街の名はヘルサレムズ・ロッド──元・紐育。
一夜にして崩落・再構成され異次元の租界となったこの都市は今、異界を臨む境界点。地球上で最も剣呑な緊張地帯となった。
霧烟る街に蠢く奇怪生物・神秘現象・魔道犯罪・超常科学。
一歩間違えば人界は浸食、不可逆の混沌に呑まれるのだ。
世界の均衡を守る為暗躍する秘密結社ライブラ。
この物語はその構成員達の戦いと日常の記録である。
◆ ◆ ◆
「ダンナ、隠し部屋だ」
葉巻を銜えた細身の男が、薄暗い廃工場の床に手を当てながら言い切った。
「鍵がないと開かないぜ。何人か捻るかい」
「いや、それには及ばない」
廃屋を闊歩する大男。纏う雰囲気は明らかに堅気ではない。いや、言ってしまえばこの工場内で【起立している人間】に、きっと真っ当な人間なんかいやしない。だが、それでも、明らかに一線を越えている。
「クラウス、やりすぎるなよ」
「うむ」
頬に大きな傷をつけた長身の男。まるでガラスの靴で歩いているかのような足音を鳴らしている。
「まだ警察も踏み込んでないんだ、本当、ホント、やりすぎるなよ」
「う、む」
「っていうかスティーブンさァん、レオの阿呆はどこにいるンスか! こういうのって絶対アイツの仕事ッスよね!」
銀髪の男の叫び声に傷の男が頭を振った。
「お前また話を聞いていなかっただろ。レオはバイトだ。バイト」
「バイトってまたピザ屋の!? なにそれ、世界の均衡を守ることより近所のピザにデブ届けるほうを優先しちゃってるってことですかー!?」
「そっちのバイトじゃない。ヤツのバイトって言うのは──」
突如、身体を振動させるほどの音が轟いた。二人の男は慌てて振り返ると三メートルほどの岩が転がっていた。
「……すまない」
「……まぁ、やってしまったものはしかたがない」
よく見れば鉄板入りのコンクリートで、地下に向けられていた面にはドアノブのようなものもついている。推定二百キロの塊をまるで花束でも抱えるかのように丁重に扱う巨躯の持ち主。
さきほどまで纏っていた緊張的な雰囲気を脱いで、眉と気分とを落ち込ませている。
傷の男が地下に繋がる穴を覗く。薄暗い階段が底へと続いていた。
男はポケットからコインを一枚取り出して穴へと放り投げる。
四度、撥ねた。五度目でコインは床へ辿り着いたらしい。音の反響から察するにせいぜい十五階段。一般的な地下の位置と比較すればやや深いだろう。
「チンピラ集団にはもったいないギミックッスよね」
「防壁術式はなさそうだがな。僕だったら物置にもしたくない──が、彼らはそうでもないようだ」
立ちのぼる臭いに、三人ともしっかり気付いている。
この街ではさして珍しくもない、鉄臭いような、生臭いような、悪臭。
「クラウス、すこし待っていてくれ。僕とザップで中を見てくるよ」
「まかせた、スティーブン」
「あぁ」
するりと先陣を斬る傷の男は、スーツの肩口を汚すほどの細い階段を下りていく。その後ろを銀髪の男がライターの灯で照らしながら進んでいく。
「扉、扉だ。鍵は、掛かっていない」
「開けた瞬間に、ドガーン!! とか嫌ッスよー?」
笑えるな、とつぶやく男は無表情。
鉄が擦れる音と淀んだ空気を乱す風の流れとともに、一層血の臭いが濃くなった。腐っているわけじゃない、ただ【量が多いだけ】だ。
地下室は横に狭く縦に広い構造だった。両壁には三段作りのアルミ棚があり、それが大小のガラスのビンケースで埋まっている。
ライターの灯りで照らされたその中身は、ピンク色の塊。
肉の塊。
「レバー、ハツ、コブクロ、タン……あれってハラミッスか?」
「名称を挙げるな。見事に小分けされているな」
傷の男は睨むように棚を見渡す。
「六人分……か」
「そッスね。ご丁寧にラベルに名前まで張ってありますよ。誰から調べます」
「調べるのは誰かじゃない。ここに足りないものはなんだ」
「えー、んー、あ。皮っすね」
それもある、と。だが、と加えて。
それを告げる男の目はあまりにも冷めている。まるで全てを拒絶する氷のような瞳で、男は言った。
「血だ」
地下は行き止まりだ。もう一部屋隠されていれば、それで解決しそうではある。
──が、やはりそんな部屋はない。この地下保管室だけだ。
「これは、厄介なことになるぞ……」
◆ ◆ ◆
「我が偉大な演出家よ……疲れたわ、もう疲れてしまったわ」
とあるホテルの一室。
スイートルームよりさらに上、アパートメントであるペントハウスの寝室。
人型のシワを作ったふわふわのベッドからそんな声が聞こえてきた。
スイートにあたるその部屋はおよそ二十畳ほどだろう。その広い部屋には、二人しかいない完全プライベートな空間だった。
「いいぞ、しばらく休みたまえ」
一人は天を突くような大男だ。身長は三メートルほどだろうか。この街でもそれだけの巨体を持つ者は少ないが、彼は列記としたヒューマーだった。
そしてベッドから跳ね起きた人物もヒューマーの女性だった。
「本当!? 嬉しいわ!! デートに行きましょう!! あぁ、なにを着ようかしら!」
「楽しみにするのはいいが普段から服を着てくれ。嫁に行けなくなるぞ、ステラ」
「あはは、それはいいわね、そうなればテゾーロがもらうしかなくなるわ!」
裸体のステラはもう一度ベッドへ潜った。それだけで柔らかな掛け布団は少女をすっぽりと隠してしまう。
「私の嫁に? なるほどいい覚悟だ、一日三十時間のレッスンが待っているが、本当にいいのかね」
「聞こえないわテゾーロ! いまは都合のいいことだけ聞きたいのよ!」
彼女の疲れきった声を聞いてテゾーロは笑みを漏らした。
この街に着いてまだ三日目だが、一週間後までステラの予定は詰め込まれている。詰め込んだのはテゾーロだったために休憩時間を増やすことは造作もない。
「六時間ほど休もう、夜の番組はライブだからでなければならないな。今日も神の歌を頼むよ」
「神の歌!? まったくもう、わかってない、わかってないわ! 救いの歌よ! 私は歌で救うのよ!」
飛び跳ね睨みつけるステラの視線の先には、部屋に脱ぎ散らかされた彼女の服を丁寧に拾っていくテゾーロがいた。
「そういうことはカメラの前で言うんだな。私はスタッフに都合を伝えてくる」
「待って! 行かないで!」
「次の衣装は用意しておくから、六時間後には着た状態でいてくれよ」
大人の余裕をもってドアを閉める、薄ら笑いを浮かべたテゾーロを見ながら、ステラは憎々しげにつぶやいた。
「ずるい、ずるいわテゾーロ。衣装しか選んでくれないなんて!」
ボフン、と羽毛布団が人型に凹んだ。
◆ ◆ ◆
類稀なる歌唱力をもつ、年端もいかぬ少女が世界中の注目を集めるには、さほど時間はかからなかった。
歌だけではなく容姿と演技力もかね揃えたステラには、最高の相棒がいた。
演出家ギルド・テゾーロだ。
学生である立場を利用して、最高の設備で彼女のミュージックビデオを撮影。PVとカネを両手にもって最大手事務所に単身突貫。彼女がもたらす利益をデータ化し、事務所の上層部の全員をあしらうように説得してみせた。
その二年前から以来、彼女は大手を振って歌い続けている。
三週間に一曲のペースで新曲を披露し、活動開始一周年でアルバムを。二年目も過ぎようかという頃には、三枚目のアルバムとベストアルバムをリリース。彼女があげた動画は軒並み億を超える再生数を叩き出すという驚異的な記録だった。
歌はポップス、テクノ、ロック、レゲェなどの歴史浅い曲から、バラード、賛美歌、土地柄の歌謡曲など、多岐に分かれている。そのためアルバムの売り込みは落ち込むだろうというのが大方の予想だったが、それを助けたのがウェブに上げた動画だった。
彼女の曲のタイトルはおおよそロマンチックなものはない。
『ルチア』『フェデリカ』『ニコラ』『サンドロ』──など、イタリア系の人名が多い。
そして彼女の動画は、曲をBGMにその名前の人物と語り合うステラの姿が映っている。
その多くは病棟で、まるでお涙頂戴の感動悲劇で描かれている。と、ある評論家は苦言を呈した。
その直後、彼女は自身のSNSで反論した。
『勝手に悲劇にして見世物として食い物にしているのはあなたよ。
『あの子たちは誰一人可哀想なんかじゃない。
『人を愛し、私を愛し、自身を愛し、世界を愛しているわ。
『誰もそのことを知らないじゃない。だから歌うのよ。
『ルチアがどんな子だったか知らないでしょ。バスが好きなの。
『死ぬ最後のその瞬間まで、
『彼女は私たちと分け合った宝物のバスを握り締めていたわ。
『最後の最後まで彼女は幸せだったわ。
『私の歌を馬鹿にするのはいいわ。悔しいけどね。
『でもあの映像を、ルチアと作った歌を可哀想なんかで割り切らないで』
その文章は彼女の知名度も合わさって多くの人の共感を紡いだ。
文章の多くは校正されてずいぶん大人しいものになっていたが、それはステラとテゾーロしかしらないことだ。ともあれこの一件が彼女の動画を三十億再生に導いた影響であることには違いない。
ステラは真心で歌い続け、打算からサポートし続けるテゾーロの、この二人の関係はおどろくほど噛み合っていた。二人が多くの収入を望まなかったこともその一因だろう。
それでもステラにあやかろうと近寄ってくる不貞の輩は、募金という踏み絵で判別された。
そして去年、いや実際はもっと前から呼ばれていたあだ名だったのだろうが、彼女は《神の歌声》と称されるようになる。その名で呼ぶとカトリックでもある彼女は吐き捨てるように言うのだ。
「神は信仰するもので、成るものでも縋るものでもないわ」
テレビですら言うものだから、宗教関係者の受けは非常に良かった。
もっとも、テレビ的に美味しいからというテゾーロの一存でメディアには未だ《神の歌声》ステラと呼ばせ続けている。
そして不心得者のテゾーロは思っているのだ。
彼女ならば、本当に神になれるのではないかと。
ステラは世界を救えるのではないか、と。
「レジスタ、どうしました?」
「ん、いや、なんでもない」
テゾーロは見上げてくるスタッフに軽く応え、背広の胸ポケットから【タブレット端末】を取り出す。
「よぉニック、悪い、インタビューの予定はキャンセルだ。夜は何時に行けばいい? アハハ、そうさ天使が羽を休めちまった。人の身でそれを起こすには忍びない」
まず一人。
「テゾーロだ。担当者を頼む。…………。すまないな、撮影はキャンセルだ。夜テレビ局に来てくれ。休憩中に撮影しよう。衣装はどうする? あぁ、助かるよ」
これで二人。
「テゾーロだ。トレイシー、撮影はキャンセルだ。夜テレビ局に来てくれ。休憩中に撮影しよう。ダブルブッキングだ、お詫びに私服を着せていこうか? アハハ、いいね、なら私も久しぶりに筋トレでもしないとな」
三人目。
つぎが最後だ。とりあえずな。
「夜の会食なんだが少し遅れるかもしれない。いいかい? あぁ、そんなところさ。彼女が乗り気なら一曲披露するようお願いしてみるからさ。オイオイ、電話でそんな叫ぶなよ。あぁ、じゃあな」
電話を切って、笑いそうになった。
泣く子も黙るギルド・テゾーロが一人の少女に対してこの待遇。《グラン・テゾーロ》の部下たちが見れば失望するだろうが、心地よい充実感があった。
それは心の隙間が埋まったからか、それともステラの笑顔が見られるからか。
ともあれこれで下準備はいいだろう。スタッフともども休憩時間だ。
テゾーロは金の腕時計を確認してから、携帯の画面から近場で買えそうな土産物を検索する。そのおおよそがヘルサレムズ・ロッドから正規のルートでは持ち出せないものだったが、いくつかは通常の宅配便で国外にも対応しているものがある。放射線や有毒鉱物を含んでいるものすら対応しているのに、それでも持ち出せないものはなんだというのだろうか。
望ましいものはストラップやアクセサリーなど小物だ。イタリアに帰れば職人に名前などを彫るように指示が出せるので非常に楽である
目当ての店を見つけたテゾーロは、いくつかのストラップとキーホルダーを購入して紙袋に詰めてもらう。
道中一度だけ恫喝を受けたが、ぶん投げるという紳士な対応力で解決した。身長三メートルのテゾーロに声をかけたのは同じ程度の身長の、人型亜人である。亜人と言ってもヒューマーではないというだけで、ヒューマーと比べて劣っている身体機能は一つもないだろう。せいぜいヒューマーの美的感覚で見れば醜いと言ったところか。その巨大な四本腕のバケモノをテゾーロは片手で空高く放り投げた。
それ以降は声をかけられることもなく、土産を購入してからいくつか我が姫の気に入りそうな洋服を見繕う。【約束の時間】まで、もう少し空いているのだ。
ホテルに戻ると、ロビーで揉め事が起きていた。
一級ホテルに相応しくない輩と、それを摘み出したいホテル側、といった様相である。
(……魚人?)
「だから! 本当なんですってば! 仕事できたんです!」
「そう言われましても、そのお客様との連絡がとれないうえに、その、お連れ様は……」
ホテルマンと言い争う細目の少年の少し後ろ。
人の形をしているものの、明らかに人間とは異なる風貌をしている。
まず目に付くその肌質は、弾力のありそうな青緑の半透明な皮膚。筋肉質の両腕からは魚のヒレ骨のような棘が生えている。極めつけは、まるで昆虫のような触覚だ。
グランドラインの魚人島に連れて行っても浮いた存在になるだろう。
とは言っても、この街ではそれほど悪目立ちするわけではなく、身長が三メートル近くあるテゾーロと比較すれば【人間っぽい】部類だろう。
であれば、このホテルマンが渋っている大きな原因は一つ。
「五つ星ホテルと聞いていたのに、その【顔】たるフロントが人種差別かね?」
細目の少年とホテルマンが影に覆われる。
テゾーロが近づいただけなのだが、彼が放つ圧迫はチンピラが睨みを効かすのとはわけが違う。
「キミ、荷物を頼むよ」
ホテルマンに荷物を渡す。慌てて抱えるホテルマンだったが、両腕が回らないほどの量だ。その場で動けなくなるホテルマンを放置したテゾーロは、細目の少年と魚人の男性にアイコンタクトをして、ラウンジへ向かった。
「ワインとジュース、それに……塩が入っていたほうが好みかな?」
テゾーロはラウンジのウェイトレスに注文しながら魚人の男性に聞いた。半分はジョークのつもりだが、もう半分は本気だった。
「いえ、水で大丈夫です」
「ぼ、僕も! その、ご迷惑をかけるわけには!」
「気にするな。仕事を妨害している侘びだよ」
「キミ、水も」と注文を追加してソファーに腰掛ける。椅子もあったが、それは小さすぎてテゾーロは座れなかった。
「このホテルは紐育時代から建てられているせいかヒューマー専用を謳っていてね。安全面と見栄えでは申し分ないが、品性が足りない。私なら星三つ、減らすかな。なんにせよ、揉め事は見て見ぬ振りはできない立場でね。キミたちの仕事を中断させてまでここに座ってもらっている。……言い訳が長すぎたかな」
おどけた表情でテゾーロは両手を広げた。
その仕草に緊張の糸が切れたのか、少年は大げさに息を吐いた。
「正直助かりました。アポイントはとってあるので、このラウンジで待たせてもらうだけで良かったんです。まさかこんな有名ホテルとは思わず、正装しなかったこちらも悪いんですけど……はぁ……」
二度目の溜息が吐き出される。
「たしかに、せめてタイはつけるべきだな。キミのほうは……どうだ、こんど舞台に立たないか?」
「舞台?」
魚人の目が細められる。それを見てテゾーロは手を叩く。口角がいやらしく上がっていた。それまるで獲物を捕らえる狩人のように見えた。
「いいねぇその表情。無表情なのに表情豊か。声も良い。私はこう見えても演出家でね。いまは一人の女性につきっきりだが、その女性がもしほかの道に進むときには、キミにオファーを送りたい。どうかな」
「ツェッドさんスゲー……僕スカウトとか初めて見ました……」
「彼の冗談でしょう。たとえ本気だったとしても、仕事の都合上無理ですね」
ツェッドと呼ばれる魚人は肩をすくめて言い切った。
ウェイトレスが持ってきた飲み物に手をつけながら、テゾーロは苦い顔をする。
「フラれたか。まぁいいさ、先の話だ。ところで、二つ聞きたいことがあるんだが、いいかな?」
「なんでしょう」
「一つ目は、キミらの約束の相手はまだ来ないのかい? そしてもう一つは──」
少年に向けられた金色の腕時計が、カチリ、と三時を指し示す。
「私もこのラウンジで待ち合わせをしているんだが、奇遇だとは思わないか?」
三時の鐘が鳴り響く──。
「──さァ、仕事の話をしようか」
「……まずはお名前から。僕はレオナルド・ウォッチ。こちらはツェッドさんです」
「ツェッド・オブライエンです。礼を逸しました。すみません」
「こちらこそ、からかうような真似をしたな。確証はなかったんだ、許してくれ」
レオナルドは安心したようで、嬉しそうに笑っている。ツェッドは笑みもなく真っ直ぐにテゾーロを見上げていた。その真っ直ぐさは、眩しかった。
「ギルド・テゾーロ。テゾーロかレジスタと呼んでくれ、みんなそう呼ぶ」
「レジスタ?」
「演出という意味さ。さっきも言ったが私は演出家だ。こう見えても、ね」
大木のような腕と、首、そして壁のような胴体だ。異界からやってきた戦闘種族もかくやと言わんばかりの体格だが、文系で押し通すようだ。立派な力技である。
「護衛対象の説明はあとから行う。交換要員か、あるいは一人護衛に加えて欲しいのだが、いいかな」
「僕たちだけでは不安でしょうか」
──不安はある。とくにレオナルド少年は非常に弱々しい。悪魔の実を手に入れる前の、チンピラだったテゾーロですら片手で倒せるだろう。魚人のほうは未知数だが、不安を捨て去るほどの力量かは判断できない。
もっとも、彼の提案はそれ以前の問題だった。
「護衛対象は女性だ。護衛に女性がほしい」
「あ、そうですよね。もう一人護衛がいまして、女性の方です。今日は体調を崩してしまっていて……」
レオナルドの発言で更に不安を煽られたのだが、それを愚痴で語るのはあまり品がない。
「そうか。こちらの事情はどこまで?」
「えーっと、その、護衛任務にあたっているスタッフがいるから、彼らと協力して脅威を打ち払うように、と」
ふむ、とテゾーロは鼻を鳴らした。
つまりなにも伝わっていないということだ。
それはそれで構わない。状況確認より優先すべきことは多岐にわたるのだ。
「そちらのリーダーは誰だい」
「来ていません。護衛リーダーということなら、一応、僕がそうです」
レオナルドの言葉にテゾーロの目が細められる。どの角度から見ても彼は弱そうだった。なにかの能力者だとしても貧弱すぎる。
その考えを見透かすように、ツェッドがテゾーロに発言する。
「彼はある意味、僕たちチームの切り札です。とくに【外】から来た人類にとって彼ほど頼りになる存在はないでしょう」
テゾーロは笑うように鼻を鳴らせる。
レオナルドを一瞥するテゾーロの視線が気に入らず、ツェッドはさらに言葉を重ねた。
「彼は【目が良い】んです。度胸もあるし柔軟だ。さきほど挙げた女性の護衛者は、ベテランではあるが潜入向きの人物です。外ならまだしも、この街での護衛ならばレオ君の能力は頭一つ分抜けている」
テゾーロが見下ろすも、レオナルドの【底】は見えなった。だが、テゾーロの視線を受けてそれを見返す度胸というものは好感がもてた。そして手汗を拭う仕草も悪くない。臆する気持ちを意思でねじ伏せる根性は、たしかに稀有な力だ。
「ではリーダー。これを見てくれ」
携帯端末のフォルダから一人の女性が映った画像を写す。
タブレット端末の画面には、柔らかな笑みの、妙齢の女性が映っていた。女性の腕の中には、年端もいかぬ子どもが抱かれている。
「この人が?」
「名前はステラだ。フルネームはあとから話そう」
「……この写真は、テゾーロさんが?」
「そうだ。連写でね、よく撮れているだろう? 可愛い子でね、カメラを向けるとえくぼが──」
「……レオ?」
レオナルドはすでに写真を見ていない。半開きの口を隠そうとせず、テゾーロを見ている。いや、彼の意図を見ようとしている。
「どうしたのかな?」
「……テストは、これでおしまいですか?」
唐突に切り出されたその言葉に、今度はテゾーロが口を開けてしまった。ゆっくりと口角が上がり肩は震えだす。
そののちの哄笑。
ラウンジにいる全員がテゾーロをぎょっとした表情で見ることになった。
「なるほど、なるほど! いいね、なんでわかった! いやいい、そうだな、合格だ。いやはや、これは驚かされた」
「どういう、こと、ですか?」
ツェッドは二人に置いていかれたことを理解したのだろう、キョロキョロと二人を見比べる。
「この携帯端末でこの画素数の写真は撮れません。そして写真の【高さ】が合わない。撮ったのは別の人物で、きっとこの人はステラさんじゃないか、護衛対象がステラさんじゃないか、どっちかだと思います」
「無粋な種明かしは控えてくれたまえ。ははは、これでも最近使い方を覚えたんだ。バレないと思ったんだがなァ」
無論どちらも偶然で片付けられる話だが、偶然が重なりすぎる話より、単純に自分たちが試されている可能性を踏んだということだろう。テゾーロはいまだ肩を震わせている。
「キミたち以外の二チームは騙せたんだがね、さすがに、この程度も見抜けないようなヤツらに用は無い。ファインプレーだったなツェッドくん」
「僕? えっと、なにが……」
テゾーロは「一応のリーダー」という輩など、実力があっても弾いていただろう。そして「一応のリーダー」であれば、違和感を見逃していたはずだ。レオナルドに自覚を持たせたのはツェッドのレオナルドに対する信頼感だと彼は気付いていた。
あの短い間に、あの短いセリフで?
「エンターテイメンツ」
口の中で転がすようにつぶやく。幸いにして誰にも聞こえなかっただろう。
「さて、詳しい話をしよう。上に行こうか」
そも、公衆の面前で護衛対象の話などご法度だ。誰を護衛しているかわかっていたとしても、【誰がどのように】護衛しているかを襲撃者に悟られてはけない。
エレベーターで最上階のスイートへ向かう。そのエレベーター内でテゾーロは質問をした。
「キミたちは教皇庁の直属なのかね」
「キョウ、コウ? なんですそれ」
レオナルドは首をかしげ、ツェッドは肩を竦めた。
「組織名だけは教えてもらえなかったんだ。秘密結社かなんかなのかキミたちは」
「あー、その。キョウコウチョウなる組織はわかりませんが、僕らの組織については知らなくていいと思いますよ! 大丈夫、仕事はこなします!」
「仕事は信頼関係だよ少年。秘密主義にはフリーになってからなるべきだ」
エレベーターから降りたテゾーロは、先導してスイートを歩いていく。ここは【ワンフロア】なので迷う可能性すらある。
「私の一番星! お客さまだぞ、挨拶をしておくれ」
ベッドルームをノックしながらテゾーロは呼びかける。──が、反応はない。
「お転婆姫、服を着て返事をしてくれ、開けてしまうぞ」
「あの……テゾーロさん……」
レオナルドはおずおずと言った様子で、テゾーロに話しかける。それをテゾーロは強いノックの音で掻き消した。具体的に言えば、扉に軽い頭突きをしたのだ。
「わかっている。言わなくていい」
人の気配が、しないのだ。
この場にいる三人は、それぞれが修羅場と呼べるものを潜ってきている。多少の緊張感があれば周囲の気配を察することも大なり小なり可能である。
その三人が、こと戦闘においては圧倒的戦力となりえるツェッドさえも、人の気配を察知していない。
「入るぞ」
ドアを開け、少し屈みながら部屋の中に入る。
閉まったままの窓。ベッドの上に並べられた洋服群。そしてテーブルの上の書置き。
『お散歩に行きたくなったわ あなたの一番星より』
テゾーロは携帯端末からステラに向けて発信するが、枕の下で振動する、可愛くデコレーションされた端末を見つけて目頭を押さえた。
追跡アプリを起動させるが、端末、洋服、靴、鞄、アクセサリーの全てが空振りである。
「さぁて、レオナルドくん。さっそく仕事を与えよう、一時間以内に見つけてくれたらボーナスだ。いけるか」
飄々とした態度から一変、テゾーロは眼光を携えレオナルドを見つめる。
レオナルドは首が痛くなるほど見上げたまま、大きく頷いた。