蒼穹の花嫁 ~ドラゴンクエストⅤ:parallel~    作:イチゴころころ

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こんばんは。イチゴころころです。今日から日曜投稿開始です。改めてよろしくお願いします。
今回は久々にフローラがたくさん喋って嬉しいです。



ジャミってさぁ……ほんとおいしい役どころにいるよね……。何がとは言わないけどさぁ……。





7-7. デモンズタワー② フローラvsジャミ

 

 

「お喋りしようや……フローラ王妃」

 

 目の前の男、宣教師ジャミを見上げるフローラ。その男は一見、柔らかい顔立ちの中年男性でしかない。しかしその正体、黄土色の法衣に身を包んだ男の正体は当然イーサンから聞かされていた。13年前、イーサンの父パパスをなぶり殺し、つい数ヶ月前はラインハットを壊滅寸前に追い込んだ邪悪な魔物。如何なる術を用いてか姿を人間そっくりに変身させていて、その身体はあらゆる攻撃をかき消す不思議な加護に守られている。かのゲマに並ぶ、イーサンの因縁の相手である。

 

「フローラ、フローラ。フローラ嬢ねぇ……。サラボナ領主ルドマン家のご令嬢にして、現グランバニア王妃。改めて考えるとゴッテゴテの肩書きだなァ。そんなやんごとなき身分の方には、ただの水なんて無礼にも程があったか?」

 

 ジャミはテーブルに置かれた杯を拾い上げ、部屋の隅の棚まで歩いていく。

 

「やはり酒かい? ルラフェンから持ってきた極上の一杯があるぞ? 西の大陸出身なら聞いたことはあるんじゃないか? 通称“人生のオマケ”ってな。もしかしたらもうお飲みになられたことがおありかな?」

 

 頬に伝う汗を感じながら、フローラは現状を必死に整理していた。『夢見の花』の催眠作用と呪文によってグランバニア王宮が無力化されたとき、フローラは教団の刺客が自身と子供たちを襲いに来ることを“虫の知らせ”が如く察知した。なぜそれが予知できたのか自分でもよく分からないが、そのお陰でモーリッツが扉を開けるすんでの所でメイドとノウェル・イヴを隠れさせることに成功する。姿を見せた大臣としばし問答を繰り広げた末、しびれを切らした彼の“ラリホーマ”を受けて意識をなくした。

 

 目覚めたときにはこの部屋の、今座っているソファにもたれるように横たわっていて、目の前で奇怪なマスクを耳に当てていた宣教師ジャミと対面することとなる。

 

「(きっとここは教団の拠点……。どのくらい眠っていたかはわからないけれど、イーサンさんが来てくださっているらしいし、そこまで遠くはなさそうね。もしかしたら例の、森の奥なのかしら)」

 

 寝起きの頭を必死に回転させ、目の奥がちりちりと痛む。

 

「(それにこの感じ……きっとわたくしを狙ったのはイーサンさんをおびき寄せるため。でも何のために? それに今頃グランバニアは……ノウェルとイヴは無事なのかしら。……いえ、いえ。そこは今考えるべきことではないわ。今わたくしが考えるべきことは――)」

()()

「……っ!」

 

 ドスン。という音と共に杯が目の前に置かれる。妙に凄みのある声色で声を掛けられ、思わず悲鳴を上げそうになったのを何とか堪えた。

 

「ここまで徹底的にシカトされるとさすがの俺も傷つくんだがな。それとも何かい? 今頃この塔をいっしょーけんめいに登っている旦那さんなんてどうでも良いってことなのかい?」

「……ぃ…、え……」

 

 ジャミの見開かれた両目。見た目こそ人間ではあるがその奥からは決定的に何かが違う、どす黒いものを感じた。心臓が早鐘を打っている。半開きになった自分の口の奥からは、かたかたと歯がぶつかる音が聞こえた。

 

「(――今、わたくしが考えることはとにかく生きること。イーサンさんは来る。()()()())」

 

 別に手足を拘束されている訳ではない。しかし今のフローラは丸腰。武器であるグリンガムの鞭はもちろんのこと、そもそも着用しているのが寝間着として使っているネグリジェ一枚なのだ。もっとも、装備が万全だったとしてこの化け物には到底敵わないだろう。向こうもそれを承知の上で拘束などしていないはずだ。

 

「(イーサンさんは……どんなにボロボロになっても来てくれる。そういう人だから……。だからわたくしも、どんなに無様でも、不格好でも、今この場を生き延びる! そして……そしてひとつでも多くの情報を、教団の秘密を暴いて見せますわ!)」

 

「……あ?」

 

 苛立たしげにテーブルの端をタップしていたジャミは、目の前の女性がようやく口を開こうとしていることに気付く。しかしフローラが発したのは短い嗚咽。同時に、彼女の両目から涙が零れた。直前までのきりりとした表情から一変、フローラ自身も己の惨めすぎる姿に気がついたようだ。

 

「あ、ぇ……?」

「……はっ。おいおいなんだそりゃ! なあなあなあなあ、今何て言おうとした!? つい今し方まで『あなたには負けません屈しません』みたいなツラぁしてたよな!? どんなご立派なことのたまおうとしたんだよフローラ王妃サマよぉ!」

 

 フローラの視線が泳ぎ、口元はわなわなと震え始めていた。

 

「いや待て言うな、当ててやる。どうせあれだろ? 『イーサンが助けに来てくれる』とか『わたしはどうなっても構わない好きにしなさい』とか、そんなようなつまらん台詞だろう!? 実際に出てきたのが喉の鳴る滑稽な音と惨めな涙となっちゃあ、格好もつかないがなぁ! 今頃頑張ってるイーサンに示しがつかんとは思わんのか!? なあ、なあ、なあ!!」

 

 フローラの表情が悔しさに歪んだ。堰を切ったように大粒の涙が溢れ出す。

 顔を背けようとするフローラの顎を、ジャミは大きな手で鷲づかみにした。

 

「――んぅっ!?」

「いいぞ、いいぞフローラ王妃。思った以上に面白い逸材だ。単なる囮のはずが、思わぬ出会いに恵まれた。いいか、俺は高慢ちきなニンゲンが、てめぇの弱さにずぶずぶ溺れる様を見るのが好きなんだ。もっと見せてくれや、麗しき淑女の醜い本音というものを」

「うぁ――!?」

「ほうら死にたくないだろう? 今の俺は見た目こそ弱っちいニンゲンだが、ちょこーっと力を込めればお前の頭を花を摘むようにちぎり取ることができるんだぜ?」

「う、ううううう――!」

 

 ついにフローラの両目がきゅっと閉じられる。押し出された大量の涙が目尻から溢れ、彼女の頬を掴んでいたジャミの指先をくすぐった。

 

「し……しにたく、ない――」

「もっと、大きな声で、聞こえるように」

「しにたくないっ! わたくし……しにたくないです! う、うああああああ……!」

 

 フローラから零れ出た悲鳴。ジャミは心地よさそうに目を閉じ聞き入る。

 

「しにたく……ない、です。こんな……こんなはずじゃ、なかったのにぃ……」

「ふぅン、こんなはず、ねぇ……。続けて?」

「教団と……敵対するなんて、知らなかった……! グランバニアを、背負わないといけなくなる、なんて! しらなかった……! わたくしはただ、あの人と幸せに旅をしたかっただけなのに!」

「……ほう?」

 

 ジャミは目を細め、部屋の出入り口の方を見た。扉の向こうには何の気配もなく、件のイーサンがここに来るまでにはまだまだ時間が掛かりそうなのは言うまでもない。

 

「(……情報じゃあイーサンの野郎とは相当な信頼関係があるってはずだったが、こりゃとんでもない道化が現れたもんだなぁ。アイツ、口八丁で騙してまでこの女と結ばれたかったのか? それとも、噂のルドマン家の家宝っつぅ――)」

「こんなことになるのだったら……家宝も渡さなければよかった……! 天空の武具を、それも、()()()()()……」

「あぁ?」

 

 思わず手を離した。拘束から逃れたフローラは苦しそうに咳き込み、その両目からはなおも涙が流れている。

 

「おいフローラ。今何て言った?」

「え――」

「天空の、『武具』だぁ? それも『全部』って言ったなぁ? 全部ってそりゃあ、『(つるぎ)』と『兜』と『盾』のことだよなぁ?」

「……!」

「答えろ。ゲマ卿の掴んだ噂じゃあルドマン家が隠し持っているのは『盾』としか言われていなかった。ルドマン家はそれだけじゃなく、剣と兜まで持ってたってのか!? しかもそれをイーサンにくれてやったと? そうなんだな!?」

 

 フローラは口をきつく結び、瞳を震わせながら小さく頷いた。

 

「それはァ!!」

「ひっ……」

「それは今、どこにある? イーサンの野郎がわざわざ持ちっぱなしって訳でもないのだろう?」

「ぐ、グランバニア平原の東……旧グランバニア城跡……」

 

 ジャミの口角が吊り上がる。たった今自分は教団の大目的のひとつに単身で辿り着いたのだと、そう考えると笑みを零さずにはいられなかった。

 

「ふ――はははははははははははっはははははははははは!!」

「え……ぁ、わ、わたくし、いま……!」

「そのまさかだフローラ王妃!! お前はたった今、絶対に漏らしてはいけない情報を、絶対に漏らしてはいけない相手にぶちまけた! てめえの弱さに屈し、俺という恐怖にひれ伏し、夫とその父親の、何年だか知らねェが積年の努力をぶっ壊してくれちゃったのさぁ!!」

「――……」

 

 ジャミは見た。フローラの両目から光が失われつつあるのを確かに見た。これだからニンゲンは面白いのだ。奴らがしばしば口にする誇りだの気持ちだのといった低次元な概念など、ほんの少し脅すだけで簡単に瓦解する。この瞬間がたまらない。『子を想う親の気持ち』なんかよりも見ていてよっぽど良いものだ。

 

「ぁ……。あ、……」

「でもまあ、気にすることはないぞフローラ王妃よ」

 

 フローラの白い肩に手を置いた。もはや震えることもなく、壊れたからくり機械のようにぽろぽろと涙を流すだけの彼女の顔。その耳元でジャミは囁く。柔和な顔立ちに似合った、不気味なほど穏やかな声色で。

 

「どのみち君を騙して旅に連れ出すような男だ。裏切ったとて気に病むことは無い。君を先に裏切っていたのは彼なんだからな」

「……」

「君を囮にヤツをおびき出し、この手で始末して王に成り代わる。それが今回の計画だった。でも実はその先があってね。イーサンに擬態したままルドマン家……君の実家を訪問し、お邪魔な領主をも始末する。そうしてようやく『天空の盾』を手に入れられるって算段だったのさ」

「え……」

「おやおや、そんな顔をするんじゃあない。他でもない君の情報提供のお陰で、君のご両親にまで手を掛ける必要がなくなったんだ。喜べよ」

「で、も……それでは」

「だがそれも俺の気分次第といった所かな。イーサンは殺すぞ、邪魔だからな。だが俺がイーサンに成り代わった後、君の実家に“ごあいさつ”に行くかどうかは、俺の気分次第……。というより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だなぁ」

「……!」

()()()()?」

 

 力なく俯くフローラ。もう顔を覗き込まなくても分かる。彼女の心はたった今、完璧に折れた。

 

「じっくり考えておけよ。どう振る舞うべきか。俺は俺でやることができた。魔物どもとグランバニアの連中を遊ばせてる場合じゃない」

 

 通信用の呪いのマスクを手に取った。たった今グランバニア軍と戦っている部隊の進路を変え、イーサンが隠したという天空の武具を取りに行かせる。そうしたらジャミは天空の武具の『残るすべて』を教団に捧げたことになる。教祖様はさぞお喜びになるだろうし、いけ好かないゲマをも越える立場を手に入れられるかもしれない。

 

「あー、あー。聞こえるか野郎ども。いいか、今すぐ……」

 

 呪いのマスクを耳に当てたジャミが言葉を切る。俯いていたフローラは思わず顔を上げた。ジャミはマスクを下ろし、振り返らずに声を出す。

 

「…………旧グランバニア城跡、って言ったよな。隠し場所」

「……」

「そこって確か、『試練の洞窟』って場所じゃあなかったか? 魔物も闊歩する危険なダンジョン」

「……!」

「そんな場所に、イーサンが武具を隠した? ()()()()()()()の合間に、わざわざ隠したってのか? なあ――」

 

 振り返るジャミ。

 ――フローラが片手を振り上げこちらに駆けてきていた。

 

「な……!?」

「――“メラミ”!!!」

 

 彼女が手を振り下ろし、火球が爆裂する。

 ほぼ至近距離で放たれた火の呪文は、熱風となってフローラの髪をなびかせた。そして――、

 

「あうっ!?」

 

 爆風を割るように伸びてきた腕がフローラの首を掴み、華奢な身体を軽々と持ち上げた。

 

「……んんー、なんとまあ」

 

 黒煙が晴れるとそこには変わらず、黄土色の法衣をまとった宣教師の姿。フローラを締め上げる右手の甲には微かな火傷の跡があるものの、先ほどの不意打ちに文字通り動じていない様子だった。

 

「どこから嘘をついていたんだ? ん? フローラよ」

「か……ぁ、う」

 

 必死に爪を立て、足をばたばたと動かしても、首にかけられた指の力は一向に緩まない。

 

「まあ、最初からだろうなぁ。『こんなはずじゃなかった』ってとこから。さしずめ、あることないこと語り散らかしてこの俺を陽動するためのハッタリだったってことだな。あぶないあぶない、ほんっとに、抜け目のない女だこと」

 

 ジャミの指に力が込められる。苦痛に叫びだしそうになるが、締め上げが強すぎるからか声も出ない。

 

「残念だったねえフローラ。愛する夫を貶めるようなハッタリまでかましておいて、てんで通用しなかったのだから。なかなかに迫真の演技だったぜ? 娼館でもうまくやっていけそうじゃないか」

 

 視界の端が黄色く染まり始め、指先に力も入らなくなってきた。目の前のジャミは当然そんなこと気にもとめず、空いた方の手で顎をさすっている。

 

「てか、じゃあやっぱりルドマン家の家宝は『天空の盾』のみってことになるのかね? それは今イーサンが持ってるのか? それとも、それこそちゃんと隠したのか?」

 

 ジャミはこちらを見てもいない。フローラは飛びそうになる意識を集中させ、手のひらの先に再び火球を作る。しかし、

 

「ま、どっちでもいいかそんなこと」

 

ふいに、フローラを締め上げていた右手が離された。何でもないような、飲み干した酒瓶なんかを投げ捨てるような動作。そんな軽々しい動作でフローラの身体は宙を舞い、部屋の隅にあった石造りの柱に激突した。

 

「ぁ、ぐ……!?」

 

 鈍い衝突音と共に、柱にヒビが入る。黄色くなりつつあった視界が白く点滅し、フローラは受け身も取れぬまま床に頭から倒れ込んだ。

 

「決めたぞ。イーサンを殺して擬態したあとはお前の実家にいこう。くだらないハッタリでこの俺をコケにしようとしたお前に敬意を表して、夫も、両親も、目の前でこの俺が殺してやることにする」

 

 かつかつと、ジャミの足音が近づいてくる。しかしもう顔を上げる力は残っていない。それでもと、フローラは震える指先を動かそうとする。

 

「なあなあどんな気分だ? そんなにボロボロになって、必死に取り繕った大ハッタリもスカして。俺に一矢報いることもできずに惨めったらしくぶっ倒れるのはさぞおくやしいことだろうなァ! なあなあなあ!」

 

 ジャミの笑い声を聞きながら腕に力を込めた。重たくなった頭をなんとか持ち上げ、上体を起こす。そして、消え入りそうな声で、フローラは呟いた。

 

「て……『()()()()』、は……」

「……あ?」

 

 

 

「『天空の鎧』は……既に教団の、手の中に……ある。……そう……ですわね……?」

 

 

 

「お前、なぜそんなこと――」

 

 言いかけてジャミははっとした。先ほどの会話でジャミは天空の武具のことを『剣』、『兜』、『盾』とだけ言って問い質した。しかし本来、天空の武具は『鎧』を含めた4つ。その言葉選びと、他でもないジャミの食いつきようから、『鎧』の所在を予測されてもおかしくはない。

 

「……たいした推理だがそれでお前に何ができる? どこに保管されているのかも知らないだろうし、知ったところでお前らが手にするのは不可能だ」

「いえ……推理、などでは、ありませんわ……。これはただの、……()()()()()()()

「……は?」

 

 ガクガクと震える肘を立て、フローラはようやく顔を上げた。額からは一筋の血が線を引いていて、ふり乱れた髪は片目を隠している。しかしその口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 

「どんな気分かと……おっしゃいましたね……お答え致しますわ……。わたくしは今、()()()()()()()()()()……。目の前の貴方が、教団が……“存外大したことない”って、気付けたのですから」

 

 ぴくり、と。ジャミの片眉が震える。

 

「今、なんつった?」

「『鎧』を保持していること……それから、『鎧以外』について、わたくしも拍子抜けするくらい……何も知っていないこと。……他でもない貴方が、懇切丁寧に教えてくださいました。だから……わたくしは今とても、気分が良いのですわ」

「てめ――」

「世界中に信徒を持っていながら、グランバニアに内通者を忍ばせていながら、貴方たち教団はその“繋がり”を何も活かせていない……。ハッタリを見抜いたなどと大層ご満悦の所申し訳ありませんが、わたくしの虚言が『ハッタリ』として成立している時点で、己のお粗末さの証明になっていますのよ。お気づきでなくって?」

 

 焦点の定まらない視界を上に持ち上げる。視線の先のジャミは両目を見開き、その口はぱくぱくと震えていた。抵抗する力などもはや一滴も残っていないが、気力を振り絞って口を開く。

 

「お望みのつまらない台詞を言って差し上げますね。――『イーサンさんは必ず助けに来ます』そして、『彼は絶対に負けませんわ』」

「なん――!」

「数分前までならただの惨めな虚勢だったでしょう。しかし今のわたくしには根拠があり、自信があります。わたくしという、こんな取るに足らない人間相手に出し抜かれて言い負かされる。……そんなお馬鹿さん相手に、わたくしのイーサンさんが負ける道理がありませんから――!」

「――」

 

 直後、フローラの視界は不自然にかち上がる。天井と壁が一回転し、左半身を床に打ち付ける痛みを感じた。一瞬遅れてから鼻の奥に鈍痛が走り、そこでようやく自分が殴り飛ばされたのだと気付く。

 

「ぅあ……」

「――なんだ? オイ。なんだこれ。なんだこれは。……『敗北感』ってやつか?」

 

 首根っこを掴まれ再度持ち上げられる。ぱたぱたと床に滴ったのは、自身の鼻血だろうか。

 

「この俺が? ニンゲンに? いやいや、ねえだろ。そんな事実はなぁ、そんな事実はねぇんだよッ!!」

 

 ジャミの怒号と共に、再び頭部に衝撃が走った。壁か床か、石畳の何かが砕ける音が連続で響く。自分の身体がどうされているのかなどもうわからない。しかし痛みすらも感じなくなってきているのか、フローラの頭の中は幾分か冷静だった。

 

「(これで……これで良かったはずですわ……。本当の狙いがイーサンさんで、その彼が既にこっちへ向かっている以上、囮としてのわたくしの利用価値はとっくに終わり……。いつ殺されてもおかしくなかった。でも――)」

「もう頭ン中ぐるっぐるだろうが、簡単に失神してくれるなよ。()()()()()()。俺の気が収まるまで、ぐちゃぐちゃに嬲り潰してやる」

「(――でもこれで、ひとまず殺されずに済む。どんなにボロボロでも、確実に生きていられる。それに……わたくしの予想が正しければ……)」

 

 髪を掴まれ、引きずられているのを感じる。ごつんごつんと、むき出しの石畳に額を引っ掻かれながら、フローラは視線を動かしてジャミの方を見た。

 

「(……挑発、少しやりすぎちゃったな。だって許せなかったんですもの。怒られるかな……それとも少しだけでも、褒めてくださるかしら……。ああ、今は何よりも、はやく貴方に会いたいわ……イーサンさん……)」

 

 動かせなくなった自分の左手を見る。水のリングの輝きが、勇気を与えてくれたような気がした。

 

 

 





次回 《デモンズタワー③ ファースト・サーバント》

10/2(日) 18:00~更新予定


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