蒼穹の花嫁 ~ドラゴンクエストⅤ:parallel~    作:イチゴころころ

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 こんばんは。初めてのドラクエ5は小5の夏。イチゴころころです。

 『今回はフローラと結婚しよう!』とか『絶対デボラ!』みたいに決意して冒険の書を作る度、山奥の村~滝の洞窟ですっかりメロメロになり結局めちゃくちゃ悩みます。そこまでテンプレです。




2-10. 花嫁への道② サラボナ侵入

 

 

 ビアンカの父ダンカンはベッドに横たわりながら、かつて息子同然に可愛がった青年を見上げる。

 

「いやはや、本当に懐かしい。まさかまた会えるとは、夢にも思わなんだよ」

「あはは。ダンカンさん、そのセリフ3回目くらいですよ?」

「歳を取るとね、同じことをつい何度も口に出してしまうものだ。キミも気をつけなさい」

「肝に銘じておきます」

 

 彼の姿はイーサンの記憶と比べて確かに痩せこけ弱々しく見えたが、肌の色は健康的で言葉も視線もはっきりしていた。ビアンカ、それに彼女の母の看病の賜物だろう。体力が落ちているだけで、彼はまだまだ長生きする。そんな印象を抱いた。

 

「ようやくこうしてお話ができたところなんですけど……俺たちは今夜ここを出ます。また必ず、顔を出しますから」

「そうだな……さっき娘からも話があった。どうしてもやらなきゃいけないことがあるから少し留守にさせてって」

「……すみません。彼女はあなたのそばに居るべきなのに、連れ出すような真似をしてしまって……」

「とんでもない」

 

 ダンカンはゆっくりと体を起こした。

 

「ビアンカがそばに居るべきだなんて、私はこれっぽっちも思っちゃいないさ。むしろ、娘には自由に生きてほしい。だから嬉しかったんだ。外出を許してって言われたとき、なんだが久しぶりにビアンカのわがままを聴いた気がしてね」

 

 彼の目線を追うと、壁のコルク板に押し花が飾られていた。ひどく古ぼけてはいるが、それは確かアルカパの広場に咲いていた花だ。隅には大きく『ぱぱへ』と書いてある。

 

「昔を思い出すなぁ。キミとビアンカが街を抜け出してお化け退治に行った夜。あのときも私は布団に横たわって呑気に夢を見ていた……。今と似ているな。あの頃に戻った気分だ」

「……今回も、詳しくは言えませんが決して安全な遊びではありません。ですがビアンカは必ず……守ります」

 

 真剣なイーサンの言葉を聞いてなお、ダンカンは明るく笑った。

 

「キミたちが今度は何を退治してくるのか、楽しみだ。また是非、武勇伝を聞かせてもらいたいね」

 

 イーサンが部屋を出る直前、ダンカンに改めて声をかけられた。

 

「ビアンカは、少しばかり早く大人になってしまった。でもここ数日、久々に娘のはしゃぐ姿を見られて嬉しかったよ。……どうか、娘をよろしく頼む」

 

 

 

 空は闇に包まれ、山の輪郭に沿ってうっすら赤い光が漏れるだけとなる時間。イーサンが村の出口に向かうと、仲間たち、そしてビアンカが待ちわびたような顔を向けてくれた。パトリシアの背後には大きな荷台があった。昨日イーサンたちが『滝の洞窟』を探検している間、マービンとリズが村人たちと協力して作ってくれたらしい。

 

「ありがとね。父さんとお話ししてくれて」

「……ビアンカ、俺は――」

「くどい。昨日決めたでしょ、この作戦は私抜きじゃ成立しない。自分の身は自分で守れるし、いざとなったらキミが助けてくれる。違う?」

「……わかった。頼りにしてる」

 

 イーサンが目配せすると、仲間たちは次々と馬車に乗り込んだ。久しぶりの荷台に、彼らも少し嬉しそうだ。

 

「――さあ」

「ええ」

 

 山の斜面から見下ろすと遠くに街灯りが見えた。その灯りは着くころには消えているだろう。

 

 10年以上も昔、手を取り合って夜の森を進んだふたりは、時を超えて再び暗闇に立ち向かう。今回退治するのは悪戯好きなお化けではなく、悪逆非道の人間である。

 

 

「反撃開始だ」

 

 

 

 

 

  *  *

 

 

 夜が更け、街が寝静まる頃。フローラは出された紅茶に手も付けず、胸の締め付けられるような思いに苛まれていた。

 

「喜べフローラ! アルフレッド君から連絡があった。ついに『水のリング』を見つけたそうだ! 明日、朝一でこちらに直々に届けてくれるらしい。いやぁめでたい。そうしたらすぐさま式の準備に取り掛からねば! 忙しくなるぞ……!」

 

 父はとてもご機嫌だ。広間の端から端を行き来しながら、式の準備についてああでもないこうでもないと独り言を吐き出し続けている。

「あの……お父様」

 

 思い切って呼びかける。声は微かに震えていた。

 

「なんだいフローラ」

「あの、えっと……今回のお話、ですが……。その……。白紙……にすることはできないのでしょうか……?」

「な、何を言っているのだね!?」

 

 大声を張り上げる父に、臆病な心が屈してしまいそうになる。フローラはいつもこうだった。悪意の有無は関係なしに、大きな声を出されると心が折れてすぐ従ってしまう。でも今回は、もう少しばかり勇気を出した。出すことができた。

 

「えっと! 色々考えたんですけど……やはりわたくし、何というか……自分のお慕い申し上げる方と……、その、自分自身の感情に、えっと……」

 

 “好きになった人と結婚しなさい”、昔誰かに言われた言葉だ。しかし今のフローラははっきりと口にすることができない。

 

「フローラ。それはまさか、あの旅人のことかね」

「……っ! そ、その――」

「ああフローラ。可哀そうな我が娘よ。お前は騙されていたのだ、あの邪悪な魔物使いに。奴はこのルドマン家に取り入り、破滅させようとしていたのだよ? 私もお前も、無事でいられたかどうか……」

「っか、彼はそんな方じゃ――」

「フローラ、確かにお前の気持ちもわかる。お前も年頃の女の子なのだ。優しい顔をして近づいてきた旅人を好きになってしまうのも仕方ないかもしれん。だが、物事には正義と悪がある。たとえ娘の意志を否定することになっても、悪者に身を預けるのを黙って見過ごすわけにはいかん。父親としてね」

「……」

 

 ちがうのに……。膨らみかけた勇気は瞬く間にしぼんでいった。父の言うことはいつも正しかった。ここまで彼の言うことに反抗したくなったのは初めてだが、今までの人生で父の言葉を信じ続けた心がそれを阻んでいる。

 

「それにアルフレッド君は素晴らしい殿方だ。お前も何度か会ったことがあるだろう?いいか、彼はお前のことを本気で想ってくれている。だからこそ幻のリングをふたつも集めてきてくれたのだ。こんな気概のある男はそうはおらん。そうだな……明日にでも、しっかり腰を据えてお話する機会を設けよう。きっと彼のことも気に入るはずだ」

 

 確かに、社交界やパーティなどで何度か顔を合わせたことはあった。昔から爽やかな青年だが、フローラは彼のことを正直苦手に思っていた。

 

「わかってくれるな? ()()()()()()()()()()()

 どくん、と心臓が脈打つ。小さい頃から何度も聞いてきた言葉。いつからか、その言葉を聞くたびに胸がもやもやするようになった。そして脈絡もなしに、木陰のベンチでお喋りをしたときの『彼』の顔が思い出される。

 

「――違います!!」

 

 フローラの大声が広間に響き渡る。ルドマンも、すぐそばでモップ掛けをしていたメイドのアイナも、その目を丸くし硬直した。

 

「わたくしのためわたくしのためって……そう言われてしまったらもう逆らえないじゃありませんか! でもって言うのも、だけどって言うのも……悪いことになってしまうじゃないですか!! だったら、わたくしのためになんてならなくていい! わたくしも、みんなも……誰もが自分のためだけを考えて生きてはいけないんですか!!」

 

 父もメイドも、彼女の声に気おされて黙ってしまった。その光景を見てフローラも我に返る。自分が今言った支離滅裂な言葉、荒唐無稽なセリフ。もう自分が何を考えているのか、伝えたいのか、自分でも見つけられなくなってしまった。

 

「……うっ、ううっ……!」

 

 言葉にしきれなかった想いが涙となって溢れる。知らない感情だった。父は決して、娘を自分の型に押し込むような人間ではない。彼女の意志を尊重しつつ、本当に娘のためを思って振る舞う人格者だ。それはフローラ自身も理解している。理解しているからこそ、アルフレッドとの結婚を頑なに拒む自分の心がわからなかったし、父に大声を張り上げた自分の行動に嫌気がさしていた。

 

「フローラ……」

 

 ルドマン氏は泣き崩れる彼女の肩を抱き、ハンカチを差し出す。

 

「結婚を控え、不安になることは誰にだってある。今日はもう何も考えず、ゆっくりと寝なさい? 一晩落ち着いて休めば、見えてくるものもあろう。……アイナ、フローラの部屋へ行き就寝の支度を。私らもすぐに向かおう」

「……かしこまりました」

「う……く、うぅ……!」

 

 違うのです、お父様……。と、声に出すことはできなかった。この不毛ないたちごっこを終わらせるには自分が折れるしかない。彼女はそう悟っていた。自分が我慢すればみんなが幸せになる。そうだ。それに父の言う通り、アルフレッドは名家の息子で素晴らしい男性だ。きっと好きになれる。そうに違いない。……胸の痛みをもみ消すように、次々と理論が積み上げられていった。そして搾りかすとなった本音が最後に小さく、口から零れた。誰にも聞こえないほどの、フローラ本人も見失いそうなほどの小さな声で、彼の名前を――。

 

 

 

「――アイナ? どうした?」

 

 

 

 父の怪訝そうな声が耳に届き、ふと顔を上げる。

 広間から廊下へ出る扉。たった今アイナが出ていったはずの扉が半開きにされていた。その隙間からは暗闇しか見えない。廊下の電気は、点けられていないようだ。妙に静かだった。リンリンと、虫の鳴く声が耳に障る。

 

「アイナ?」

 

 ルドマンが立ち上がり、扉へ向かう。フローラは思わず口を結んだ。涙は止まっていた。リンリンという鳴き声が執拗に不安を煽る。視線は父と、その扉に釘付けになっていた。

 父が半開きの扉を開ける。ブーツが見えた。続いて白いタイツ、フリル付のスカート。

 

 ――アイナが、死んだように倒れていた。

 

「な、にぃ……!」

「アイナ!?」

 

 父がメイドを抱き起こし、同時にフローラは立ち上がる。ふらり、めまいがした。立ち眩みではない。体が重かった。言うなればこれは眠気に近い。リンリンという鳴き声が耳をつく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「耳を塞ぐのだ、フローラ!」

 

 咄嗟に耳を塞ぐ。父がアイナを抱き上げたまま扉を閉め、こちらへと下がってきた。不快な鳴き声が遠ざかっていくのを感じた。

 

「ど、どういうことですの!?」

「わからん! だがこの呪文は昔見たことがある! アイナは眠らされただけだ。恐らく、他のみんなも――」

 

 直後、ガラスの割れる音が広間に響き渡った。音源は近い。というか、真後ろだ。

 

「な、ん――ひゃあ!?」

 

 背後から現れた黒いマントの男に抱きかかえられる。その男はフローラが抵抗する暇も与えず割られた窓から飛び出してゆく。

 

「賊か! いかん、フローラ――!!」

 

 父の叫び声が遠ざかる。恐怖のまま目を瞑っていると、その男から声をかけられた。……びっくりするくらい、優しい声だった。

 

「――怖がらないで。すぐ終わるから」

「え――?」

 

 思わず目を開ける。彼は仮面で目元を隠していて、顔を判別することはできない。ただ少しだけ、ほんの少しだけ心の奥が安らいだ気がした。

 

 

  *  *

 

 

 時を同じくして、サラボナ南街区の中央に構えられた豪邸。そこはルドマン家に次いでサラボナを代表する富豪、サラザール家の邸宅である。当主の息子であるアルフレッドは遅めの食事を済ませ、広間へと向かっていた。

 

「待ちわびたよ……いよいよ明日。フローラが僕のものになる」

 

 広間の中央には車輪の付いた台座が置かれていた。そこには職人に秘密裏に発注した『水のリング』が飾られている。

 

「適当に式さえ済ませれば彼女も、あの家の財産もすべて手に入る。ふふ……まずはどんなことをして遊ぼうかな……。僕の考えた『遊び』、彼女は気に入ってくれるだろうか。ふふ、あはは!」

 

 本当に愉快だった。とめどなく笑い声が溢れてくる。

 

「ああ、美しい彼女の心を壊すだなんて僕はなんて悪い男なんだ! でも心配することはない。ルドマン家の財産をも手に入れた僕に逆らえる人間なんてこの街には……いないのだからね!」

 

 広間が笑い声に包まれる。彼のこの姿を知るものは誰一人として存在しない。彼の心はフローラとは対照的に――皮肉なほどに――自由だった。

 

 

 

 そして、彼の自由も突如飛び込んできた破砕音に遮られることとなる。

 

 

 

 広間の壁の真ん中、家紋が描かれた巨大なステンドグラスが派手に砕け散ったかと思うと、全身に黒い装束を纏った女性が舞い降りてきた。

 

「え……!?」

 

 あまりの出来事に声を失うアルフレッド。その女性は美しい金髪を夜風になびかせ、目元には仮面が当てられていた。

 

「……うっわ」

 

 彼女は辺りを見回し、仮面越しにでもわかるほど嬉々とした表情を浮かべる。

 

「すごい、すごいすごい! ほんとにやっちゃった! ねえ見た!? めちゃめちゃカッコよかったわよね!? 着地も完璧だし! この作戦思いついた私、やっぱ天才かもしれないわ!!」

「ンニャ―! はしゃいでる場合かニャ!!」

 

 彼女の肩からひょっこり顔を出したのはネコ型の魔物、プリズニャンだ。見慣れない魔物の姿を見てアルフレッドは我に返った。

 

「な、な、なんなんだお前はーーー!!!」

「おっとそうだった。これよねこれ」

 

 黒装束の女性は跳ねるように横移動すると、台座の上から『水のリング』を取り上げた。

 

「なっ!」

「言い忘れてたわ。んっうんっ! 我こそは、悪逆を叩き正義を貫く正義の怪盗リズ&チロル! 私の信じる愛のため未来のため、このリングは戴いていくわ!」

「ノリノリだニャ!? 『正義』が2回も出てきてる上に知らん間にリズが頭数に入ってるニャ!? しかもなんでリズだけ本名ニャ!? ていうかその口上いつ考えたニャ!?」

「挨拶代わりの“ベギラマ”よ、受け取りなさいっ!!」

 

 律儀に全部拾ったネコを無視して炎の呪文が放たれ、アルフレッドは後退せざるを得ない。炎が晴れるとそこに彼女の姿はなく、代わりに目に映るのは割られたガラスの向こうに飛び去るキメラの姿。さらに、それにぶら下がる女性の影だった。

 

「この……馬鹿にしやがって……!!」

 

 アルフレッドは血相を変え、屋敷を飛び出していく。

 

 一方、正義の怪盗リズ&チロルことリズとビアンカは、夜空を飛ぶトレヴァの尻尾に掴まりながら街の中心に向かっていた。

 

「ビアンカ、ふざけすぎニャ!!」

 

 リズがぺしぺしと頭を叩いてくる。

 

「ごめんごめん! でも一度やってみたかったのよこういうの。なんかヒーローって感じしてわくわくしない? 昔よく読んだのよ、なかよし4人組のヒーローのお話!」

 

 にこやかに話すビアンカの真横を街灯のアタマがすり抜けていった。……なんだか思ったより低い場所を飛んでいる気がする。

 

「ちょ、トレヴァ!? どうしたのよ!」

『キ、キィ……』

 

 彼女は申し訳なさそうな目線を向ける。

 

「え、何、落ちるの!? まずいって、まだ全然進んでないよ!? ていうか何よそれ、私が重いってこと!? 失礼じゃない!?」

 

 キメラは決して大型の魔物ではない。倍以上の体格の人間を吊るして飛ぶのは無理があったのかもしれない。と、今更ながらに納得した。

 

「いたっ!」

 

 たまらず手を放し、石畳の上を転がるビアンカ。サラザール邸からはさほど離れられてはいない。後方から追手の足音が聞こえてくる。

 

「ビアンカ!!」

 

 トレヴァの背中に飛び乗ったリズが上空から声をかけてきた。

 

「行って! まだ作戦は終わっていないわ! 彼を……導いてあげて!!」

 

 その言葉を聞いたトレヴァは短く鳴き、北へと飛び去って行った。……追手の足音が近づいてくる。

 

「さてと、私は少しでも時間稼ぎ……を?」

 

 思わず手のひらを凝視した。たった今放出しようとした魔力が指先から出ていかない。どんなに集中しても、小さな炎すら生むことができなくなっている。

 

「コケにしてくれたね……この汚らわしい賊が」

 

 振り返ると道の先、屋敷の方面から追手であるアルフレッドが姿を現した。手には仰々しい頭蓋骨が象られた杖が握られている。咄嗟に距離を取ろうとしたら足首が悲鳴を上げた。どうやら落ちた時に痛めてしまったらしい。

 

「呪文封じ……ね。ピンチ、ってやつかしら。これは怒られちゃうなぁ……」

 

 北の空を一瞥する。夜闇で何も見えないが、街一番の豪邸がある方角だ。

 ……頼んだわよ、イーサン。迫りくる魔の手を目の前に、ビアンカは心の中でつぶやいた。

 

 

  *  *

 

 

 南の空に浮かぶ合図を確認し、頬を冷や汗が伝うのを感じた。――向こうで何かがあった。早鐘を打つ心臓に対し彼は今、急ぐことができない。ここで自分が焦ったら、すべてが水の泡になる。

 イーサンはルドマン邸付近の噴水広場、何度も歩いた石畳の広場の真ん中に立っていた。

 

「……」

 

 抱きかかえられたフローラは怯えと疑問の視線を投げかけながらも、特に抵抗はしてこない。……暴れられようものなら彼女も呪文で眠らせるしかなかったが、正直それはしたくなかったのでちょうど良かった。

 

「はあ……はあ……! 待ちたまえ!」

 

 通りの角からルドマン氏が姿を現した。短剣を片手に鬼の形相で向かってきている。彼はかつて高名な冒険家だったそうだが、それも遥か昔の話である。必死に動かされる両足に反して、足並みはお世辞にも速いとは言えない。

 

「……よし」

 

 念のため、と辺りを見やっても彼以外の追手は確認できない。ルドマン家の使用人たちはロランの魔法によって今頃夢の中なのだ。――それでいい。大人数で追いかけ回されるわけにはいかない。”逃走経路”は、イーサンが決めなくてはならない。

 ルドマン氏がこの広場に到達するのと同時に、イーサンも再び走り出す。南の空を見上げた。合図を確認し、通りを駆け抜ける。

 ……持ちこたえてくれ、ビアンカ。

 遠ざかる追手を見やり、()()()()()()、イーサンは心の中で祈った。

 

 

  *  *

 

 

 頭部に鈍い衝撃が与えられ、目元を覆っていた仮面が吹っ飛んだ。ビアンカは再び石畳に膝をつく。

 

「いたぁ……。女の子殴るとか、アンタ結構最低なことしてる自覚あるワケ……?」

「犯罪者の君に言われたくはないね」

 

 頭蓋骨の杖が容赦なく振り下ろされる。何とか身をひねって躱すも、足首がずきりと痛んでバランスを崩した。

 

「さあ、盗んだものを出したまえ。君が気を失うまで殴りつけてから奪い返すという選択肢もあるが、僕は心が広い。そんな真似は……本当はしたいところだけど我慢しているんだ、さあ」

「あら、我慢ができるなんて意外だわ。そんな風には見えなかったから」

「わからないかな……僕は結構、頭に来てるんだ、よっ!」

 

 放たれた蹴りを両腕で受け止める。しかし相手は男性だ、体格や筋力の差はどうしても覆すことができない。

 

「うぅっ!」

 

 弾かれたビアンカは街灯に背中から叩きつけられた。思わず手を掲げ、呪文の詠唱を始めるが……。

 

「無駄だ!」

 

 魔力は一滴も指先から出て行かず、大きな隙を晒したビアンカは振り抜かれた杖の一撃をまともに受けてしまう。ふらついた彼女の顔面にさらに一撃、拳が炸裂した。

 

「得意なのは呪文だけか、ああ? それを封じられた君に何ができる? うん? 見せてくれよ、正義の怪盗さんよぉ!」

 

 地面に伏したビアンカの足首に、杖の下端が突き立てられた。骨が軋むような痛みに、ビアンカは声にならない叫びを上げる。

 

「おっといけない。……ああ、ははっ。大声で叫ばれたら近所迷惑だったけど、空気を読んでくれたようで助かったよ。良かった良かった本当にっ!」

 

 乱暴な蹴りが次々とビアンカの全身を打ち付ける。しばらくしてアルフレッドは満足したのか、乱れた襟を整え短くため息をついた。

 

「うん、すっきりした。君に割られたステンドグラスも、僕に対する無礼の数々も、今の君の無様な姿で帳消しかな。なかなか素敵だったよ。ふふ、はははは!! ああ、でも盗んだものは返してもらおう。あれは大事なものなんだ」

「……、……い、やだと、言ったら……?」

「……」

 

 アルフレッドはビアンカの胸ぐらを掴み上げる。

 

「まだわからないかな、君は“詰んで”いるんだよ。拒否する余裕も、権利もないって自覚できてる? ……まったく不思議だよ、ただの泥棒にしては歯切れが悪すぎる。なあ、何が目的なんだ? なあ!」

 

 彼女の纏っていた黒装束を引き裂いた。ビアンカの私服、質素な旅装が露わになり、リングが地面に転がり落ちた。

 

「あっ……」

「なあ。金目のものなら、こんなリングよりもめぼしいものがいくらでもあった。なぜこれにこだわる? このリングが、僕とフローラ嬢が結婚する条件だって知っているのか? 君はサラボナの人間ではない。なぜ知っている、誰から聞いた?」

「……!」 

 

 ビアンカは思わず拳を振り上げる。しかしアルフレッドに突き飛ばされ、またもや地面に倒れ伏した。

 

「うーん? さっき魔物を引き連れてたよなあ……。ははっ、見えてきたぞ。“あいつ”の差し金かぁ。浅はかだ。実に浅はかで……滑稽だ!! 誰だか知らないが、よりにもよってこんなプレゼントを仕向けてくれるとはね!!!」

 

 アルフレッドは落ちたリングを無造作に拾い上げた。

 

「決めたぞ! 君も我が屋敷に迎え入れよう! そして馬鹿丸出しなルドマン家の娘ともども、この僕が可愛がってあげるよ! もちろんイーサンも捕らえる。あいつの目の前で見せつけてやるんだ、君たちが僕に汚される様を!」

 

 ビアンカは奥歯を噛み締める。立ち上がろうにも、体が言うことを聞かない。

 

「どこまでも……最低、ね。結婚を控えてる、男のセリフとは、思えないわ……」

 

 青年の顔が歪な笑みを浮かべる。

 

「何とでも言え、男に嬲られるために生まれてきたちっぽけな生き物の分際で。所詮フローラ嬢だっておまけなんだ。ルドマン家の財産のついでに手に入る、ちょっと質のいいおもちゃに過ぎない! まあ、君たちのお陰でおまけが増えたけどね! ははははは! 安い安い! 偽のリングをたったふたつ作らせただけの出費で、莫大な富と、地位と! 使い捨ての可愛いおもちゃも手に入るんだから!!」

 

 歯を食いしばりながら項垂れる彼女を見て、アルフレッドは勝ち誇ったように目を見開いた。あとはこの『おもちゃ』を連れ帰り、何事もなかったかのように明日を迎えるだけだ。彼はしゃがみ込み、ふと、顔を上げた。

 

 

 

 通りの先に、信じられないものを見るような視線を向けるルドマン氏と、困惑と怒りの混ざった表情を浮かべるフローラの姿があった。

 

 

 

「…………え?」

 

 アルフレッドもまた、この場にあるはずもない姿を目にし引きつった笑みのまま硬直する。

 

「……私は、何が何やら、理解が追い付かぬ。フローラ、これはどういうことだね?」

 

 ルドマン氏はつい数分前、すぐそこのベンチに座る娘と再会した。フローラもまた、黒衣の男にそこで待つように言われ、ぽかんとひとりで待っていたところだったのだ。再会した父娘は不審な声を耳にし、この通りを覗きに来たのである。

 

「わたくしにも、わかりませんわ……。でも“あの人”はわたくしを抱えたまま、お父様が追い付くのを何度も待っていました。まるでわたくしたちを導いているように……。恐らく、この場所、この光景まで」

「……さすがは私の娘だな。父も今、同じことを思っていたところだ」

 

 ルドマン氏が向かってくる。フローラも後に続く。

 青年がわけもわからず足元を見ると、アザだらけの顔が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

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