I
サイツェット州府バナン市を『ジラドス』が占拠し、史上初の魔装機対魔装機の大規模戦闘となった戦い……後の史書において『バナン事変』と呼び慣らされる……は、魔装機神『サイバスター』の覚醒によって瞬く間に終結した。
戦闘の結果、『ジラドス』魔装機は90%以上が大破。首謀者であるガスパ=アルバレツは戦死し、その指揮下にあった『ジラドス』幹部ゴルド=バゴルドは、生き残った一般兵士13名と共に魔装機神隊に投降した。
この戦いによってラングラン王国側が被った被害は、サイツェット州軍所属だけでも魔装機12機、機装殻20機、兵員死者74名、重軽傷者41名。ラングラン近衛軍魔導連隊、死者7名、重傷者1名。一般人への被害、死者29名、重軽傷者103名。
被害目録だけを見れば、正真正銘のラングラン王国の敗北である。
建造物、公共施設に対する破壊活動の被害、ラングラン通貨にして約二千億Cr。サイツェット州の年間予算の50%を優に超える。しかも、これは戦後一週間の間に計上された額であり、この先増額される事はあっても減額される事はあり得ない。
そこに加えて、個人資産への損害とその戦災補償金などを計上すると……その計上額は、目にしたラングラン王国財務大臣の頭頂部の砂漠化が、その後数時間で20ミルゴーツ(約3センチ)進行した程であると語られている。
逸話の真偽はともかく。
ラングラン王国政府は事後処理業務に奔走しているものの、実際は一週間を経過しても、その終端の気配すら見えない。被災し家族や家屋、経済基盤を失った人々への補償も遅々として進まない。
ラングラン王国政府への国民の信頼の低下が危惧される中、政府はある手段をもって、人々の意識を補償問題から逸らしてしまおうと考えた。
重大な不祥事が発生したときなどに、より実害のない問題、あるいは事象をセンセーショナルに喧伝する事でマスコミの視線を釘付けにし、稼いだ時間で本命の事態に対処する……古来よりの、情報操作の常套手段である。
幸いにして、この一連の『降魔弾』事件には、正真正銘の英雄組織である『魔装機神隊』が活躍したという事実があった。なおかつ、土壇場で覚醒した風の魔装機神『サイバスター』の勇姿は、見る全ての人間に、伝説に語られる天騎士や剣帝などの英雄譚を彷彿とさせずにいなかった。
国民の不信が高まりつつあったラングラン王国に、これを利用しない手はなかった。
魔装機神隊の活躍を称える報道を支援するように情報を流し、さらに幾つかの簡単な褒賞と式典という形で話題を提供し、人々の興味を災禍から遠ざける。無論一時凌ぎに過ぎない行為ではあったが、この姑息とも言える対症療法のおかげで、ラングラン王国は事後処理に費やせるいくばくかの時間が確保できたのである。一概に非難できる事ではない。
しかし、そのささやかな国家的陰謀の結果。
『バナン戦役』の英雄、魔装機神隊……特に、奇跡の英雄たる風の魔装機神操者は、格別に人々の好奇の視線の前に捧げられ、マスコミの無遠慮な報道の矢面に立たされる事となったのである。
まずは、『週刊剣法』を開いた。
『図解・風の魔装機神とその操者
その驚異の力と奇跡に迫る』
7秒で投げ捨てた。
次は、『ラングラン・タイムズ』をめくってみる。
『現代の英雄の知られざる過去
苦節と栄光の日々を、本誌が独占取材!!』
……取材された記憶はない。投げ捨てる。
『練金学日報』を手に取った。
『練金学協会の誇る清純なる華イクナート女史と、希代の英雄マサキ=アンドーの関係に迫る!
本誌入手の映像は、度重なる逢い引きの証拠か!?』
……手の力が抜け、ばさり、と雑誌が仰向けに寝転がった正樹の顔に落ちてくる。
セラミック繊維とインクの独特の臭いが鼻を突く。良い臭いとは言い難いが、かといってわざわざ払いのける程の異臭でもない。
いや、むしろその刺激臭は、ともすれば『世界を破滅させる大魔王』に共感してしまいそうな今の気分に、冷水を浴びせる効果があるように感じられる。
「……マスコミってのは、どこの世界でも同じなのか」
胸中で渦を巻く憂さをたっぷりと載せた溜息を吐き出しつつ、正樹は呻いた。辛うじて正樹の顔面でバランスを取っていた雑誌が、顎の僅かな動きに安定を奪われ、寝椅子の下に落ちてゆく。
「ニャッ!? 何するニャ、正樹!」
猫の悲鳴と人の抗議が、同じ音で聞こえてきた。
見ると、ばさりと広がって落ちた雑誌が、なにやら有機的にもそもそと蠢いている。ばたばたと暴れる雑誌の下から、ちらりと真っ白い尻尾が顔を覗かせる。
覗き込みながら、どうしたものかと思案する正樹の目前で、ぽんと雑誌がはね除けられ、下から白い毛玉が飛び出した。
「おわっ!」
「酷いニャ、正樹! オイラを殺す気かニャ!?」
思わず身を仰け反らせた正樹の胸板に、ひらりと降り立つ白い毛玉。フーッと全身の毛を逆立てて……どこからどう見てもただの白い子猫が、人間の言葉で怒りを表現している。
「知るかっ! ただの猫でも雑誌の一冊や二冊で死ぬ訳ねぇだろ!」
目の前の怪異に未だ馴染めない自分を感じつつ、正樹は白猫に怒鳴り返す。猫と大真面目に口論している自分は、端からは一体どの様に見えるのだろうか、という疑念が脳裏をよぎるが、取りあえず脇に置いておく。
「死ななきゃ良いってもんじゃニャいニャ! 正樹には自分の使い魔への敬意とか愛情とかゆーものはニャいのか!?」
「一片たりとも持ち合わせてねぇよそんなモン!」
「ニャ~に、煩いわねぇ……少しは静かにしてられニャいの? 二人とも」
『Na』の発音が『ニャ』に置き換えられた奇妙な発音で、今度は床に置かれたクッションが喋った。
否。クッションは黒い尻尾をひこひこと振ったりはしないし、ましてや立ち上がって大欠伸をしてみせたりはしない。正樹の胸の上で怒気も露わにするもう一匹とは対照的に、漆黒の毛並みを持つ子猫。
「そんニャに喧嘩したいなら外でやりニャさいよ、二人とも……あたしはお昼寝したいんだから」
「オイラだって昼寝してただけニャのに、正樹が邪魔するんだニャ! 悪いのは正樹だニャ! 正樹だけ出ていけばいいニャ!」
「……おめーらこの部屋の主が俺だって事忘れてるだろ」
口々に自分勝手を主張する猫二匹――実際には、風の魔装機神操者となった自分の《
魔装機神は、通常の魔装機に比べて、操者が制御しなくてはいけない情報が格段に多い。そして、魔装機神がその操者を自ら選ぶ都合で、副操縦者を載せることも難しい。そのために、操者自らの精神から無意識領域を一部摘出し、それを元に《
なお、人間がしばしば無意識のうちに自らの意志に反する行動を取ってしまうように、無意識の産物である《
「前々から、正樹とは決着を付けニャきゃいけニャいと思ってたニャ!」
「おー、たった3日間でどんな結論を出しやがったこの畜生!」
とは言え、この安藤正樹ほど《
歯を剥き出し、まなじりをぎりりと引き絞り、噛み付かんばかりに睨み合う正樹と白猫。人間と猫で顔の造形が全く異なっているにも関わらず、不思議と表情が似ているのは、同一の精神を源としているからなのであろうか。
「……勝手にやってニャさいよ」
そんな有様に黒猫は、呆れかえったと言わんばかりに大欠伸を一つ漏らし、再びクッションの一部となる。
そのとき、ドアの外にぱたぱたというスリッパの音が近づき、続いて扉がノックされた。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「ん? ああ、プレシアか。開いてるぜ……シロ、ちょっと黙ってろ」
「ニャッ!?」
ノックの音に応える一方で、歯を剥き出して怒る白猫に枕を押しつけて黙らせる。その言葉を待ってドアが遠慮がちに開かれ、隙間から蜂蜜色の髪の少女……プレシア=ゼノサキスが顔を出した。
「何か用か?」
「……う、うん、えっと……」
ちらちらと、プレシアは戸惑ったように視線を正樹とその手先の枕の間で泳がせる。羽毛の詰まった布袋の下で、猫がもごもごと何やら(恐らくは抗議の罵詈雑言であろうが)呻き続けているが、正樹は黙殺して大家の娘を促した。
「これは気にするなって。なんか用があるんだろ?」
「うん、えっと。……お客さんが、お兄ちゃんに用だって」
「客? 誰だ? またリカルドが金貸せとか言ってるんじゃないだろうな」
「違う違う、ベッキーさんが、何か相談があるんだって」
「ベッキーが? 珍しいな」
腕組みをして正樹は唸った。ベッキー……魔装機『ラ・ウェンター』の操者レベッカ=ターナーが、正樹の元を訪れることは珍しい。
レベッカ=ターナーは、北アメリカ大陸のネイティブ=アメリカンの血統を色濃く残した風貌の女性である。
その外観から予想されるように、非常に奔放かつ快活な性格。退屈な王都駐在任務を嫌い、自ら進んで辺境地区の巡回任務を請け負っているため、王都で彼女の姿を見かけることは少ない……放浪癖のある『ソルガディ』の操者アハマド=ハムディ程ではないが。
その性格と言動のため、ラングラン軍部などのお堅い人間には受けが悪いが、正樹としてはそんなに悪い人間ではないと思っている。少なくとも、顔を見れば説教をしたがるヤンロンや、うっかりするとヒステリーを爆発させるテュッティなどに比べれば、遙かに付き合いやすいと言えるだろう。
わざわざ自分の元を訪れた理由はわからないが、まさかリカルドの様に借金しに来たわけではあるまい。
「オーケー、今から行くよ」
推測を打ち切り、正樹は寝椅子をぽんと叩いて立ち上がった。ハンガーに吊された愛用のジャケットを手に取り、袖を通しながら、入り口に控えるプレシアに声をかける。
「もしかすると話が長くなるかもしれねぇから、悪いけどお茶の一杯でも用意しといてくれ。居間でいいんだよな?」
「うん、わかった……あっ!」
返答の途中で、プレシアが鋭く息を飲み込んだ。
同時に、側面から殺気と、小さな物が飛び上がる気配を感じる。
「どうした……」
「覚悟するニャ、正樹!」
声に振り向いた正樹の目に飛び込んできたのは、激怒に牙を剥いた白猫の顔と、振り下ろされるピンクの肉球だった。
Ⅱ
「……何だい、そのほっぺた」
居間に現れた正樹を見やり、レベッカ=ターナーは言葉を発する前にまず吹き出した。
「気にすんな。気性の荒い子猫に引っかかれただけだ」
「……プレシアに何かしたのかい?」
「違うッ! 曲解してんじゃねぇ!」
憮然とした表情で、正樹はレベッカの反対側のソファに腰を下ろした。消毒薬を吹き付けたとはいえ、まだ右の頬がちくちく痛む。猫の爪というのは、人が思っているより鋭いのかもしれない、と益体のないことを考える。
「……この間作った《
「出口はあっちだぜ、レベッカ=ターナー」
半眼で睨み付ける正樹。レベッカは破顔して、顔の前で手のひらをぱたぱたと振って見せた。
「あはは、怒らない怒らない。アメリカン・ジョークじゃないか」
「趣味の悪いジョークが全部アメリカンって訳じゃねぇだろうに……それで、何の用だ? 金ならねぇぞ」
「金をせびりに来た訳じゃないって。ちょっと頼みがあって来たのさ」
「頼み?」
「そ、魔装機神『サイバスター』の操者である、マサキ=アンドーにしかできないことを、ね」
ウインクして愛嬌を見せるレベッカに、正樹は微妙な既視感を覚えた。
「前に、リカルドもそう言って、厄介事を押しつけて行ったような気がするな……」
「そうかい? まあ、今回はドンパチに誘おうって訳じゃないから安心しなよ」
言ってレベッカが取り出したのは、一本の茶色い瓶だった。
ラベルの真ん中に、四輪の薔薇をあしらった紋章が描かれている。紋章の上には地球標準語でバーボンと書かれており、地上産の酒であることが知れた。
「何だこりゃ。フォーア・ロゼ……」
「ああ、駄目駄目。そういう事を口にしたら駄目だって。こんなんでも引っかかるっていうからね」
「何を今更。……っと、それで、これがどうかしたのかよ? 地上の物なんて久しぶりに見たが」
酒瓶をひっくり返して眺めながら、正樹が問う。
ラングラン王国は基本的に地上との交易はない。ラ・ギアス世界の存在を地上人の大半は知らないのだから当然だが。そのため、地上の産物をラングラン国内で目にすることは非常に少ない。辛うじて、魔装機操者の私物で目にすることがある程度である。
ちなみに、瓶の中身は完全に飲み干されている。瓶の口から漂うアルコール臭が薄いことから考えて、ずいぶん前に中身は無くなってしまったようだ。
「それ、あたしのお気に入りのバーボンなんだけどね。この間切らしちゃって、それっきり次のが手に入らないのさ」
「そもそも、どうやってこれ自体を手に入れたのかって事が疑問なんだけどな」
「そこはそれ蛇の道は重たいヘビーって言うじゃない?」
「……ヤンロンの前でそれ言わない方がいいぜ」
肩をコケさせ、ため息を吐き出す。
「で、それと俺と、何の関係があるんだよ?」
正樹が問うのに、レベッカは爪でかちんとバーボンの空き瓶を鳴らした。
「話は簡単。正樹、あんたに地上に上がって、こいつを買ってきて欲しいのさ」
正樹の目が点になった。
「……は? 何で俺が?」
「『サイバスター』には《
「そういえば、そういう話も聞いたような気がするな……」
視線を虚空に向け、記憶の棚をひっくり返す。『サイバスター』の機能は、最初に乗り込んだときに全て『サイバスター』自身に教えられたつもりだったのだが、実際には正樹が把握していない機能が、まだかなり残されているらしい。世界相間の《
「世界相を超える《
と思い起こされるのは、数日前のウェンディの言葉である。
「そう言う訳で、今度地上に上がったとき、ついでにこれをいくらか買い込んで来て欲しいんだよ。頼めるかい?」
記憶をたどる正樹を余所に、レベッカは言葉を続けていた。
「……まあ、ついででいいならいいけどよ。そう簡単に地上に上がってもいいもんかね? 今じゃ仮にも魔装機神隊の中核の一人だぜ? 俺」
「そんなのは、機能試験だって言えば、魔装機神操者に誰もぐだぐだ言えやしないって」
「そんなもんかね……」
レベッカの言葉もどこか上の空に、目の前の空き瓶を見つめる正樹。
地上。安藤正樹の生まれた場所。16歳になるまでの全ての思い出が宿る場所。ほんの半年前まで、自分が生きていた世界。
別に未練がある訳ではない。残されたしがらみも……皆無というわけではないが、少ない。それに、今更戻っても、帰る場所などありはしない。
それでも、瓶のラベルに張られた懐かしい世界の文字は、まるで正樹を誘っているようで。次々と記憶のかけらが脳裏を駆け抜けて。
「……あれ、どうしたの? お兄ちゃん」
お茶を運んできたプレシアが、訝しげに顔を覗き込むのにも気づかずに。
正樹は、自分自身予想もしていなかった、抑えがたいほどに沸き上がる郷愁の念に、ただただ戸惑うばかりだった。
Ⅲ
「世界相を超える《
数日前の、ウェンディの言葉が思い起こされる。
「……だから、無茶はやめようって言ったニャ」
呆れかえった風で、正樹の《
「……これ、そう簡単にはニャおらニャいわよ。どうするの、正樹?」
精霊殻のコンソールを叩きながら、同じく《
「うるせぇ、起こったことは今更しょうがねぇだろ!」
自棄混じりに喚き、正樹は天を仰いだ。
嫌味なくらいに晴れ上がった空。やや西側に傾いた位置に輝く太陽。漂う白い雲。そして、否応なしに目に飛び込んでくる、全方位を完全に制圧する、『水平線』。
視線を落とすと嫌でも目に入る、赤と黄色に染まった機体のコンディションモニター。プラーナコンバーター異常。永久機関動作不良。ジャイロコンパス機能不全。その他、損傷箇所は数え上げればきりがない。
「ああ、地上だなぁ……」
「……現実逃避モードに入ったニャ」
「男っていざとニャるとこれだから……」
《
そこは、地上世界は太平洋のど真ん中。日本列島からおよそ2000キロメートルばかり東の海上。
……魔装機神『サイバスター』、機能不全で只今海上漂流中。
もはや言うまでもないことだが、正樹が『サイバスター』の機能試験と称して、地上への《
九割方勢い任せの《
あまり比較観測された記録はないのだが、地上とラ・ギアスでは、空間に満ちる精霊の絶対数や重力分布、方位系などが異なっている。つまり、ラ・ギアスの機械を地上で運用するには、機体を運動させるためのシステムを大きく変更する必要があるのだ。それは、地上用の機械を宇宙に持ち出すときのシステム変更に似ている。
『サイバスター』は、そういった補正を全く行わないままに地上に出た訳であり、結果システムの各所に過負荷がかかり、機能不全を起こして、出現地点であった太平洋上の海面に不時着してしまったのである。
そうして、ただ流されるままの時間が過ぎて。『サイバスター』の地上への転移から、早くも3時間が経過しようとしていた。
「……右を向いても左を向いても、見渡す限り、海、海、海……っと」
今や筏の類の仲間入りを果たした魔装機神『サイバスター』の《精霊殻》の中で。天を仰いで正樹はぼやいた。
この数時間における新たなる発見は、伝説の神鳥ディシュナスを模したと言われる『サイバスター』飛行形態……正樹は勝手に『サイバード』と銘々した……は、『水に浮かぶ』と言うことだった。
元来『サイバード』は航空力学的には必ずしも効率の良い構造とは言い難い飛行形態であり、それが通常の航空機を遙かに凌駕する速度と運動性を発揮できるのは、機体表面を流体力学的に整流効果のある《魔装》を展開することで空気抵抗を最小限に押さえ込み、なおかつ《魔装》表面を流動させることによって逆に抵抗力を推進力に転換しているからである。
この《魔装》表面の流動作用を調整することで、『サイバスター』は浮力を通常のそれ以上に働かせることができる。そのため、超質量かつ形状が複雑怪奇な『サイバスター』は、水に浮くことができる……らしいのだが、取りあえずそんな理屈は正樹にとってはどうでもいいことだ。
「いい天気でいい色の海だけど、いい加減飽きたぜ。なぁ、クロ、シロ。まだシステム復旧おわらねぇのか?」
「いらニャい口出しするニャら手伝うニャ! そもそも正樹が無茶したからこんニャことにニャったんじゃニャいか!」
「寝てるだけしかやることのニャい人はいいわねぇ……」
欠伸混じりに、視界の端で作業している猫二匹に声をかけるが、案の定帰ってきたのは罵倒の声だった。
「まだまだ、『サイバスター』の自己再生に任せニャきゃいけニャいところもあるから、ラ・ギアスに戻れるまではあと3日はかかるわよ」
クロの言葉に、正樹の喉で、欠伸と驚愕が衝突した。咳き込み、目尻に涙を浮かべたまま問い返す。
「げほ……み、3日だと!?」
「風の精霊力の強い場所に行けば、自己再生能力が活性化して、もうちょっと早く直るかも知れニャいけどね」
「……なんてこった」
予想以上に深刻な事態に、正樹は血の気が引くのを感じた。「……まさか、数時間でカタが付く故障だニャんて、甘いこと考えてたのかニャ?」というシロの冷え冷えとした声が聞こえるが、反駁する余裕もない。
気を取り直し、改めて問う。
「風の精霊力の強いってぇと……どんな場所だ?」
「いつも風が吹いてるところとか、空気がきれいニャところとかかしら? 要は風の意志とか、そういうものがイメージできる場所ニャらいいんだけど」
「……すると、高原とか、山の天辺とかになるか?」
「ここじゃ駄目ニャのか? 結構良い風が吹いてるじゃニャいか」
ぴょこ、と操作盤の下から顔を出してシロが問うが、正樹は頭を振った。
「こんなだだっ広い海の上、いつ巡視船とかに見つかるかわからねぇし、数日かかるんなら水とか食料を調達できる場所でないとやべぇだろ。非常食もそんなに量があるわけでもねぇし」
「人目につかニャくて、風が吹く場所……ちょっと思いつかニャいわね」
器用に腕組みをして唸るクロ。その一方で、尻尾だけはてきぱきとコンソールを叩いているのだから器用なものである。
「こういう時、魔装機ってのはばかでかくてやりにくいな。取りあえず、飛べるようになるまでどのくらいかかる?」
「あとこの線を繋げばあがりだニャ……よっと」
一端シロの頭が操作盤の下に消え、数秒の後、会心の笑みと共にまたひょこんと現れる。それを見届け、正樹はよっし、と気合いを入れ、操縦桿に両の手を納めた。
「オーケー、ぼやぼやしてもいられねぇし、取りあえず手近な島にでも上がって様子を見よう」
正樹が手のひらを握りしめると、操縦桿が鈍く光を放った。
《精霊殻》全体を微震が揺さぶり、ここ数時間代わり映えのしない海面を映し続けていたモニターが、徐々に青の領域を減じてゆく。
そして、代わって視界を埋め尽くすのは、遙かな空。遠く、広く、果てなく広がる、球殻世界ラ・ギアスのそれとは異なる空。
「さぁて、半年ぶりの地上のフライトだ! 軽く飛ばしてみるか!」
「余り無茶はしニャいでよ、正樹! まだ直りきった訳じゃニャいんだから!」
慌てて釘を差すクロだったが――今の高揚しきった正樹を前にしては、何を言っても無駄であろうと嘆息するしかなかった。
Ⅳ
魔装機神『サイバスター』が海面から飛びたって、数分の後の事である。
機能試験機というものは、総じて扱いが難しいものだ。
何しろ、臨界性能を試験しようと思っても、制御系の不備のために途中で失速したり、或いは理論値よりも機体耐久度が低くて、加速中に空中分解してしまうこともある。馴らしの不十分な機構が多いから、エンジンの吹き上がりなども不安定だ。
そんな状態で性能を試験するのだから、テストパイロットには試験対象の機構に対する豊富な知識と経験を有し、あらゆるトラブルに臨機応変に対応できる技量と度胸を併せ持つような、最高の技能者が必要となる。
だが、近年の急速な技術革新の影響で、旧態依然たる機械への知識と経験は、日毎に陳腐化の坂を下っている。もはや、老練な技術にしがみつく輩は、テストパイロットとしてはものの役に立たない。
しかも、現在は戦時中……それも地球圏を真っ二つに割っての大戦争の真っ最中である。熟練の戦士や技術者は緒戦で早々に火中に引退し、燻銀輝く活躍の場は、若い血脈の流入を余儀なくされているのが現状だ。
そんな訳で、地球連邦軍はナイメーヘン士官学校EC0067年度次席卒業生であるイルムガルド=風原少尉のような、お世辞にも経験豊富とは言い難い人物が、新型戦闘機械のテストパイロットを務めるような状態が生まれているのである。
「……何だ? 飛行テストコースの変更だって?」
その日、太平洋上は日本列島から南東に遠く離れた海上で。
汎地球連邦軍新型汎用戦闘機『ビルトラプター』のコクピットの中で、イルムガルドは突然の命令変更の通達に思わず眉を顰め、舌打ちを漏らした。
「文句を言うな、カザハラ少尉。どうせ大したコース変更じゃない。西に三百キロばかり回り道をする程度で、あとは予定のコースそのままだ」
そう言って、通信窓の向こうからイルムガルドを窘めるのは、同じく汎地球連邦軍少尉リン=マオである。
「リンちゃんリンちゃん、二人っきりの時くらいは名前で呼んでくれてもいいんじゃない?」
「この通信記録は後々戦技研に提出される。貴様一人が恥を晒すのは勝手だが、これ以上私まで巻き込むな」
「連れないなぁ……俺とリンちゃんの仲を知らない奴なんて、もう『ブリジット』艦内はおろか、PTXチーム全隊にだって居ないだろうになぁ」
「貴様がそういうことをところ構わず吹聴するからだっ!! 強制脱出コマンドを入力されたくなかったら、黙って進路を変更しろ!」
「はいは~い、了解いたしました」
鼓膜を突き破る怒声と共に、通信窓がふっつりと消失した。痛む耳に顔を顰めつつ、口元だけを苦笑の形に歪める。
リン=マオは、イルムガルドとナイメーヘン士官学校時代の同期生であり、学年主席の座を争った間柄でもある。
最終的にはリンが学年主席、イルムガルドが次席という結果で卒業を迎えたが、その折に触れる度にイルムガルドは「前の晩に頑張り過ぎなきゃ、俺が主席を取っていた」と嘯いている。そこで毎回頬を紅潮させたリンに殴り倒されているのだから、二人の関係は自ずと知れようと言うものだ。
「しっかし、何だってこのタイミングでコース変更するのかねぇ……?」
修正された飛行プランを入力する一方で、疑問が脳裏をかすめる。新しく指示された飛行コースは、予定のコースよりも少し大回りをする程度の違いしかない。わざわざ飛行プランを変更するということは、そこには何らかの必然があるはずだ。
「事故でもあったのか? 奴の考えることはわからんなぁ」
「イルム先輩! 何かあったんですか? コース変更の指示が来てますけど」
突然通信窓が開き、若い……イルムガルドも若いが、まだ10代の中盤のような幼さを帯びた声が飛び込んできた。
「……った~、コラ隆聖……いや、伊達訓練生! 任務中は風原少尉と呼べとあれほど言っているだろうが!」
今し方リンをちゃん付けで呼んだ舌が乾かぬままに、イルムガルドは通信窓の向こうの少年……伊達隆聖訓練生を怒鳴りつけた。
「あ……す、すんません、風原少尉。それで、何だってコース変更するんですか?」
イルムガルドと全く同じ疑問を、彼の『ビルトラプター』の後方を飛行する偵察機『アマーゾン』に乗る少年は問うてきた。
「いいんだよ。命令なんだから。それより、新規コースの入力は終わったのか? お前、まだ操作慣れていないだろう」
同じ疑問を抱いていたとしても、応える言葉を持ち合わせていなければ、結局はこう応えるしかない。縦構造の社会って嫌だねぇ……などと内心で皮肉を転がしつつ、イルムガルドは視線を、最近突然に軍にスカウトされた少年が操る偵察機に向けた。
伊達隆聖は、イルムガルドやリンと異なり、士官学校の生徒ではない。それどころか、従軍経験もなければ、飛び抜けて優秀な技能があるわけでもない。普通ならば、航空機のパイロットなどというエリートの檜舞台には、決して立ち得ない少年だ。
イルムガルドらの直属の上官であるイングラム=プリスケンが直に連れてきて、あらゆる適性試験や仕官教育をスキップして現場に配属された。しかしイルムガルドの目から見ても、筋が悪いわけではないが、飛び抜けて優秀というわけでもない。奇妙な少年である。
「大丈夫っすよ、センパ……と、風原少尉。もう50時間も飛んでるし、いい加減操作も覚えましたって」
隆聖が嘯く。今日の彼は、イルムガルドが操縦する新型試験PT『ビルトラプター』の飛行状況を外部から観測し、記録するための随行機として、気圏内偵察観測機『アマーゾン』を操縦していた。数ヶ月前まで一介の高校生だった割には堂に入った飛行だが、飛行時間50時間というのは、本来単独飛行も許されないような雛っ子である。
「調子に乗るな。ちょっと自信が付いてきたくらいが一番危ないんだ。飛行プラン変更シーケンス、1から64まで3回チェック入れとけ」
「……了解しました」
釘を差すイルムガルドの命令に、帰ってきた言葉は案の定、『面倒くさい』と言外に主張するような声音だった。
基地に帰り着いたら一発説教をくれてやろうと心に決めつつ、イルムガルドは隆聖との通信を切り、ため息を深々と吐きだした。
「……ったく。暴れトリビルトラプターのテストにガキのお守り、しかも謎の命令変更ときた。俺って不幸の星の元に生まれてるのかねぇ……」
聞く者がないからいいようなものの、万一リン=マオにでも聞かれれば小一時間小言を聞かされそうな発言を漏らし、イルムガルドは自らも、機体の飛行コースの確認作業に取りかかった。
――このイルムガルド操る『ビルトラプター』と、安藤正樹の駆る魔装機神『サイバスター』が遭遇したのは、このおよそ三十分後の事だった。
Ⅴ
ただ晴れ上がった空、広大な水面だけを眺めながら延々と飛行するというのは、思いのほか退屈なものである。
何しろ、見渡す限りが海、海、海である。話し相手になりそうな《
高度を落として、機体のソニックブームで海面に落書きしてやろうと考えたのはついさっきの事である。しかし、生憎なことに風の魔装機神『サイバスター』は、空気抵抗とかそういった物を《魔装》で中和しているらしく、急降下から急上昇という狼藉をもってしても、海面にさざ波一つ立てる事がなかったのだ。
そうなると、目的地もはっきりしない空の旅は退屈極まりない代物となってしまった。プラーナ適正さえ合えば猿でも操縦できる程親切な操縦法も、こういう時にはむしろ仇である。
「正樹! 南東の向きから未確認飛行物体2機が接近中だニャ!」
「何だと!」
だからと言って、突然顔を出したシロの警告に、思わず快哉に似た叫びを上げてしまった正樹の、不謹慎さが正当化される訳ではない。
「機種とか識別信号は取れないか!?」
「魔装機のデータバンクに地上の機械のデータがある訳ニャいでしょ!?」
「そりゃそうか……」
クロに呆れられ、ばつの悪さに頭を引っ掻く。確かに、ラ・ギアス人に地上兵器についての知識がない以上、『サイバスター』にそのデータが入っている道理はない。
「それならクロ、目標の拡大映像は出せるか!?」
「そういうことニャらお任せ……右に出すわよ」
クロが応えるや否や、《精霊殻》の内部モニター右端が四角く切り取られた。そして暗転したそこに、二機の航空機……先導する一機が飛び抜けて大きく、後の一機は巨大なレドームを抱えている……が映し出される。
「後ろの奴のレドームは見覚えがあるな。多分偵察機だ。でも、前の奴はよくわからねぇ。見た感じ大型攻撃機って感じだが……デザインが複雑すぎるし」
「おおよそ航空力学的に無駄だらけだニャ。何か意味があってああなってるのかニャ?」
正樹とシロ、二人の批評の槍玉に上げられている機体は、確かに旧世紀に開発された航空力学の精髄たる戦闘機の流れから、大きく逸脱した外観を呈していた。
俯瞰した外形は、確かに旧世紀末に開発された超音速戦闘機の流れを感じさせるが、側面から見るとどう考えても無駄な機構、無駄な装備を抱え込んでいる。その無駄装備の質量増加を補うために、推進器もまた通常の規格よりも巨大なものが装備されているのがわかるが……そこまでする意味が、あの腹に抱えた奇妙な装備にあるのだろうか?
「核装備型って訳でもなさそうだしな……まさかあれで
正樹が推測を呟く。確かに、機体全体に配備されたバーニアや、可動範囲が不気味に広い主推進器を考えると、過剰なエンジン出力に任せた垂直離着陸性能を考慮して設計されているようにも感じられる。
「距離五千。このままだと戦闘距離にはいるわ。……あ、向こうから全チャネルで通信が入ってるわよ!」
「……なるべく相手にしたくないんだがなぁ。とりあえず声を通してくれ」
正樹がそう応えると、すぐさま新しい情報窓が開かれ、そこに青年……長い髪の毛を緑色に染めた青年の顔が映し出された。
『優男』。それが、正樹が見たその青年……イルムガルド=風原の第一印象だった。通信中はヘルメットを外すという、非戦闘状態での通信のセオリーを忠実に守っているため、その容姿がはっきりと見て取れる。
「そこの所属不明機! こちらは汎地球連邦軍所属少尉、イルムガルド=風原! 聞こえているなら官・姓名・所属を答えられたし!」
恐らくはもう幾度も繰り返し唱えているであろう誰何の言葉が、マイクを通じて《精霊殻》に響く。
「どうするニャ? 正樹」
「このままだと、戦闘にニャりかねニャいわよ?」
シロとクロが口々に問いかける前で、正樹は両腕を組んで唸り声を上げた。
できる限り、地上の人間……殊に軍関係の人間に、ラ・ギアスの存在と、その科学水準の高さを知らせるわけには行かない。
魔装機関連の技術はもちろんのこと、その基幹技術である練金学。閉鎖世界であるが故の、環境保護技術。地上人がそれら技術の存在を認識すれば、当然その技術を求めて、ラ・ギアス世界への接触手段を探し求める人間が現れる。そしてその接触手段は、非公式ではあるものの、確かに地上に存在するのだ。
「しゃーねぇ、適当な事言って誤魔化すか」
苦虫を噛み潰したような声音で言う正樹だったが、その表情はむしろ、たちの悪い悪戯を思いついた子供のような趣だった。
「な、何だ、ありゃあ!?」
隆聖の『アマ-ゾン』が撮影した『それ』の映像を目にしたとき、イルムガルドは半ば以上本気で、隆聖がアニメか何かの映像を間違えて送ってきたのかと疑った。
「すげぇ! 鳥型マシンだ! ゴッドバードか!? いやいやあのフォルムはむしろ龍王丸……くうう、カッコイイぜ!」
すっかり興奮しきった隆聖の声が、通信機を通して聞こえてくる。イルムガルドは「あのバカ……」と鈍痛宿るこめかみを押さえつつ、改めて隆聖曰くところの『ゴッドバード』とやらを凝視した。
なるほど、隆聖が『ゴッドバード』という理由もわからなくもない。それは、確かに神の鳥を連想させるほどに神々しく、現代科学の産物ではほとんどあり得ない程に優美で、そして無茶苦茶な外形をしていた。
航空力学という物を無視したかのようなでこぼこなデザイン。原理の理解に苦しむ推進器。色彩は、美しくはあるが迷彩効果を欠片も意識していないような銀色だ。
全長は40メートルを越える。爆撃機とは言わないが、重攻撃機クラスの大きさだ。しかし見た所火器らしき装備はまるきり搭載されておらず、その工芸品じみた優美さから考えても、これが戦闘用の航空機とは考えにくい。むしろ、どこかの好事家が特別に作らせた、自家用のコミュータの類ではないかと思える。
「だが、『DC』のAMは時々冗談みたいなデザインをしているからな……」
地球連邦が現在交戦中の敵の名を呟き、イルムガルドは眉を顰めた。
『
「イルム先輩! これ、『アマーゾン』で写真撮っていいですか!? 俺、自分のカメラ持ってきてないんですよ! 畜生、こんなことなら少々規定違反だろうと……」
「撮影を許可する! って言うか、カメラのメモリー限界まで撮りまくれ! 巧く撮れてたら今の台詞の後ろの方は聞こえなかったことにしてやる!」
もしも、これが『DC』の新型『
(……待てよ。もしかして、これこそが奴の狙いだったんじゃないか?)
ふと、思い至る。この場所に自分達が居合わせた理由を。そもそも、自分達は突然のテストコース変更命令によって、この空域に誘われたのだ。そこでこのようなアクシデントに見舞われたとなれば、この命令を発した人物は「この場所にこの謎の飛行物体があることを予測していた」と考えた方が自然だ。
(まあいいさ。あの野郎の追求は帰ってからでいい)
脳に蟠る疑念を振り払い、イルムガルドは目の前の『謎の飛行物体』に意識を向け直した。
比較的大型機である『ビルトラプター』よりも更に二周り以上大きな飛行物体は、その幾重にも連なっている大型の翼……恐らくは主推進器の大きさの割に、速度はさほど出せないらしい。『ビルトラプター』が少し速度を上げだだけで、背後をぴたりと捉えることができた。
「そこの所属不明機! こちらは汎地球連邦軍所属少尉、イルムガルド=風原! 聞こえているなら官・姓名・所属を答えられたし!」
ミサイルの照準を謎の飛行物体中央に定めながら、イルムガルドは全通信チャネルを通じて呼びかけた。
これほど接近し、恐らくはロックオン警報が鳴り響いているだろうにも関わらず、目の前の銀の鳳は、何の反応も見せようとしない。もしかすると無人の可能性もあるが、取りあえずイルムガルドはセオリー通りの呼びかけを繰り返した。
「返答なき場合、当方には攻撃の用意がある! これは最後通告である! 応答能力があるならば、速やかに応答されたし!」
「ええっ、攻撃しちゃうんですか!? 勿体ないですよ、こんなにカッコイイのに!」
「お前は黙って撮影してろ!」
通信に割り込んできた隆聖を一喝して黙らせるイルムガルド。その耳が、周波数のチューニングを行っているような独特の異音を拾ったのはその時だった。
「……あ、あーあー、テステス。周波数これで合ってるのか?」
「もう相手に聞こえてるわよ。馬鹿な事言ってニャいの」
「……日本語? 男と……女の声か? 妙な発音だな」
イルムガルドは国籍こそ北アメリカ州連合だが、父方の縁で日本で暮らした時期も短くない。日本語は堪能だし、スラングや方言にも対応できる自信がある。
恐らくはあの銀鳥の搭乗者であろう男が、通信窓に顔を出さないまま、声だけで言った。
「あー、こちらは汎地球連邦軍所属、MS-06ガンダム。ただいまテスト飛行中。気にせず任務を遂行されたし、以上!」
そのまま、ぶつんと音を立てそうなくらい一方的に、通信回線が遮断される。
イルムガルドの頭の中でも、何かがぶつんと音を立てて切れた。
「この野郎、ふざけやがって!」
激高した声を、マイクに向けて叩き付ける。回線を切ったと言っても、全チャネルを通じて送られる通信は、通常遮断することはできない。
「いい加減な事を吹聴するな! そんな馬鹿な型式の機体があるか!」
隆聖が、同じく明らかな怒気を帯びた声で割り込んだ。
「そうだ、いい加減なことを言うな。MS-06はザクだ。ガンダムはRX-78だぞ!」
一瞬、世界の全てがホワイト・アウトした――ような気がした。
「隆聖、お前黙ってろ!」
何とか気を取り直し、イルムガルドは隆聖を一喝した。
「でもイルム先輩! ロボットマニアとして今の間違いだけはどうあっても」
「やかましい! 向こうはこっちを真面目に相手する気はないらしい。叩き落としてからゆっくり事情を聞く! 空中戦になるぞ!」
吼えたてるように言い放ち、イルムガルドは『ビルトラプター』の使用火器を切り替えた。目標までは、約三千メートル。この距離では、単発のライフルでは命中が期待できない。誘導ミサイルが活躍する距離だ。
「隆聖、お前は全速力で『ブリジット』に戻れ。出力全開で増援要請出しながらな!」
「ええっ! 俺も戦闘シーンを撮影したい……」
「馬鹿野郎! こっちの数が増えれば、その分楽に奴を抑えられるだろうが!」
「な、なるほど! 了解しました!」
「命令復唱!」
「了解、伊達隆聖訓練生、全速で母艦に帰還します! 風原少尉、ご無事で!」
はなはだ堂に入っているとは言い難い敬礼を残して、隆聖の『アマーゾン』が踵を返した。
隆聖が場を離れるのに併せたかのように、レーダーやセンサーの類が異常を知らせた。通信も利かない。強力な電波妨害がかけられたようだった。
「向こうもやる気か……ってことは、やっぱり見てくれだけじゃないってことだな」
舌で唇を湿らせ、呟くイルムガルド。見てくれこそ珍奇だが、もしもそれが『DC』のAMであれば、その戦闘力は決して侮れるものではない。半年前、『DC』総帥ビアン=ゾルダークが駆るAM『ヴァルシオン』が、PT一個大隊を単独で殲滅せしめた『L5の脱出戦』が思い出される。
まして、イルムガルドが駆る『ビルトラプター』は、まだテストも十分ではない試作機である。相手も恐らく試作機であろうが、『ビルトラプター』より完成度が低いと考えるのは、甚だ希望的観測が過ぎるというものだ。
「南部ゥ! あんたのテスト機ぶっ壊すかも知れないが、恨むなよ!」
本来の『ビルトラプター』のテストパイロットの名を叫びつつ、イルムガルドは多弾頭ミサイルのトリガーを引き絞った。
Ⅵ
「うわわ、撃ってきたニャ、撃ってきたニャ! 何とかするニャ、生まれて早々こんなところで正樹と心中は嫌だニャア!?」
「言われんでもわかってる! いいから黙って『アートカノン』で迎撃しろ!」
わんわんと、警戒警報のサイレンをかき消すほどに騒ぐシロを一喝し、正樹はレーダーに映る二機の航空機……イルムガルドの『ビルトラプター』と隆聖の『アマーゾン』を睨み付けた。
別に無理に戦闘したかったわけではないのだが、こうなってしまったからには仕方がない。そもそもまともに応対していては、軍に『サイバスター』を引き渡さなくてはならなくなる公算が大きくなる。
何しろ『サイバスター』は異界技術の固まりである。普通の神経をした人間なら、是が非でも拿捕して解体してやろうと考えるはずだ。
「そもそも、普段のスピードが出せるようになってれば、こんな面倒をしなくても……よっと!」
飛来した数機の小型ミサイル……電波妨害とミサイル迎撃レーザーの発達によって、ミサイルは発射数を増やして命中精度を高める方向で進化している……に、シロが『アートカノン』を翼から射出して撃墜し、残りを正樹が《魔装》を集中させて弾いた。
常識では考えられない位置からの射撃と、防御力だ。戦闘機のパイロットはさぞや仰天したことだろう。
こちらの予想外の性能に戦いたのだろうか、『ビルトラプター』の照準が揺らいだ。その隙を逃さず、正樹は機体を大きく下降させ、水面ぎりぎりで減速した。頭上を『ビルトラプター』とその機関砲弾が通り過ぎてゆくのが見える。
『サイバスター』を見失った『ビルトラプター』が慌てて旋回するのを凝視しつつ、正樹は舌打ちした。
「ちっ……どうするか。まさか撃墜する訳にもいかねぇし」
「そんな事も考えずに喧嘩を売ったの!?」
「うるせェ、成り行きだ! それより何とかして奴を振り切れないのか!?」
「無理だニャ! プラーニャコンバータの反応が鈍すぎるニャ。向こうの方が加速が速いニャ!」
「……すると、殺さないように巧く狙って、翼だけ、エンジンだけ潰してトンズラしかない訳か……本職の空戦屋相手にか? 洒落にならねぇな」
うんざりだと言わんばかりのため息を吐き出す正樹。しかしその一方で、彼は自分の口元が、挑戦的な笑みの形に歪んでいるのを自覚していた。
地上では、戦闘機のパイロットと言えば、エリート中のエリートだ。それを相手に戦えるなど、昔の自分では考えられない。その事実が自身でも思いも依らぬ程に、正樹の矜持を刺激していたのだ。
「しょうがねぇ、風の魔装機神の力、たっぷりと見せつけてやるか!」
「見られたら不味いんじゃニャいか!?」
「調子に乗って、機体を壊さニャいでよ!?」
「聞こえねぇ!!」
使い魔二匹の茶々を黙殺しつつ、正樹は妙によたよたと旋回する『ビルトラプター』に向けて、『アートカノン』の照準を合わせた。
※
「えぇぇぇぇぇぇぃくそぉっ! こぉのポンコツゥゥゥゥッ!!」
ぎしぎし、みしみしと、機体の各所が甚だ心臓に悪い悲鳴を上げる中、イルムガルドは地獄の底に届けとばかりの呪詛を吐きだした。
『ビルトラプター』は、従来の戦闘機の常識を覆すような重装甲と、高出力の核融合エンジンを搭載している。
多弾頭ミサイルに耐えられる必要性と、機体に施されたある極めて野心的な試みのために、機体質量が肥大化しているのだ。
その結果、『ビルトラプター』はその質量からは考えにくい程に、高い加速性能を誇っているのだが。
質量が大きいと言うことは、少し曲がるにも大きな力が必要だと言うことである。
無論、『ビルトラプター』には機体の細かい運動を保証できるだけの出力を持った推進器が搭載されているが、元々本気で空中戦を行うことを考慮して設計されていないため、その旋回性能や動きのきめ細かさははなはだ心許ない。
そんな『ビルトラプター』で無理矢理ドッグファイトを行おうとするものだから、機体のそこここに想定外のストレスが蓄積している。機体の各所が、不吉な軋みの大合唱を唱えていた。
(こいつは、長期戦には耐えられないな)
設計者への呪詛を内心で吐き出すイルムの背筋に、びしり、と背骨上の神経が引きつるような悪寒が走った。
反射的に、ベクターノズルを上に向け、機体を無理矢理降下させる。ぎしりっとまた一つ機体が悲鳴を上げるが、構っては居られない。
案の定、その零コンマ数秒後。イルムガルドの頭上を、青白い光弾が掠めて過ぎた。
ひょう、と口笛を吹き、冷や汗を誤魔化す。あの光弾にどれほどの破壊力があるのかは不明だが、直撃して無事ですむと言うことはあるまい。
背面モニターに視線を移すと、ぴったりと『ビルトラプター』の機動に合わせて飛行する銀鳥が見えた。
「くそ、何て運動性だ。デタラメじゃない!?」
機体を左右に小刻みに振って光弾をの射線から逃れつつ、イルムガルドが舌打ちした。
あの銀の鳳は、一見鈍重そうな外観でありながら、その実凄まじいまでの運動性能を見せつけている。
何しろ、振り切ろうとして機体を左右に振り回しても、数秒後には何事もなかったかのようにぴったりと背後を取り直してしまうのだ。
こちらの旋回性能がお粗末であることを差し引いても、驚異的な三次元運動能力と言わざるを得ない。
「フェイントには引っかかるから、パイロットの腕はたかが知れてるが……」
初歩的なフェイントを仕掛けただけで、鳳は機動が混乱し、『ビルトラプター』の離脱を許してしまう。しかし、そうやって作り出した距離も、縦横無尽の機動性によって、あっという間に取り戻されてしまうのだ。
加速力では『ビルトラプター』の方が上回っているようなので、いざというときの逃亡は簡単なのだが……いかんせん、こちらの目的はこの鳳の捕獲と足止めである。
「捕獲と言っても、あの防御力が相手じゃ、少々ミサイルを当てても通じるとも思えんしなァ……」
『ビルトラプター』の武装を思い起こしつつ、イルムガルドはぼやいた。通常の戦闘機が相手なら、一発当てれば機能不全を起こして墜落する程のミサイルを、一気に四発受けながら装甲に傷一つない化け物が相手である。それを目にしたとき、イルムガルドは半ば以上本気で、整備班が間違えて演習弾頭を積み込んだのではないかと疑った。
もしあの相手に通用する武器があるとすれば、機体の腹に抱えた長銃……長距離砲撃用の大口径レールガン、『ブーステッド・ライフル』だけだろう。
だが、この武器は貫通力や弾丸の速度、射程距離については申し分ないが、構造上目標を機体正面に捉える必要がある。しかも、上下左右に対する射角のフレキシビリティも絶望的だ。そのため、ある程度の距離をとっていなければ、命中が期待できない。
しかし、今の相手は加速力こそ『ビルトラプター』に劣るが、見た目とは裏腹に小回りが抜群に利く。背後を取って射撃しようとしても、あっという間に射界から逃げられてしまうだろう。
自分よりも機動性の勝る相手に勝つには、ひたすら加速して相手を振り切り、自分に有利な射程で挑むか、あるいは完全に相手の意表をつくかのどちらかしかない。
そして、仮に相手を振りきったとしても、この機体の運動性では、旋回してライフルの照準を合わせている間に、再び背後を取り直されてしまうであろうことは想像に難くない。
「だとしたら……一発博打を打つしかないかねぇ」
考えはある。不可能ではない。だが、それを実行したときに生じるであろう『厄介事』に内心ため息を吐き出しつつ、イルムガルドは密閉型ヘルメットのバイザーを閉じた。
Ⅶ
「何だ、加速した!?」
突如尻から紅蓮の炎を吐き出し、視界の中でぐんぐん小さくなってゆく敵機に、正樹は舌打ちを吐き出した。
「くそったれ、こっちの加速が不調なのに気付きやがったか!」
『サイバスター』のスロットルレバーを最大まで押し込みつつ、呪詛を吐き出す。その耳元で、シロが喚いた。
「向こうが逃げていくニャら、オイラ達はこのまま離脱すればいいんじゃニャいのか!?」
「地上であまり『サイバスター』の姿を晒さない方がいいって言ったのは正樹でしょ!? 今が逃げるチャンスじゃニャいの!!」
「奴の方が加速はでかい! 今の『サイバスター』じゃ、このまま逃げてもすぐに追いつかれるだろ!?」
思うように加速できない機体に苛立ちをつのらせつつ、猫二匹の進言をあっさり切り捨てる正樹。
「それに、あの大砲がどうも引っかかる! あれに背中から狙われたくねぇ! ここは確実に追いつめて叩く!」
口では慎重そうな事を吐き出しつつも、その口元が甚だ凶暴な形に歪んでいては、欠片ほどの説得力もありはしない。
「駄目ニャ、完璧にイッちゃってるニャ」
「これが風の魔装機神に選ばれた操者だニャんて……」
ファミリア二匹が揃ってこっそり嘆息するが、完璧に脳が喧嘩モードに突入した主が気付く由もない。
(まだ遅い、まだだ、もっと速く、速く迸れ!)
正樹の意志がそう叫ぶ度に、その両手の操縦桿が鈍く輝く。そしてそれに合わせるように、『サイバスター』の速度メーターもその指針を押し上げられてゆく。
魔装機を操るのは人の意志。それが純粋であるほどに、魔装機はその力を高みに昇らせる。その法則が地上でも健在であることを示すように、『サイバスター』は徐々に速度を増してゆく。
「よォし! 射程に入った!」
モニター中央に輝く十字の照準。それが光を黄色から赤に転じ、正樹が今こそトリガーを引かんとする瞬間。
『ビルトラプター』が、消えた。
「な、何っ!?」
正樹が息を飲んだ瞬間、わんわんと響き渡る警戒警報。正樹の目は捉えることができなかったが、レーダーは未だ『ビルトラプター』を見失ってはいなかった。
『ビルトラプター』を示す光点は、円形のレーダーモニター下弦……つまり『サイバスター』よりも後方に位置していることを示している。
「何だと、いつの間に!?」
「逆噴射ニャ! あの飛行機から急に足が伸びて、逆噴射をかけたんだニャ!」
正樹よりも、使い魔であるシロの方が、現状把握は早かった。ご丁寧にもモニターの端に、『ビルトラプター』が足……つまり可動式の推進ユニットを延ばして逆噴射をしかけ、急減速した場面が映し出される。
「足ぃ!? 逆噴射!? 何で戦闘機がそんなことできるんだ!?」
「オイラが知るかニャ!」
「確かに、可動式ブースターで機動性を増した戦闘機ってのが開発されてるって話は聞いてたけどな……ッ、やべぇ、ロックされた!?」
わんわんと焦燥感を煽り立てる音と共に、モニターから発する赤い光が《精霊殻》を満たす。敵から照準を固定されたことを示す警告信号だ。
「
「レールガン! 戦闘機用なんて聞いたことがねぇぞ!? あの野郎、最新技術の塊か!?」
「講釈は良いから早く回避するニャ! レールガンが相手だと、《魔装》のシールドでも防ぎきれないかも知れないニャ!」
「このヤロ、間に合えよォォォッ!!」
歯を食いしばり、力の限りに操縦桿を押し込む正樹。その入力と、何より正樹の思惟を受けて、飛行形態の『サイバスター』が旋回すべく機首を傾ける。
しかし、そこにはいつも感じられるような、阿吽の呼吸にも似た機敏さがない。手の中に滲んだ汗で、今にも滑ってすっぽ抜けそうな操縦桿の感触が、さらに焦燥感を募らせる。
と――。
がぅんっ! と、『サイバスター』の機体が激しく横に震動し、続いてばりばりという空気を引き裂く爆音が走り抜けた。
「くぁっ……や、やられたか!? 被害は!」
衝撃にくらんだ頭を手の甲でひっぱたきつつ、正樹が問いの声を発する。
「左足に掠ったニャ! 《魔装》を貫通して、一次素体を破損! でも、機能に支障はニャし!」
「やっぱり精霊が少ニャいから、《魔装》の密度が薄いニャ! もっと気合い入れて《魔装》を張るニャ!」
「好き勝手いってんじゃねぇ、シロ! あんにゃろ、もう手加減しねぇぞ!」
クロが送ってくる破損箇所のイメージに思惟を送り込み、《魔装》で素体の損傷箇所を補填。そして脳内に投射される破損状況のレポートをざっと一瞥し、異常箇所の無いことを確かめる。それだけの作業をわずか2秒で完了させ、正樹は『サイバスター』を、『ビルトラプター』を正面に捉えられるように大きく旋回させた。
「どうするニャ!?」
《使い魔》専用席にしがみついたままの姿勢でのクロの問いに、正樹はばきべきと指の関節を鳴らしながら、すっかり頭に血が上った声音で咆哮した。
「格闘戦だ! あの大砲も接近したら使えねぇだろう! 接近して変形してとっ捕まえて、翼剥いで海にブチ込んでやる!」
Ⅷ
「……っくぁ~。こりゃ数ヶ月は寿命が縮んだな……」
まだブラックアウトの残滓の残る視界に舌打ちして、イルムガルドは悪態を吐き出した。
ほとんど最高速度からの逆噴射。機能的には可能な動作だが、内部に搭乗する人間の生命までは保証されていないアクションである。宇宙戦闘を考慮して設計された耐Gパイロットスーツのおかげで保ったようなもので、生身でこんな機動をしたら、今頃はコクピットの中に自分の臓物が飛び散っていたことだろう。
だが、そのおかげで最高に近い照準で『ブーステッド・ライフル』を発射することができた。ブラックアウトしかけていた視界のおかげで半分以上山勘での射撃だったが、そのくらいはコンピューターの自動補正が期待できる。
『ブーステッド・ライフル』はただのレールガンではない。特殊な弾頭とバレルを用いて弾体を高速震動させ、通常の数十倍のソニックブームを発生させる。そのため、直撃しなくても衝撃波だけでも相当なダメージを期待できる。そして、当然直撃した場合の破壊力も言うに及ばない。その分、同口径のレールガンに比べて、やや射程距離が短く、かつ極めてやかましいという欠陥はあるが。
それを背後から受けて、普通の飛行物体が無事でいられるはずがない。少なくとも、衝撃波で機体表面はズタズタに引き裂かれる。そうなれば、整流効果の問題で一気に空気抵抗が増し、あの縦横無尽の機動性も殺される筈だ。
「あ~くそ、やっと目が落ち着いた……何っ!?」
瞼を擦る手の向こうで、ぼやけた視界が世界の正確な像を映し出す……先ほどまでと寸分違わぬ、いや、その疾る向きを正反対とし、猛然と自分めがけて迫りくる白銀の鳳を!
「あ、あれを食らって無傷だと! どんなバカAIでも、あれで外す訳ないぞ!? なんでまともに飛べるんだ!」
真正面から肉薄する『サイバスター』に、イルムガルドはとっさにミサイルトリガーを引いた。『ビルトラプター』の弾薬庫からありったけの誘導ミサイルが解き放たれ、羊に群がる群狼の如く襲いかかる。
そして、イルムガルドは目撃した。
寸分違わず着弾したミサイルの炎。その破壊力が白銀の鳳の装甲に触れた瞬間、装甲が金色の光となって蒸発し、ミサイルの破壊力を相殺しているのを。
しかも、光となって消えた装甲が、瞬く間に蒼の光を纒い、元の清廉な銀の鎧を取り戻す姿を!
「た、対物バリアだってェ!? 詐欺だろ、それは!?」
この世の不条理全てを一身に背負ったような悲鳴を上げて、イルムガルドは機体を回頭させようと操縦桿を振り回す。しかし、元より鈍重で、かつ先ほどの無茶な逆噴射で相当にフレームに負荷を背負っていた『ビルトラプター』は、未だにその機動性を失っていない『サイバスター』の正面から逃れることができない。
「く、悔しいが、今の戦力じゃ歯が立たないか! こうなりゃ逃げの一手だ」
イルムガルドはスロットルレバーを押し込み、逆に『サイバスター』に向けて全速力で機体を飛び込ませた。
(どんなメカでも、人間が乗っている以上は真下は死角のはずだ)
機動兵器に限らず乗用機械は、人間が乗り込むという構造上、重力の影響下では人間を乗せる為の台が必要となる。そして、それはほとんどの場合椅子の形状を取っているため、どうしても搭乗者自身の胴体が視界を妨げる。
無論、正面から敵に突っ込んでいく訳であるから、ミサイルなりなんなりの洗礼は覚悟する必要がある。だが、相対速度を限界まで引き上げ、さらに機動に捻りでも加えれば、そうそう命中打を与えられるものではない。
現に、『サイバスター』が放つ光の弾丸は、螺旋を描いて迫る『ビルトラプター』を一瞬たりとも捉えることができない。
(このまま抜けて、後は増援に任せる!)
これなら無事に抜けられる。そんな安堵と油断が、イルムガルドにあったことは否定できない。
だが、それから起きたことを予測できなかった事を、イルムガルドの油断のためと切り捨てるのは、少々酷という物だったろう。
誰が、予想できようか。
誰が、そんな破天荒な事を予測できようか。
今こそ『ビルトラプター』が白銀の鳳の腹下に飛び込もうという瞬間。白銀の鳳がぐしゃりと外形を歪ませ、瞬く間にその姿を鳳から鎧に変じさせるなどと。
零コンマ数秒の間に人型に変形した『サイバスター』が、その隆々たる双腕を延ばし、『ビルトラプター』に爪を立てるなどと!
「うぉあっ! ひ、人型ァ!?
コクピットがガタガタと揺らぎ、イルムガルドの悲鳴を覆い隠す。この相対速度で機体が接触すれば、そこにはとてつもないソニックブームが発生するはずだ。その破壊力は、少なくとも構造の不安定な『ビルトラプター』をバラバラにして余りある。
しかし不思議なことに、『サイバスター』の鈎爪が機体を捉えたにも関わらず、破滅をもたらす衝撃波は生まれなかった。まるで、その空間の中だけが空気が制止しているかのように、やんわりと銀の鎧は『ビルトラプター』を捉え、掌に納めてしまったのだ。
(た、助かった?)
異常事態の連続でパニックに陥ったイルムガルドの脳裏で、その単語だけが浮き彫りにされる。
だが、3秒後。彼が頭上を見上げ、『サイバスター』の赤く爛々と輝く双眼を目にした瞬間、イルムガルドの本能がその判断は早計であると伝えた。
(殺す気はないが、死なない程度には痛めつける気だ!)
その確信を証明するかのようなタイミングで、『サイバスター』の爪が、ばりっという音を立てて、『ビルトラプター』の主翼に食い込んだ。
ばきばきと、『サイバスター』の剛腕に耐えられず、『ビルトラプター』の翼が引き千切られてゆく。まるきり、猫に捕らえられた雀の如き扱いだ。
パワーの差は歴然だった。航空機体としては破格の装甲を纏う『ビルトラプター』と言えども、自身の倍近くの巨体が奮う力の前では、それも紙の如き薄っぺらな代物に過ぎない。瞬く間に両の翼を剥ぎ取られ、あまつさえ片腕で、天に向けて高々と機体を差し上げられる。
このまま振り下ろし、海面に叩きつける気だ。妙にオーバーアクションなのは、自分に脱出の時間を与えているつもりなのか。
「っの……ヒーローを嘗めるなよ!!」
遂に海面へと振り下ろされる『ビルトラプター』の中で。イルムガルドの頭に、血がかっと駆け上がった。
主翼の一枚を失った戦闘機は、もはや飛行することは適わない。増大した空気抵抗は、揚力を得られないままに飛行しようとする愚か者を、容易くバラバラに引き裂いてしまう。
「おらぁああああああ!!」
『ビルトラプター』を右腕一本で鷲掴みにし、高々と天に差し上げて。
正樹は、勝利への確信を漲らせた雄叫びを上げながら、差し上げた腕を振り下ろした。
もちろん、『ビルトラプター』諸共だ。十数トンにも及ぶ鋼の塊が、遠心力も手伝ってぐぅんと腕に負荷を乗せる。だが、『サイバスター』の腕力はそれを軽々と振り回して余りある。
(これで、俺の勝ちだ!)
そう、正樹が胸中で快哉を上げた瞬間。
腕に握った『ビルトラプター』の重みが増した。
(――ッ!?)
朱を湯に散らしたように、さっと快哉が困惑に塗り替えられる。しかし、だからと言ってここで手を止める云われもない。構わず、そのままの勢いで、一気に腕を振り下ろす!
――その判断は間違っていなかった。通常の相手なら、少々の小細工も物とすることなく、海面へと投げ落とすことができただろう。
ただ、先ほどイルムガルドが味わった苦渋と同じように。
「ニャ、ニャンだってぇ!?」
シロが悲鳴を上げるのも無理はない。
よもや戦闘機が人型に変形し、あまつさえくるりと『サイバスター』の腕を軸にして身を翻し、ぴたりと『ブーステッド・ライフル』の銃口を突きつける――など、常識的に予測できる物ではない。
そして、その予測の可否が、最後に二者の明暗を分けた。
「……ッ!?」
「駄目、近すぎる、回避不能!」
クロが絶望の声を上げ、正樹が銃口の奥にEMPの青白いスパークを見たとき。
「生憎、ヒーローってのは、一発逆転するものなんでね……恨むなよ!」
にやりと勝利を確信した笑みを浮かべ、イルムガルドは『ブーステッド・ライフル』のトリガーを引き絞り――。
そして、爆音が轟いた。
弾丸が、銀の装甲を抉って。
胴体が、腕が、足が。衝撃でへし折れる。
ばらばらと、破片が飛び散り。
引きちぎれたコードが火花を散らして。
全てをご破算にするように、ひとつ大きな爆発が巻き起こる。
――そして、爆煙が風に吹き散らされて。
ばしゃばしゃと、機体の破片が海面にまき散らされて。
空には、ただ一機の人型機械のみが残された。
白銀の翼と、銀の鎧。
頬当てを醜く抉られているが、それでもなお光を映して美しい機体。
――風の魔装機神『サイバスター』の、白銀の機影だけが。
Ⅸ
「………………」
「………………」
「………………ニャ」
酷く居心地の悪い静寂が、《精霊殻》に充満した。
計六つの目玉が揃って点になり、そのまま視線が足下へと向けられている。
眼下には、あっけらかんと晴れ上がった空を映して揺れる水面と、その上に四散しながらも、未だ炎をくすぶらせる『ビルトラプター』の破片が見える。
「……あ、あ~、何だ。俺、今何かやったか?」
たっぷり3分近くの沈黙の果て、正樹がどこか申し訳なさそうな声音で呟いた。
「オイラが知るかニャ」
「人型に変形した敵機が、ライフルを発砲しようとしたとき、いきニャり敵機が爆発したのね。おかげで弾道が逸れて、こっちは頬当てを持ってかれる程度で済んだんだけど……」
「ニャんか、車を避けたらそれがガソリンスタンドに突っ込んだ、みたいな気分だニャ」
「ニャによそれ……」
シロの珍妙な感想に飽きて果てるクロだが、何となく言いたいことは理解できる。
再び、居たたまれなさが言葉を封じ込めた。
風がそよいでいた。次はどこへ流れようか、どこに行こうかと思案するように。
白々とした空気に、きらきらと差し込む陽光。雲はどこまでも白く、空は抜けるように青い。
沈黙、沈黙、沈黙……そんな情景描写を幾十も連ねた果てに、ようやっと正樹が絞り出したのは、こんな言葉だった。
「…………取りあえず、逃げるか」
※
銀の鳳が、地平線の彼方へと消えていってから、およそ半時が過ぎて。
あっけらかんと青い空。ふよふよ流れる白い雲。退屈極まる波の音。焼き付くような太陽光。
今や唯一可変PT『ビルトラプター』の面影を残すコクピットブロックを筏代わりにして、「地上の全てが自分の敵」とでも言うような気分を否応なく満喫するイルムガルドの意識を、通信機越しの切羽詰まった声が、現実に呼び戻した。
「イルム! イルムガルド! 無事か!?」
普段の冷静沈着な彼女らしくもない緊張した声。こういう所が可愛いんだよな……などと益体もない思考を脳の隅に追放しながら、イルムガルドはヘルメットの送話器に向けて口を開いた。
「は~い、リンちゃん。こちら地獄のイルム。このままだと日干しになりそうだ。早めに回収よろしく」
「イルム! ……良かった。怪我はないか?」
「両手両足よし、目玉も二つ、鼻一つ。指は手足含めて20本。21本目も無事だ。安心してちょーだい」
「……そこでミイラになるまで漂流するか?」
「先輩! カメラは無事ですか!? カメラは!」
一転して声の温度を零下にまで下げるリンを遮るように、隆聖の大声が通信機を震わせた。
「……隆聖、カメラの前に俺の心配しろよ。こちとら全身鞭打ちとブラックアウトの連発でボロボロなんだぞ?」
「そんな事言ったって先輩下ネタ飛ばしてピンピンしてるじゃないですか」
「五月蠅い、口答えするな伊達訓練生! お前にはこの際上官に対する礼節と言う物をみっちりと……」
「自分が全くできないことを他人に教授しようとするな。それにしても、イルム。お前が落とされるとは、一体どういう相手だったのだ?」
伊達訓練生は、『龍王丸』だと何だのと意味不明なことしか言わないので状況が把握できない、と、リンが溜息を吐き出す。
「ああ……実に隆聖好みの奴だったよ」
変形機能。超絶的なバリア。驚異的な運動性能。どれをとっても、現在のPTの性能水準を一足跳びに上回る性能を誇っていた。まるで、アニメか何かに登場するような、『スーパーロボット』のように……だ。
「あと一歩の所までは追いつめたんだがな……カークの野郎に裏切られた。たかが急旋回して急加速して逆噴射したままライフルぶっ放して遠心力最大点で変形してライフルのゼロ距離射撃した程度で吹っ飛びやがって」
「……それは、まともなPTでも結構辛いんじゃないすか?」
内心の戦慄を覆い隠し、憤慨したようにまくし立てるイルムガルドに、冷汗混じりの隆聖の声が突っ込む。ちなみに、カークとは『ビルトラプター』を始めとした『PTX計画』で開発されている新型PTの基礎設計者の名前である。
「機械の無茶に人間が耐えられないことはあっても、人間の無茶に機械が耐えられないなんてのは、あっちゃならない事なんだよ。本来な」
機動兵器の性能が、生身の人間の耐久力や反応速度を超える様になって久しい。しかしそれでも有人機械が全盛なのは、未だに人間の脳を越える判断能力を有した人工知能が実現できていないためだ。だから、あらゆる人間の無茶を許容できるように設計することが、その機械の最終的な競争力を決定する。
「……さて。正直俺、疲れたよ。一寝入りしてるから、迎えに来てくれ。どうせこの状況じゃ自主帰還は無理だし」
脳が興奮から解放されたかと思うと、それまで様子をうかがっていた睡魔が、大挙して押し寄せてくるのがわかった。思わず欠伸が漏れ、通信機の向こうでリンがふっと微笑むのが聞こえたような気がした。
「わかった。もう少し待っていろ。『ブリジット』が回収に向かっている」
「ああ、よろしく、リンちゃん」
「先輩、カメラの映像俺にも……」
隆聖が何か言っているのも無視して、イルムガルドは通信機の電源を落とした。
ごろりと、安物の合成レザー張りのシートに寝転がると、空が目に入った。
突き抜けるように、青い空。ふと、件の銀色の鳳が消えていった方角に視線を向け、その姿を思い起す。
あの驚異的な運動性。恐るべき防御力を誇る対物バリア。さらに、地球連邦軍でもまだ試験段階の可逆的変形機構を、『ビルトラプター』の水準を遙かに超えるレベルで実現している。
武装自体はむしろ貧弱というべきだったが、あれはむしろ「まだ本気を出していないだけ」と言う感が強い。そもそも、あの青い光自体、どういう原理で照準され、発射されているのかも不明のままだ。
もし、あれが『DC』のAMの試作機だったとしたら。あの機体に搭載されている機能の一部でも、一般化して量産機に搭載されたら、機動兵器戦闘の歴史が変わる。
「これからは、あんな奴が主流になっていくのか? 洒落にならないね、全く……」
一人ごちると、いよいよ脳に攻め入った睡魔の勢力が抑えきれなくなってきた。
イルムガルドの意識が睡魔に乗っ取られるまで、そんなに長い時間はかからなかった。
第十五話、地上編です。
この作品を書いていた頃、OGが本格的に動き出しました。それと足並みを敢えて合わせないようにしつつ、自分なりに「これなら面白いかなあ」という感じの方向に舵を切ったのを覚えています。
ビルトラプターの設定はまだこの段階でははっきりしておらず、可変機でキョウスケがテストパイロットという情報しかありませんでした。キョウスケとマサキの対決というのも考えたのですが、やはり演出上F主人公とマサキの対決こそが妥当だろうと思って、こういう配役になっています。確か。
イルムの性格は一応F世代から数年後くらいの雰囲気で、OGよりはやや若い感じでやってた記憶がありますね。
この頃、作業速度が大幅に遅れるようになりました。記録によると、ほぼ毎日FF11に没頭していたようです。MMOは本当に怖い……