偽典・魔装機神   作:DOH

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第十六話 帰郷と邂逅(後編)

I

 

 突然だが、地球暦69年現在の地球圏の標準通貨は、『En(エン)』である。

 

 地球暦元年、汎地球圏連邦が樹立した際に、第三次世界大戦で疲弊し混乱した地球圏の経済を、早急に立て直す目的で制定された標準貨幣であり、同時に世界的な資産価値の度量計でもある。

 

 旧世紀の環太平洋西側に位置した日本国の通貨、『(イェン)』と誤認されることも多いが、実のところ、二つの同列視はあながち完全な間違いという訳でもない。地球連邦樹立の際、経済的に世界を纏めたのは、戦争による自国の被害を最小限に抑えた日本国であったためだ(旧二十世紀中期より培われた『日和見政策』の成果である。その国際的な是非はともかく)。

 

 この『En(エン)』での貨幣取引は、もっぱら電子取引が主流である。基本的には『キャッシュ・クリス(CC)』と呼ばれるチャージ式のプリペイド・カードの一種を接触させ、声紋・指紋認証を行って利用権を取得すれば、金銭情報の交換が可能となる。

 

 一応、銀行などに行けば旧態依然とした『En(エン)貨幣』も用意されてはいるが、今では一般の商店では釣り銭の貨幣を用意している店舗自体が希少なため、事実上『En(エン)貨幣』は流通していないに等しい。

 

 証拠を残したくない取引などは、やはり銀行で発行される『プリペイド・キャッシュ・クリス(CC)』(要するに小切手のようなもの)を交換して行われるのが一般である。

 

 

 さて。

 

 実は、この『En(エン)』は地底世界ラ・ギアスの神聖ラングラン王国でも貨幣として通用する。

 

 これはラングラン在住の地上人が、地上での資産をラ・ギアスでも運用できるようにと言う国家の配慮のためで、地上世界とラングラン王国間の経済取引を行う企業『イアヌス』が両世界における資産の交換を担っている。

 

 この『イアヌス』は地上とラ・ギアス両方に数多くの支店を有する一種の信用金庫で、例えばリカルド・シルベイラがラ・ギアスで何かを購入しようと言うとき、『イアヌス』に連絡すれば、地上の彼の口座から、資金を自動引き落としすることができる。逆に『イアヌス』から地上の口座に、ラングラン王国での通貨『Cr(クール)』を預金することもできる。

 

 ただし、正樹の場合は多少、この辺りの扱いがややこしくなる。

 

 地上は日本州の安藤家は、先の918事件において資産管理権を持つ成人(両親)が共に死亡し、未成年の正樹のみが残された。

 

 現在の地連では、未成年者は基本的に資産管理の権限を有さない。そのため、孤児となった未成年者の資産は、一度国家預かりとなって、その後に孤児を引き取った孤児院などの施設が後見人となって、その管理権を国家から預かる事になる。

 

 しかし、孤児院に入ることを拒否した正樹には、この資産管理権を譲渡されるべき人間はいなかった。そのため、彼の資産は成人まで日本州政府が直接管理し、必要に応じて資産を彼のCCに振り込むという形をとっていた。

 

 さて、もしここで、仮に正樹が死亡した(少なくともそう国家に認定された)場合、その資産と口座はどうなるのだろうか。

 

 未成年で身寄りもない正樹に、遺産相続の相手が居るはずもない。そうなると、国家が預かっていた彼の資産は、財産は国家が没収、固定資産は競売に掛けられることになる。

 

 こうなると、『イアヌス』も直接正樹の地上の口座に、ラ・ギアスでの資産を振り込むことはできない。こういう場合、『イアヌス』は地上におけるラ・ギアス人の仮想口座を作成するか、あるいはプリペイドCCの形で、地上に上がる人間に『En』を融通するのである。

 

 

 『イアヌス』を中継しないような、イリーガルな手段で地上に上がったりしなければ、の話だが。

 

 

 

 

 地上世界。日本州・東京市新宿は、正樹にとって馴染み深い都市である。

 

 東京市の交通機関が集中する新・新宿駅を中心に、東西に分割される都市。かつては清廉な西側と雑多な東側という対照的な町並みを持つ奇異な町であったが、そのカオティックな魅力は、行政機関が臨海都市『新東京都』に移動してしまっても、増しこそすれ色あせる気配すら見えない。

 

 その、旧都庁公園――戦時中の度重なるテロと時代の風雪に晒されて老朽化し、ついには放棄された旧都庁をモニュメントとした公園――の一角で。

 

「……腹減った」

 

 給仕ロボットが走り回るオープンカフェのテーブルに、正樹はぐったりと突っ伏していた。

 

「……腹減ったニャ」

 

 タイル張りの地面にべた~っとへたり込み、主と同じような顔つきで、シロが呻く。

 

「……おニャか空いたわね」

 

 シロの隣で、唯一体裁を取り繕うように澄まして座っているクロだったが、くぅぅと空腹を主張する胃袋が、そんな努力を一発で無に還した。

 

 

 『サイバスター』が地上に上がってから、今日で既に二日が経過していた。

 

 一昨日の『ビルトラプター』との空中戦にて、本来の性能を取り戻したかのように見えた『サイバスター』だったが、正樹のテンションが落ち着くにつれ、性能復帰が極めて一過性の物であったと言う事を示し始めた。

 

 どんなに意識を集中させ、プラーナを送り込んでも、十分な出力を発揮できないプラーナコンバーター。やはり、根本的に機能を修復するには、三日程度の時間を掛け、ゆっくりと自己再生させるしかないようだった。

 

 正樹は、『ビルトラプター』の追撃を逃れてから敢えて海中に機体を飛び込ませ、潜水艦の如く深海を移動する事とした。空中や海面上に比べれば遙かに巡視船などに見つかる可能性は低いし、『サイバスター』の飛翔結界が、思いの外水中でも効率よく推進効果を発揮したためである。

 

 そうして、『サイバスター』が潜水艇などに対して警戒しつつ、日本列島までたどり着いた時には、既に夜が明けようとしていた。

 

 日がまだ登り切らぬ間に富士山近傍の樹海に移動した正樹は、程なくして『サイバスター』が隠れられる程の風穴を見つけ、そこに身を隠す事とした(何故、そんなに手早くお誂え向きの風穴が見つかったのか、これは正樹にもよく理由がわからなかったが、「なんとなくこっちにありそうな気がした」としか言えなかった)。

 

 こうして、『サイバスター』は風穴を抜ける風を一身に浴び、後は機能が回復するのを待つだけ、と相成ったのだが……。

 

 

 ここで、問題が発覚した。食糧問題である。

 

 

 最初の一日は、『サイバスター』が携行している非常用食料で誤魔化す事ができた。

 

 二日目は、残った非常用食料で誤魔化す事ができた。

 

 しかし、三日目の今日に至っては。

 

 元々、非常用食料というものは、「兵士を一週間程度生存させ得るだけの栄養価を保証した食べ物」に過ぎず、必ずしも「兵士の胃袋を一週間満足させ得るだけの食料」だと言う訳ではない。しかも、『サイバスター』に搭載されていた食料はあくまで操者一人分だけで、使い魔達が食事をすることまでは考慮されていなかったのである。

 

 

 かくして、食料の尽き果てた正樹達は、何とかして資金と食料を確保すべく、東京市へと遠征することとした。

 

 幸い、交通機関はヒッチハイクで誤魔化しが利いた。現在でも陸上運輸の主役である大型トラックに懇願して、東京市まで運んでもらった正樹一行は、一度自宅に立ち寄り、地上で生活していた頃に持っていた予備のCCを回収してくるつもりだったのだが。

 

 ようやく辿り着いた我が家は、既に『我が家』では無くなっていた。

 

 取り外された表札。代わりに据えられた『日本州政府管理』の断り書き。植木鉢の下に隠してあった家の鍵も、既にその鉢植え自体が影も形も残っていない。

 

 かくして――。

 

 

「……取りあえず、何とかして『サイバスター』まで戻って、明日修理が終わるのを待つしかねぇな」

 

 ぎゅるぎゅると、胃袋が蠕動する不快な感覚に耐えつつ、正樹が呻いた。

 

「こんニャ事ニャら、『サイバスター』に居残ってれば良かったニャ……」

 

 平日の正午過ぎ。都市部のオープンカフェは、必ずしも人通りが少ないとは言い難い。頭上のテーブルでへたばる正樹にすら聞こえるか聞こえないかの声で、シロが呟く。

 

「ゴキブリでも捕って食ってれば良かったもんな、お前らは。生憎人間様はそういうことができない程度には繊細にできてるからな」

 

 突っ伏したまま、テーブルの下にこれまた小声で皮肉を飛ばす。

 

「酷いニャ、正樹! オイラ達の味覚は正樹のが基準にニャってるから、ゴキブリニャんて食えニャいニャ!」

「黙ってニャさいよ、シロ。地上じゃ普通、猫はしゃべらニャいんだから。それに、騒ぐと余計におニャかが空くわよ」

 

 「「ニャァ……」」と、猫が揃って憂鬱げに鳴く。

 

 惨めだ。地球圏でも有数の大都市の中心で、ただひたすら飢えに耐えながら、時の過ぎるを待たなくてはならないとは。

 

 金がなく、身分保証もない自分には、人類の営む繁栄(例えば、目の前を給仕ロボットが運ぶホットドッグなど)を享受する権利はない。文明社会は確かに人に、黙っていても豊かな水と、食料と、そして住居を提供する。しかしそれは、あくまでその人間が繁栄に値する代価を支払い得る場合に限られる。一方で、代価を支払い得ない人間には、太古の昔のように狩猟を行う権利さえ認められない……。

 

 臓器売却とか、売春とか。自らの体を切り売りする人間が、どのような心持ちでその道を選んだのか、何となく理解してしまいそうな気分に陥っていた正樹だったが、

 

「失礼。こちら、お邪魔してかまいませんか?」

 

 突然、穏やかなテノールが割り込み、正樹を鬱の連鎖から引っ張り上げた。

 

 

 

 その声の主を目にした瞬間、正樹は何故か、脳の奥で何か火花が散ったような、そんな感覚に襲われた。

 

 男は、年の頃はおおよそ20代前半から中盤。

 

 短めに切りそろえられた髪は、基本的に髪に近いのだが、光の加減次第で紫色にも見える。やや痩身気味だが、かと言って虚弱とか、そういうマイナスな印象を受けないのは、彼が発散する圧倒的な存在感によるものだろう。

 

 表情は穏やかだが、その目は好奇心、探求心――人類の英知の頂点を歩む者特有の、常に何かを追い求めるインテリジェンスに満ち溢れている。

 

 左手に新聞(その検索性の高さとコストの安さから、旧世紀より今に至っても紙媒体は未だに駆逐されていない。ただし素材は植物繊維からセラミック繊維に移行しているが)、右手にサンドイッチのパックを手にして、男は正樹を見下ろしていた。

 

 ――危険、危険、危険! 正樹の本能が警鐘を鳴らす。この男は危険だ。放置してはいけない。今すぐに、今すぐに――。

 

 ――今すぐに、どうすればいいのか。本能が決断を下す前に。

 

「席がほとんど埋まってしまっているようでしてね。お邪魔させていただきたいのですが」

 

 男が見せた、穏やかな笑み。それが目に飛び込んだ瞬間、正樹は自分でも不思議なくらい、この男への敵意とか警戒心が萎れるのを感じた。どうしてこんな穏やかな男が危険なのか。どうかしている。

 

 男に言われ、周囲に視線を巡らせる。流石に昼食時とあって、近くのテーブルはオフィスワーカーや若者などが各々占拠し、開いているのは正樹の正面席くらいのものだ(ここが未だに空いているのは、ひとえに飢餓状態で潰れている男の前で食事ができる神経の持ち主が居なかったということだろう)。

 

「ああ、悪い。別に俺はここで飯食う訳でもねぇから、今すぐ退くよ」

 

 食事時に、カフェの席を無銭占拠できるほど、正樹の神経も太くはない。辞去しようと腰を浮かせるが、

 

「無理に退く事はありませんよ。ここで会ったのも何かの縁です。少し一緒に話でもいかがですか?」

「あ、ああ……」

 

 穏やかながら、相手に有無を言わせぬ言葉に、思わず頷いて再び腰を下ろしてしまった。

 

「では、失礼」

 

 正樹に相対する席に腰を下ろし、新聞を広げる男。サンドウィッチのパックを開き、しかしその中身には手を付けない。

 

 居心地の悪い沈黙が過ぎる。正体も知れぬ男と相対した席に座っている事もさることながら、その最大の要因は、まるで正樹達の空腹をあざ笑うかのように、目の前に置かれたサンドウィッチの皿であろう。

 

 図らずも、正樹とシロとクロ、三者の腹が同時に空腹を主張した。

 

「……よければ、一つどうです? 足下のお供の方々にもね」

 

 苦笑混じりに、男が促す言葉。それは、飢餓の渦中に苦しむ者達にとって、福音の如く響いた。

 

「…………すまん、恩に着る」

 

 ぱっと表情が輝くのを何とか押さえ込みながら、正樹は深々と頭を下げた。

 

 遠慮の塊のような指先でサンドウィッチの一つを手に取り、半分を足下の猫に、半分を自分の口に放り込む。

 

 数日ぶりのまともな食料は、正樹の知るあらゆる食物よりも甘く、味わい深かった。口の中に広がる甘さ。食物が喉を通り過ぎる感触。サンドウィッチというのは、こんなにも美味なものだったのか。足下でも、猫たちが奪い合うようにパンをがっついているのがわかる。

 

 サンドウィッチ半切れに感激する正樹に、男はやや呆れを塗した口調で言った。

 

「……別に、全部食べても構いませんよ」

 

 それは、あまりにも魅力的な提案だった。確かに、猫たちはともかく成人男性並みの身体を持つ正樹に、サンドウィッチ半切れだけで腹を満たせと言うのも無理な話だ。しかし人として、見ず知らずの他人の情けに縋り、彼の昼食を全てご馳走になるなど、言語道断の行いである。

 

 正樹の目の前で、常識と欲求が空前の対決を繰り広げる。勝利するのはプライドか、それとも欲求か。戦いは拮抗し、戦の熱が汗となって、正樹の額を伝い落ちる。

 

 

 結局、勝利したのは目の前に人参をぶら下げられた欲求の方だった。

 

 

「いや、本っ当にすまねぇ……」

 

 空になったサンドウィッチのパックと、苦笑混じりに新聞を見る男を前に、テーブルの上に土下座するように頭を下げた。

 

「いいえ、満足できたならばいいのですよ。まあ、気になるというなら、これは一つ貸しにしておきましょうか」

 

 くっくっと喉の奥で笑いを殺しながら男が答えるに、正樹は戸惑った。貸しにしたところで、自分とこの男が再会する可能性は、限りなくゼロに近い。自分は既に地上の人間ではなく、ラ・ギアスに宿命を負った一個の戦士であるがゆえに。

 

「……すまねぇ、恩に着る」

 

 同じ台詞を繰り返したのは、借りの踏み倒しが逃れ得ぬ事を悟ったが為である。

 

 今一度深々と頭を下げ、正樹は正面に視線を戻した。男は、まるで正樹から興味を失ったように、新聞に視線を向けている。

 

 そう言えば、最近の地上はどうなっているのだろうか? 思い至り、正樹は男の見る新聞を盗み見した。

 

 紙面は俗悪なタブロイド誌ではなく、旧世紀より知られる大手新聞社のものだ。第一面に踊る見出しは――『東アフリカ戦線膠着十日目。DCまたも新兵器投入』。

 

「……戦線?」

 

 その剣呑な単語に、思わず呟きが唇から漏れた。

 

 視線を移してみると、第一面は隅から隅まで『戦線』『被害』『戦死者』など、陰気な単語が埋め尽くしているのがわかった。紙面の右下に見える世界地図――最初は天気概況かと思ったそれには、部隊の進軍状況を示す矢印や凸マークが、所狭しとひしめいている。

 

「これは……まさか戦争中なのか?」

 

 呟きが零れる。二色に塗り分けられた地図は、二つの組織の勢力を示しているらしい。どうやら青が地連のもの、赤が交戦相手のもののようだが……。

 

「今年三月、衛星都市群L3で、反乱が発生しました」

 

 自分に問われたと思ったのか、正樹の疑問を男が解説した。

 

「L3衛星都市国家群は、地球上から亡命してきたある人物を迎え入れると同時に、彼を旗印とした軍事同盟……本人達曰く『ディバイン・クルセイダース』、通称『DC』を結成し、地連に宣戦を布告したのです」

「宣戦布告!? ただの都市国家が、地連にか!? 正気の沙汰じゃないぜ」

 

 思わず声を高くする正樹に、男は「ええ。正気の沙汰ではありませんね」を同意を示してから、解説を続けた。

 

 

 

 後に、正樹は述懐する。この時に、何かがおかしいと気づくべきだったと。

 

 地球圏に住む人間が、既に開戦後半年が経過しようと言う戦争について、何も知らないと言う事があり得るだろうか。いくら前線から遠い日本州とは言え、新聞、ニュースなどの各メディアが声をそろえて戦争報道をしている中で、どうして戦争について無知で居られるだろうか。

 

 そんな状態で、どうして顔色一つ変えないまま、正樹に戦争について説明できるだろうか? 普通なら、正樹の無知を疑って然るべきだろう。なのに、この男は何一つ疑問を持たず……いや、正樹が無知であるという確信さえ持って、この『DC戦争』の顛末について正樹に語っていたのだ。

 

 正樹は、気づくべきだったのだ。

 

 この男が、既にして『正樹が地上の人間ではない』と知っているという事に。

 

 

 

 新聞の第二面。地球圏の衛星都市国家群と地球の位置関係を表す図に、男はさっと赤い線を引いて見せた。

 

 L3……かつてラグランジュ・ポイントと呼ばれた場所の第三点に近い宙域から、近隣の衛星都市へ。そして地上の幾つかの州に丸印を付けてゆく。これが、初期の『DC』の参画勢力らしい。

 

「『DC』は瞬く間に近隣の衛星都市を支配下に納め、さらに地上の多くの州軍を味方に付けました。L3衛星都市群から発進した艦隊の地連軌道艦隊を抑え、その間に降下部隊が地球上の要衝を制圧する……まあ、セオリー通りの電撃作戦ですね」

 

 L3から、L2宙域に向かってさっと引かれる赤線。そして同時にそこここの衛星都市から地球上に向かって赤線が伸びる。これが、『DC』の降下部隊を表すらしい。

 

「奇襲作戦と各地方の州軍の造反に混乱した地連軍に対して、『DC』はまさしく破竹の勢いで進軍を続け、一時はアフリカ・ヨーロッパの鉱産地区を完全制圧するに至ったのですが……補給線が伸びすぎたのでしょう。先月ヨーロッパを地連に奪還されて以来、地連に対して大きな攻勢に出られなくなっています」

 

 ユーラシア大陸の西側を中心に、次々と主要都市の名前が赤ペンで印されてゆくのを前に、正樹は疑問を口に出した。

 

「いくら裏切りとか何とかがあったからって、そんな簡単に地連軍が負けるもんかね?」

 

 地連は、州別にある程度の差はあるものの、概して毎年やや過剰とも言える程の予算を国家防衛に費やしている。また兵役制度の採用などの成果もあって、その練度は必ずしも低くない。(ちなみに兵役は一定量の納税の代替として課せられるもので、日本州の人間は大半が納税で兵役を逃れている)

 

 衛星都市群や木星圏への示威が主な目的ではあるが、その戦力は疑う余地無く地球圏最強である。

 

「理由の一つには、『DC』の擁している兵器群が、概して地連のそれに比べて高性能であるという事があります。

 『DC』には、新鋭の企業が多く参画しています。潤沢な資金で、従来の常識を打ち破るような新機種が次々送り出され、地連軍はその対応法を学習するのに手一杯……というのが現状ですね。勿論、兵器の性能の善し悪しだけで、戦争の趨勢が決定される訳ではありませんが」

「じゃあ、結局は何が問題になってるんだ?」

「問題は、この戦争が都市部や人間の居住権での戦闘を極力避け、決闘にも似た騎士道精神に乗っ取った戦いが行われていることにあります」  

 

 言いながら、男は紙面の一文……『アテナイ条約』と書かれた一文にアンダーラインを引いた。

 

「アテナイ条約……この戦争が始まった頃にDCと地連の間で結ばれた協定なのですが、この協定によって空爆や虐殺、非戦闘員への攻撃などが禁止されたことで、世論を決定する都市生活者が戦争を実感できなくなっているのです。

 ほら、周囲をご覧なさい。例えば今、この瞬間も中国大陸南部では戦闘が続いているというのに、この街の人々には全くと言っていいほど危機感がない。戦没者名簿がページを重ねるのはあくまで軍内部だけで、一般市民の手元まで戦争の影が差し込んでこないのです」

「それじゃ、まるでスポーツじゃないか」

「ええ、スポーツですね。この戦争は犠牲と損耗を最小限に抑え、侵略したからと言って何かをするわけでもない。壮大な陣取りゲームを繰り返しているだけなのです」

「なんでそんな無駄なことができるんだ……それじゃまるで、戦争自体が目的の戦争じゃないか」

「まったくもってその通りです。この戦争は、あくまで人々の内に眠っていた闘争本能を充足させるために引き起こされたゲームに他なりません。人が死なない限り、戦争は人間にとってもっとも快絶な娯楽ですからね」

 

 やや嘲弄の臭いを漂わせる男の言葉に、正樹はしばし視線を中に泳がせて、自分なりの解釈を口に出した。

 

「……要約すると、地球人類百億総出でケンカしたがってるから、『DC』と地連はいつまでも戦争できるって訳か?」

「……物事はストレートに表現しすぎると、下品になると言う事を覚えておいてください」

 

 やや、彼の口元が同情と嘲弄の色を浮かべたような気がする。

 

「さて、このような世界で、あなたならどう行動しますか?」

 

 さりげなく――まるで次に注文する献立を聞くような自然さで、男は問いを放った。

 

「え? ……どう……って言われてもな」

「戦に乱れる世界に背を向け、ここで知った事を忘れてしまうか。それとも、自ら剣を取って戦いを収めるために立ち上がるか。あなたには、あなたの意思次第であらゆる道を選ぶ自由があります。そんなあなたが、この地上の姿を見て、どう動くのか。それに興味があるのですよ」

 

 答える正樹の口調が揺らいだのは、虚を突かれたからだけではない。男の視線が……一見穏やかな目元の奥に、ぎらりと値踏みするような光が宿ったのに気付いたからである。

 

「い、いや、別に俺はそんな大それた力とかがある訳でもねぇしよ……」

「そうですか」

 

 目線を逸らして答える言葉尻が、ばつの悪さに掠れて淀む。そんな正樹に、男はちらりと眉を寄せ――ほんの一瞬だったが――まるで失望したかのような気配をちらつかせた。

 

「まあ、それもあなたの選択でしょう。さて、私はそろそろ失礼しますよ……こちらでの最後の仕事が残っていますのでね」

 

 言って男は席を立ち上がる。

 

「それでは、また会いましょう、マサキ=アンドー」

「フルネームはおちつかねぇんだ。正樹でいいぜ。世話になったな……と、そう言えばまだ名前も聞いてなかったな?」

 

 頭を下げる正樹に、男は一瞬虚をつかれたような表情を見せ、継いで苦笑混じりに自らの名を告げた。

 

「ああ、そう言えばそうでしたね。私の名はシュウ。白河愁です。以後お見知り置きを」

 

 

 

 正樹が、自分がただの一度も自ら名乗っていなかった事を思い出したのは、白河愁が立ち去って三十分も過ぎた後のことだった。

 

 

 

 死んでしまった人は、忘れられていくしかない。

 

 どんなに親しかった人でも、どんなに嫌っていた人でも、死んでしまえばもう二度と会うことはできないし、その姿は記憶からどんどん色あせてゆく。

 

 その流れは止められない。どんなに世の中に知られた人でも、その流れを止めることはできない。できたとしても、それは形が変わってしまう。例えば、英雄とか、罪人とか、そういうものに。

 

 失われたものは、二度と手の中には戻らない。

 

 そのかわり、自分の中で『失われたもの』のあった場所に、何か他のものが入りこんで埋めてゆく。そうしないと、人は心の空虚に耐えられないから。

 

 だけど、そうやって失われたものが消えていくのは、とても悲しい事だと思う。

 

 みんながそうやって心から『失われたもの』を消し去ってしまったら、もうどこを捜しても、その『失われたもの』は残らない。捜すことすらできない。

 

 それがとても悲しくて、辛いから。

 

 少しずつ、それが色あせていくことはわかっていても。

 

 本当に全てが色あせて、私の中から『彼』が消えてしまうまでは、心の中に『彼』の場所を残しておきたいと思う。

 

 せめて、私の心の中だけでも。

 

 だから、私は今日もあの場所に行く。

 

 彼の名前が唯一残っている場所。そして、彼が姿を消したその場所へ。

 

 

 

 

 日本州、霊峰として名高い富士山の裾野。青木ヶ原樹海の奥地にて。

 

「キルリアンジャイロ、誤差0.0004」

「プラーニャコンバーター変換率-1.47%。十分許容範囲ニャ」

 

 暗転した『サイバスター』の《精霊殻》の中。

 

 小さく浮かび上がるコンディションモニターの輝きで、シートに身を沈める正樹の姿が、うっすらと薄緑に浮かび上がる。

 

「プラーニャシンクロン、45……55……規定値クリア。人工精霊、覚醒!」

「ニューロセンサーチェック良好。テスト項目337まで、オールグリーン」

 

 口々に使い魔達が状況を報告する中で。

 

 両目を静かに閉じたまま。五感の内の主を勤める視覚を殺して、かわりに聴覚を研ぎ澄ます。

 

 耳に飛び込んでくるのは、猫達の甲高い声だけではない。機体の側を吹いて過ぎる、風穴の唸り声。彼方から届く、鳥達の歌声。更に彼方から聞こえる、無輪駆動車(エアカー)の独特の推進音。

 

 それら全てを、風が運んでくる。

 

 風は、人が思うよりも遙かに饒舌だ。感覚さえ解き放てば、音の反響の波長や温度、湿度、様々な情報がもたらされる。

 

 だが、正樹の感覚をもってしても、風の伝える言葉は氷山の一角のような漠然としたイメージとしてしか認識できない。

 

 それを、この『サイバスター』の《精霊殻》に身を沈めている間だけは、霞のようであったそれが、具体的な像をイメージできるのだ。

 

 『風』の属性を体現する《魔装》を全身に展開しているが故に、風が伝える情報をそのまま受信できるのだろう。確かめたことはないが、恐らく水中にある『ガッデス』や地中の『ザムジード』なども、同じように自然界の伝えるメッセージを受け取る事ができるのではないか。

 

(しかし、地上は精霊がいないもんだと思ってたが……)

 

 『サイバスター』の《魔装》は、正樹のそんな認識が、ただの根拠のない思いこみであったことを伝えている。

 

 地上世界にも、精霊は存在する。流石にラ・ギアス世界で感知できる程濃密ではないが、吹き抜ける風の中に、正樹の感覚は確かに漠然とした意識を感じている。

 

 そもそも、精霊を力の源とする魔装機神が地上で活動できると言うこと自体が、地上世界に精霊が存在することを示唆しているのだ。

 

 精霊とは一体何なのか。正樹はラ・ギアス世界は物理法則さえも異なる異世界だと思っていたが、自分が思うよりも地上世界とラ・ギアス世界の差異は少ないのだろうか。

 

 一応練金学の基礎知識として、精霊とは『意識体のイメージを呼吸して生きる疑似生物』と言うことになっているらしい。

 

 つまり、精霊は人が精霊(のようなもの)をイメージする際に生まれるプラーナを摂取することで、自らの存在を構築しているということだ。

 

 元々、日本州は土着の精霊信仰(八百万乃神と呼ばれるものなど)が根強い土地だ。『古き物には神が宿る』というイメージを、人々は無意識に刷り込まれている。そんな人々のイメージが、地上に精霊を具現化させているのだろうか。

 

 だとしたら、他の土地はどうなのだろうか。例えばキリスト教圏は唯一神信仰の土地だ。精霊信仰はむしろ弱い。その土地では、魔装機神は力を失うのだろうか。さらには、宇宙空間に飛び出したとき、魔装機神は一体どのように振る舞うのだろうか……?

 

「正樹、『サイバスター』の全機能オールグリーン。いつでもいけるわよ」

「ニャにをぼ~~~っとしてるんニャ? オイラおニャか空いたニャ。早くラングランに帰るニャ」

 

 茫漠とした思索に埋没していた正樹を、ニャアニャアとやかましい声が現実に引き戻した。

 

「ああ、悪い。……オーケー、全機能正常確認」

 

 ざっとコンディションモニターを眺め、操縦桿を手の中に納める。手の内からぱりっと電気が走るような感覚が伝わり、機体と自分の間でイメージの授受が始まった事を知らせる。身体の奥底に沸き上がる一体感、全能感。

 

「で、どうするの? さっさとラングランに帰る?」

「ベッキーの言ってた酒は買わニャくていいのか?」

「お金がニャいのにお土産も何もニャいでしょ」

「……さて、どうしたもんか」

 

 視線を宙に泳がせ、正樹は思いを巡らせる。

 

 ラ・ギアスに戻るには、もう一度時空層転移を行うだけでいい。多少機体に負担はかかるが、ゆっくり時間を掛けて治癒した今の『サイバスター』なら、致命的な損傷を受ける事は無いはずだ。

 

 ならば、直ぐにでも飛び立ち、地上世界から姿を消すのが賢い選択だ。この世界に魔装機神の存在が知られること……それ以前に、ラ・ギアス世界の存在を知られることは極力避けねばならない。

 

 軍の新型戦闘機と交戦していながら今更何を……と思わなくもないが、少なくともこれ以上地上世界に魔装機神が存在することは、両世界にとって決してよい結果をもたらさないことは間違いない。

 

(なら、俺は一体何に迷っている?)

 

 自分でも不可解な、自分の腕にまとわりつく迷い。その正体に、ようやく正樹は気付いた。

 

 ――これが、正樹にとって初めての、自分の意志での地上世界との別れだということに。

 

 前の時は、謎の巨大PTの砲撃に巻き込まれ、否応なしにラ・ギアスに召喚された。だが、今度は自分の意志で、地上世界と離別しなくてはいけない。

 

(俺はまだ地上に未練があるのか)

 

 自嘲が、苦笑の形で口元から漏れた。

 

 魔装機神操者としてラ・ギアスに生きることを選択していながら、未だに地上世界にある自分の残滓を追い求めずにいられない自分。何と滑稽なことか。

 

 ――だが、自分にとって地上との別離は納得できるものだったか。ただ状況に流され、その場の勢いだけで決したものではなかったか。

 

 今、自分がここにいること自体が、安藤正樹という人間が、真実には地上との別離を受け入れていない証明となっている。自分は、こんなにも中途半端なままでいいのか。自分に決着を付けるべきではないのか。

 

「……ちょっと、寄るところがある。帰るのはそれからだ」

「……ニャ?」

「どこに行くんだニャ?」

 

 使い魔達が不可思議な表情を浮かべるのを黙殺し、正樹は『サイバスター』を飛翔させた。

 

 

 

 

 『あの場所』に近づくにつれて、私はいつも、自分に嘘をついている事に気が付く。

 

 本当に、私は『彼』を忘れたくないのか。少し違う。私は今でも、『彼』が失われてしまった事が信じられないんだと。

 

 忘れたくないから『あの場所』に行くんじゃない。

 

 『もしかしたら、あの場所にいるかも知れない』そんな期待が、心のどこかにあるからだと。

 

 最初は『忘れたくない』と思って足を踏み出しても、電車に乗っているうちに、思いが『今日は出会えるかどうか』なんて事を考えはじめている自分に気付く。

 

 そして、彼が言っていた言葉が思い出される。殆ど最後に出会った時に、彼がこぼした言葉が。

 

「死体も見てないのに、死んだなんて言われて認められるかよ」

 

 あの時は、そんな事に拘らず、前向きになって欲しいと思っただけだった。

 

 だけど今の私は、あの時の彼の気持ちが痛いほどわかる。

 

 ある日突然、『彼は死んだ。死体はない』と言われて、信じられるはずがない。

 

 だから、私はそれを確かめるために、あの場所に向かっている。

 

 

 それは、諦めるため?

 

 それとも、諦めないため?

 

 諦める。諦めない。諦める。諦めない……。

 

 電車がガタンゴトンと揺れる度に、心のカードが裏返される。

 

 

 

 

 『サイバスター』は、海中に隠した。

 

 使い魔達を機体の中に残し、呼び出しに応じて浮上するように命令しておく。そして、自分は地面に足を踏み下ろした。

 

 半年前に訪れた場所。地上人としての安藤正樹が、最後に立っていた場所。

 

 東京湾を望み、日本州関東地区を代表する州立霊園。

 

 階段を一段一段上ってゆく。ふと見晴らすと、以前見たときとは大きく海岸線が変形している事に気付く。

 

 あの時、巨大PTの砲撃で抉られた海岸だ。

 

 幾つもの兵器が実際に力を奮う光景を見慣れると、どういう武器がどのような威力を持つものなのかも理解できるようになる。

 

 あの巨大PTの火力は、出鱈目としか言いようがない。

 

 もしかすると、あれこそが『DC』の超越的な性能を誇る機動兵器という奴だったのだろうか。

 

 どちらにせよ、直径百メートル近くのクレーターを穿つような巨大なエネルギーを放つ砲は、地連の兵器群の中でも格別に強烈な部類に含まれるだろう。

 

「俺は、あの中央近くにいた訳か。よく火傷ですんだもんだ」

 

 火傷を負ったということは、直撃ではないにせよ、あの爆発の熱波を浴びたと言うことだ。召喚魔法の発動があと零コンマ数秒でも遅ければ、自分の身体は水蒸気か何かに化けていたのではないだろうか。

 

「……ああ、やだやだ。ぞっとしねぇ」

 

 思わず背筋をぶるっと震わせ、気分を入れ替えようと軽口を叩く。

 

「まあ、何だ。あんなところにいたら、普通命はないわな。……死んだことになっても当然か」

 

 普通、この霊園は入園は自由だが、駐車には駐車場への免許認証が必要となる。正樹はあの日バイクでこの地を訪れていた訳であるから、霊園のデータベースにはあの日正樹がこの場所にいたという記録が残されていたはずだ。

 

 そんな場所にいて半年も行方不明になれば、事件現場に居合わせて蒸発したと考えられても不思議はない。

 

 そして、全ての段を登り終え、ここ数ヶ月以内に建設されたらしい真新しい碑文を見たとき、その推測は確信へと変わった。

 

 それは、くだんの砲撃で墓を失った人々の代用墓碑だった。

 

 表面には『過去と現在の戦争の犠牲者よ、安らかに眠れ』といった意趣の文が刻まれている。

 

 そして裏面には、無数の人の名前が刻まれていた。

 

 アイウエオ順に並んだ名前の中に、安藤の名字を見つけるのは難しいことではなかった。

 

 そして、その中に父と、母と、妹と。

 

 そして自分の、安藤正樹の名前を見つけることも。

 

 

 

「…………」

 

 何か、とどめを刺されたような気分だった。

 

 今や自宅ではなくなっていた生家を訪れたときにも感じたことではあったが、こうも完璧な形で自らの生存を否定されたのでは。

 

 碑文の巨大さが、まるでそのまま安藤正樹の存在を否定する圧力となったように感じる。

 

 『お前はここにいてはいけない』『お前は生きていてはいけない』そんな囁きが聞こえるような、圧迫感。

 

「――――――――くそったれ。別にどっちでもいいけどよ、今更」

 

 沈黙を吐き捨てるように呟いたのは、たっぷり3分ばかりも過ぎた後だった。

 

 天を仰ぎ、べたんと石碑の前に座り込んだ。まるで自分の体重が一瞬にして倍に膨れあがったような倦怠感に任せ、石碑に体重を預ける。

 

 海が近く、軽やかに晴れ上がった空。海は沈み行く太陽を映してきらきらと輝く。視界の殆どを覆う水平線。あまりにも美しい地上の姿。

 

 だが、背中から伝わる石の冷たさが、冷酷に告げる。自らの奥底から囁く。

 

”ココハオマエノイバショジャナイ”

”ココニオマエハイテハイケナイ”

”オマエニココニイルシカクハナイ”

”ココハオマエノセカイデハナイ”

 

「……うるせぇよ」

 

 忌々しげに歪む口元。だが、それはやがて、自嘲気味の笑みへと形を変える。

 

 決着は付いた。完全に、自分と地上を繋ぐ絆は断たれた。もう、この世界に自分の居場所はない。未練もない。死んでしまったと認識されれば、知己達の中からも、緩やかに自分の姿は消えてゆくだろう。それはそれで都合がいい。何も困ることはない。

 

 石碑に体重を預け、天を仰ぎ。正樹は微笑を浮かべつつ、石碑に刻まれた名前……最早遺骨すらもどこにあるかもわからない家族達へと語りかけた。

 

「親父、お袋、香苗、悪い。俺はまだ当分あんたらの所には行くわけにはいかねぇ。もう墓参りもできねぇと思うが、勘弁してくれ」

 

 潮風が、吹き抜けた。高台の上に、爽やかにそよぐ風。それは正樹の願望が作り出した幻聴だったのだろうが……正樹はその風の中に、大気の中に散った家族達が、『頑張れ』と声援してくれているような、そんな声を聞いた気がした。

 

「さて、帰るか」

 

 ぽん、と勢いを付けて立ち上がる。センチメンタルなんてらしくねぇ、と苦笑混じりに前髪を引っ掻き、丘を下ろうと一歩を踏み出す。

 

 そして――正樹は夕日の中に、来訪者の姿を認めた。

 

 

 

 

 思いを巡らせている内に、カードのシャッフル音が電車から自分の足音に、足音から階段の一段へと入れ替わっていた。

 

 入れ替わったのはシャッフルのリズムだけじゃない。カードの面も入れ替わってる。諦めるか、諦めないかが、今日はいるだろうか、いないだろうかへ。

 

 あの場所に近づくにつれて、目の前しか見えなくなってる私がいる。

 

 どうしてこんなに、バカなことをしているんだろう。無駄だってわかっているのに。いつかは諦めるしかないと、わかっているはずなのに。

 

 それでも、自分に約束したことだから、破ることはできない。

 

 きっと、今日もダメなんだ。ずっとダメなんだ。階段の終わりが近づいてくると、後ろ向きの考えが頭の中を染めていく。こんなことしていても無駄なんだ。帰ってくるはずがないんだ……と。

 

 それは、また階段を上がりきったときに感じる失望が怖いから、自分に言い訳しているだけ。みっともないことをしていると思う。

 

 そう考えていると、腹が立ってきた。何で私はこんなことをしているんだろう。私の決めたことだけど、自分勝手に決めた約束だけど、こんなに頑張ってるんだから、少しくらい報われたっていいじゃないか。

 

 報われない。報われるはずがない。馬鹿なことをしてる。どうして? それは、私のせい? いや、彼だ。彼がいなくなったから悪いんだ。

 

 こんな事やめてしまえって思う。だけど、それでもまた来月になったら、私はまたここに来てしまうんだと思う。そんな自分に、腹が立って仕方がない。

 

 もしも……万が一にでも、この先に彼が現れたなら。

 

 そう、あと一歩を踏み出して、階段を上がりきった先に、彼の姿があったなら。

 

 まずは、何も言わずに思いっきり引っぱたいてやろう。

 

 

 最後の一歩を踏み出した。

 

 

 

 

「へ…………?」

「あ……れ?」

 

 2対の目が、お互いを映して点になった。

 

 嘘だそんな馬鹿な何かの間違いだそんなはずはないこんなところにいるはずがないいない幻覚だ馬鹿馬鹿しいあるはずがないそんな偶然。

 

 理性と常識と現実逃避が、口々に否定の言葉をがなり立てる。しかし、反射を司る小脳は、上位者達の意志をきっぱりと無視して言葉を紡いでいた。

 

「き、如月……」

 

 何の偶然か、それとも何者かの悪意か。目前で目を白黒させている、幼なじみの少女、如月花梨の名前を。

 

「……ま……さき?」

 

 正樹が名を呼ぶことで、呪縛が解けたかのように。花梨の目尻にじわりと涙が浮かぶ。全身強張って一歩動けない正樹の前に、一歩、また一歩と、どこか夢心地のような足取りで踏み出す。

 

 半年ぶりの、死別したと思っていた幼なじみの、感動的な再会――

 

 ぱぁぁぁぁぁん!

 

「ぅいてぇっ!?」

 

 ――にはならなかった。

 

「ま……さき、キミは……一体いままでどこいってたのよぉ! 半年も!?」

 

 人知れぬ自らへの誓いを遂行した花梨は、早くも赤く手形をくっきりと描きはじめた正樹の顔をぎっと睨み付け、まくし立てた。

 

「人がどれだけ心配したかわかってるの!? いきなりいなくなって、みんな大変だったんだからね!? 私だって四方八方探し回って、それでも見つからないから国から死亡認定通知とか来ちゃって、親戚の人とか誰も知らないからお葬式とかも大変だったし、私お葬式で恥ずかしいくらい泣いちゃったし! 学校の勉強だってどれだけ遅れたか……って辞めてるんだから関係ないか……」

「い、いや、これには海より深いところにある事情が……」

 

 一瞬の口籠もりに反駁の糸口を見た正樹が、何とか言い訳の言葉を返そうと口を開く。

 

 しかし、テンションの上がった女の口に、男が……ましてや安藤正樹が口を挟めるはずもない。

 

「どんな理由よどんな理由があったら可愛い幼なじみに半年間も連絡もせず行方不明になれるっていうのよ! 大体正樹ってば昔からすぐに前触れもなくぷいって姿消したかと思ったら山奥に旅行してたり海に遊びに行ってたりハラハラさせて! 心配する方の身にもなってよ!」

「……あー」

「大体今までキミ、いったい何処に行ってたのよ! いつまでも連絡がないから、死亡認定されて家財も州政府に没収されちゃってるんだよ!?」

「いや、それは知ってる……」

「外国!? 衛星都市? もしかして『DC』とか!? どこでも、落ち着けたんなら連絡くらいくれたっていいじゃない!」

「いや、それにはいろいろ事情が……」

「連絡が無かったって事は、今まで落ち着ける所が無かったってことよね? なら『うち』に来なさいよ! 元々そういう予定だったんだし! ほら、私が手続きしてあげるから!」

「わ、ま、待て、それは困る!」

 

 ありがた迷惑とはこのことか。有無を言わせず二の腕を取って引っ張り始める花梨から、正樹は身を翻して逃れた。ちなみに、幼い頃に事故で両親を失った花梨の言うところの『うち』とは孤児保護施設の事を指す。

 

(ど、どうする!? ラ・ギアスの事を説明できるわけもねぇし)

 

 原則として、ラ・ギアスの存在は地上の人間には極秘である。恐らく連邦大統領や各州のトップなどの間では極秘事項として知られてはいるのだろうが(両世界の交易企業『イアヌス』の存在から考えても、ある程度の情報が流れているのは間違いないだろう)、だからといってほいほいと口にして良い事ではあるまい。

 

 だが、ありがたくもこの友人思いの幼なじみは、正樹の口から納得できる回答を得られるまでは、延々追求の手を緩めることはあるまい。そして、真実を語らずに彼女を納得させることは、少なくとも正樹の話術では不可能と思っていい。

 

 すると、正樹に残された選択肢は、説明せずにこの状況から逃れる、それだけだった。

 

「エ、エラ・ヴィン・サイフィス! シロ、クロ、急速浮上!」

「待ちなさいよ正樹……えっ!?」

 

 這々の体で逃げる正樹に、首根っこを抑えようと手を伸ばす花梨。だが、目の前で正樹の足下から緑の輝きが溢れ出したのにぎょっとして、蹈鞴を踏んで身を退かせた。

 

 瞬く間に足下の光は魔法陣の像を結び、それは見る見るうちに足下から正樹の身体を飲み込んでゆく。

 

「ちょ、ちょっと正樹!?」

「悪い、如月。俺のことは見なかったことにしてくれ。じゃ、元気でな!」

 

 悲鳴じみた声で正樹の名を呼ぶ花梨に、正樹はやや後ろめたさを隠しきれない表情で別れを告げる。その最中にも魔法陣の浸食は続き、膝が、腰が、胸が、徐々に光になって消えてゆく。

 

 そして最後に、少し気取ったポーズで振られた指先が飲み込まれて。

 

 如月花梨の目の前で、安藤正樹は淡い緑の光を散らして消滅した。

 

「う……そ。まさか幽霊?」

 

 呆然と呟き、恐る恐る正樹の残滓である光の名残に手を伸ばす花梨。

 

 しかし、その幻想的な光はふらりと花梨の手をすり抜け、蛍が命尽きる瞬間のようにすぅと消えてゆく。

 

「あ……あ」

 

 そして、最後の光の飛沫が、風に流されて海へと舞い上がり、消えた瞬間。

 

 水柱が、上がった。

 

「えっ!?」

 

 よもや、正樹が水の中に逃げ込んだのだろうか――それにしては大きな水柱だが。

 

 花梨は一体何事かと、海を見下ろす崖縁に駆け寄る。手すりに手を突き、眼下に広がる、夕日で真っ赤に染め上げられた海を俯瞰して……。

 

「え、え、ええええぇぇぇ!?」

 

 そこで目にしたものに、今度こそ花梨は悲鳴を上げた。

 

 眼下で大きく盛り上がり、轟々と雪崩れ落ちる海水。弾けて霧となり、淡く虹を描く。

 

 流れ落ちる水を割り裂いて、赤い……いや、夕日を映して朱に染まっているだけで、本来ならば白銀であろう、巨大な甲冑が姿を現していた。

 

「な……によ、あれ……PT……?」

 

 恐怖と戦慄に、下半身が揺らぐ。足が勝手に二歩、三歩と後ずさる。

 

 無理もない。つい半年前、同じように海上から姿を現した巨大PTによって、この海岸線は大きくその形を歪められ、正樹はそれに巻き込まれて死んだ(と思われていた)のだ。その際に、地連のPTが10機以上撃破されたとも聞いている。

 

 朱に染まった鎧、規格外に巨大な体躯。それは、あの『ヴァルシオン』と似ていなくもない。花梨は、否応なしに半年前の悲劇の再現を想起したが……。

 

 その巨神の目が花梨を見下ろし、右腕がやや芝居がかった風に振られた。

 

「え……?」

 

 花梨は両の目を見開いた。目の前の光景が信じられなかった。それは、奇しくもつい先ほど、正樹が姿を消す寸前に見せた身振りそのものだったからだ。

 

「正樹……なの?」

 

 花梨の問いに、しかし白銀の巨神は答えることはなく。

 

 巨神の……『サイバスター』の翼から、白銀の輝きが溢れた。いいいいいぃぃぃぃん、と音であって音でない、軋みのような不可思議な響きが大気を震わせる。

 

 そして、一瞬のうちに。

 

 『サイバスター』は翼を広げ、真っ直ぐに天へと駆け上がった。

 

 花梨の目が、その影を追うこともできなくなるまで、3秒とかからなかった。

 

 もう一度、ぎぃぃぃぃぃぃん、という軋みが大気を震わせて。

 

 そこで、ついに花梨はぺたんとその場に尻餅を突いた。

 

 立ち上がることも忘れて、呆然と天を見上げたまま。

 

 

 

 

「……なんかよくわからニャいまま出発しちゃったけど、良かったのかニャ?」

 

 『サイバード』形態に変形し、時空層転移を実行した『サイバスター』の《精霊殻》の中で、シロが口にした問いは、やや皮肉の色を宿していた。

 

「……うるせ。黙って機体制御してろ」

 

 ぶっきらぼうに答える正樹。やるせなさが心を浸食する。

 

 まったく、自分ながらもう少しマシな対応はなかったのか。どうしてあんな所で、幼馴染みに出会ってしまったのか。

 

 地上への未練とか、縁とかを断ち切るつもりで、両親の墓に参った。だが、そこで偶然とはいえ、地上世界では最も親しかった人間の一人と出会ってしまったとは。

 

 まるで、たちの悪い運命の神か何かに、自分と地上の間に残された絆の形を見せつけられたような気分になる。

 

「ニャんか逃げたように見えたけどニャァ」

「今の、確か正樹のおさニャなじみの娘よね?」

「昔の恋人が復縁を求めてきたのに、カイショナシの正樹はトンズラこいたってところかニャ?」

「うわ、それってサイテーニャ」

 

 溜息を吐き出す正樹の頭上を飛び越えて、シロとクロが勝手なことを言い合っている。

 

「うっせぇ! これ以上ガタガタ抜かすと後でネコボールにして海に蹴り込むぞ!」

「うわ、よりによってニャんて残酷ニャことを!」

「使い魔虐待反対ニャー! 動物愛護協会に訴えるニャー!」

「やかましい!」

 

 結局縁って奴は、断ち切ろうとしてもそう簡単にはいかないと言うことか。

 

 一喝してもぎゃんぎゃんぎゃらぎゃらと喚き散らす猫二匹を黙殺しながら、正樹はここ数日で何度目になるかもわからない嘆息を漏らした。

 

 

 

 

 呆然と空を見上げているうちに、いつしか陽は水平線の彼方に消え、空は星の数を数えられるようになっていた。

 

 如月花梨は、ぺたんとタイル張りの地面に尻餅を突いたままの自分の姿を間抜けだと思いつつ、しかし立ち上がる事ができずにいた。

 

 ――さっきのは、いったい何だったのか?

 

 如月花梨は、機械関係にはそれなり以上の自信がある。地球圏で運用されている艦艇、船舶、車両、機動兵器など、一目見ればどこの技術体系に根ざしたものか見極められると自負している。

 

 しかし、先ほど見た白銀の巨神は何だったのか。

 

 それは、彼女の知るあらゆる機動兵器にも似ていなかった。

 

 洗練された機械の機能美ではなく、明らかに工芸品としての美しさを纏った姿。それだけで、少なくともあれが地連の擁するものではないとわかる。

 

 それに加え、先ほどの驚異的な上昇性能。まるで重力という物を忘れてしまったかのような軽やかな飛翔は、今知られている機動兵器の性能を二足飛び以上に凌駕している。

 

 今の地球圏で、そんなとんでもないものを抱え込んでいるものがあるとしたら、それは『ディバイン・クルセイダース』しか考えられない。

 

(正樹は……『DC』にいるの?)

 

 確かに、そう考えれば失踪の理由もわからなくもない。そもそも正樹が死んだ(と思われていた)時、ここでは『DC』と地連の初めての交戦……ビアン=ゾルダークの駆る『ヴァルシオン』が、地連のPT部隊と交戦していたのだ。

 

 正樹は、何らかの形でビアンと接触し、『ヴァルシオン』と共に宇宙に上がってしまったのではないか。それならば、半年も連絡がなかった理由もわかる。流石に『DC』から地連支配下の日本州に連絡を取ることは難しい。

 

 先ほどの白い機体……あれは、ビアンが『ヴァルシオン』と共に開発していた機動兵器ではないのか。海中に隠されていた新型機を、正樹が回収するために地球に降りてきていたのではないのか。

 

 連想が飛躍に飛躍を続け、それは次第に花梨の中で真実となってゆく。皮肉なことに、それは確かに突飛な空想だったが、『魔法で異世界に召喚されて、勇者としてロボットに乗っている』などというよりはまだしも現実的だった。

 

(だとしたら……『DC』に行けば、正樹を捜せるかも)

 

 床石に体温を奪われ、感覚が鈍っている腰を持ち上げ、花梨は空を見上げた。

 

「正樹……人に散々心配かけて……こうなったら意地でも逃がさないんだから!」

 

 如月花梨。そのままなら平穏な人生を送るはずであった少女の、人生の掛け金が食い違った瞬間だった。

 




 帰郷編、後半です。愁と正樹の初遭遇、そしてオリジナルキャラクターの如月花梨が特徴ですね。

 ちなみに花梨は、当時出入りしていた魔装機神PDBで一緒に遊んでいた人のオリジナルキャラクターを拝借したものです。だいたいマサキと幼馴染み関係にあるということ、エンジニア気質だということは共通していますが、それ以外は完全再現を諦め、「なんかこんな感じ」と自分で勝手に性格付けをした記憶があります。
 なんで人様のキャラクターを借りたのかといえば、地上との結びつきを描くのにちょうど良かったのと、将来的にDCで、ヴァルシオーネの専属整備士として登場することを想定していたのだと記憶しています。
 リューネが木星から単独で、ヴァルシオーネなんて扱いづらそうなマシンを持ってくるにあたって、専用の輸送艦に専属の技術者がいなければ成立しないだろう、そしてそういう立場なら変なマシンを自作していてもおかしくない、みたいな考え方だったんじゃなかったかな。
 一応当時考えていたストーリーラインでは、他にも馴染みの人たちが作っていたオリジナルキャラクターをちょこちょこと混ぜて、DC戦争編やインスペクター戦争編、魔装機神第三部編をやるつもりはあったようです。ヒュッケバインも派生機含めて4機くらいあったんじゃないかな。
 まあ、そこまで到底到達することはなかったのですが…… (笑)

 さて、かつての公開時には、次の第十七話も同時に公開していたようです。
 今回はもうちょっと時間をいただきます。
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