【完結】神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~ 作:鉄鎖亡者
風呂を上がったミレイユは、アヴェリンを伴って邸宅に戻った。
水が貯蔵されている樽から簡易栓を抜いて木製のマグに注ぎ、一気に煽る。その場で交代してアヴェリンに場を譲ると、そのまま自室に戻って着替えを済ませた。
昨日までと違って着る物は部屋着として使っている物で、農民衣装とも呼ばれるぺサンドドレスに似た衣装だった。元となったデザインがそうというだけで、使われている材質や意匠、袖に縫われた刺繍など、その豪華さは貴族が纏う衣服と遜色ない。
それにワンポイントとしてのチョーカー型のアミュレット、腕には品位を損なわない程度に抑えた月長石のブレスレットに、人差し指に同素材の指輪を着けていた。
これは何もオシャレを楽しみたいという理由から、身に着けているのではない。
これら装飾品はそれぞれが一級品の魔術秘具で、それぞれ身を守る術が付与されている。衣服自体は単なるオーダーメイド品で、身を守るには適さない。それを補う為のアクセサリーだった。
別にこれらを装備しなくても、何が起きようと対処できるだろう。傍には常に誰かしら付いているし、危機があったとしても、ここは日本だ。大した事は起きない。
そう理解していても、アヴェリンから許しは決して得られないだろう。
うるさい事を言われるぐらいなら、最初からある程度支度をしておけば面倒も少ない。
ミレイユは自身の姿を客観的に見て、やはり日本で見るには奇異に映るだろうと判断した。
これがもしもスイスや北欧地方であったなら、まだしも問題なく調和していたかもしれない。
ミレイユは自室を出てリビング兼ダイニングに向かう。
先程水を飲んでいた場所では、アヴェリンが立って食事の準備をしていた。ミレイユの姿をチラリと見て、着ている衣服と装飾品を素早く確認してくる。そして満足そうな笑みを浮かべて作業に戻った。
台所一角には様々な収納スペースがあって、多くの食材が保管されている。ここに保管できるのは食材だけで、料理として作られたものは保管できないという不思議な法則がある。
食材も長く入れていたら、やはり腐る。ただ収納されている間は時間の流れが遅くなる効果があるようだった。
だから肉や野菜は勿論、ベリーを初めとした果実は用意されていても、そう多くはない。調味料と香辛料は多く持ち込めても高価な為、やはり数は用意できていなかった。
その中にあって、一番種類も量もあるのはワインを初めとする酒類だった。ビールやエール、年の若いワインやビンテージ、変わり種として蜂蜜酒も数種類ある。
そこに朝の瞑想を終えたルチアが帰って来た。
手早く服を着替えて朝食の準備に合流する。
今日の朝食は、精製度の低い小麦を使った黒いパンと果実を絞って作ったジュース。オレンジとは違うが酸味と甘みが程よく、栄養が豊富。オレンジに似た風味だが色は紫色をしていた。
そこに生野菜のサラダとハム、ソーセージを茹でて香辛料を少々振りかけた物が加わる。
朝の食事は質素な内容である事が殆どで、量を取るのは昼か夕になる。旅暮らしの時は状況次第でそれが変わった。今はそういう暮らしではないので、これからは肉料理を食べる時間は夕食の時になりそうだ。
食卓の上座に座って待っていると、アヴェリンとルチアがやって来て手早く配膳を済ませた。その終えたタイミングでユミルがやって来る。
「おはよ……」
「ああ、おはよう」
髪は解いて乱れたまま、目も据わってショボショボとさせていた。彼女の生活は夜型なので、未だに慣れない朝の起床はいつもこんなものだ。昨日は深酒という程ではなかったので、酔いが残っている訳ではない筈だ。
「おはようございます、ユミルさん」
「遅いぞ。たまには手伝ったらどうなんだ」
「……うん、おはよ」
「それはもう聞いた」
アヴェリンが呆れた目をして返事を返すのを見ながら、未だに頭がハッキリしていないユミルを席につかせてやる。
ジュースを注いで目の前に置いてやれば、のろのろとした動作で口に運ぶ。
顎を上げて大きく喉を嚥下させるのを見せながら、ジュースを一息に飲み干す。
「ああぁぁ……。生き返るわ」
「軽い命で結構なことだ」
アヴェリンの冷たい視線を受け流し、パンを手に取ろうとしたところで手を叩かれた。
「まだミレイ様が手を付けてない。食べ始めるまで待て」
アヴェリンが育った部族では家長が食べ始めるまで、家族は誰も食事を始められない決まりだった。家長が食べ終わるまで手を付ける事すら許さない、という決まりの部族もある。だが大抵の場合、家長の許可なく食事を採るのはマナー違反とされ、勝手な食事は家長の権威を蔑ろにする行為と取られる。
食事を抜かれ折檻される程の罰は珍しいが、程度の差こそあれ、種族が変わっても家長を立てるのはどこも変わりない。
「いただきます」
ミレイユは苦笑して自らパンを手に取り、一口分に千切って食べる。
アヴェリンは厳しすぎ、ユミルは緩すぎる。生まれた時代の差でもあるから、注意してもなかなか直るものではない。
結局のところ、自分が早く何か一品、口に入れれば済む話なのだ。
ミレイユに続いて、それぞれが信仰する神に祈りを捧げて食事を始める。
口にしないのはユミルだけで、一番熱心なのはアヴェリンだ。たっぷり五分は祈りを捧げた後、ミレイユに向けても簡略化した祈りと一礼してから食事に手を付ける。
アヴェリンにとって、ミレイユとはそれ程までに畏敬を向ける存在だった。神に次ぎ偉大な存在で、どのような人種、どのような王族より尊崇されるべき存在と考えている。
無論、ミレイユはそれを行き過ぎた感情だと思っているし、諭してもみたが、これまで全く効果を上げていない。
食事中は声を出さないのがマナーであるルチアは、祈りの最中も食べ始めてからも無言を通す。これについてはそれぞれの慣習の問題なので、誰も気にしない。
朝食の品目は少なく、それ故に早く済む。
食後にコーヒーを飲むという習慣もないので、食後は何も持たずに雑談の場だ。時にこれは作戦会議や旅程の確認の場ともなるが、多くの場合雑談のみで親睦を深める。
うまく日本の通貨を手に入れれば、食後のコーヒータイムを習慣化できるかもしれない。
ミレイユが今後の展望に意識を傾けていると、適当に片付けていた皿を重ねながらアヴェリンが伺うように口を開いた。
「本日は通貨を得る為に動くとの事でしたが、他の者達も同行させますか?」
「……好きにしろ、と言いたいところだが。その前に着る物をどうにかした方がいいかもしれない」
「着るもの、ね……」
「それほど気にすることですか?」
「昨日は何ともありませんでしたが」
それぞれに疑問符を浮かべるような表情をしてミレイユを見てくるが、これについて異論を認めるつもりはなかった。
「昨日は単に暗かったから誤魔化しが利いただけだろうし、アキラにしても単に口にしなかっただけで、絶対に違和感を持っていた筈だ。外で活動するつもりなら、この国で一般的な衣服を身につける必要がある」
「その為に、この国の通貨が必要と」
「でも、それって奇異に見られず通貨を得られる前提があってのものじゃないですか?」
「そうだな……」
通貨を得るまで奇異に映ることは、覚悟せねばならないだろう。服を買いに行く服がないとはこの事か、そこは我慢するしかない。大体、奇異に映るだけで犯罪ではないのだから。
問題は職務質問を受けた場合だ。見慣れない格好でうろつくだけで、警官はとりあえず声をかけようとする。そこから予想できる問題を考えるだけで、芋づる式に膨らんでいくのが想像できるようだ。
頭の痛い思いで溜め息をついて、ざっと全員を見渡す。
「だから、全員で動くのは目立ちすぎると思う。私一人で――」
「それは賛成できかねます」
咄嗟にアヴェリンが遮って、ミレイユは苦い笑みで頷いた。
「うん。だから、あるいは二人で行こうと考えている。三人は……、どうかな。ギリギリか?」
「日中動くつもりっていうなら、アタシはパス。こちらの太陽は眩しすぎるのよね」
「私は興味ありますね。昨日は待機組でしたし、今日は別にいいでしょう?」
ミレイユは頷きかけて動きが止まる。困ったように眉を寄せ、すまん、と一言詫びを入れた。
「お前は見た目でアウトだ。平日……今日は平日だろうと思うが、日中から十代半ばに見える少女が出歩いてると補導される」
「……はい? 補導? ……補導ってなんです?」
「何というか……、お前のような年齢の少女は学校に行っているものなんだよ」
学校、とルチアは口の中で言葉を転がす。
「つまり、学問を教えているんだ、子供に。大人になるまでな」
「それは昨日、アキラに聞きましたね。何でも最低九年間は学ぶのだと。そして大抵は更に三年、追加で学ぶそうだ」
「それはまた随分と偏執的なのねぇ。この国は学者の国? それとも全員、狂信的なのかしら」
「学者の国ではないが、それだけ教育に力を注いでいる国だと言うことだ。そういう訳で、夕方までルチアは自由に外を歩けない。というより、その補導が一番面倒くさい」
先程の学校についての困惑も取れぬまま、ルチアは怪訝に眉を顰めた。
「その補導って何なんです? 悪いことのように聞こえますけど。憲兵にでも捕まるんですか?」
「――非常に近い」
ミレイユは思わず、ルチアを指差した。
「非行の防止する為の活動で、憲兵――こちらでは警察と呼ばれる組織員が、それを行っている。つまり犯罪をする前に、あるいは巻き込まれる前に手を打とうと目を張ってる訳だ」
「はぁ……、そんなに犯罪に目を光らせているんですか」
「犯罪が少ないって、そういうこと? 怪しい奴はまず罰せよって?」
「そういう事じゃない。別にあらゆる場所に目がある訳でもいない。実際は見つけられない、見逃してる方が多いぐらいだろう」
「……なによ、つまり建て前?」
そうだ、とミレイユは頷く。
「毎日同じ時間、同じ場所にいるような事がなければ、あるいは注意を払っている場所に行かなければ、まず補導されるものじゃない」
「でも、どこに目があるか分からないのも事実という訳ですか」
ミレイユは再び頷く。
「今は些細なトラブルさえ避けたい。敢えてリスクを背負って、ルチアを連れて行くメリットがない」
「そういう事なら了解です。今回も留守番に徹しましょう」
「悪いな」ミレイユは頷くように小さく頭を下げる。「埋め合わせは考えておく」
「構いませんよ。これから何度もチャンスはあるでしょうから」
となれば、と期待に満ちた目でアヴェリンが見つめ返して来た。
ミレイユはそれを、やんわりと否定する。
「だが、アヴェリンも駄目だ」
「――何故です!?」
「アンタと一緒だと、いらぬトラブル招きそうだからでしょ」
「そんな訳があるか! 大体それだと他に供を出来る者がいません!」
「いるだろう、一人」
アヴェリンは一瞬、虚を突かれたように動きを止め、そして何を言いたいのか察知するにつれ、顔をみるみる間に赤くしていく。
ついにテーブルを叩き付けて立ち上がった。
「あり得ません! あれは信用や信頼とは最も遠い輩です。誰か一緒にとなればともかく、たった二人切りで行動を許すほど、私は耄碌しておりません!」
「……あー、つまりアレですか? あいつを召喚してみよう、と?」
「いやぁ、いいんじゃない? お金勘定や交渉だけで見れば信用できるでしょ」
「――それ以外の一切が信用できんだろうが!」
アヴェリンはユミルに向き直り唾を飛ばす。
「でもまぁ、妥当な人選……人選? ――まぁ、人選かと言われたら、アタシも疑問かしらねぇ。そんなに難しい交渉するつもりなの?」
「相当買い叩かれるだろう、と予想されているようだ」
「ああ、何かを売って、こっちの貨幣を手に入れようと思ってるのね。それでマシな交渉役を連れて行きたいと……」
何かに納得したように頷いてみせたユミルだったが、対するアヴェリンは激しく頭を振った。
「種族として、アイツらは絶対にタダでは動かない。対価を要求してくる。今度は何を要求してくると思う!?」
「何かしらねぇ……?」
「前回は魔力だけだったが……。高純度で他に類を見ないと、気に入った様子だった」
記憶を探りながら言ったミレイユに、アヴェリンは顔を向け両手をついた姿勢のまま顔を近づける。不敬と思える行動、アヴェリンらしからぬ行動だったが、それだけ何とか説得しようと必死なのだろう。
「考え直して下さい、ミレイ様! 奴らは同じ要求をしてくる事はまずありません。必ず何か、一つ釣り上げて要求してきます。金銭、物品、そういった形あるものは絶対要求しません。次はミレイ様の魔力以上に価値あるものを要求してくるのです!」
「私からすれば、魔力を少し分け与えるなど、最も安い取り引きだった。それより少し値上がりしても、大した痛手ではないと思うが」
「――それが奴らの手口なのです! 最初は少額、あるいは取るに足りないと自覚しているものを要求し、割の良い取引だと思わせる。そして気づけば、払えない、払いたくないものを要求されてしまうのですよ!」
アヴェリンにそう熱弁されれば、ミレイユも再考せざるを得ない。
割の良い取引が何度続くか分からないとなれば、そして本当に困った時にしか使わないとするなら、確かにここで切るカードではない。
「因みに、アンタは何を要求されると思ってるのよ。ねぇ、アヴェリン?」
「それは……分からんが。まだ二回目である事だし、要求する魔力を多めにするだけで済むかもしれん」
途端に口ごもったアヴェリンに、ユミルは嫌らしい笑みを浮かべた。追求をやめるつもりはないらしい。
「いやいや、それだけ頑強に否定するってことは、それで破滅した人を見たとか聞いたとかしたんでしょ? アンタ、何を知ってるのよ?」
「いや……、別に。そういう話を知ってるだけだ。大体、有名な話だろう……!?」
「ちょっと分からないわねぇ、どういう事よ? 詳しく知りたいわ」
「えぇい、うるさい! お前が知らぬ筈ないだろう! 白々しいぞ!」
顔を赤く染めて着席すると、そっぽを向いて腕を組む。これ以上話すことはないという意思表示だった。
ユミルは嫌らしい笑みをニヤニヤと浮かべたまま、ミレイユに顔を向ける。楽しそうな表情を隠そうと顔の前に手をやっているが、まるで成功したようには見えなかった。
「ま、そうね。やっぱりアンタの考えには、賛同しない方がいいみたい。別の手を考えなさいな」
「……その方がいいようだな」
アヴェリンが重い動作で頷きを見せた時、そこに軽快な声が横から飛んできた。
「当座の資金が欲しいなら、借金すればよくないですか?」
「なに……?」
「難しい交渉を考慮して、少しでも多い金額を入手しようとするより、そっちの方が手っ取り早いですよ」
「手っ取り早いのは確かだろうが、返す当てもないのに借金はできないだろう。それにやはり、担保も必要になるだろうし、首が回らなくなった場合を考えると……」
ミレイユが渋面になって否定すると、ルチアはやはり軽い調子で応える。
「何も難しい事なんてないですよ。借りる相手はアキラさんですから」
「アキラから?」
「食べていくのに苦労しないって話してたじゃないですか。じゃあ、そこそこの金額は所持していて、そしてそれは多少の出費では崩れるような物じゃないと思うんですよ」
「いや、しかし……」
ルチアは簡単に言うが、いい大人が子供から借金するというのは、心理的に抵抗がある。それも両親を失い、一人で生きている学生からだ。こちらも頼りになる知人がいないのは確かだし、無一文の身の上だが、それでも超えてはいけない一線というものがある。
「奪い取ろうというんじゃないんですから。借りるってだけじゃないですか」
「しかし、それなら多少買い叩かれたとしても、装飾品を売りに出した方がマシではないか?」
いいえ、とルチアは決然と首を振った。
「負い目なく私達に貸しを作らせる、そういう関係を持たせようと言いたいんです」
「貸しを? ……どういうことだ?」
「正直、こちらの方が一方的に渡し過ぎですよ。敵の情報、対処方法。確かにこれから遭遇するであろう敵が、こちらにとって全て既知であるかどうか分かりません。でも、その情報と対処は値千金に相当するものじゃないですか?」
「それは……、確かにそうだ」
アヴェリンが理解を示せば、ミレイユにも言いたい事が分かってくる。
「たかだか出会っただけの縁、一食の恩で渡すには、あまりに過度だと。そう言いたいのか?」
「そうですね。今はまだ実感がないだろうから当然ですけど、いざ自分で戦おうと思った時、彼は思う筈です。どれほど大きなものを与えられたのか」
「……気付くか? 結構マヌケに見えたが」
「気付かないなら、別にそれでもいいですけどね」
ルチアは肩を竦めて、小馬鹿にしたような息を吐いた。
「そうでない事を祈りますよ。でも、私の見立てじゃ、ただ教えるだけでは終わりません。武器を貸し与える事になると思います」
「……何故そこまでしてやる必要がある」
アヴェリンが不快げに言うと、ミレイユがルチアに同意する。
「そうだな、ルチアの言うとおりかもしれない。学生のアキラが持てる武器なんて、せいぜい木刀か家庭用の包丁ぐらいだ。当然だが、誰もこんなので戦うなんて想定していない。これで対処方法は教えた、とは言えないだろう」
「木刀……。剣を模した木製の棒、ということですか?」
「そうだ。ゴブリンならばいいだろう、それでも殺せる。だがそれ以上となると――」
「ちょっと待って」
ユミルが割り込み、剣呑な表情を見せる。いつの間にか笑顔は消えていた。
「この世界ってマナがないじゃない。この邸宅に帰ってきてから気付いたんだけど、あっちは木にも石にも水にさえマナがないのよね」
「――はい、私がチグハグと言ったのはそれもあるんです。電線に魔力は通ってて、一応それが拡散してるから気付きにくかったんですけど。でも、ユミルさんが言うとおり、一切見受けられません」
「でしょ? アタシたちにとっては、あって当然だから気にもならないし、まず有り得ない事態だから知らない方が当然だけど……。マナの含有してない物質で、魔力を持った生物の皮膚は貫けないのよ」
ああ、とミレイユは呻いて顔を歪めた。
ミレイユはかつての自分を思い返す。
この世界に、一人の男として暮らしていた時の事を。そして、その暮らしの慰めとして遊んでいたゲームの事を。
ゲームプレイ中、その設定で見たものの中に、次のような記述があった。
昔はマナは世界に溢れていなかった。ごく一部の物質にのみ確認されるだけだったが、それが時と共に広がっていった。
マナは次に一部の生命にまで含まれ、それが時と共に魔力と成し、遂には魔術を使える種族を生んだ。魔術を使える者と使えない者との格差が生まれ、支配者と奴隷という関係を作っていく。
だが支配者の時代は永遠には続かず、あらゆる生命が魔力を持つようになると、奴隷たちは支配者を打ち倒した。
そして奴隷は魔力の有無ではなく、今度はその強弱で特権階級を作り、また別の格差を生み出していく。この時代の強さとなる基準は個人的魔力の大小より、むしろ種族人口の多少へと変移した。更に時代が進むと、魔力もマナもあって当然の認識になっていくのだが、この支配者時代は、そうではなかった。
マナが含まれていない鉄剣は、支配者には通じず、一方的に攻撃されていた。これは防いだのではなく、文字通りの意味で刃が立たなかったのだ。
このマナを含んだ物質が世界に溢れるまで、支配者はマナ物質を独占したからこそ奴隷を支配できていた。マナは世界に溢れ続け、止まる事はなかった故に、ついには石さえ武器に変わった。
支配が盤石で覆る事はないと高を括っていた者たちは、その傲慢さ故に木の枝で眼球を貫かれたという。
そこまで思い出して、この世界に当てはめてみれば一目瞭然だ。
包丁を持ち出したところで、最弱の魔物に対し皮一枚傷つける事は出来ない。
「戦えと言うのなら、武器の供給は絶対条件になる。それも、この世で恐らく、私達だけが持つ武器を」
ルチアは神妙な顔つきで頷いた。
「これでご飯を少々頂いただけじゃ、割に合わないと馬鹿でも気付きますよ。だから、こちらに貸しを作ることでバランスを作らせないと……」
「武器を受け取らないだろうし、こちらとしても貸せるものではない、と……」
「ですね。まぁ正直、それでもこちらが貸す方が大きいと思うんですけど。でも他に、アキラさんが他に貸せるものありますか?」
――あるかもしれない。
パソコン、スマホ、何かしらの情報媒体。この世界、この日本で、それらを持っているかどうかは大きなメリットになる。
アキラ達がコンビニに買い出しに行った時、部屋の中を見て回った。その時パソコンとタブレットは確認できたから、いずれかの貸与でもいい。
これ以外で学生の身で提供できる物など高が知れている。
大体あまりに危険だと判断するなら、そもそも武器を与えず逃げることを選択させる。
武器がなければ戦えないというなら、そうするしかないのだから。
「この説明は絶対に必要だな……。全くの盲点だった……。そうか、そもそも最初から逃げる選択肢しかなかったのか」
「焚き付けちゃった、アンタの責任でしょうねぇ」
「だが別に、まだ引き返せる問題だ。宣誓書や契約書で縛った約束でもないのだ、事情を説明すれば諦めるのではないか?」
「どうでしょう? 説得は可能かもしれませんが、でもただ逃げ続けるより対処を学びたいという姿勢は賞賛されるべきものでは?」
ルチアがそう言えば、アヴェリンも考え込むように押し黙った。
そして縋るようにミレイユに顔を向ける。
「こうなってはやはり、他人任せというのも問題があるのでは。我々のみが対処できるというのなら、我々もまた対処の義務があるかと」
「義理はあっても、義務はないだろう……」
「ですが、ここはミレイ様の故郷です。故郷の町を奴らに好き勝手させてやるおつもりですか? それはできません。故郷を守り戦うのは義務です。これは確かに法による義務ではありませんが、魂による義務なのです」
アヴェリンは熱い視線を向け拳を握って熱弁する。
しかし、その気持ちはアヴェリンだけのもので、他の者はむしろ冷ややかだった。
ユミルは手を振って、それに口を挟む。
「アンタの言い分は理解できるけどね。それはアンタの部族にとっての見解でしょ? それに付き合ってやる必要あるかしら?」
「魂の故郷を持たぬからそう言えるのだ。生まれ死ぬ故郷を守る。そんな当然のことが分からないのか?」
「それ自体を否定したいんじゃないわよ。アンタは提言のつもりで、自分の気持ちを押し付けてるだけ。義理はあっても義務はないって言ったでしょ? それがこの子の気持ちなのよ」
「だが、なくなってから嘆くのでは遅い!」
「だから嘆くかどうか決めるのはアンタじゃないの。アンタとアンタの部族がそうだからって、この子も同じ気持ちだと決めつけるのはお止しなさいな」
「私はいつだってミレイ様の御心に寄り添っている! ミレイ様の御心の内は理解している! だからこそ言っているのだ!」
「分からない子ね。じゃあ義務はないなんて言葉出てこないでしょ? それこそが、その気はないって証拠じゃないの」
言葉を交わすたび白熱する議論に、それを冷ややかに見ていたルチアが手を叩いて口を挟んだ。
「仲のお宜しい事で、たいへん結構ですね。でも、そろそろ御本人の意思を確認しませんか。――というか、何で本人はダンマリなんですか。何か言ってくださいよ」
「……もう少し、今のじゃれ合いを聞いていたがったが」
「貴女、いい性格してるって言われません?」
「たまにな」
ミレイユは笑って見せて、アヴェリンたちへと向き直る。
何を言おうかと言葉を探していると、先にユミルが口を開いた。
「アタシは祖先たちが痛みに耐えて手に入れたものを、何の躊躇もなく軽々と棄て去る連中を何度も見てきた。そんなの好きにしろと思う反面、愚かしい行いとも思う。でも一番大事なのはアンタ自身が決めるコト。後から悔いることのなく、納得できる選択をするといいわ」
「ユミル……」
「その上でアタシの退屈を吹き飛ばしてくれたら、言うことないんだけど」
「……台無しだろ」
ミレイユは呆れ、半眼で呻くように言う。聞いていたルチアも同じような表情をしていた。
その空気を断ち切るようにアヴェリンが姿勢を正し、ミレイユに向き直る。
「私は何も、ミレイ様に戦えと申し付けたい訳ではないのです。貴女は今まで、ずっとそうだった。自ら重荷を背負い、潰れず済むからと無理に歩いて来られた。ですが、もっと背を向けることを学ぶべきなのです。進んで重荷を背負う必要はありません」
「さっきと言ってるコトが違うじゃない」
「何も違わない」射抜くようにユミルを見てから、すぐに戻す。「――ですからミレイ様、私にお命じ下さい。自らの傍に現れる有象無象を悉く滅せよと。自らの物を損なおうとする者を許すなと。必ずや、私がご満足の行く結果を献上いたします」
そこまで言って、アヴェリンは丁寧に頭を下げた。
ミレイユは腕を組んで考え込む。目を瞑り、小さく息を吐いた。
アヴェリンの言いたい事は分かる。彼女と同様故郷に思い入れはあれども、戦うまではしたくない。重荷を積極的に背負ってきたのは、この世界に帰ってくる為であって、帰ってきてからも同じように生きていくつもりは毛頭なかった。
何なれば、再就職して適度に以前と同じ生活をしようと考えていたくらいだ。
アヴェリンの言葉は魅力的ではある。
自分は知らない、お前に任せると言って好きに過ごせばいい。彼女もそれを望んでいる。今まで背負った重荷の分だけ、今少し休息する期間があってもいいのだと、そう言いたいのだろう。
休息の間は、自分が何とかすると。
ミレイユは組んでいた腕を、ゆっくりと解いて目を開く。
アヴェリンは礼の姿勢のまま黙して動かず、他の二人は緊張とは違う固い表情で待っていた。
「……まず、私のことを思ってくれた事に礼を言おう」
ミレイユが話し始めたのを聞いて、アヴェリンが顔を上げた。
「私自身、そこまで自分が価値ある存在だと思っていないが……。それを口にすると、お前たちの敬意を蔑ろにしてしまうから止めておこう」
「それがいいわね。あまり自分を卑下してみせるものじゃないわ。それもまたアタシたちを侮辱する行為よ」
「……肝に銘じておく」
頷きを返せば、ユミルは満足気に笑みを浮かべる。
ミレイユはアヴェリンに向き直り、話を続けた。
「私は未だに迷う。自分の我儘に付き合わせて良いのか、お前たちの善意に甘えて良いのか」
「それでよろしいのです。私達は何もただ甘やかしたくて接している訳ではありません。闇雲に肯定したい訳でもない。ただ貴女の労苦と成し遂げて来た偉業を知ればこそ、敬意を払って報いを返したいと考えているのです」
「私たち、貴女に何度助けられてきたと思います? 何度死の淵を歩いて、その度に掬い上げられてきたと思います?」
「そりゃあ勿論、アタシたちだって相応に苦労してきたわよ。上に立つ者は、その労に報いのが義務だわ。でも、下にいる者にだって返したい恩というものがあるものよ。そして、そう思って貰える人間ってのはね、ドンと構えてるぐらいが丁度いいのよ」
ユミルは一瞬、悲しそうな笑みを落とす。自嘲にも似た表情だった。もしかしたら、父親のことを思い出しているのかも知れない。
それには気付かず、アヴェリンは続ける。
「私達が貴女を慕うのは、単に貴女が偉大だからでも、偉大な功績を残してきたからでもありません。それを成すまでに貴女が何をして来たか、それをこの目で見て知っているからです。なればこそ、貴女は私たちに――少なくとも私に、好きに命じる権利がある」
アヴェリン、ルチア、ユミル、それぞれが思いを吐露して視線を向け合う。
ミレイユはこれまで、ただ必死だっただけだった。必要だったから、言うなれば、その一言に尽きる。利用してきたという自覚もある。
だが、これ程の思いを打ち明けられれば、受け取らないのも不義理になる。
ミレイユは一つ息を吐いて、観念するかのように頷いた。
「お前たちの想いを受ける。よろしくやってくれ」
「――お任せ下さい、ミレイ様。ごゆるりと休息を楽しまれ、吉報をお待ち下さい」
アヴェリンが代表し、背筋を正して礼をする。
二人はそれに続くような真似こそしなかったが、晴れやかな笑顔を見せている。ユミルに至っては、世話の焼ける妹でも見るような目つきだった。
一つ大きな問題が片付いた思いで肩の力を抜いたのだが、よくよく考えると、別に何一つ問題は解決していない。
既に何かが終わった雰囲気の中で、これを切り出すのは勇気が必要だった。
それにしても、とユミルはルチアに顔を向ける。
「マナのこと、よく知ってたわね」
「エルフ族には伝わっている話ですから。まだ若芽のわたしでも、それぐらいは知ってるわけでして」
ユミルは現状、当時を知る唯一の存在だから当然として、エルフもかつて支配者層の一角だった。かつての興廃を知ればこそ、教訓として伝わっていてもおかしくなかった。
「雑談に興じてる場合か。話が壮大に脱線しただけで、当初の問題は何一つ終わってないのだぞ」
アヴェリンが言った事は、まさしくミレイユが戻そうとしていた話題だった。どう切り出したものか迷っていたので、正直有り難かった。
「そうはいうけど、でも実際ちょっと良かったでしょ? 改めて気持ちを伝えられて了承を得られて。アンタも忠義の尽くし甲斐があるってもんでしょうが」
「そうだな。それを思えば胸が熱くなる。――が、それとこれとは別の話だ」
「お堅いわねぇ。……アタシなんてもう、何もかも終わった気分よ。今日はもう寝たっていいぐらいだわ」
疲れたような顔色を見せつつ、その表情には笑顔を見せるユミルだが、それに対する三人の反応は実に冷ややかだった。
「起きたばかりだろう、馬鹿者」
「それは早すぎるのでは。馬鹿なんですか?」
「流石にそれは許可できん。起きてろ、馬鹿」
「――ちょっと、何でいきなり謎の連携見せるのよ。やめなさいよ、そういうの!」
肩を震わせ、ついには吹き出したミレイユを皮切りに、全員が口を開けて笑う。
「あっはっは、良かったな、今の!」
「ふふふ、何であんなこと言ったんですかね?」
「分からんが、何故か息が合ったな。……ふふっ、こういうのもたまにはいいな」
「……あっそ。ほぉんと、楽しそうで何よりよ」
笑い合う三人と明らかに空気の違うユミルは、半眼になって頬杖を突く。
一人だけ除け者にされたユミルとしては当然面白くない。口の形は笑みを浮かべているが、その発達した犬歯の隙間から息を吐き出し、不満を
「それでぇ……? 可愛子ちゃんにぃ、説明するのぉ……?」
ユミルの不満は留まることを知らず、頬杖に段々とより掛かって身体が斜めに倒れていく。流石に哀れに――気まずくなったミレイユが、その肩に手を置き上体を起こしてやる。
「ほら、悪かったから機嫌を直せ。これからアキラの機嫌も取らんといけないのに、これ以上面倒な事やってられるか」
態勢の戻ったユミルが再び傾く。
「機嫌? 何であの子の機嫌を取る必要あるワケ?」
「最初の話に戻すと――、アイツに金を出させなきゃならない。気持ちよく出せるようにしたいだろ」
「……する必要あるかしらね?」
ある、とミレイユは頷く。
元日本人の小市民としては、金を借りるという行為に後ろめたさがある。これは出す方も借りる方も感じる忌避感だ。貸す方が慣れていると言うならまだしも、今回のような特殊なケースだと、それはもう
理解を示さないのは誰もが同じようなものだったが、特に顕著なのがアヴェリンだった。
というより、弱肉強食が染み付いている彼女だからこそ、理解できないと言った方が正しい。ミレイユとの旅で弱者に寄り添う気持ちを育んで来たが、それでもまだ理解の不足は大きかった。
「……ですが、何の為に?」
「何の為、というほど明確な理由がある訳ではない。私が、そうしたいからだ」
「――では、そうしましょう」
アヴェリンは即座に頷いた。
理解を放棄した返事だったが、ミレイユもまた言った通り明確な答えは持ってないし、また明解な言葉で説明も出来ない。
案外簡単に、気にせず貸してくれる可能性を考えたが、頼るものもない一人暮らしでその金銭感覚は致命的だろう。少しでもまともな性格をしていれば、安易に金の貸し借りには応じまい。
「男の機嫌をくすぐる方法など心得ています。お任せください」
アヴェリンが自信満々に言うのを見て、ユミルは明らかな興味を示した。傾いていた身体を戻して、いつもの人を食った笑みを浮かべる。
「なに、アンタ。男を転がすやり方、知ってるの?」
「転がす……? 転ばす方法など、幾らでもあるではないか」
ユミルは発言に不安を感じて眉根を寄せた。
「だからつまり、男を機嫌よく気持ちよくさせてやる方法よ」
「勿論だ、そう言ったろう? 男なんて単純なもの、どんな奴でも大体同じだ。いつも満足させてきた」
「へぇ……! そう! ちょっと意外じゃない! そうなの、アンタ。自信あるのね!」
「あるとも。あの年頃の男など、考えてる事は大して変わらん。いつだって欲するものは同じだろう」
「そうねぇ、同じよねぇ」
ユミルの笑みは粘りつくような嫌らしい笑みに変わり、アヴェリンを上から下まで見つめる。
アヴェリンも同意を得られ、得意顔になって頷いた。
「まぁ、任せておけ。昨日アイツと外を歩いた時にな……」
「――時に?」
ユミルは明らかに期待した顔つきで、椅子の背から身を起こした。
「遠くに林があるのを見つけた」
「はやし……?」
「上手くいけば見つけられるだろう。――そうと決まれば急がなくては。ミレイ様、失礼します」
アヴェリンは椅子から立ち上がり自室へと下がっていく。
それを三人が呆然とした目つきで見送る。
「え、なんですか、あの自信。任せて大丈夫なんですかね?」
「いやぁ、話を聞いている間は面白く感じたけど……。でも確かに、手慣れてる感じは出てたわよね?」
「いや待て。雲行きを怪しく感じるのは私だけか……?」
ルチアとユミルが顔を見合わせ、ミレイユもまた頷いてアヴェリンが消えた方向を窺う。
しばらく息を呑むように互いに目配せしていると、先程より物々しい装備に整えたアヴェリンが帰ってきた。
それは鉄具を使われていない軽装の装備だった。
上下は皮革を用いたもので、ベルトにさえ鉄は使われていない。本来ならベルトを通す穴にローブらしきもので結んで止めている。肩から腰にかけては獣の毛皮があって山師を連想させる作りだ。
「では、行ってまいります。遅くなりはしないと思いますが、夕方前には帰ってきます」
言うだけ言って踵を返して邸宅から出ていくアヴェリンを、やはりユミルは呆然と見ていた。
呆然というより理解できない行動に、ただ面食らって動きが止まっていただけかもしれない。
そんなユミルに、アヴェリンが扉の取手に触れて、思い出したように振り返った。
「……ああ、そうだ。火を用意しておいてくれ」
簡潔にそれだけ言うと、今度こそ出ていってしまう。
ユミルは取り残されている二人に目配せしてから、身を乗り出して顔を近づけた。
「どういうコト? 火ってなに?」
「分かりません。……蝋燭の火、でいいんですか?」
「……ムチも用意した方がいいのかしら?」
「いきなりハードなプレイを要求してきますね」
いよいよもって顔を顰めたミレイユが、敢えて誰も口にしなかった事を言う。
「誰もが何か勘違いしていないか? ユミルは元より、アヴェリンもまた大きな思い違いをしているような気がしてならない」
「いや、してますよ。絶対してますって」
「……追いかけるべきかしら?」
「よし、行くぞ」
ミレイユが号令をかけて、全員が椅子から立ち上がる。
ろくに準備もしていなかったユミルは、とりあえず着る物を取りに自室に戻り、ルチアはその後について髪の手入れなど手伝ってやる。
慌ただしく準備を終えて、ミレイユは二人を伴い外に出た。