【完結】神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~   作:鉄鎖亡者

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エピローグ その5

 奥御殿の中庭にて、オミカゲ様は一千華を伴って歩いていた。

 最近の一千華は特に細くなり、寝たきりになる事もしばしばだった。

 

 深い皺と皮、骨ばかりになるのは、年老いた者ならば当然ではあるが、親しい友が弱っていく姿を見るのは耐え難い。

 一千華の体力は筋力と共に衰え、それに準じるように魔力も低下していった。

 

 本来ならば車椅子でなければ身動き出来ない身体の筈だが、曲がりなりにも歩行できているのは、その魔力による補助があるからだ。

 それでも一人での歩行は危なっかしいからと、一千華には付添い人が居たのだが、今日ばかりはオミカゲ様自ら申し出て、その手を引いて歩いている。

 

 触れる事で他者の制御を奪い、より効率的に動かしてやれる、というのも一つの理由だが、何より一千華の為に何かをしてやりたかったというのが理由だ。

 細い――細すぎる手首に触れる度に思う。

 

 既に一千華は己の死期を悟っている。

 背後から忍び寄る影を認識し、それが実際いつ自分の肩に手を掛けるか、それを正確に把握している様な気がするのだ。

 

 だから、ここのところ寝ている時間が増えるに当たり、オミカゲ様も覚悟を決めていた。

 つい最近も、二日の間、昏々と眠っていたばかりだ。

 

 ようやく目を覚まし、そして意識が鮮明になるにつけ、オミカゲ様との面談を希望した時は、遂に来たかと思ったものだ。

 しかし、一千華の口から出た言葉は、共にお茶を飲む事を希望するものだった。

 

 周囲から安静にしているべき、と諭されても、頑強に己を曲げない。

 一千華が望む事は何なりと叶えてやりたい。

 だから、オミカゲ様は中庭に野点(のだて)の準備を整えさせ、今はそちらに移動している最中だった。

 

 今日は日差しも良く、それに合わせて二人も夏に向いた着物だった。

 単衣(ひとえ)に仕立てた着物の中でも、薄くて透け感のある薄物(うすもの)と呼ばれる物を着こなし、()と呼ばれる染め着物の下生地を用いていた。

 

 オミカゲ様は薄い桃色で、子どもの成長を願う竹と、邪気を払う菊の柄が入っている。

 一千華はそれより随分と大人しめで、薄緑と水色の色使いがヒンヤリとした感じを演出してくれる縦絽だった。

 さりげない花の刺繍が、ひそかな豪華さを添えている。

 

 今は夏の盛りも迫ろうとする時期で、気温も高い。

 空の陽は高く、空は薄い水色で、雲がぽかりと浮いていた。

 風の流れは穏やかに、さわさわと遠くの木の葉を揺らしていて、涼やかな風は肌を撫でる度に一瞬、暑さを忘れさせてくれる。

 

 二人が同じものを目で追い、そして視線を戻すと自然に目が合う。

 互いに微笑を向け合い、止めていた足を再開する。

 

 そうして歩を進めてややしばらく、目的地へと到着した。

 中庭の中にあって人工的に作られた小川が傍を流れ、綺麗に整えられた芝の絨毯の上に、綺麗な赤い毛氈(もうせん)が正四角形に切り取っていた。

 

 近くに植えられた梅の木が木陰を作り出しているものの、そこへ一本、本式と呼ばれる野点傘が刺されている。

 趣ある赤の色合いと『直の端』と呼ばれる、傘の端まで直線の美しいシルエットを持ち、『段張り』と呼ばれる技法で、赤白の二色張りにされてあるのが特徴の傘だ。

 格式高い伝統工芸でもあり、晴れやかな日に相応しい用意だった。

 

 一段高くなっている毛氈の端で草履(ぞうり)を脱ぎ、茶道具の前まで案内する。

 本来ならば互いに茶人が淹れたお茶を飲む立場だが、今日ばかりはオミカゲ様その手ずから点てて供する予定だ。

 

 夏の日差しは暑くとも、二人にはそれを制する魔術がある。

 オミカゲ様がそのフォローをしているとなれば、二人の間には朗らかで涼やかな空気しか流れない。

 

 オミカゲ様は釜の横に座り、対面には正客として一千華を招く。

 一から点てるとなれば、実際に茶を口に含むまで、結構な時間を要する。

 釜に火は入り、湯の準備はされてあるが、最低限の準備だけだ。インスタントコーヒーの様に、ただお湯を淹れて混ぜて終わり、という話にはならない。

 

 茶碗に予めお湯だけ注いでおき、茶筅も共に温めておく必要があり、その間にも必要なものを用意する。

 一つ一つの所作は緩やかに、優雅であるべきで、その段取りや順番においても、不躾な真似は許されない。

 

 気安い仲とはいえ、だからこそ敬意を見せる相手には、その段取りと所作が重要になる。

 そして、実際にお茶を点てる段階になっても、互いに会話はない。

 一千華は背中を伸ばして正座しているが、その瞼は閉じられており、互いの間に流れる音は、茶筅で茶碗を掻く音だけだ。

 

 そして時折、虫の音や風が木の葉を揺らす音、鳥の囀りが耳を楽しませる。

 互いの会話は無粋というより、それ以上を必要としないから無いものだった。

 こうして対面しているだけで、何より雄弁に対話しているとも言えた。

 オミカゲ様が茶碗を差し出すと、一千華はそれを膝の前に置いて、頭を下げて挨拶する。

 

「お点前、頂戴いたします」

 

 それが今日、この場で始めて発せられた声だった。

 必死に正常を取り繕うとしていたが、その声は震え、必死の我慢をしていると分かる。

 茶碗を左手に乗せ、右手を添えて押し抱き、二度回してから口元へとそっと運んだ。

 

 静かに嚥下し、最後の一口を啜って音を点てるのが、感謝を表す作法だ。

 形式ばかりではない、真心の感謝が一千華から伝わって来る。

 

 茶碗で隠れていた顔が、飲み干した事で明らかになる。

 ほぅ、と細く息を吐き、皺を深く刻んで笑顔を向けた。

 

「あぁ……、満足です。何もかも、恵まれた人生です……。貴女と共に在れて、光栄でした……」

「こちらこそ、光栄だった」

 

 呟く様に発する一千華に、笑顔で返礼と共に言うと、その手の内から茶碗が落ちた。

 腕も力なく垂れ、身体が傾くより前に、茶席を蹴って受け止める。

 ひどく細く、そして軽い身体を、胸の内にそっと抱き留めた。

 

 その表情は実に満足げで、満ち足りたまま旅立ったと分かる。

 一千華もまた、全てにおいて遅きに失した、全てが手遅れだったと、共に絶望した間柄だ。

 それをミレイユが覆し、今の安寧の世で余生を過ごせた事は、確かに幸福だったに違いない。

 

 日毎痩せ衰え、寿命が迫っていたも、そこに苦慮はなかった。

 オミカゲ様を残す事についても、既に話し合いは終わっていた事だった。

 

 一つの命として、終わるべき時はある。

 一千華はオミカゲ様の知る、他の誰より長かったが、やはり同様に終わりは来た。

 そしてそれを、穏やかな心で見送る、と決めていた事でもあった。

 

 布団の上の老衰ではなく、こうした場を選んだのも、一千華に出来る最期の気遣いでもあったろう。

 覚悟を決めていても、目覚めないまま手を握って別れるような場面を作りたくなかったから、こうして無理をした。

 

 もしも寝たままだったら、あるいはあと三日……もしくは五日、幾らかの延命は出来たろうと思う。

 最期に出来る、一千華なりの気遣いに、改めてオミカゲ様の涙腺が緩む。

 

「そなたは逝った……。だから良かろう。もう、泣き顔を見せても……」

 

 一千華の細い身体を抱き、その頭を優しく撫でながら、オミカゲ様は涙を零す。

 頬を濡らし、顎から落ちるのを気にせず、ただ自然の音に身を委ねた。

 

 木の葉が揺れ、虫の音は遠く、空は青い。

 そこに小さな嗚咽が加わり、風がそれを攫っていった。

 

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