テゾーロお抱え──正確に言えば、ステラが所属している事務所から出向しているスタッフたちは、はじめての出来事に困惑し、どよついていた。
最初は、曲のきっかけを試しただけなのだ。ワンフレーズを歌ってもらうまでもない、Aメロディーのライトの位置と反射を見るためのテストだった。
ステージ上のステラにサインを送り、「もう歌わなくていいよ」と声をかけるまでがいままでの流れだった。いつもなら、「はやくみんなの前で歌いたいわ」と歯を出して笑うステラは、いまは震える両手でマイクを握りしめている。土色の顔で口を開いて閉じてを繰り返しているが、マイクが歌を拾うことはなかった。
「お、おいレジスタ!」
母国からきたスタッフの一人が、観客席の背もたれに腰掛けるテゾーロに声をかけた。責めるような口調だった。
彼らは昨日、ステラになにがあったかを知っている。ライブラだ《血界の眷属》だを伏せて、この街のサイコキラーに攫われたということになっているが。
「開演まで十八時間だぞ! スランプならまだしも、あれじゃ──」
「そうですよ! お願いしますレジスタ、いますぐカウンセラーを呼びましょう!」
テゾーロに話しかけるスタッフの数が徐々に増えていく。テゾーロが金の時計を確認するとすでに二十三時を回っていた。ホテルにはすでにステラの両親が到着したと連絡を受けている。
搬入に時間を掛けすぎたか、テゾーロはため息をはくように立ち上がる。座っていてすでに見上げるような身長差だ。それだけで周囲の人間を威圧するには十分である。
その程度のプロ意識でこの場に立つスタッフに、テゾーロはとびきりの笑顔を向けた。
「なぁに、彼女は十六歳。多感な時期なのですよ。一晩時間をあげましょう」
薄っすら開くその瞳に見下された人間は数知れず、それでも、立ち向かう視線を感じる。一部の、本物の一流たちだ。
テゾーロは軽くうなずくと、彼らも同様にうなずき返してきた。
できる限りのフォローはするが、それでもさきほどの繰り返しだ。
最後は、ステラを信じて待つしかないのだ。
◆ ◆ ◆
会場から出た足で、テゾーロは単身ブラッドベリ総合病院の一室までやってきていた。見舞いなどという優しい行為ではないことは、彼の表情を見れば一目瞭然だろう。
察したルシアナの分体の一人が、夜中ながらもテゾーロやライブラメンバーを、とある病室にまで案内した。
最初に口を開いたのはクラウスだった。
電話で呼び出されたクラウスは、深夜零時を回っていたがギルベルトとともに五分とかけず駆け付けた。
「ようこそいらっしゃいました、ミスターテゾーロ」
直立のクラウスに対してテゾーロは空いているベッドに腰掛け、不遜に指を組んで部屋を見渡した。
「さて、キミたちは重大な契約違反をしたわけだ」
その切り出しにレオナルドは唇を食んだ。契約違反を数えだせばキリがない。それにステラの心に大きな傷を残してしまったことは、救助の際話しかけた様子でわかっていた。
「違約金──まぁ正確にはキミたちライブラと直接契約したわけではないが、それは膨大な額に上るわけだ。額を言おうか?」
テゾーロの問いにスティーブンは首を振った。どうやらあるがまま受け入れることにしたらしい。もっともレオナルドはそれで納得するわけではない。
「違約金なら僕が支払います! 責任なら、僕が──」
「500万ドルだ。支払いは月末で頼めるかね」
「ごピッ」
レオナルドの脳みそがひび割れる。足もとを見ているのかと叫びたくなる額だったが、ステラ自身にかけられている生命保険額をレオナルドが聞けば、妥当な金額だと知るところになるだろう。
「それはあくまで護衛の違約金だ。ちなみにもし彼女が歌えなくなった場合、コンサートの損失分は教皇庁がもつわけだが、額を、言おうか?」
レオナルドはライブラの背景について詳しくはないが、それでも教皇庁がどのような組織か、規模かくらいは調べることができた。その上位組織に目をつけられれば、どうなるかなど非を見るよりも明らかだ。
それでも、そんなことを気にしない人種も存在する。
「あのなぁシャチョー! カネカネカネって、あんたカネ持ちなんだろ、ケチケチすんなよォ」
「いや、この場合ケチとかそういう話じゃ」
「っるっせ! 魚類は黙ってろ! いいかぁ、こういうのはここで言い負けたら舐められてお終いなんだよ! 借金ってのは踏み倒せるってところを見せてやる」
(それは口に出しちゃダメなんじゃ……)
兄弟弟子のコントを見ながら、テゾーロはほうと息を吐いた。
「彼の言うことも一理あって、私としてはカネなら腐るほど持っていてね」
「ホレ見ろー!」
下品な笑いを浮かべる同僚にレオナルドは純粋な同情を送った。
「正直時間もないからな、もう少し遊びたかったが、本題に移ろう。ツェッドくん」
「はい」
水槽の中で揺らめくツェッドは、どこか緊張の面持ちで近づいてくるテゾーロを見つめ返した。そのツェッドに、テゾーロは懐から一枚の紙きれを出して水槽のガラス面に張り付ける。
ツェッドは一度その紙を見て、テゾーロに視線を戻してから──それを二度三度と繰り返す。非常にコミカルなリアクションだった。
「あなた、こ、これはっ!」
レオナルド、スティーブン、ザップからはテゾーロの巨体に阻まれて二人の表情はうかがえないが、それでもツェッドの切羽詰まった様子と、テゾーロの笑いだしそうな肩の震えは見て取れた。
「いいねぇその表情」
テゾーロは水槽のガラスに額を押し付けるツェッドの様子に満足したのか、近くに立つクラウスへにじり寄る。
「札束で頬をぶん殴るってのは好きじゃあないが、手段は選んでいられなくてね。ミスタークラウス、ライブラに依頼を出したいんだ」
クラウスの肩に手をまわし、片目をつむりながら耳元で囁く。
まるで、悪魔のような妖しい笑みで。
「受けて、くれるかね?」
[$5,000,000]
小切手をチラつかせながら。
◆ ◆ ◆
眠らない街、ヘルサレムズ・ロッド。
五十人も入らないような小さな舞台──。
いや、正確に言えば舞台ですらない、酒場のフロアだ。
「なんだなんだレオくん! よく似合ってるじゃないか!」
ドレスアップ──というには、あまりにも黒と白との衣装に身を包んだライブラのメンバーが舞台上に立っていた。それだけではない、テゾーロが部下の装備品を購入したときにあった亭主と、明らかに避けられている痩躯の男性もいる。その男性がレオナルドの背中をバンバンと叩き、ザップはその様子を見ながら怯えるように距離をとっていた。
「しかしなるほどねぇ!! いやはや、我々には思い付きもできない考えですなミスターテゾーロ!」
「えぇとミスター」
「ブリッツ・T・エイブラムスです。いやぁ、一昨日急に連絡をもらいましてね! これは一度来なければと思ったところ、この騒ぎでしょう! なぁに、私も子供のころはミュージシャンに憧れたこともありまして! そのへんの心構えはできておりますよ! あっはっはっは!!」
テゾーロは事前にレオナルドから彼のことを聞いていたが、なんでも、死にたくなければ近づくなということらしい。そこまで悪辣な人物には見えないが、どうにも無遠慮で、黒いコートが目にうるさい。
ちなみに武器屋パトリックと助手のニーカはうわさを嗅ぎつけただけで、正装は用意していなかったため、通常の服で舞台に上がっている。
「なんかタダ酒飲めるって聞いてな?」
「美味しいものたくさん食べられるって聞きました!」
「お前らにもせいぜい踊ってもらうからな……」
テゾーロは頭痛の種になる存在を思考から切り離す。
問題は、主演のキャストたちだ。
下手から順に並ぶ出演者を見やる。
ザップ・レンフロ。
白いジャケットをだらしなく着こなし、用意したサングラスと色黒の肌を合わせ、すでに完成していると言っていい。一番の太鼓持ちで、それゆえお調子者で、誰よりも映えていた。
スティーブン・アラン・スターフェイス。
ダークブラウンのスーツからグレーのベストと深い海色のネクタイ。暖色と寒色とを彼自身で上手く調整したようだ。ワンクッション入った足元にも上品さがある。
チェイン・皇。
胸元の黒い生地がポイントになるハイウエストのワンピースだ。K・Kと対になるよう子どもっぽさが欲しかったためショート丈になったが、本人は非常に迷惑そうな顔をしていた。
中央に立つ巨体。
クラウス・Ⅴ・ラインヘルツ。
テゾーロより一メートル低い身長とはいっても、その巨体から受ける力強さはテゾーロ以上だと、誰よりもテゾーロが認識していた。彼に関しては生地の問題により衣装は用意できなかったため、むしろ彼を中心において衣装の統一感を出したつもりだ。
そして彼は、その私服だけで十分な気品を兼ねている。中央でバラードでも歌わせれば、それだけで周囲のキャストはぼやけてしまうほどだろう。
レオナルド・ウォッチ。
チェイン同様、衣装の切り替えにより印象が大きく違う見た目だ。黒いスーツに黒いボルサリーノ。その帽子だけで4000ドルだと教えればどんな反応をするだろうか。黒いネクタイはバーズアイ、サスペンダーは彼がつけると子供っぽさが増してしまったが、それでもイタリアマフィアのコスプレはクリアしただろう。
タキシード姿のスティーブンは、クラウスと、ウエストコートは着せていないレオナルドとの中間に位置してもらっている。身長差にもつながっていたが、それは伏せておいた。クラウスは例に挙げたとおりベストとシャツだけだがこれだけの巨体なので白が映える。
本名不明、K・K。
彼女は用意した衣装をもっとも着こなしていた。黒いドレスに白い肌、そして金色の髪はまるで金糸のように輝いていて、装飾は不要といえるだろう。歩き方もスタイルも十分なラインに達しているので、今回の一件とは別にスカウトのために声をかけようとテゾーロは目論んでいた。
ギルベルト・フランケ・アルトシュタイン。
肌を包帯で隠すように覆っている老人。テゾーロは初見であったが「ステラ様のお役に立てるなら」という言葉と、高齢とは思えない足腰の強さに加え、タキシードを着こなす気品さに惚れたため許可を出した。
そして、彼のおかげで一つの演出を思いつくことができた。
貴族にも負けぬ立派な椅子でも用意してやろう。
舞台に並ぶ七人を見て、テゾーロは満足そうに鼻を鳴らす。
魅力ある人物たち、それぞれがある種のカリスマのような存在だ。灰汁が強すぎるはずなのに、クラウスが中央に立つだけでそれが消えていく。おまけもいるけれど。
本当ならばもう少し小道具を用意したかったのだが、レオナルドが予想以上に【似合わないことが似合っていた】ため不要と判断した。彼だけ極端に愛らしいなとテゾーロは内心笑ってしまう。
「曲はアップテンポのものがいい。最初から飛ばしていても問題ないが、跳ね上がりがほしい。照明はスポで抜けるもの、【色】は三色あればいい、こちらで染めすぎるな。背景はいらない、黒で隠して──いいね、赤が映える。いささか奥行きはないが」
周囲のスタッフ──ステラの母国から呼び寄せた超がつくほど一流のスタッフたちは、矢継ぎ早の指示に完璧な対応をこなしていく。壇上の七人と、おまけで加わった三人は茫然としたように周囲の様子を眺めていた。
提示された曲を片耳イヤホンで聞きながらもテゾーロの指示は止まらない。照明の位置や時間配分、オペラカーテンの位置。選曲も次々に候補が決まっていく。
その間五分もなく、ライブラのメンバーからしてみればあっという間の出来事だった。
なにやらメモ書きをスタッフに手渡しながら、テゾーロはキャストたちに向けて笑いかけた。
「諸君、キミたちには一曲分ほど踊ってもらう。歌はツェッド、まかせられるか?」
突如、観客席に座っていたツェッドに話が飛び彼の触覚が空を向いた。
ツェッド・オブライエン。
青い肌、人外の顔、虫のような触覚、腕からは魚のヒレのようなものが生えている。その恰好は、松葉杖と足のギプスを除けば最初にホテルで会ったときのような私服姿だった。
「ぼ、僕がですか?」
「魚類なんかに歌なんか歌えるわけねーでしょシャチョー!」
「そうだな、おそらく人に聞かせるには足りないものが多すぎる。だが……」
テゾーロが言葉を止めるだけで、周囲のスタッフが動きを止めてテゾーロを見る。イタリアでは知らぬものがいなくなったステラ・ディ・メディチを育てた演出家、ギルド・テゾーロの言葉は、それほどまでに重い。
「歌は感情だ。感情は技術で、技術は理論だ。理論は発想で、発想は経験だ」
『くだらない──』
『うるさい! テゾーロ!』
あぁ、そうなのかもしれない。いまこの瞬間、この世界で、死にそうな人類が何人いるかなど数えられない。腹から血を流す人間を前に歌でだれかを救うなんて、エゴにあふれる欺瞞で偽善者のいうことだ。戯言なのだ。
だけど、違うんだ母さん。
あのときオレがしなきゃいけないことは、母さんに歌を聞かせることじゃなかったんだ。
「経験とは、繋がりだ。だれかとの繋がり、結びつき。だからこそ分かち合わなければ、だれも共感なんかしてくれない。だれも聞いてくれないんだ」
『素敵な歌ね──』
【あの日】、救われた言葉。
『──素敵な歌ね』
あの時、救われた言葉。
「聞く人がいなければ歌はただの雑音だ。歌を生み出すのは歌を聴いているヤツなんだ」
だからこそ、共感。
「目の前の人をワクワクさせるんだ。その楽しいって感情は、歌ったやつからにじみ出たものだ。相手から元気をもらうんだ。それを相手に返すんだ。楽しいも、悲しいもつらいも苦しいも嬉しいも全部、全部だ」
結果、相手も自分も傷つくかもしれない。
だがそれに気づいてさえいれば、オレは母さんを歌で傷つけることはなかった。母さんのために歌うことができたはずなんだ。
「だからこそ、傷ついたキミだからこそ、伝えられる歌がある。キミだけの歌がある!」
「素晴らしい!!」
壇上から声が響く。
空気を読まぬ盛大な拍手を送る人物はブリッツ・T・エイブラムス。あきらかに浮いた行動ではあったが、クラウスも【いまか】とばかりに拍手を送った。
「しかし、これはあくまで彼らの友人としての言葉なのだが」
ブリッツは、歯切れの悪い表情でライブラ面々の顔をみわたした。
「そもそも、彼ら、ダンスや歌の才能があるとは思えんのだよ」
歌が技術であり理論であり発想であり経験であるならば、最低基準というものも存在しているはずだろうとブリッツは考えた。《血界の眷属》を知識として齧った程度の人間に吸血鬼対策の専門家などは名乗れないし、ブリッツがほかの研究面の知識の披露を極力抑えているのもそこに起因している。
まして自分たちがステージに立つまで十二時間もない。
だからこそ、テゾーロは壇上に向けて笑顔を向けた。
「障害にもならん。このステージはひと時だけ、なによりも輝くステージになるんだ」
その不敵な笑みは、歴戦の勇者たるライブラ面々をして、ぞっとするものであった。
そして彼は、歌うように、否、彼はまさに歌っていた。
「《グラン・テゾーロ》へ、ようこそ」
黄金の船は、いまだ彼とともにある。
夢の水面を彼とともにある。
◆ ◆ ◆
ステラが両親からテゾーロの解雇を告げられたとき、心のどこかでほっとしていた。
虚無感はある。絶望感も覚えた。
でも、血の色が、油の臭いが、死の気配が消えないのだ。
もしも彼が、私を庇って傷ついたら、まして死んだら、それこそ立ち直れないとわかっていた。
どうやら事情を聴かされていた両親は母国から有名な演出家を連れてきていた。明日から私の演出家はその人になるらしい。その人が最初になにを語ったと思う?
「キミは天才だ。私ならキミをもっと高みに連れていける」
思わず笑って怒らせてしまった。ついつい汚い言葉を使ったのも良くなかっただろう。だけど、あまりにも見当違いの言葉だったので驚いてしまったのだ。
テゾーロは【才能】という言葉で他人を区切らなかった。私にも、そんな妥協はさせなかった。どれほど超えられない【壁】があっても言い訳にすらさせてもらえなかった。
他人と自分との【そんなもの】を比べる時間があるのなら、一曲でも多く歌い、一曲でも多く聞くんだ。そして、よく笑え──と。
人を笑顔にするのは歌じゃない。
気持ちなのだと。
ステラがベッドに転がると、携帯端末の光に照らされた。
端末から友人や仕事仲間から心配する声が届けられていた。SNSで「怖かった」と発言すれば、たくさんの反応を送られた。一つ一つ返信したかったのに、あっという間に充電が切れて、動かなくなる。
知らぬ間に溢れた涙が、怖かった事実を思い出させる。
救えなかった、より。
助けてもらった、より。
テゾーロが空に向かって歩き出したとき、もう会えないと恐怖した。高く、高く、昇っていく。私の歌とは違う、たった一人で。なのに、誰よりも輝いていた。
携帯端末の光が消え部屋が暗くなった途端、震えに襲われた。失われた命への鎮魂も、神への告解も、気持ちの整理もできていない。寝て、起きればステージだ。今日は歌えなかった。テゾーロがいない。新しい演出家。あの首を切られた人たちの家族は。なんで歌えなかった。悲しい、苦しい。残酷で、後悔で。
一睡もできないままとうとう窓の外が明るくなったのを感じて立ち上がる。
「……テゾーロ?」
部屋から顔を出すと護衛の面々と目があった。四人もいて、銃を持っている。しかし、あの吸血鬼のような相手がまた来た場合、彼らは成すすべなく倒れていくのだろう。
ふと、ステラは戻って携帯端末の電源を入れた。充電は尽きていたためコンセントにつなぐ。
──私は、お礼も言っていない。
彼女が思い出すのは、傷だらけのみんなだった。自分の歌を聴きながら殺された人たち。ツェッド、レオ、テゾーロ、スティーブン、ザップ。それに、あの大きな人も。
──コン、コン。
ガラスを叩くノックの音。窓には、さっき見たときにはなかった小さな人形の影が映りこんでいる。
黄金に輝く、ツェッド人形だった。
ステラは思わず噴き出した。愛らしくデフォルメされた人形は、手に持った槍で手紙を破るようにセットされている。手紙は、本物の紙だった。
人形を片手で遊びながら手紙の封を切ると、二つ折りになった一枚の招待状が入っている。三叉で破られ六ヶ所もの穴が開いていたが、それすらアクセントになって面白い。
そして、書いてあることにはもっとワクワクした。
『開演するよ。急いで準備したまえ』
ステラは浮足立つ自分の心が不謹慎だと思いながらも、テゾーロの気遣いがうれしかった。それに黄金のツェッド人形は、彼が、あるいは彼らがショーになんらかの形で関わっている演出でもある。
ステラは灰色のドレスを取り出した。テゾーロの瞳と同じ、静かな色。若草色のドレスもあったが悩んだ末に彼の瞳の色にした。
護衛の存在をそこで思い出したが、素直に声をかけることにした。
「いまから抜け出すんだけど、エスコートしていただけるかしら!」
護衛のまとめ役がサングラスをあげながら笑った。
「クビになったらレジスタが雇ってくれますかね?」
ステラはすこし迷いながら、テゾーロの代わりに答える。
「あなたたち、サックスは吹ける?」
◆ ◆ ◆
ステラと護衛の数人が、元・紐育の酒場前に降り立つ。彼女はしっかりとした防寒具に身を包んでいたが、それでも寒そうに手袋をつけた手をすり合わせた。吐く息は白く染まっている。
それにしても、護衛たちが会場の場所を知っていたということは、ある程度連絡を取り合っていたということだろう。ステラは不機嫌さを隠さない表情で護衛のまとめ役をじっと見つめた。新しい雇用主にすでに嫌われそうな状態だと気付きため息を吐いた。
電源を入れなおしたステラの携帯端末にはテゾーロからの連絡は一切入っていなかったのだ。
「会場が押さえられなかった場合の候補地らしいですよ」
ハコとしては非常に小さく、おまけに地下にあるようで安全面も怪しい。安酒飲みながら舞台や演奏を眺める場所だろうと察することができた。
そして【ここ】を候補地に加えたのはテゾーロだなと思っていた。
だって、荒れたコンクリートの上に立つだけで、会場が入っているビルを見るだけで、こんなにもワクワクしてしまうのだから。
ちょうど陽が昇ってきたようで、ビルの隙間から差す朝日に目が焼かれる。深い霧はそのままなのに、太陽の温かさだけは肌で感じることができた。
まぶしそうに目を細めるステラを見て、護衛は扉を開け放った。
目の前には薄暗い階段。子供のころなら怖がっていたかもしれないなと思いながら、彼女は一歩、一歩と階段を下っていく。
地下の扉を開けてくれた護衛に別れを告げ、ステラは薄暗い客席を進んでいく。
本当は中間の席が良かったのだが誘導するように貼られた蓄光テープに従って、最前列の中央に腰掛けた。
「イッツ! エンタァァァァ!! テェイメンツ!!」
真っ暗のステージから声が響き渡る。
そして、舞台が照らされた。
ライトに照らされた【彼ら】を見れば、きっと誰も彼もが最高潮。
さぁ、パーティーを始めよう。南南西を目指す大騒ぎだ。
◆ ◆ ◆
テゾーロにとって歌はショーの一部だ。無論、その占拠率は非常に高いが、パフォーマンスとしては余興にも重きを置いていた──醜い過去。
【この舞台】に相応しいパフォーマンスはなにかと考え直して、結局は歌に行き着いてしまう。リズムと歌で、最初から観客の心を奪いに行く。
でも、それだけでは無理だ。彼女はいま歌を歌えない。歌を聴くこともできない。
ならどうすればいいか。
わからないなら、頼ればいいのだ。仲間というものを。
「レオ、キミにとって一番つらい出来事はなんだ」
タップダンスを踏ませていたレオナルドにテゾーロは聞いた。
レオナルドはつんのめるように踊りを止めてテゾーロを見返した。数瞬しないうちに彼は答える。
「目と、車イス……ですかね」
「目はわかったが、車イスとは?」
彼の妹が、足の不自由な妙齢であることを初めて知った。そして、目のことも──。
テゾーロはレオナルドに頭を下げ、車イスを用意させた。
「おいおいダンナァ、そのダンスはねーでしょ! なんスかその気の抜けそうな手拍子は! 踊りってのは、こう! パワーで!!」
「醜いわよゴリラダンス」
「誰がゴリラだこの犬女!! おめーのふっわっふわした妙な踊りよかよっぽどノリノリになれンぞゴルァ!」
テゾーロがお似合いのペアに出番を用意すると言い出すと、二本の中指を向けられた。しかたないので同じくお似合いのスティーブンとK・Kに話を振ると、中指が三本に増えた。
入れ替わり立ち代わりならまとめて出したほうがおもしろいと、テゾーロが曲の節ごとに登場するアクターを数名指定することで次々に【形】が決まっていく。
テゾーロが横目で、プロの歌手と四苦八苦しながら歌合せするツェッドを盗み見た。彼の姿を見れば、ステラのトラウマは間違いないく悪化するだろう。ほかの面々がピンピンしているのに見た目だけは明らかな重傷を抱えている。中身で言えばこのメンバーの中で誰よりも痛みに耐性がないのはレオナルドなのだが。
「なぁんか男たちが酒盛りしたいって聞かないんだって! 女の子に見せるんだから、私たちでもなにかやりましょうよ」
「賛成ね!」
「あたしも美味しいもの食べたーい」
男性陣、女性陣に対してパフォーマンスを要求したことを若干の後悔を抱えながら、テゾーロはツェッドに話しかけた。
「ツェッド、そのギプスを外して舞台に立つことは可能か」
「もちろんです。なんであれば歌よりも一曲分の踊りのほうが──」
「そんな無理はさせられないさ。私があの子ども先生に怒られてしまうからな」
ルシアナの本当の姿を知らないテゾーロにとって【彼女たち】は異能の能力者であることはわかっていても、何十人もの姉妹の集まりにしか見えなかった。
「そうですか」
無表情でどこか辛そうに肩を落とすツェッドに、テゾーロは肩に手をまわして視線で上を向かせた。
《GOLD STELLA SHOW》
ゴルゴルの実で描かれた黄金色の文字。光が当たればネオン光のように輝くそれは、いまも爛々と輝いている。
「緊張するな。聞けば、人前に立つことには慣れているのだろう?」
「紙吹雪は余興みたいなもので──」
「だが、人を笑顔にしている」
そう言ってテゾーロはツェッドの頭を撫でた。触覚に触れられ、子ども扱いするなとばかりに彼は首を振ってテゾーロの手を弾く。
ツェッドが顔を上げるとテゾーロは笑っていた。
目元にシワを作りながら、まぶしそうにツェッドを見ていた。
「それがすべてだ。そして、今回も同じさ」
とはいえ、ツェッドに話しかけた理由はそれだけではなかった。彼らの本番までは3時間を切っている。すでにメディチ家の黒服の護衛には話を通してあり、ステラへの招待状もしたためた後だ。
そのステラが、ただプロの歌手のサポートをするだけのツェッドを見れば、彼の重傷具合を察するだろう。たとえ傷つくことが日常茶飯事だとしても、その傷【だけ】はステラのものになってしまう。だからこそ、テゾーロは演出のために声をかけた。
「ザップ」
「あン? なんだよシャチョー」
舞台に座り込んでいた男たちの中から、ザップは立ち上がってテゾーロたちに近づいていく。
「キミの一撃をいまのツェッドに向けた場合、ツェッドは防げるか?」
「んなもん楽勝で魚の三枚おろしが完成するっつーの」
「虚言癖も大概にしてください。問題ありません。傷一つ負うことなく防ぎます」
にらみ合う両者に、「まぁ大丈夫だろう」と苦笑いをしていると、唐突に客席の扉が開かれた。立っていたのは、異界人と思しき小柄な人物と、長身痩躯の男だった。
どちらも明らかにカタギのものではない。とくに痩躯の男の施された施錠の数は異常だった。口は塞がれ、目隠しをされ、ヘッドホンとも言えないような鉄の耳当て。腕はテゾーロの胴体を隠せるほどのぶ厚い鉄の塊をぶら下げて、足には鉄球がつけられている。
瞬間、奴隷であったころの自身の記憶が思い出されたが、拘束された男の発言でそれは霧散した。
「はぁー、ほひはひふひー」
内容はまったくわからないが、その籠った声から伝わる感情からは悪意の類など一切感じられなかった。同様にライブラのメンバーからは警戒の色など見られない。むしろ何人かは無警戒で近づいていた。
クラウスと挨拶を交わしていた小柄な異界人が携帯端末を操作すると、痩躯の男の拘束具から蒸気のようなガスが噴き出し、その拘束に隙間ができた。煙が晴れると、そこには色黒の優男が手首を摩りながら周りを見渡すように立っていた。
「ミスターテゾーロ。彼が先ほど伝えたドグ・ハマーです」
「聞いていた以上だな。なるほど、ステラへの笑顔は控えてもらいたいものだ」
テゾーロが手を伸ばすとその手に合わせハマーは握手を交わした。
その吸い込まれそうなほど青い瞳は、少し苦手になりそうだなと彼は感じた。
「大きい人だねー! ね、クラウスお兄ちゃん、デルドロ」
『ギャハー! もっとデカくなってやろうぜー!?』
ハマーの【中】にいるデルドロにも出番は用意しているものの、たった五秒の出演で何十枚の書類にサインさせられたかわからなかったので、できればハマーだけ呼びたかったと思わないでもない。だが、それでも予想以上だった。
刑務所の所長だという異界人にも手を差し出すと、テゾーロはサイン色紙を受け取ることになった。それも五十枚ほど。
まぁ、そういうことだ。
ステラにも大量に名前を書く機会をあげるとしよう。
「これ以上はないメンバーだ。さぁ、開演まで時間がない! スパートをかけるぞ!!」
テゾーロの声に対し、キャスト、スタッフは自信や確信をもって頷きかえした。
テゾーロにとって、仲間とは──。
いいや、語るまい。すべては、感情で、歌で、語ろう。
この夢のような時間を【彼女】に届けるために。
◆ ◆ ◆
ステラは、舞台の上で想いをはせる。
朝見たショーは、まるで夢のような時間だった。実際彼らの舞台を見たあとですぐ眠ってしまったようで、あれはどこからどこまでが夢だったのかわからない。
ツェッドが歌い終わったあとの舞台に立つテゾーロは、夢だったのだろうか。
それでも良いと、ステラは思っていた。
だって、ショーというものは、夢のような時間なのだから。
曲が始まっても歌わないステラに、観客たちがざわつき始めてる。
それでも何人かのスタッフや、特等席に座る【彼ら】は安心したようにこちらを見つめていた。
ステラの笑顔が伝わっているからだろう。
一流の歌手がライブで気ままに曲を変える、そんなわがままをする気分を、ステラは初めて噛みしめていた。
だって、いつもはテゾーロに怒られてしまうから。
今日このライブに来た客は幸運だろう。
彼女の曲のタイトルはおおよそロマンチックなものはない。
『ルチア』『フェデリカ』『ニコラ』『サンドロ』──など、イタリア系の人名が多い。
だが、彼女が今日歌った曲は即興で、そして『名前』がなかった。
タイトルコールもなく、ただ歌い続ける。
ほぼ休みなく【七曲】を歌い終えたステラは、汗をタオルで拭きながらステージにセットされたペットボトルから飲料水を一気飲みする。あとで両親に怒られるのは覚悟の上だった。
「初めて歌う曲ばかりだから恥ずかしいわ! えへへ、作曲しちゃった! そろそろ時間ね! 最後の曲なんだけど、みんなごめんなさい! この曲だけは、少し悲しい曲になっちゃうわ! あ! いまから考えるんだけどね! あははは!」
歌い切った彼女は、一流のスタッフから見ても、一流に達していた。
奏者たちはジャズのように多少はあがいたものの、おそらく悔しい思いや不満を抱いたキャストたちが多いことだろう。
それも、次の曲で終わり。
「最後の曲にも、いろいろな想いが込められてるわ。でも、誰かのために歌う曲じゃない。私だけの感情がこもってる。私だけの歌。私のわがまま。あ、でも今日歌った曲もぜんぶわがままだったわ! みんなごめんなさーい!!」
観客からは大きな声援が、スタッフたちからも笑い声が聞こえたような気がした。
それらにかき消されながら、ステラはつぶやく。
「──さァ、フィナーレといこうか」
そして、スピーカーからイタリア語で最後の曲のタイトルが告げられた。
名前ではない、ロマンチックなそのタイトルは──。
『tesoro mio』