蒼穹の花嫁 ~ドラゴンクエストⅤ:parallel~ 作:イチゴころころ
こんばんは。イチゴころころです。
先日、『水の都の護神』を観てきました。今、映画館で昔のポケモン映画観られるんですよね。
めっちゃ面白かった……。これ20年前の作品ってびっくりする。
フローラが怒った。
それはわかる。今まで彼女の機嫌を損ねてしまったことは何度かある。フローラは聖人のように穏やかで優しい性格だが、彼女も人間だ。何かを嫌だと思うこともあるし、ことイーサンに対しては、そういったことへの表現が素直だったとさえ言える。大体イーサンが謝って、彼女が顔を赤らめながら許してくれるか、それか彼女の方から謝ってくるかだった。そのようなやり取りを見て、アイナが“仲良くて何より”とこぼしたこともある。
でも、それとは違う。フローラは怒るとき、感情を全面に出してくれる。先ほど言ったように、彼女は素直なのだ。しかし今、ついさっきイーサンを見据えた目線は虚無以外の何物でもない。
「……」
必死に頭を回転させた。
きっと彼女は尋常じゃないくらい怒っている。もう、怒りを通り越して、無になってしまうほどに。……そうだ、あのフローラがひとりで帰るなんて言い出すくらいだから、相当なことがあったに違いない。……でも、なんだ?
なんて声をかけたらいい? 彼女の機嫌を損ねたこと? でも、それはどこにあった?テルパドール王宮の商店街を回った時はこのようなことは感じなかった。ではその後だ。王宮を発って、何か彼女を傷つけるようなことをしただろうか? ……思い出せない。それもそうだ。昨日の自分は戦闘を早く終わらせることに、彼女を守ることに精一杯だったのだから。
「……おい」
背後からマービンに声をかけられた。待ってくれよ今それどころじゃないんだよ――!
「――いい加減にしないか……このたわけ!!」
振り返りざまに、マービンに顔面を殴りつけられた。視界が真上にかち上がり、受け身も取れぬまま砂の上を転がる。
「なに、すんだ。マービン……!」
「お前こそ、何をしているッ!!」
彼の怒鳴り声に、思わず身がすくんだ。出会って3年、彼がここまでの大声を出すのは初めてだ。
「キッキ!? マ マスター!?」
「マービン! 何 する ナリ!!」
「ふたりとも落ち着くニャ……。いいんニャ、このままで」
取り乱すロランとトレヴァをリズが制した。マービンは鬼の形相で、イーサンの胸ぐらを掴み上げる。
「旦那、なに……してるんだ!! 本当に、わからないのか!? 自分が何を、しでかしたか……。ここまでされても、わからなかったのか! ああ!?」
「なんだよ……! お前が何を知ってるって言うんだよ!」
「呆れたぞ……。少なくとも、今の旦那よりかは分かっている! ……お嬢の気持ち。本来夫であるお前が、誰よりも分かってあげなきゃいけないことを!」
マービンに突き飛ばされ、再び地面を転がった。砂が口の中に入り込み、イーサンは咳き込む。
「目を覚ませ、イーサン……! お前は、今のお前は何も見ていない! お嬢の気持ちも、お前自身の気持ちも!!」
「俺の、気持ちだと……?」
昨日、アイシス女王にもそれとなく諭されたことだ。
「俺の気持ちは変わるものか! 夫として、フローラを守る。それくらいはわかってる!!」
そうだ。数々のしがらみを抱えつつも、揺らいではいけない気持ち。彼女を危険にさらすことは、夫として許されない。だが、それが何だというのだろう? わかりきっている自分の気持ちを確かめて何が変わるというのだろう。たった今、フローラの気持ちに寄り添えていないのに!
「……本当に、そう言うんだな。見損なったぞ、旦那……!」
「だから何なんだよ!! 今、重要なのは俺の気持ちなんかじゃない、フローラの気持ちだ! なあ、何か知っているのかマービン! 彼女が、彼女が怒ってしまった理由……教えてくれ……このままじゃ、フローラが……」
「理由だと……? そんなの、どこもかしこもだ!!」
マービンの絶叫に心が震える。視界がぐるぐると回り出し、イーサンは胸を抑えた。
「まだわからないのか……。じゃあ、ひとつだけ教えてやる。こうやってお前がガキみたいに駄々をこねている間にも、お嬢は北岸へ向かっている……。今、お前はオレと問答なんてしている場合か? その言い訳以外の何物でもない言葉を、オレに向かって吐いてる暇があるのか? なあ、ここまで言わないと気付けないのか!! この大馬鹿野郎が!!」
「……!!」
目を見開く。
……彼の言う通りだ。なぜ、彼女を呼び止める手を、下げてしまったのか。なぜ、自分はこんなところにいるのか。フローラの姿はもう、見えなくなっているというのに。
「……フローラ、フローラ!」
たまらず駆け出した。気付くのが遅すぎる自分を、どうにかして殴ってやりたかった。
* *
「フローラ……どこまで行ったんだ……!」
違う。さっきの自分が、思っている以上に長い時間硬直していただけだ。しびれを切らしたマービンが怒りを爆発させるのも当然だ。……いくらか冷静になった今は、走りながらでもそれくらい分析できる。
大小さまざまな砂丘が点在する砂漠は意外にも見通しが悪く、フローラの背は未だに見えてこない。
フローラのあの目。あれは確かに、“人を軽蔑する目”だ。怒るなんてものじゃない。……嫌われた、かもしれない。どうすればいいのだろう? もし、嫌われたままなら。
……自分たちはもう、終わりなのだろうか。
「――ちゃんと謝るんだ。反省を示せば……違う! もう反省している! それがわかってもらえたら、きっと……」
でももし、許してもらえなかったら? 彼女の笑顔。いつもいつも笑いかけてくれた彼女の笑顔。その顔を、もう見ることはできないのだろうか。
「嫌だ……!」
呼吸が限界を迎える直前、視界にフローラを捉えた。安堵と緊張がイーサンの胸の奥をかき混ぜる。
「フローラ!!」
彼女は立ち止まり、振り返った。
「う……」
その視線は、先ほど同様冷ややかなものだった。締まろうとする喉をこじ開け、声を絞り出す。
「ごめん、フローラ!! 謝る、謝るから、どうか……! 許してくれないか……」
立ち止まり、頭を下げた。
「……何に謝るのか、わかって言っていますの?」
イーサンの頭頂に、フローラの棘のある言葉が投げつけられた。
図星にもほどがある。謝りたいという気持ちが先行して、根本のところを何も考えていなかった。
「……いや、わから、ない。ごめん」
「そう……」
「でも! 何か怒らせるようなこと……傷つけるようなことをしちゃったのはわかる! だからとにかく謝りたくて! 話を……したくて!」
必死に言葉を紡ぎながら、イーサンは顔を上げた。
……そして目に入った。彼女の左手。澄んだ碧に輝くのは『水のリング』だ。イーサンが花嫁を決める際、彼女に手渡した幻の指輪。
「あ……」
そのときイーサンは『ずっと一緒にいたい』と、そう言ったのだ。
「……」
それが自分の、気持ちのはずだった。でもいつからだろう。教団の脅威に怯えてか、はたまた自分の傲慢さ故か、その気持ちは『彼女を守りたい』、いやむしろ『彼女を守ってあげなくてはならない』に変わっていった。
ぱちん。と、体中を小さな電流が走った。
「お、俺は……」
小さく、声を絞り出した。目の前の彼女に懺悔するように。
「君を……遠ざけてしまった。旅立つ前、君は、俺の支えになりたいって、言ってくれたのに。ふたりで、ルドマンさんも説得したのに……。君の覚悟も、想いも、勝手に全部忘れて。勝手に、君を、……庇護、してしまっていたんだ……」
フローラは黙って、イーサンの言葉を聞いていた。そしてゆっくり口を開いた。
「今、気付いたのですね」
「――っ」
彼女の視線と言葉が胸を刺す。その通りだ。マービンの言った通り、自分は何も見えていなかった。
「……ごめん」
「別に謝らなくてもいいですわ。……お父様との約束を、思い出しただけですから」
「約束……?」
「封印の祠に向かう際、お父様が言いましたわよね? 『旅についていけないと判断したら、やめるように』って。だから、これはわたくしの判断です。……辛くて、とてもじゃないけど
ずきん、ずきん。と、心臓が脈打つたびに鈍い痛みが胸に走る。
「わたくしは弱い。呪文も未だに、満足に使えない。守っていただけるのはとてもありがたいことです。でも……わたくしは物じゃないのですよ?」
「あ、あ……」
「こんなの、わがままなのはわかっています。でも、これがわがままに“なってしまう”のであれば、わたくしはもう旅のお供をするわけにはいかない。お互いのためにも、身を引くのが道理ですわ」
血管に無数の針でも仕込まれたかのように、頭と胸に激痛を感じる。異常に辛い……耐えられない。
「ごめん……フローラ。でも俺は君が役立たずだなんて思ったことはない! 確かに呪文は不安定だけど上達してきてるし、補佐なんかではもう十分助かってる! 俺がちょっと……焦っていただけだ! これからはちゃんと、君も一緒に……!」
完全に言い訳だ。ひどくカッコ悪く、情けないと思った。でももう、何でもいい。今はとにかく、一秒でもはやく、フローラの笑顔が見たい……!
「はあ……」
こぼれる小さなため息が、重く鋭く貫いてくる。
「そんなにわたくしが、頼られなくて拗ねる子供に見えるのかしら?」
「いや、それは……」
「選ぶと言えば、満足すると思ったのですか? では言わせていただきますね」
フローラが一呼吸置き、じとりとイーサンを見つめた。
「わたくしは、貴方に選んでいただいた妻です。それはとても……嬉しかった。何よりも幸せだった。でも……でも! 選ぶ権利があるのは貴方だけじゃない!
「あ……!」
それが止めだった。
フローラの言葉に心が突き放される。激しいめまいに屈し、イーサンは力なく膝をついた。
「え、イーサンさん……?」
そうだった。当たり前のことだった。
フローラはいつも健気に、自分を慕ってくれていた。いつしかそれが当たり前になっていたが、彼女だって人間だ。こちらが何もしなくても勝手に好きになってくれるわけじゃない。しっかりとお互いの心に向き合い、寄り添うことが必要だった。必要だったが、できていなかった。知らず知らずのうちに彼女に甘え、驕っていた心が『フローラを守る』などという自分勝手な気持ちを生み出し、結果、彼女を傷つけてしまった。
さらに、イーサンは先ほどから胸を締め付ける恐怖の正体を悟る。父パパスが殺される前、彼はラインハットの街でいつものようにイーサンに笑いかけてくれていた。それが最後に見せた彼の笑顔。……イーサンは今、最愛の妻の笑顔をも永遠に失おうとしていることに気付いてしまった。
膨れ上がる痛みと恐れが心の薄皮を突き破り、堰を切ったように涙が溢れだした。
「え……ちょっと、泣いていますの? ねえ……!?」
「ごめん……ごめん、フローラ……!」
「あ、あああ……そんな、泣かせるつもりでは………! ごめんなさい、言い過ぎましたわ……! ああ、イーサンさん、お、落ち着いて……!!」
岩場に移動し、その日陰にイーサンたちは座り込んだ。いくらか落ち着いたものの、胸の痛みと涙は収まらない。
「俺は、怖かったんだ……フローラを失うのが。幼いころ目の前で父さんを殺されて……そんな奴らが、意外にも近いところにいるって知って。……弱気になってた。次はフローラが狙われるかもしれないって思うと……」
「そう……ですよね」
「ラインハットが教団に襲われてるってわかった時も、思わず君を遠ざけた。そのことで君が傷付いたってわかったのもついさっきのことだ……。そして、ラインハットの惨状を見てしまって……。俺の身勝手な気持ちは、エスカレートしていった……。フローラの笑顔が奪われるのだけは、許してはいけないって……」
「気持ちは、わかります。わたくしを守るために、イーサンさんが体を張ってくれていたことも。でも、それをひとりで抱えるのは、不公平じゃありませんか……。怖い思い、不安な気持ち、それを隠されて。何でもないように、乾いた笑顔を浮かべて……。わたくしは、辛かったですわ」
フローラの言葉が肩にのしかかり、イーサンは顔を伏せた。
「わたくしは、親を殺されたことも、奴隷として扱われたこともない。のうのうと生きてきた女です。貴方の気持ちも分かってあげたいという想いはあります。……でも、でも逆に考えてみてください」
「……?」
「貴方がわたくしを置いてラインハットに向かったとき、魔物と遭遇して、ひとりで前線に走っていったとき……わたくしがどんな気持ちだったか分かりますか?」
そのときの、フローラの気持ち……?
数秒の後、イーサンは両目を大きく見開いた。
「あっ……!!」
「そうです、同じです! イーサンさんの顔、もう二度と見られないかもしれないって、本当に、本当に怖かったのですからね!!」
「そうだよ……そうだよな……」
「それに、今朝のことだって! 朝起きて……いえ、嘘です。いつものように、その……貴方の腕を探していたら……いたら! ベッドが空になっているのですよ? どれだけ驚いて、焦って、不安になったと思いますか! 澄ましたような書置きを読んで、わたくしは頭に血が上るということを始めて経験しましたわ! そんなの……嫌になるに決まっているじゃないですか……」
彼女は顔をしかめ、拳を握りしめた。その姿に、またも胸が痛む。
「うぅ……ごめん……。本当に」
項垂れるイーサン。出来ることなら、身勝手な考えしかできないこの頭を、この場でボコボコに殴り倒して消えてしまいたい。そう思った。
「でも……」
フローラが改まる。心なしかその声色は柔らかく感じた。イーサンは頭を傾け、彼女の顔を覗き込む。
「わたくしも、その……言い過ぎました」
「フローラ……」
「貴方がそんなに焦っていて、貴方の心がそんなに追い詰められていたなんて……わたくしも気付いていませんでした。イーサンさん、平気を装うのが上手なんですもの。ちょっとの違和感しかわからなくて……わからないから、いらいらしてしまって……。怒りすぎました。ごめんなさい……」
フローラが頭を下げる。側頭部のリボンがふわりと揺れた。
何と言葉を返すか戸惑っていると、彼女はそっと、イーサンの手を握りしめた。
「でも、いつも貴方は……わたくしを守ろうとしてくれる。1年半前の夜、サラボナの屋敷からわたくしを強引に連れ出してくれたときから、貴方の根本は変わっていないのですね」
「……」
「今回はこのように……悲しいすれ違いになってしまったけれど。わたくしはその、危なっかしいほど真っ直ぐで、大切な人のためなら力ずくでも周りを引っ張っていく。貴方のそんなところが結局、たまらなく好きなのです」
すとん。と、彼女の言葉が胸に響いていく。ぐちゃぐちゃに荒み切った心の砂漠に、一滴の水が落とされたように。
「……もう。何か言ってください。恥ずかしいですわ……」
「え、あ。えっと、じゃあ……その……?」
「はい」
彼女は握りしめた手を、そのまま胸に当てがった。彼女の鼓動と体温が、静かに伝わってくる。
「わたくしはイーサンさんが好きです。大好きです。これまでも、これからも。貴方の元を離れる気などありませんわ。だから……これで仲直りとしましょう?」
「あ……」
強張った体と表情が、緩んでいくのを感じた。きっと今、それこそ彼女にしか見せられないくらい情けない表情をしているのだろう。そして止まりかけていた涙も勢いを取り戻していく。
「フローラぁ……」
「だからなんで泣くのですか!? 情緒不安定過ぎですわイーサンさん!!」
フローラがタオルを差し出そうと道具袋に手を入れ、弾みで中身をひっくり返してしまった。ふたりは慌ててそれらを拾い集める。イーサンは涙を拭いながら、フローラは頬を赤らめながら。再び噛み合った呼吸の歯車はゆっくりと回り出し、照り付ける陽光よりも柔らかいぬくもりでふたりを包んでいった。