「ひどい! ひどいわテゾーロ!!」
ペントハウスにステラの大声が響き渡った。いつもは少しからかうような言い方をする彼女の声に強い怒気が含まれている。目尻に涙を浮かばせるステラに対して、レオナルドはなにも言えずに頬を掻いた。
一方のテゾーロは携帯端末の受話器口を押さえながら、ステラと視線を合わせるために屈んでいる。
「いや、しかしだな。これは……予定外なんだ。わかってくれ」
レオナルドからすれば、それは初めて見たテゾーロの狼狽した姿だった。ステラが行方不明になったときですらここまでの慌てようではなかったと思う。
朝、レオナルド、ツェッド、チェインが二人の部屋を訪ねてしばらく、朝食を終えたテゾーロに一本の電話が届いた。
その日はヘルサレムズ・ロッドにおけるステラの唯一の休日であり、そわそわと落ち着きのない彼女はテゾーロが席を外したときからチェインに服装を相談していた。昨日もチェインは深夜まで捕まっていたが、それでもまだ悩んでいたようだ。
「メイクに用意してもらったの! どう? 似合う?」
「うん、可愛いね」
と、とても大人しくステラに同意するチェインの顔に疲れはなかった。はたから見ていたレオナルドには、二人が本当に仲の良い姉妹のように映っていた。
テゾーロの大声がペントハウスに届いたのは、彼女の服装もほぼ決まりかけたときだっただろう。
「そんなわけあるか!! 確認しろ!!」
常に余裕綽々としたテゾーロが発した声だと認識するまでにすこし時間が必要だった。
彼は端末を耳に当て苛立った様子で自身の寝室に入っていく。その間にも電話口と言い争いのような言葉を吐いている。
「──ありえるのか!
「──巨人族でもいるのか!
「──中はどうなってる!」
そして、その言葉がステラの耳朶を震わせる。
「──もういい!! 私が直接行く!」
ステラはそれに対して非難の声を上げたが、テゾーロは膝を折って嗜めるに留めた。彼女は理由さえ話せば理解してくれる理知的な女性だと知っているから。
「ステラ、コンサート開催の危機なんだ。会場が【踏まれた】らしい。周囲がとくにひどくて──」
それ以上の言葉をテゾーロは続けられなかった。
彼女の目に溜まる涙が、続きを言わせてくれなかった。
「明日は?」
「……撮影とテレビがある。空き時間は二時間程度だ」
「明後日は?」
「スタッフ入り日だ、説明だけで半日潰れる。なァ、ステラ、少し様子を見てくるだけだ。昼前には戻ってくるさ。それまではツェッドくんたちに案内してもらってくれ、私もすぐに追いけるさ」
正直に告白すると、レオナルドはその話を聞いたときは「運がないなぁ」程度の感想しか出てこなかった。【踏まれた】となれば犯人は十中八九《世界最大の個人》ギガ・ギガフトマシフ伯爵だろう。ちなみに巨人族は存在するし、テゾーロは人類より巨人に近い。
だが、今日くらい遠慮してほしいものだったが。
ステラはテーブルの上に置いてあった一枚の紙を握りつぶすように丸めると、袖で涙を拭った。
「ステラ」
「いいの。もういい。怒ってごめんなさい」
「違う、謝るのは私だ」
まるで壁を挟んだかのように踏み込まない二人。
テゾーロは立ち上がると、ステラに向かって「行ってくる」と。レオナルドに向かって「ステラを頼む」と。そう言って部屋から出て言った。
「……ステラさん」
「ん。泣いてないわ」
「いや、誰も言ってねぇッス」
「そ」
ステラは自身の携帯端末を取り出して電話を掛けた。発信音は一コールもなく、即座に会話が始まった。
「テゾーロ! お昼に戻ってくるなんて言わないで! 夜までかかったっていいわ! 一人でも多くを救いなさい! 瓦礫の隅々まで確認すること!! 良いわね絶対よ!! 私より優先させていいのはそれだけ! 絶対だからね!」
通話を終了させたステラは、靴を脱ぎながらソファーに座った。
「はぁー……。疲れたわ。怒るってすごい疲れるわよね」
ステラは丸めた紙をダストボックスに向かって投げたが、それは大きく外れて壁際を転がった。ツェッドがそれを拾おうと立ち上がったが、ステラが止めるように彼の腕にしがみつく。
「あのままでいいの。ほら、テゾーロって意外と几帳面だから」
彼女は、いつも歯を出して笑うのだ。
ステラは立ち上がってツェッドの手を引いた。ツェッドが立ち上がることで、引き起こされたような錯覚に見える。
「ねぇ! どこにいく!? 今日は自由の日なの!! 丸一日なんてすごいわ! あなたたちのおかげなの! 護衛ありがとう、いつもわがまま言ってごめんなさい!」
「強いんですね、ステラさん」
「弱いわよ! レオにも負ける自信があるわ!」
「弱いって見抜かれてる……」
本来の予定を大幅に変更し、休日を満喫することになった。
◆ ◆ ◆
テゾーロ用に改造された白いキャデラックリムジンは、普段乗らない一般スタッフを五人ほど追加して走っていた。
その五人は、ステラの叱咤を通話越しに聞いていたため、テゾーロを気遣う様子が窺える。それにテゾーロは手を振って応えた。
「すみませんレジスタ……」
「気にするな、お前が踏み潰したわけじゃないだろ。それより誰かが巻き込まれていないことを祈るんだな」
救出活動なんて、それこそ一日かかっても終わりはしない。テゾーロが苦笑する様子を見せたので、周りのスタッフの緊張は幾ばくか解けただろうか。それを見て、彼は切り出した。
「とにかく二次候補に連絡を取ってくれ。会場がなくてもオープンテラスをステージに変えてしまうお姫さまだ。用意できませんでしたは理由にならんぞ。
「搬入していた機材もあったが、予備の確認もよろしくたのむ。
「【ハコ】がもし使えるようならそのまま使う。ほかのチームも行うだろうが、私たちでも独自に安全チェックを。
「とくにステージと舞台裏。本番でステラに照明が落ちてくるなんてベタな演出は私の台本にはないぞ。
「確認し次第、チケット購入者にメールするんだ。前日にも送るよう手配してくれ。違う会場になった場合チケットは払い戻し可能にするんだ。
「最後にもう一つ。
「人命最優先だ。なにが起こるかわからん街で、踏み潰された会場に行くんだ。気をつけろよ」
幸いにして、劇場が踏み潰されたのは深夜未明とのことだ。巻き込まれた民間人がいたとしても浮浪者がせいぜいだろう。浮浪者だからといって助けない理由にはならないのだが、それでもなにかしらの公開時に【それ】が起こっていたことと比べれば幾分安心できる話だった。
「自分より優先させていいこと、か」
三年前、なにかにつけて癇癪を起こしていた少女は、いまや立派な大人だ。
テゾーロは鼻を鳴らすように笑った。
◆ ◆ ◆
「うわぁ美味しい! 美味しいわこのハンバーガー!!」
口元を汚しながらジャンクフードにかぶりつく《神の歌声》と呼ばれる少女を見ながら、その店の店員が冷や汗を流している。
「レオ、レオ、あの子ってアレよね、アレよね?!」
「ノーコメントです……」
ライブラ見回り組の憩いの場、紐育時代から現存する【ある意味】歴史の深くなったハンバーガーショップで、四人は向かい合いながら座っていた。
ステラはツェッドの胸元に収まりそうなほど彼に密着して、ツェッドは辟易する様子もあったが、それでも彼女の汚れた口元を甲斐甲斐しく拭う。
それを見ていたチェインが、堪えきれずに口元を押さえて笑ってしまった。
「あなたたち、兄妹みたいね」
「ならチェインがお姉さんね。私もそんなおっぱい大きくなるかしら」
「なななナナナっ!!」
さきほどまでの余裕はどこへやら、一瞬で大人びた表情を崩して手元のコーヒーを零すチェイン。
「はいおねーちゃん。これで拭いてね!」
おしぼりを渡しながらさらにチェインに畳み掛けるステラは、レオナルドをじっと見る。
まるでテゾーロのように鼻で笑うステラ。
「レオは弟ね」
「なんでだよ! 年上だわ!」
「えー! 私が末っ子じゃない! いやよそんなの! あ、でもレオは年下の扱いに慣れてるわよね。妹? 弟?」
「妹だよ。そういえば、ステラさんと同い年だね」
やっぱりー、と彼女は笑った。
家族の話をするくらい、この《神の歌声》の姫君と仲良くなっていたのかとレオナルドは改めて感慨深い思いに浸る。
というよりこれ以上この街のどこを案内すればいいのかわからなくて困っているのだ。
時計を見ればまだ十一時を超えた程度で、彼女が満足するには時間が余りすぎている。かといって、この目立ちすぎる護衛対象者を引き連れて霧の中を歩き続けることには不安が残る。
「クラウスさんでも呼べればなぁ」
「あ! またクラウス! 何度か名前聞いたことあるわ! ミスタースティーブンはあの背の高い、傷の綺麗な男の人よね」
傷を指差して綺麗と言う人物にはなかなか会わないが、目の前の彼女はそういう人種だった。本人が指摘すれば「いやだった?」と首をかしげるので性質が悪い。
「クラウス、ミスタークラウス。会ってみたいわ。あなたたちのリーダーなのよね?」
「えぇ。本人曰く、護衛に適してないから会うことはないだろうとのことでしたが」
「あの銀髪の人がミスターザップで。眼帯の女性がミセスK・K」
「銀髪の男は類人猿よ。脳味噌がない猿にミスターはいらないわ」
チェインの嫌そうな声に、ステラは足をばたつかせながら喜んだ。
ひとしきり笑った彼女は、鞄からヘルサレムズ・ロッドのガイドブックを取り出した。いくつか色とりどりの付箋が貼ってある。
「コンサートが終わっても一週間滞在期間があるわ。そこからは仕事じゃないから好きに回りたいの。まぁ仕事も入れられちゃうけどね」
どこかつまらなそうに観光本をめくる彼女を見ていると、レオナルドのポケットで携帯端末が鳴った。スティーブンからの通話着信だった。
通路側に座っていたレオナルドは断りを入れてから立ち上がった。
その隙を狙うように、店員の女性がサインを求めてレオナルドの席に座った。マグカップと色紙をちゃっかり用意している。
「はいもしもし」
『仕事中すまないな、こちらも非常事態で、少し目を借りたい』
「あー……」
サイン色紙を贈呈するステラの笑顔に、どこか後ろ髪を引かれる。
「……はい、わかりました」
それでも、僕はライブラのメンバーだ。
この【義眼】が世のためになるのならそれに従うべきなのだ。
『安心しろ、二時間程度だ。チェインとツェッドがいればそれくらい大丈夫だろう』
「ですね。二時間離れるのならライブラまで案内したいんですけど、大丈夫ですか?」
『ふふ』
「なんですか?」
普段は聞けないスティーブンの含み笑いに、どこか不安になる。
『なに、しっかりリーダーしていると思ってな。いいだろう、許可する。ただし出入りには細心の注意を』
「はい」
通話を終わらせたレオナルドは、ステラにこの街でもっとも【どぎつい】場所を紹介することになった。
「美味しい!! わぁ!! えへへ!! 美味しいわ!! ギルベルト。こんな美味しい紅茶は実家でも味わえないわ。一瞬でファンになっちゃった! あなたが私の執事になってくれたらもっと頑張って歌えるのに! 傷は痛いのかしら?」
「希望に添えず申し訳ございません。傷は大丈夫ですよ、ミスメディチ」
「ステラでいいわ。あなたは一流を超えているのね。うらやましいわ、ミスタークラウス。会ってみたかったけど、外出してるのね、避けられてるのかしら」
優雅な二人を尻目にツェッドは水槽に水を張っていた。待ち時間を潰すにあたって、このオフィスに娯楽は少ない。なのでステラの要望の一つ、「浮いているツェッドが見てみたい」を叶えることにしたのだ。
もう一つ「昼から酒を呑んでみたい」という仕事に疲れた中年めいた発言もあったが、それは黙殺された。
「ありがと、ギルベルト。下がっていいわ」
「なにかあればお呼びくださいステラさま」
紅茶を一口含むたびに、ほうと声を漏らすステラを見ながらチェインは言った。
「本当にお姫さまみたいね」
「家のおかげでマナーには詳しいわ。守っているとは言えないけどね!」
それでも、さきほど大きな口でハンバーガーを食べていた彼女と、現在姿勢を正して紅茶を飲む彼女の様相の差異は深すぎる。
「ギルベルトのせいよ。あの人の前でかっこ悪い姿は見せられないわ。欲しい、欲しいわ。ツェッドの次に欲しい」
「好きだねぇ」
「どうにかしてお持ち帰りできないかしら。クローンでもいいのよ」
神妙な声にチェインはステラの本気を感じ取った。普通に趣味が悪いと思った。
「ステラさま、ミスターオブライエンの準備が整いましたよ」
「本当!? 楽しみよお魚さん!」
ソファーから駆け出しそうになったステラは、開け放った扉を押さえて待っているギルベルトの存在を思い出して、たたずまいを正した。二人はそんな彼女を微笑むように見送った。
ギルベルトに案内されたツェッドの部屋に入ると、大きな水槽があった。水槽の中には上半身裸のツェッドが浮いている。ステラは一目散に走ると水槽に張り付き、水中を浮遊する彼を見ながら笑い出した。水族館にこんな筋肉質の生物がいれば間違いなく逃げ出すのだが、彼女は近づいて話しかけるのだろう。
「ここから登れるの?」
仕事でなければ仲間の裸など見たくはないチェインであったが、いまは護衛中だ。ステラに頷き返して、ツェッドから視線を逸らした。
ステラは併設されていた階段を駆け上り、水面からツェッドに手を振る。
『あぶないですよ』
ツェッドの口の開きからよほど大声を出したとわかったが、その声がステラの耳に入るころには水に干渉され震えるような水の音になっていた。
これはショーにも使えるなとステラは考える。それだけ艶のある声だった。
ステラは口元に両手を添えて叫ぶ。
「私の声は聞こえるのー!?」
ツェッドは水中で頷いたので、ステラも嬉しそうに笑うのだった。彼がどんな音を聞いているのだろうかと想像するだけで胸が躍りだす。
ステラは辛抱溜まらずといった具合に上着を脱ぐと、ツェッドは慌ててそれを止めるために水面に飛び出した。水しぶきが彼女の足元を濡らすが、まったく気にする様子はない。未来は簡単に見通せた。
「ダメですよ」
「えー! ケチケチ! 水着があればいい?」
「あってもダメです」
「泳ぎたい気分なのよ?」
ステラは部屋の端に立つチェインに甘える視線を投げたが、チェインはそれに首を横に振るだけで応えた。紅茶を用意してくれているギルベルトにも視線を送り、彼はすぐに気がついて言った。
「三対一ですな」
「分が悪いわね。アウェーよ。敵地ねここは」
階段の手摺りに投げた上着を取ろうと身を翻した彼女だったが、突如視界が一転した。
──転んでしまったのだと気付いたときには、すでに上半身が水槽の中で溺れていた。
冷たいし、すこししょっぱい。
図らずも泳げたステラは、そんな感想を抱いていた。靴の中まで水浸しになったところで、ツェッドは彼女を救い上げて階段部分まで水中から持ち上げていた。
「大丈夫ですか?」
水が怖かったのか、ステラは茫然とするように、ふるふると震えている。なんども自分のアクセサリーに触れながら、うめくような小さな悲鳴をあげていた。
「私……いま、飛び込んでしまったわ」
「知っています。水を大量に飲んだりしていませんか?」
彼女の顔に髪が張り付いて表情がまともに見えない。さきほどまで泳ぐつもり満々だった少女だ。水が怖いというわけではないだろうが、彼女は桟に座ったまま硬直するように震えている。
ステラの金髪を掻き分けると、彼女の顔は青ざめていた。チェインとギルベルトともそれを確認したのか慌ててタオルを投げて寄越したが、ステラはそれをひらりとかわすと、隣の部屋の自分の荷物に向かっていった。
「アァァァァアア!!! アイロンしかないいぃぃぃぃ!」
絶叫。
切羽詰った声なのに、零れた単語は非常に女性らしいものだった。
「ドライヤーはない!? すぐ乾かしたいの!!」
自前のタオルで【なにか】を包んでいるステラは、絨毯に滴る水滴などおかまいなしに歩き回っている。タオルの中からは軽い金属の擦れる音。
「雨に濡れて、はダメよね。あああぁぁぁ怒られるわ、ねぇツェッド、あなたが水をかけたことにして!! 顔の形が変わるかもしれないけれど、許してくれる?」
「いったいなんの話なんですか……?」
ステラの慌てぶりにすっかり取り残された三人ではあったが、彼女が何度かタオルを開いて空気の入れ替えをすることで理由がわかった。
「アクセサリー濡れちゃったの?」
「ただのアクセサリーじゃないのよ! テゾーロの手作りなの! 手作りというか悪魔作りね! あはは! 神さまに怒られそう!」
怒って笑って忙しそうだがギルベルトが持ってきたドライヤーの温風を、ネックレス、ブレスレッド、指輪、イヤリングに当て始めて静かになる。
「……ねぇ、形歪んできてない?」
「えぇ、そうよね、そうなのよね……」
そこでチェインの額に汗が浮かぶ。
ティーンエンジャーでもっとも有名なこの少女が、五万ドルを素知らぬ顔で手渡す男の近くにいる女の子が、熱風くらいで歪む安物を身につけるだろうか。
──否。
そして、彼女が身につける四点はすべて金色。
ドライヤーの熱で歪むほどの強度の、金色の石。それはつまり、詰まったことになる。
彼女は震える声でステラに聞いた。
「もしかして、それって、純金なの……?」
「そうよ。ねぇこれ大丈夫? 大丈夫かな? ダメよね。あぁどうしよう、次のツアーは中止だわ! またひと月実家でのレッスンよ!! 謝る練習をしなきゃいけないわね! この前は失敗したの! 言い訳をしたらとても怒られたわ! ねぇ助けてツェッド!!」
「謝るお手伝いはしますが、歪ませたのはステラさんでは?」
「違うの! 濡らしたことを謝って欲しいの!!」
濡れた髪を振り乱して、彼女は床に突っ伏した。
ギルベルトの視線を気にして態度を改めた貴族の姿はそこになかった。
「テゾーロもずるいわよ! いつもは知らん振りのくせに! 【コレ】だけは本当に怒るの! あ、思い出したら腹が立ってきたわ! 聞いてよミスチェイン! テゾーロったらザップが見せていた写真の女に鼻の下伸ばしていたのよ! おじさんのくせに! 私の前では女性に話しかけられてもクールぶっていたのに、きっと影ではちょっかい出していたのよね! そういうことよね! でもそれは理由にならないわよね! どうしよう!」
ツェッドとチェインは視線を合わせて肩を竦ませる。
多感な年齢なのだろうが、いくらなんでも情緒不安定すぎる。典型的なストレスに弱い女性がそこにいた。
「とりあえず説明してちょうだい、次第によってはちゃんとミスターにとりなすから」
「本当!? さすがチェインは頼りになるわ!」
濡れたまま抱きつかれそうだったのでおもわす存在希釈で避けてしまったが、それでステラが興奮状態になったことは言うまでもない。
◆ ◆ ◆
人通りの多い大通りを、ステラとツェッドとで並び歩いている。ステラは朝の女性らしい服装からは一転、いまは見覚えのある黒いジャージを着込んでいた。
「レオにもお礼言わなきゃね」
彼女はツェッドを見上げてつぶやいた。どこか憔悴した様子の少女の手には金色のアクセサリー。ネックレスの星は大きく歪んでいるが、それ以外はアクセサリーとして申し分ないものだろう。
チェインは先行してレオナルドと合流する公園へ向かっている。そこでツェッドの隠していない芸を見せるサプライズもあるが楽しんでもらえるだろうか。護衛に専念するため無精していたので、ちょうどいいリハビリも兼ねていた。
「ジャージって初めて着たけど良いわね! 動きやすいわ!」
早駆けになった彼女は、踵を中心にして反転のターンを決めてみる。
「ダンスも得意なのよ? こんど見せてあげるねー」
「楽しみにしています」
「ツェッドの知り合いのおじさまは、いつごろ会えそう?」
「実はライブに呼んであります……。終わったあと会えるのであれば娘さんも喜ぶかと」
「ふーーーーん? ねぇ、その人のこと好きだったりする?」
言われて、ツェッドは顎に手を当てた。
「考えたことはあります。やはり見た目というのは重要で、僕は生まれつきでしたが、彼は──」
「違う違う違う!!」
ひとしきり笑ったステラは話題を変えようと周囲を見渡した。
「あれ?」
「どうしました?」
「視線を感じたわ。まるで歌っているときみたいに」
ツェッドも辺りを見るが、視界内に違和感はない。たが人通りが多いのでステラに気付いている一般人も少なからずいるだろうと警戒を強めた。
その矢先、前方の一人の人間が、ステラに手を振ったためツェッドは一歩彼女の前に進み出る。
「わぁ! 久しぶりね! 元気だった? 病気は大丈夫?」
「あぁ、すっかりね。大丈夫さ」
「ツェッド、【カレ】は友だちなのよ!」
ツェッドを見上げて笑う彼女は、彼の瞳に映る明確な敵意に気付いた。
「ツェッド?」
彼は彼で困惑している。ソイツが纏う濃厚な死の気配は感じ取れるのに、外見からは見た目通りの情報しか得られない。
ツェッドは【カレ】に近づこうとするステラの腕を掴んで引き寄せた。
必殺の想いで睨みつけるが、その視線を受けてすら男は余裕の表情でステラを見ていた。ツェッドを視界にすら入れていない。
「近づいてはいけない。ソイツからは血の臭いがします」
「……わからないわ。あれ、あなた、眼の色が変わっているわ」
血、と言われてステラもやっと警戒を表に出した。そして行き着いた先が【カレ】の瞳だった。
「緑ね……。えっと……なん、で?」
「キミに言われてね、改良したんだ。グルメのやつらが【食べたがる】から【使わなかった】んだけど、せっかく【映るようになった】のに目だけ【映らない】んじゃモッタイナイじゃないか」
その不穏な言葉の並びは──。
ツェッドは横目でショーウインドを見て男の姿を確認する。映っている。あたり前だ。【あんな存在】が、よりにもよってここにいるわけがない。
そう否定したいのに、心の奥から早鐘のような警鐘が鳴らされている。
「逃げてください!」
「でも──」
「逃げろ!!!」
周囲の人間も何事かと足を停め、いつの間にかツェッドの手に握られていた三つ又の赤槍を見て逃げ出そうとする輩も多い。それに紛れて逃げてくれれば。
「《キバ狩り》ィ!? 聞いてねーよ!!」
──後方からの声。
そして、その単語の意味するところは。
手加減無用の、激闘必須。
状況は二対一。時間がほしい。彼女を逃がす時間が!!
「《斗流血法 刃身ノ弐 空斬糸》」
三叉の先から放射状に赤い糸が周囲に張り巡らされた。
幾本も周囲の建物にへばりついては、糸と糸が補強しあうように繋がっていく。
「《龍搦め》!」
糸に引かれるように建物から崩れた瓦礫がツェッドとステラに押し寄せる。ステラは逃げ出せもせず端末を握り締めたまま震えていた。
ツェッドは前方の男と自身の間に大きめの瓦礫を引き付けると、背後の男を確認した。
ニヤニヤと笑う細身の《血界の眷属》が一人。さきほどの【カレ】同様、男か女かわらかない眉目秀麗な見た目だった。
そこで気付く。
その男の近く、【もう二人】、逃げていないのだ。
「伏せろ!!《斗流血法 シナトベ 刃身ノ参拾六 月輪剣》──奥義」
ツェッドの周囲に輪の形をした巨大な刃が次々に形成されていく。同時に、自身の身体から血液が抜けていく感覚に襲われる。だが、集中力でいえば過去最高かもしれない。この状態でなら、最大出力で放ってもステラが傷つくことはない。
そして敵も良く見える。やはり三人は余裕の表情でこちらを見ていた。致命傷は不可能だろうが、【映らない】化けの皮は確実に剥いでやる。
《
ツェッドを中心にしたその嵐は、周囲の瓦礫を吹き飛ばしながら急速に広がっていく。ビル一棟なら跡形もなく切り崩すその剣戟は、しかし彼らにとってどれほどの脅威になりえるのか。
「こんなもんかよぉ!! 《キバ狩り》ィ!!!」
「《突龍槍》!!」
不用意に突っ込んできた男の顔面にツェッドの三叉が穴を開ける。《血界の眷属》はそれを気にする様子もなく喧嘩蹴りでツェッドの腹を突いた。
ツェッドは防御もできずに、簡単に後方へ飛んでいく。
右手に槍を、左手にステラを抱えて。
「大丈夫!? 大丈夫なの!?」
周囲の嵐が収まったからか、小脇に抱えるステラの声は良く通る。
「狙いはあなたです。レオくんに連絡を。すぐに仲間がきます。それまで時間を稼ぎます」
ステラを離して槍を片手に構えなおす。眼前の男の顔の傷は……よく見れば腕や足の切り傷も、塞がっていない。驚異的な生命力と再生能力を持つはずの《血界の眷属》にしてはありえない話だ。
四対一。
経験などない。だが、引くわけには──
「初めて見たけど、《キバ狩り》って馬鹿だね」
壊れたビルの上に、【二つの影】が。それを眼前の四人と別勢力であると願うほどツェッドは楽観主義ではなかった。
「っく!! そぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!」
弾丸のように、投げられた槍のようにツェッドは駆けた。
──そして、地に伏すツェッドが見た最後の光景は。
自分の喉にガラスの破片を当て、自ら投降するステラの姿だった。