【完結】血界戦線ー黄金の薬指ー   作:南畑うり

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プロローグ

 

空は白雲に覆われて。

雪は靴を濡らす。

口ずさむメロディは、弱く、届かない。

 

──素敵な歌ね。

 

一人の男が壁を背にして、手足を放り出すように座り込んでいた。 

薬か、酒か。焦点の合わない目のまま、咽の奥から搾り出すように、悲しげな曲を紡いでいる。

両手には九つの純金の指輪。一転、血や泥で汚れたスーツは等級すらわからないほどボロボロになっている。その男性はあまりにもアンバランスだった。

 

そんな不審な男に、その少女は声をかけた。

手に持った真っ赤な傘を男性に差し出しながら。

 

「ね、あなた、いい歌ね、それ」

「やめなさい。浮浪者なんかに」

「お母様、この人は浮浪者なんかじゃないわ」

 

「──だって、歌を歌っているのよ!」

 

少女は手に持っていた傘を男の肩へつっかけた。

小さな傘が雨粒を踊らせる。

ふかふかの手袋をつけたまま男性の顔を持ち上げ、視線を合わせた。彼の顔もスーツと同様に血と泥で汚れていたため、少女は手袋で男の顔を拭う。

 

「どんな歌なのかしら。きっと素敵な歌なのよね」

 

擦れひび割れ、誰にも届かないその曲を、男の瞳に少女は見る。

 

「今日ね、ショーを観たの。すごかったわ。すぐそこの劇場よ。でね、興奮して出てきたの。そしたらね──」

「いいかげんになさい! あの男を引き剥がして」

「待ってよお母様! あっ!! もう!!」

 

ボディーガードらしき大男が少女を抱きかかえる。お姫さまのように抱えられた少女の足が弾みで傘を蹴飛ばした。

男の視界に、世界が戻ってきたようだった。

真っ赤なワンピースコートの少女はボブカットの金髪を振り乱しながら、黒いスーツの男に抱きかかえられ手足をバタバタと動かしている。瞳は、なんて綺麗な、海のように澄んだコバルトブルー。

 

「────」

 

その少女が、思い出の女性と重なってしまう。

男はいつの間にか歌うことをやめていた。

 

似ているといえるほど、男はその少女のことを知らなかった。似ていないといえるほど、男はその女性のことを知らなかった。

知りたかった。知ろうとした。わかってあげられるはずだった。

こみ上げるこの感情を、忘れていたその感情を、なんと呼べばいいのか。

あの黄金で作った箱庭で、あの空虚な城で、こんな大切なことを忘れていたのか。

 

──それじゃあ、ぶん殴られて当然だ。

 

「こら! やめて! 命令よ!」

「わがまま言わないで! 早く車に乗せてちょうだい!」

 

男はゆっくり立ち上がる。

ボディーガードが警戒するように男を見上げたが、男性は優しく首を振った。自分の足元に転がる真っ赤な傘を拾い上げ、たたみながら近づいていく。

 

「お、おっきい……」

「すまないお嬢さん。私は見ての通り図体だけは大きくてね。これはお返しします」

 

母親らしき女性に向き直る。彼女も警戒の色が濃くなった。もう一人のボディーガードが近づいてきたので、男は傘をそのボディーガードに手渡す。

 

「娘さんの傘と、手袋を汚してしまったので。良ければこれを」

 

男は親指から純金の指輪を外す。母親は嫌そうな顔で指輪を見た。手を出すつもりはないようだ。それもそのはず、指輪も手の平も汚れている。

 

──まったく我ながら落ちぶれたものだ。

 

もっとも、彼女の表情は一瞬だった。

静電気のような紫電が指輪に走った瞬間、その指輪がまるで生き物のように動き始めた。

 

「わぁ!!」

 

ボディーガードたちのうろたえもあったが、男の手の平にあった金の指輪は瞬きの間に金の傘に変化していた。

手品だろう──か。

 

「すごいすごいすごーい!!」

「どうか、お詫びの印です」

 

女性に笑顔を向けながら小さな傘の柄を摘み、ボディーガードに手渡した。

やっぱり手品だ。男の指には、金の指輪が元の数通りに揃っているのだから。

 

「あ、ありがとうございます」

「ねぇ! あなた! いまのなに!? もっと! もっと作って!! ねぇいいでしょお母様!!」

 

大興奮の少女は抱きかかえる男の隙をついて飛び降りて、男の周りをピョンピョンはねる。

 

「おやめなさい! はしたないわ!」

 

母親にたしなめられ、少女は肩を落とす。

男性は彼女のあまりの落ち込みように、母親に渡された傘のオブジェを変化させようかと思ったものの、あれは謝罪の気持ちで生み出したものだ。

 

「もー! お母様ばっかりだわ!」

「見せるだけならいくらでもかまわないが、こんなに寒いと風邪をひいてしまう」

「ならお家に来て! お父様もその手品を見たらびっくりして腰を抜かしてしまうわ!」

 

突拍子のない提案に娘を諌める母親が、少女の名前を叫んだ。

 

「ステラ!」

 

──あぁ、そうか。

これは、夢だ。

だって、こんなに素敵な世界なんだから。

 

むくれた表情の少女を見下ろしながら、少女の上目遣いを感じながら、男は感動に震えていた。

 

なるほど、という納得と。

やっぱり、という期待と。

そういう運命も、きっと良いもんだ。

男は噛み締めるように、零さないように。少女の前に跪いた。

 

「ステラ、と、言うのかい」

「そうよ。あなたは?」

 

男は首を振った。

重要なのはこの出会いであって、自分のことじゃない。

 

「ステラ、受け取って欲しい」

 

右の小指から指輪が溶け出す。

 

「手を」

「──わぁ……」

 

少女の両手の中で、球体になった純金がクルクルとまわっている。

男は考えた。

答えは決まっていたけど、もう、自分の考えを誰かに押し付けることは嫌だった。

そんな生活に疲れてしまっていたらしい。

 

「どんな形がいいかな」

「え!? ん! えっと、えっとね!」

 

んー! と金色の球を睨みつける少女は「そうだ!」とキラキラした瞳で、真っ青の瞳で男性を見上げた。

 

「星がいいわ! 綺麗な五角形の星が!」

「──っ、そうか。そうだな」

 

大きな星がいいだろうか。

かつて少年が見上げた、あの大きな星。名前などないあの憧れの星。

 

変化は一瞬。瞬きは許されない。

純金のネックレスを彩る星は、彼のイヤリングの星よりいくぶんか小さい星だった。

金色のチェーンは少女には少し重かったかもしれない。指輪の質量を減らした男はそんなことを考えた。デザイナーにはなれないだろうな、と、自嘲しながら。

 

「お母様、かけても?」

「え、えぇ」

 

断りをいれてから、男は慣れた手つきで少女にネックレスをかける。重いし、大きめだ。これなら彼女が大きくなってからでも付けられるだろうか。そんな小さな自己満足を抱えながら、男は少女に薄っぺらい笑みを向けた。

 

「デザインが気に入らなかったらおっしゃってください。お姫様」

「わ」

「わ?」

 

真っ赤な顔で口をワナワナとうごめかす少女は、それでもキラキラとした瞳を男に向けていた。

 

「わ、わたし! こんな素敵な誕生日のプレゼントもらったの初めてよ! 十三歳の誕生日なの!! すごい、奇跡ね! すごいわ! あはは! すごい、すごーい!!」

 

あまりの無邪気さに、男の薄らめいた笑みが消え去った。真顔、あるいは驚嘆だろうか。なぜ──と去来する疑問。

 

なぜ、自分は彼女の笑顔が気に入ったと思ったのだろう。

 

それとは別に、坩堝の少女にとって男のすこしの変化も感嘆の琴線に触れる事柄らしい。

 

「わぁ! あなたカッコイイのね!! 歌える手品師で、しかも紳士! お父様の次にカッコイイわあなた!!」

 

少女は、ずいと前に出た。男が膝をついていることを差し引いて、まるで男女がキスするかのような距離だ。

少女の息遣いを唇に感じ、あまりの近さに男は顔をしかめた。

 

「あなた、名前は!? ぜひ聞かせてちょうだい!」

「名前……か」

 

名乗るべきか──。

おそらく、十中八九、彼女の母親は自分の名前を知っている。

ある程度の資産家であれば、この男の名前を知らないわけがない。そして名乗れば、自分の悪事を、あの麦わらに暴かれた、自分で曝した、自分の虚しさを、この少女にも知られてしまう。

【ステラ】──キミにだけは、知られたくない。

だけれど嘘もつきたくなかった。

 

「名前は、テゾーロ。ギルド・テゾーロ」

「あら、いい名前ね!」

 

少女は落ち着き払って男の顔を覗きこんだ。

そして意外にも、母親のほうからも名前に対する警戒はない。ボディーガードも同様に。

 

「ねぇテゾーロ! 今日はどこで眠るのかしら」

「さぁ」

「明日の朝ごはんはどこで食べるのかしら」

「どうだろうな」

「明日の予定は?」

「さぁ、ね」

 

きっとこの国で自分を縛るものはない。直感的にそう思った。そうであってほしかった。

金も、地位も、船も。

そしてきっと思い出も。

どうしてそんなところにいるのかわからない。だけど、このステラという少女に会えたことが、少年だったころに失ってしまったあの一歩を踏み出させてくれたのだ。

 

笑顔ってやつが、こんなにまぶしくみえるんだから。

だから、俺はもう、大丈夫だよ──。

 

その思考を遮るようにステラは言い放った。

 

「ねぇテゾーロ! 私に雇われなさい!! 私ね! 私ね! 夢があるの!!」

 

母親の遮る言葉も聞かず、夢見る少女は夢の糸を紡ぐ。

 

「私ね! 誰かを幸せにするのよ! いっぱい、いっぱーい! たくさんの人を幸せにしたいの!!」

 

──あぁ、まるでお星様だ。

キラキラで、美しくて、手が届くわけもないのに、ずっとそこにいてくれる。

そのステラは、ずっと俺を、幸せにしてくれる。

 

なんでもっと信じなかったのだろう。

彼女の気持ちを。

いまなら、ああ、そうだ。いまならわかる。

この流れる涙が証になるだろうか。

 

星に捧げる誓いの言葉。

 

「俺は、いま、きっと、幸せだ」

 

こんなひどい自己満足で良かったんだ。

きっと、彼女が望んでいた俺の幸せとは、この程度で十分だったのだ。

 

男の涙を手袋で拭った少女は、嬉しそうにもう一度笑った。

 

 

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