奥沢美咲短編集   作:rain/虹

8 / 10
今回はエノキノコ様の短編になります。


着ぐるみ少女と梅雨の帰路

1年も気付けば折り返し地点に差しかかり、黒い雲が空を(おお)うことが多くなってきた季節。連日(れんじつ)の空の機嫌は最悪で、朝から晩まで冷えた涙を吹き荒れる罵声(ばせい)と共にばら()いていた。

今日も例に()れず雨音(あまおと)が辺り一体に広がっているが、普段の炸裂(さくれつ)に似た響きは鳴りを(ひそ)めることで、街の様々な音と溶け合い心地のよい旋律として鼓膜(こまく)を揺らす。近日(きんじつ)発売された好きな漫画の単行本をショルダーバックの中で温める帰路を(いろど)(しずく)の旋律は、いつもは(かさ)の下で肩身を(せば)めながら早足で駆け抜けている帰り道を、久々にゆったりとした歩調(ほちょう)で進ませてくれた。

雨粒に洗い流され(うるお)った空気を多めに吸い込み、吐き出すだけでどこか疲れが薄れていくのを感じながら、時折(ときおり)現れる水溜まりを()けつつ歩んでいくと、遊ばせていた視線が向かい側のコンビニへ興味を示し、そこにいる見知った人物の影を捉えた。地面を()う雨水が(くつ)に忍び込まぬよう大股に繰り出そうとしていた足を、安全地帯に落ち着かせて視線の先に意識を取り分ける。

特段その人物に用事があるわけではないので、いつもならそのまま家への道をなぞるのだが、店内に入るわけでもなく(とど)まり続けるその姿は、近くにある横断歩道へ自然と足を向かわせた。

幸運なことにタイミング良く赤から青に変わった信号へ、喉を閉じたまま軽い礼を言って見た人影へ駆ける。近づくほどに見間違(みまちが)いではないことを認識し、こちらに気づき持ち上げられた視線が()らされなかったことで確信を得た自分は、雨水が若干染み込んだ靴の底をしっかり地に付けてから眼前(がんぜん)の人物、友人からさらに踏み込んだ関係を持つ女性である奥沢(おくさわ) 美咲(みさき)の名前を呼んだ。(かわ)きと湿(しめ)りの境界線(きょうかいせん)ギリギリにつま先を置き、(つや)のある黒髪を肩に軽く触れさせる少女は、左手を持ち上げ答えてくれる。

「ん。あんたもなんか買いに来たの?」

するりと隣に(すべ)り込んで閉じた傘の雫を落とす自分に、美咲は利き手に持ったレジ袋を軽く揺らしたのち、この場に来たなら当然持っているであろう目的を(たず)ねてきた。しかし、財布の(ひも)(ゆる)める予定のない自分はきっぱりかぶりを振り、美咲が困ってそうだったからと、正直な動機を口にする。

「・・・そんな理由で、何も買うものもないのにわざわざ来たわけ?」

躊躇(ためら)いなく言葉にしたこちらを、黒髪の少女は(するど)疑問符(ぎもんふ)の先で突いてきた。しかし、自分にとってはそんなで形容できるほど軽い理由ではない。大切な人の困りごとは、見なかったことにできる軽い問題ではないのだから。それが、恋仲(こいなか)と呼べる好きな異性ならなおさら。

「・・・そう」

()いた思考に声を通したあと、それがなかなかにクサみのあるものであることに気づいて口端(くちはし)(わず)かにぎこちなく曲がる。不恰好(ぶかっこう)な照れ笑いを浮かべる自分に対し、美咲は冷たい(あき)れを手渡してきたが、言葉の裏側から伝わってくる温度は決して冷え切ってはおらず、むしろささやかな温もりすら感じて取れた。その温度は口端に浮かんでいた少し歪んだ()を緩やかに自然に描き直してくれ、(うなず)きひとつを肩並べた少女に送らせる。

「変なの…」

視線の先にいる少女は、白い無地Tシャツの下に穿()いたジーパンのポケットに指を突っ込みながら、元から前面に押し出していた呆れの感情を吐息(といき)により色()く映す。しかし、それ以上は何も言わずに2人の沈黙(ちんもく)を雨音が(ふさ)いだ。

どこか心地よいこの静けさに(ひた)ろうと無意識に肩から力が抜けていくが、ここに来た理由を放置したままこの空気に身を任せるわけにはいかないので、身体が本格的に弛緩(しかん)する前に、美咲がなぜこの場で()往生(おうじょう)しているのかを(とう)の本人に訊ねる。すぐには答えなかった彼女が、(ひとみ)の照準を(さだ)めずに()らす(さま)から見てとれる葛藤(かっとう)梅雨(ばいう)伴奏(ばんそう)に溶け込み、静まり返ったこの場を支配した。

「・・・傘がない」

形を持たない演奏者が奏でる曲に区切りを付けたのは、隣の少女が零した高いアルトの声。だが、彼女の口にしたことが予想外なあまり対応が遅れた。

そんなこちらの思考を突き放すように、近くに駐車されていた軽自動車がタイヤを回し、さっきまで細々と流れていた季節の曲を水溜まり共々(ともども)(はじ)き飛ばして遠くに走り去る。ここぞとばかりに息を潜めていた人の(いとな)みが自然の圧を押し返して場を占領(せんりょう)するが、意識を台頭(だいとう)するのは積み重なったさまざまな音の最下段に押し潰された少女の声だった。

勢いはないとはいえ、今の今まで雨雲が空を覆う今日(こんにち)で傘を手に持たないのは無計画どころの(さわ)ぎではないし、美咲は一寸先(いっすんさき)も見通せない楽天的な性格の持ち主じゃない。むしろ高校生にしては少々達観(たっかん)して物事を見る(ふし)すらある彼女にあるまじき発言に不意をつかれた自分は、言葉のひとつひとつをしっかり咀嚼(そしゃく)したうえで、意味を形作(かたちづく)れない一音(いちおん)に疑問符を込めた。

「・・・正確には、間違えて持っていかれた。似たのが傘立てにあるだけで、持ってかれたのを見たわけじゃないけど」

こちらの反応を予測していたかは定かでないが、少女は相手の反応から間髪(かんぱつ)入れずに補足(ほそく)を投げかける。自分が(いだ)いた()の落ちない部分にどこか哀愁(あいしゅう)を含んだ説明がかちりと差し込まれた。

滅多(めった)に起きることじゃないので気にも()めていないものの、いざ身に降り注ぐと残された者には打つ手がない出来事は、悪意ある犯行ではなく、注意力散漫(さんまん)のために起きてしまった事故だということで、下手に持って行ってしまった人物を(ののし)るのも(はばか)られた。結果、行く(あて)のない気持ちが間延びした声となって喉を通り過ぎたが、芯の通っていないそれはすぐ雑多な音にかき消される。

「・・・まあ、持って行かれたのは仕方ないよ。そこはもう割り切ってる」

割り切ってると口にした割には尾を引かれているように感じる少女に返す言葉を選び(そこ)ね、気まずい空気が美咲とまとめてこの身を包む。視線を右往左往させて見失った会話の接続点を探していると、数本支える傘立てが視界に引っかかった。

ビニール2本、持ち手から先まで黒一色(くろいっしょく)のシンプルなものが1本、均等に区切られた正方形の仕切りに突き立てられたのを目の当たりにして、どれも女性の美咲が使うものと取り間違えるデザインだろうかと、疑問を()いて首を(かたむ)けた自分に、横からやけに(とげ)逆立(さかだ)てた言葉が飛んできた。

「・・・愛想ない傘使ってて悪かったね」

裏返しても先ほどのような温もりなど影の一端(いったん)すら見受けられない声に突き付けられた、こちらが(いだ)いた疑問を全て見透かした文言に、心臓が掴まれたかような驚きが大きく身体を震わせる。図星を突かれたのがこれ以上ないくらい分かる反応をした自分には、美咲からため息混じりの有難い一般論が送られた。

「言っとくけど、女子の全員が()った傘使ってるわけじゃないから」

ぐうの音も出ない言葉に言い訳ひとつ思いつかなかった自分は、言葉と合わせて頭も下げることで偏見に対する謝罪の意を迅速(じんそく)に示す。わざと大きく立てられた息を吐く音が頭上(ずじょう)にのし掛かってから数秒、頭を上げてと許しを貰ったので、地面へと振り下ろされた視線を再び美咲に戻したところ、彼女の顔にはいつもなら前面に押し出されていそうな呆れは存在せず、代わりに、明らかに作られた無味色(むみしょく)が貼り付けられていた。

「・・・それで?そんな事情で困ってる私をあんたはどうするの?」

一瞬なんの話か見失いそうになるほどの(するど)い話題の切り替えは、先ほどまでの会話から存在を薄れさせつつあった自分がここにいる理由を再びこちらに突き付けてきた。言葉と共に切っ先をこちらに向ける視線は、言葉と同等以上の鋭利(えいり)さで肌を()でる。

もしかして、さっきの一件はこちらが想像しているよりずっと大きな地雷だったのかと、遅まきながらことの重大さに気付いて血流が早くなり、もう一度謝罪すべきか、それとも投げかけられている質問に答えるのが先かを決めるのに酸素を回す。

結果、まず謝罪を重ねることに決めた自分は、改まって彼女と向き合った。しかし、最初の一音を口にする寸前、真正面からグレーの瞳と邂逅(かいこう)し、その奥に期待めいた感情が密かに息をしているのが(うかが)えた気がした。

ここまで機嫌を損ねることをしてしまった自分に対して、まだそんな感情を(いだ)いてくれる彼女に応えるためにはどうすればいいのか、もう一度考え、今度こそ躊躇いなく口を動かす。少女の問いに対して、できる限り力になる(むね)を思いの丈ありったけこめて眼前の少女に伝える。

「そっか…ありがと」

剣呑(けんのん)さが消えた声が、雨音に少し(あらが)ってから消えた。互いが再び屋根の外を眺めるよう向き直してからしばらく訪れた静寂で、自分だけが早鐘の(ごと)く鳴っていた胸の鼓動が少しずつ静まっていく様を耳にしていた。

それが一通り落ち着き、耳に入るのが環境音のみになったことに安堵感を覚えた自分は、細い吐息を宙に手向ける。湿った空気を空になった肺へ新たに取り込んでいると、視界の端で微動だにしていなかった美咲が、普段の声音で言葉を(つむ)いだ。

「じゃあそれに入れて送ってよ。私の家まで」

振り払った小粒くらいの惰性(だせい)によって(まと)められていない傘を一瞥(いちべつ)し、今まで使ってきた感覚を頼りに2人入れるかの予想を頭の中で描く。両者とも特段大きな荷物を持っているわけではないので、2人で傘の下につけると思うのだが、全く()れないと断言することはできない。

まあ肩が濡れるくらいなら大したことないだろうと、彼女の案に賛成すべく首を(たて)に振ろうとした間際(まぎわ)に、背後から軽快なBGMと共に自動ドアの開閉音、ビニールの(こす)れる音が順に耳に届く。こちらのすぐ横でビニール傘を開いた見知らぬ人は、なぜ見落としているのか不思議なくらい簡単な解決法を残してどこかへ歩いて行った。

すぐさま美咲に向き合って、思考と直列繋ぎになった口を開く。考えればすぐ浮かぶであろう凡策(ぼんさく)でも思い付いたものを共有したい衝動に駆られたまま、振り返ればコンビニがあるのだから傘を買ってしまえばいいという、灯台下暗(とうだいもとくら)しのことわざを使うことさえ躊躇(ためら)う単純な意見を()べると、美咲は何故か(しぶ)い顔をした。

「・・・ビニール買っても置き物になるじゃん。どうせ2回使うことないし」

美咲が口にした否定意見は前者こそ同意できるが、後者に関してはすぐに新しい傘を買にいくとしても、道中使わないで済むのを前提に考えられるほどこの季節は甘くないし、連日雨続きな最近では機会に恵まれるのではないだろうか。そんな考えを少女に伝えると、彼女はまたため息をすり(つぶ)した(うな)り声を上げる渋い反応をくれたのだが。

「・・・とにかく、早く入れてよ。なんでもするって言ったんだからさ」

そんなに悪い案だったのだろうかとこちらまで首を傾げて唸っているうちに、いつの間にか不服そうな感情をなりに潜めた美咲はやや強引にこちらを丸め込もうとしてくる。

最初の案を拒否する理由もないので、美咲の言葉通りにするべく傘を広げて少女の前に差し出すと、少女は一歩踏み出してこちらを待った。すぐにこちらも傘の下に入り、幸い互いに雨水にさらされないことを確認すると、美咲の家への道を思い出しながら歩き出す。

穴の多いコンビニの駐車場を抜けてすぐにある、向こうからこちら側に渡ってきた時はなんの抵抗もなく通してくれた信号機は、この期間でへそを曲げてしまったのか、こちらが横断歩道の手前に来る直前に怒気(どき)が込められた色味の眼光を飛ばしてきた。

(にら)みを()かされ足を止めざるを得ない自分は、ふと気になって同じように隣で待ちぼうける少女に視線をずらす。こちらと違って律儀に前に視線を注ぎ、信号が機嫌を直すのを待つ彼女は、口端が僅かに持ち上がっているように見え、未だ残滓(ざんし)が記憶に色つけたあの時の剣呑さはすっかり抜けきっていた。

「・・・もう青だけど」

あまりのギャップに思わず凝視してしまう自分に、少女は指を前に差しながら促しを口にする。白く細い指に釣られて視線を動かすと、ついさっきまで赤くなっていた信号機は、青一色(いっしょく)でこちらを見つめて先に行くのを急かしていた。

慌てて謝罪の言葉を投げかけつつ、少し早足で白黒の橋を渡る。途中、1人で傘を使ってるわけではないことを思い出し、歩調の調整をし始めたところで向こう岸に足を置いた自分は、未だ適切な歩くペースを掴めないまま、歩幅の増減で振り回してしまった少女に再び謝罪した。

「こっちは入れてもらってるわけだし、気にしてないけど。さっきこっち見てたのは何だったの?」

首を軽く傾げながら問いかけてくる美咲に、言葉を詰まらせたのは失策だったかもしれない。表情にあった疑念(ぎねん)の色を強くする美咲に、本当のことを白状するか、そしてそうした場合に空気が険悪になったりしないかを考えた末に、口を動かす。

「はあ!?見惚れてたからって…」

・・・嘘は言っていない。梅雨(つゆ)の街並みを後ろに微笑む黒髪の少女は、確かに見惚れるほど綺麗だった。一番の理由は明白だが、彼女から視線を外すことができなかった要因のひとつに、口にしたことも確実に入っているはず。

「なんで私なんかに見惚れてんのよ…」

頬に朱色(しゅいろ)を込め、そっぽ向いた少女がぼやいた呟きに、好きな人相手なら普通なんじゃないかと自分の意見を返してみると、美咲は首の角度を固定して何も言わなくなってしまった。前方不注意で転んだりしないか、足場の悪くなるこの空模様だからこその心配が口内(こうない)を巡るが、よく考えないで零した前の発言が原因で、肩を並べている少女と同じ熱を顔に宿してる様を見られないという点では、こちらとしても都合がいいのかもしれない。

一応、足元に気をつけるようひと言かけ、美咲が僅かに首を上下させたのを確認してから、いつの間にか止まっていた足を動かした。ぎこちなく進む自分たちの沈黙を、雨足が跳ねる音が優しく彩っていった。

 

 

 

真っ直ぐ立ち並ぶ木々に沿って進む少女と歩幅を合わせ、時折通り過ぎる車が道路に敷かれた雨水を弾くのを転調にした雨滴(したた)る音がBGMとなる並木道。

互いに頬を染めていた時こそ言葉が飛び交うことはなかったが、時間が熱を引かせてくれたあとは、両者の間は会話に恵まれていた。

空の前に張り巡られた新緑の葉が気まぐれなタイミングで落とす(めぐ)みが傘にぶつかって起こる些細(ささい)な衝撃を手のひらに感じながら、動かしていた口に話の文末まで吐き出してもらうと、少女から羨望(せんぼう)混じりの吐息が飛び出した。

「平和だなぁ…。私の日々にもその平凡を分けてほしいよ…」

感情がこもった言葉は、文面だけ覗くと皮肉めいて見えるものだが、少女の背景を知っていれば、むしろこちら側が同情せざるを得ない。先ほど乾いた声で綴られた、着ぐるみ着させられながらスカイダイビングさせられた話を脳裏に映しつつ、水気のない笑い声を喉から引っ張り出していると、すぐ横の車道の前方から走ってきたトラックが、道の片隅に多く集まってきた水たちを轢き逃げしていった。

被害者はこちらの足元に手を伸ばしてくるので、反射的にその手から逃れようと平行線状に回避する。

「うわっ…!」

しかし、ぶつかりそうになった美咲が声を上げ、それに制止されるまま中途半端に片足を持ち上げた体制で急停止した。結果、避難しそびれたもう片方の足が完全に()の手に捕まり、形にしようのない不快感に襲われる。直撃は(まぬが)れた方の足も、靴の表面を舐められたようにじわじわと水気が侵食していき、これなら下手に動かなかったほうが被害は少なかったのではないかと思ってしまうほどだ。

「だ、大丈夫…なわけないか。・・・まあ、どんまい」

今思えばなかなかに間抜けな形で静止する自分に対して、少女は言葉を詰まらせたのちに慰めの言葉を口にする。このままだと何ひとつ格好のつかなくなってしまいそうだと直感に告げられ、触発されたプライドが動かした口が発したのは、美咲が濡れなくて良かったという、不幸中の幸いだった。

「ははっ、なにそれ。私がいなかったら濡れなかったのに。変なの」

美咲は可笑しそうに息を漏らすと、口端を僅かに持ち上げる。結局格好がついたかは微妙だが、彼女のこの表情が見れたなら、間違ったことはしてないだろうと、こちらも自然と口元が緩んだ。

やがて互いに満足し、再び歩き出して数分。景色は並木道から住宅街へと徐々に色を変えていき、目的地が近いことを知らせてきた。

だがどれだけ周囲の景色が変化しようと、自分からは当たり(さわ)りのない平凡な、美咲からは奇想天外(きそうてんがい)の刺激的なそれぞれの日常が紡がれることに変わりはない。共感出来たり出来なかったりする体験を共有したり、思わぬ角度で落ちる話の結末に腹から込み上げる笑い声を必死に拒んだりするのを繰り返しながら、様々な人の、そして今は1人の少女の帰路を順調に歩んでいる。

「そうだ。今度傘買うの付き合ってよ」

そんな会話の合間で思わぬ誘いを貰った自分は、穏やかな声が鼓膜を揺らし終えた後、返す言葉を詰まらせた。

別に誘いの回答に困ったわけではない。ただ、もう随分(ずいぶん)時間の経ったことのように思えるコンビニ前での会話で、最も空気が重くなった話題に直接触れているであろう言の葉を、美咲がいきなり投げかけてきたことに歩行すら忘れて思考が(しば)られてしまった。

「・・・別に無理とは言わないけど」

そんな束縛を解いてくれたのは、傘の外の湿気(しっけ)を吸った少女の言葉。

解放された思考の代わりに(こじ)れてしまいそうな誤解を解くべく、誘いに対する了承を早口で押し出した自分には、怪訝(けげん)な視線が向けられた。幸いそれ以上の追求はされなかったものの、降り注ぐ雨水が久々に聴覚を支配するのを強く意識しながらした呼吸は、彼女とのあいだに流れる空気に梅雨の湿度を強く感じさせた。

今まで気にも留めてなかった、空気の質感を再び気にしないで済むよう、止まってしまった会話を回すべく話題を探していると、ふと頭の中に過ぎった疑問、コンビニの傘立てに残されていた1本の黒い傘か2本のビニール傘のどちらが、彼女が置いていた傘と酷似(こくじ)していたのかを訊ねてみた。

「逆に訊くけど、ビニール傘なんてどう見分けるのよ」

・・・確かにそうだ。少女の冷静なツッコミに納得してこくこく頷くと、今度は美咲がこちらへ質問を飛ばしてくる。

「ちなみに、そんなことを聞いてどうする気だったの?」

彼女の問いに言い(よど)んでしまった自分は、誤魔化すように引き()った笑みを口元に浮かべる。建設的な意味などない完全に興味本位で訊ねた質問だということを少し迷いつつも口にした。

「・・・ふーん。なら別にいいけど」

なぜか納得いかなそうな唸り声を上げた少女は、直前の声に込められた感情に尾ひれを引かれつつも、他の話題へと(かじ)を切る。その様子に一抹(いちまつ)の違和感を覚えながら、彼女との会話のキャッチボールを再開されたことに安堵し、並んで歩く少女と言葉を交わしていると、2、3回話題が移り変わった頃には、美咲の家まですぐそこの距離まで歩を進めていた。

「・・・ここまで送ってくれてありがと」

奥沢と記された表札(ひょうさつ)の前を通り過ぎてからこちらが投げた言葉で、会話に区切りを付けた美咲は、微笑と共にお礼の言葉を送ってくれる。別にお礼を言わなくてもいいと、当たり障りのない謙遜(けんそん)の言葉で返した自分は、玄関前で彼女が傘から出たのを確認してから軽く手を振り(きびす)を返した。

「ちょっと待って」

しかし、向けた背を(つか)まれ、自らの帰路へ踏み出そうとした最初の一歩は(はば)まれる。声を上げた張本人である少女に再び向き合えるよう振り返ると、そこには真剣味の()びた視線を向けてくるグレーの瞳が、真っ直ぐこちらの顔を映し出していた。

「・・・あんたに、謝りたいことがあるんだけど」

一拍置いて振り絞られたような言葉は、やがて雨に溶けて消えた。

消えた言葉が示唆する謝罪の根幹(こんかん)に心当たりのない自分は、記憶の箱を漁りながら美咲の開示を待っていると、やがてポツリと呟かれた1人の少女の声が、この場に小さな波紋(はもん)を広げた。

「コンビニの時、過剰(かじょう)に不機嫌になってごめん。そのせいで道中でも気を使わせたよね」

美咲が口にした言葉へ自分が真っ先におこなった反応は、内容を否定するものだった。あれは美咲を不快にさせたこちらに非があることで、美咲が謝ることはないと声を上げたこちらに対し、少女は呆れなり懐疑(かいぎ)なりの様々な色を顔に同居させる。

「いや、視線だけで色々想像してキレる奴になんでそんな寛容(かんよう)なの。普通もっと不満に思ってるでしょ」

彼女が声に乗せた文末に被さるように漏れたこちらの声は、納得し難いのを隠すつもりのない唸り声だった。

彼女の指摘に対する共感が全くないわけではない。それは確かに心の片隅に芽生えたが、彼女の想像が正しかっただけにやっぱり自分が悪いのではと、自らの意見をひっくり返すくらい(くき)を伸ばすまでには(いた)らなかった。しかし、こちらが改めて考えて出した結論を聞いても、美咲は納得いかなそうに顔を歪めていたが、やがてひとつの吐息を零し、肩と一緒に頷きを落とす。

「・・・わかった。私とあんた、両方悪かった」

本心ではそう思っていないことがありありと感じられる声音で並べられた字面に、眼前の少女と同じ感情を浮かべてるかもしれない自分も、ひとまず首を縦に振って肯定の意を示した。

後味が良いとは言い難いものの、美咲の心残りも解消され、自分がこの場に(とど)まっている訳も無くなったので、今度こそ自身の帰路へ歩み出すべく美咲に別れの言葉を告げようとしたのだが、謎のもやもや感によって阻害される。言葉を押し出す前に強張った口を半開きにしながら、見通せないもやの向こうにある元凶を探しているこちらに、違和感を覚えた美咲は首を傾げつつ言葉を投げかけた。

「どうしたの?・・・もしかして、やっぱり文句のひとつでも言いたくなった?それなら今のうちに言っちゃいなよ」

思慮(しりょ)に容量を持っていかれながらも、見当違いな少女の発言を否定する。ただこのままだと変な誤解を受けそうなので、原因を引っ張り出そうともやの中に手を乱雑に突っ込んだところ、思っていたよりあっさり正体を手にできた。

それは、彼女の地雷がどこに埋まっていたのか。

コンビニで美咲を怒らせてしまったのが、自分の軽率な行動のせいだというのはわかっている。しかし、こちらの行動のどこに怒りを覚えたのか、それを自分はまだ知らない。きっととてもデリケートな部分で、訊ねれば険悪な空気が戻って来るかもしれないが、この先同じ轍を踏んで、彼女を不快にしないためにも、ちゃんと知っておきたいと強く思った。

それでも美咲が嫌なら答えなくてもいいと前置きをするのは忘れずに、手にした疑問をなるべく優しく彼女へと放ると、少女は顔を(しか)めつつもやがて小さく頷く。

「・・・いいよ、教える。けど、絶対笑い飛ばして」

普通なら笑わないよう釘を刺すのではと、浮かんだ考えを口から漏らす自分に、美咲は強い語句で肯定を伝えてきた。

「いいから、真面目に受け取らなくていいからね」

詰め寄る姿に促され、首を上下に振るこちらを確認した美咲は、躊躇うように視線を右往左右させたが、やがて何度かの瞬きを挟んでから口を開く。前振りからして彼女からどんな言い分が飛び出してくるのか予測できない自分は、どんな心構えで待てば良いのかわからぬまま鼓膜を揺らされた。

「・・・あんたから、思ったより女性だと見られてないって勝手に思い込んで、勝手に頭にきてたの」

彼女の言葉を受け止めた直後、初めに浮かんだのは、失礼ながらそんなことかという感想だった。自分は美咲のことを異性として意識している自覚があるが(ゆえ)の軽率な考えだったのだが、しかし、余韻が耳から消えた頃には、この件で論点に据えるべきなのはこちらの認識ではなく、抱いた想いが相手に伝わっているかどうかだということに気づく。そして改めた論点では、自分は明らかにやらかしていることを明確に叩きつけられた。

「もっかい釘刺すけど、真面目に受け取らなくて…んんっ⁉︎」

衝動的に伸ばした手で眼前の少女を再び傘の中へ招き入れ、そのまま強く抱きしめる。好きだ、愛してる、彼女の耳元で今まで伝えられていなかった胸の内をひとつずつ、丁寧に吐露(とろ)していった。

「〜っ‼︎少し落ち着け!馬鹿!!」

喉の奥に言葉がまだまだ待機しているなか、悲鳴混じりの絶叫と共に景気の良い音が雨音を真っ直ぐ切り裂く。背中に思いっきり平手を打ち込まれたのを背中に走った痛覚で認識した自分は、美咲に回していた腕を解いてしまい、その機を逃さず彼女は瞬時に玄関前へと舞い戻った。

「・・・だから、真面目に受け取るなって言ったじゃん…!」

美咲の反応で自分がやったことに気づく。今日だけでも何度やったかわからないくだりに呆れる暇なく、心臓が(せわ)しない音を立てて血を運ぶ。耳まで赤く染まっているであろう自らの顔を片手で隠しつつ、蚊の鳴くような声でごめんを呟いたこちらへ、頬に熱を宿しながら視線を明後日に飛ばした少女は、ちらりと視線を戻してからこちらと同じ声量で言葉を紡いだ。

「今回はあたしが過敏(かびん)に反応しただけで…普段ので、あんたのはちゃんと伝わってるから、本当に大丈夫…」

彼女が並べた文字列に作られた、言葉の隙間にある言葉で、自分が如何に先走っていたかを再度認識させられたものの、押し寄せる羞恥(しゅうち)の中に微かな安堵を見ることができたのがせめてもの救いだった。

だが、これ以上この場に残って少女と会話を繋げる余力もないので、口早く別れの言葉を投げ付けて脱兎の如く立ち去ろうと踵を返す自分の耳に入ったのは、開けられたドアの音と、環境音にかき消されそうな少女の声。

「・・・あたしも、好き」

息の詰まる刹那ののち、バネ仕掛けみたく振り返った自分には、鍵の施錠音しか残されていなかった。少し引いてきていた熱は身体中に回ってきていて、それはずるいと口から声が漏れる。

ぎこちない足取りで辿った自分の帰路には、雨雲の裏に隠れた夏の片鱗(へんりん)が確かに感じられた。

 




初見の方は初めまして、そうではない方はお久しぶりです。エノキノコです。まずはこの小説を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。私の小説は他の参加者様と比べても文の癖が中々強く、そのくせ馬鹿みたいに長くて読者にこれでもかと優しくないのを痛いほど自負していますので、後書きまで付き合っていただけているだけで本当に(おん)の字です。
そんな方々の優しさに漬け込むようで申し訳ないのですが、ここから少し感想や謝罪等を書かせてもらいます。興味のない方は目次に戻って、他の参加者様の作品をお読みになってください。
今回は私にとって初めての合同企画への参加で、自分だけで書くのとはまた違った感覚での執筆になり、とても新鮮な経験をさせてもらいました。女の子扱いされなかったことに対して自分でもわからないほど怒ったり、主人公君に曲がりなりにも好意をぶつけようとする不器用な美咲が書けた…と思いたいですが、これに関しては読者の方々に委ねます。ちなみに主人公君の描写が妙に曖昧なのは、単話で1人のオリキャラを話の中で完成させることが私の力量では難しいため、ならいっそ極限まで情報減らして他の描写に文字を割こうという作者なりの工夫ですが、そのせいで読みにくくなっていたらごめんなさい…!
ここからは謝罪を…。冒頭で私がお久しぶりと声をかけた読者の皆様…!自分の作品を更新せず、報告もしないで本当に申し訳ございません…!!合同書くなら自分のもちゃんと出せ!とお怒りの方がいてもおかしくないですし、自分もその通りだと思いますが、来月中にはおそらく更新できると思いますので、今は怒りを飲み込んでいただき、更新された時に溜めた怒りをぶつけていただければと思います…!
そして最後に、生来の遅筆がここでも発揮され、主催のrain/虹様にはかなり迷惑をおかけしました…。誠に申し訳ございません…‼︎次の機会(なんて自分に訪れるかは微妙ですが)がありましたら、お手数をかけさせないようにしますので、今後ともよろしくお願いします…!
そして最後の最後に、これまで最高の作品でこの企画を盛り上げてくださっている他の参加者様の方々、企画の主催をおこなっていただいているrain/虹様、そしてここまで読んでくださったあなたに、同時にながらお礼を言わせていただきます!本当にありがとうございました!!!

代表作『もしBanG Dream!のヒロインと付き合っていたら…』
https://syosetu.org/novel/252340/
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