ね」
おばちゃんに、店内の左手に位置する階段を案内され、「ありがとうございます」とアンチョビと二人でそれを上がる。
正面のふすまをノックして中へ入ると、40代くらいの男女が下座に座って談笑をしていた。
両方の顔に見覚えがある。
女性の方は脚本、そして男性の方がガルパンの監督だ。
「あぁ、きましたか。どうもはじめまして」
「はい、はじめまして。戸庭です。あ、で、こっちが――」
「アンチョビだ! よろしくお願いします!」
アンチョビが元気よく挨拶すると、俺は彼女と二人、監督と脚本の正面へ座った。
あちらが下座に座っているので、こちらは仕方なく上座だ。
監督はアンチョビの顔を眺め、興味深げに、
「あぁ実際に観ると動画よりもホンモノ感が増しますね。当たり前なんですけど」
「失礼ですよ」
脚本が苦笑して監督を注意する。
そしてこちらを向き直り、「はじめまして、ガールズ&パンツァーで脚本を担当しています――」と名乗った。
「存じてます。会えて光栄です。ファンです。よろしくお願いします」
俺にとってゴッドと呼ぶべき二人が目の前にいるのだ。
緊張して言葉選びが下手くそになるのも許して欲しい。
「嬉しいですね。ありがとうございます。何飲みます?」
監督からアルコールのメニューを差し出される。
ちらりとアンチョビへ目線を送ると、彼女は口角を上げた。
飲んでいいぞ、ということらしい。
「……じゃあビールをいただきます」
「私はオレンジジュースをもらえると助かるな」
「あぁそうでした。アンチョビはまだ18歳でしたね」
監督はそう言うと、ふすまを開き、階下へ「すみませーん」と声を放った。
やがてビールとオレンジジュースが届き乾杯。
枝豆と豆腐でちびちびやり出したところで、監督が「さて」と話を切り出した。
「事情は聞いています。我々に訊きたいことがあると」
「私個人としても強い興味があったので、お願いして今日の場を設けてもらった形になります」
「じゃあ、まずはアンチョビさんの置かれている状況を詳しく教えていただけますか」
「あぁいえ、一部聞いてはいるんですが、なにぶん伝聞なので、実際に耳にしないとわからない部分もありますから」
監督に促され、アンチョビは「ああ!」と前回同様、これまでの経緯を語り出す。
アンチョビが十数分かけて語り終えると、今度は、
「じゃあ、次に、あちらの世界のことを教えてもらえますか」
とさらに促した。
アンチョビは再び語り始める。
最終章2話以降のネタバレが大いに含まれており、俺は小さくないショックを受けたが、黙って耳を傾けた。えらい。
アンチョビが「以上!」と話を締めると、監督は少し間を置き、口を開いた。
「ガルパンのアニメの大筋は、基本的にはこの二人の頭の中から出てきています」
「ちなみにアンチョビというキャラクターに関しても、最初のアイデアは私ですが、肉付けをしていったのは――」
「私ですね」
監督の言葉を、脚本が引き継ぐ。
「いまお話いただいた、あちらの世界でのアンチョビさんの近況ですが、作中では最終章以降のお話ですね」
「こんなことをうかがうのも何なんですけど、やっぱり今後の展開とまったく同じだったりするんでしょうか」
俺が問うと、彼女は答えた。
「それはわかりませんね」
「……わからない、ですか?」
「どういうことだ?」
「というのも、アンツィオ高校の無限軌道杯での試合内容や、各生徒のエピソードなど語っていただきましたが、これらはきわめて細部の内容だと思うんです」
「私たち、まだそこまで考えてませんからね」
そこまで、考えてない。
俺が愕然としていると、脚本が「少し訂正しておくと」と口を挟む。
「考えていないというのは語弊があって、もちろん大筋は決めてあるんです」
「しかし、細部の設定は今後詰めていく部分も多々ありますし、進行のなかで変更が入ることもあるでしょう」
「ですから、結論から言えば、こちらとしては何が正解かをお答えするのも難しい状況ですね」
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません」
「ちなみに一つ申し上げておくと、大筋は確かに我々の想定している展開と一致しています」
「ですから――」
彼女はアンチョビへと目を向ける。
「貴女がアンチョビ本人だというのは、間違いないでしょう」
アンチョビが喉を鳴らす。
脚本はそんな彼女を見て「私が言うのもおかしな話かもしれませんけどね」と付け足す。
「まぁ来ていただいたんですし、誠意としてこちらもお話しましょうかね?」
「そうですね。貴女がたを信用してお話します。絶対に、他言無用でお願いしますよ」
監督の言葉に、脚本が続ける。
そうして二人は語り出した。
二人の脳内で描かれているガルパンの世界、その全てを。
――たっぷり1時間はかけただろうか、やがて話が最終章の結末に及んだ時、俺は思わず涙ぐんでしまった。
「長くなりましたが、このくらいですね。考えているのは」
「ええ。変更の可能性はありますけど、この程度です」
「……ですから、アンチョビさんの語った細部は、現状、この世界では誰の手によっても生み出されていません。貴女の中にしかないものです」
「……じゃあ、私は、一体」
声を震わすアンチョビに、脚本が返す。
「わかりません。けれど、一人の確固たる人物ではあります」
ぐびぐびとビールジョッキを飲み干して監督が繋げる。
「まぁなんといいますか、私たちからはこれ以上情報は出せませんからね。アプローチを変えてみるのはどうでしょうか」
「アプローチ、ですか」
俺が問うと監督は答える。
「はい、そうです。ここにいるアンチョビという人間はどうやって生み出されたものなのか。それを想像してみましょう」
「どうやって生み出された……例えば、画面の中から出てきた、とかですか?」
「そうです。しかしそれは否定できますね。画面の中では、まだ無限軌道杯は終わっていません」
「じゃあガルパンの世界というのがあって、そこからこちらの世界へやってきたというのはどうだ!?」
「私たちが創り上げた世界観と同じくするガルパンの世界というのが、仮にあるのだとしたら、もの凄い偶然ですね」
「まぁ並行世界という概念上あり得るのかもしれませんが」
「少し口を挟みますが、戸庭さんが劇場版鑑賞後に彼女は現れたということでしたよね?」
「あぁはい、そうです」
「では、貴方が想像もしくは望んだことによって彼女がこの世界に具現化されたのだという可能性はありませんか?」
「……それは前にも考えましたが、アンチョビは俺の知らないアンツィオの話を知っていたので、ないかと思います」
「それは否定材料にはなりません」
俺が言うと、監督がそうきっぱりと言った。
「戸庭さんの頭の中から生まれた存在だとしても、戸庭さんそのものではないわけですから」
「けれど我々しか知らない情報も持っていたことを考えると、私たちから影響を受けている可能性は高いと思います」
「……え、まさか本当に」
「はい。一番信憑性が高いのは、このパターンかと思います」
「信憑性という意味だと、アンチョビというキャラクターがこの世界にいるということ自体、あまり信憑性はないですけどね」
「それでつまり、私が何が言いたいのかといいますと、このパターンだった場合、お二人の目的自体がちぐはぐなんじゃないかということです」
目的というのは、つまり……。
「私が、元の世界に帰ることか」
「そうです。厳しい言い方になりますが、このパターンだった場合、帰るべき元の世界というのがそもそも存在しません」
「わ、私は」
アンチョビが今にも泣きそうなほどに声を震わす。
あぁ、これ以上続けるのは駄目だ。
慌てて俺は、アンチョビの口を塞ぐべく監督へ話しかけた。
「あ、あの、ひとまず、結論を急ぐのはやめておきませんか。あくまで可能性の一つというだけで、これで決まったわけじゃないですよね?」
「あぁ、その通りです。可能性の話です。ごめんなさい」
監督が言うと、脚本がアンチョビの方を向く。
「これだけは言っておくべきだと思うので、言いますね」
そう前置きして、
「例えば、もし仮にですよ。貴女がこの世界への定住を選択するなら、おそらく私たちはそのお手伝いができると思います」
「はい。そうですね。いつでも頼っていただいて構いません。今更ですが、連絡先です。どうぞ」
監督の差し出した名刺を俺が受け取る。
アンチョビはまだ放心しているようで、監督が名刺を差し出されたことにも気付いていない様子だ。
続けて脚本の差し出したそれも、「どうも」と俺が受け取る。
しばし場に沈黙が訪れ、それを打ち払うかのように、脚本がぱんっと手を叩いた。
「はいっ。じゃあひとまず今日はこれで終わり。あとはご飯を食べながらお話しましょう」
「そうですね、そうしましょう。ちなみにアンチョビさんは何か食べたいものはありますか? イタリアンでなくて申し訳ないですが」
二人が言うと、アンチョビは、はっと気付いたように目を開いた。
「うん、私はなんでも良いぞ。みんなの食べたいものを優先してくれ!」
「あ、じゃあ、私、だし巻き卵が良いです」
「良いですね。ここのだし巻きは絶品です」
監督が言って、階下からおばちゃんを呼び、注文をする。
ひとしきり雑談をして、2時間ほど経って解散をする頃にはアンチョビのテンションは元に戻っていた。
けれどきっと、夜更けにまた彼女は塞ぎ込むのだと思う。
俺はそのことを忘れないよう胸に刻み込む。
「それでは。今日は貴重なお話をありがとうございました。また会いましょう」
「うん、こちらこそ、ありがとう!」
店を出て、監督とアンチョビが別れの挨拶をする。
飲み屋街の向こうへ歩いて行く監督と脚本の二人を見送り、俺はアンチョビと共に駅へと向かった。
「戸庭」
「なに?」
小さく呟くアンチョビへ目を向けると、彼女は前を向いたまま言葉を続けた。
「これからも、よろしくな」
何を当たり前のことを、と思ったが、とりあえず俺は「こちらこそよろしく」と答えて彼女の隣を歩いた。