【完結】神人創造 ~無限螺旋のセカンドスタート~   作:鉄鎖亡者

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宵闇堂様、誤字報告ありがとうございます!
 


別世界の住人 その4

 

 アヴェリンが全ての甘味を食べ尽くし顔面蒼白となっているのを、ミレイユは笑って見つめていた。最後には言い訳すらなく食べたいが為に食べていたが、元よりミレイユからすれば規定路線、全く気にしていない。

 

 気づけば献上する甘味がないことに気付いたアヴェリンは、大いに気に病み平身低頭謝罪した。だが、ミレイユは笑って手を横に振る。

 

「まぁ、お前のああいう表情を見られただけで良しとしよう」

「は……、全くお恥ずかしい限りで……」

「そんなに気に入ったなら、専門店の物を食べれば気絶するかもしれないな」

 

 アヴェリンは明らかに動揺して眼を見張る。これ以上のものが存在するなど、想像の外だったようだ。

 ミレイユの知る限りにおいて、コンビニスイーツは昔に比べ質が上昇したが、とはいえ洋菓子店で作られる物とは雲泥の差がある。あのレベルで、そこまで気に入ったアヴェリンなら、間違いなく虜になるだろう。

 

 二人のやり取りを聞いて興味を持ったアキラが、アヴェリンに向かって気軽に問う。

 

「そちらには、あまり上質な菓子はなかったんですか?」

「……そう、そうだな。菓子の多くはベリーを煮沸かして作るジャムが基本となる場合が多い。甘くはあるが苦味もあって、同時に雑味も強い。作る者によって味の調整が激しく、つまりこれは当たり外れが大きいということなのだが。季節によっても気候によってもベリーの味は変化するから、これを見極めて作る最高のジャムというのは本当に難しく、かつ希少で庶民にとって手に届く代物ではない。かといって砂糖は高級で王侯貴族の食べ物であるし、これは甘みが強すぎるきらいがあって、また甘みが強いほど高級品という考えが根底にあるせいで、時にこれが苦味に転じるほどの――」

 

 饒舌に語りだしたアヴェリンに、今度はアキラが目を見張る番になった。

 時に苦く、時に甘い表情に変わるアヴェリンは、それほど甘味に対して強い思いがあるらしく、とにかく舌が止まらない。

 やはり全員の視線が集中していることに気付いて、アヴェリンは俯いて解説を止めた。

 

「……まぁ、つまり普通だ。そこそこ菓子はあったのだ」

「……そうですか」

 

 話す話題には気をつけないといけないな、とアキラは注意点を認識させていると、そうだ、とユミルがミレイユに顔を向けた。

 

「そういえば、買い物に行く途中に変な連中がいたのよ」

「――そうだ、それだ。その報告をするよう、言っておいたろう!」

 

 都合よく話題の転換が降って湧いて、アヴェリンはそれに飛びついた。唾を飛ばす勢いで指摘すると、そうね、と生暖かい視線で同意してから、ユミルはミレイユに向き直る。

 

「アヴェリンたちを追って出ていった時、ちょっとした悪戯心で先回りしようと思ってね。隠密しながら道を迂回して、そうしたら例の公園辺りに出たワケ」

「……うん」

「そうしたら何かの痕跡を探していた連中がいて、何かと窺ってみれば、地面に這いつくばって血を採取していたわ」

「血を……?」

 

 ミレイユが怪訝に眉をひそめれば、ユミルも似たような表情で頷く。

 

「血そのものが欲しかった訳じゃないみたい。魔物がいた痕跡、その証拠として欲しかったのね、きっと。失踪、逃走、露見、只では済まない、そういう内容が漏れ聞こえてたわ」

「……うん。どう思う?」

「それだけでは何とも」

 

 ミレイユが顔を向ければ、ルチアは唐揚げの衣を剥がす作業を止めて肩を竦めた。

 

「話だけ聞けば、魔物を放り出したら逃げられた無能者みたいに聞こえますし、あるいは討伐に来たけど肩透かしで戸惑っているようにも聞こえます……。材料が足りなくて判断に困りますね」

「……そうだな」

「でも、もしもですよ」

 

 アキラはそこに驚きと興奮を持って口を挟んだ。

 

「もしも討伐に来た人たちなら、やっぱり魔物討伐組織みたいなものがあるってことじゃないですか?」

「もしもそうなら、当然そういうことになる」

 

 ミレイユは頷いて同意したものの、その表情自体は否定を見せていた。

 

「魔物自体が普遍的に存在しているとするなら、もっとその危険性を周知させるべきだ。あの時のように前触れ無く現れるというなら、討伐隊がいたとしても被害は免れない」

「逃げる間もなく襲われるのがオチでしょうねぇ」

「――そうだ。予め発生場所を特定できていないのは、私達が倒した後にさえ現れていないことから予想できる。ならば討伐組織はどうやって被害を阻止しつつ、その存在の露呈を防ごうというのか?」

 

 そこまで聞いて、アキラも不可能と判断しようとし――頭の片隅で引っ掛かるものを感じた。しかし即座に形にならず、とりあえず思いついた別のことを口に出した。

 

「じゃあやっぱり、そういう組織はなくて、あそこにいたのは魔物を放逐した奴らだったと言うんですか?」

「状況だけ見ればな」

「――でも、そうとも限らないでしょ?」

「もちろん、そうだ。閉じ込め逃さない為の場所、予め出現場所が固定している、急行しなくても隠蔽できる方法がある、そういった何かがあるのかもしれない」

 

 あ、とアキラが声に出し、次いでルチアが、ああ、と何かに気付いて声を上げた。

 

「あの時、公園を覆っていた見えない壁!」

「ひび割れて壊れるまで、気づかないレベルでの即時展開。そして恐らく外側から内部は見えない構成と予想出来て……。もしかして、電線に流れていた魔力、あれってそういう意味があったんでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「何の為に魔力を流してたんだって話してたじゃないですか。これって、つまり魔物の隠蔽対策に使ってたんじゃないでしょうか」

「……そうかもしれない。私達は発動した瞬間たまたま内部にいたが、そうでないなら弾かれたり、内部の様子が見えなくなったりしていたのかもしれない」

「それは十分考えられます。……けど問題はそちらではなく、電線の方に考えを移して欲しいんですよ」

 

 ルチアは一拍置いてミレイユを見返し、無言の肯定が返って来て話を続ける。

 

「常に微量の魔力が流れていたんです。あれだけの量をただ流すだけではなく、条件に合えば自動的に作動させる魔術があると仮定すれば、それも納得できるものがあります」

 

 ミレイユは考え込むような仕草をしつつ、手元のグラスを手の平で弄ぶ。

 

「……そうだな。無駄に垂れ流す魔力が言語の為というより、他の為に使用していて、言語変換に用いられているのはあくまでおまけ、という推論には同意できる。だが主流として何の為にという部分については、今ここで議論するには情報が足りなさ過ぎるだろう」

「そうね。壁の為というのはその一つとして考えてもいいけど、他にないとは言い切れないし、それだけの為と判断するのも早計だわ」

「水際対策が効を成していると考えるよりは、何者かが放逐した場所に我々がいたと考える事も必要そうだがな。あの壁が割れた理由、あるいは条件もまだ分からない。人々に周知されていないのも、さほど回数が発生していないから露呈していないだけ、とか……」

「私達が現れると同時期に、あちらの魔物も現れたと考えた方が、自然と言えば自然ですよね」

「そうは言うけど、自然、不自然だけで決めつけると痛い目見るわよ。アタシたちが今まで、どれだけ不自然な状況に遭遇して来たと思う?」

 

 そうだな、とミレイユは何かを思い出して苦い顔を見せた。

 

「ともあれ、何者かが暗躍してようと我々の知ったことではないのは確かだ。オミカゲ様とやらのご加護が綺麗サッパリ解決してくれる事を祈ろう」

「その言い方には悪意が満ちているような……」

「別にそういう訳じゃないが。仮に水際対策が成功しているのなら、それは不思議な何かが成しているんだろうさ。そして私が考える限り、そんなことが出来るのは決して日本の政治家や有力者じゃない」

 

 言い方自体は問題だったが、ミレイユのその言い分には納得できるものがあった。

 確かに魔物がかつてより存在していて、それを民衆に知られる事なく処理して来たというのなら、それはオミカゲ様以外に成し得ない事だろう。

 そして、古来よりある鬼退治、妖怪退治の伝説が、それを裏付ける証拠のように思えてくる。そうだといいな、という願望も多分に含まれているが。

 

「……ですね。そう考える方が心情的に安心できますし」

「我々だって身の安全を脅かされない限り、何かをするでもないしな。でも、お前は正に脅かされていると感じているんだろう?」

「はい、公園を探っていた人たちの事を聞いた今、尚の事そう思えました」

「だったら自衛の力を身に着ければいいさ。……これも何かの縁、それぐらいは気にかけてやる。飯の礼もあるしな」

 

 言ってミレイユは、ほのかに笑う。

 まだまだ浅い付き合いだが、何となく饒舌な気がするのは、飲み干したワインの数にあるのかもしれない。

 既にミレイユとユミルは二人合わせてボトルで三本空けている。二人でとはいえ、短時間でそれだけ飲んだというなら、多少酔いが回るものだろう。

 

「それじゃあ、今日のところはこれで解散だな」

「え……はい。じゃあこれ、すぐ片付けちゃいますんで」

 

 時計を見れば、既に十一時を回っていた。

 アキラは手早く、空になった弁当の箱をゴミ袋に投げ込んでいく。

 食べかけの物は殆ど出なかったので、片付け事態は簡単に終わった。幾つかの余った惣菜を皿に移して、ラップで蓋をする。これらは明日にでも、また温め直して食べるつもりだった。

 

 後は空になったワインの瓶やグラスなどがテーブルの上に残るばかりだが、それらをどうしようかと思っている間にミレイユが手をかざして消してしまう。

 それぞれが椅子から立ち上がると、次に右腕を持ち上げて掌を広げる。掌から中心に紫の光が広がり、それを握り締めると椅子やテーブルが幻のように消えていった。

 

 未だ慣れない不思議現象に瞠目していると、今度は薄っすら緑色に光る左手を、円を描くように動かす。それで隣室に移されていたソファとテーブルが所定の位置に戻って来た。

 

「うわ、便利……」

 

 返事は肩を竦めることで返ってきて、今度は懐から――というより例の個人空間から、一抱え程の箱を取り出す。

 見事な装飾を施された価値のありそうな木彫りの小物入れだが、年代は感じさせない。四隅が金属片で補強されていて、側面にはそれぞれの角度から家の形が彫られている。

 蓋の上には宝石ではない色付きの石が嵌っていた。

 ミレイユはそれをテーブルの上へ無造作に置く。

 

「えっと、聞いてませんでしたけど、宿の方はどうします? 流石にこの人数は、ここで寝るのは無理だと思いますし……。ホテルなんて気の利いたもの、この辺にはないですよ」

「そこは大丈夫だ、これがある」

 

 言って蓋の上を指先で二度叩いた。

 蓋を開けると中は暗く、底は見えない。覗き込めば底が見えて当然の小さな装飾箱なのに、それだけが明らかに異質だった。

 

 ミレイユが目線で示せば、アヴェリンが真っ先に箱へ手を伸ばす。

 指先から箱の中に手を入れ、それが手首まで飲み込まれる。箱の体積から見て、握り拳であればともかく、明らかにそれ以上が箱の中へ入ってしまっている。

 どういう仕掛けだと思っていると、アヴェリンの姿が手先から螺旋を描くように掻き消えて行った。

 

「な、なぁ……!?」

「ほら、どんどん行け」

「それじゃ、失礼しますね。興味深い食事をどうも。良い夜を」

「楽しい夜だったわ。おやすみ、可愛い子ちゃん」

 

 ミレイユが促せば、ルチアも続き、ユミルも同じように入っていく。最後に残ったミレイユは、置いてあった帽子を拾い上げて頭に被った。

 

「拠点も備蓄もあると言ったが、これがそうだ。私が許可した者だけが中の空間に入る事が出来る。……ああ、箱はこのまま置いておけ。また、明日」

 

 ミレイユが箱に手を入れて姿が消えると、自然と箱の蓋も閉まる。恐る恐る蓋を持ち上げてみると、そこには底が見えるばかり。試しに手を入れてみても、箱の底に指が当たるだけで、ミレイユの言う通り入り込む事はできない。

 

「これもきっと、魔法なんだろうな……」

 

 理解できない事は魔法で片付けた方がいい。それにきっと、これに関しては間違っていない。アキラは言われた通り、箱には手を触れず放置して眠る準備を始めた。

 いつもの就寝時間も、とうに過ぎている。

 明日も普通通り学校がある。早く寝ないと差し支えるだろう。

 

 アキラは歯を磨こうと台所へ向かう。この部屋に洗面所などという、気の利いたものはないのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 荘厳な庭が一望できる広い和室に、沈む込むかのような厚い座布団に座った老女が居た。

 風はなく、雲もない。欠けた月明かりが畳を照らし、畳の敷かれた部屋の半分を顕にしていた。月明かりの届かぬ部屋の隅には蝋燭が灯され、緩やかに暗闇を照らしている。

 

 老女の座る場所は他より一段高く畳が積まれており、その四隅には背の高い蝋燭台がある。そしてそれらを細い注連縄で繋いで正四角形を作っていた。

 その中心にいる老女は紫袴を履いた巫女服を着用している。ただの巫女服ではない。要所に使われた金糸銀糸は、綺羅びやかでありつつも上品、高額を思わせても下品に見せない品質を見せていた。

 袴に使われた紫の色はこの国に於いて一人しか着用を認められておらず、そしてそれはこの老女が組織の最も上の立場であることを示している。

 

 老女の顔に刻まれた皺は深く、長い年月を生きてきた事を物語る。目は閉じられ、動きを見せない。ともすれば人形かと見間違える様子だったが、閉じられた襖から掛けられた声に顔を上げた。

 

「夜分遅くに失礼致します。例の件について、由衛(ゆえ)様がご報告に上がりました」

「……入りなさい」

 

 声もまた、姿に違わぬ嗄れた声だった。

 ゆるりと背筋を伸ばして襖の外へ視線を向ける。

 膝を畳んで襖の外に待機していた者は、まずほんの少し、指が入るほど小さく開けた。それから一泊の間を置き、音を立てないようにゆっくりと間を広げていく。

 

 襖を広げたのは、巫女服姿の若い女性だった。

 その後ろには、やはり正座をしたまま待機していた男――由衛と呼ばれた男が手を付き頭を下げている。

 土下座というほど深くはない。背筋が綺麗に伸ばし、礼節として正しい角度で礼をした。そして静かに立ち上がると襖の根を超え二歩進み、改めてその場で正座する。

 由衛の姿もまた時代がかったもので、それはもしかしたら陣傘と鎧を外した足軽のような姿に見えたかもしれない。

 由衛は再び一礼してから口を開いた。

 

「遅参いたしまして申し訳ありません」

「構いません。……して、どうでしたか」

「ハッ。鬼妖(おにあやかし)の姿は確認できず、しかし辺りからは血痕が見つかっております。現場に急行した者たちからの報告どおり、姿を眩ませたのではなく討伐されたと判断するのが妥当と思われます」

「……そう」

 

 老女は外を見上げ、月を見つめる。

 一拍の間を置いて身体から青い光が立ち昇った。その光は薄く揺らめいては次第に消えていく。月から男へと視線を戻し、掌から氷の札らしき物体を作り出す。

 それを宙に放れば、ゆっくりとした重力を無視した動きで由衛の手元に落ちていく。

 由衛はそれを一礼してから手に取り、眼前に持ち上げ、また一礼した。

 氷で出来た札は触れば冷たいのに、手に貼り付く感覚も溶け出す気配もない。

 

「手間でしょうが、やって貰わねばなりません。それを持って御影神宮まで。祭祀部境内警備の由井園(ゆいぞの)、本日の責任者に直接それを見せなさい」

「――ハッ!」

「オミカゲ様に直接お渡しするよう、申し伝えるのです。私からの厳命であると」

「ハッ、宮司様より直接の命! 確かに、承りました!」

 

 由衛は氷の札を懐に仕舞うと一礼し、入って来た時とは逆の手順で退室していく。襖が再び閉じられ、再び静寂が部屋を支配すると、月に視線を移した。

 

「ようやく来たのですね。……オミカゲ様の心中は如何許か。忙しいことになりそうです」

 

 誰にも聞こえないと分かりつつ、声に出したくなったのは、その心情を推し量れずにはいられなかったからだ。待ちに待った瞬間がようやく訪れた歓喜か、とうとう訪れてしまった緊張か、いずれにしても穏やかなままではいられまい。

 

 鬼妖が出現した事は警戒網ですぐに知れた。『線』に触れれば結界が発動し、対象を閉じ込める。しかし直後、瞬く間に消滅した。現場に急行した隊員からの報告によれば、血痕以外に痕跡なし。

 討伐対象がいなかったことで後の調査を別働隊に引き継ぎ、そしてやはり同じ結論に至った。

 

 本来なら、どれだけ近場に担任がいようとも、結界発動直後に処理が終わるなどある事ではない。

 そもそもの前提として、発動の前から部隊が展開している事などない。偶然近くを通りかかっていたとしても、ある程度準備に時間がかかるものだ。だから、そもそも一瞬で討伐という成果を上げる事はない。

 

 しかし、それが可能な存在を、この宮司は知っていた。

 ――知らない筈もなかった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 それは『箱庭の邸宅』と呼ばれる魔術秘具だった。

 最初はただ草原が広がるばかりの空間で、雲がまばらに広がる空、どこまでも続くように見える平原があった。

 だが実際は、見える範囲と行動できる範囲は違う。

 ある地点まで進むと空間が断絶されて、まるで見えない壁を前にしたように拒まれる。見た目はまだ奥行きがあるのに、押し返す壁で進めなくなるのだ。

 

 ミレイユはそこに資材を持ち込み家を建てた。

 本宅と離れ、鍛冶場に錬金部屋、露天風呂など、生活に便利だけでなく拠点として活用できる設備を増やしていった。それだけでは解放感が強すぎるので、離れた四方にそれらを囲む形で林が植えられている。

 今でも四人で暮らすには広すぎるくらいだが、持ち運びできる快適な拠点として重宝していた。

 

 四人の部屋は、それぞれ本宅に用意されている。

 二階建てだが外観からは一階建てにしか見えず、地下一階と地上一階、それに屋根裏部屋の三階構成になっていた。

 家に入ればリビングになっていて、ダイニングとキッチンが併設されている。そこを過ぎれば左右にプライベートルームへ繋がるそれぞれの部屋があり、奥へ進めば談話室と地下へと続く入口があった。

 

 部屋の間取りは三人とも同じだが、長い間生活を続けるに連れ個性が現れている。

 ミレイユの部屋が一番大きく、とりわけ執務室を思わせる机やそれを取り囲む書棚、さらに奥には別室として寝室が用意され天蓋付きのベッドがある。

 その寝室の脇には簡易的なシャワールームまであり、ミレイユはその日、とりあえず汗だけ流して眠りについた。

 

 目が冷めたのは、約六時間後。

 この箱庭の中は昼も夜もない、常に同じ空を写しているが、ミレイユが持つ体内時間の正確さだけは自信がある。それ故の判断だったが、頭が幾らか重い気がする。寝すぎてしまったかもしれない。だとすると、常より多く寝てしまったのかもしれない。

 

 昨日は気疲れが多く酔いもあったから早めに就寝したので、ろくに身体を洗っていない。

 だからきちんと洗おうと室内で済ませても良かったが、どうせならと外の露天で行うことにした。

 部屋を出れば寝ているのはユミルのみ。ここから姿が見えるわけではなかったが、気配だけで他の二人は外にいることが分かる。

 

 ミレイユは替えの下着と羽織るものだけ持って、裏口から外に出る。

 軽く視界を回せばアヴェリンは離れた場所で武器を振るって汗を流し、ルチアはそことは逆の定位置で瞑想していた。この空間で過ごせば良く見る、いつもの光景だった。

 

「おはよう」

「おはようございます」

 

 気軽に挨拶をしながら前を横切る。ミレイユが朝風呂として露天に浸かるのも珍しい事ではないので、ルチアは瞑想を解くことも目を開くこともないまま応えた。

 それもまた、いつものことだ。

 

 ミレイユは近くに設置してあるカゴへ、乱雑に下着を放って露天風呂に浸かる。

 女性らしく行儀よく、など全く気にしない動作で、親父のような声を出しながら湯に沈んだ。

 

「ああぁぁ……!」

 

 顔をお湯で洗ってから、露天の縁に背中を預ける。両手を広げて腕も乗せて空を仰いだ。

 鳥の囀りや風が木の枝を叩く音が聞こえてくれば風情もあるのだろうが、ここには流れる雲の動きしか見るものはない。

 このお湯は無限に湧き出て、汚れることもない。それどころか、本来ならどこかへ逃さなければならないお湯も、地面に触れた時点で消えている。

 この露天風呂は、あらゆる理不尽を捻じ曲げて最適な環境を維持し続けている。

 

 これも神が造った箱庭だから出来る事で、神の試練の報酬として得たものだ。

 多くの神は戦闘に役立つものしかくれなかったものだが、これを下賜してくれた神には本当に感謝している。

 

「はぁぁ……!」

 

 再び大きく満足げな息を吐いた時、修練を終えたらしいアヴェリンが湯を浴びにやってきた。

 

「おはようございます、ミレイ様」

「うん、おはよう、アヴェリン」

 

 流石に足を大の字に広げたままなのはどうかと思い、足首同士を上下に重ねるようにして足を閉じる。羞恥心ではなく礼節の問題だった。

 露天風呂は五人まで座って入れる程度の大きさがあるとはいえ、流石に足を広げたままの状態は邪魔になる。

 

 アヴェリンは直接湯に入るような事はせず、長い髪を頭の上で簡単に結い、備え付けてある手持ち用の桶で湯を掬う。しっかりと汗と汚れを流し終えてから入ってきた。

 対面ではなく、足を伸ばせば互いにくの字になるような場所に位置取り、アヴェリンは丁寧に足を畳んで胸元まで湯に浸かる。

 

「昨日は大変な一日だった……」

「体力的な事はともかく、他に類を見ない一日だったのは間違いありませんでしたね」

 

 気怠げに言えば、アヴェリンも苦笑して返してきた。

 

「本当に何もかもが違っていて、常識を学び終えるのには時間が掛かりそうです」

「ゆっくりやればいい。多少の不便は覚悟せねばならんが」

「現状も武器を自由に持ち歩けないというのには、不便を感じます」

「そこは慣れろ。この国に、武器が必要な場面は殆どない」

 

 言ってミレイユはチラリと笑った。

 

「強盗と出くわすなんて状況、一生に一度あるかどうかだぞ」

「それはまた、大変貴重な経験をしましたね」

 

 アヴェリンもまた笑って、手で杓を作って肩に湯を流す。

 

「……ところで、本日のご予定は決まっているのですか?」

「それなんだが……。この国で流通している通貨を得る手段を、模索しようと考えている」

「そういえば、コンビニとやらで使用していた通貨は見たこともないものでした。紙が通貨として使えていることに驚いたものです」

 

 うん、とミレイユは曖昧に頷いた。

 あちらにはない信用取引という概念だが、それはミレイユとて詳しく説明できない。文明の利器たるパソコンでも使って調べればいいのだが、そもそもの基礎知識が不足している為、アヴェリンたちにもやはり理解は難しいだろう。

 

「どんな紙でもいいという訳ではなくてな。……そこもいずれ、おいおいな」

「……ええ。しかし、とはいえ金は金。リネール金貨が使えないとも思えませんが。両替屋に持っていけば金銭を得られるのではありませんか?」

「記録にも存在しない国の硬貨というのは扱って貰えない。詐欺防止の為とか色々理由はあるのだろうが、何しろ扱いに困るものは引き受けたがらない」

 

 ミレイユが溜息を吐く。手の平で掬ったお湯を顔にぶつけるように浴びた。ぐしぐしと両手で顔を揉むように洗い、顔をあげる。

 

「では、金塊を使うのは? これも装飾品の作成や触媒の利用に、結構な数を保有なされていた筈……」

「刻印が刻まれていない金塊は、扱って貰えないと聞いた覚えがある。刻印が品質の保証をしているんだな。だから仮に取引に応じても、相当な値下げを食らう事になる」

「金の扱いに、そこまでしているものですか……」

「あちらと違って、それ程の希少金属という事だ。私達の財産をこちらで転用しようとすれば、相当な値下げを覚悟しなければならないぞ……?」

 

 いっそヤケになって、アヴェリンに向けて皮肉げな笑みを見せる。

 アヴェリンも渋面になって、額に浮いた汗を湯で拭った。

 

「では、真っ当に働きますか? 山賊の拠点を襲撃できれば楽なのですが。それも無理なのですよね?」

「それが出来れば確かに楽だったな」ミレイユは白い歯を見せて笑う。「だが、山賊はもちろん、真っ当な仕事も無理だ」

「真っ当な仕事まで? 何故です?」

「私達に、この国の戸籍も、出自の国の戸籍もないからだ」

「戸籍……」

 

 聞き慣れない単語に、アヴェリンは眉根を寄せた。

 

「自分の出自を保証する書類だよ。この国では、それがなければ職にすら就けない」

「何て面倒な……では、やはり奪いますか?」

 

 剣呑な雰囲気を出したアヴェリンを、手を振るって止める。

 

「それじゃあ、いつか捕まるし、穏やかな静養とは無縁の生活になるだろう。却下だな」

「それでは八方塞がりのように思えますが……」

「まぁ、金貨の類が駄目なら装飾品かな……。これなら刻印などなくても取り引きに応じるだろうし。メーカーマークがないから安く買い叩かれるだろうが、それは仕方ない」

 

 アヴェリンが眉を八の字に下げて不遇を嘆く。

 

「何とお労しい。何たる侮辱、何たる侮蔑でしょう。ミレイ様の偉大さを周知させれば、誰もが財貨を献上するでしょうに……!」

「――しなくていいし、させなくていい。まぁ、質屋探しかな。なるべく小さな個人経営のような……。この近辺にあればいいが……、調べさせるか」

 

 ミレイユが苦労をせねばならい事実に憤りを感じつつも、アヴェリンはとにかく頷いた。

 方針が決定されたなら粛々と従う。それがアヴェリンの意義であり誇りだった。

 

 

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