アンチョビが画面から出てきた   作:とにざぶろう

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2018年1月1日~3月15日

 2018年1月1日。月曜日。

 

 除夜の鐘の後、俺はしばらくアンチョビの言葉に返事ができないでいた。

 それで俺は、アンチョビが元の世界へ帰ることが、アンチョビだけの目標でなく、俺の目標にもなっていることを自覚した。

 

 絞り出すように「なんで?」と問いかけるとアンチョビはやはり静かに答えた。

 

「色々考えたけど、やっぱり、どれだけ頑張っても、元の世界へ帰る方法は見つからないと思うんだ」

 

「……やってみなきゃわからないって言ったのは、アンチョビさんでしょう」

 

「十分やったさ。戸庭のおかげで、ここまでやれた」

 

「まだできるでしょう。やれることなんかいくらでもある」

 

「それでもきっとそれは、私が元の世界へ帰ることには繋がらないと思う」

 

 アンチョビは厳しい口調で言った。

 

「ずっと考えてたんだ。衝動的に決めたわけじゃない」

 

「いや、でもさ――」

 

 そこまで言って気付いた。

 俺の目標になっている。だから俺は反対するのか。

 

 思い上がるな。どうしてアンチョビの意志をないがしろに出来る。

 俺じゃない。これは彼女の物語だぞ。

 

「戸庭」

 

 アンチョビが俺の名を呼ぶ。

 

「気に病むな。戸庭は悪くないし、もう決めたことなんだ。確かに落ち込みはしたけど、そんなの、とっくに済ませた」

 

 アンチョビの諦観が俺には辛かった。

 しかし俺に彼女を止める資格はない。

 

「それじゃあ、アンチョビさんは、これからどうするの?」

 

 アンチョビは「そうだなあ」と笑い、ふっとこちらを向く。

 

「戸庭はどう思う?」

 

 ◇ ◆ ◇

 

 俺はアンチョビの問いに答えられず、黙り込んでしまった。

 

 アンチョビは「まぁ、考えてみてくれっ」と無理矢理に話をまとめると、続けて「寝るっ」と宣言してリビングを出て行く。

 

 残された俺も、もやもやした気持ちを抱えつつも寝室でベッドへ倒れ込んだ。

 

 昼前に起床。

 アンチョビとリビングで顔を合わせる。

 

 元旦ではあるが、どうにも初詣に行く気分にはなれず、ぐだぐだと家でテレビを観て過ごした。

 年明けのどこか気の抜けた頭で考えたのだが、そもそも俺はアンチョビがしたいようにするのが一番だと思う。

 それをそっくりそのまま彼女へ伝えたところ、「じゃあ、仮に私にしたいことがなかったら、どうするんだ?」と言われてしまった。

 

 アンチョビの言葉の意図に見当がつかず、俺はまたしても考え込んでしまった。

 ベッドにもぐりこむまで考え続けたが、やはり答えは見つかりそうになかった。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年1月6日。土曜日。

 

 年末年始の連休が終わり、2日ばかりの出勤を挟んで再び休日がやってきた。

 

 元の世界へ戻るのを諦めたと言ったアンチョビは、しかし相変わらず動画のアップロードを続けていた。

 どうしてだろうと俺は疑問に思ったのだが、「この世界へ残る」という選択をした場合について考えを巡らせてみると、ユーチューバーとしての活動を辞める理由も特に見当たらなかった。

 

 アンチョビは、目的を失った。

 つまり俺は、アンチョビの活動をサポートする意味を失ったのだった。

 

 あぁなるほど、アンチョビが言ったのはこれか、とふいに思い当たった。

 アンチョビだけではない。俺も目的を失ったのだと、アンチョビもとうに気付いていたのだ。

 

 それで俺はようやく思考のスタート地点に立てた。

 

 俺がどうしたいか。

 決まってる。アンチョビを助けたい。

 

 献身する覚悟はできているのだ。

 けれど、考えるべきは、ならばどう行動に移すかだった。

 何故なら、彼女は元の世界へ戻るという目的を失っている。

 

「そうかあ。この世界に残るのかあ」

 

 口に出してみると飲み込めた。

 

 うん、うん。何も変わらないじゃないか。

 この世界へ残るのなら、この世界へ残る彼女をサポートすれば良いのだ。

 

 当然、どこからともなく現れたアンチョビは、身分証明書どころか日本国籍すら持っていない。

 戦車道はないし学園艦もない。アンツィオ高校はおろか、彼女が通える高校はどこにも存在しないだろう。

 

 アンチョビが生きていくには、ここは難しい世界だ。

 俺がやらなければならないことは、いくらでもある。

 

 一番の目的は、彼女が国籍を手に入れることだ。それも、正規の方法で。

 

 それがどれだけ難しいかは、法に詳しくない俺でもわかる。

 そもそも、彼女の今の状態は、ひょっとすると不法滞在とも捉えられかねない。

 

 出来る限り慎重にいかなければならない。

 そしてそのためには、結局、信用できる人間を増やすしかないのだった。

 

「というわけでアンチョビさん、日本国籍を取得すべく、アンチョビさんのファンを増やしていきましょう」

 

「お、おぉ、戸庭は、本当に、斜め上の結論を出すなあ」

 

「そうでもないでしょ。まぁとにかく、監督に連絡してみようか。力になってくれるって言っていたことだし」

 

 アンチョビとこの世界を繋ぐ、唯一のものは『ガルパン』だ。

 

 ガルパンが世界に広まることは、アンチョビが世界に広まることを意味する。ならば、とにかく監督と連絡を密にとっておくことはプラスに働くはずだった。

 監督にメールをすると、返信はすぐにかえってきた。

 

『それでは、アンチョビさんにどこかのイベントで登壇してもらうのはいかがでしょうか』

 

「登壇……。それはつまり、公的な存在として認めてくれるってことか?」

 

「訊いてみよう」

 

『はい、そうです。いかがでしょうか』

 

「お、おおおおおおおっ!」

 

「願ったり叶ったりだな。よっし、じゃあ了承するよ」

 

『それは良かったです。私も楽しみです』

『詳しくは調整しますので、少々お待ちください』

『連絡は私からではないかもしれませんが、あしからず』

 

 あぁ、監督忙しそうだしなあ。最終章の第2話も制作真っ最中だろう。

 

 ――最終章。

 そうか、ガルパンは、最終章なのだ。

 残り5話。それで終わってしまう。

 

「戸庭、どうした?」

 

「少し訊いておきたいことがあって。訊いてみる」

 

『ガルパンは本当に最終章で終わってしまうのでしょうか。宜しければ教えていただけませんか』

 

 返信は十数分後にあった。

 

『先のことはわかりませんが、少なくとも、アニメは最終章で終わりです。だから最終章と銘打っています』

『けれどそれは、ガルパンが終わることには繋がらないと、私は考えます』

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年1月16日。火曜日。

 

 連絡はガルパン制作会社の代表からあった。

 

『お待たせしました。少し先ですが、アンチョビさんには大洗で開催される海楽フェスタに出演していただく、というのはどうでしょう』

 

「海楽フェスタ!」

 

「ってなんだ?」

 

「大洗で開催される祭りさ」

 

「おお、お祭り好きなんだなあ、大洗の人達は。良い町だ!」

 

 当然、了承である。

 返事を送ると、俺はがぶがぶと赤ワインを飲んだ。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年1月27日。土曜日。

 

 アンチョビのバイト先がファンにばれた。

 

『なんとなく店に入ったらアンチョビ働いてたんだけど』という画像付きのツイートがあったのだ。

 ツイートのRT数は万にも及び、店名もすぐに知られることとなった。

 

 アンチョビの人気はもはやアイドル並になっていて、アンチョビの公式ファンクラブなんてものもツイッター上で出来あがってはいるくらいである。

 いやまぁ、会員ナンバー1番a.k.a.名誉会長はキミドリ氏が務めているし、更にいうなら2番は俺なのだが。

 

 閑話休題。ともあれこれはまずいと、俺はファンクラブのフォロワーと共に、事態の抑止に走った。

 

 店長は「はっはっは、売り上げが上がってこっちは助かってるけど、アンチョビさんは大変だよね」というような反応だったようで、バイト先に迷惑がかかることはなかった。

 

 しかし、アンチョビのプライベートが脅かされるのはやはり問題である。

 

 キミドリ氏の忠告により、ツイートの主は謝罪と共に該当のツイートを削除してくれた。

 本人も悪気があったわけではないという。

 

 ツイッターでも『今後はアンチョビさんに迷惑をかけるツイートはやめましょう』という方向で事態がまとまっていく流れが見られ、ひとまずは一安心と息をついた。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年2月8日。木曜日。

 

 アンチョビは朝からバイトへ出かけていった。

 

 近頃の彼女はより一層バイトに励んでおり、何をそんなにお金が必要なのだろうと疑問に思うところだ。

 直接アンチョビへ訊いてみると「まだ決めてないなあ」と返されるばかり。不思議だ。

 

 俺はといえば、先日、最終出社を迎え、今は有休消化期間に入っている。

 まだ転職先は決まっていないので、本来なら転職活動に打ち込む必要があるのだが、どうも気が乗らず家でぐうたらしている辺り駄目人間一直線だと思う。

 貯金で数ヶ月は保つとはいえ、さすがにまずいので、明日は転職エージェントと面談の予定を入れた。

 

 アンチョビのファンは、着実に増えている。

 ツイッターのフォロワー数は、およそ15万人。

 確認してみると、監督のフォロワー数の倍以上だった。

 

 渦中にいるとあまり実感が湧かないが、先週の日曜にアンチョビと共に池袋へ向かった時のことを思うと、さもありなん。

 声をかけられる回数が、前回の比ではなかった。

 

 アンチョビが本物だと信じる人間がどのくらいいるのかはわからない。

 正直な話、すでに本物だとか偽物だとか気にされてはいないだろうと思う。

 こちら側が本物だと訴えるのをやめると、皆もその話題を出さなくなった。

 

 これまでは自分のチャンネルで動画を公開するばかりだったが、一月の後半からは、徐々に他のチャンネルにお招きされることも増えた。

 特に多いのは、Vtuberとのコラボ依頼だった。

 ガルパンの世界から現れたアンチョビは2.5次元とも呼べる存在だ。Vtuberとの親和性も高いのだろう。

 コラボ動画の再生数は、普段の数倍にもなった。

 

 ネット記事のインタビュー依頼も絶えなかった。

 依頼の中には怪しいものも多分に含まれており、俺はその中から幾つかをピックアップしてアンチョビへ渡した。

 全て通すと、アンチョビは何でも快く引き受けてしまう。俺が間に入ってやる必要があった。

 

 事態は順調に進んでいて、俺の生活は充実していた。

 今は職なしだが、仕事に追われていた頃より数倍充実している確信があった。

 

 こんなことを言うとアンチョビには悪いけれど、彼女のおかげで、俺は、救われているのだと思う。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年2月16日。金曜日。

 

 海楽フェスタの出演者が発表され、ツイッターは大騒ぎとなった。

 アンチョビの存在が公式に認められたのはこれが初なのだから、まぁ反応の理由もわかる。

 

 ガルパンの公式アカウントへも質問リプライが飛んでいるのを見て、アンチョビは「質問はそっちじゃなくて私宛にくれえええっ!」と叫んだが、それをツイートさせるのは俺が止めておいた。

 答えられる質問ばかりなら良いが、そうでない質問が寄せられたらどうするのだ。

 

 俺はガルパン制作会社の代表にどう対応すべきか連絡を取った。

 ありがたくも「こちらで対応するのでそちらのアカウントではノーコメントで通すことにしましょう」と言ってくれた。

 

 アンチョビはそっくりそのまま「ノーコメントだ!」とツイートをしたが、これといった批判はなかった。

 本当に愛されているなあと思う。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年2月22日。木曜日。

 

『そういえばとにーさん。先日、職をお探しということでしたが、もう転職先は決まりましたか?』

 

 転職先の面接を受け、家へ戻ると、キミドリ氏からメッセージが届いていた。

 

『いえ、まだです。条件に合う会社があまり見つからず……』

 

 仕事を選ばなければ、転職先はいくらでも見つかる。

 IT業界というのは万年人材不足だ。

 俺くらいの技術者でも、欲しい会社はいくらでもあろう。

 

 けれど、それで前回の二の舞になっては元も子もない。

 アンチョビにも「ちゃんと考えて、慎重に選ぶんだぞ! 絶対に妥協しちゃ駄目だっ!」と口を酸っぱくして言われたのだ。

 

『でしたら、うちの会社はいかがでしょう。確か前職はIT関係でしたよね。とにーさんでしたら大歓迎なのですが』

 

 ほほう。

 

『魅力的なお誘いです。前向きに考えたいので、差し支えなければ、先に会社名や条件面など教えていただきたいのですが』

 

 キミドリ氏からは『もちろんです!』と社名や福利厚生、年収の見込みなんかが送られてきた。

 

 条件は悪くない。というか俺の希望を全て満たしている。

 社名は聞いたことがなかったが、調べたところ評判の悪い会社ではなさそうだった。

 なにより、知人が在籍しているというのは信用が置ける。

 

『とにーさんの希望次第ですが、3月入社でねじこめないこともないかと思いますよ』

 

『ありがたいですけど、そこまで希望が通るものなのですか』

 

『ははは、まぁ、私も部長を務めておりますので。それなりの権限があるのですよ』

 

 俺は、アンチョビに、転職先が決まったことを報告した。

 アンチョビは喜び、やはり豪勢なイタリアンを作ってくれた。

 赤ワインがぶがぶ。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年2月27日。火曜日。

 

 初めて出版社からのインタビュー依頼がきたので、アンチョビと二人、出版社へ赴くこととなった。

 インタビューを受けるのはアンチョビ一人でなく、制作会社の代表と、ついでに俺まで数に含まれている。

 

 インタビュアーの質問の焦点は、『彼女は何者なのか?』という点だった。

 しかし俺も代表もアンチョビも、「信じられないでしょうけどアンチョビです」と答える他なく、徐々に質問は『これまでの活動はどういう経緯で行ってきたのか』という方向に移行していった。

 

 インタビューは1時間弱で終わった。

 

 雑誌への掲載は、4月中頃とのことで、遠い未来の話のように思えた。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年3月9日。金曜日。

 

 キミドリ氏の会社に入ってから1週間が過ぎた。

 

 結論から言えば、スーパーホワイト企業だった。

 前職がいかにブラックだったのかを思い知った。

 こうして人は学んでゆくのだなあと思います。

 

 労働といえば、アンチョビもいつかはバイトを卒業して、正社員としてどこぞの企業で働くことになるのだろうか。

 キャリアウーマンのアンチョビを想像してみたが、どうもイメージが定まりそうになかった。

 やっぱりアンチョビは戦車の上で高笑いをしているのが似合っているように思う。

 

 とはいえ、気になったのでアンチョビに訊いてみる。

 

「アンチョビさん。今のバイトはいつまで続けるの?」

 

「まとまったお金が貯まるまでかなあ」

 

「ふうん。辞めたらどうするの。アンチョビさん、美人だし喋れるし、アイドルとか向いてると思うけど」

 

「び、美人っ!? あ、うー、でも、そうだな、それはないな。アイドルになったら、今の生活も続けられなくなるしなっ」

 

 それもそうかと思い、俺は話題をそこで打ち切った。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 2018年3月15日。木曜日。

 

 代表から、一通メールが届いた。

 

『海楽フェスタ前日、何時頃から大洗にいらっしゃいます?』

 

『特に決めてないですけど夕方でしょうか。どうかしましたか』

 

『アンチョビさんに会っていただきたい人がいまして。17日の夜に宿泊先のホテルで。いかがでしょうか』

 

 俺たちの泊まるホテルは代表に用意してもらっている。宿泊料も向こう持ちだ。

 そこまでしてもらって、これくらいの頼み、断る理由がない。

 

 念のためアンチョビに確認をとると「当然おーけーだ!」とのことで、そのように返信をする。

 

『では先方にも伝えておきます。当日は宜しくお願いします』

 

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