神童が目を覚ましたのは、入学式が終わり新入生たちが帰り始めている頃だった。神童に呼び出されたサッカー部員たちは、サッカー棟のミーティングルームに集合する。
「もう大丈夫なの?」
「ああ。迷惑かけてすまなかった」
責任感の強い神童のことだから無理しているのかと思ったが、もう体調は問題ないそうだ。
「神童。悪いが、俺は今日でサッカー部を辞めるよ」
突然一人の部員がそう言い出すと、それに続くように「俺も」「僕も」と大勢の者が名乗りを上げた。車田剛一が「なんだって!?」と声を荒らげ、他の部員も驚いて目を見開く。
「フィフスセクターに目ぇつけられて、サッカーなんかやってられねえよ。剣城とかいうあの一年もおっかねえし」
退部を宣言する者は皆セカンドチームの選手だった。今朝奴らに散々痛めつけられ、その恐怖がまだ消えていないのだろう。
「今まで色々我慢してきたけど、もう限界なんだ!」
瑠那はモニターの前で腰を下ろしている神童をちらりと見るが、両手を握り合わせながら黙り込むばかりだった。彼らの気持ちは痛いほどよくわかるし、そうなるのも当然だから何も言えないのだろう。痺れを切らした彼は「行こうぜ」と立ち上がり、他の部員たちもそれに続いて出入口の方へ歩いていく。その事態を、ファーストチームである浜野と天城大地が慌てて止めに入った。
「ちゅーか、ちょっとちょっと! 皆、マジ?」
「おめぇら!」
睨みつける巨漢の天城を前にしても、「本気ですよ、先輩」と頑なにと言い返す水森。どうやら考えを曲げる気は一切ないみたいだ。
「いいのかよ、神童!」
席から身を乗り出して抗議する車田に対して神童は「仕方ありません」の一言だけで、それが余計怒りを募らせた。
「仕方ないってあるかよ!」
「車田先輩、落ち着いてください」
瑠那は気づいていた。神童の手が微かに震えていることを。神童だって、仲間が総退部することに何も感じないわけがない。ただ、どうしようもなかったのだ。今後フィフスセクターにどんな仕打ちを受けるかわからない以上、無理に彼らを巻き込むことなんてできない。彼らの意志を尊重すべきだと、神童は考えていた。
「セカンドチームは終わったな」
セカンドチームのキャプテンを務める一乃七助に、青山俊介が自嘲気味に言う。そして悲観する一乃にさらに追い討ちをかけるように、残りの二軍メンバーも立ち上がった。
「一乃、青山。俺たち行くよ」
「お前たちまで・・・」
一気に部員が抜け、セカンドチームは一乃と青山の二人だけになってしまった。するとファーストチームの水森が「俺らもだ」と挙手し、小坂共々に退部を宣言する。
「ちょいちょい、お前らもかよ」
「せっかくセカンドからファーストに上がったのに、辞めるんだド!?」
試合で途中退場した水森だけでなく、小坂まで退部となればチームメイトは動揺を隠せない。
「怖いんですよ、フィフスセクターが」
「サッカー部にいりゃー、内申書は良かったんだけどなぁ。俺、サッカー別にこだわってねぇし」
内申書目当てでサッカー部に入部した部員たちは、サッカーにこだわりがない分、当然躊躇なく辞めていく。二人が内申書目当てで入部したことは皆が察していた。
「なんだその言い方は!?」
車田は二人に殴りかかるが、「やめろ! 車田」と三国太一に一喝されて渋々拳を下げる。
「けどなぁ、三国。我慢してるのは皆同じだろうがよぉ!」
憤りと虚しさ、仲間が去ってしまうことの悲しさと為す術なく見ていることしかできない無力感。やるせないその気持ちはこの場にいる全員が感じているものだ。
「水森、小坂。今までありがとな」
それでも神童は律儀に今までの礼を伝え、退部することに異論を唱えたりしない。こんな時でも最後まで笑みを崩さない彼は、どこまで律儀なのだろう。立ち去っていく部員たちを背にそんな彼を見据えていた時、
「待ってください! 待って!」
聞き覚えのある声がして、そちらの方を振り向く。扉の前には、部員たちを引き止めようと両手を広げる天馬の姿があった。その両隣では、同じく新入生らしき女子生徒と男子生徒が、目を丸めながら天馬と部員たちを交互に見つめている。
「松風くん・・・?」
ずっとそこでこちらの様子を見ていたのだろうか。大勢の先輩を前にしても臆することなく、天馬は「お願いします、辞めないでください!」と懇願した。
「悪ぃな、もう決めたんだよ」
しかし水森は冷たい一言で返す。
「そんな・・・。俺、雷門に入って雷門の先輩とサッカーやるの凄く楽しみにしてたんです。雷門サッカー部は、俺の憧れなんです!」
必死に訴える天馬だが、それも水森によって「ガキだな、お前」と一蹴されてしまう。
「今日の見てわかったろ? 雷門サッカー部はこの程度の実力なんだ」
「そんなことないです!」
どこまでも前向きで真っ直ぐな目をする天馬をウザったく感じたのか、水森は顔を背けて舌を鳴らす。
「あのな。怖くなったんだよ、サッカーが」
天馬は「怖い・・・?」と首を傾げた。
「サッカーの何が怖いんですか? サッカーって楽しいと思うんです。俺達が楽しいって思わなかったら、サッカーが可哀想ですよ!」
その途端、部員たちのどっと笑う声が部屋中に響いた。決してそれは愉快なものではなく、馬鹿にしたような嘲りを含んだもの。サッカーへの情熱を語った天馬を、退部する部員たちだけでなく残留する者たちも含めて嘲笑したのだ。
「おい一年、サッカーが可哀想だ? サッカーは人間じゃねえよ」
軽蔑の目で揶揄うようにニヤつく倉間典人。笑い声は大きくなり、天馬やその隣にいる二人の新入生は戸惑いの表情を見せていた。
(・・・嫌だな、こういうの)
止まない嘲罵の笑い声に包まれる空間の中で、瑠那は居た堪れない衝動に駆られて瞼を伏せた。
「でも俺、本気でそう思ってます!楽しいって思えば、きっとサッカーは嬉しいはずです!」
そんな天馬の説得も虚しく、それまで黙って見ていた神童は「行かせてやれ」と促した。
「キャプテン・・・」
「ありがとよ、神童。そろそろこいつの言うことにキレそうになってたとこだ」
肩にかけた鞄の紐を掴んで天馬を扉から突き放し、ミーティングルームを出ていく水森。それに続き、大勢の部員たちと、神童に申し訳なさそうに頭を下げた五人のマネージャーが去っていく。セカンドチームの選手も残すところ二人だけとなってしまった時、青山が静かに立ち上がった。
「青山・・・」
「お前は続けるのか?」
決意を固めた青山の問いかけに何も言えず俯く一乃。しかし視線を感じて顔を上げると、こちらを見つめる神童と目が合ってしまう。その瞳は期待に揺れており、プレッシャーに耐えかねた一乃は椅子の音を大きく立てて立ち上がった。
「セカンドはもう終わりだ。俺ももう辞めるよ」
その言葉に神童は一瞬寂しげな表情をするが、すぐに「わかった」と笑みを浮かべて部室を去る二人を見送る。部員が極端に減ってしまったからか、瑠那はこの部屋がとても広くなったように感じた。
そして二人が去ってから少しして、久遠と音無がやってきた。今までと打って変わってがらんとした部室と残った部員の数に、音無は唖然とする。
「残っているのはこれだけ・・・?」
「はい。ファーストの10人。これが全員です」
「そうか」
神童はキャプテンとしてチームを引っ張ることができなかった自分の不甲斐なさを責めるように、「俺の力不足です」と俯いた。
「沈みかかった船に、ネズミは残らんちゅーことすかね」
「じゃあ、俺たちはネズミじゃなくてなんだよ!」
「サッカー部員だド」
浜野の冗談に突っかかる車田と、当然のように言ってのける天城。同じく冗談の通じない天馬は「うんうん」と満面の笑みで大きく頷いていた。
「皆、不満があるのはわかる。だから、辞めるというのなら仕方ない」
今までもフィフスセクターから酷い仕打ちを受け、さらに今回の騒動が起これば退部するのも当然だ。神童の言葉は最もだが、それでも皆の表情は晴れないままだった。ただ二人、例外はいるが。
「意外。残るんすか」
「お前こそ」
「俺はまぁ、なんとなく」
「内申書がプラスになるからじゃないのか?」
南沢の言葉に、「へへっ」と愉しそうに笑う倉間。
サッカーが人の価値を決める今、名門校である雷門サッカー部で優秀な成績を収めれば、内申書に大きく影響される。純粋にサッカーを楽しむ者がいる中でそんな見え透いた下心を持つ者も多くおり、それは雷門も同じだ。現に南沢と倉間は、それを理由にここに残留しているのだから。
「南沢よぉ、それじゃサッカー面白くないんだド」
盗み聞きしていた天城が野次を飛ばすと、南沢は呆れたように肩を竦めた。
「天城は面白いのかよ? 今のサッカー」
改めてそう問われると自信が無いのか、天城は黙り込んだ。
以前のように純粋にサッカーができるのはごく稀だ。当然面白いと思えるわけもなく、"管理サッカー"と化した今そう思えるのは、管理サッカーを知らない一部の人間くらいだ。
「俺は別に、面白いからサッカーやってるんじゃねーよ。それなりにできてりゃ、卒業した後も楽だしな。天城も同じだろ?」
「そ、それは・・・」
諭すような笑みを浮かべる南沢から顔を逸らし、俯いて口ごもってしまう天城。彼も心のどこかでは内申書を気にしている節があったようだ。
そんな三人を他所に、神童は蚊帳の外となっていた天馬たち三人の元へ歩み寄る。
「松風天馬だったな」
「はい!」
「今朝はありがとう。せっかく頑張ってくれたが、これが今の雷門サッカー部だ」
自嘲するような物言いで情けない顔をする神童。
「それでもいいです! 俺、サッカー部に入ります!」
「僕もサッカー部に入ります! よろしくお願いします!」
対照的に、天馬とその隣の小柄な男子生徒は意気溌剌とした様子を見せる。
「お前も一年か?」
「はい! 西園信助と言います!」
"崩壊寸前"といっても過言ではないこの状態で、尚も入部を希望する天馬と信助。予想外の返事に皆は目を見開いた。
「沈みかかった船に乗ってくる奴がいるとはなぁ!」
「何もわかってないだけだと思いますよ・・・」
席から身を乗り出して喜ぶ浜野だが、隣で机に突っ伏している速水鶴正は浮かない様子だった。速水の言う通り、二人はフィフスセクターの恐ろしさを十分に理解していない。誰が乗ったところで沈みかかったこの船を引き上げることなんてできないのだ。
「お前たちはもう来るな!」
自分たちと同じようにフィフスセクターの脅威に晒されたくないと考える神童は、険しい表情で言い放つ。
「そんなこと言わないの」
そこに音無が割って入り、神童を宥めた。
「天馬くん、今朝のあれは特別。本当は入部テストがあるのよ」
雷門サッカー部の制度を知らなかった天馬は、「えぇっ!?」と大袈裟に反応を示す。
「俺、もう入部したつもりでいました」
「いきなりテストかぁ・・・」
肩を落とす天馬と、不安げに眉をひそめる信助。
「それじゃあ、今から・・・!」
「待って」
一刻も早く入部したい気持ちから急かす天馬に、音無は片手を突き出して制止をかけた。
「久遠監督。今日はこんな状態だし、どうしましょうか」
「そうだな。明日の放課後、ここに来てくれ」
突然の試合に部員の一斉退部。今日一日で起こったことのショックが大きい中で入部テストを行うのは難しいだろう。
「・・・はい」
天馬は残念そうにがくん、と項垂れたのだった。