多種族世界で繫栄を謳歌せよ   作:片道ころり

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更新しなくてごめんやで


22話 サロンの一幕と竜の純白装束

 いかに国が発展しようとも男が希少であることは変わりはしない。

 彼らの安全を守るためには生活に制限がかかってしまうのは仕方がないことだ。

 ただ行動を制限するばかりでは外れすが貯まるばかりで心身に悪影響だということは、この社会が形成されたころから分かり切っている事実である。

 必要とされたのは女性から離れ、同性間でのみ成立する気安い遊び場で、言葉を変えるならば紳士的な社交場。

 いかに尊い血筋であろうとも関係なく男以外は門前払いをされる男性限定の社交場のサロンである。

 ちなみに過去に強行突破しようとした性欲に狂ったアホは入り口を超えることも出来ずにボコられて半日ほど追い回された挙句、広場に3日ほど晒されたとか。

 

 ともあれサロンは入り口の警備を除いて全てが男性だけの空間であり、それは運営するスタッフも含まれる。

 ヘンリー少年がやってきたのは若年層が多く利用するゲーム中心のサロンだ。

 ちなみにサロン名は「札狐亭」。

 狐系獣人族の夫婦がオーナーを勤めるこのサロンは、とにかくゲームの種類が豊富なことで有名だった。

 一応はバーカウンターと酒類を並べてはいるものの、あくまでサロンの体を成すだけといったものであり、メニューは軽食とアルコール以外のソフトドリンクで占められるような場所だった。

 当然ながらスタッフは少ないため、かなりの部分がセルフサービスというのもこのサロンのハウスルールである。

 レッドカーペットに白黒チェックの壁、部屋は全体的に薄暗く、間接照明や範囲を絞った照明器具により、ややアダルティな空気が漂う部屋であるが、やっていることはカードショップとボードゲームカフェにその他遊戯場を足したような在り様であるため、成人前の男児も多く入会しているのが特徴でもあった。

 

 サロン内に用意されたダーツやビリヤードや持ち込んだカードゲームに興じる子供の姿も多く、ラインバッハ家のヘンリー少年もそんな同年代に混じって卓を囲んでカードゲームに興じていた。

 ヘンリーの対面に座るのはショタ好きには堪らないだろう生意気そうな顔をした犬耳が生えた獣人族の少年。

 あと1年と少しで成人を迎えるお年ごろである。

 二人の手には渦巻柄の背面が特徴的なカードが数枚。

 

「喰らえヘンリー! 魔王軍催眠目玉でダイレクトアタックだ!」

「はっはー! 残念だったね! 罠カードオープン、強制催眠解除!」

「なんだって!? ……ちょっとテキスト見せて」

「うん」

「……あー、これって対象を取る効果だから、この目玉はカード効果の対象にならないから通じないよ」

「分かりにくいから表現を統一してくれないかな……」

「勘違いしちゃうよね」

「ねー」

「あと隠された効果は本当にやめて欲しい」

「ごめんね」

 

 成人前の子供が集まっているだけあって少し騒がしくもあったが、その程度は珍しいことではなく、彼ら以上に騒がしい集まりもあって目くじらを立てるほどではなかった。

 そもそも消音系の魔道具も設置されている為、他所の会話は耳を澄まさなければ聞き取ることはできない。

 余計なトラブルを避ける措置が十分に機能しているのがサロンであるが、トラブルの方から寄ってくる場合はその限りではない。

 例えば因縁のある相手を見つけた酔っぱらいに見つかったり等がそうだ。

 

「あぁ~? 誰かと思ったらラインバッハ家のお坊ちゃんじゃねえかよ」

 

 やや怪しい足取りでボトルを片手に近づいてくるのは一人の男。

 まるで女に見られることを目的としたような大きく胸の空いた白いシャツに鱗を模した派手なスーツ。

 竜を模した指輪に首飾りをジャラジャラと身に纏っている。

 そして湾曲しながらも頭上を刺す2本角。

 全身で竜人族アピールに余念のない男であった。

 既に成人しているだろう男は、赤らんだ顔を隠しもせずににやにやとした笑いを張り付けている。

 一目でわかるくらいにトラブル臭のする男を見て、ヘンリー以外の少年たちは早々に撤収準備に取り掛かった。

 これが私物ではなくサロンの貸し出し品なら今頃はダッシュで逃げていただろう。

 この世における最強種族として君臨するのが竜人族だ。兎にも角にもプライドが高いのが種族共通の特徴であり、トラブルが起きると果てしなく面倒であることは成人前の子供でも知っている常識であった。

 そんな常識を知ったことかと言わんばかりに、委縮する友人たちを庇うように男の前に立ったのがヘンリー少年である。

 彼に言わせれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と答えるだろうが端から見れば正気の沙汰ではなかった。

 

 そんな「かかって来いや」と言わんばかりのヘンリーの袖を引っ張ったのは、先ほどデュエルしていた犬人族の少年だ。

 やべー奴に正面から立ち向かうアホを見捨てない気高さをもった良い子である。

 彼は男の顔に見覚えがあったらしく、ヘンリーの耳に口を寄せて小声で耳打ちした。

 

「(何してんのマジで。本当にヤバいって。あれシュタイエル家の奴だよ……!)」

「声が小さくて聞こえない」

「(だからシュタイエル家だって! 竜人族の!)」

「聞こえないってば」

 

 竜人族に聞こえない様にと焦りすぎたのか、少年の声はヘンリーには聞こえない音域の声だった。

 普人族の耳はそんな高音域の声が聞き取れるほど性能が高くないのだ。

 ヘンリーは少年の必死な顔を見ながら「なんかパクパクしてるしくすぐったいな」なんて思っていた。

 そんな二人を前にして、竜人族の男が口を開く。

 物理的にも精神的にも上から見下した、嫌な声だ。

 

「名高いラインバッハ家のご令息には木っ端名家の男は記憶にないってかあ?」

「(ああっ、この声は聴こえなかったのか! ええと、このくらいで……入り婿だよ! シュタイエル家の!)」

「シュタイエル家の?」

「(なんで口に出すのさ!?)」

「おお? そうそう、そうだよ知ってんじゃねえか。そのシュタイエル家のダリルだよ。よろしくなぁ?」

「(喧嘩しちゃダメだよ! ねえ聴いてる!?)」

「……ええと、お会いするのは初めてになりますね、シュタイエル様。ヘンリー・ラインバッハと申します。

 私に何か御用がありましたでしょうか」

「(そう! そうだよヘンリー!)」

 

 ヘンリーは胸に手を当て、僅かに会釈をした。

 簡略的ではあるが、凡その種族に通じる上位者への挨拶の一つである。

 ヘンリーの普段のアホさを良く知る犬耳の少年はちょっと目を見張ると、撤収作業を手伝うことに決めたらしくヘンリーから離れてテーブルに寄った。

 まさかこの対応にケチをつけて喧嘩になる様なことはないだろう。

 そもそも普人族に勝ち目なんてありはしないのだから。

 そんなアホがいるはずがない。

 

「ごようがありましたでしょうか~?」

 

 何が楽しいのかゲラゲラと笑う酔っぱらいを余所に、ヘンリーの背中を犬耳の少年が軽く叩く。

 撤収作業は完了したらしい。

 ヘンリーは目線で出口を見やると、少年も意味を察して他の友人たちを出口に誘導する。

 じゃあ適当に逃げるかと踵を返そうとした瞬間に、男の声が耳に入った。

 

「いやぁ、あのヘンリー・ラインバッハって言っても、ションベン臭えガキかぁ」

「じゃあ僕はこの辺で、空手の稽古がありますの……」

「あの鱗余り*1に言い寄られてるっていう哀れなガキの顔を見たくてよぉ」

 

 友人たちを追いかけようとした足が止まる。

 鱗余り。

 そう言った。そう聴こえた。

 ヘンリーのややたれ気味の目が細まる。

 それを見たダリルの目もまた、喜悦を伴って細まった。

 

「鱗余りだよ、う・ろ・こ・あ・ま・り。聞こえなかったのかぁ?」

 

 見下ろしながら、にやにやと。

 ようやくヘンリーも思い至る。

 ああ、こいつは喧嘩を売っているんだと。

 絶対に歯向かってこない相手を使って、ヒルデガルド・エスターライヒを侮辱して反応を楽しんでいるのだと。

 あの美しくも可憐なあの子を侮辱してるのだと。

 

「角を折られて竜人族の男に相手されねえからって、精通前のガキ相手にみっともねえよな」

 

 ダリルの誤算はただ一つ。

 

「情けなさ過ぎてエスターライヒの名が泣くぜ」

「取り消せ」

 

 目の前の普人族のガキはこの世界における普通からかけ離れた精神性のアホだった。

 普通なら尻尾を撒いて逃げるところを、どうしようが絶対に勝てない相手に噛みつく狂犬だった。

 一回り大きい男を前に睨め上げながらの、それも普人族が竜人族を相手にしての仁王立ちである。

 

「今なんつった?」

「取り消せっつったんだよボケコラ」

「正気かよお前。俺はシュタイエル家だぞ。そんなにウチとやり合いたいってのか?」

「関係あるかよ。三回目だ、取り消せ」

「……あー」

 

 ガシガシとダリルは頭を乱暴に掻きむしった。

 アルコールで緩んでいた頭を回して考える。

 気弱そうなガキでちょっと遊ぶ程度のつもりだったが、普人族とはいえ、あのラインバッハ家の血を引いているのを忘れていた。

 竜人族に喧嘩を売る馬鹿が実在するなんて欠片も思わなかったのだ。

 逸らしもせずににらみ返してくる狂犬じみた目つきを見るに、向こうが折れることはないだろう。

 ようやく回り始めた頭で冷静に考えるが、どう考えてもラインバッハ家と事を構えるのは拙い。

 そもそも竜人族と普人族では性能差が大きすぎて喧嘩にすらならないのだから、どちらに非を問われるかは明らかだった。

 それに魔道具によって音が聞こえにくいとはいえ、既に騒ぎは周囲の目を引いていた。

 出口に向かって全速力で駆けていった犬人族のガキが警備の人間なりを呼んでいる頃だろう。

 大事になれば自分の家にも報告が行くだろうし、こんなちょっとした遊びで顰蹙を買うのも面白くはない。

 かといって目の前のガキに頭を下げるのは御免だった。

 ダリルは適当に煙を撒いてさっさと引くことを決めた。

 

「……おいおい、今のはただの軽口だろう、本気にするなよお坊ちゃん」

「なんだよ、女の陰に隠れないと喧嘩の一つもできないのか?」

「てめえ、あんまり調子に乗るなよ。俺が本気になったらな」

「なら理由を作ってやるよ」

 

 ヘンリーは卓上のグラスを手に取ると、中身を男に向かってぶちまけた。

 避ける間もなくドリンクを被った男の服に葡萄の香りが染みを作る。

 ダリルの呼吸が一瞬止まる。

 避けられなかったこと以上に、汚された服と汚した液体の色が問題だった。

 グラスの中身は赤ワイン。

 着ていた服は、シュタイエル家の象徴ともいえる水をイメージした色のスーツ。

 赤色の染みがじわりとスーツに広がるのをダリルは見た。

 エスターライヒの象徴の色を、よりにもよってシュタイエル家の自分の服に。

 ヘンリーの渾身の煽り芸は偶然にも竜人族が同族を挑発するときの作法に則ったものだった。

 ダリルが無自覚にヘンリーの一線を越えたように、こうしてヘンリーもまた無自覚にダリルの一線を越えた。

 無言のダリルに、グラスを背後に放り捨てたヘンリーが顎をしゃくり上げて唇をひん曲げる。

 

「かかって来いよ腰抜け」

「クソガキが」

 

 クソ生意気なヘンリーの煽り顔をゴングにダリルはヘンリーに躍りかかり、

 ヘンリーは為す術もなくボコられてあっけなく気絶した。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「これは僕の喧嘩だから」

「お前が怪我をさせられたのに黙っていられる訳がないだろう」

「家の力でどうこうしたくない」

「駄目だ」

「嫌だ」

「ヘンリー」

「嫌だ」

 

 ラインバッハ家ではヘンリーが家族と睨み合っていた。

 ヘンリーの怪我はあの後即座に治癒魔術で治療され完治しているものの、彼がシュタイエル家に怪我をさせられたという一報はラインバッハ家を闘争に駆り立てるには十分すぎる理由だった。

 母のクラウディアを初め、姉のシルヴィアとミレーヌや食客のタチアナにマリナ、守衛のアヤメたちはもちろんメイド達やコック長などなど、家にいる全員が完全武装で門前に集合していた。

 シュタイエル家に突入して血祭りにあげる突撃班とラインバッハ家に残ってヘンリーを守る防衛班に分かれて簡易ミーティングもとうに済ませている。

 彼女たちがまだシュタイエル家になだれ込んでいないのは、偏にヘンリーが門を背にして立ちふさがる様に相対しているからだった。

 

 ヘンリーの頑固さは筋金入りだ。

 こうなったら意識がある限りこのままだろう。

 怪我をさせずに気絶させる手段はいくらでもあったが、誰もそうはしなかった。

 口論自体は相手が先であったが、ダメ押しにグラスをぶちまけたのはヘンリーであり、対外的には非の天秤は釣り合っているように見えなくもない。

 ラインバッハ家としては面子を守るという理由はあるものの、この殴り込みの大部分はヘンリーを傷つけられたからである。

「面子とか醜聞とかどうでも良いからさっさと殴りに行こうぜ、日が暮れちまうよ」というのが彼女たちの総意であったが、ヘンリーをケガさせた相手に殴り込む為にヘンリーの意志を無視して押し通るのは本末転倒であったし、何よりもヘンリーに嫌われたくなかった。

 

 そういう経緯もあって貧乏くじを引いたクラウディアがヘンリーと押し問答をしているのだった。

 我が息子ながら肝が据わってて素敵だわー、嫌われたくないしゴミどもには別口で難癖付けることにして今日は解散しようかなー、なんてクラウディアが考えていると、シュタイエル家が逃げないように監視させていた配下の一人が息を切らせて報告に戻ってきた。

 成人前の一人の男児と完全武装の女衆が門前で睨み合う異様な光景に一瞬息を飲みつつも、職務に忠実な彼女は気を取り直して声を張り上げた。

 

「報告があります!」

「申せ」

「ヒルデガルド・エスターライヒ様が、シュタイエル家を襲撃いたしました!」

「……なんだと?」

「申し訳ありません、先を越されました!」

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「シュタイエル家のクソがヘンリーを怪我させた!?」

「はい、お嬢様」

「怪我の具合は?」

「その場で治療されたそうで、今は完治していると」

「そうか……、ならばあのクズ共を……いやしかし、……ローザ、ラインバッハ家は?」

「動きはありません」

「そうか」

 

 ヘンリーの一報をローザから聞いたヒルデガルドは即座に立ち上がり、しかし暫らく逡巡して再度椅子に座り直した。

 あのラインバッハ家がヘンリーを傷つけられて動かない筈がないのだ。

 既に襲撃してしかるべき彼女たちに動きがないということは、何かしらの要因で止められているということだ。

 そして怒れる彼女たちを止められるのは怪我をしたヘンリー本人くらいだ。

 つまりヘンリーが復讐を望んでいないということになる。

 それを気に入らないからと自分がシュタイエル家を殴りつけるのはどうにも筋違いというものだった。

 忌々し気にヒルデガルドの尾が床を叩く度に部屋の調度品が部屋ごと揺れる。

 手慰みに持ち上げたお気に入りのグラスにびきりと罅が入った。

 そんな怒りに震えるヒルデガルドの前で、一人のメイドが走り寄りローザに耳打ちする。

 

「……それは事実ですか?」

「同サロンでその場にいた方から確認を取りました。裏取り済みです」

「よくやりました。下がりなさい。……お嬢様、追加の報告があります」

「なんだローザ、今の私は機嫌が悪いぞ」

「御聞き下さいお嬢様。騒動の発端はヘンリー様の前でシュタイエル家のクズがお嬢様を侮辱したからですが、まだ続きがあります」

「……続けろ」

「あの恥知らず共はお嬢様を角を折られた鱗余りと罵り、それを聞いたヘンリー様がその発言の撤回を求めたとのことです」

「そうか」

「軽い口論の後、ヘンリー様が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()挑発したと」

「……何と言ったのだ?」

「『かかって来いよ腰抜け』」

「……そうか」

 

 そうか。

 ヒルデガルドは静かに思う。

 そもそもあのヘンリーが多少煽られた程度で自分から喧嘩を売るはずがないのだ。

 膨れ上がる憤怒とは別に、不思議と胸の裡に暖かなものが込みあげる。

 果たしてこの国の歴史において、否、竜人族というものがこの世に生れ落ちて今に至るまでに、竜人族の女の為に、男が竜人族に立ち向かったことがあったのだろうか。

 爪もなく、牙もなく、角もなく、魔を操る術もなく、武器すら持たぬその身一つで。

 胸の奥の奥。 

 心臓のさらにずっと奥が燃えるように熱い。

 この熱はこの先もきっと消えることのないだろう。

 未来永劫、この身が続く限り消えることのない炎の熱を、ヒルデガルドは今初めて自覚した。

 

 吐く息には乗せず、胸の裡に溶かす様に彼の名を呼ぶ。

 音にするだけで何かが減ってしまいそうな気さえした。

 ヘンリー。

 ヘンリー・ラインバッハ。

 私の熱。私の太陽。私の愛しき半身。

 彼を思い、彼の名を繰り返す度に、己の胸を焦がす炎が燃え盛る。

 

 そうだ、私の為にヘンリーは怒ってくれたのだ。

 私の為に勝てない相手に戦いを挑んだのだ。

 私の為に傷ついたのだ。

 私の為に。

 私の為だけに。

 なんて甘美な響きだろうか。

 ならばもう筋違いなどとは誰にも云わせない。

 つまりはそう、

 

「ローザ、戦装束の準備をしろ」

()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()

 

 これは私の戦争だ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 シュタイエル家当主であるバーバラ・シュタイエルは矢継ぎ早に配下に指示を出していた。

 バリケードの構築、魔術式の装填、慌ただしく走り回る配下に混じって当主自ら籠城の用意を急ぐ。

 なにせ向こうからの挑発されたとはいえ、ラインバッハ家の嫡男を傷つけたのだ。

 血気盛んな武闘派で知られる連中だ。

 燃え盛る火にガソリンを放り込んだようなものであり、どこまで燃えるのか予想もつかなかった。

 名家の一員として私兵の類は当然備えているものの、既に館の周囲はラインバッハ家の手の者による監視網が敷かれていることは分かっている。

 彼女にできることは、やらかした自らの夫を自室の奥に隠し、そう遠くない未来に襲ってくるだろう化け物共にせめてもの意地を見せることだけだった。

 戦力差を自覚する彼女たちだったが、まだ希望の目は残っていた。

 ラインバッハ家は未だに監視だけにとどまっている。

 バーバラの知るラインバッハ家なら今頃は既に攻め込んで来ている筈なのだ。

 襲ってこない以上は何かが起きているのは間違いない。

 もしかしたならば、シュタイエル家よりも優先する何某かが出来たのかもしれない。

 もしかしたならば、謝罪といくらかの賠償で何とかなるかもしれない。

 もしかしたならば、何もかもが、うまく──

 

 次々と頭の中で泡のように湧いて出る淡い希望。

 それを砕くような轟音と共にバリケードで補強した門が吹き飛んだ。

 空高く舞い上がる数秒前は門だった鉄屑が、大きな音を立てて手入れの行き届いていた庭に突き刺さる。

 吹き上がる余波の衝撃が芝生をぐちゃぐちゃに引き裂いた。おそらく庭は見る影もなくなっているだろう。

 だがそのようなものは些事だ。

 敵だ。

 あのラインバッハ家の悪魔がやってきたのだ。

 轟音に即座に対応できたのも、張り上げた声が裏返らなかったのも奇跡に近かった。

 バーバラの声に即応した配下が果敢にも土埃の向こうに雪崩込み、次の瞬間には全員殴り飛ばされて宙に舞う。

 舞い上がる土埃を肩で斬って現れた人影は一人。

 その姿を見て、その燃え盛る様な髪の色を視界に捉えてたバーバラの目が、いくつもの驚愕で見開かれた。

 

「エスターライヒの……、それは一体何のつもりだ!」

 

 一つ目の驚愕はラインバッハ家ではなかったこと。

 二つ目の驚愕はこの蛮行を行ったのが騒動の発端である鱗余りの小娘であったこと。

 そして三つ目の驚愕はその身を包む装束が純白であったことだ。

 

 肘までの手袋。肩と背中が大きく開き、右足の付け根まで大きくスリットの入ったドレス姿。

 龍の鱗と爪と牙の精巧な装飾がされたそれは、このまま夜会に参加しても目を見張る様な耽美な様相だった。

 配下の返り血で汚れていなければの話だが。

 

 竜人族は鎧を纏わない。

 自らの肉体に対して多大な信を置く彼らにとって、鎧とは多種族の文化に合わせる礼服程度の意味しかなく、戦いの場で身に纏う者は臆病者と詰られた。

 だからこそ竜人族の戦いの装束は鎧ではない。

 自らの家を象徴する色とその一族の紋章を背負ったものこそが戦装束。

 そしてエスターライヒの戦装束は炎の様な真紅の色。

 決して純白ではない。

 白であっては困るのだ。

 シュタイエル家の当主としてその色の意味を知るバーバラはだからこそ狼狽えた。

 

 純白の戦装束は鬼人族の白無垢にも似て、しかしその意味はまったくの真逆。

 穢れなき白は相手の返り血を映えさせるため。

 流れた血潮によって完成する深紅の純白装束。

 それは敵対者の返り血で赤く染めるという無言の主張であり、投降を許さぬ不退転の証。

 竜の逆鱗に触れた証明だった。

 

「先日のサロンでの一件は知っているな?」

 

 ヒルデガルド・エスターライヒは口を開く。

 やけに良く響く、恐ろしいほどに静かな声だった。

 ぞわり、と背筋が凍るのを感じるほどに。

 数拍おいてようやく我に返ったバーバラは慌てて口を開いて返答する。

 

「あ、あれはラインバッハ家との問題だ! 貴様には関係がないだろう!」

 

 もはや数が少なくなった配下を前に虚勢を張るしかなかった。

 目の前の小娘に気圧されたと思われたくはなかった。

 バーバラの声に返答はなく、ヒルデガルドは静かに見つめている。

 それに急かされるようにバーバラは声を張り上げた。

 

「それに夫は一度折れたはずだ! それでも喧嘩を売ってきたのは向こうの方だろうが!」

「一度折れた! 引くことを示唆した! それをあんな、あんな挑発をされて黙っていられるものか!」

「弱っちい普人族の男が調子に乗るからああなるんだ!」

 

 取ってつけたような安易な挑発を受けてもヒルデガルドは口を開かない。

 まるで時間と共に膨れ上がる爆弾を見ているようだった。

 問答をしているようで問答になっていない。

 ラインバッハ家の男児を馬鹿にしても反応がない。

 焦燥感に駆られたバーバラはもう恥を覚悟で形振り構わず下手に出ることを決めた。

 

「さ、サロンで夫が鱗余りと言ったことなら、後程正式な謝罪をする準備が……」

「そんなものはいらん」

 

 返ってきたのは酷く短い拒絶の言葉。

 聞くことは終わったとでも言うように、ヒルデガルドは手袋を外した。

 配下の兵どもを殴り飛ばした際の返り血で汚れた手袋だ。

 ヒルデガルドは手に持ったそれを一瞥するとバーバラに放り投げた。

 足元に落ちた赤い斑のついた白手袋。

 その意味を知っているバーバラは震える声で言葉を返す。

 

「な、なんの真似だ……」

 

 古から続く伝統的な決闘作法。

 狼狽するバーバラを前に、ヒルデガルドは朗々と続ける。

 この戦装束を見てこの展開を予想しない時点で、シュタイエル家の程度が知れた。

 少なくともこういう類の経験は少ないのだろう。

 そんなことは知ったことかよ。

 竜人族の喧嘩はこういうものだ。

 逃げることなど許さない。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「君の細君が我が愛しき半身に拳を振るい、彼と彼の名誉を著しく傷つけた」

「よって我らの名誉の章典に従い、君に私を殺害する機会を与えよう」

「私は今ここで君に決闘を申し込む」

 

 かかって来いよ腰抜けが。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 場所は変わってラインバッハ家。

 返り血でべしょべしょになった手袋を携えたヒルデガルドは、クラウディアの前に身を投げるように土下座をしていた。

 

「許してくれクラウディア殿! この通りだ!」

 

 ヒルデガルド・エスターライヒの渾身の全力土下座である。

 自分の所為でヘンリーが怪我をしたこと。

 クラウディア達を差し置いてシュタイエル家に殴り込んだこと。

 そしてヘンリーの意志を無視して我を通したこと。

 それらすべてを踏まえての土下座謝罪であった。

 その場のテンションに任せて実行したが、冷静に考えるとどの面下げてというものだ。

「こんな女にヘンリーを会わせられない」と言われてもぐうの音も出ない所業である。

 そんなことされたら死んでしまうではないか。

 もうヘンリーなしでは生きていけない体になっているのだ。

 それを避ける為ならば土下座程度安いものだ。

 もはや形振りなど構っていられない。

 ヒルデガルドは全力で声を張り上げて許しを乞うた。

 

「どうかヘンリーだけは! へんりーだけはぁぁぁ!」

 

 まあヒルデガルドの単身殴り込みはクラウディア達からしたら渡りに船だった訳だが。

 自分たちの手ではないとはいえシュタイエル家の面々は物理的にボロボロになり、万一ヘンリーに嫌われることは避けられた訳である。

 これで臍を曲げたヘンリーに冷たくされる心配はないのだ。

 ヘンリーは滅多に怒ることはないが、一度怒ったり臍を曲げると許して貰えるまで大変だからな。

 クラウディアは未だに顔を伏せたまま、ついには泣きが入り始めたヒルデガルドの肩を優しく叩くと、不承不承という顔をしながら許しの言葉を贈るのだった。

*1
竜人族的表現での処女




ちなみにヘンリー君は喧嘩を売って無様にもボコられただけだよ
普人族がイキるとこうなるんだよ
分かったら調子に乗るんじゃねーぞ、ぺっ
黒博物館の決闘シーンはマジで良いぞ
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