蒼穹の花嫁 ~ドラゴンクエストⅤ:parallel~ 作:イチゴころころ
こんばんは。イチゴころころです。
前回の前書きではつい語り過ぎたような気がしましたが、今回も懲りずに語ります。
前回、対人戦で鑑定呪文”インパス”を活用したアイナちゃんですが、あれは『戦闘向きじゃない呪文を戦闘に活かして戦うのって、かっこよくね?』という私の願望から生まれました。
この世界の”インパス”は対象の情報・状態を視界に表示する呪文です。文字通り物品の鑑定や耐久度チェック、原料判別など幅広く使えるので各地の商人たちには必須の呪文ですね。ルドマン家の使用人として就職する上での必修呪文にも指定されていて、アイナちゃんもその関係で覚えました。
ちなみに2章で偽のリングを提出したアルフレッドは『これはインパスを使ってちゃんと鑑定しました。担当者:○○○』みたいな偽のインパス証明書も同時に提出しています。
アイナちゃん自身が頭の回転が速いのとそれなりに博識なのもあり、戦闘に応用させて使っています。もちろん原作の通り宝箱に化けたモンスターの判別にも使えます。
とまあ今日はこの辺りにして、本編行きましょう。
幽霊騒動の結末や如何に。
アイナの部屋に搬送されたイーサンは『満月草』を摂取し、全身を蝕む呪縛から解放された。渡された水筒の水を飲み、額の汗を拭う。
「まさか、“幽霊の呪い”の正体がマヒ毒だったとはなぁ……」
「満月草の備蓄は十分にあります。先ほど医務室の方にも伝えたので、乗組員の皆さんもすぐに助かるでしょう」
どうにも幽霊という先入観があったせいか、ザックら乗組員たちの症状がマヒであることに絶妙に気付けなかった。正体不明の症状に、下手な治療も憚られたしまったというのもある。
「しかし、イーサン様」
アイナは部屋の隅に目をやった。そこにはそんな幽霊騒動の犯人、眠りから目覚めたしびれクラゲがふるふると身を震わせていた。
「なぜ奴を船内へ招き入れたのですか? 幽霊騒動の犯人にして、この船の航行計画に多大なダメージを及ぼした凶悪な魔物です。ここで倒すのが道理かと。それとも貴方は、魔物使いという名を被った魔物愛護団体の会長か何かですか?」
「そうじゃない。少し気になることがあって……」
イーサンはフローラから借りたモンスター図鑑を取り出し、“しびれクラゲ”の項目を開く。前回の船旅で既に遭遇しているので、そのデータはすぐに表示された。
「……一等航海士であるアイナの方が詳しいかもしれないけど、“しびれクラゲ”は海上で最も危険度が低い魔物だ。マヒ毒は確かに厄介だけど、そもそも気性が穏やかで滅多に人間を襲わない。それどころか怖がって逃げることの方が多いとある。ロランの探知にかからなかったのも納得だよ。そんな魔物がなぜ、幽霊騒動なんかを引き起こしたのか――」
イーサンは傍らのトレヴァに目配せする。聡明なキメラは主の意図を汲み取り、ぱたぱたとその“しびれクラゲ”に近付いていった。
『キキッ』
『るん………?』
「……彼女はまさか、“翻訳”をしていると言うのですか」
「うん。人語を覚えていない魔物でも、魔物同士なら意思疎通の難易度は低い。賢いトレヴァにかかればなおさらだ。どうにかして、この魔物の真意を知りたくてね」
「そこまで深い意味があるとも、とても思えませんが……」
「この幽霊騒動、そもそも歯切れが悪かったと思わない? 命に関わるような被害は出さず……なんていうか本当に、『怖がらせる』ことを目的としていたような」
被害者が出るタイミング。手法。そして回数を重ねるごとに増える被害者の数。船内の士気がみるみる下がっていく様を思い出す。そして実際にイーサンたちは、得体のしれない襲撃者を恐れ、引き返すことを決めかけていたのだ。
「まあ、魔物に詳しい貴方がそう言うのなら……。その魔物ももう害意はないようですし、気が済むまでお調べになるのが良いでしょう。ただし、責任を以って監視はしていただきますよ」
彼女の言葉は相変わらず辛辣だったが、声色に以前までの刺々しさは感じられない。そんな彼女の横顔を見て、イーサンは安堵の微笑みを浮かべた。
その直後、木のきしむ音と共に船体が大きく傾く。咄嗟に柱に掴まって耐えたが、テーブルの上の物が軒並み床に落ちてしまった。ころころと、水筒が部屋の端まで転がっていく。
「くっ、いよいよって感じだな……。アイナ、犯人も捕まったし、ザックたちのマヒが治ったらすぐにでも航行準備を進めてくれないか? 本当に嵐が直撃しそうだ」
「ええ、そのつもりです。……どうやらこの嵐、思った以上に速度がある。何とか離脱はして見せますが、ある程度煽られるのは覚悟していただけると」
「うん。よろしく頼むよ、一等航海士どの」
ふと、床に落ちた海図を見つけた。今の揺れでテーブルから落ちたのだろう。畳まれた海図は半開きになり、赤黒く塗られた海域がちょうど見える。先ほどアイナが“フローミ”を使って割り出した現在地。本来なら魔物が多数出現する要注意海域らしいが、なぜかイーサンたちは襲撃を受けていない。それこそ、この“しびれクラゲ”くらいのものだ。
……改めてその海図が目に入り、イーサンは違和感を覚えた。いや、違和感というよりは、既視感に、近い……。
「魔物がいるはずなのに、……いない?」
「イーサン様?」
「……アイナごめん。今すぐ、船を動かせる? すぐにここを離れたい。嫌な予感がする」
その言葉にアイナが首を傾げると、しびれクラゲと意思疎通を図っていたトレヴァが声を上げた。
『マスター! アイナ! この子 ……!』
『る……るん……!』
その小さな魔物は頭を抱えるようにうずくまり、人間には理解できない言葉で語り出す。
『るん…るん……』
『“にげて、ほしかった”』
『るるる……るん……!』
『“ふね、たび、やめて、ほしかった”』
ぽつりぽつりと、しびれクラゲは想いを伝える。その魔物が幽霊騒動を引き起こし、イーサンたちを恐怖に陥れた理由。
『“かえる、べき、だった”』
船が傾く。ばたばたと、雨粒が窓を叩く。
『“もう、おそい、
その言葉は、トレヴァにしかわからない。しかし、その魔物の表情が恐怖と絶望を表していたのは、イーサンとアイナにも理解できた。
『“みんな、あらし、に、たべられる――!!”』
直後、船体が大きく揺れた。今までとは比べ物にならない激しい揺れ。イーサンは今度こそ尻餅をつく。
「アイナ、今のは――!?」
「波の揺れじゃない! 何かが、ぶつかった――!?」
ふたりは目を合わせ、頷く。そして仲間たちを引き連れ、再び夜の甲板へ飛び出した。
* *
外に出ると、強風と水しぶきに真横から殴りつけられた。この水が雨なのか海水なのか、もはや判断がつかない。
クイーン・ゼノビアはまさに嵐の真っただ中にいるようだった。雨音と波の砕ける音、風の吹きつける音が重なり、不快な轟音として一同を包む。夜闇に加えて大雨も視界を遮り、夜間灯の明かりもほとんど意味をなしていない。
「くそっ、どうなっている!?」
「わかりません!! 嵐が、こんなに速くぶつかってくるなんてありえない!」
「ロラン! 魔力は!? まさか、『いる』のか!!」
呼びかけに応え、ロランが魔力探知を行う。彼は目を見開き、大きく飛び跳ねながら叫んだ。
「魔力 反応 大! すぐ そこ ナリ!」
「なにっ」
彼の視線を追い、目の前のマストを見やる。否、こんなところにマストなんてなかったはずだ。高くそびえたつソレは、ぬらりと不敵に光る巨大な触手――。
「まずい、避けろみんな!!!」
その極太の影が傾き、こちらに向かって叩きつけられた。甲板を転がって避けるも、大きな振動に襲われ体が跳ねた。タルや縁が砕け散り、木片が強風に巻き上げられる。
雷鳴が轟き、空が光る。その一瞬で浮かび上がる姿を、誰もが見逃さなかった。
船の横にそびえる『塔』のような胴体に、充血した大きな双眸。触手は既に船体のあちこちに絡みつき、ぎりぎりと悲鳴を上げるクイーン・ゼノビアを弄んでいるかのようだ。
嵐と共に現れた大海のヌシ。巨大なイカの魔物が、今まさにイーサンたちを海に引きずり込もうとしていた。
「戦闘、態勢ぃ!!!」
イーサンの叫びと共に、ロランとトレヴァが散開する。トレヴァが近場の触手をクチバシで穿ち、ロランは妨害呪文の詠唱を開始する。その隙にイーサンは図鑑を取り出し、目の前の脅威を注視した。
「やはり『該当なし』……。新種ってやつか!!」
抱いていた既視感の答えは、サラボナ北西の密林であった。本来魔物がいるであろうその場所に何故か生まれ落ちた『新種』。それは周囲の魔物すら喰らい、自らの領域としてその場所を支配する。図鑑にデータは乗っていないが、その凶暴さ、凶悪さだけは密林のヌシが証明済みだ。
「“マホトーン” 効果 ナシ! マスター! 奴 が 何か 唱える ナリ!!」
「くっ、動向に注意! 回避と防御に専念しろ! アイナも!!」
「ええ、わかっています!」
ヌシの両目が不気味に光り、詠唱の完了した呪文が放たれる。甲板全体に叩き付けられる雨粒が一瞬で凍り付き、幾重ものツララとなってイーサンたちに降り注いだ。ひとつひとつは小さな塊だが、眼前の雨粒すべてが氷塊に変換されたのだ。暴力的な一撃が船全体を揺らす。
「“ギラ”!!」
咄嗟に剣の宝玉を起動、降り注ぐ氷塊を溶かす。アイナも槍を巧みに振り回し直撃を避ける。
「“ヒャダルコ”くらいか……リズが見たら悔しがるだろうなこれ……」
直撃は避けたものの、イーサンたちの立っている甲板はまとめて氷漬けにされてしまった。周囲の気温がさらに下がり、イーサンは寒さに身を震わせる。
「イーサン様!」
アイナが駆け寄ってきた。服はあちこち破けているが、致命的なケガは負っていないようだ。
「“インパス”で走査したのですが、この船の耐久力が著しく低下しています! このままでは、沈没は免れません……!」
イーサンは生唾を飲み込んだ。この船には船乗りたちやリズ・マービン、それにフローラが乗っている。
「何よりも船体に絡みついている触手を引きはがさないといけません! 船が持たない!」
「よし……。ロラン、トレヴァ!! 触手を狙え! 船を守るんだ!!」
「イーサン様、跳んで!!」
アイナの叫びに合わせ、咄嗟に床を蹴る。高波に煽られ、船が傾くところだった。
「ひゅうっ。仲間になると頼もしいね、一等航海士どの!」
「御託は結構です! 行きますよ!」
ヌシの挙動は重鈍で、時折“ヒャダルコ”を唱えてくる以外はほとんど動かない。イーサンたちは降り注ぐ氷塊を躱し、そこら中に絡みついている触手を一本ずつ狙っていく。触手はその極太の見た目に反し、ある程度ダメージを与えるとそれを嫌がるように海に戻っていった。
「あと2本! アイナ、船首のやつは頼む!」
「はい!」
彼女が船首に向かって駆け出し、イーサンはトレヴァと協力し目の前のマストに巻き付いている触手に斬撃を与える。彼らに向かって氷塊が放たれるも、高速で飛びまわるロランがそれらを弾き飛ばして援護した。
「食らえ――!」
深々と突き刺した『破邪の剣』を引き抜き、同時に“ギラ”を起動。触手はのたうつように、黒く染まった海へと引っ込んでいった。振り返ると、アイナの方も最後の触手を引きはがしたところだった。
「よし! アイナ、次は――」
イーサンの歓喜の叫びは遮られた。
船を囲むように伸び上がった大量の触手が、再び船を締め上げたからだ。
「なにいいいいいい!!」
叩きつけられる大質量にイーサンたちは弾き飛ばされる。甲板中ほどのマストが悲鳴を上げ、根元から折れるのが見えた。
「く、そ……! 耐久力、初期の半分以下まで低下! まずいです!」
イーサンはヌシの本体を見た。どこを見ているのかもわからない無感情な眼が、くすくすと嘲笑っているように見えた。
「この野郎、アジな真似を……!」
『マスター! 気を付けて! 呪文 くるよ!』
態勢を整えるや否や、上空から大量の氷塊が降り注いだ。イーサンもアイナも、各々の得物でそれらをはじき返す。が――、
「……!?」
腕と脇腹に刺すような痛み。見ると、その箇所に細いツララが突き刺さっている。横のアイナも、痛みに顔を歪めてふらついている。……躱し、切れなかった。
「嫌に大人しいと思ったらそういうこと……。俺らを倒そうと躍起にならなくても、俺らは勝手に倒れていくってか……」
実を言うと指先とつま先の感覚がない。高位の氷塊呪文“ヒャダルコ”はイーサンたちに直撃こそしていないが、甲板全体を氷の世界に作り替えていた。吐く息が白く色づき、吹き付ける雨は体に触れたそばから薄く凍り付いていく。体の末端が無意識に震え、あと数分もすれば剣を握る力も失われるだろう。大海のヌシは静かに、確実に、船とその守護者たちを蝕んでいた。
すると、紅蓮に染まる火球が突如飛来し、イーサンたちの真横の床に激突した。じゅうっという小気味の良い音と共に、その一帯の氷が一瞬で解けた。
「この呪文は……」
「お嬢様!?」
2階のテラスに、手すりにしがみついたフローラが立っていた。寒さと酔いで顔は青ざめてはいるが、懸命に魔力を練っている。
「これが今、わたくしにできることですわ……!」
練り上げた魔力から“メラミ”を連打。精密なコントロールの効かない火球は甲板中にバラまかれ、氷漬けになった世界を元に戻していく。
「よし……!」
いくらか感覚の戻った手で剣を握りしめ、イーサンはあることを思いつく。
「フローラ、そのまま俺を狙ってくれ!!」
「ええっ、でも――」
「大丈夫! 信じて!!」
「うぅ……め、“メラミ”っ!」
戸惑いながらも、フローラは夫を見据えて火球を射出した。この時に限り、彼女は人並み以上のコントロールを発揮する。
「良い軌道だ! ……“バギマ”!!」
飛来する火球に対し、やや角度をつけて竜巻の呪文を放った。激突したふたりの呪文は軌道を変えつつ混ざり合い、炎を孕んだ竜巻となって船体横の本体、大海のヌシの顔面へと直撃した!
――!?
驚いた魔物が身をよじる。詠唱中の“ヒャダルコ”が中断され、空中の氷塊がただの水に戻っていく。その様子を見て、イーサンは走り出した。
「フローラ! もう一発頼む、今度は“バイキルト”だ!」
彼女はもう限界に近い。船酔いに翻弄された体に豪雨と強風を浴び、呪文の連続詠唱。体力はもう消耗しきっているだろう。しかし彼女の精神は、夫の支えとなることでいくらでも強くなれる。
「まかせて、ください……。“バイキルト”!!」
フローラの加護が全身を包み、イーサンの筋力が何倍にも跳ね上がる。普段は両手持ちで振るう『破邪の剣』を片手に持ち替え、甲板に横たわる触手に力を込めて振り下ろした。
「はっ!!!」
叩き付けられたイーサンの渾身の一撃は触手を文字通り一刀両断し、千切れ飛んだ触手は巨大な見た目に似合わない勢いで海の向こうに消えていった。
「もう、一発!!」
イーサンはその勢いのまま、すぐ横の触手をもう一本、軽快に斬り飛ばした。さらにもう一本。……“バイキルト”の効果が切れる数秒の間に、彼は計6本、船体を締め上げる触手を海の藻屑へと変えた。
――ィィィィィィィィアアアアアアアアアアアアア!!!
今まで静かに佇むだけだったヌシが苦痛の叫び声を上げる。すると魔物の上空、嵐を纏う雷雲が不気味に渦を巻いた。『破邪の剣』が、不自然にかたかたと震え始める。イーサンは嫌な予感を覚えた。
「マスター! 剣 を 離す ナリ!!」
「――!!」
ロランの気迫にすべてを悟り、イーサンは剣を思いきり投げ捨てた。直後に雷雲が閃き、『破邪の剣』目掛けて青白い稲妻が振り下ろされた。けたたましい雷鳴が耳をつんざく。
「あ、危なかった! アイナ――!」
そしてもう一度、雷雲が渦を巻く。標的は銀製の槍の使い手、アイナだ。
「――っ!?」
彼女は慌てて得物を離す。が、少し遅い。アイナの真横、ほんの数センチ横の床に稲妻が突き刺さる。
「うっ、ああああああああぁぁぁぁぁぁあ!!?」
雷撃の余波に吹き飛ばされ、アイナの小さな体はマストに叩き付けられた。電流に体内を焼かれ、激しく吐血する。
「くっ、アイナ――!」
『“ベホイミ”ーーーっ!!』
すぐさまトレヴァが駆け付け治療を始める。
『アイナ は 任せて! マスター は 奴を!』
「ああ……頼んだ!」
大海のヌシは苦しげに身をよじり、船に張り付いていた残りの触手を離すと自ら海に沈んでいった。
「くそ、どこへ行っ……うわ!?」
船が不自然に傾き、不快にきしむ音と共に荒れ狂う海を割って進み始めた。
「距離を取ろうとするアイツに、ロープか何かが引っかかっているのか……!? このままじゃ船が壊れるどころか、引きずりこまれるぞ!!」
傾いた甲板に高波が覆いかぶさる。イーサンはマストにしがみつき、テラスに目を向けた。フローラも必死で手すりに掴まっているが、いつまで持つか。
「(引っかかったモノを除去しないと……でもどうする!? それはどこにある!? それにこの揺れ……マストから手を離した瞬間海に落ちるのが関の山だ……)」
「――“インパス”!!」
声に振り返ると、段差の隙間に倒れているアイナが必死に顔を上げたところだった。
「アイナ!?」
「右舷、後方に……牽引力を、感知……! 折れた、マストのロープです……イーサン様!」
血涙を滲ませる彼女の左目は、魔力の加護を受けて淡く光っていた。
「聞こえたか、トレヴァ、ロラン!」
ふたりの従者はその声を聞くや否や動き出し、物陰の向こうに姿を消した。その直後、小さな振動と共に速度が落ち、傾いていた船は元の向きに戻っていった。
「ふう……本当に危ないところだった……。アイナのお陰だ」
「ええ、ですがまだ……!」
甲板に再び氷塊が飛来し、着弾した箇所が白く凍った。方角は、船首の向こうだ。
「ああ。根本的な解決にはなってないよな……!!」
イーサンはふらつくアイナをマストに寄りかからせ、船首へと向かう。荒れ狂う海と空の遥か向こうに、不気味に蠢くシルエットを見つけた。その両目が赤く光り、上空からツララが降り注いできた。
「あの野郎……!」
遠距離からの攻撃なので、“ヒャダルコ”の狙いは曖昧だ。船体に着弾するのは僅かな数で、他はクイーン・ゼノビアの横を通り抜けて海に消えていく。だがイーサンたちからは、そもそもあの距離を攻撃する手段がない。
――ァァァァァァァァァァァァァ!!!
さらにそのシルエットは身を震わせ、ゆっくりと船に向かってきた。否、ゆっくりではない。高波を切り裂き豪雨を弾き、見た目以上の速度でこちらへ突き進んでくる。
「あ………」
あんなものに体当たりをされたら船は一撃で粉々になる。そして当然、嵐に揉まれるクイーン・ゼノビアにはそれを回避する術がない。
「イーサン様!!!」
振り返ると、再び銀の槍を手にしたアイナがこちらを見据えていた。稲妻のダメージが残っている彼女は体の至る所から血を流し、左目も半分閉じている。しかしその眼差しは力強くイーサンを見据えていた。アイナは呼吸を整え、つま先でとんとんと、床を叩く。
「まさか――!」
「
彼女の意図と覚悟が伝わり、イーサンは目を見開く。テラスの上のフローラもそれを悟ったのか、困惑の表情を浮かべつつも静かに頷いた。
イーサンは両手を組んで下ろし、腰を落として構えた。アイナが銀の槍を握りしめたまま走り出し、フローラは全力で呪文を射出した。助走をつけたアイナがその勢いを殺さぬままイーサンの手に片足をかけた瞬間“バイキルト”の加護がイーサンを包む。そしてイーサンは全力で、両腕を振り上げた!
「いっけえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
空気が震え、周囲の雨粒があまりの衝撃に吹き飛んだ。アイナは凄まじい速度で空を裂き、魔物の顔面目掛けて飛んでいく。その姿はさながら砲弾、銀色に輝く必殺の弾丸だ。
全身を叩く雨粒と桁外れの速度に意識を奪われそうになるのをこらえ、アイナはしっかりと槍を握りしめた。
「守る……お嬢様は! お嬢様と、彼女の愛した人は……私が守る!! この命で……救ってもらったこの魂で!! 今度は私が、お嬢様を救う番だああああああ!!!」
アイナが絶叫と共に両腕を突き出し、銀色の軌跡は魔物の片目、真っ赤に充血した右目に着弾した。ぱぁん、と風船の割れるような音と共に眼球が弾け飛び、銀の槍が深々と突き刺さる。大海のヌシは悲痛の絶叫を上げ、怒りのままに稲妻を呼び起こす。しかし稲妻は銀の槍、それが突き刺さったままのヌシの右目に引き寄せられた。
――!!?
立て続けに3発、激しい稲妻がヌシの脳天を直撃した。高圧の電流が内臓を焼き払い、一瞬にしてヌシの命を奪い去る。大海を統べる魔物は断末魔を上げる暇もなく絶命し、その巨体はクイーン・ゼノビアのすぐ手前、憎き獲物まであと一歩のところで海に呑まれていった。
着弾の反動で空高く打ち上げられたアイナは、なおも降り続く稲妻に穿たれながら沈んでいくヌシと、その横を通り過ぎるクイーン・ゼノビアを見下ろしていた。
「――………」
声を出す力もない。アイナは強風に煽られながら、未だに暴れまわる海面を目掛けて落ちていく。最後の気力を振り絞り船の上を探すと、風になびく蒼い髪が目に入った。
……これでいい。
アイナは微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
小さな体が波に呑まれ、漆黒の海底へと沈んでいく。彼女の穏やかな微笑みは、誰の目にも映ることなく闇の底へ消えていった。