偽典・魔装機神   作:DOH

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第二十四話 自由であるゆえに(前編)

 

 

 御前試合が混乱のうちに幕を閉じて、三日が過ぎた。

 

 御前試合中の『ヴォルクルス信徒』の襲撃。七大神殿を襲った新型の『デモン・ゴーレム』は、それぞれ派遣された魔装機神隊の活躍により、大きな被害もなく殲滅された。

 

 しかし、調和の結界内部で、しかも七大神殿全てへの同時攻撃を許し、あまつさえ中央の大競技場への侵入すら押し止どめられなかった事は、軍はもちろん、魔装機神隊への不信感、失望感を人々に植え付けることとなった。

 

 現在はこれといって大きな動きはないが、各地で魔装機反対運動が活発化する兆候がある(これは扇動者の存在が疑われているが)。

 

 

 『グランゾン』は、『ギオラスト』を屠った直後、何をするでもなく姿を消した。

 

 その気になれば、魔装機神二機を破壊することも可能だった。にもかかわらず、おとなしく撤収した理由は、現在のところ不明。『ギオラスト』によって破壊されたと思われる『グランゾン』の破片は、「どれも建造にあたっての卓越した技術をほのめかしてはいるが、重大な損壊を与えているとも思えない」とは開発局のセニアの言である。

 

 

 『ギオラスト』は、《精霊殻》周辺をそっくりえぐり取られていた。

 

 他の箇所に致命的な損傷はなく、人工精霊の駆動も確認されたが、《精霊殻》の再構成は容易ではない。再度稼動状態に復旧するには、相応の時間が必要と思われた。

 

 技術者が驚くほど奇麗に、《精霊殻》の存在する部分を狙って破壊されており、『グランゾン』のピンポイント破壊の精度の高さと、そして明確な殺意の存在を無言のうちに主張している。

 

 

 操者ゼオルート・ザン・ゼノサキスの行方は不明。しかし、状況から考えて、《精霊殻》ごとえぐり取られ、消滅したと思われる。

 

 しかし、娘であるプレシアと、ファングを代表とする弟子一同の意向で、未だ葬儀は執り行われていない。

 

 

 ゼオルートの養子であるランドール・ザン=ゼノサキス。即ち安藤正樹は、破損した『サイバスター』から救出された後、カザフル砦で治療を受けている。

 

 プラーナの大量消費が原因の精神衰弱と診断されているが、実際には正樹は、義父ゼオルートの死と、帰還直後の義妹プレシアとの口論(と言うよりも一方的な糾弾)などから一時的にショック状態に陥っており、一時的にでもゼノサキス家から隔離するべきだ、という医療班の判断に拠るものである。

 

 現在は、治療の必要な段階を過ぎ、砦に宛てがわれた自室で休養している。

 

 ――現在までの三日間、彼が自室から外出した記録は、残っていない。

 

 

 最初の一日は、事情確認のため、防衛局職員による調書作成が行われた。

 

 二日目には、幾人かの訪問の記録が残っている。

 

 

 最初は、テュッティ・ノールバックだった。

 

 ドアを何度か叩き、正樹の反応がないため、扉の外から何事かを話しかけ、去って行った。

 

 

 次は、リカルド・シルベイラだった。

 

 ノックもせず部屋に上がり込み、無言のままに、テーブルに書籍を置いて退出した。

 

 後の清掃員の報告に拠れば、その書籍は地上発行の成人男性向け写真集だった模様。

 

 余談ながら、後の正樹のコメントは、「くだらねぇ気を回すな」だった。

 

 

 三人目は、ホワン・ヤンロン。

 

 こちらもノックという文明的慣習を無視し、ずかずかと部屋に踏み込んだ。

 

 ベッドに腰を降ろしたまま身じろぎもしない正樹を前に、こちらも腕を組み、ただじっと彼を見下ろしていた。

 

 ちょうど一時間が経過した所で、小さく徒労の憂さを蓄えた息を吐き出し、部屋を辞去した。後の正樹のコメントは、「気色悪い」だったという。

 

 

 四人目は、ファング・ザン=ビシアス。扉を叩こうとして思わず手を止めてしまった彼は、ぶつぶつと憤激と自責、糾弾と悔恨といった感情を練り上げ、扉の側の壁に叩きつけた。

 

 

 ファングが立ち去った後、カメラは廊下を通り過ぎるウェンディ・ラスム・イクナートの姿を捉えている。

 

 最初の一回はドアをちらりと横目に一瞥し、そのまま通り過ぎた。

 

 数分後、逆方向に通り過ぎた時は、ドアの前で数呼吸分の時間逡巡し、しかしそのまま通り過ぎた。

 

 三度目は、ドアの前でノックをする仕草のまま凍りつき、たっぷり五分は経過した所で通信端末に呼び出された。彼女はちらりとドアを見やった後、カメラの視界からどこか逃げるような様子で立ち去った。

 

 

 そして、それきり誰も訪れる事なく、二日目の夜が明けた。

 

 

 夜が明けても、空は暗かった。

 

 しとしとと降りしきる雨が、屋根を静かに叩いている。

 

 彼方から聞こえる、勤勉な夜鳥の鳴き声。りんりんと耳を撫でてゆくその音に、プレシア・ゼノサキスは、うっすらと綴じた瞼を割り開いた。

 

 天候を映したように、身体が重かった。目は開いても、身を起こす気力が沸き上がらなかった。

 

 ――誰にもご飯を作らなくても良い。お出掛けの支度もしなくて良い。そう考えると、ただでさえ重苦しい心に、一つ、また一つと重しがのしかかってくる。学校に行かなくちゃ、という漠然とした意識は、身体の中を席巻する倦怠の病に冒され、屈服してゆく。

 

 だから、プレシアは起き上がらなかった。ただただ、寝台の上で丸まっているだけだった。

 

 一人の家は、とても寒くて、暗くて、静かだった。しとしとと降りしきる雨音が怖かった。一人での留守番など、何度もこなしてきたはずなのに。

 

 いや、わかってはいるのだ。何故、恐ろしいのか。以前は待っていれば、優しい父が帰ってくるのがわかっていた。最近は、ちょっと頼りない兄もそこにいた。一人でも、いずれ暖かい場所が戻ってくることがわかっていたから、寒い夜も耐えられた。

 

 だが、今は。

 

 父は、いない。もうどこにもいない。

 

 公には『行方不明』となってはいるが、それがおためごかしに過ぎないことは、わかっている。自分を見るたびに、事情を知る大人たちが、憐憫と、同情と、そして恐怖を織り混ぜた視線を突き付けてくる。例え子供であっても、その度に、その忌むべき事実に直面せずにはいられない。

 

 兄も、いない。もうここにはいない。

 

 疲れ果てて連れ戻された正樹を、自分はどうしたのか。思い出そうとして、思わず身を更に丸めてしまう。痛みに、耐えるために。思い起こす度に、胸の奥が締め付けられる。後悔に。自責に。そして憤怒に。

 

 ストレッチャーに寝かされ、治療室に運ばれる正樹。彼の意識は半ば朦朧としていたが、視線は確かに自分を捉えていた。

 

 その瞳に、悔恨と謝罪の色を見た瞬間、自分は自分を律する事ができなくなっていた。

 

「どうして……どうして!

 どうして! お兄ちゃん、魔装機神操者でしょ!? 一番強いんでしょう!?

 なのに、どうして! どうしてお父さんを――お父さんが――!!」

 

 自分が泣くことを、そしてその苦しみを正樹に叩きつけることを、自分は全く御することができなかった。いや、むしろ逆だ。自分は――自分の言葉で、正樹の目に悲痛な色が宿るのを見据えながら、なおかつその傷を抉り出そうとしてしまった――!!

 

「いや……いや、いや! あなたなんかいらない! お父さん、お父さん、おとうさん……!!」

 

 正樹が差し伸べる震える手を――いや、それはむしろ、同じ苦しみを分かち合いたかったのかもしれないが――、プレシアは払いのけ、ヒステリックに喚き散らした。そうすることで、心がほんの少し、軽くなるような気がしたのだ。

 

 もちろん、実際にはその後、自らの行った侮蔑さるべき行為を顧みた時、正樹に押し付けた苦しみは倍加してプレシアを組み伏したわけだが。彼女は不幸なことに、自らの衝動を抑えられるほど成熟してはおらず、しかし自らの罪深さを看過できないほどには清廉で、聡明だった。

 

 ゆえにプレシアは今、一人だった。夜の帳は拭われても、天球の光は彼女の胸に届かない。罪深さへの悔恨と自嘲。孤独への恐怖と寂寥。喪失への哀惜と悲嘆。そういうものがないまぜになり、彼女の身体をベッドに縫い付ける。

 

 正樹はどうしているのだろうか。一番傷ついているのは、当事者である彼であろうに、自分がその傷に毒を擦り込んだ。どれほど苦しんでいるのか。悩んでいるのか。いや、自分にそのような事を思う資格はない。今更どのような顔をぶら下げて、正樹の事を慮るというのか。この罪深い、余りにも愚かしい、自分が。

 

 ――ピー。

 

 耳を刺す物音に、プレシアの体躯がぴくりと震えた。

 

 今の音は、隣の部屋からだ。隣の部屋――即ち、父ゼオルートの部屋。

 

 今の音は、警戒警報とか、そういうものの音だ。無作法な知人だろうか? 盗人だろうか? それとももしや――?

 

「……!」

 

 それが虚ろとわかってはいても、一縷の望みが差し込めば、身体はいとも簡単にベッドの呪縛を振り払った。ここ連日の栄養不足で僅かに足元が揺らぐが、どうということもない。

 

 ドアを押し開き、這うようにして隣の扉にすがりつく。

 

 物音はあれっきりだ。静かなものだ。誰かがいるとも思えない。

 

 しかしそれでも、確かめずにはいられなかった。ドアノブを握り、扉を引き開ける。ききぃ、と、数日前まで人がいたとは思えない軋みが、鼓膜を引っ掻いた。

 

 部屋には、当然のことながら、誰もいなかった。

 

 朝の光が窓から差し込み、ふわりと埃が舞い上がる。

 

 鼻孔を撫でるにおい。徐々に薄れ行く、父の匂い。沸き上がる湿った感情を心の片隅に追いやり、プレシアは室内に踏み込んだ。

 

 ここ数日の間に、誰かが部屋入った痕跡はなかった。いつも通り、机の上以外は奇麗に整頓された父の部屋。掃除は大抵が自分の役目で、散らかすのが父の役目だ。

 

 もっとももう、散らかす人間はいないのだが。

 

 ――いけない。プレシアは頭を振る。すぐに堂々巡りを始める思考を押しやり、物音の原因を見回していると、視界の隅に赤い光が飛び込んできた。

 

「……これって」

 

 赤い光は、本棚の一角。本を押しのけて据えられた、小さな祭壇からだった。

 

 それは、転送ハイウェイの端末だった。食品や手紙など、軽量小規模なものに用途を制限された、小型転送端末装置。各家庭に一つは設置されている、ここ神聖ラングラン王国では電話の次に家庭の必需品とされているもので、プレシアもすっかり使い慣れている。

 

 赤い光は、祭壇下のコンソールのものだった。これは、転送ハイウェイが何かの転送許諾を待つ状態になっている事を示している。先程の電子音も、恐らくはこれによるものだろう。

 

(でも、どうして?)

 

 疑問を内心で弄びつつ、プレシアはコンソールのボタンを押す。すると赤い光は、柔らかな緑に切り替わり、祭壇が重苦しく振動し始めた。一瞬舞台の上に銀の光が溢れたかと思うと、ぬるりとわき出るように白い固まりが姿を見せる。

 

 白い固まりが出現した所で、祭壇は己の役割は終わったとばかりに沈黙した。

 

「これは……?」

 

 手にとって見る。触れた瞬間静電気のような違和感が走るが、転送直後の揺らぎの影響だ。気にせず取り上げる。

 

 白地の、閉じた貝のような形をした円盤。口は黒く縁取られ、奇妙な不吉さを漂わせている。

 

 上蓋にあたる場所には、達筆な筆致で何か刻まれている――『親愛なる人達へ』。

 

 はっとした。とっさにコンソールの送付者を睨みつける。……送付者、ゼオルート・ザン=ゼノサキス。時刻は……三日前の夕方。丁度、御前試合が終了し、父が姿を消したその直後だ。

 

 もう一度、筆致に目を凝らす。……達筆といえば聞こえはよいが、実際には少々稚拙な文字で書かれた文字。それは何度も見た、父の筆跡に間違いはない。

 

 それで、思い出した。

 

 これは、ホロレターだ。

 

 

 

 

 三日目の昼が過ぎた。

 

 天球の輝きは既に頂点を過ぎ、柔らかに光を弱めてゆく時間。しかし、今の正樹に、空を見て時を知る術はない。

 

 カザフル砦に用意された正樹の私室。それは相変わらず闇に閉ざされ、正樹は光を拒絶しつつ、ベッドに腰掛けた姿勢のまま、ただ時を陰鬱さで費やしている。

 

 その部屋で、鬱屈した時間を過ごしているのは、実の所正樹一人ではなかった。彼の足元、クッションに丸まる黒と白の物体。時折開かれる目が、時計や某が放つ弱い光を受け、きらりと輝いている。

 

 その白い物体が、小さく吐息を漏らした。ちりんという鈴の音に隠れた、きゅるる、という胃腸の自己主張。

 

「……おニャか空いたニャ」

「黙りニャさいよ。使い魔は食わねど高楊枝でしょ」

「そうは言っても、正樹のハラヘリが伝わってくるんだニャ」

 

 黒い物体が窘める声を、しかし白い物体――要するに正樹の使い魔たるシロとクロなのだが――は、情けなく揺れた声音で反駁する。もう一度、今度は隠れるものもなく、腹の虫が明快に鳴り響く。

 

 使い魔は精神を部分的に共有するものだ。そして魔術的生物であるがゆえに、その生命活動にさほどの栄養は必要としない。具体的には、一カ月以上の断食を敢行したとしても、生命活動に深刻な影響が出ることはない(と、言われている)。

 

 しかし、主の状態によっては、その原則に例外が生まれる。使い魔を維持する力は無意識レベルでの主のプラーナだ。プラーナは感情のうねりであり、そのときそのときの主の体調や精神状態をダイレクトに反映する。

 

 即ち、この使い魔達の飢餓感は、それそのものが正樹の飢餓感に直結している。それはつまり、正樹の体調が決して放置して良い状態ではなくなったことを意味するし、正樹がそんな肉体の悲鳴を認識できる程度には、精神的に回復しつつある事も示している。

 

「正樹、いい加減ニャにか食べないと」

「そうだニャ。オレは正樹と一緒に餓死ニャんてごめんだニャ」

 

 使い魔は主の生体エネルギーによって生かされているわけであるから、当然主が死亡すれば、使い魔も運命を共にすることになる。この猫二匹にとっては、正樹の体調管理は他人事ではないのだ。

 

「――ぇ」

 

 シロとクロの切実な訴えを前に、正樹の口が小さく――実に三日振りに――震えた。

 

 シロとクロの目が見合わされた。

 

「何言ってるんだニャ? 聞こえニャいぞ」

「正樹、大丈夫?」

 

 口々に声を上げる猫二匹。見上げる主の顔は相変わらず伏せられたままで、表情は窺えない。

 

「ぅ……ぇ」

 

 しかし、今度は先程よりは大きく、しかしやはりかすれた声が喉から漏れる。

 

 やはりもう一度顔を見合わせた白黒の猫。シロが今度はひらりとベッドの上に飛び乗り、背中にたし、と前足を押し付ける。たしたしたしたしと何度も叩いているところは、どうやら元気づけるとか何とかを意図しての事なのだろうが。

 

「聞こえニャいって言ってるだろ?」

「正樹、ご飯用意して貰う?」

 

 気遣わしげな声を投げかけつつ、クロが正樹の足にタッチすると、正樹の肩がびくり、と震えた。

 

 最初は一つ大きく。続いてぷるぷると瘧のように小さく震動させ、そして。

 

 瞬時に爆発した。

 

「うるせぇって言ってんだよ! 三味線になりたくなかったら出て行け今すぐ!」

「ふにゃぁ!?」

「にゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

 

 突如立ち上がった正樹と、同時の沈黙を打ち砕く罵声。

 

 猫二匹は鼠と仲良く喧嘩する猫のように身を跳ね上がらせ、這々の体で扉の外に飛び出して行く。

 

 それを目線だけで見送り、自動扉が光の世界から正樹を隔絶するのを確かめて。

 

「…………くそ」

 

 正樹は溜息と共に、既に定位置と化しつつあるベッド脇へと腰を下ろした。

 

 ぎしり、と。使い込まれていないベッドが、嫌な音を立てた。

 

 

 

 

 ウェンディ・ラスム=イクナートは、一般的に魔装機神の開発者として名が知られる才媛である。

 

 しかしそもそも、魔装機開発自体は各方面の専門家達の技術と経験の結晶である。ひとりの人間の才覚だけでどうにかなるものではない。

 

 例えば《魔装》デバイスを構成するための基本フレームの基礎理論はアウレオルス・ラアス=ホーエンハイム博士(ちなみに本名ではなく聖号である)が提唱したものであるし、それを実際に《魔装》素体として構築・設計したのは練金学アカデミーの素材研究課のエース達である。

 

 駆動系も武装も、現在神聖ラングラン王国が保有する最頂点の技術者が集まり、その成果物を惜しみなく注ぎ込んだ結果生み出されたものだ。

 

 そんな状況下でありながら、何故ウェンディ・ラスム=イクナートが魔装機神の開発者と言われているのか。もちろん彼女が見目麗しい女性であり、話題性に富んでいるからと言うのも重要な要素ではあろうが、それは彼女が魔装機開発の頭脳部分の基幹技術――魔装機神の人工精霊と《精霊殻》、フレームに宿した精霊と操者をシームレスに同期させる『多重意識並列制御理論』と、それを実現する為に必須となるT=W型多重意識感応素子に代表されるセンシング装置を、実用レベルで生み出した功績に依っている。

 

 更に多くの正魔装機の人工精霊の育成にも携わり、特に魔装機神四機はほぼ全てをウェンディが手ずから教育したものであるため、魔装機神のソフトウェア部分についての理解で、ウェンディを上回る人間はまずあり得ない。人工精霊は自らに組み込まれたソフトウェア及びハードウェアを自らが解釈し最適化する能力を持つために、人工精霊を把握すると言うことは、機体の大半を理解するという事とほぼ一致するのである。人工精霊とは、思考し、成長するOSと言っても過言ではない。

 

 特に、ウェンディはこの人工精霊との対話能力に優れている。人工精霊の対話インターフェイスに関する理解度で、ウェンディの右に出るものは殆どいない――逆に言えばそれはウェンディ以上に魔装機神の整備を有効に行うことができる人間がいないという事でもあるのだが。

 

 更に、この人工精霊システムはひとつ魔装機神のみに用いられているものではない。例えば程度こそ違え、市販されているフローラーや、それを統括する交通局の交通管制システム『トラン』、『REB』や『デュカキス』に代表される大型コンピュータなども、ラ・ギアスの機械の多くが人工精霊によって制御されている。

 

 そういう便利屋的な能力を持つゆえに、ウェンディの能力は各方面から重宝されている。ここ数日の場合、カザフル砦付きの技術者として本来の職務である魔装機神の修理の指揮はもちろん、フェイルロードからの依頼で交通管制システム『トラン』のシステム変更――御前試合の際の転送ハイウェイ制御の一極集中化措置の施工及び修復などだ――にも従事しており、つい先程それらに一通りの目処を付けてきたばかりだ。

 

 どの事案も緊急性が高く、一刻も早い対応が望まれた。このためにここ数日ウェンディは不眠不休で各部署を飛び回り、疲労困憊している――はずだったのだが。

 

 

 

 

 まずは、深呼吸を一つ。

 

 ちらりと、さりげない風を装い、扉の前を通り過ぎる。

 

 別に困ることがあるわけでもないのだが、思わず周囲の視線を確かめてしまう。前を見る。誰もいない。後ろを見る。誰もいない。

 

 もう一度、深呼吸を一つ。

 

 念のため、深呼吸をもう一つ。

 

 ぐっと、胸の前で拳を握る。やるぞ、という無言の気合い。

 

 決心を定め、全力吶喊の気迫を込める。

 

 そして、不退転の決意でくるりと――安藤正樹が宿泊する一室の扉を視界に収めた瞬間。

 

 突如、目前の扉が開け放たれ、奇声を上げる黒と白の塊が飛び出した。

 

「にゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ!」

「ひゃぁあっ!?」

 

 あられもない悲鳴を上げるウェンディの靴にぶつかり、すり抜け、そのまま廊下の角に消えてゆく白黒の影。

 

「今のは――クロとシロ?」

 

 抜けかけた腰を叱咤しつつ呟く。ちらりとしか見えなかったが、ちりちりという鈴の音と、赤いリボンの光跡は恐らくあの二人だ。

 

 慌てて飛び出してきたと言うことは、部屋の中で何か恐るべき事態が発生したと言うことだろう。それがどのように恐るべき事態なのかは想像もつかないが、一応様子を見ておく必要はあるだろう――元々そのつもりであった事でもある。

 

 恐る恐る、ドアに手を伸ばす。軽く拳を固め、ノックを二度。

 

「…………ふぅ」

 

 案の定、返事はない。元々さほど期待していたわけではない。

 

 ドアのキーパネルに情報端末を近づける。ランプがグリーンに点灯する。鍵はかけられていないようだ。そのままパネルに触れると、音もなく扉がスライドする。

 

 部屋の中に一歩を踏み入れると、ウェンディを暗く淀んだ空気が包み込んだ。

 

「入るわよ、マサキ」

 

 一瞬躊躇しつつも、一言宣言を送り込み、闇の中に足を踏み入れる。左手でスイッチを手探りすると、恐らくは数日ぶりであろう、ぱっと天井が煌々とした光を放ち、室内を照らし出した。

 

 正樹は、ベッドに腰掛けたまま俯いていた。三日間光なき世界に沈んでいた身を晒され、不愉快げに顎を上げる。ぼさぼさの前髪を通じて、目元が不健康に黒く隈取られている様が、ちらりと見えた。

 

「……ウェンディか? 何の用だよ」

「貴方を笑いに来た――そう言ったらどうする?」

 

 予め用意しておいた、冷たい言葉を投げかける。少しでも発破をかけられればと思ったのだが、さすがにそう簡単に事は運ばないようだった。正樹は興味なさげに頭を垂れ、全く視線を合わせようともせず、無感動に呟く。

 

「そういう台詞はサングラスをかけて言うもんだ」

「あらそう? ふふ、冗談を言う余裕くらいはあるみたいね」

「……余裕があるわけじゃねえよ」

 

 それきり、押し黙る。会話をする意志が感じられない。いや、それでも随分とマシにはなっているのだ。昨日ヤンロンは、正樹が何かを喋るのを待って、じっと一時間も立ち尽くしていたと聞いている。それに比べれば、今はこちらの問いかけには応えてくれる。

 

 だからこそ、この場にいる自分が、彼を導かねばならない。

 

「まだ、自分を責めているのかしら? 師範が亡くなったのは自分のせいだ、とか考えてる?」

 

 ウェンディの問いかけに、答えはない。ただ、俯いた正樹の姿それ自体が、言葉よりも雄弁にウェンディの問いを肯定している。

 

 ああ、案の定だ。そう思った。

 

 いくつもの奇跡を引き起こし、全界の希望を背負って戦う英雄。それが今の正樹だ。それが事実だ。

 

 だが、それを自覚しているがゆえに、正樹は自らの力不足を許容できない。英雄であることを自覚するがゆえに、自らに英雄であるべしとの枷を課している。戦場で勝利の栄光を司る者であれば、敗北の責を負うべきも道理。

 

 ゆえに正樹は、かの敗北の罪の全てを背負い込み、押し潰されてしまった。

 

 だが、それは誤りである。英雄であるが故の、あるが為の視野狭窄。自らの罪の螺旋に囚われ、這い出る事も敵わない。そんなものを、誰が望むというのか。

 

 破壊する必要があった。正樹の思い違いを。

 

「自惚れないで。貴方が自分を責めるほどには、誰も貴方に期待なんかしていないのよ」

 

 だから、ウェンディは冷たく切り捨てる。正樹の肩が、ぴくりと震えた。

 

「だが、俺は……」

「言い訳無用よ。確かに貴方は力不足だった。でも、あの戦いはそれだけじゃない。幾つもの不幸と、幾つもの力不足と、幾つもの読み違いが、あれを引き起こしてしまったの。

 『グランゾン』に勝てなかったのは、確かに貴方の力不足のせい。でも、それだけじゃないわ。

 あの場にはリカルドがいたのに、それでも『グランゾン』は退けられなかった。貴方達が十分に戦えない戦場を作り出してしまったのは、運営側の読みの甘さのせい。プラーナを無駄に消耗させてしまったのは、そういう機械を作ってしまった私達のせい。

 そういう罪を、全部一人で背負い込んで、貴方は何様のつもり? 貴方が全てを塗り替えるというの? それこそ、もう一度言うわ。――自惚れないで」

 

 二度目の断罪の言葉。俯いたままの正樹の肩が揺れる。ぎし、と正樹の心の軋みを代弁するように、ベッドが耳障りな音を立てる。

 

「どうして、魔装機神は四機あると思うの? どうして、正魔装機は十六機あると思うのかしら? いつでも、貴方達の戦闘データを分析して、人工精霊を育ててるのは誰で、何のためだと思うのかしら?

 貴方にできるのは、戦うこと。戦うことだけなら、確かに貴方は最強の一人だわ。だけど、この世の全ての希望を背負う必要なんてない。勝てなかった事は貴方だけの罪じゃない」

「だが――それでも――おっさんは死んだ!」

「そうよ。彼は死んだわ。貴方達の力不足の代償に。そして、私の無能の代償に。国の拙策の、彼の怨嗟の、罪の何もかもを一人で背負って立ってくれた……私達の過ちを正すために。やり直しする機会を生み出すために」

「…………」

 

 血を吐くような反駁。しかし、ウェンディの言葉で、罪の所在が、死の意味が塗り変えられて行く。優しさと打算、激励と扇動。この上もなく美しい詭弁が、正樹の内面を侵してゆく。

 

 動かない正樹の隣に、そっとウェンディが腰を下ろした。ぎし、と正樹の心の代弁者が軋みを上げる。堅く握り締められた拳に、そっと冷たい手が乗せられ、ぴく、とまたひとつ肩が震える。

 

「マサキ。貴方は、貴方がやるべきと信じたことをすればいい。貴方が本当に正しいと信じたことなら、それはどんな事だったとしても、良い方に働くって、信じている。私は――私達は、そう信じているの」

「……期待はしてないんじゃないのかよ」

「ええ、してないわ。私は貴方が全てを救うとか、そういうことは何も期待してない。ただ、あなたがすることが、どんな形であれ、世界をほんの少しでも良い方向に変えて行くって、信じてるだけ」

 

 微笑みとともに、信頼の言葉を重ねつつ。

 

 ウェンディの心は、逆に冷えきっている。

 

 それは、自らの言葉の虚ろさ故だ。信じる、信じると言葉を積み上げたとしても、所詮は言葉遊び。やっていることは、責任の所在を曖昧にし、正樹を再び立ち上がらせるために、詭弁を並べるばかり。

 

 自分は、魔装機神が敗北した事実を無かったことにするために、正樹を煽り立てているだけではないのか。そんな濡れた疑念と、それを否定しようとする衝動がせめぎ合う。

 

”馬鹿な事を考えるな。お前は心の赴くままにあればいい”

 

 心臓が拍動を高め、深紅の血流を送り出す――深紅の衝動を。

 

 胸中を弾ませる衝動に押し出され、ウェンディの手が伸びる。正樹の、膝の上で組み合わされた手に。指先が、触れる。

 

”これで正しいの? そうだ、それでいい。迷う男を奮い立たせるために、女ができることなど限られている。でも、こんな恥知らずな、いや何も恥じ入ることなどありはしない。違う、私はこんな事を望んでは――!?”

 

 内面の葛藤は、ほんの一瞬。しかし一瞬あれば、世界は姿を容易に変容させる。

 

 それを体現するように、ウェンディの世界が転回した。

 

 先触れは、両肩走る衝撃。

 

 強い力で押さえ込まれ、背中がベッドに沈み込む。

 

 視界一杯を覆い尽くす、正樹の顔。そしてそれに連なる体躯。

 

 発作的に悲鳴を上げるべく息を吸い込んだ喉。しかしウェンディの意志が、金切り声の不作法を抑え込む。

 

 虚ろで、無表情でありながら、八つ当たりめいた憤りを匂わせる、正樹の顔。

 

 忘れもしないあの日、自分の生命力を注ぎ込み、それを受け入れた唇。

 

 その唇が、低く、小さく、抑揚のない言葉を紡ぐ。

 

「――こんなことをしても、俺を信じられるのかよ?」

 

 ――動悸を悟られてはいけない。表情も崩してはいけない。赤い衝動が霧散して行く。血流に溶け込み、ウェンディの偽装を後押しする。

 

 涼やかに。内心の動揺を、意志力と演技力を総動員して押さえ込みつつ。

 

「ええ。貴方が本当に正しいことをしようとする人で、正しいことを選び取れる人だって、信じているわ」

 

 そう言って、ウェンディは、正樹の問いに笑顔を返した。

 

 ――痛みさえも伴うような、沈黙の帳。

 

 世界の全てが凍りついたかのように錯覚する中、動悸だけが時を刻む、その果てに。

 

 正樹の、ウェンディを押さえ込む力がふっと緩んだ。

 

 「すまねぇ」と自己嫌悪をたっぷりと盛り付けた吐息が漏れ出した。どこか泣き出す直前のような、自己嫌悪を漂わせた顔が離れてゆく。正樹の体重から解放され、ベッドがぎ、と悲鳴を上げた。

 

 立ち上がった正樹は、ウェンディの顔を見ようとしなかった。ただ背中を向けたまま、拳を固め、立ち尽くす。その内面で、一体どのような葛藤が荒れ狂っているのか。

 

 再び舞い降りる沈黙の帳の下、そろそろと身を起こすウェンディ。衣擦れの音から気配を察したのだろう。ぽつりと問いを放たれた。

 

「……『サイバスター』は修理できるのか?」

「応急修理は終わっているわ。普通の操者じゃ立たせる事もできないけど、貴方は別。貴方と『サイバスター』に限ってなら、今の状態でも100%の力を発揮できるわ」

 

 これもまた、予め用意しておいた答え。この答えを伝えるために、自分はここにいると言っても過言ではない。

 

「そう期待してる?」

「信じてるのよ」

 

 若干の皮肉を塗した問い。しかしそれさえもにこやかに返され、正樹はばつが悪そうに頭を掻いた。

 

 憂さを吐き出すように深呼吸を、一つ、二つ。鬱陶しげに首を回し、こき、こきと異音を鳴らす。

 

 右手をまっすぐに延ばす。指先が掴むのは、見慣れた灰色のジャケット。騎士がサーコートを羽織るように、掴み引いたその勢いのままに身に纏う。

 

 左手が、ドアを叩く。すぅ、と、闇が切り裂かれ、光の洪水が流れ込む。

 

 暴力じみた光の奔流の中、正樹はちらりと背後を――ウェンディが腰掛けるベッドの方へと視線を配り、まるで近所に散歩に出かけるように、片手を上げて見せた。

 

「じゃ、ちょっと行ってくるさ」 

 

 その言葉と共に、正樹の足が光の中に踏み出され。

 

 そして、自動扉が二人の世界を隔絶した。

 

 正樹の代わりを務めるように、闇の世界に閉ざされたウェンディ。吐息と共に、何か張りつめていたものや、体中を駆けめぐっていた煮沸するような血流の衝動を排出する。

 

 そして、ついでに。内面に燻る、不機嫌な感情を。

 

「本当は、少しだけ……期待してたんだけどな」

 

 小さく、言葉にもならない感情のつもりだったのに。

 

 その言葉は思いの外はっきりと紡がれ、ウェンディを戸惑わせた。

 

 

 

 

 どのくらい、泣き続けていただろうか。

 

 いつの間にか、疲れて眠ってしまっていたのか。

 

 目を開けると、何かの違和感が瞼の裏を転がる。塵が入ったのか、傷をつけてしまったのか。軽い脱水症状だろうか。身体が重くて仕方が無い。

 

 動くことを拒否する肉体をなだめすかし、プレシアは机に伏す上体を引き起こした。

 

 とうの昔にホロレターは光を失い、机の上には物言わぬ円盤が転がるだけだ。

 

 それは、遺言だった。父が残した、あの戦いの直前の、父の想いの全て。家族の皆に向けられた、最後の言葉。

 

 涙はもう枯れ果てたと思っていた。しかし人間とは都合の良いもので、次から次へと涙の在庫を調達してくる。益になることなど何もないというのに、肉体が嘆きを許しているというのだろうか。

 

 ふらついた身体を、窓辺に寄せる。天球は既に光の頂点を過ごし、あとはようようと光を失ってゆくばかりの午後。

 

 新鮮な空気を取り込みたくて、窓に手をかける。しかしそれは父の残滓を拡散させるということだ。躊躇が手を強ばらせる。

 

 だが――それも一瞬。父の匂いが、幻聴を囁く。閉ざした扉を開きなさいと導いている。

 

 鍵が解かれる。窓が外界と室内をつなぎあわせる。空気が入り交じる。閉ざされ、封じられた父の痕跡が、ラ・ギアスの全てと混ざりあってゆく。

 

 そして――耳朶を震わせる、聞き覚えのある音。

 

 はっとして、プレシアは顔を上げた。

 

 その音は、遠い。雲間を駆け抜け、遥か頭上を行くものの音。

 

 それは、何度も耳に慣らした、独特の噴射音。

 

 見上げてみれば、彼方に見える、空を真一文字に切り裂く白銀。

 

 見間違うはずも無い。その翼、その白銀。それは紛れも無く、魔装機神が一角の。

 

 ああ、魔装機神が行く。彼は再び立ち上がった。敵に打ちのめされても、自分に罵倒されても、それでも立ち上がり、空を駆ける。

 

 それに比べ、自分のなんと不甲斐ないことか。誰かを傷つけ、心を閉ざし、蹲ったままの自分の浅ましさ。

 

 雲間に消える白銀の『サイバスター』。それをぎりぎりまで見送り、プレシアは小さく息を吐き出した。

 

 このままでは、駄目だ。正樹も再び立ち上がったというのに、どうして自分がそのままでいられようか。ただ一人、自分だけが、父の遺言を受け取っているというのに。

 

(遺言――!)

 

 不意に、脳裏に光が閃いた。

 

 弾かれるように視線を室内に引き戻し、正しく貝のように沈黙するホロレターを凝視する。

 

「そうだ、これ――」

 

 呟きつつ、それを手に取った。

 

 これを、正樹に見せなければ。見せることが自分の義務であり、贖罪でもある。

 

「行かなきゃ!」

 

 その蓋に刻まれた、達筆というよりは若干稚拙な文字を指先でなぞり、プレシアは部屋を飛び出した。

 

 ホロレターの円盤を、愛しげにかき抱いて。

 

 その円盤の表面には、ゼオルートの不器用な文字で、こう刻まれていた。

 

 ――愛しき家族と、弟子たちへ。

 

 

 

 

 ずるるるうぃっと不気味な音を立てて、申し訳程度に甘く、妙な匂いのあるゼリーが口内に流れ込む。

 

「んがっ……」

 

 ぬわっと広がる青臭さ。舌で味わうのを早々に放棄して、正樹はゼリーを一気に飲み下した。

 

 鼻をつまみたい気分だったが、操縦桿を手放すわけにもいかない。思考制御の魔装機にとっては、操縦桿を離されることよりも、それによって操者の意識が他所に流れることの方が重大である。

 

「……不味ぃ」

 

 思わずこぼれ出る、率直極まる感想。

 

「しょうがニャいでしょ。美味しく食べるより栄養補給。三日分のカロリー代行ニャんだから、我慢しニャさい」

「でも、正樹の不味さがオイラ達にも伝わってくるのがヤだニャア」

 

 操縦席の側をふよふよと漂うシャボン玉のような物体の中で、クロとシロが「ニャ」言葉を操る。シャボン玉のようなものは浮遊台座とホログラフィックモニターを兼ねたものだ。以前は適当に台座を用意していたのだが、最近はこのように二匹の意志で位置を移動できるポジションを用意している。

 

「わかってるけどよ、以前にも増して不味くなってねえか、これ?」

 

 呻きつつ、操縦席の側に設えた汚物箱にチューブを叩き込む。このゼリーは以前地上に上がった際に活躍した非常食料と、同じ場所に格納されていたものである。空気や水などと共に、『サイバスター』のコンテナにはこういったものが収納され、適時バージョンアップを繰り返している。この味はその一環として、非常用食料の品質改善が行われた結果なのだろう――恐らくは栄養状態最優先で。

 

「まあ、しょうがねえか。所詮味覚と価格と性能のトレードオフだ」

 

 言葉を発した際に、鼻孔に忍び込んだ青臭い匂いに青ざめつつ、周囲に視線を配る。

 

 カザフル砦を飛び出して、およそ半時ばかりが経過している。偵察行動という名目で、整備を一時保留となっていた『サイバスター』を持ち出した。現在は人型形態のままで、ざっと高度三千ゴーツ(5km強)程を飛行している。

 

 整備の途中で飛び出してきた割には、『サイバスター』は至極順調だ。装甲板をごっそり剥ぎ取られた状態だが、《魔装》装甲を展開することで装甲状態をエミュレートできる。破損した素体を《魔装》でカバーする事の延長だ。この《魔装》による冗長性によって、魔装機は最小限度の補修だけで稼働状態に持ち込むことができる――無論操者の熟練を要求するが。

 

 なるほど、ウェンディの言っていた通りだ。確かに現状でも、『サイバスター』は十分な戦闘力を発揮できる。ただし、《魔装》をいつもよりも分厚く展開する必要があるため、通常の状態に比べ継戦時間は短くなるだろう。

 

「信じてるって言われてもな……」

 

 足のない理由を言いくるめられたような心持ちを弄びつつ、モニター隅の地図に視線を走らせる。以前のように、間違って他国に踏み込んでしまうわけにはいかない。

 

「巡航速度ニャら、あと1時間くらいでシュテドニアスの国境にかかるわよ。まだ余裕はあるけど、どうするの?」

 

 正樹の目線から思考を察したのか、クロが地図にマーカーを書き込む。現在位置と、進路と、国境線とそこに至るまでの時間。

 

 少し速度を落とさなければまずいかも知れない。『サイバスター』は、大気中でも超音速での巡航が可能だ。

 

「……減速して時間を稼ぐか」

「でも、ゆっくり飛んでどこに行く気だニャ?」

 

 シロが、もっともな疑問を口にする。

 

 ――そうだ。改めて考えてみれば……自分は一体、どこを目指して飛んでいるのだろう。

 

 ウェンディに焚きつけられ、じっとしている事ができなかった。だから今、自分は『サイバスター』に乗り込み、空を飛んでいる。

 

 昔は、空を飛べば全てがクリアになった。純粋に風と一体となり、自分自身がぐんぐんと研ぎ澄まされるような、そんな感覚を覚えていた。

 

 だからなのだろう。自分が今、空を飛ぶのは。この胸中にわだかまる何らかの感情。そのもやもやとしたヴェールを剥ぎ取るべく、自分は空を駆け抜けているのだろう。

 

 なのに、今は何も感じられない。当時の何倍も、何十倍もの速度で駆け抜けているというのに、感情の暗雲は晴れることなく暗澹と立ちこめるばかりだ。

 

 感情は、明らかに特定の方向を指し示している。それだけはわかる。そして……多分、その感情の向く先が、あの闇色の魔装機とその操者であることも。

 

 だが、あの男……『グランゾン』と白河愁に相見えたとして、自分は奴をどうしたいのだろうか。感情の正体がわからない。

 

 普通に考えれば、義父たるゼオルートを屠った相手だ。復讐の念がわき起こるのも道理だろう。

 

 しかし、この感情はそんな簡単な憤激なのだろうか? 何かが違う気がする――

 

「あ……正樹、ゼノサキス家の上空を通過したわよ」

 

 思考を寸断する言葉。はっとして見下ろすと、丘の上に建つ、見慣れた茶色の屋根が視界に飛び込んだ。

 

 ――あそこに、今もプレシアがいるのだろうか。失われた父の記憶に縋って。

 

 別に、自分が憎まれるのは仕方がない。むしろ、そうでなければならない。自分が、父親を守ることができる場所に立ちながら、力及ばなかったのは事実だ。

 

 たとえウェンディが言うように、誰も自分にさほどの期待を抱いていなかったとしても、少なくとも彼女の悲しみと怒りの矛は、自分以外の誰にも受け止める事はできないだろう。

 

 そうだ、かつての自分もそうだった。家族を一瞬で奪われたあの日。自分の怒りは無差別破壊に走った狂人ではなく、むしろそれを救えなかった地連の男――ギリアム・イェーガーに向けられた。

 

 既に死んだテロリストを憎むことはできない。あまりにも強大な矛盾を抱えた地連を憎む事もできない。ゆえに、罪人というレッテルを張り付けることで、弱者に仕立て上げられた人物を呪うしか、自分にできることはなかった。

 

 それが過ちだと、誰もがわかっている。しかし、憎むことでしか、忘れられない怒りがある。本当に恐ろしいもの、本当に憎むべきものには耳を塞ぎ、より身近な弱者へとぶつけてしまう。そんなどうしょうもない浅ましさが、人間には存在している。

 

 今、清廉であろうとする自分は、そんな愚かしい人の性を否定している。しかし、それを他人に押し付けることはできない。自らの愚かしさは、自らの意志で断ち切らねばならないのだ。例えば平手の一撃が、それを目覚めさせる引き金にはなるかも知れない。しかし、その一撃を生み出す腕は、決して罪人の手であってはならない。ゆえに自分は、怒りと謗りに背中を切り刻まれようと、前に進み続けなければならない。

 

(俺にできるのは、プレシアが自分で立ち上がるのを、見守ることだけ、か)

 

 口元が、自嘲に歪む。自分の無力さ……だけではない。前に進まねばならないと言いながら、実際は三日間も引きこもっていた無様な自分。悲しみを口実に、誰の言葉にも耳を貸さず、悲劇に耽溺し続けた自分。それがが全部まとめて、度し難い。

 

 ちっと舌打ちに乗せて、苛立ちを吐き出す。鬱屈した思考を余所に追いやり、改めて眼下に視線を落としてみると、既にゼノサキス家の屋根は遙か遠くに過ぎ去っていた。

 

 一瞬だけ、網膜に焼き付いたその光景。ゼオルートと、プレシアと、自分。そして多くのとぼけた人々との記憶が焼き付いた姿。ただの一瞬であっても、一昼夜眺め続けたかのように思い出せる、その姿。

 

「……またあそこに帰れるのかニャ」

 

 ぽつり、と漏れたシロの呟きは、正樹が無意識のうちに圧し殺していた思考そのままだった。

 

 

 

 

「……あれれ?」

 

 『グランゾン』の《精霊殻》の中、紺青の羽根の小鳥が、人間の言葉を吐きつつ小首を傾げた。

 

 ラ・ギアスにおいて『ローシェン』と呼ばれる鳥類の姿に近いが、もちろん小鳥が喋るはずもない。そもそも、普通の小鳥が《精霊殻》の中にいるはずもなく、翼を一振りする度にデータウィンドウが開閉したりもしない。

 

 その双眸には知性の輝きが宿り……落ち着き無くきょろきょろと周囲を見回している。

 

「これは……すぐにご報告しなくてはっ」

 

 喋る小鳥はデータウィンドウの一つを睨み付けて独りごちると、ばさっと翼を一振りする。すると《精霊殻》内壁にぱっと通信窓が開き、数秒の間を置いて端正な面持ちの青年――白河愁の顔が映し出された。

 

「どうしました、チカ」

「あのですねあのですねご主人様! 今精霊レーダーをチェックしていたら、ここの近くの上空に特大の精霊反応があるんですよ!」

 

 ばっさばっさと羽毛を飛び散らしながら騒ぐ、チカと呼ばれた小鳥。正樹のクロやシロと同じように、愁の深層意識を切り取って構成された《使い魔》である。

 

 口ではきゃいきゃいと喧しく騒ぎつつ、人工精霊に命じて観測データを送信させる。その資料を一瞥し、愁はふん、と得心の息を漏らした。

 

「なるほど。この出力と高度ならば、『サイバスター』が来ていると思って良さそうですね」

「ですよですよね!? 他にこんな高いところに馬鹿でかい精霊反応ありませんからね! それで慌ててご報告差し上げた次第なんですよ!」

 

 チカの報告を余所に、目を閉じ、何やら思案する愁。主人のそのような様に怪訝な顔を――小鳥なりに浮かべるが、とりあえずいつものように舌を動かす。

 

「まさかこのアジトがバレてるってことはないでしょうけど、万が一ってこともありますしね! ご主人様のお耳に入ってさえいれば、精霊レーダーに頼りっきりの王国軍に見つけられるわけがありませんし! まったくたまには道具に頼らず自分の足で調べて回れって言うんですよ。あ、もちろん王国軍の事ですよ? 間違ってもあのワカメみたいな頭の人の事なんて言ってませんからね!?

 そもそも何なんでしょうねーこの期に及んで負け犬風情がフラフラ飛び回って。ご主人様のお情けで首が繋がったっていうのに。身の程知らずって言うか、今度こそ素首跳ね飛ばされたいんですかね。セルフネクロフィリア? うわー凄いマニア! まだ若いのに!」

「チカ、精霊欺瞞の出力を3割上げておいてください。すぐに出ます」

「そもそもあんな馬鹿でも私より出番が多いってどういうことですか。私前に出られたのってもう7年くらい前ですよ? 7年あったら生まれたての子供が万引き覚えて補導されちゃいますよ! 大体……は? はいぃぃぃっ!?」

 

 《使い魔》の戯れ言を綺麗に無視した愁の言葉を、チカの頭脳が理解するのに数秒を要した。

 

「ええええええええっ!! どうしてですかご主人様、わざわざこっちから仕掛けるんですか? 今更?」

「確かめたいことがあります。念のため、『あれ』の準備もしておきなさい」

「え、あ、あれって……まさか、『サイバスター』如きに『あれ』を使うんですか!? やり過ぎじゃ……」

 

 狼狽するチカの訴えを全く意に介さず、言うだけ言って通信窓の愁は姿を消した。

 

「……嘘でしょ」

 

 取り残されたチカは独り言めいて呟く。主人が自分の話を聞き流すのはいつものことだ。だが今回は事情が異なる。

 

 『あれ』を使うと言うことの重要性は、主人が一番理解しているはずだ。あの力は、それだけでラ・ギアスそのものすら破壊しかねない。いくら自分達が破壊の化身たる『サーヴァ・ヴォルクルス』の信徒であるとしても、強すぎる力はその扱いに慎重にならねばならない。

 

「……それだけの力で、何を確かめるって言うんだろうね?」

 

 小首を傾げ独りごちるが、考えても答えが出ようはずもない。そもそも、どんな疑問があろうとも、《使い魔》は主人の命を遂行せねばならないものである。

 

 『あれ』を使用するには、現在の『グランゾン』に幾つかの呪的付加装置を備え付ける必要がある。その物品自体は既に用意されたものだが、それを運用できるように設定を行うには、如何にチカが(自称)優秀な《使い魔》であろうと、多少の時間が必要となる。

 

「全く、お金にもならないことさせてくれちゃってさ!」

 

 ぴーぴーと不平不満を吐き出しつつも、チカは白河愁の忠実な《使い魔》である。その翼を大きく左右に広げると、主人の命を果たすべく『グランゾン』の人工精霊の再設定を開始した。

 

 

 

 

 二者が対峙するまで、ものの十分も必要としなかった。

 

「――!?」

 

 それは、風詠みの感覚ゆえか、それとも捜し求める魂の律動故か。

 

 『サイバスター』の精霊レーダーよりも、《使い魔》たちよりも、正樹が最初に異変に気づいた。

 

「どうしたニャ、正樹?」

「――時空震動、何か来る!」

 

 とっさにフットレバーを踏み締め、大きく高度を上げる。ぐぐう、と機体が軋みを上げるのを他所に、右に機体をロールさせ、正樹は視線を真下に差し向ける。

 

 果たして眼下には、空を切り裂く闇色の輝きが。

 

「――『グランゾン』!」

 

 吐き捨てるように名を唱える。忌まわしい名。騒乱の主。『ヴォルクルス信徒』の聖戦士。――ゼオルートを、殺した男!!

 

 熱い。感情が燃え上がる。行く場を求め、血流の内で渦を巻き、荒れ狂う。膨張する感情に翻弄されつつも、必死に抑圧する正樹。その前に、闇の衣を断ち割り、『グランゾン』がその全貌を露にする。

 

 高速機動のためだろうか。両腕両足を小さく折り縮めたその外形は――もちろんそのような意図は毛頭ないのだろうが――一見巨大な美髯の顔に見えなくもない。

 

 その四肢が、軋むような重々しい音を立てて伸ばされる。これで三度目になる、『グランゾン』の姿。目にするたびに、それは理不尽な理由を掲げ、自分に襲いかかってきた。

 

 今回が、例外であろうはずがない。

 

「――っ!!」

 

 神経パルスが大脳に届く前に、身体が動いていた。

 

 『グランゾン』の右腕がゆらめき、振り上げられる。同時に、例の如くな超加速運動。"背後に出現した"『グランゾン』に対し、腕を交差させて掲げる――衝撃!!

 

 青い雪片めいた光が、《魔装》の砕ける黄金と入り交じって舞い散る。《魔装》を凝縮しても、防げるのはほんの一瞬。バターナイフさながらに易々と《魔装》を切り裂くそれは、予想どおり『グランゾン』の段平、『グランワームソード』。

 

 まともに受けてはいられない。咄嗟に足を振り上げ、『グランゾン』の重心を蹴りつける。もちろんそれで揺らぐ『グランゾン』ではないが、だからこそそれを足場に距離を稼ぐことはできる。

 

 悠然と剣の露を払う『グランゾン』から、推進器を吹かして間合いを取る。超加速運動が可能な『グランゾン』に距離はさほどの意味はないが、少なくとも剣の間合いの中にいるよりはましだ。

 

 這々の体で逃げ出すが如くな『サイバスター』の有り様を、あざ笑うように悠然と眺める『グランゾン』。いつもそうだ。いつでも、グランゾンは唐突に現れ、災禍を撒き散らしてゆく――腹立たしいことこの上ない。

 

 『グランゾン』が剣を降ろしているのを確かめ、通信窓を開く。以前通信が入った階層に対し、無指向で罵声を叩きつけた。

 

「てめぇ、愁! 何の真似だ!」

「品のない声ですね。もっと優雅になっては如何です?」

 

 別にまともな応答を期待していたわけでは無かったのだが、意外にも返答は数秒と置かずに届けられた。

 

 ただし、その声音は正樹の怒りに相反するかのように軽い。それが、また正樹の感情を逆撫でする。

 

「何の真似かって聞いてるんだ! いつぞやからてめえは顔を見せる度に闇討ち陰討ち繰り返しやがって! お里が知れるぜこのネクラ野郎!」

「正樹、あいつのお里はラングラン王家だニャ」

「クリストフ・グラン=マクソードはカイオン殿下の子で、ラングランの王位継承権すら持ってる……正樹!!」

 

 正樹の罵声を訂正する白黒二匹の言葉を、『グランゾン』の横凪ぎの太刀が断ち切った。『グランゾン』の剣が真横に跳ね上がった有様が網膜に焼き付き、次の瞬間には視界を闇色の甲冑と、隙間から浮かび上がる深紅の双眸と魔石が埋め尽くす。

 

 クロが警告を発する前に、正樹は『サイバスター』を走らせていた。レバーを力一杯押し込み、爆発する推進力を真下に向ける。『グランゾン』の刃が空を凪ぐのはその零コンマ数秒後のことだ。無理な機動が機体を軋ませ、それを鈍痛として知覚する正樹の眼下で、空間湾曲の残滓たる青い雪片がちらちらと舞っている。

 

「ち、てめぇ!」

「マクソードの名を口にしないでいただきましょう。捨てた名とはいえ、私にそのような呪わしいものを課すなどと、許し得るものではない」

「なら芸名背負って悦に浸るか、クリストフ・ゼオ=ヴォルクルス!! 大体何でそこまで俺を狙う!?」

「言ったはずです。ランドールたる貴方と、最強の魔装機神たる『サイバスター』を滅ぼすことで、私とこの『グランゾン』に立ち向かうことの愚かしさを、全界に顕す。

 そうすることで、聖戦の破滅は、より恐怖を以て彩られることになる。より濃厚な恐怖。破滅への怨嗟の声。泥のように堆積する絶望。それこそは我が神、偉大なる『ヴォルクルス』の糧。より偉大に、より神聖に育まれた我が神は、ラ・ギアスのみならず地上世界、地球そのものすら呑み込み、そして死んでいく。その骸より生まれる新たなる世界は、より自由に、より健やかに育まれることでしょう。それこそは、偉大なる『ヴォルクルス』の破滅と再生の理」

 

 朗々と、聖歌を詠い上げる。無垢なる子羊の前に立ち、麗句を掲げる少年のように――。

 

「ゆえに、正樹。貴方にはより無惨に、より無様に死んで貰わねばならないのです」

 

 酷薄さを纏い、屠殺宣告が叩き付けられる。

 

 しかし正樹は、明確な殺意を差し向けられながらも、

 

「……正気かテメェ。手前程の奴が、そんな胡散臭ェオカルトに酔っぱらってるってのか」

 

 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てた。

 

 現実感がない。これは、本当に目の前の男の言葉なのか? そう、言葉の額面は確かに冷酷だ。だが、その声音は――そう、政治の舞台に立つ者の訓辞。様々な、体面だけを取り繕うための宣誓式。あれらと同じ物が感じられる。

 

「貴方がどう感じようとも自由。何を疑おうとも自由。しかし、それが貴方を生かす道にはならない。私とこの『グランゾン』を前にする限りは」

 

 正樹の疑いを看過したわけではなかろうが、まるで正樹の思考を断ち切るかのように、挑発の言葉が投じられる。

 

「『グランゾン』の前に立つ者は、何者であろうと生き残ることはできない。何者も無惨に滅び去る。そう――」

 

 一瞬、愁の言葉が躊躇するように途切れる。その名を出すことに、何らかの躊躇いがあるのだろうか。そんな取り留めのない思考を正樹が咀嚼する前に。

 

「そう、《剣皇》ゼオルートがそうであったように」

 

 その名を、愁の口が紡ぎ出した。

 

「――――!!」

 

 瞬間、脳髄が沸騰した。

 

 疑問が燃え上がる。論理的、理知的な思考の全てが焼き切れる。目の前が深紅に染められたような錯覚。感情が爆発し、正樹の喉から迸る――憎むべき敵の名となって。

 

「てめぇぇぇぇぇええ!!」

 

 『出会ったらどうするのか』とか、『勝てるのかどうか』とか。そういう事前の思考は、一瞬の躊躇も生み出せなかった。

 

 感情の波に押し流され、機体が反転し、降下する。ぱん、と打ち合わせた両手から『ディスカッター』の刃を引き抜き、大上段に振り上げる。怒りの奔流を体現するかのように、収束もおぼつかない炎のような《魔装》を纏い、全身のありとあらゆる力を込めた一撃が、振り下ろされる。

 

 しかし――過日の正樹の剣がそうであったように。

 

 『グランゾン』の姿がかき消え、『ディスカッター』が虚空を空斬りして。

 

 直後、剣を振り下ろしたままの死に体の『サイバスター』の目前に、闇色の装甲が浮かび上がった。

 

 交錯する視線。瞬間、推進器を爆発させる。破裂の絶叫を迸らせ、黄金の輝きを血のように吐き出して、『サイバスター』の機体が落下する。

 

 そして、『サイバスター』が通り過ぎた空間を、闇色の閃光が抉り、引き裂く。それは『グランワームソード』の段平。重さなど無いかのように片手で振り抜かれたそれは、真横に空を抉り――『サイバスター』が落ちた直上でかくっと直角を描き、落下の軌跡をなぞって落ちる。

 

 一転、真っ向縦一文字。闇色の暴虐を宿した大剣は、『サイバスター』が落ちるよりも更に速い。瞬く間に追い抜き、切っ先が銀色を捉える。

 

 しかし。

 

「ちぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 それは、愁の舌打ちか。それとも正樹の気迫の叫びか。

 

 『グランワームソード』が捉えたのは、『サイバスター』の体躯では無かった。

 

 黄金の輝きを放ち、ばちばちと絶え間無い破裂音を響かせるそれは、神鋼石の直刀『ディスカッター』。

 

 空中で僅かに姿勢を傾け、自らを追うであろう破壊の軌道に剣を差し出す。ありったけの《魔装》を漲らせ、砕理の刃を受け止める、本来ならば叶わぬ暴行。しかし、同じく摂理を操る『サイバスター』であるがゆえに、その業は可能となる。

 

「オラァッ!!」

 

 正樹の気迫が、《魔装》に変わる。剣が燃え上がり、弾ける。黄金が爆裂する。爆裂の反動を利用し、更に落ちる。速く落ちる。『グランゾン』の魔石が輝き、空間破砕弾が落ち行く軌跡を追撃するが、銀色の機神はそれよりも更に速い。

 

 だが、『グランゾン』に速さは無くとも、白河愁の読みがある。

 

 一見単調な空間破砕弾の軌跡。『サイバスター』は容易く身を翻す。しかしその向きはいつも同じ。逆に避ければ、そこには後詰めの破砕弾がある。ゆえに、『サイバスター』は避けるしかない。追い立てられる他は無い。

 

 そして、檻が完成した。

 

 『サイバスター』が飛び退いた先。空間を食い破り、はらわたを覗かせる深遠。赤黒い炎。吹き上がる破滅の色。

 

「こぉなくそおおおお!!」

 

 自らを飲み込まんとする深遠の炎。しかし『サイバスター』は真っ向から立ち向かう。剣を左に限界まで引き絞り、《魔装》の炎を鋼線の如くに収束させる。

 

「その、程度でなぁーー!!」

 

 気迫を言葉に。そして、振り抜く。真横一文字の一閃。空を切り裂く、ヴァニティ・リッパー。闇色の深遠を銀の輝きが天地二分する。

 

 ばっと広がる銀色の帯。あふれ出す虹色の帳と、その向こうに覗く闇色の影。ためらわず、その中へと飛び込んだ。

 

 目指すは、闇色の『グランゾン』。一分の狂いもなく、勢いを毛程も殺さず。その先端に『ディスカッター』を番えて突き進む。

 

 そして、七色の渦を駆け抜け、切っ先が『グランゾン』を捉え――。

 

 八方から迸る空間破砕弾が、『サイバスター』を打ちすえた。

 

「うぉあっ!?」

 

 反射的に《魔装》を盾にする。いかに空間の摂理そのものを打ち砕くものとしても、その作用域には限界がある。要は致命傷を負う前に、《魔装》を叩きつけて誘爆させればよい。それが間に合わないなら、銀の輝きで遮蔽するだけだ。

 

 口で言うは容易。しかし実際は、それは八方から『サイバスター』に押し寄せる。《魔装》で防ぐだけでは追いつかない。

 

 ふたつを、『ディスカッター』で斬り砕く。ふたつを、『ハイ・ファミリア』で撃ち落とす。ふたつを、『アートカノン』で叩き落とし。

 

 ふたつは、そのまま浴びるしかない。しかし、そのまま受けるはずもない。

 

 装甲を沸騰させる。今の『サイバスター』の装甲は、半分以上が《魔装》による『質量のある幻影』である。その素体との接触面の《魔装》を励起させ、その爆発力で分離させる。分身を投げ付けるようなものだ。

 

 そして、その《魔装》の塊が飛び散る先は、正しく飛来する空間破砕弾。射出の瞬間に銀色の輝きを纏った《魔装》は、空間破砕弾のぎりぎりで安定している力の殻と激突し、叩き割る。

 

 本来目していた場所――つまり『サイバスター』の機体から幾分か離れた場所で崩壊した空間破砕弾は、《魔装》の塊をマーブリングめいた光芒に飲み込み、打ち砕き、更に『サイバスター』の素体にすら手を伸ばす。

 

「っらぁあああああああ!!」

 

 《魔装》を、空間をねじ曲げる銀の輝きに変換する。マーブリングと相殺し、黄金光に遷移する《魔装》を、削れる端から念を凝らして継ぎ足してゆく。

 

 力と力の食らい合い。それは永劫めいて見えて、実際はほんの一瞬の出来事だった。マーブリングの奔光は終に『サイバスター』に手を伸ばす力を失い、断末魔めいた光を放って、消える。一方、『サイバスター』は膨大な黄金の飛沫を散らしつつも、その素体は健在。

 

 そこに、『グランゾン』が飛び込んだ。

 

「――!!」

 

 重力制御特有の、零加速度加速。正しく点滅するように残像を残し、気づいた時には目の前にある闇の色。

 

 振り上げるは、闇色の段平。破空の刃が『サイバスター』の存在する世界そのものを否定する。

 

 ディスカッターを掲げる。刀身で受け止める。段平の剣筋は速度こそ卓越しているが軌跡は単純。避けることは難しくない、はずだった。

 

 その瞬間、意識に、ほんの一瞬、霞みがかかる。

 

 剣が、機神の手元から、落ちる。

 

 疲労と衰弱による、精度のほんの少しの低下。それが、致命的なミスを誘発した。

 

”受けられない――!!”

 

 正樹の思考が閃いた瞬間。

 

 正樹の脳天を、灼熱する痛みが焼き焦がして。

 

 それきり、正樹は何もわからなくなった。

 

 

 

 

 例えば、それは赤いボタンに象徴される。

 

 全てをやり直すためのボタン。現在を否定するボタン。

 

 本当は、誰もが気づいている。このフラスコの中においては、あらゆるものがこのボタンを押すことができることを。

 

 しかし、それの濫用は、世界そのものの安定性を損なうことになる。

 

 このまま時を進めれば、《其》は砕け散るだろう。それは魔装機神『サイバスター』の死であり、その操者安藤正樹の死でもある。

 

 だが、それだけだ。ミクロな時間においてはそれは破滅の警鐘であろう。しかし、マクロな目で見るならば、グラギオス=ヴォルクルスの輪廻を断ち切る破壊者は幾らでも発生し得る。既に『彼』はそのための種子をばら蒔き、その萌芽は少しずつ明らかになっている。――正樹の死は、ほんの僅かな時間のロスでしかない。

 

 だが、それを否定したい衝動がある。

 

 それまで積み上げた記憶を。経験を。相互作用――それは『絆』と呼称されたか――それらを無に還すには、少々惜しい。

 

 それに、耳を澄ませば――それは生物学的な器官としての耳ではないが――、どこからか声が聞こえる。ハイパーウェーブを震わせて、呼びかけ続ける悲痛な声が。

 

「お兄ちゃん、聞こえる!? マサキお兄ちゃん!」

 

 それは、安藤正樹を求める声。失ったものを取り戻そうと、せめてその傷が膿み爛れるのを抑止しようと、無垢なる心が震えている。

 

 彼女は、まだ知らない。それが求める安藤正樹という存在は、既に滅びてしまったということを。『グランゾン』の刃によって、全ての繋がりを引きちぎられ、砕かれ、無へと還元してしまったことを。

 

 声を張り上げようと、何度呼びかけようと。無へと回帰したものを、呼び起こすことなどできはしない。あとほんの数秒時間を進めれば、彼女の喉は悲劇に引き裂かれることになるだろう。

 

 ほんの五秒後の絶望。今はその寸前。無限に引き伸ばされた、崩壊の分岐点。

 

 逆に言えば、絶望の五秒前。全てを否定し得る、最後の瞬間。

 

 《其》は本来、人間的な感情とは無縁なもののはずだった。

 

 そもそも《其》は人とは異質な存在だ。《其》の存在目的は宇宙がインフレーションによって朽ち果てるまでの維持であり、《其》が人を慈しむ事など、本来はあり得ない。

 

 そう、《其》は、異質だった。

 

 《其》の本来のありかたから比べても、あまりにも異質だったのだ。

 

 だから、《其》は自らの異質さを否定もしない。異質さがゆえに、《其》は禁忌に手を伸ばした。

 

 悲しみを、否定する。

 

 時の観察者たる《其》の権限において、現実を否定する。

 

 ご都合主義と笑わば笑え。《其》は元々そういうものだ。

 

 何故ならば、《其》は、あらゆる希望の飛沫の塊。無数の仮面を連ねるアヴァターラ。あらゆる神話を、あらゆる英雄譚を己に取り込み、書き換える存在。

 

 ある神話に語られる存在の名を借りるならば――《其》は。

 

 《其》は、デウス・エクス・マキナ。

 

 

 赤いボタンが、押された。

 

 

 

 

「っらぁあああああああ!!」

 

 《魔装》を、空間をねじ曲げる銀の輝きに変換する。マーブリングと相殺し、黄金光に遷移する《魔装》を、削れる端から念を凝らして継ぎ足してゆく。

 

 力と力の食らい合い。それは永劫めいて見えて、実際はほんの一瞬の出来事だった。マーブリングの奔光は終に『サイバスター』に手を伸ばす力を失い、断末魔めいた光を放って、消える。一方、『サイバスター』は膨大な黄金の飛沫を散らしつつも、その素体は健在。

 

 そこに、『グランゾン』が飛び込んだ。

 

「――!!」

 

 重力制御特有の、零加速度加速。振り上げるは、闇色の段平。破空の刃が『サイバスター』の存在する世界そのものを否定する。

 

 その段平の軌跡に、『ディスカッター』が割り込んだ。

 

 激突する断空と断空。弾ける光の飛沫。黄金と青がせめぎ合い、食らい合う。拮抗し、相殺し、最後の一つを輝かせて。

 

 両者が、飛び離れる。

 

 『サイバスター』は、剣を正眼に、何者をも断ち切る意志を纏う。

 

 そして、『グランゾン』は。

 

「――何故」

 

 愁にしては珍しく、信じられぬ、という声音を吐き出した。

 

「何故です。確かに断ち切った。なのに――」

「何言ってやがる、いよいよカルトで頭がイカレたか?」

 

 愁の驚愕を知らず、正樹が口汚く罵る。

 

 そう、恐らくは、自分が何をしたのかも理解しないままに、罵倒している。

 

「いや、そう、そうですか」

 

 得心の言葉を繰り返し、愁は剣を掲げ直した。

 

「ならば、こちらは貴方を否定するだけです。何度でも、希望が朽ち果てるまで。何度繰り返そうとも、ゼロは絶対1にはならない事を思い知りなさい」

 

 その声音に、冷え冷えとする怒りと――同時に、何かの歓喜の香りが漂うのは何故だろうか。

 

 ぶぅん、と振り翳される大剣。愁の内面で燃え上がる陰火を映したように、血の色の魔導石が残忍に燃え上がった。

 

「さあ、引きずり出して差し上げましょう!!」

「寝言は寝床で吐きやがれ!!」

 

 果たしてその言葉は――一体誰に差し向けられたものだったのか。

 




 第二十四話です。さあやらかしました。リセットボタン、炸裂です。

 ちょっと描写が弱かった気がしたので、ファンブルした描写を強化しました。体調不良でファンブル値が100から96とか2から3になってた感じですね。結構効くんですよね、これ。

 リセットボタンを押したものは文中の描写にあるように、ヴォルクルスでもグラギオスでもない外世界の存在です。無数の仮面のアヴァターラとはすなわちヒンディーにおけるヴィシュヌ神であり、ルザムノ・ラスフィトートでもあります。

 まあ、本作においてはそこに無貌の仮面、這い寄る混沌ナイアルラトホテップが同一視されているわけですが。これはデモンベインの影響では……ないと言い切れないのがアレですが、一応違います。どっちかというとペルソナ2です。

 さて、次はさらにやらかします。MOTTOMOTTO!
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