『………手紙を届けて欲しい家族が住んでいるのは、港から見て西側の島です。オラフィア地区コートノックス通り3番街にあり、青色の瓦屋根が目印になるかと思います。そこの住人に、私の部屋の書棚の2段目右から15冊目の本に挟んでいる封筒を渡して頂けると嬉しく思いますが、もし転居していたらこのことは忘れていただいて結構です。万が一亡くなっていた場合、どうかその墓に備えてやって下さい』
––––ロプトの遺書、一枚目の便箋から抜粋。
キングズ・セメタリー諸島到着より1日が経過した、午前。
ヨルムンガンドはお付きの政府役人と、ガープを始めとした海兵数人というさほど物々しくない程度の護衛をつれて父の遺言通り、父の遺族が住んでいるという家を探しに島を渡って移動している最中だった。役人からは天竜人がわざわざ出向くことは品位にそぐわないことで、遺族をホテルまで出向かせるべきだと散々言われたけれども、少女はそれを断って寒風吹き付ける冬の島に震えながら歩いている。
喪服の上から分厚い黒のコートを着て、同じ色のマフラーをぐるぐるに巻き付けてもなお、骨身を切るような寒さがしんしんと骨身に染み入って少女の体を凍えさせていた。
単純にヨルムンガンドはマリージョア近辺から出たことがないから、外界の景色を思う存分楽しんでみたいというのもあったし、その上ここはかつて父の住んでいた場所だ。それを思うだけでも両親の急死からこのかた沈んでいた心が、ゆっくりと躍るような気分になった。
まだ雪は降っていないけど、今にも降り出しそうな鈍色の空の下、堅牢そうな石造りの家々がずらりと建ち並び、その軒先にはまだ生えたての水晶のような氷柱が伸びており、暗い色の屋根瓦にはキラキラした粉砂糖のような霜が降りている。見慣れたマリージョアの白い家とはまるで違う、寒さに耐え忍ぶためのずっしりとした実用的な重みが家々には備わっていた。つるつると薄い氷の膜が張り巡らされた道路の舗装の感触も、慣れてしまえばおもしろいものである。
「ここはとっても寒いけど、素敵な場所ね。昨日の夜も星がすごくきれいに見えたし……」
少女はうきうきと、滑り易い石畳を楽しげにスキップしている。
「埋葬が終わった後には、北側から流れてくる流氷と海王類も見に行かれるのでしたね」
「そう!見渡す限りに白い大地なんですって!アザラシやベルーガやシロクマもいるかしら……そうだ、そういえばキングズ・セメタリーはまだ雪が降ってないの?見れないのが残念……」
「恐らくはまだのようですが……もう間も無くでしょう。もしかしたら滞在中に降り出すかもしれませんね。マリージョアではもう、初雪を迎えられたのですか?」
聖地は海抜1000メートル以上という、下手な山地を越す高度に位置する土地である。当然、季節の移り変わりは下界とは異なっている。ガープの部下の問いかけにヨルムンガンドは首を横に振った。
「いいえ。この前、雨が降ってる途中に氷の粒になりかけたときがあったけど、まだ雪じゃなかったと思うわ」
–––そう、そうだった。ふと、ヨルムンガンドは空を見上げた。
ちょうどその冷たい雨の日は、母の遺骨を聖地の真ん中にある聖堂から散骨する日で、雨が降っていては散骨も難しかろうと、しとしと音を立てるそれが止むのを司祭たちと待っていた記憶があった。
ガラス窓の向こうで鈍色の空から落ちてくる水の粒をヨルムンガンドはぼんやり見守りながら家に置いたままの父の遺体は大丈夫だろうか、雨はいつ止むのだろうかとあてもなく考えていて、それで。
それで……きみ。さっきはとても良い弔辞だったね、まさかアングレアからこのような子供が産まれようとは……黒い傘をさした、雪のように白い髪をしたあの、作り物のように美しい人間が……
–––––ガープに会ったら、伝えて欲しいんだよ。
ここ1週間近く、葬儀や父の死、見つかった遺言書や急がしい旅路の用意などですっかり頭の端に追いやられていたその声が、耳の奥の方で蘇った。ひそやかで無機質な、宝石同士が触れ合うような声音。
「あ、」
と、間抜けな声がくちから漏れて、白く濁った吐息が冬の澄み切った寒気にとけていく。
「どうかなさいましたか?」
「そうだった!わたし、ガープ中将に伝言頼まれてたんだったわ!」
「わしにィ?誰からじゃ?」
唐突な言葉に、怪訝そうにガープは尋ね返す。天竜人の少女と、基本的に天竜人直属になることがない中将のガープなので、言うまでもなく両者はこの旅が初対面で、共通の知り合いなどいない。強いて言うならセンゴクがあたるかもしれないが、それなら本人が直接言えば良い話だ。この年で五老星がどうの、というのも考え辛く、ガープがはて、と首を傾げたところで少女はにっこりと伝言の主の名を口にした。
「ピグマリオン聖!この前、お母さまの散骨のときに初めてお会いしたのだけど、パパを故郷につれていくのよってお話したら、それならきっとガープ中将が護衛になるだろうからって仰ってたわ」
出てきた名前に老いた英雄がものすごい嫌そうな顔になった。
「…………あの人形野郎が…まーだ正気保って生きとるんか…」
「ガープ中将!不敬ですよ、口を謹んで下さい」
「ケッ、あんな趣味も性格も性癖も最悪な男に使う敬意もクソもないわい!」
政府役人の挟んでくる小言も何のその、ガープの口ぶりには珍しくはっきりとした嫌悪の情が篭っていた。海軍と世界政府の中でも天竜人嫌いで知られた英雄の、その悪感情の原因のひとつでもある男とは久しく会っていないにせよ、彼と関わってよかった思い出はほとんど無い。ガープの知る限りあの悪趣味な男の取り柄など、強さと知名度くらいである。どうせ伝言とやらとロクなものではないだろう、と予測したガープはますます渋い顔になった。
「ガープ中将、ピグマリオン聖とお知り合いなの?わたしみたいにどこかへ旅するときの護衛だったとか?」
「いいや。……まあ似たようなモンかもしれんが…もう随分前のことじゃし、つまらん話じゃ。……それより伝言とは何だったんじゃい」
「えっと、確かね。『初孫誕生おめでとう、ご祝儀いるなら言ってくれよな!』って!ガープ中将、お孫さん生まれたの?」
その、言葉に。少女の口を通して放たれた伝言が誰を指しているのかに気づき、ひゅっと喉の奥で嫌な音がするのを、ガープはどこか他人事のように受け止めていた。
––––相も変わらず。陶磁器のように生気の削げた、無性めいた人間の顔がガープの眼裏に像を結んだ。その顔が瞬く間にぱらぱらと移り変わっていく。
「……………おう。……少し前にな…」
「えっそうだったんですかガープ中将!?初耳なんですけど!?」
「おれもですよ!て言うか教えてくれたらお祝いしたのに!しかし相変わらず、あの方といいガラテア准尉といいマジで何でもご存じだよなァ……」
ガープの肝が一瞬本気で冷えたことをつゆ知らない部下たちがガヤガヤ騒いでいる。––––初孫。ガープが少し前に初めて抱き上げた、あの新しい命。南の海で、莫大な代償を払って生まれてきた赤子。バテリラの家の中で、そばかすを浮かべた女性が微笑んだ。
古馴染みの天竜人は、何をどこまで知って言伝てきたのか。
老兵の心中などまるで知らないと言う顔で、朝の鏡面のように硬く、冷たい風が騒ぐ一団の頭上を吹き抜けていった。歩く彼らの目的地、オラフィア地区コートノックス通り3番街はもう目の鼻の先にある。
右足踏みつけ、サード・ジャンプ
父の遺族は、どんな人なんだろう。
それは遺言書を手に取って、父の部屋にある本棚から渡す手紙を抜き取ったときから、絶えずヨルムンガンドの頭の中に居座る謎だった。
ロプトの親……つまりはヨルムンガンドの祖父母のどちらかだろうか。あるいは父の兄弟や姉妹だったり?それなら少女の叔父や叔母になるのか。ともかく、ヨルムンガンドよりうんと年上で、恐らくはロプトに顔が似ていて……こんなに寒い島に住んでいるのだから、きっともこもこの格好をしているのだ。
箱入りの7歳の天竜人が想像できることと言ったらせいぜいその程度。その上遺言書のどこにも、手紙を渡す家族とやらが誰なのか、父とどう言った続柄なのか、どんな外見や性格をしているのかさえ一切書かれていなかったため、結果としてヨルムンガンドの想像は非常に曖昧で薄ぼんやりとしたものとなっていた。
(……どんな方、なのかしら)
ヨルムンガンドはほう、と息をついた。
父の家族。ヨルムンガンドとも血の繋がった、見知らぬ人々。遺言書を見るまで、その存在を考えることもなかったけれど……別に、ロプトはマリージョア生まれではない。あそこに連れて来られる前にも彼の人生はあって、別の場所で生活を営んでいたのだから家族くらいいてもおかしくはないのだけれど。
けれども、なんだか不思議な心持ちだった。ヨルムンガンドの家族はロプトとアングレアだけで、きっとそれは両親にとっても同じ話だと思っていた。けれど、そうではなかった。ロプトはマリージョアから遠く離れたこの地で暮らした時間があって、ヨルムンガンドたちとは別に家族がいて、死んだらそこに連れて行って欲しいと願っていた。
さみしい、ともまたすこし違う、じんわりとした冷たさが少女の心に触れる感触があった。
ぎゅっと、コートの内ポケットに仕舞い込んだ手紙を服の上からなぞる。便箋にしてはやけに硬く、薄い……ポストカードのような手触り。中身を確かめようと思ってついぞできなかった、父が家族に伝えたかった何かがそこにはある。
暗色の、代わり映えのない街並みがずらずら並び、それとは対照的に敷き詰められたオラフィア地区の大通りの石畳は明るい灰色をしていた。それが、鈍色の雲の隙間から漏れる針のような光を照り返している。
元来、漁船が獲ってきた魚の水揚げや卸売りを行う市場があるからか、人口の少ないキングズ・セメタリー諸島の中でも、この区域は比較的活気のある場所だ。大通りのずっと向こうにある市場からは、潮騒にも似た競りの声が聞こえてくる。
オラフィア地区の大通りは、市場から遠く離れていても特有のむっとした魚の匂いが鼻についた。呼吸のたびに刺すような外気の冷たさとともに、生ぐさい、生命が失われたばかりの臭気が嗅覚を刺激する。件の家はその大通りから少し逸れた、さびれた通りに位置していた。
・・・・
「……あらば家?」
「あばら家な。まあ、この規模の島では普通の家じゃろ」
「ずいぶん小さいのね……それになんか、こう、ぼろっちい……」
ガープがすかさず訂正した。ロプトの手紙にあった青い瓦はくすんでいて濃い灰色に近く、その下にくっついている石造りの家もところどころ欠けた箇所をセメントや申し訳程度のレンガで補修していることもあり、なんだかみすぼらしい。雪が分厚く積もれば、屋根が落ちてきそうなくらいの危なっかしさがあって、生まれてこの方豪邸しか知らない住むヨルムンガンドには、ほとんど犬小屋か掘立て小屋のようにしか見えなかった。
通り過ぎる風景として見れば特に気にならないが、人が住む場所としてはあまりに狭く、脆そうに思えてならなかった。
霜の降りた小さな前庭には、洗いすぎてくたくたになった洗濯物が干されており、玄関のポストには新聞が一部放り込まれたまま回収されている。住人の姿こそ未だ見えなかったが、確かにひとが生活を営む印が確かにある家だった。
「…ではヨルムンガンド宮、どうぞこちらでお待ち下さい。今私めが住人をお呼びしますので」
「!う、うん」
躊躇いなく家の前の階段を上がっていく黒服の役人が振り返ってそう尋ねたので、ヨルムンガンドはあわてて首を縦に振った。薄い胸の内で心臓がとくん、と高鳴る感触がある。
どんな人だろう。ヨルムンガンドと顔は似てるのかな。
パパが死んでしまったことを伝えたら、どう思うだろう。怒るかな、悲しむかな。少女だって父の死んだあとしばらく泣いていたのだから、多分まだ見ぬ父の家族だってそうなるだろうけど––––それでもヨルムンガンドのことを最後には歓迎してくれたり、しないかしら。よく来てくれたね、って言ってくれたりするかしら。
リンゴーン。呼び鈴が一度鳴り、微かに足音が扉の向こう側から聞こえてきた。ヨルムンガンドはそわそわと落ち着かなく足踏みし、それからふと横のガープの顔が目に入って首を傾げた。
(………あら?)
何だってこの英雄はこんなに怖い顔をしているのだろう。まだ年端もいかないヨルムンガンドにも何か『普通ではない』と分かるほど、ガープは険しい顔つきでじっと扉を見ていた。
初冬の淡い日差しに彩られた老兵の顔は、平生の明るさを少し失って、皺の一本一本に小さな影を潜ませているようにも思えるものとなっていた。
––––ガチャリ、ギイ…と短く軋む音がして、とうとう古ぼけた一軒家の扉が開くと、中から人影がひとつ現れた。
すかさず、役人が一歩階段を登って玄関ポーチに上がる。彼と比べると、中から現れた人間は猫背も相まって少し小さく見えた。
「初めまして。私は世界政府聖地担当をしている役人です。貴女がウートガルズ・J・アイノ本人で間違いありませんか」
きびきびした役人の口調に、鈍い仕草で人影が頷いた。
「ええ、はい…それは確かに私のことですが…」
人影は、女だった。猫背の上に俯きがちの顔が、庇に隠れてよく見えない。声は確かに年若い女のものなのだが、辛うじて見える焼けた肌やあまり手入れしていない黒髪、骨が少し浮くほどの肉付きや、荒れた指先がどうにも女を老けこませている。女は神経質そうな仕草で、洗いざらしの服を握り込んだ。ごう、と一筋吹いた木枯らしが、女のぱさついた髪を洗っていく。
一方でヨルムンガンドは何だかひどく拍子抜けしたような気分でアイノ、と呼ばれた女性をもっとよく見ようと背伸びした。てっきりロプトの両親や兄弟が出てくるのだとばかり思っていたが、幼い少女の想像より声がうんと若い。もしかしたら声だけ若々しい中年女性かもしれないが、それにしても父の親としてはありえないし、兄弟にしても歳が離れ過ぎているように思う。誰だろう。
・・・
(めいっ子……それともパパのいとこ?)
7歳の知識で思い至るのはそれぐらいだった。ヨルムンガンドも母も一人っ子なので、姪っ子も従兄弟もいないが、天竜人は割りかし歳離れた兄弟や親類に事欠かない。ヨルムンガンド自身、母方の又従兄弟とは30以上も離れている。
「現在、この島に天竜人の行幸があることは、貴女も既に聞き及んでいるかと思いますが……」
「………」
役人の言葉にはい、ともいいえ、ともつかない曖昧な仕草で首を傾けかけた女がふうっと何かに気づいて、僅かに顔を強張らせた。女の位置からはちょうど、役人の体に遮られて階段の下にいるガープやヨルムンガンドたちは見えにくい。その時になって女は後ろの集団に気付いたようだった。
「その天竜人ご本人様が貴女にご用事があると仰っておりましてね。わざわざここまでご足労頂いております。どうぞ、まずは尊き方にご挨拶を」
慇懃な言葉と共に、役人が半歩体を捻ってヨルムンガンドを手で指し示した。両者の視界を遮っていた彼が退いたことで少女は初めて、父の遺族である女の姿をはっきりと目にした。
––––よく、似ている。それが場にいる全員の感想だった。階段の下にいるヨルムンガンドと、階段の上からおずおずと覗き込み、それから降りてきて跪いた女の顔はそっくりだった。ヨルムンガンドの目はグレーで女の方は薄い茶色、肌も女の方が日焼けしているなど細かな違いはあるが、すっきり通った鼻筋や吊り目がちの二重、顔のパーツの配置はどうしようもないほど血の繋がりを証明していた。並べば親類だと一目で分かるだろう。女の歳は20より少し下程度に見えた。
女の方はヨルムンガンドの顔を目にした途端、あたかも雷に打たれたかのような表情になって、その顔からざっと血の気が引いた。中途半端に跪いた姿勢のまま、幼い天竜人を見上げて動かなくなり、ただ、口を金魚のようにぱくぱくともの言いたげに開け閉めして、やはり何も言わずにきゅっと引きむすんだ。日焼けした女の頬を脂汗が二筋、三筋と伝っていく。
ヨルムンガンドはと言うと、会う相手と自分は似ているだろうという予想はしていたのでそこまでびっくりすることもなく、父の手紙を渡そうとコートの内ポケットをごそごそ探った。
「……えっと、あの、こんにちは。わたし、ビヴロスト・ヨルムンガンドって言うの。わたし、ちょっと前に死んじゃったパパから『ゆいごん』を預かってて、ええと、それでね。その中で、ここのお家に住んでるパパの家族にこのお手紙を渡して欲しいって言われてるの」
「…………はい、……はい?」
「……あの、お手紙を渡す相手、貴女で合ってるかしら?」
鈍い仕草で首が縦に振られた。ほとんど痙攣のような微かなものだった。しばらく沈黙が続き、ヨルムンガンドも血が繋がっているとは言え初対面の平民に何を言えばよいか分からず、続く言葉も見つからなかったので黙って手紙を差し出すと、女は捧げ持つのに失敗したような仕草でそれを受け取った。
手紙を受け取った女が、震える手で何度か失敗しながら封筒を開ける。既製品ではなく、紙を糊で貼ってだけの簡素なそれが破られる、軽い音が冬の空に響いた。
やはりヨルムンガンドの予想通り、中は何か大きめの葉書のようだった。書かれた文字をなぞっているのだろう、なぞる視線が右から左に、左から右に何度か往復して、それから初めてヨルムンガンドの方をはっきりその瞳が捉えた。
少女とよく似た形の、飴色の瞳だった。口の端がひくり、とわなないて、女は唾を飲み込んでから今度は震えずに言葉を発した。ミルク色の吐息が冬の空気に融けていく。
「……父は…死んだんですか」
「……?えっ?」
それが誰の事を指しているのか分からず、頭の上にハテナマークを出したヨルムンガンドに変わって答えたのは黒服の役人だった。
「ええ。貴女の実父、ウートガルズ・J・ロプトは約2週間前に死亡しています。こちらのヨルムンガンド宮は奴隷である彼の遺言を寛大にも聞き遂げて、ここにいらっしゃっているのですよ」
–––貴女の、実父。貴女の実父。目の前で跪いている女の、父。パパと同じ名前のひと。いや同一人物。
ヨルムンガンドの脳内でそれらの言葉がぐるぐると周り、たっぷりと時間をかけて、時計の秒針が2周半するころになってようやく少女は理解して叫んだ。
「…!?えっ、えっ、ええええええ〜〜〜!?」
予想を飛び越えてきた父の家族の正体に、キャパシティを超えた幼子の声には一切の配慮というものがなかった。役人の言葉が正しければ、ヨルムンガンドとこの、アイノと呼ばれていた女性は父親が同じ、つまり異母姉妹ということになる(ヨルムンガンドはちなみに異母兄弟という概念は知っている。天竜人の家系には意外とたくさんいるからだ)。
ヨルムンガンドの家族は、ロプトとアングレアだけだったし、ヨルムンガンドの父はやはり彼だけだった。それと同じようにヨルムンガンドだけが彼の娘であると生まれてこの方疑いもなく信じ切ってきた。少女は天竜人にしては常識を持ち合わせた人間であったけれど、それでもかなしいかな、隔絶された世界で生きてきた彼女には致命的なまでに想像力が欠けていた。
父に自分たち以外の家族がいたとして、ヨルムンガンドは妻と子供以外の誰かであると思い込んでいた。だがら混乱しきりの頭のまま、深く考えないまま紡いだ言葉は彼女自身と同じように、配慮と想像力に欠けていた。そしてこの時のヨルムンガンドは一度口から飛び出した言葉を無かったことにならないことすら、知らなかったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「…パ、パパ、わたし以外に子供いたの!?」
そしてヨルムンガンドは言った側からそれを深く後悔した。少女を見上げていたアイノの瞳の中で、澱んだ何かが沸騰するのが目に映った、次の瞬間。
––––ガツン!!!
衝撃もともに、およそ人体からするとは思い難いような音が少女の体の中で鳴り響き、目の奥で明るい色の火花が散った。ぶわ、と熱が鼻の中で広がるのが分かるのに一拍遅れて、生暖かい温度が鼻の下を伝い、それら全てが終わった後にもの凄い痛みが顔面を襲った。
殴られた。ヨルムンガンドがそれをようやく理解したのは、殴られた勢いのまま地面に尻餅をつき、コートの尻に水が染みてきてからのことだった。混乱と恐怖からか、生理的な涙が少女の目にぶわりと浮く。
「へ、うぶ…」
「……あ、あんた…」
空気が凍り付いていた。誰もが一瞬言葉を忘れたが故の静寂の中で、フッ、フッ、と獣のように肩を怒らせた女の呼吸だけがやたらと響いている。
天竜人が、殴られた。下界の人間に。よい結果にはならんだろうと予測していたガープでさえ、あまりの出来事に動きを止めていた。
「……ッふざっけんじゃないわよ!!!何が他に子供いたのよ!他に言うこともっとあんでしょ!?あ、あんた頭おかしいんじゃないの!!父さん連れてったと思ったら、し、し、死んだって、それでなんでヘラヘラしてるわけ!?何考えてんの!?」
辛気臭い、痩せっぽっちの女から出たとは俄に信じ難い、凄まじい怒声がびりびりと鼓膜を叩いて、ヨルムンガンドは人生初めて受けた憎悪の念に半ばぼうっとして、自分とよく似た異母姉妹の顔を見上げていた。彼女よりずっと高いところにある顔の中で、父と同じ色をした目がぎらぎら輝いている。
「……か、確保ー!!」
「もういい、撃て撃て!天竜人に暴行を加えた人間だ、血縁者とは言え撃って構わん!」
「ねえ!答えなさいよ!!あんた、」
「よさんか!銃をしまえ、子供の前だぞ!!」
「!?ガープ中将、ちょっと、」
「ヨルムンガンド宮!お怪我は!?」
「ヨルムンガンド宮!?」
一度の銃声、海兵たちと役人の怒号、心配してくる声、額に触れる手の感触。動き回る音。女の悲鳴にも似た大声。それらが渾然一体となって呆然と座り込むヨルムンガンドの脳内を霞ませている。
母に殴られたときとは比べ物にもならない痛みで麻痺した頭のまま、ヨルムンガンドはぼんやりと自分の鼻から落ちる赤黒い雫を見つめて、それから地面の向こうでくしゃくしゃになっている父の手紙に目をやった。
ロプトがヨルムンガンドではない娘に宛てた手紙。ノートの切れ端で作った封筒から覗く葉書が、冷たい地面に投げ出されて寂しそうに横たわっている。文字は遠かったけれど、不思議と読み取れた。
『愛する娘アイノへ、8回分のハッピーバースデーを込めて。君の父より』。それは確かに、ヨルムンガンドが一度も貰ったことのない、父から娘への誕生日祝いの言葉だった。
ぽたん、と鼻血が一滴、コートに落ちて暗い染みを作った。
またしても何も知らないヨルムンガンドさん
痛い目に遭ったが、流石に今回はお前も悪い。人死に2人が既に出てる異母姉と仲良くなれるかナ!?!?よく考えなくても遺族に悪いことしかしてない。
アイノさん
名前はフィンランド語で「唯一の」らしい。カレワラにもこの名前の女神がいる。8年前に誘拐同然で連れてかれた父親の訃報と最後のプレゼントが届いたと思ったら、父と誘拐犯との間に異母妹できてたので脳がやられてしまった。キレてもいい。
ガープ
ええ結果にはならんだろうなとは薄々感じてたけど、まさかノータイムで殴るとは思わなかったので反応が遅れた。しゃーない。
ピグマリオン聖
名前だけ出した後々の六梯席のメンバー。死ぬほど強い元騎士団員。個にして群、一にして全だけど性格が終わってる。某フラミンゴの親類。何でもは知らないが、知りたいことは大体知ってる。
ヨルムンガンド以外の六梯席所属の天竜人を見てみたい?
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はい
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いいえ
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キャラクターによる