「テゾーロ! テゾーロ! 見て見て! 見えたわ!」
列車の窓から大きく身を乗り出させ風景を楽しむ女性。名前をステラと言った。
彼女の向かいに座る大柄の男性はテゾーロ。
とある特殊な出会い方で二人は出会った。
一方は誰かを幸せにするため、一方は幸せを噛み締めるため。
「あぶないぞステラ」
「過保護ねテゾーロ。新世界の怪物の名が泣くわ」
昔話をしすぎたなとテゾーロは苦笑する。
三年前、テゾーロは《グラン・テゾーロ》で麦わらのルフィに完膚なきまでに敗北した。
意識を取り戻したとき、まったく知らない土地で、立つこともできずにいたテゾーロを助けたのがステラだった。
しばらくはリハビリの日々。医者から、なぜ生きているのか、なぜもう歩けるのかと散々喚き散らされたのもいい思い出だ。
見舞いに来てくれたステラに、せめてなにか恩返しがしたいと話し始めたのが自身のことだった。彼女の中で自身を英雄として語ってしまったのは、少年の悪戯心というものだ。
そのとき──【この土地】に来てから薄々、わかっていたことがある。
この土地は、もしかすれば自身の世界と大きくずれているのではないか、ということだ。
テゾーロが正気を取り戻しても、社会的信頼のない人間は側におけないという至極真っ当な意見が上がったのだが、悪魔の実の能力を見世物にして押し切った。
そしてステラの家族に取り入ったあと、この街がグランドラインのどこに当たるかを聞いたことがある。
「なに言ってるの? イタリアのミラノよ。シルクロードのこと?」
テゾーロの名前も、グランドラインも、ワンピースも、悪魔の実も、新世界も、天竜人も、世界政府も海軍も海賊も、まるで夢を見てきたかのようなファンタジーの世界の話だった。
悪夢であるとは、言い難い。
どこかストンと心に落ちるものがあった。
携帯電話なる小型電伝虫。電気自動車なるカメ車。船は飛行機に。悪魔の実の能力者は超能力者で一括り。より速く、多く、遠くに、世界の裏側でも、飛び出せる世界。
「あなた、もしかして異界の出身なの? そうは見えないけど」
「異界? なんだそれは」
「そんなことも知らないのね。いいわ、教えてあげる。ね、ニューヨークって知ってる?」
「知らん。というかイタリアも知らない」
「もったいないわね。いいわ、いいわよ、知識は人の幸せを手助けできるの。さ、さ、勉強の時間ね」
テゾーロに渡された一冊のテキスト。
文字は読めないが、それを知ったステラは大きく笑顔になった。
「いいわ、いいわよ。全部、ぜーんぶ教えてあげる。教えるのは得意なの!」
白い歯を出して笑う少女に、男は失笑してしまった。
実際彼女の教え方は理に叶っており、テゾーロは知識をスポンジのように吸収していく。こんな年で勉強だなんてと思わなくもないのだが、本を読み上げる声と少女の笑顔を見ると不貞腐れる余裕はなかった。
彼女は音楽学校に通っていた。
彼女は、歌で人を幸せにしようとしていた。
ステラの時間を無駄にするわけにはいかなかった。
「いつぞか言っていたニューヨークって街のこと、わかったぞ」
「そう、じゃあ質問を繰り返しましょう。『あなたは異界の出身』?」
「ノ」
「『ニューヨークって知ってる?』」
「スィ。霧に消えた街だ」
「えぇそうよ。そこに住んでいた人たちはどうなったのかしら」
「消えたか死んだ、いまだ不明。連絡がつかず【再編成】されたときに異界側に行ってしまったのではないかというのが連日テレビで偉い教授が語っている内容だ」
彼女は至極真剣な表情で頷いた。
気持を切り替え、「なら本題ね」と好奇心を膨らませたステラは話し出す。
「あなたの、昔の話をしてちょうだい」
出会って二か月。世界の常識を半分ももっていなかった男に、少女は惹かれていた。
名をギルド・テゾーロ。テゾーロが名前だという。
初めて会ったとき血や泥でまだらに固まっていた髪は、いまや毎朝綺麗なオールバックにセットされていて自身の父親より紳士的だ。
病室のベッドから手足をはみ出させている彼の身長は三メートルに届こうかという二百九十センチ。これだけでギネス記録。スーツを仕立てるにも一苦労である。
仕立て屋からはしばらく時間をくれと言われていたのでそろそろ届くかもしれないが、それまでは七分丈のズボンとシャツというラフな私服姿で我慢してもらっている。
身体の均衡も素晴らしく、ある事情で受けた身体測定ではもろもろ世界一位の記録を塗り替えたらしい。頭も良く手先も器用で、なにより優しい。
完璧すぎて、子どものステラに恋とも憧れとも区別できない感情を抱かせるには十分だった。
おまけに超能力者。
本人曰く、一度触った金を意のままに操れるゴルゴルの実の能力者らしいが、パラミシアだゾオンだロギアだ言われても全く理解できなかった。
理解できたのは彼の能力がとても素敵なものだということだ。
だから知りたかった。
彼がどこで生まれ、どうやって育ち、──どんな人を幸せにしたかを。
「あと少しで退院よね。そうなればきっと簡単には時間が取れなくなるわ。いいえ、ずっと一緒にいることになるけど、やらなきゃいけないことは山積みよ! だから、いま教えてちょうだい!」
テゾーロの苦笑いに、どこか胸を締め付けられる。
これはきっと恋じゃない。
罪悪感だとわかっている。気を使わせている。困らせている。でも、ステラは彼を絶対にパートナーにすると決めていた。だから、どんなことがあっても聞いておかなければならなかった。
「……まぁ、ん、なんだ。どこから、話せばいいか」
「どこからでも! あなたの話したいところが、きっと正解よ!」
しばらく目を瞑った彼は手ずから二つのコップに水を注ぎ、テーブルに置いた。この話はきっと長くなってしまう。
「私はね、世界一の成金だった」
「えぇ、見ればわかるわ。どことなく粗野ですもの。でも素敵だから及第点ね」
咽を鳴らせてテゾーロは笑う。
彼女のあけすけな物言いが面白かった。
ギルド・テゾーロを真正面から粗野と言い切る人物など、おそらく五年以上いなかったから。
「成金らしく、北の海から南の海まで自由に行くことのできる船を持っていたのさ」
「あら素敵!」
「全長十km。街が一つ丸ごと入っている世界一豪華な船旅さ。乗ってみたいかい?」
「まるで夢のようだわ!」
「そう、夢だ! 人に夢を魅せる街! 世界の名だたる海賊、海軍、大富豪、すべてが集う世界最大のエンターテイメンツシティ!! 《グラン・テゾーロ》!! 船長はご存知、私、ギルド・テゾーロが勤めさせていただきますよ、お嬢さん!」
クスクスとステラは顔を覆って笑い出す。
それに気を良くしたテゾーロは、左手の金の指輪を液体に戻した球体を空に浮かべた。
「まずはコチラ! 船の動力を担う双対の──」
「カメだわ!」
ベッドのシーツの上に、二十センチほどの金色の亀が現われる。
四つのヒレを器用に動かしてシーツの海を泳ぎはじめた。
「そうですお嬢さん、これはギガントタートルと呼ばれる海竜種。野生で見かければまず死ぬしかない自然のバケモノ! 彼らに感謝を。みなさんの船旅は彼らギガントタートルの気持ち次第さ!」
金色のギガントタートルが大きく口を開けた。まるでワニのようなギザギザの歯。触ろうと指を口の中に入れたステラだったが、突如その口が閉まる。
「きゃっ!!」
慌てて指を引き抜くと金糸が指についてきた。口元を隠して笑うテゾーロの意図を理解して、ステラは顔を真っ赤にして手を上げる。
「もう! もう!」
「お嬢さんはご機嫌斜めと。ならこれはどうかな?」
二頭のギガントタートルの輪郭がうねり、四台の車に変化した。四角、三角、丸、大型と個性それぞれだ。
「車?」
「ノ、ノ、ノ。カメ車さ」
「また亀なのー?」と彼女は笑う。
小さな車から一匹の亀が降りてきた。二足歩行の金色の亀は、二の腕の力瘤を彼女に見せつける。小さすぎるそのフィギュアをステラは持ち上げて睨みつけるように観察する。
「世界でも希少なマッスルカメだ! それを贅沢にも動力にして動くカメ車は、そうだな、時速120キロかな?」
「あはは! すごーい!」
「これを使って賭けをしようじゃないか。さ、ボウヤたちもおいで」
その言葉にステラが後ろを向くと、テゾーロの病室のドアから数人の子どもが覗いていた。彼らの後ろには興味津々の女性看護士もいるようだ。どうやら騒ぎすぎて興味を引いてしまったらしい。
「恥ずかしがっているのかな?」
かすかな笑い声とともに粘着音が耳朶を打つ。同時に子供たちの歓声が病室に響いた。その歓声に驚いてステラが振り返ると病室の中が金色に染まっていた。
実際は、部屋に張り巡らされた金のレールに太陽光が反射していたのだが、その光景はまさに夢だ。こんなに美しい光を、きっとステラは見たことがなかった。
「む、子どもが一人多いな。やぁキミ、好きな車を言ってごらん」
指された子どもはフカフカのニット帽を目深に被っていた。
「あたし……? えっと……バスが……」
「えー! バスかよー! だっせー!」
「だって、乗ったこと、ないんだもん……」
隣の男の子に馬鹿にされニット帽の子どもは泣きそうになってしまう。
すると泣き始めそうな子どもの前に、金色のバスが一台浮かんでいた。
「うーん。たしかにこのバスは格好悪いかもしれないなぁ。なら、こうしてみよう!」
バスの天上部が膨らんで、その弾みのように一瞬で二階造りのバスになる。
そのバスはニット帽の子どもが手皿で受け取ると、その手の中をクルクルまわるように走り出した。
「わぁ!! すげー!! すげー!!」
はしゃぐ少年の後ろでは、看護士の女性がアゴを外さんばかりに大口を開けていた。
バスの変化を見た子どもたちは、ニット帽の子どもを囲って大盛り上がりだ。泣き顔はすでに満面の笑みへと変わっていた。
「ほうほう二階建てで満足かい? 子どもなのに夢がない! これでどうだァ!!」
ボンという破壊音がしたかと思うと、そのバスはアンバランスな三階建てのバスに変化した。
ステラの視点からすればいつ倒れてもおかしくないナンセンスな造りではあったが、子どもたちにとっては効果覿面と言ったところか。
「好きな車を選びたまえ子どもたち!! さぁレースの始まりだァ!!」
その言葉で、子どもたちはいっせいにテゾーロのベッドに集まった。
とくにニット帽の子どもは甘えるように彼の膝の上に乗っている。子どもは全員が十歳になっていないだろう。その中で見ればきっとステラはオトナではあったが、おもしろくはなかった。
彼女が三角の車を手に取ると、面白いことに先端が星型へと変わる。
慌ててステラがテゾーロを見やるがウインクであしらわれてしまった。お礼を言う隙もない。だが、自分を特別視してくれているということが嬉しくて機嫌を直した。
「コースは見ての通りだ。全長二十メートル! ぶつかり、潰しあい、誰が一番にゴールできるか! さぁ諸君コースに並べたまえ! 三周できたら優勝だ! 素敵なプレゼントをもらえるぞ!」
わぁ! と歓声があがる。
ステラは金色が少し残念だなと思っていた。光が反射して見づらいのだ。おまけにコースの金と同化して誰が誰の車かあまり見分けがつかない。
それこそ、子ども騙しだろうと思っていた。
だが、それが間違いだとすぐに悟ることになる。
これは子ども騙しではない。子ども化かしであると。
テゾーロはスタート地点コースを少し広げたが小さな車を五台並べると車幅はギリギリで、しかも少し行けば最初に造ったコースの幅に戻っている。およそ三台分だろうか。
これではすぐにコースアウトだ。
ステラは醒めた目でレースを眺めていた。子どもたちが【観客】になってしまっていることが原因だろう。本来のステラは観られる側であり、それが気になってしまったのだと冷静に自己分析していた。
もっとも──彼女の醒めた目。それを見下ろす男は、異界とは言え一流エンターテイナーとして名を馳せた、ギルド・テゾーロであった。
「トレ、ドゥレ、ウノ」
子どもたちの声が合わさる。
『スタート!!!』
五台の車はコースを削り軽い煙を上げながらスタートダッシュを──切らなかった。一台を取り残して四台だけでコースを進んでいる。
金色だからと言っても最初は集中して見ていたため、子たちは自分の車の行き先を追いかけることができた。追えなかったのは、まるでエンストしたように動かない星のマークがついた車──ステラの車だった。
「なっ!?」
テゾーロを睨みつけるステラだったが、彼の笑いを我慢するような素振りに不機嫌になって、あわてて車に向き直る。
「負けないで!」
呼びかけに応えるため、運転席の亀が強く頷いた。
金色のコース、金色の車、金色の光。
それでも、その頷きをステラは確かに見た。
急発進した車を視線で追いかけると少し先に大破した車が二台いた。狭くなったコースでぶつかり合ったのだろう、フロント部分がどちらも潰れてしまっている。それをステラの車が悠々と超えていった。
「なんでなんでなんでー!!」
「邪魔するなよー!!」
言い合う男の子たちの間にテゾーロの大きな手が割り込まれた。
「金ってのは柔らかい。なんてったって手の力だけで変形してしまう石なんだ。だから、なんにでも成れるのさ。さ、どんな形の車がいいかな?」
テゾーロの言葉に、男の子たちは目を金色に輝かせていた。
部屋に張られたコースベッドがスタートラインで、窓のカーブ、壁の直線、連続ヘアピン、回廊を上って、部屋の入り口からベッドへの下り坂の直線。これが一周だ。
先頭を走るバスと丸い車は、たまにコースにぶつかったり、跳ねたりと不安定に走っていたが、すでに真ん中を越えている。いまは回廊で少し坂を上りながら先頭を競い合っている。上りは丸い車に部がありそうだが、下りの直線は三階建てのバスが圧倒的に有利だろう。
丸い車を選んだ女の子はなんとなくそのことを理解しているのか、ハラハラとした様子でトップに立っていた。バスは不安定な重心ながら後ろに付いてきている。
そしてその後ろ、危なげなくヘアピンを超えたステラの車が迫っていた。
「ドリル! 強そうなのつけて!!」
「すっごく速いの! お前の攻撃なんてあたんねーからな!」
「絶対当たるもん!!」
男の子たちの言い合いが気になって、ステラは車から目を離して潰れあっていた車を見る。あわや周回遅れになりそうなほど先頭集団と接近していたのだが、テゾーロが指で空中に円を描くと二つの車が液状になり、次の瞬間新しい車が二台出来上がっていた。
「かっこいー!!!」
「ロボだー!!!」
女性陣は興奮する男の子たちを醒めた半目で一瞥する。
【強そうな】車はまるで戦車のようなキャタピラで、フロント部分には左右一本ずつの車体くらいの大きなドリルがついていた。
【速い】車はコースの幅ほどの翼を広げ、エンジンがついているように見える。とてもシャープなデザインで、新幹線に見えなくもない。
「飛行機なんてずるいわテゾーロ!」
「ハハハッ、ちゃんと車輪がついているじゃないか。でもまぁ、空飛ぶより早いかもな」
言うが早いか、飛行機のような車のバック部分から突き出たエンジンから金色の煙を撥ねるように排出された。
あと数センチで丸い車が追いつく瞬間、飛行機が飛び出した。
「飛んだぁ!!」
コースを走っているようにも、コースの上を飛んでいるようにも見える。グングンと丸い車を引き剥がしていた。
それを見て、ステラは悔しそうに星形マークの車の様子を見る。ステラの車も二週目に突入し、バスと横並びで進んでいた。
「もー! 飛行機を教えたのは私なのに!」
「飛行機よりも美しいものを教えてもらっているよ」
と、男の独り言は子たちの歓声に掻き消され誰にも聞かれることはなかった。
「あーもー! 遅いよドリルー!」
飛行機型の車が速すぎて回廊で苦戦している最中、ドリルを両手に抱えた車はヘアピンをノロノロと進んでいた。周回遅れの見事なドベだ。明らかに見た目に足を引っ張られている。
「なんだ、カッコイイだろドリルだぞ」
「でも勝てないもんー!!」
男の子は泣きそうになっていた。テゾーロは少年の頭を軽く叩くと、少年の視線に合わせて車を見つめる。
「いいか? ドリルってのはな。飛ぶんだよ」
「ホントに!?」
「さぁ、叫んでごらん」
「うん! 一位になれー!!!」
その声で、なぜか車は止まってしまった。
しかし、一点。右のドリルが回転を始める。
「いけー!!」
高い発射音とともに、黄金のドリルが勢いよく放たれた。ドリルは一直線に回廊の頭頂部に突き刺さる。ドリルと車体の間に流れる髪の毛のような細い反射をステラは見ていた。
どのような法則か車はその糸に引っ張られるようにコースを離れ、空を飛んでいく。
一瞬で他の車を全て抜き去って回廊の天辺に着地した。着地の衝撃で黄金のコースが大きく歪んだがキャタピラの車輪には関係ないようで、坂を下ってベッドへ向かう。車体の重さでもあるのだろうか、落ちるような加速だった。
それを見て、ステラはようやくこのカメ車レースの演出力に気付く。
見事に化かされてしまった。
なんということはない。このカメ車は車ではない。黄金なのだ。
テゾーロの指輪だとすれば、体積に見合わせるためコースは薄く、車体だってスカスカだろう。だから、そう、【エンジン】なんて存在しないのだ。
そもそも車輪すらあるか怪しい。この車は【コースを走っている】わけじゃないはずだ。
自分がもっと大人なら、もっと早く気付けただろうか。
そう思案して、普段自分が接する大人たちの頭の硬さを思い出した。
大人ならもっと簡単に騙されるんじゃないだろうか。エンジンが車輪を動かして、コースを進む光景にしか見えないのではないだろうか。
これはまるで、大人騙しの子ども化かしだ。
──鳥肌が立った。
「いけー!!!」
思考が途切れる。
コースはもう終盤、丸い車がトップのまま三周目に入ったらしい。
相変わらず直線ではすごく遅いドリルの車がドベで、なんとバスがブービーだった。
ステラの車は周回遅れだったはずの飛行機型に追いつかれそうな二位。
短いコースだけあって、その差はあまりない。唯一ドリルの車がまだ二周目の回廊前にいるということだろうか。
ステラの思考を断ち切ったのは、ドリルで回廊を抜けようとした掛け声らしい。
ところが二回目の少年は少しだけ欲をかいた。さっきよりもう少し先に行こうとドリル発射のタイミングを遅らせたらしい。結果は明らかにドリルの切っ先は回廊に破いてしまっている。
どうなるのだろうと思っていたステラ、いや子どもたちは大きく目を見開く。
不吉な引き裂かれる音、削られる音とともに、ドリルと車が回廊を突き破りながら進んでいった。
「ええ!?」
丸い車を見守っていた少女は悲鳴をあげる。
ドリルを発射した子どもはコースを壊したことで怒られると思ったのだろう、テゾーロを不安げな面持ちで見上げていた。
「言っただろう、ぶつかりあいと潰しあいのレースだと。ルールは無用だ、さァ諸君、ゴールを目指したまえ!」
ドリルの車が最終ラップに入った途端、コースの何箇所から金粉が空に噴射された。それはありありと最後を認識させる引き金になる。
「勝って!!」
丸い車の持ち主は両手を握り締めて拳をつくっている。
いつの間にか彼女も勝利に魅入られていたらしい。
とは言ってもコース自体に穴があるんじゃどうしようもないか、とステラは半ば達観していた。このレースで楽しむよりも、この子どもたちに勝利するよりも、もっと【物凄い】ものがあると、識ってしまった。
端的に言えば、ステラはギルド・テゾーロに興奮していたのだ。
彼女はその十三年という、短くも彼女の人生で初めて、カリスマに出遭ってしまった。
泥と血で汚れた、
あの綺麗な音色を、
こんな綺麗な人を、
私が見つけた。
ギルド・テゾーロ。
気合に呼応したように、丸い車は穴の開いたコースを飛び越えながら進む。本来はありえない車体の歪みからの跳躍。まるで出来の悪いアニメーションだ。
なのに、この場にいる子どもたちから熱意が消えることはない。一番おどおどしていた少女ですら、テゾーロの膝からずり落ちそうなほど前のめりでレースの行方を探っている。
一方の看護士は幾分冷静になったのだろう、口は閉まっているがそれでも眩暈を起こしたかのように座り込んでいた。キョロキョロと車とコースとを目で追ってはいるが、黄金に支配されたこの世界で彼女が見つけられるものなどない。本質は黄金の価値などにはない、まさに騙されている。
飛行機型の車はカーブのたびに大きくスピードを落とす。ヘアピンに差し掛かったとき、飛行機型の車はとうとうバスに抜かれてしまった。そのすぐ後ろにはドリルを持った車がいる。しかしドリルはコースを突き破った影響からかボロボロになっている。もう一度ドリルを飛ばすことはないかもしれない。
先頭にいるのは丸い車と星型の車。もはや二台はほぼ同じ位置にいる。バスはいま回廊に差し掛かったところだ。
──果たして、どういう演出になるのか。
回廊には三回、飛び跳ねなければならない箇所が追加された。
最後の跳躍を終えた二台の車が、最後の坂道をぶつかり合いながら進んでいる。
カチン、カチン、カチン、カチン──
何度も、何度も、ぶつかってはコースの端に追いやられまたぶつかる。
ゴールラインなどはないが、先にベッドの前を通過したのは小指のツメ先ほどの差で丸い車だった。
ステラは二位になっていた。
停止した丸い車の持ち主は最後のぶつかり合いでボロボロになった車体を撫で付ける。ステラもそれに習って手に取った。
軽い。やはり紙ほどの薄さに延ばされた金の車だということだろう。
「あっ!」
少女の悲鳴めいた声で、ステラはコースを見た。ニット帽の少女の視線は回廊の穴で引っかかるように止まってしまったバスだった。
それを見たステラは唇を少し舐めた。
──誰かが一番になってお終いだなんてショーじゃない。
そう言われた気がした。
「やった!」
ノロノロと進んでいた飛行機型の車がバスの屋根部分を器用に使って跳躍する。穴と穴は繋がっている構造だったので、飛行機形の車は屋根でも跳ねて上の階に飛び乗った。大きなショートカットである。
「あ、あ、」
少女は泣き出しそうに手を伸ばしている。テゾーロが彼女を支えるために抱きかかえていたので、それ以上先には進めなかった。
男の子はその様子を見ていた。
最後尾を走るドリル型の車のオーナーであり、最初にバスを馬鹿にしていた気の強そうな少年。
それはテゾーロなりの演出なのだろうか。
ドリルの車は、バスを前にして停まっていた。
「どうした、進まないのかね」
「…………」
さも、車が停まったのは少年の気持ちのせいだと言いたげに、テゾーロは少年に聞いた。少年は自分で停めたわけでもないのに黙っている。シーツを握り締めて、少年は涙を我慢していた。
最下位になってしまう恥辱なわけじゃない。飛行機の車同様、正々堂々とバスの屋根を渡っていけばいい。それだけで最下位は回避できる。
一方で飛行機型はベッドの前に辿り着いたが、もう一人の少年はその車を手に取ったりはしなかった。視線はバスに向いている。
「……助けたい……」
「えっ」
ドリルの車に語りかけるように少年はつぶやいた。ニット帽の少女は驚いたように少年を見る。
「だって、オレが開けた穴で……」
「ルール無用と言っただろう、キミのせいじゃない」
──だが。
「それでもキミが助けたいというのなら、力を貸そう」
ドリルの車は穴を越えてバスの前で反転する。ドリルは崩れるようになくなって、一本の金糸になった。それがバスと繋がって二台は抜けようとタイヤを回転させる。ドリルはキャタピラだったが、それでもパワーが足りないのかバスが抜け出す気配はなかった。
飛行機型の車を掴んだ少年は、ベッドを降りてその車をドリルの車の横に置く。
振り向いて、少年は言った。
「ごめんなさい、助けてあげたい」
少年は泣いていた。
バスを踏みつけて利己的に動いた自分を悔いるように泣いていた。
その涙を見せられ、ショーだなんだと観察していた自分が恥ずかしくなって、ステラも同じように車をコースに置きに行く。丸い車の少女もそれに習った。
テゾーロは、子どもたちがベッドを降りてコースの周りに集まる光景を見ながら疲れたように笑い、そして聞こえないようにつぶやいた。
「イッツ、エンターテイメンツ」
◆ ◆ ◆
その後、優勝した女の子には四つの小さな車が贈られた。親指の爪ほどの小さな車だった。丸い車、車輪付き飛行機、ドリルの車、バスの四つだ。
それを受け取った彼女は、その賞品を仲良く分けて大切にすると言っていた。
「ねぇテゾーロ」
ショーは終わって観客は帰してしまった。いまは裏方に二人だけだ。
「あなた、私を演出してよ」
「これはこれは、ありがたい申し出だが、どうしたんだお嬢さん」
「もうショーは終わったでしょ、ステラと呼んで」
テゾーロは、いつもの薄ら笑いを引っ込めて視線を逸らせた。
「……お嬢さん、俺は……」
テゾーロは頭を掻いた。オールバックが崩れ、零れた前髪が彼の目線を隠す。
話すべきか、隠すべきか。
悩んでいる間に、テゾーロは語る。無意識に、話してもいい内容から。
「私は……ひどい男だった。妬み、嫉み、歪み、ありとあらゆる自身の不幸を、誰かのせいにしていた──」
ギャンブル漬けの父。
認めてくれない母。
大きすぎた夢。
「金があれば──チャンスさえあれば──。そういった気持ちで自分を守っていたのだよ」
こんな心境、誰かに話すなんて初めてだった。
不快と言ってもいい。
これはきっと誰かに話すものじゃない。
手離していい心じゃない。
でも──きっとオレは【彼女】とずっと、こんな話がしたかったのだ。
「キミくらいの年かな、チンピラの集団に入ってね。悪いことはそこで習ったよ。幸せなやつらが、私みたいに不幸になればいいと思っていたね」
「うん」
「それを諭してくれたのが…………」
──それは、言葉にしてもいいのだろうか。
彼女をオレなんかの言葉でカタチにしていいのだろうか。
あの人のことを正しく伝えられるのだろうか、誤解なく伝えられるだろうか、受け入れてもらえるだろうか、彼女の言葉が否定されないだろうか、オレの記憶が食い違っていないだろうか、あの言葉がカタチになることで磨り減ったりしないだろうか、彼女をカタチにすることが本当に正解なのだろうか。
いいや、違う。
こんな汚れきったオレが、彼女の言葉を忘れていたオレが、
彼女を騙ることなど、オレが許せない。
すべてはオレのわがままで、また、逃げた。
「……話を一つ飛ばしてね」
「……うん」
「この能力を手に入れるために私は人をたくさん傷付けた。死んだ人間も、十や二十じゃない。正真正銘極悪人さ」
「……そう」
ステラは、渇いた笑みを浮かべるテゾーロに掛けるべき言葉を失った。
彼女は半ば、異世界にいたというテゾーロの話を信用していなかった。大人が子どもに使うまやかしの言葉とも、比喩表現とも取れたからだ。
だが、きっといまテゾーロが話していることは本当だ。
彼は力のために、人を殺したのだ。
非難することは簡単だ。いますぐ彼の病室から離れ、二度と近づかなければいい。それだけできっと、彼はいつものポーカーフェイスに戻る。
もうこんな笑みがにじみ出ることはなくなるだろう。
「この能力で甘い水を得たよ。世界は私を中心に廻っていた。決して大げさな表現じゃない、本当に、私が世界を廻していたのさ」
テゾーロの引きつるような笑みが濃くなる。
「だが、私とは、黄金のことでもある。私に黄金があるからカネが廻ってきていただけなんだ。それに気付くのに、だいぶ時間がかかってしまったな。言われたよ、ある少年に……」
『お前は、ただのカイブツだ』
「世界を廻せば神になれるだなんて、そうだな、バケモノの思考だったよ。あの私は人間じゃなかった。ただ、忘れたかっただけなのに、忘れたいという気持ちも忘れてスリルを求めていた。私の指を鳴らしただけで国と国とが争うのが面白かった、勝ったほうが私の女になれると取っ組み合う女たちが面白かった、絶対に勝てる賭けで負けた相手の顔を見下すのが面白かった。……まだまだあるが、全部覚えているもんだな。こっちに来る前は、すべてが夢のように消えていく記憶だったのに……」
「あなたは──」
テゾーロは閉じていた目を開けて、ステラを見る。
「あなたはきっと、立派になれるわ」
「それは、どうかな……。私の過去がなくなったとして、許されるわけじゃない。許されたいわけじゃない。だから──」
だから──私はキミのそばにいられない。
そう言おうとした。自分の気持ちをカタチにしようとした。
そうすればきっと背負えると思ったのだ。たとえその気持ちに足を引っ張られようと、否定されようと、それがあればきっとステラが見つけてくれたギルド・テゾーロになれると思ったのだ。
「むぐ」
ステラの両手が、テゾーロの口を押さえていた。
彼女はその双眸を吊り上げてテゾーロを真正面に捕らえている。捕らわれている。
「──なら、私が許さないわ」
小さなステラから零れた不穏な言葉。それは、まるで悪魔の囁きだった。
「私なら、誰が許してもあなたを許さないわ。絶対よ、人を殺してその人以外に許されるなんて間違っている。しかも殺した本人が責められることを望んでいるだなんて!!」
ステラは立ち上がった。ベッドに登ってテゾーロを睨みつける。
彼女の金髪が重力に逆らわず肩口からはらはらと落ちていく。
真っ直ぐにテゾーロを見据えた。自身の悠に二倍はある大男を、小さな青い瞳で睨みつけている。
「あなたは責められて、罪悪感を軽くしようとしているの? そうなら、私は絶対に許さないわ! 絶対よ! 過去は消えないわテゾーロ! あなたの足元に幾千もの殺してきた人たちがるのなら、そこで産声をあげなさい!!」
感情が高ぶって、言葉に矛盾があると、意味がないと、自分でもわかっていた。
ステラは大粒の涙を瞬きもせずに流し続ける。
「いいテゾーロ! あなたはさっきの子どもたちを幸せにしたわ! 怖い夢をみたら忘れるていどの幸せだったかもしれない、生涯をかけて大切な宝箱に仕舞われる宝石かもしれない! でも、あの瞬間はみんなが幸せだったわ! それは素晴らしいことよ! それを否定するというのなら、それは許されることではないわ!!」
だから、どうか、自分を否定しないで。
そこにいると声をあげて。
そうすればきっと、みんなが幸せになれるのだから。
「あなたが幸せにしなきゃいけないの! その力があるのなら燻っている暇なんてないの! 世界は悲しみに溢れてる! 奪われるからよ! 理不尽に! 害ある考えに! だから与えるの! 幸せは誰かに与えられるものなのよ!!」
「──ステラ」
「えぇそうよ! もっと私の名前を呼びなさい! 奪ったと思うのならそれだけの幸せを誰かに与えて! いいえそんなものじゃ足りないわ! 命を奪ったというのならそのぶんの命を捧げるの!」
もう論理の道筋なんてないに等しい。
それでも、テゾーロがここにいる意味を見つけてほしかった。
あの幸福感を味わって欲しかった。
奪われるだけの彼の人生に、私のなにかを与えたかった。
もっとも、言葉にするには幼すぎたらしい。
テゾーロは無秩序な言葉の羅列に対して、口元を隠すように笑いを返しただけだった。
「なによ!」
ステラはベッドの上で立ち上がりそうな雰囲気だ。
前髪の隙間からステラを見るテゾーロは、笑いながら自身の瞳の雫を拭う。笑いすぎたなんてことはないのだろうが、そうであってもおかしくないほど笑い続けている。
「なによ!!」
ドンと、ステラの拳がテゾーロの胸板を打った。それは鋼のように硬く、ステラは慌てて手を振った。
それを見て、テゾーロがもう一度笑う。
「もう! きらいよ! きらい!!」
拳の代わりに枕を振るうステラは、いつの間にか泣き止んでいた。
ボフ、ボフ、ボフ、ボフ。
なんど殴られただろう、テゾーロは優しくステラを抱きとめた。彼女の小さい身体は片手で十分だった。
「ありがとう、ステラ。与えてくれてありがとう」
「なら私にも与えなさい!」
「ハハ、なんでも与えよう……それが幸せになるのなら」
「誰かから奪ったものはダメよ!」
「わかってるさ。そのためには働かなきゃいけないな」
「それはもう考えてあるわ! すごい考えよ! よく聞いてね──」
彼女は輝く笑顔でテゾーロを見た。
テゾーロはまだ、その笑顔に笑顔を返せないでいる。
だけど、そう、きっと時間の問題だ。
オレは、幸せになるよ──【ステラ】。