【完結】神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~ 作:鉄鎖亡者
アキラがアヴェリンに目配せして、そのままで、と両手を下に降ろす動作を見せたが、残念ながらその意図は全く通じていなかった。
アヴェリンは顔を上げ、包丁を突き出す男を見て怪訝に顔を傾けた。
静止する間もなく立ち上がり、レジへと近づいていく。
「なんだ、こいつ……! どこにいた!?」
「なんだはこっちの台詞だ。それはどういうつもりだ? お遊びか?」
「ガイジンかよ、頭悪いんじゃねぇのか!」
包丁を店員からアヴェリンに向けた、その時だった。
店の奥にいたユミルが何事かと軽い調子で近づいていく。ユミルも店の奥で屈んでいて、強盗からも姿が見えていなかったのかもしれない。
ユミルは店員と強盗とアヴェリンを見比べて、やはり首を傾げて状況に戸惑っている。
「なにこれ、やっぱり襲撃されてるじゃない。一人で襲撃? 他に仲間は?」
「分からん。いるならとっくに来てるだろう。ならば遊びにしか見えないが、――アキラ、どうなんだ?」
「こっちに振らないで下さいよ……」
アキラもまた観念して立ち上がると、強盗は包丁をあちらこちらと向けて威嚇してくる。
「な、なんだ、まだ居たのか! くそっ!」
「治安がいい国と言ってなかったか? あれはもしかして、強盗のつもりなのか?」
「治安がいいのは間違いないですし、あれはまぁ、きっと強盗ですけど……」
日本は確かに治安がいいが、それでも犯罪が皆無ではない。
年に発生するコンビニ強盗の件数は四百前後と、世界を見渡しても異例の少なさだが、やはり全くの皆無にする事はできない。だとしても、成功しても実りがないと言われるコンビニ強盗をする辺り、この男も相当追い詰められているのかもしれない。
アヴェリンが鼻で笑った。
「あれで強盗は無理がある。ガオリ族の子供だって、もう少しマシに武器を構えるぞ」
言っている意味は分からなかったが、虚仮にされたのは理解したようだった。
激昂した男が包丁を振り上げる。
「てめぇ、ガイジンが馬鹿にしやがってよ! ちょっとキレ―だからって調子に乗ってんのか!」
アキラは男の頭が無惨に砕かれる様を想像し、なだめるように声をかけた。
もう人数的に不利なんだから逃げればいいのに、と思うが、引くに引けなくなってしまったのかもしれない。
「いや、やめた方がいいですって。絶対ろくな事になりませんから」
「うるせぇ、馬鹿にすんじゃねぇ!」
包丁を突き出したいのか振り回したいのか、よく分からない動きで威嚇する男に、アヴェリンが無造作に近づいていく。
「てめっ……!」
それは一瞬の出来事だった。
包丁を振り上げた腕が、いつの間にかアヴェリンに掴まれている。そのまま捻り上げると呻きを上げて腕が天井に向けて吊り上げられる。思わず痛みに身体が反応し、不格好な形で背筋が伸びた。
そこを狙われ、足を引っ掛け転がされる。その拍子に手から包丁が落ちたが、アヴェリンはそれに視線も向けず、腕を握ったまま背中から落とした。
「グッ! ――ぐげっ!」
背中から落とされた男は、間髪逃がさずアヴェリンに喉元を踏みつけられ、蛙のような声を出した。サングラスもマスクも外れた顔からは、憤怒と驚愕、両方の表情が見えた気がした。
素顔を晒された男は予想よりもずっと若い。おそらくは二十代前半、もしくは十代でさえあるかもしれない。
顔が真っ赤に膨れ上がり、目も充血して口から泡らしいものも吹いている。
アヴェリンはそれに頓着せず、更に腕を捻り上げて外へ伸ばす。
ゴキン、と音がして男が絶叫した。肩を外されたのだ。
「ぐぎぃぃっ、ぷ! うぶぶぶ……!!」
「この程度で声を出すな、みっともない」
喉が足で抑えられているせいで、声も正常に出せないようだった。赤かった顔は更に朱に染まり、暴れようと足をバタつかせるも、タイルを蹴るばかりで何が出来るでもない。
暴れて振り上げた足が商品棚を蹴りつける。商品は倒れたりしなかったものの、それがアヴェリンの怒りを買った。
「なんて無様な醜態だ。その程度の腕で刃を振るったのか? お遊び以下の子供以下か」
足で器用に喉を抑えたまま、鳩尾にもう片方の足で踵を落とす。それで身体がくの字に折れた。また声も出せないせいで、顔が紫に変色して来ている。
「それ死んじゃいますって!」
「殺すのは駄目だってば。目立つ真似はさせるな、って言われてるのよ、アタシ」
気づけばすぐ近づいて来ていたユミルが、男の首に手を当てる。
アヴェリンが足をどけたが、口から吹いた泡と酸欠で顔面は酷いことになっている。
ユミルが傍に屈んで首を捻り気道を確保すると、胸のあたりを強く叩いて息を吐き出させる。
「ゴホッ! ゲホッ!」
男は圧迫から解放されて激しく咳き込んだ。片手が動かない事に加え、激しい痛みで体を丸めて萎縮してしまっている。
「まだ痛い目みたい? 嫌なら二度、頷きなさいな」
声音は優しいが、底冷えする恐ろしさも感じる。男が咳き込むばかりで反応しないのを見ると、髪を掴んで床に叩きつけた。
「ブゲッ!」
「聞こえてるでしょ? 優しくしてあげてるんだから、素直に頷けばいいの」
言いながら更にもう一度頭を打ち付けて、髪を掴んだまま無理やり顔を向かせる。
目を見ながら薄く笑みを見せれば、男は涙と汚れで顔を汚しながら何度も頭を振った。
「ずみまぜん! 許じで、……じでくだ、い……!」
「馬鹿ね。最初からそう言いなさい」
一部始終を見ていたアキラは、心の底からドン引きしていた。
この二人にとって、暴力とは身近なものなのだろう。それだけ動きに躊躇がない。
化け物とはいえ、その頭を砕くことに抵抗がない程度には、暴力を振るうことに慣れている。手加減の方法も熟知していると見え、だからユミルでさえ平気で人の頭を叩きつけるような真似が出来る。
「こっわぁ……!」
「何を言ってる、優しいだろう。何よりあいつは生きている」
「アンタ、もっと上手く無力化できないの?」
ユミルが顔を向けておどけてみせれば、アヴェリンはつまらなそうに手を振った。
「こんな相手に手心なんて必要あったか? 両腕を捥いでやっても良かったぐらいだ。しかし目立つ行為といっても、これはまだ目立たない部類だろう。違うのか?」
「いやぁ、平手で一発殴るぐらいが安全ラインですかねぇ……。どうするんです、これから警察来るし、事情聴取だってありますよ」
「なんだ、それは?」
「すごい目立つことになるって意味です」
アヴェリンは元より、ユミルも顔を顰める。
「それは不味いな」
「マズイわね」
「……どうにか出来るか?」
アヴェリンに言われて、ユミルは考え込むような仕草を見せた。
掴んでいたままの男を再び自分へ向かせると、その目を覗き込んで数秒、手を離す。
男は身じろぎもせぬまま虚空を見つめ、浅い呼吸のまま動かない。しばらく放心したように手足を放り出していたが、のろのろと立ち上がって包丁を再び握りしめた。
アキラがぎょっとして身構えると、男は包丁を懐にしまって、危ない足取りのまま店外へ出ていく。アキラはそれを呆然として見送ってしまった。
「いや、あれ、どうなったんです! いいんですか!?」
ユミルの方に振り返ってみれば、女性店員の顎を掴んで無理矢理その目を覗き込んでいる。
手を離せば先程の男と同様、放心したように手元だか床だかを見つめたまま動かなくなった。
「な、なにしたんですか……?」
「一種の催眠、言うこと聞かせただけよ。何事もなかった、何も見なかった、そういう類の」
「そんな事できるんですね……」
ユミルは肩を竦めて戻ってくる。そして、アキラのカゴを指差した。
「――それ、買うんでしょ? すぐに動き出すから、そうしたら普通に済ませればいいわ。何も覚えていないから」
「うぅん……、ある意味それが幸せでしょうけど……」
しかし、何事もなかったことにされた事は釈然としない。もやもやした気持ちでいると、その間に店員も再起動を果たしたようだった。
自分が目に涙を溜めてるのを不思議がって拭いながら、申し訳無さそうにバックヤードへ小走りに入っていく。
「まぁ、うん。ちょっと待ちましょう」
エチケットの問題として、それぐらいの配慮はあっていい筈だ。
気負った姿勢も露とも見せず、ユミルが何事もなかったかのように商品の品定めに戻るのを見て、住んでいる世界が違うという思いを新たにしたのだった。
コンビニから逃げるように退店し、信号を渡っていよいよ店から遠ざかった頃、アキラはようやく重い息を吐いた。
強盗が発生してから買い物が済むまで、誰一人客が入って来なかったのは、本当に幸運でしかなかった。
包丁を持った男に立ち向かう美女となれば、同情と味方を得られるのは間違いないだろうが、その後の無力化光景を見れば考えも変わるだろう。
そして何より、警察の事情聴取が始まれば、日本どころか外国籍すら確認できないことば判明してしまう。
いや、とアキラは思い直す。
それも催眠で何とかなったのだろうか。それとも結局、自然に解除されて事実との齟齬が生まれ、また別の厄介ごとを生んでいたのだろうか。
「あの催眠って、ずっと効果があるんですか? それとも時間制限付きで?」
「なぁに? アンタも使いたいの?」
「違いますよ! ……さっきの催眠かけられた人たち、大丈夫なのかなぁと」
そう弁明を返せば、あぁ、と気のない返事をして、ユミルはつまらなそうに頷いた。
「そうね、あの時起こった事は完全に忘れたままね。だけど、記憶の中に空白の時間があると気づくかも。あの分だと、一時間もすれば我に返るんじゃない?」
「それじゃあ、あの強盗は自宅でいきなり腕の関節が外れてる事に気づくわけですか」
「そうねぇ、一時間前に居た場所が自宅なら、そうなるのかも。強盗に行こうと家を出たつもりで、気づけば一時間経っていて何故か腕が動かないことに気づくとか?」
「それはまた、何とも……」
奇怪な現象に驚くだろうが、そもそも強盗などしようとするような輩だ。捕まらなかっただけ温情があったと思って貰うしかない。肩についても自業自得、病院での説明には苦労するだろうが、そこまで知った事ではない。
昨日まで平凡な学生生活だった。
早くに両親を亡くしたことは平凡とは言えないが、それでも一般的と言っていい標準の生活を送れていた。それが今日、たった六時間の間にとんでもない騒動が巻き起こっている。
単なる暴力事件に遭遇したというだけではない。
魔法も魔物も実在すると知ってしまい、しかもその空想としか思っていなかったものが、現実の脅威として、身近に迫っているかもしれない。
その非現実的な脅威の中心とも言える二人が、コンビニ弁当の詰まったビニール袋を持っている。その光景こそがまさに非現実だった。
非常に疲れた気分で部屋まで帰ると、簡易的な食卓が用意されていた。
元々一人暮らしの生活で、時々友人が尋ねてくることはあるものの、これだけの人数を一度に入れたこともなければ来る予定もなかった。
だから四人がけのテーブルなどないし、座布団があるくらいで椅子さえ部屋には用意されていない。
それが今や六人がけのテーブルと椅子が部屋の真ん中に鎮座し、上品な色のテーブルクロスの上には幾つかの食事とワインが準備されていた。
出発前に見せてくれた食材を簡単にスライスして盛り付けただけのものだったが、温めを待つ間に摘むのには丁度良さそうだった。
「どうしたんです、これ……」
「こちらで用意した」
「え、あの、元々あったソファーとかは……」
「それは邪魔だったから隣の部屋に移した。食事するには不便だったからな、終われば元に戻す」
事も無げに言って、上座に座っているミレイユが食前酒らしきワインに口を付けた。
実際に見たことがないから何とも言えないが、優雅な仕草は上流階級で通用するマナーに見えたし、それに気負いしない雰囲気が、ここだけ切り取られた別世界のように見えてくる。
見惚れていると、ミレイユが怪訝に声を掛けてきた。
「どうした、荷物も重いだろう。早く入れ」
「ああ、はい。……それと、遅れてすみません、ちょっとトラブルが……」
「あったのか?」
「――いいえ、特別報告するような事はなかったわ」
ユミルが途中で割って入って、何でもないように振る舞う。
その顔には、貼り付けたような笑顔が咲いていた。
「言われたとおり、目立つような真似はさせなかったし、実際目立ちもしなかったわね。――そうよね、アヴェリン?」
「無論だ。目新しいものに面食らったような部分はあるものの、別段トラブルと言う程の事はなかった。そうだな、ユミル?」
二人はお互いに頷き合いながら室内に入ってくる。
テーブル一式が用意されたお陰で、人が通るスペースしか室内には残されていないが、とりあえず自分が持ったビニール袋をテーブルに置いて中身を取り出す。
入っていたのは弁当系とおにぎりで、ミレイユはおにぎりの具を確認しながらチラリとアヴェリンを見た。
「……で、本当は?」
「はい、不遜な輩を一人……。ええ、ですが上手く処理できたかと」
「したのはアタシね」
「だが、一番怖かったのはお前だったと、アキラが言っていた」
「それは単に胆力の問題でしょ。アタシが割って入らなければ、あれ死んでたわよ」
「だが、あれは男が悪い。ろくに武器も扱えん上に、武人に対する敬意もなかった。殺してもよかったくらいだ」
途端に口喧嘩と責任の擦り付け合いが始まり、ミレイユは小さく笑う。
これもまたいつもの光景のようで、ルチアもまた同様に気にした素振りを見せなかった。
「つまり、予想通りやらかした、ってことでいいんですか?」
「――やってない! 私はちゃんと手加減した!」
「もちろんそうでしょう、手加減上手のアヴェリンさん。殺す直前まで持っていくのが大変お上手ですものね?」
「そうだな。アヴェリンの『手加減』には、私もよく助けられた」
ミレイユが笑みを深くすれば、アヴェリンも顔を赤くして黙ってしまう。
そのまま今度はアキラの方に視線を向けた。
「一番客観的に見ていたのはお前だろう。……実際のところ、何があったんだ?」
「えぇと……。コンビニ強盗に出くわしたので、それを撃退したのがアヴェリンさんです。でもちょっとやりすぎて、死にかけてしまったと言いますか……」
ミレイユはテーブルに肘を付き、頬をその上に置いて二人へ順に視線を向けた。
「……うん、それで?」
「そのあと、ユミルさんが暗示……じゃない、催眠をかけて記憶を飛ばして、帰ってきました」
「……そうか。相手に怪我は?」
「肩の脱臼と、それ以外は多分、打撲程度かと……」
視線が二人を行き来する、その僅かな時間の沈黙が、空気を重さを持ったように押し付けてくる。
しかし、それも数秒のこと。またすぐにチラリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、問題ないな」
「……いいんだ」
その笑みに誘われて、アヴェリンとユミルもホッと息をつく。
アキラのぼやきなど誰も意に返さず、二人も手に持ったビニール袋をテーブルに置いていく。
「なかなか種類も数も多いな……」
「どれだけ必要か分かりませんでしたし、余る前提で買ってきました。明日の朝に食べてもいいですし」
「そうか。――お前たちも好きな物を選べ。どういう食べ物か分からないなら、遠慮なく聞け」
それぞれが了承を返して、テーブルに広げられた弁当やパンを見繕っていく。
「これなに、白いツブツブ。やけに柔らかいけど、何かおっかない感触ね」
「それはオニギリです。国民食みたいな物で、パンと同じで主食として食べます」
「変な入れ物ですね。固くもあるのに柔軟性があって、何より薄い。実に不思議です」
「今は外側より中身に興味を持ってくれ」
「この茶色いペースト状の物は一体……? スープと似たようなものか?」
「それは温めた方が美味しいやつですね。カレーっていうんですけど、それは辛味も薄いので食べやすいと思いますよ」
思い思いに感想を言いつつ、未知の食事に関心を向けながら自分の席へと食べ物を確保していく。温めが必要なものがあれば、アキラが受け取ってレンジに詰めてスイッチを押す。
ブォンと低音を鳴らしながら中に入った食べ物が回転する様を、ルチアは興味深そうに見つめている。
「それらを食べられるようになるには、少々時間がかかる。パンやチーズはスライスしておいたから、それを食べてもいいし、おにぎりだって冷たいままでも美味しいものだ。好きに食せ」
「いただきます」
アキラが小さく口にしながらパンとチーズを手に取ると、アヴェリンが意外そうな顔を向けていた。
「お前もそれを言うんだな」
「それ……?」
「いただきます、という、それだ。ミレイ様も必ず言う」
「ああ、日本人が食事に使う挨拶ですから。じゃあ、そちらでは基本的には言わないんですか?」
そうね、とユミルが頷く。
「挨拶じゃなく祈りを捧げるのよ、自らが信仰する神にね。それも神によっては不敬となる場合もあるから、食事の挨拶する方が珍しいことなのよ」
「へぇ……」
そうこう言っている内に、ミレイユも食事の挨拶を終わらせ、おにぎりにかぶり付いた。
何度か噛みしめると、その表情が見るからに緩んでいく。
「久しぶりの米というよりも、初めての米という食感がする。……不思議だな」
「それ美味しいの?」
米を食べているのは、この中ではミレイユだけだった。
アキラがパンなのは、せっかく食べられる機会だからと手に取っただけだが、他の面々はやはり食べ慣れたものから口にしたいという思いがあったようだ。
どうせ後で温めた弁当を食べるのだから、それまで待てばいい、という考えもあったのかもしれない。
しかしミレイユの表情を見てみれば、興味を持つのは必然だった。
「一つ、オニギリとやらを食べてみようか」
アヴェリンが手に取り、しかしビニールが妨げになって、どう食べたものか困惑している。
アキラはそれを断りを入れて受け取って、手早くビニールを取り去った。
不思議なようなものを見たような顔つきで解体されたビニールとオニギリを見比べ、そしていよいよ手に取って口に運ぶ。
パリッと海苔が割れる音と共に咀嚼を繰り返し、困惑した表情で嚥下する。
「味が実に濃いし、とても柔らかで……。だが何というか、美味いかと言われると素直に頷けない気がする」
「ああ、パン食に慣れているとそうかもしれませんね」
特にあれほど固いパンを常食しているというなら、唾液が一種の調味となっていた部分もあるはずだ。具にも出汁が利いていたりと、外国では感じられない味付けもされている。
困惑が勝っても不思議な話ではなかった。
「食は好みが分かれるものだ。今日食べる分には気に食わなくとも、これから慣れるかもしれないし、それに米が嫌でも他に食べる物は沢山ある。別に無理して食べずとも、慣れた食事がいいなら用意するぞ」
「何事もチャレンジだもの。特に世界が違う食べ物は興味深いわ。まず食べてみるだけ食べてみたいの」
ユミルの返答にミレイユが柔らかく笑んで頷きを見せると、レンジから甲高い音が鳴る。
温めが完了した合図に、アキラは席を立って取り出しに行く。
取り出した弁当をアヴェリンとユミルの前に置き、一応誰が食べてもいいよう唐揚げの惣菜もテーブルに載せると席に戻る。
二人して蓋を開けると、温かな空気がふわりと立ち昇り感嘆した表情で、プラスチックの器に触れた。
「この短時間でここまで温かな食事に変わるとは……! 香りも芳醇、嗅いだことのない匂いだ」
「こっちは何かしら……。肉のようにも別の何かのようにも見えるし、変な感じだわ」
「それハンバーグです。柔らかく砕いた肉、と思ってもらえればいいと思います」
「へぇ? フォークはあるけど……ナイフはどこかしら?」
弁当と一緒に入っていたプラスチックのフォークを取って他を探すも、勿論そんな物は用意されていない。アヴェリンには先割れスプーンを渡したが、二人とも困惑した表情で手元を見ている。
「ユミルさん、それナイフなしで食べてください。こっちじゃそれが普通です。アヴェリンさん、それ茶色のスープを掬ってお米と一緒に食べるんです」
それぞれ説明に何となくの理解を示しつつ口に運ぶ。
そして返ってきた反応は、真逆のものだった。
「これは美味いな……! 複雑な味で香りが鼻を突くようで、味付けも実に好みだ」
「ちょっとこれ、本当に肉なの? 柔らかすぎるし雑味があって味付けがくどいわ。アタシ、これ嫌いよ」
ツンと外方を向いて容器を押し出すユミルに、アヴェリンは勝ち誇るような笑みを浮かべる。
「お嬢様には庶民の味付けが好みに合わんか」
「別に美味しいものは美味しいって素直に言うわよ。でも、これは駄目。好みじゃないわ」
実際、同じハンバーグでもレストランで提供されるような物なら、きっと美味しく感じられるのだろう。コンビニ弁当のハンバーグは、アキラも美味しい食べ物とは認識していない。
ミレイユが苦笑しながら、ワインを差し出す。
「口直しに、ほら……。コンビニの弁当じゃ、むしろハズレを引くほうが多いかも知れないな、お前の場合」
「何故です? 美食家とか?」
「……かどうかはともかく、味覚や嗅覚が私達とはちょっと違う」
へぇ、とユミルの方を窺うと、まるで舌に残った味を濯ぐように、ワインを口の中で転がしている。
それを横目に先程から静かなルチアに顔を向けると、サンドイッチを解体して中身を見たり上下に裏返したりして、やはり食べることより知的好奇心を満足させる事を優先させたようだ。
時折、パンだけ、具材だけ、と口に入れているので、何も食べていない訳でもない。
コンビニ飯だけしか提供しないとあっては、きっと日本の食事を誤解させてしまう。とはいえ、アキラも学生の身。美味しい食事を自炊して提供できる技術もない。
だからといって、気に入りそうな食事としてレストランを紹介したら、毎食それ所望されても困ってしまう。
結局はコンビニ飯に慣れてもらうしかないだろうか、などと考えていると、ミレイユが思考を読んだかのような言葉を放ってきた。
「そう深刻に考える必要はないぞ。こちらの食材、こちらの調味料、それらを調達できれば、自分達で勝手に作る。調味料が全然違うから、好みの味付けを探すのに時間はかかるかもしれないが……。まぁ、何とかなるだろう」
「そこはアタシが自分で何とかするわ。そういうのは得意だしね」
「期待しておこう」
ユミルが笑顔で請け負ったところで、カレーを食べ終わったアヴェリンが袋の中から別の何かを取り出す。幾つもあるそれを、食べ終わった器を脇にどけながら広げていく。
「ミレイ様、甘味の方もご用意しました。どれでもお好きなものをお選び下さい」
「うん……?」
シュークリームやロールケーキ、エクレアなどが並べられていくのを見て、ミレイユは眉根を寄せて首を傾げる。
「ワインと一緒に甘味はな……。それに、私はそれほど甘味が好かんが……」
言いさすと共に、みるみる内に表情が陰るアヴェリンに、流石のミレイユも言葉を止めた。
「――だが、そう、こちらの甘味はいいものだ。まずアヴェリン、お前が食べて好みのものがあったら教えてくれ。私もそれを一口もらおう」
「お任せ下さい、ミレイ様! 必ずや御口に合う物を選ばせていただきます」
うん、と頷いて、ミレイユは笑みを隠そうとワインを煽る。
アヴェリンはそれに気付かぬまま、慎重な手付きでシュークリームを手に取った。
そっと二つに割って中に入っているクリームに顔を輝かせると、零れ落ちないよう慎重に手を動かす。それから鼻の前で小さく横に揺らし、その香りを楽しんだ。
ふわりと笑みを浮かべると、ゆっくりと口の中に運び、一つ、二つと顎を上下させる。
一つ噛む度、アヴェリンの頬が緩み、眉が垂れ下がる。
見ている方が嬉しくなってくる表情だった。
全員の視線が自分に向いている事に気づいて、アヴェリンは今更ながらに口元に手を当て咀嚼を隠す。飲み終わると、努めて無表情で評価を下した。
「……ん、んんっ! ええ、なかなかよろしいお味でした。ですがまぁ、普通と言いますか、ミレイ様には、もしかしたら好まない味かもしれません」
「そうか? では、残りはそのまま食べてしまってくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ、それを食べ終わったら、他のも試してもらいたいが……。もちろん、まだ食べられるようなら」
「ええ! まだまだ大丈夫です。――では、早速失礼して……!」
アヴェリンは残ったシュークリームにかぶり付く。やはり幸せそうな顔で食べ尽くすと、次いでエクレアに手を伸ばす。上にかかったチョコレートに興味深い視線を飛ばし、壊さないよう慎重な手付きでビニールの上から撫でる。
やはり同様の手付きで柔らかく手に取ると――。
結局、全スイーツの味見が終わっても、アヴェリンはミレイユのお気に召すだろう味は見つけられなかった。