I
俺は……どうなった?
俺は……どこにいる?
……歓声が、聞こえる。
……何かが、動く、気配がする。
……誰かが、俺を呼んでいる。
「……! ねぇ、前、前!」
……前? 何の事だ?
俺は閉じていた目を開き、光を両の網膜に導いて……。
……そして次の瞬間、俺の視界は、眼前に迫る赤くて丸い物体に占拠されていた!
「うぉわぁっ!?」
考える前に身体が動く。上体を右に反らし、頬を掠める赤い物体……右のボクシンググローブの起こす風を感じる。風の流れが……見える。
「いけ、左、左!」
背後からの声援に乗って、身体を前に踏み込ませる。俺の身体が風に変わり、相手の風の表面を滑って雪崩れ込む。突進する風の先端には、グローブに包まれた俺の左腕。
そして、衝突。
ぱぁん! という小気味良い音。そして、拳に感じる鈍い感触。俺の拳は正確に相手の顔面を捉え、相手ボクサー……確か同じボクシング部の3年だった筈だ……を、50センチばかり後ろに吹き飛ばし、そのままマットに叩きつけた。
会心の一撃と言う奴だ。顎を強打された先輩殿は、マットに沈んだままぴくりとも動かない。
「やったぁ!」
「おいおい、あの一年、やっちまったぞ……」
「嘘だろ……」
リングの周囲を取り囲んでいた観衆……同じ部の面々や野次馬などが、感嘆と驚愕の声を上げる。まあ、当然だろう。三年の、仮にも県大会出場経験のある(……らしい。俺は詳しい事は知らない)先輩殿を、入部してわずか数ヶ月の新入生(俺の事だ)が、一撃でマットに沈めてしまったのだから。
「おい、レフェリー! カウント、カウント!」
「あ、ああ。1、2、3……」
ようやく我にかえったレフェリー役の二年が、慌ててカウントを数える。その表情は、素直に喜べない、どちらかと言うと苦々しさを纏っている。
もっとも、それも無理もないのだろう。俺の今回の勝利で、彼らが去年一年間甘んじてきた『軍隊的な新入部員へのいじめ』が、今後一切禁止されることとなったのだから。苦節の一年を耐えきった彼らとしては、去年一年間の憂さを晴らす機会が失われた訳であり、釈然としない気持ちもわからなくもない。
もっとも、彼らが新入部員であった時分にも、俺の様に上級生の横暴に反抗して決闘を挑むなど、何らしら反抗のやりようはあった筈だ。それをやろうともせず、ただ唯々諾々と現状に甘んじていた連中に、俺に文句を言う資格はない。
要するにこの試合は、俺の所属するボクシング部の悪しき伝統として伝えられた、彼らの言うところの『新入部員の心身を鍛える為の儀式』……実際には学年序列を傘に着た新入部員いじめに腹を立てた俺が、それを止めさせようと先輩殿達に挑戦した結果だった。
俺が先輩殿の一人と試合し、勝ったならば悪しき伝統は、俺達の代で終わりとする……このアンフェアな条件を呑ませるのでさえ、どれだけ手間と時間がかかった事か。
あまつさえ、俺が試合に負けた場合(その公算が圧倒的に高かったのだが)、頭丸刈りの上後頭部に『負け犬』と書き、パンツ一丁で全校を五週云々と、屈辱と言う以前に何か屈折した物を感じる条件まで加えられていたのだが……まあ、俺が勝った今となっては、もはやどうでもいい事だ。
おっと、よく考えたら、まだ俺が勝ったとは限らない。先輩殿が、起きあがってくる可能性はまだある。俺は気を引き締め、マット中央の方に視線を向ける。
レフェリーが、最後のカウントを終えて、俺の勝利を宣したのは、ちょうどその時だった。
……俺の勝利?
俺が勝ってるのか?
……違う。
俺は、負けたんだ。
いつでも、負けっ放しの、役立たずだったんだ。
「どうして、お前はそんな事もできない!?」
親父が怒鳴り散らす声が鼓膜を、そして振り上げられた拳が頬を叩くのは、ほとんど同時の事だった。
全身が浮き上がる感覚。星が飛び散る視界の端を、俺の手によって酷くみっともなく裁断された布切れと、俺を冷ややかに見つめる弟の姿が通り過ぎてゆく。
そして、一瞬の後、俺の体は石造りの床へと叩きつけられていた。
「グッ……」
全身に走る痛みに思わず口から呻きが漏れ、そして目元には涙が滲む。ちょっとした事でも涙が出るのは、ガキの頃からの俺の悪い癖だ。
「くそっ! この……出来損ないが! こんな奴が俺の跡取りとは、情けなくて反吐が出る!」
(その『出来損ない』は、あんたが育てた子供だろうが!?)
苛立たしげに罵倒する親父に、俺は口の中でなじり返す。決して声に出したりはしない。もしここで下手に反駁したならば、これまで以上の叱責と拳――いや、この体勢ならば靴が飛んでくる。
(大体、そんなに跡取りが不満なら、そこのお偉い弟様にやらせればいいだろうが。俺なんぞよりよっぽど向いてるだろうに!)
内心で吐き捨てながら、殴り倒される俺……実兄を冷然と見つめる弟と親父を交互に睨み付ける。くそったれ、仮にも実の兄が、こんな目に遭っているってのに、あいつはなんて目で俺を見てやがるんだ!?
「……何だ、その目は? そんな目つきは、一丁前にやるべき事をやっている奴がする物だ!」
イカレる親父様には、その目の動きだけでも頭の沸点を越えるに十分だったらしい。吐き捨てると共に、俺の鳩尾に、親父の靴が突き刺さる。臓腑が圧迫され、不気味に蠢動した胃袋から、消化途中の昼飯が逆流した。
(そもそも、何で俺が、長男だからってだけで、服飾職人になんかならなきゃいけないんだよ!?)
神聖ラングラン王国には、《
それはラングランに民主主義制度が施行される以前の風習を踏襲したもので、それが形骸化した今では、王族から神官や、平民から戦士などの身分の変更は自由に行える……と言うことになっている。
だが、実際にはそれは、人口が多い王都中枢や、地方の大都市に限った話だ。辺境の、労働者の絶対数が少ない地方では、身分の変更はもちろん、職業の選択権すら与えられない。
例えば、地方の小さな町で、ある日突然パン屋が神官に転職した場合を考えてみればいいだろう。自動車工が花屋に、でもいい。その町の人々の生活に、どれだけの影響があることか……想像するのは簡単だ。
ならば他の都市や州から移民を募ればいい……と考えるかも知れないが、それはそれで、州毎の地方自治制度が生み出した、領域支配思想が邪魔をする。自分の州からの労働力の流出を、それぞれの地方自治体が良しとしないのだ。そして、大都市周辺に住む人間は、普通好き好んで辺境に移民したいとは考えない。
結果、辺境の町は、その産業を自らの中で維持しなくてはならない。
そんな状況であるから、この地方のような人口の少ない辺境地域では、『長子は必ず親の家業を継ぎ、産業を維持すること』が暗黙裏の了解となっている訳だ。
だが……人には向き不向きって物がある。たとえば服飾職人の一族に生まれ、それになるべく教育を受けた人間であっても、絶望的に手先が不器用な人間はいる。どんなに努力しろと言われたとしても、それを良しとできない人間はいる。
長子であろうと、適当じゃない人間を無理矢理跡継ぎにしようとするより、もっと適当な人間を後釜に据えた方が、どう考えても賢いというもんだ。だが、完全にラングラン数万年の歴史に囚われた人間は、長子・跡継ぎの様式に固執して、叱咤罵倒と暴力を振るう。
まったく馬鹿な話だ。
たとえ風習がどうであれ、親父の考えがどうであれ、俺は服飾職人ができる程器用じゃないし、俺自身、あんな仕事に毎日を削られるのは御免だ。
「いい加減にしろ……くそ……」
「何だと……?」
思わず、口からこぼれた内心の呻き。やばい、と思ったが、今までのそれより更に一段階赤みを増した親父様の顔が、状況が更に悪化した事を明らかに示していた。
「お前は! 出来損ないが、俺に文句を言うか! 俺が、どんな苦汁を嘗めて、ここまで来たと思っているんだ!?」
言葉と一緒に、蹴りが俺の腹に突き刺さる。親父が何を言いたいのかなどはさっぱり理解できなかったが、痛みに身を丸くする俺の脳の奥で、何か決定的な物が、火花を散らして弾けた。
……違うだろう。
俺は、こんなに弱くない筈だ。
俺はもっと自由な、自由であるが故に行く先の見えない世界で、漫然と生きていた筈だ。
……そうだ、これは、俺じゃない。
……でも、それなら『あいつ』は誰だ?
試合(と言うより決闘)に勝利した後。更衣室で着替え、校門に出た俺を、妙なくらい浮かれた声が出迎えた。
「遅いぃ!」
「……如月? 遅いって……何か用か?」
その声は、俺の旧年来の女友達である、如月花梨のものだった。さっきの試合中に、色々野次(声援か、一応)飛ばしていたのも彼女だ。溌剌とした性格で男女の別なく人気の高い奴だが、俺にとっては、幼なじみだからと妙にべたべたしてくるので、少々鬱陶しい。(以前、それを友人にこぼした所、『贅沢者』と殴られた)
その如月は、俺の返答に少々気分を害したようだった。両の手を腰に当てて、ただでさえ少し小柄な背丈を更に屈め、見上げるように睨み付けてきた。
「何よ~、仮にも幼なじみにその素っ気ない言い方! まあ、それがキミらしいと言えば、キミらしいんだけど」
「ンな、人を無愛想の塊みたいに言いやがって……」
今度は俺が、むっつりと眉を顰める番だった。
「それそれ、そういう顔が、無愛想だって言うのよ。こぉんな可愛い女の子が目の前にいるんだから、少しは嬉しそうな顔しても罰は当たらないんじゃない?」
「自分で言うかね、それを……」
左の手で自分の頬を指し示し、右手で俺を頬をつつきにくる如月を、俺は鬱陶しく振り払う。
……だが実際の所、鬱陶しい鬱陶しいとぼやきつつも、こういう他愛のないやり取りを楽しんでいる自分がいることも否定できない。如月もそれを知っているのか、あるいは神経が図太いだけなのか、懲りもなく俺の左腕に両腕を回し、引きずる様にしながら言った。
「ところでさ、駅前に新しい喫茶店ができたんだけど、そこのパフェが美味しいって噂なんだよぅ。戦勝祝いって事で、奢ってくれない?」
「……戦勝祝いなら、普通奢るのは逆だろうが」
「いいじゃない。そもそも、あたしの声援がなかったら、キミはぼけっとしたまま殴り倒されて、そのままパンツ一丁で校内五週する運命だったんだぞ? かくしてキミには『負けパンツ男』の烙印が押され、これからの高校生活は暗黒色に……ああ、可哀想な『負けパンツ男』の正樹」
言ってわざとらしく「よよよ」と泣き崩れるような真似をして見せる如月に、俺は微妙な違和感を感じつつ、天を仰いで白旗を振った。
「……ああわかったわかった! 俺が悪うございました! 是非奢らせてください花梨お嬢様!」
「~♪」
一体何度、同じ様な手で言いくるめられてきた事か。鼻歌混じりに俺の前を歩く如月の喜色満面そのままの顔を見て、俺は嘆息を一つ漏らした。
全くもって俺という人間は、女性全般に対し強く出られない体質らしい。やれやれ……。
「……ところで、如月?」
気を取り直して、先を行く如月の背中を追いかけながら、俺は先の如月の言葉に感じた違和感を問うた。
「何?」
「さっきの……『正樹』って……誰だ?」
馬鹿な。なぜそんなことを聞いているんだ? 俺は。
正樹とは、俺自身のこと、俺こそは、安藤正樹という名を持つ人間じゃないか。
なぜ、それに疑問を持つ必要がある?
……そうか、原因はこれだ。
俺の中にある、別の奴の記憶だ。
俺の頭の中で、火花が弾けた。
何かが、俺の中で沸騰した。破裂した。今まで溜め込まれてきたどす黒い何かが、火柱の様に吹きあがる。
(もう、我慢できない!)
目の中を、炎が荒れ狂う。頭の中を、焼き尽くす様に暴れ回る衝動。その迸りを受けて延ばされた俺の手が、何かをぐっと握りしめる。
今一度、腹に突き刺さる衝撃。また、親父が俺を蹴りつけたのだ。串刺しにされた様な痛みと嘔吐感に、体がくの字に折れ曲がる。げぇ、と吐き出したものは、どす黒さを帯びた赤色を呈していた。
衝撃の残滓に激しくせき込む中で、俺は手の中に握りしめた物を確かめる。鋭くて、長くて、冷たい……それは、布地を裁断する為の、不朽鋼のナイフ。
それは……俺の激情の行く末を、指し示すように、鈍く光っていた。
「屑め……!」
『奴』の吐き出す罵りが、奇妙に遠く感じられる。全身が沸騰した様に熱い。自分がゆらりと立ち上がった事さえも、まるで夢現の様に、揺らめいている。
全ての背徳が許容され、暗黒に回帰する様なその瞬間。俺はそのナイフに、全ての黒の意志を注ぎ込んだ。
(くたばれっ……)
お偉い弟様が、警告の声を上げるのが聞こえる。しかし、もう遅い。俺の黒い激情は殺意となってナイフに宿り、無防備な親父の背中へと吸い込まれて行く。大振りの刃が冷たく輝き、肉を切り裂き、臓腑を抉って……。
(駄目だ!)
「……ッ!!」
瞬間、俺は刃を取り落とした。ナイフの切っ先は何者も切り裂く事なく、かぁんと石畳の上を跳ねて転がる。
「今……何をしようとした?」
弟の警告に振り向いた親父が、底冷えする声で問う。足下をぐらつかせる俺に問われたそれは、同時に俺自身の疑問でもあった。
(俺は、今何をしようとしていたんだ!?)
その疑問に答えが出るよりも早く。
俺の頬を、今までの比ではない勢いの拳が打ち付け、そのまま疑問は意識共々暗黒の中に失墜した。
……今のは、事実とは違う。
あの時、俺のナイフは、確かに親父の横腹を貫き、それまでの俺の人生の全てを、ご破算にした。
全てをぶち壊しにして、俺は逃げ出した。『今まで』を壊す為に犯した罪は、新しい足枷となって、俺を社会の闇部へと引きずり込んだ。
それが、『ウィノである俺』の現実だったはずだ。
なのに、『この俺』は、『ウィノである俺』と違う。
俺の記憶の筈なのに、俺ではあり得ない行動を取っている。
『この俺』は……誰だ?
いや……待て。俺は本当に『ウィノである俺』か?
……いや、違う。俺の中には、安藤正樹という人間の記憶と経験がある。
いや、それとも、『安藤正樹である俺』の中に、ウィノ・クオ・ザンバーの記憶と経験があるのか?
……くそ、訳が分からない。何が起きている? 俺はどうなってしまった?
……一体、『俺』は……誰なんだ?
「……? お兄ちゃん!」
小さく呻きを漏らし、うっすらと目を開けた俺の視界に、ハニーブロンドを肩口で切り揃えた十歳過ぎの少女が、心配げに覗き込んでいるのが飛び込んだ。
「よかったぁ……いつまでも目が覚めないから、心配してたんだよ? ねぇ、痛いところとかない?」
少女の顔にははっきりと安堵の色が浮かんでいたが、いつまでも無言のままの俺に、徐々に不安の影が差し込んでくる。だが、それでも俺は何も言葉にしない。より正確には、言葉を発する事ができない。
「ねぇ、どうしたの? 『マサキ』お兄ちゃん?」
「!!」
その少女の言葉が、鍵となった様に。
急速に、俺の中でバラバラになっていたパズルの欠片が、次々に組みあがり、像を結んで。
「そうだ……俺は、正樹だ。安藤正樹。他の、誰でもない……!」
「ね、ねえ!? どうしたの、何か苦しいの!? ねえっ!」
プレシアの悲鳴じみた声を耳に捉えながら、俺の意識は、再構成された記憶の奔流に押し流され、再び闇へと失墜した。
Ⅱ
「彼の身に起きた事は、魔装機の『戦闘面』と『機能面』、そして彼自身の『精神面』の三面に分類できるわね」
神聖ラングラン王国第一王女にして、この国随一の練金学者でもあるセニア・グラニア・ビルセイアが、三次元モニターに浮かぶ三つの光球を順に指し示しながら言った。
「順に説明してくれ、セニア」
と促したのは、ラングラン第一王子にして、防衛局長官でもあるフェイルロード・グラン・ビルセイアである。実兄の指示にセニアは一つ頷いて、赤色の光球を支持棒でつついた。
「まずは、全てのきっかけになった『戦闘面』。『ジャオーム』と『ルジャノール』の、急激な戦闘力の増大について、ね」
セニアのノックに反応して、光球から数枚の『ジャオーム』と『ルジャノール』の写真が拡大表示された。恐らくはそれぞれの機体の人工精霊が保存していた映像であろう。
写真の中の魔装機は、各々が不可思議なオーラにも似た陰火を纏っており、『ジャオーム』のそれは鮮やかな緑、『ルジャノール』のそれは七色に変幻する輝きを放っている。
「この現象自体は、魔装機操者である人なら、一度くらいは経験があると思うわ。操者プラーナの純粋化によって、一時的に憑依精霊の純粋度が向上し、《魔装》密度が飛躍的に向上する機能相転移状態《
「『ジャオーム』はともかく、『ルジャノール』で発生するとは、意外だったな。最低でも、正魔装機クラスの性能がなければ、起きない物だと思ってたぜ」
セニアの解説に、壁際で説明に耳を傾けていたリカルド・シルベイラが口を挟んだ。その言葉に、彼同様今回の件の説明を聞く為に、この場に集まっていた魔装機操者の面々……テュッティ・ノールバックやホワン・ヤンロン、ファング・ザン・ビシアスやシモーヌ・キュリアンなどだ……が、同意するように頷く。
「操者の動的プラーナの総量が充分で、更に感情が一つの流れに集中していれば、どんな機体ででも発生し得る現象よ。……もっとも、意識的に感情を、抑えるんじゃなく一つの流れに集約するのは、よほどの訓練がないと実現できないとは思うけど。それをマサキとこの『ルジャノール』の操者が実現できたのは、はっきり言って奇跡に近いわ」
「……死に対する恐怖や怒りは、人の精神を支配しやすい。この先、有人機を相手にする時は、下手に追いつめると《昇位》を起こす可能性がある、と肝に銘じておいた方が無難だろうな」
ヤンロンの言葉に同意して、再び頷く操者の面々。
「しかし、姫様。その《昇位》現象と、今回マサキ・アンドーに生じた異常に、どのような関連性が?」
「それは、今から説明するわ」
ファングの問いに、セニアは指示棒の先で一つ円を描いて答えた。
それは、正魔装機『ジャオーム』の操者である安藤正樹が戦闘中に遭遇した異変の、検証結果を発表する場であった。
単機で反ラングラン武装集団である『ジラドス』の魔装機部隊に突入した正樹は、瞬く間に『グラフ・ドローン』部隊を撃破したが、『ルジャノール』部隊の一機を撃破した段階で精神に恐慌を引き起こした。
彼はその状態のまま残存『ルジャノール』部隊を戦闘を継続。辛うじて今一機の『ルジャノール』を撃破したが、『ジラドス』魔装機部隊最後の一機が《
結果、戦闘終了時には『ジャオーム』は大破、正樹は意識を失って機体外に放り出されているという状態だった。(後者に関しては、大破した『ジャオーム』の《精霊殻》の非常保護機能が作動し、操者を機体外に排出した為と考えられる)
正樹は交戦宣言を受けて現地に急行していた『グランヴェール』のホワン・ヤンロン及び『ラ・ウェンター』のレベッカ・ターナーらによって回収され、軍医療施設にて治療を受けたが、意識不明の状態が続き、意識が復帰したのは戦闘より三日が過ぎてからだった。
しかし、ここで更に予想外の事態が発生した。意識を復帰させた正樹は、正樹自身の物ではあり得ない記憶を保有しており(発言の断片から、『ジラドス』魔装機部隊の一員のものと推測される)、それが原因で彼の自己認識が非常に不安定な状態となっていたのである。
……もしもこれが、有人魔装機同士の戦闘において、頻繁に発生し得る現象であったとしたら、常に魔装機操者は、自らの精神崩壊の危険と背中合わせで自らの機体を駆らなくてはいけない事になる。
そしてそれは、魔装機という兵器体系そのもののあり方に、大きな波紋を投げかける可能性さえあるのだ。
この件の重要性に気づいた王国は、急遽王国魔装機開発局や医療研究機関、練金学アカデミーなどから、魔装機同士の感応現象について調査・研究するチームを組織。そしてそれから一週間が過ぎた今日、『魔装機隊統合基地』において、彼ら研究チームの研究第一報告会議が行なわれていた。
「みんなは、これが、何だか判る?」
そう言ってセニアが指し示したのは、写真中の『ジャオーム』と『ルジャノール』から立ち上る、緑と虹色の陰火だった。
「……未収束状態の《魔装》……ですよね?」
テュッティが、首を傾げながら問いに答える。彼女に限らず、魔装機操者として訓練を受けている人間は例外なく、訓練の課程で、この様な薄靄の様な状態の《魔装》を目にしている。
もっとも、ここまで靄状でありながら、肉眼で確認できる程の分量を持つ《魔装》には、そうそうお目にかかったことはないが。普通、ここまでの量の《魔装》を展開できる人間は、もっと確固とした状態で《魔装》を安定させる。
「そう、これは間違いなく、素体から展開された《魔装》だわ。じゃあテュッティ? あなたはこの《魔装》を、どうやって安定させている?」
「それは……安定した状態を細部までイメージして」
「そうね、そして、そのイメージを機体に伝達して、《魔装》が結像する為に必要なエネルギーが、操者の動的プラーナ。つまり、操者の放つプラーナは、精霊に供給されるエネルギーであると同時に、その人物の意志や感情、イメージとかが内包されている」
セニアの言葉を、フェイルロードが引き継ぐ様にして呟いた。
「……と言う事は、そのプラーナを受けた《魔装》にも、少なからず人の意志や感情が取り込まれている、という事だな。そして《
「そう、そして、その《
そうセニアは結び、向き直って聴衆をぐるりと見回した。各々が、あまり良い表情をしていないのが、はっきりとわかる。
「でも、機体表面層の《魔装》の情報が、操者の意識に影響することなんかあり得るのかい? そうだとしたら、あたしらはいつでも精神汚染の危険と隣り合わせで魔装機に乗らなきゃいけない事になるけど」
「敵機の《魔装》に介入して、操者の精神を狂わせる様な情報を送りつける……そんな兵器が生み出される可能性もあるな」
「できるとしたら、絶対誰かがやるわよ……ぞっとしないわね」
レベッカ・ターナーが疑問で口火を切り、ヤンロンとシモーヌが色の優れない声音で続いた。それに、セニアは痛いところを突かれた顔で一つため息を吐き出す。
「結論から言うと……《魔装》からの意識情報のフィードバックは、あり得るわ。《精霊殻》は、T=W型多重意識感応素子を介して、普段から《魔装》と操者のシャドウの間でアクセスを繰り返してるから……」
「ウェンディさんの作ったと言うあれですか? 一体何の為に操者をリンクさせているのです?」
そう問いを発したのは、新たに召喚され、テュッティの後継として『氷のファルク』の操者となった、シーエ・デメクサである。
「潜在意識下にある《魔装》の収束イメージの取得と、精霊との同調の補佐よ。はっきり言って、あれがないと、今の正魔装機は……特に、魔装機神は、十秒と《魔装》を維持できないわ」
「そんなに、極端に違うもんなのか……」
セニアの回答に、リカルドが感嘆の声を上げる。
「あれの登場は、紛れもないパラダイム・シフトだったからね。何と言っても、素子上に仮想思考領域を形成して、人間の意識のペルソナをアクティブにしたまま、シャドウにアクセスして、並列に情報を処理できるようにしているのが凄いわ。やりようによっては、潜在意識の中の『もう一人の自分』と対話することさえ可能らしいから」
「いや、セニア。技術的な話はいいから、本題に戻ってくれ、本題に」
生き生きと脇の立て板に水を流すセニアを、慌ててフェイルロードが窘めた。
「量産型魔装機の場合は、問題ないのですか?」
例によってつまらなさそうに頬を膨らませるセニアに、ファングが尋ねた。立場上量産型魔装機の部隊を指揮する事の多い彼であるから、この疑問はもっともな所だろう。この問いに、セニアは頷いた。
「ええ、量産型魔装機の場合は、展開できる《魔装》の絶対量が少ないから、従来型の感応素子でも充分に対応できるの」
「有人型魔装機が対人戦闘においてのみ敵に回る事を考えれば、対《魔神》兵器である正魔装機にこの弱点があることは、外交を有利に動かすカードに使えるかも知れない。が、《魔神》が何らかの精神攻撃を仕掛けてこないとも限らないからな……」
フェイルロードが、防衛局長官にして王国第一王子らしい発想の呟きを漏らし、続いて呻いた。
現在のラングランは、国際的中立研究機関である練金学協会の所産である正魔装機の機体と周辺技術を独占している為、周辺諸国……殊にシュテドニアス諸国連合からの強い非難を受けている。
これは魔装機計画発動当初にもあった事で、その時には試作魔装機の設計を公開する事で事なきを得た。しかし今度は正魔装機や魔装機神の設計を公開するわけにはいかない。周辺諸国への技術流出は、結果的にテロリスト組織『ジラドス』の戦力増強に繋がり、ただでさえ対処に難渋している国内の混乱に拍車をかける事になるからだ。
だが、現状のままでは、遠からずラングランはラ・ギアスの国際社会から孤立し、最悪ラングラン対ラ・ギアス諸国連合の戦争に発展する危険性さえある。それを回避するために、ラングランの外交官達は、あらゆる手練手管を駆使して周辺諸国のなだめに駆け回っているのだ。だが、それも長く保ちそうにはない。
フェイルロードの本音としては、とっとと《魔神》に襲来して貰いたいのだ……自分の手で、事態を収拾できる間に。全てが、自分の手の届かない所に行ってしまう前に。
「ともあれ、その素子が正魔装機に不可欠なのであれば、その意識の混在が発生しないよう、例えば防御障壁を展開するなどの対処はとれないのですか?」
自らの思考に没していたフェイルロードを、テュッティの質問が現実に引き戻した。
「うん……特に何かしなくても、通常の安定した《魔装》なら、他の《魔装》に対して排他作用……つまり、他の《魔装》を弾く作用があるから、まず意識情報の混入とかは生じないんだけどね……。《魔装》粒子の排他作用域より収束率の低い状態になると、粒子の間隔が広くなった《魔装》は、簡単に他の《魔装》の進入を許してしまうのよ」
言って、セニアは苛立ったように髪を引っ掻き回した。
「要は、操者の精神集中が安定していれば、簡単に回避できる事なんだけどね……何分メンタルな領域の問題だから、これ! って解決法がなかなか用意できないのよ……ごめんなさい」
「い、いえ、セニア様が頭をお下げになる事では……」
頭を下げる王女に、近衛騎士団分隊長であるファングが狼狽する。
「ともあれ、今ウェンディが防壁を仕掛けてるから、これもそのうちには解決すると思うわ。で……第三の問題」
締め括るように言いながら、セニアは立体映像中の、三つ目の球体を指し示した。
「同調の発生した人物……つまりマサキの精神面に関する件よ」
「まず結論から言うと、マサキの自我は、極めて不安定な状態にあると言えるわ」
言いながら、セニアは最後に残った球体を指示棒で叩いた。
球体から飛び出したのは、今度は脳波計の記録等のグラフだった。時間的に変動しているグラフの波形は、ある一点を境に大きく乱れ、そして波形が休眠状態……つまり失神するまでの間、従来とは全く異なる波形で安定している。
「まず、《
丁度波形の変動の始まった瞬間の一点を示し、その下に並べて表示されているタイムテーブルを指し示す。
「この一点からの脳波の変化は、一見すると無秩序に見えるけど、この波形からマサキの脳波を除去すると、ちょうどウィノの脳波に一致するの。……『ジャオーム』の観測器から採取された、『ルジャノール』の《魔装》パターンからの算出だけどね。
まあ、証左はこれだけじゃないんだけど、とにかくこういう事から、彼とウィノという男が、意識の共鳴を起こしていた、と推測するわけ」
「典型的な、《魔装》による精神の共振という訳か……」
ヤンロンが呻く様に呟く。
「で、ここからが問題なのよ。意識を共鳴させたマサキは、その状態のまま、意識を共鳴させている相手の《精霊殻》を破壊してしまった……つまり、殺してしまった」
『殺してしまった』の部分で、セニアの声が微妙に揺らぐ。
「……これは、言うなれば生きたまま自分が死ぬのを体験するのと同じだわ。その衝撃は……あたしもシミュレータで試してみたけど……それですら、二度と御免ね」
言いながら、その瞬間に自分の全身を貫いた感覚を思い起こし、セニアは小さく身震いした。
シミュレータで他人の体験を追体験する技術はラ・ギアスでも比較的古くから存在しているが、過剰にリアルな体験は使用者の精神に心理的外傷を残す可能性がある。そのため、これらの追体験の際にはフィルターを噛ませ、体験の鮮明度を落とすのが普通だ。
そのフィルターを介してさえ、セニアにここまでの恐怖を植え付ける体験である。それが直撃した正樹の受けた衝撃は……想像を絶する。操者達の幾人かが眉をしかめ、更に幾人かにセニアの身震いが伝染した。
「だが、相手の『死』を体感したとして、記憶までが一緒に伝染する物なのか?」
兄が問うに、セニアは小さく唸った。
「……う~ん、これに関しては自信がないんだけど、ほら、『臨死体験時の記憶のフラッシュバック』ってあるじゃない? あれが、どうもウィノって操者に発生したみたいなのよ。臨床データが無いんで、はっきりとした事は言えないんだけどね」
「そりゃ、臨死体験の臨床データがそんなにあったら怖いわな」
リカルドが、苦笑混じりに返す。
「つまり、精神がリンクしたまま、マサキがリンクの相手を殺した瞬間、相手操者の記憶がフラッシュバックを起こして、それが《魔装》を媒介してマサキの意識に焼き付けられた……」
「そういう事。今マサキの脳には二人分の記憶がある……多分『マサキ・アンドー』としての記憶の方が優勢だから、『ウィノ・クオ・ザンバー』の意識に乗っ取られる事はないと思うんだけど……」
「けど?」
「『ウィノ』と『マサキ』の記憶が混ざり合ってしまった場合、自己同一性障害が起きて、最悪、諸ともに自壊する可能性があるの」
「自壊?」
鸚鵡返しに問うレベッカに、セニアはやや沈痛な面持ちで答えた。
「要するに……発狂よ」
重苦しい、沈黙が部屋を支配した。
「……今、彼は徐々に自己認識を復帰させようとしているわ。でも、それが達成できるかどうかは彼の心次第。それに、回復したとしても、フラッシュバックの形で記憶が復帰して、また精神が崩壊する危険性も否定できない……」
セニアが、苦しげに述する。操者達も、フェイルロードも、厳しい表情を崩さない。
「あたしたちが作り出し、あなた達に預けた魔装機には、こんな致命的な欠陥があるの。そしてそれは、果たして克服できるかどうかもまだ定かじゃない。
だから、あたしたちはあなた達に魔装機に乗ることをこれ以上、強要する事はできない。あなた達が望めば、今すぐにでも……」
そんなセニアの言葉を遮って、ヤンロンが締め括る様に言った。
「つまり、極力《
「何とも、消極的な話だな。ま、本番が来るまでには、自由に使えるようにしといてくれや」
両の肩を竦め、リカルドが苦笑する。この場合の『本番』とは、《魔神》の襲来を意味している。
「その前に、私たち自身が、思い通りに《
「おお、言うねぇ、シーエ君。これ以上ない程の的確な意見、感動の涙で溺死しそうだぜ」
「皮肉にしか聞こえないよ、リカルド」
「おや、そうか? 俺は素直に賞賛してるつもりなんだが……」
「『素直』の定義を辞書で確認しておけ。どこの辞書でも、重大な発見があるだろう」
「ははははは……」
口々に、軽口を叩き合う操者達。和やかな笑みが交わされるのを前に、ラングランの王族二人は、しばし呆気に取られたように立ちつくした。
「君たちは……いいのか? 私たちの為に、こんな危険を冒す事が?」
「今更、だな。元々一生賭けて、この国で働こうって腹だ。この程度の危険くらいで、今更ガタガタ言わねぇよ」
「それに、絶対に回避できない危険と言うわけでもないですからね。発生が予期できれば、後は精神制御の訓練次第です」
ようやっとフェイルロ-ドが絞り出した言葉に、事も無げに答えるリカルドとヤンロン。そして、テュッティとファングが続いた。
「私は元より、近衛騎士として王家の守護に剣を捧げた身です。いかな危険があろうと、退こう筈もありません」
「私たち魔装機操者は、みんな相応の覚悟があって、この世界に残っているのですから。この位で降りようなんて言う人はいませんよ」
微笑み、テュッティは他の操者……シモーヌ、レベッカ、デメクサらの顔へと視線を流す。果たして彼らもまた、頷きをもって答えた。
「そういうこと。この場にいないアハマドやマドック、ティアンも、皆答えは同じだろうね」
シモーヌが言いながら悪戯っぽくウインクを飛ばす。
「……すまない。これからも、宜しく頼む」
感極まったようにフェイルロードは息を詰まらせ……深々と頭を下げた。
……そして、操者達が再び自らの任務に戻っていった後。がらんとした部屋の中に、セニアと助手の技術者が、部屋の片づけを行っている傍ら。
「セニア様。あの事は……話さなくても良かったのですか?」
技術者が、立体映像投影装置からデータスティックを引き抜きながら、ふと問いを発した。
「何の事?」
「マサキ・アンドー自身の、自我強度の問題ですよ。彼は、常人ではあり得ないほど、自我が弱い。まるで、マサキ・アンドーではない第三者が、マサキ・アンドーと言う人間を演じているみたいに」
技術者の言葉に、セニアの片づける手が止まった。
「……そうね。確かにあれは異常だわ。普通なら、いくら《魔装》からの記憶の焼き付けがされたからって、こんなに簡単に、自我の混乱が発生する筈ないもの」
「では、何故?」
「だって、マサキの自我強度がどうであれ、《
「なるほど……配慮が足りませんでした」
頭を垂れ、それきり助手は沈黙し、再び設備の片づけに没頭する。
「……それでは、これらのユニットを倉庫に収めに参ります」
「ご苦労様。あとはあたしが一人でできるから、自分の仕事に戻っていて」
「了解しました」
敬礼を一つ返し、助手が荷物を抱えて部屋を辞去する。その姿が扉の向こうに消えるのを待って、セニアは小さく呟いた。
「そうよ……。あれは絶対におかしい。あれじゃまるで、誰かが彼にマサキ・アンドーを演じさせてるみたい。でも、まさか。そうだとして、一体それは何の為に……?」
「……セニア様! 《
「えっ!? もうそんな時間! ごめん、すぐ行くわ!」
思考に落ち込んでいたセニアの意識を、腕の携帯端末からの通信の声が現実に引き戻した。慌てて荷物を抱え、あたふたと部屋を飛び出す。その頃には、彼女の頭は次の作業の事で塗り替えられ、正樹の件はすっかり忘却の彼方へと追いやられていた。
結局、それから幾年もの間、その謎が解き明かされる事はなかった。
Ⅲ
――――――――。
……何ですって?
――――――――。
そんな!
――――――――?
……それは……確かに……でも!
――――――――!?
……はい。はい……確かに、否定要因は……。
――――! ――――――――!!
それは、わかります! でも、それじゃ、彼はどうなるのです!?
――――――――。
……はい。…………は、はい。
――――――――。
……わかりました。
私から、彼に伝えておきます。
※
「……本当、あなたは根性って物がないのかしらね?」
……何だって?
いきなり、何だよ?
「全く、この位の事でどうしてそこまで落ち込めるのかしら?」
俺は……落ち込んでなんていない。
何の事を言っているんだ? 『アイリ』?
ああ……そうか。
それは……ほんの少しだけ、昔の記憶。
俺ではない俺が経験した、最後の暖かな記憶だ。
どうやら、また俺の中で、『ウィノ』と言う奴の記憶が形を取ろうとしているらしい。
この所は、3日に1度にまで落ち着いたが、半月ほど前までは、眠る度に記憶が断片的に蘇り、俺はこっぴどく混乱していた物だ。
だが、慣れというのは便利な物で、最初は脳髄を引っかき回す様な不快感をもたらした『ウィノ』の記憶も、今ではヴァーチャルリアリティの映像の様に、客観的に眺めることができる様になっている。
しかし……今度の場合は参ったな。
これは『ウィノ』の奴が、5年越しに付き合ってきた恋人に、婚約を申し込んだときの記憶らしい。
恋愛映画を眺めている様で……どうにも居心地が悪いんだよな。こういうのは。
ウィノという男は、自分の父親を刺した後、方々の町を転々とし、最後にはガルデシア州方面の、とある小さな鉱山町へと流れ着いたらしかった。
鉱山町と言っても、ラングラン特産の
……もっとも、ウィノの記憶によれば、実際の所は
ただでさえ高価な
その価格設定が、またラングランの重要な外交カードになっているとか何とか言う話を聞いた事がある。俺もウィノの奴も、そういう政治的な話にはとんと縁がないので、正直言ってピンと来る物がないのだが。
ただ重要なのは、その
詳しい事は、ウィノの様な下っ端には知らされていない様だったが、確かにそれなら、『ジラドス』の装備が、ただのテロ組織にしては異様に充実している事も納得が行く。奴らは、シュテドニアス諸国連合から、武装の供給を受けている訳だ。それどころか、連中はシュテドニアスの魔装機開発の実戦データ収集部隊であるとも考えられる。
……それはともかく、父親を刺して犯罪者になったウィノの奴は、身分保障がない故にまっとうな職に就く事もできず、各地を流れ流れた末、この鉱山町のマフィアの下っ端として拾われた。
元々根性なしのウィノにとって、ヤクザの一員というのは甚だ不向きな職業と言わざるを得なかったが、一方でマフィアの中には『はみ出し者』としての同族意識の様な物もあり、案外奴にとって、居心地のいい場所ではあった様だ。
そして、表向きは一介の鉱山労働者(実際そういう仕事を回されるケースが多かった様だ)として働く奴は、一年を何事もなく過ごし――そして、『愛するべき人』と出会ったのだ。
鉱山の洗濯婦であったその女性――アイリ・クオラ・リヴェルという――は、取り立てて見目が良いという訳ではなかったが、その包容力のある性格に奴は惹かれたらしい。
一方的に心を奪われ、最初の一年はただの知り合い。三年目でやっと親しい友人。そして四年目に恋人となり、そして今、ここでも婚約の意味を持つ貴石の指輪を、言う言葉も見つからぬままに手渡そうとしている。
幾度も舌をもつれさせ、言葉を失い、恐ろしくて顔を上げることもできないままで……。
「アイリ……お、俺と、俺と、け、け、けけけけけけけけっこ」
ウィノは、最後まで言葉を続けさせてもらえなかった。
優しく微笑んだアイリが、彼の手から指輪を奪って自分の指に納め……そして続いて、唇を重ねたからだ。
歓喜と感動がダンスを踊る。生まれて初めて、怒りと悲しみ以外でこぼれる涙。
お互いを抱きしめる腕が、それぞれの体温を伝え、互いを求める衝動が、二人を寝台へと導いて……。
…………参ったな。
これじゃまるで俺は、たちの悪い出歯亀野郎じゃないか。
そしてその日の一月後、ウィノとアイリは正式に結婚する約束を交わした。
彼をとりまく友人達は、こぞって彼に手荒い、しかし親しみの込められた祝福を与えた。
だが、その一週間後、『ジラドス』の上層部より、彼に魔装機での出撃が命じられ……。
そして、奴は俺と出会ってしまった……。
確かに、『ジラドス』のテロ行為は、何の弁護の余地もなく、悪と断言できる。
たとえどのような思想があろうとも、関係のない人々の犠牲を強いることは、決して許される事じゃない。
だが……だからと言って、俺達が、そいつらの持っている幸福や願いを、一方的に否定する事は、許されるのか?
他人の幸福を否定する人間に、幸福になる資格はない……ああ、確かにそれも理解できる。
だが……それじゃ。それで同じように否定しあうだけでは、俺達も、奴らの同類じゃないのか……?
※
夢と記憶が、意識の闇の底へと沈んで行くのを見送って……。
鼻の先に、草と土の香りに混じって、柔らかい……とでも表現すべきな芳香が触れるのを感じ、正樹は薄く、閉じていた目を開いた。
「……ごめんなさい、起こしてしまった?」
「……ウェンディさん?」
そこには、そよぐ風に流れようとする藍色の髪を抑えながら、自分を見下ろす女性……ウェンディ・ラスム・イクナートの姿があった。
「……こんな所で寝ていたら、風邪を引くわよ?」
言われて、周囲を見渡す。そよ風が凪ぐ下生えが、緩やかなグラデーションを描く小高い丘。転送神殿を眼下に眺める、軍事基地……魔装機隊統合基地の最寄りにしては、不似合いな程穏やかな丘陵。
(ありゃ……? 俺、何でこんな所で寝てるんだ?)
首を捻り、直前の記憶を探る。ウィノの記憶が浮かび上がった直後は、どうにも自分の記憶があやふやになる。
「……何だか久しぶりな気がするな。もう一月くらい、会ってなかったんだったかな?」
取りあえず記憶のことは棚上げにし、上半身を起こしながらウェンディに問う。髪や服に絡みついた草木を振り払う。
正樹の問いに、ウェンディはその丹精な眉を顰めた。
「前に会ったのは、あなたが倒れてからすぐくらいだったから……ざっと三週間前よ。……まだ、記憶が不安定みたいね?」
「ああ、さっきまで、またウィノの記憶を見てたからな。さすがに最近は、自分が誰なのかがわからなくなる、ってな事は無くなってきたが……」
まだ、当分は『夢に見そう』だ、と苦笑を閃かせ、戯けた様に肩を竦める。それは彼なりの、相手に心配かけぬ様にとの配慮のつもりだったのだが、ウェンディの顔に差し込んだ翳りを打ち払うには、それはむしろ逆効果だった。
「ごめんなさい……」
自責と悔恨に唇を噛み締め、目を合わせていられないように俯き、謝罪の言葉を紡ぐ。
「……? ウェンディさんが悪いんじゃないだろ? これは完璧に俺の考えが甘かったのが原因だ。確かに、魔装機の欠陥もあっただろうが、結局それを引き出してしまったのは俺なんだからな。
大体、魔装機の全ての部分をあんたが設計した訳でもないだろ?」
正樹は取り繕うものの、ウェンディは沈痛な表情を崩さぬまま、頭を振った。まるで、全てが自分の責任であるとでも言うように。
(参ったな……)
思わず視線をウェンディから逸らし、気付かれぬよう小さくため息を吐き出す正樹。居たたまれなさと罪悪感が、口を揃えて糾弾する声が聞こえる様だ。
(何とか話を逸らさないとな……)
巡らせた視線の先に、丘陵地帯の一角を制圧する魔装機隊統合基地の敷地が見えた。
「……そういや、ウェンディさんは、何でこんな所に?」
ふと思い至り、正樹はウェンディに問いを向けた。今二人がいるこの場所は、確かに魔装機隊統合基地の最寄りの丘だが、それでも街道からは少々外れている。偶然知り合いに出会う確率は天文学的だ。
「……え? え、ええ。私は……あなたを探していたの」
急に水を向けられ、戸惑うウェンディの返答は、意外な物だった。
「俺を?」
「ええ。家に連絡してみたら、基地に行ったって聞いたから。連絡しようと思ったけど、携帯端末を持っていないみたいだったし」
「あ……、そいつは悪かった」
頭を掻き掻き、謝罪する正樹。改めて自らの左腕手首に指を這わせ、そこに常に装着しているべきリストバンド状の統合情報通信機の感触がない事を確かめる。
「悪い、昔っから、ああいう物は忘れる事が多くてね。しかしそれにしたって、よく見つけたもんだ」
「基地の保守要員の方に、どっちに行ったか教えてもらえたから」
なるほど、と感心して頷く正樹。基地の保守要員の兵士は、常時ゲート前を内部から監視し、基地に出入りする人間をチェックしている。となれば、基地の目の前にまで来て、中に入れず引き返した自分の姿も、彼らは見ていた筈だ。
無論、そう言った基地を訪れる人間の動向などは、低レベルではあるものの、一応軍事機密に分類される。それをあっさり教えてもらえるという事は、ウェンディ・ラスム・イクナートという人物の、軍内部における信頼度の高さを伺わせていた。
(ん? って……そう言えば何で、俺は基地に入らなかったんだっけ?)
そこで思い出した。自分が、何故こんな所で寝ていたのか。
正樹はついさっきまで、魔装機隊統合基地を訪れていた。目的はまず、例の意識の混在の件の為、ここしばらく他の操者達と顔を合わせていなかったが故の面通し。そしていまひとつが、自分が大破させてしまった『ジャオーム』の修理状況を確かめるつもりだったのだが。
だがどういう訳か、正樹は基地の入口に設置されたID認証システムに弾かれてしまった。今までは網膜判定で何の問題もなく通過できた扉が、今日に限っては正樹の眼前を閉ざし、微動だにしなかったのだ。
結局、十五分ばかりもゲートの前をうろうろし、正樹はその場に背を向けた。そして、誰かが来たのに便乗して中に入ろうと考え、基地入口から転送神殿への道路を一望できる丘の上へと上ったのだが。
……結局、いつの間にやら眠ってしまっていたらしい。
(しかし保守の連中、俺の姿を確認していたって事は、あいつら俺がゲートで入れないでいたのを眺めていたって事か? 開けてくれたって良さそうなものだろうに)
内心で憮然とする正樹。だが、何かの手違いがあったのかもしれないと思い直し、それをウェンディに問おうと目を向ける。彼女ならば、こういう事には詳しいだろう。
当のウェンディは、何やら言うべき事があるのに、どうしても言い出すきっかけが得られない、と言う風で、眉をひそめて俯いていた。
「そう言えば、ゲートのID認証システム、変更されたのか? 俺が基地に入ろうとしても、うんともすんとも言わなかったんだが」
「…………!!」
その問いを耳にした瞬間、ウェンディが鋭く息を呑むのがはっきりとわかった。彼女から流れる空気から、緊張と、ほんの少しの安堵の感情がないまぜになって、ぶわりと放出されたのを感じる。
(これは、何かあったのか?)
背筋を戦慄が駆け抜ける。自分の知らない所で、何かろくでもない事が進行している。
彼女はそれを自分に伝えるために来たのだろう。数分の沈黙の果て、ウェンディの様子からそう直感した正樹は、恐る恐ると言った風で声をかけた。
「何が、あったんだ?」
「……それは」
ほんの少し唇を震わせ、再び押し黙るウェンディ。できれば伝えたくない。こんな事を伝えたら、正樹はきっと酷く傷つくだろう。できれば、知らせる事なく事態を解決することはできないだろうか? その思いが、彼女の喉を嗄れさせる。
でも、それが今の彼を取り巻いている現実であり、それから目を背ける事は決してできない。この場で伝えなかったとしても、徐々に変化してゆく環境が、彼を次第に追いつめてゆくだろう。その動きは、もはや彼女の力では動かす事はできない。ならば、予め心の準備をさせておいた方が、彼の為にも良いはずだ。そう結論し、連絡役を引き受けたのは自分ではなかったのか。
全ては、自分の浅はかさが発端なのだ。ならば、罪は自分が背負わなければならない。彼の憎しみも悲しみも、自分が全て受け止めなくてはならない。
そんな義務感と罪悪感に押し出される様に、まるで絞り出す様に……ウェンディは言った。
「あなたが基地に入れなかったのは……あなたの魔装機操者資格が、完全に……凍結されたからなのよ」
Ⅳ
「は……?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
資格の凍結。その言葉の意味が、正樹には一瞬理解できなかったのだ。
「凍結……って、要するに免許停止の一種、だよな? 俺、魔装機に乗れなくなったのか?」
寝耳に水の話に、惚けた表情を返してしまう正樹。だが、その表情には未だ余裕がある。
しかし、ウェンディはそれとは対照的に、沈痛な表情のまま頭を振った。
「いいえ……もっと深刻よ。地上人であるあなたのラングラン国籍は、魔装機操者資格と一体で与えられているから、それの凍結は、あなたのラングラン居住権の停止も意味しているの」
「なっ……ちょっと待ってくれ! それってもしかして俺、国外追放されるって事なんじゃないのか!?」
ようやく事態の深刻さを知り、とっさに立ち上がって詰め寄る。しかし、ウェンディが黙して頷くのを目にして、虚脱したように再び草地に腰を落とした。
「……なんでだ? なんで、いきなりそうなるんだ?」
驚愕に戦慄く指先に話しかけるように、呆然と呟いた。そんな正樹の姿に、ウェンディは居たたまれなくなり、視線を揺らがせるが。
(駄目、私が、言わないと。私のせいなのだから)
そう自らを叱咤し、視線をぐっと目の前の少年に振り向ける。そして、努めて冷静な声を絞り出して、彼の身に何が起きたのかを告げた。
「原因は……あなたが『ジラドス』の思想に共鳴して、敵対行為に及ぶ危険性があるため。それを、ラングラン王国議会上層部が恐れたためなの」
ウェンディの話した内容は、以下のようになる。
今の正樹には、『安藤正樹』本来の人格と、『ウィノ・クオ・ザンバー』の記憶が、不完全に分離した状態で保持されている。
これは非常に危険な状態で、可能性としてある日突然自我崩壊を起こして発狂するケースや、或いはウィノ・クオ・ザンバーの意識が優位に現れ、『安藤正樹』本来の意識が消滅してしまうケースが想定できる……と、ラングラン医師会は判断した。そして、それらのケースが発症する可能性は未知数であり、今後の快復に関しても不明である、とも。
そして、もし正樹が魔装機搭乗中に発狂したら、その被害はどれほどになるだろう? さらに、テロリストの意識に体を乗っ取られてしまった場合は?
さらに、正樹の意識が『ウィノ・クオ・ザンバー』のものと混在してしまった場合はどうだろう? 正樹の思想が、テロリストのものに影響を受け、彼自身が『ジラドス』に身を投じてしまう可能性があるのではないか?
その恐怖が、王国議会の面々に、正樹の操者資格の剥奪(凍結と言う言葉で飾ってはいるが、復帰させる為の証左がない以上、剥奪と同義である)という決定を下させた。正樹を魔装機から引き離しておけば、最悪のケースは回避できるためだ。
「確かに有り得る問題ではあるが、だからといってこれは過剰反応というものだ」 そう言って正樹を直接に知るフェイルロードなどは彼の擁護に回ったが、結果は民主主義の特性を、まざまざと見せつけられただけに終わった。
そして昨晩の王国会議において、ついに当事者に何一つ知らされないままに、正樹の操者資格の完全凍結は決定された。
「もちろん、私たちは、あなたが『ジラドス』に下るような人ではない事を信じてる。……だけど、それはあくまで、あなたが『マサキ・アンドー』である場合に限るのよ。
あなたがもし、別の誰かに変わってしまったとき。あなたが『ジラドス』操者の意識に取り込まれてしまったときにどうなるのか。それを、私たちは保証することができなかった……」
言って、ウェンディは口惜しげに唇を噛んだ。自分はどうして、こんなにも無力なのだろう?
見ると、正樹は完全に尻を草の上に落とし、呆然と視線を宙に泳がせていた。まるで、魂がどこかに抜け去ってしまったかのように。
「……あ、マ、マサキ?」
「…………ク」
よもや衝撃で魂が打砕されてしまったのか? 恐る恐る唇を震わせるウェンディの前で、正樹の喉が小さく唸る。
唸りは徐々に大きくなり、やがて含み笑いへと成長した。
「……クク……クフフフ……ははははははははっ!!」
虚ろで、冷え冷えとした笑い。そして、為す術もなく硬直しているウェンディをよそに、それは哄笑へと変貌する。
「はははははははっ、はっ、ははっ……俺が……この俺がテロリスト! テロリスト予備軍扱いか!」
「…………あ」
常軌を逸した高笑いにあてられて、ウェンディの喉から意味不明の音が漏れ出す。無意識のうちに、腕が彼の肩に伸びようとし……途中で、恐怖に縛られたように動きを止めてしまう。
「はっはぁ! 笑える! これが笑わずにいられるかよ! ヒーロー気取りでパイロットをやって、その結果は戦争屋、殺人者、挙げ句の果てにはテロリストか! 最高だよ、最高で、最低の道化だ!」
ばたん! しゃくり上げるようにも聞こえる哄笑を響かせながら、正樹は天を仰いで倒れ込む。下生えの上に大の字に転がり、自虐と自嘲と絶望をごちゃ混ぜにして、空に向けて放り上げる。しかし、空に向けたそれは、投げ上げたボールが地に落ちるように、自分自身に還ってきて、彼を更に失意の底へとたたき落とすのだ。
ただ、失墜して行くだけの繰り返し。絶望することにいっそ喜悦さえも感じながら、正樹は嗤う。自分と、自分を取り巻く環境を。何一つ思うようにいかず、まるでとんでもない方向音痴のように、登るつもりの坂を転がり落ちてゆく自分が、可笑しくてたまらない。
「くくっ……くぅっ……くくくく、くふ、ふふ……く……」
嗤うこと自体に疲れ、徐々に弱ってゆく正樹の声を目の前に、ウェンディは掛ける言葉もなくただ立ち尽くしていた。
正樹の身に昔何があったのか、彼がどのような経緯でこの世界に召喚されたのか、ウェンディは詳しい事を知らない。しかし、日頃の彼の言動を見ていれば、彼が異常なまでに、人に理不尽な死をもたらす存在――例えばテロリストの類を憎悪していることがわかる。
しかし皮肉にも、彼は今、周囲からその憎むべきテロリストの一員であるとの疑いを掛けられている。理不尽な死をもたらす者から守ろうとして、必死になって、殺人を犯してまで守ってきた人々から。
その憤り、絶望、悲嘆はいかばかりの物であろうか? それは想像しただけで、ウェンディの胸を掻きむしる。まして、その元凶が自分の手にあるのであればなおさらだ。
”……放っておいていいのか? ……癒やしたいとは思わないのか?”
胸の奥で、正体不明の何かが荒れ狂っている。燃えさかっている。ともすれば、ウェンディ・ラスム・イクナートという殻を打ち割って迸ろうとするかのように。時折、それを封じ込めた檻の隙間から吹き出しては、彼女の腕を、足を、喉を駆け抜ける。炎のような熱さと赤さを伴う衝動。
……正樹の笑い声が途切れる。両目を閉じた、まさしく道化の仮面の如き笑みを張り付けた顔を覆い隠すように、右の掌が被せられる。左の手は、草地の上に延ばされたままで、その指先は各々が地面を抉っていた。
しばし、ウェンディの押し殺した呼吸音と、哄笑によって嗄れた正樹の喉の音、さらさらという下生えのさざめく音だけが、その場所を支配していた。
ウェンディの胸中で、『燃えさかる何か』が蠕動し、焦燥感を吐き出してゆく。何かを言わなくてはいけない、と。だが、何を言えばいいのだろうか? 日々俊英や才女などと賞賛されている頭脳も、こんな時にどうすればいいのかの答えを与えてはくれない。
そして、結局自らの思考の渦の中からようやく紡ぎだした言葉は、自分でもあまりに陳腐と言わざるを得ないような代物だった。
「……マサキ、大丈夫?」
「悪い、みっともない所を見せちまったな」
両の手は動かさぬまま、正樹は答えた。掌のマスクが、彼の表情を伺わせない。露出した口元だけが言葉を紡ぎ、笑みの形に歪む。
「大丈夫、気にしないでくれ。俺はこの程度の事でどうにかなるほど、柔にはできちゃいない。……できちゃ……いない」
言いながらも、言葉の端が詰まるように揺らぐ。両目を覆い隠す右の掌が、全身の震えを押さえ付けようとするかのように強ばり、爪先が、こめかみに食い込んで赤いものを滲ませる。
そして、それが更に上から流れ出た透明なものと混じり合って、伝い落ちるのを目にした瞬間、ウェンディの心の檻が、音を立てて砕けた。
「……ごめんなさいッ!!」
「……なん……うわっ!?」
突然ウェンディから吹き出した、感情の奔流。思わず身を起こした正樹の上半身に、何か明らかな質量を伴ったものが衝突し、包み込む。彼の視界の殆どを闇に落としたそれは、微妙な暖かさと柔らかさ、そして安らぐような心地よい香りを伴っていた。
「ごめんなさい……ごめんなさいッ!」
彼の上半身を捕らえたまま、「それ」は慟哭するような言葉を繰り返す。そこに至ってようやく、正樹は自分を包んでいる「もの」が何なのかに思い至り……そのまま絶句した。
「ウ、ウェンディ……さん!? なななな何を……!?」
何とか絞り出した声も、狼狽に語尾が震える。何が起きたのか、自分がどういう状態にいるのかがよくわからない。悔恨も絶望も、思考の全てがぐちゃぐちゃの渦の中に溶け消える。うっかり認識してしまった、自分の顔が一体ウェンディの「どこに接しているか」という事実が、さらに渦の回転を加速する。
「ごめんなさい、私の、私のせいで! 私が、あんな物を作らなければ! 私が我が儘を言わず、あの欠陥に、きちんと対処していれば、こんな事にはならなかったのに……ッ!!」
ホワイト・アウトした意識の上に、ウェンディの繰り返す謝罪の言葉が幾度も幾度も駆け抜ける。首筋の辺りに、熱い滴が落ちて弾け、冷えて散って行くのが感じられる。
――一体、何が彼女にそこまでの罪悪感を与えているのだろう? ウェンディの胸の中、硬直して身動ぎすらできないでいる正樹の、ほんの一部の冷静な意識が疑問符を打つ。
しかし、慟哭と沈黙の会話で回答が得られるはずもなく。
ただ、風と時間だけが、丘の上の二人を凪ぎ、そして過ぎ去っていった。
……ねぇ?
何だか最近、私変じゃないかしら……?
何でこんなに、悲しいのかしら?
何でこんなに、辛いのかしら?
私はただ、あなたと話したいから、これを作り出して。それが兵器に転用されて。
そしてそれが……結果的に、彼を傷付けてしまって。
でも、結局はそれだけのことでしょう? 冷静に考えれば、彼の事でこんなにも、私が苦しむことはないはずなのに。
どうして、こんなに胸が苦しいの?
これが、人を好きになるということなのかな? 心が、人の痛みを自分の物と感じることが……?
ねぇ、どう思う?
……どうして今日は、何も答えてくれないの?
ねぇ、何か答えて? いつもみたいに。
ねぇ……姉さん?
『テューディ』姉さん?
結局、正樹の魔装機操者資格の凍結は、フェイルロードやゼオルート達の尽力も虚しく、冷然と執行された。
それにより、彼の身分を保障していた全ての権利が同時に凍結される事となり、彼は軍施設に住居を移動、その身には常時監視役の武装兵が付けられることとなった。つまりは、違法入国者に対する軟禁と同様の措置である。
フェイルロード達は、正樹の市民権だけでも何とか確保しようと動いたが、法制度の網を扱うことにかけては比類無い議会制民主主義体制の議員達の前には為す術もなく……そして、正樹自身の意向もあって、それは達成されることはなかった。
そう、正樹は、地上への送還を自ら望んだのだ。「役に立たないならば、この世界にいることはできない」と言って。
それが、どうにもならない周囲の圧力への諦観によるものであったのか。それとも無力である自分を認識せざるを得ない、この世界からの逃亡を求めての事であったのか。あるいは、それとは別の理由があったのか、定かではない。
だが、その理由が如何にあるにせよ、彼の送還の希望はすぐに叶えられることはなかった。
理由の一つは、送還の術法を行使するには、地脈の状況が不適であったことだった。地上世界とラ・ギアス世界間の時空層転移を実現するためには、きわめて大規模な魔術儀式が必要になるのだが、それを実行するために必要なエネルギーを確保できなかったのである。
そして理由の今ひとつは、目前に迫った『魔装機隊管理基本法』の施行。そして、それに伴う超国家的防衛戦隊『エレメンタル・ガーディアン』の結成祭典の実施に、高位の術者達が忙殺されていたためである。
魔装機隊を、ラングラン一国家のみの戦力とするのではなく、ラ・ギアス全界の守護者として擁立せんとする――そんな目的をもつこの儀式は、現在の切迫したラングランの国際社会に置ける立場を、大きく変化させる可能性があった。
かくして、正樹の地上送還はこの祭典が終了するまで延期されることとなり、正樹は魔装機隊が組織としての新たなる段階を迎えようとする姿を、完全に傍観者として眺めることとなった。
そして、魔装機操者達が多忙を極め、正樹が非常に居心地の悪い日々を送っている中。
彼らの存在を完全に消滅させんとする『ジラドス』最大の作戦が、人知れず蠢動を開始していた。
第九話です。落とすなら徹底的に。
この辺から割と好き放題やり始めたのが見えますね。テューディが既に顔出しを始めてるのは、原典がウェンディの頭部負傷が原因で姿を現したのに対し、偽典では「最初からウェンディの意識に介入していた」という扱いになっています。
正樹の自我が弱いのは、オリジナル安藤正樹の魂を複写の後、それをさらに二分割した片方しか入ってない……そして余分を別の英雄によって補填されているから、という事情を考えていました。ヴィシュヌ=ラスフィトートの化身という解釈の一部ですね。
あとは、前回のアーネに続いてオリジナルキャラクターである如月花梨の登場でしょうか。このキャラクターは当時出入りしていた魔装機神PDBなるサイト(現在は消滅)で遊んでた人物のキャラクターが「ちょうどいい役割を担えそう」という感じで取り込まれたものでした。出番は流れの都合上そんなに多くはないですが、地上編において、整備キャラ的な立ち位置で扱うことを想定していたと思います。(インスペクター戦争編の登場予定でしたが……鬼が笑うどころではない)