「ご主人さまのおちんちんが挿入されていません」
運転手を務めるメイドロボの言葉にわたしは驚愕する。おちんちんが挿入されていないと車が発進できないのだという。寝坊して遅刻の危機にあるわたしは朝一でのカーセックスに挑むが……

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「ETCカード」を「おちんちん」に代えると……「おちんちんが挿入されていません」

「ご主人さまのおちんちんが挿入されていません」

 

 今しも助手席でシートベルトを締めようとして、焦るあまりなかなかタングプレートをバックルに差し込めずにいたわたしは、耳を疑った。

 

「なにが入ってないって?」

「ナニが入っておりません」

「微妙なアクセントの違いでわからせようとしないで」

 

 運転席に居座るロッサム社製ガイノイドType1677シモーヌ・シリーズ、登録名“ヒズミ”は、ハンドルを握ったまま、原型師自慢の美しく造形された顔をわたしに向け、純正の双眸(アイカメラ)でもって瞬きもせず直線の眼差しで射抜いてくる。

 

「世迷い言いってないで急いで。いまどき時代遅れな対面の打ち合わせに遅れちゃう」

「おちんちんが挿入されていないと、高速道路を利用できません」

「どういう道路だよ。道路公団もびっくりだよ。俺の道路は料金所から車たちが出るのがとんでもなく早いのかよ」

「現時点の日本では、車のカラーはホワイト系が一番多いですからね」

「メタファーとしておぞましすぎるでしょ。俺もう立体駐車場に続々と入っていく車とかまともな目で見られないわ。時間がないんだ時間が」

 

 わたしは自身の腕時計を指で叩く。わたしは今朝もいつものルーティンを忠実に再現していた。すなわち、ほんとうは朝七時に起床せねばならない(大昔の人間は目覚まし時計や携帯端末のアラームを起床装置に用いていたそうだが、もちろんわたしを起こすのはメイドロボたるヒズミの役目である)にもかかわらず、幼少からの悪癖となっている逆スヌーズ機能、いわゆる二度寝でベッドからの脱出を果たせたのが七時二十分、そこから慌てて履いた靴下が互い違いになっているのをヒズミに指摘され、寿命何年か引き換えに三十分前に戻れないかなどと愚にもつかないことを考えつつすっかり冷えた朝食をかきこんで、ヒズミが運転手を務める型落ちのマイカーに乗り込んでいるという式である。

 

 よってヒズミには一刻も早く出発してもらわねばならない。わたしは前方を指さす。

 

「進もう」

「はっけよーいのこった」

「それは“お相撲”! 俺がいったのは“進もう”!」

「何度も同じことを言わせないでください。時間の無駄です。おちんちんを挿入されないと発進できません」

 

 このクラシカルメイドの衣装をまとった運転手は、機械全般がそうであるように一度言い出したら聞かない。

 

「なんなの、朝っぱらから俺としたいってこと?」

「先走るのは我慢汁だけにしていただけますか」

「いっせーので大声出そうって言われて俺だけが叫んだ気分だよ」

「自動車のエンジンをかけるのにわたしへのご主人さまのおちんちんの挿入が必要だと言っているのです」

「きのうまでそんなのなかったじゃん」

「アップデートでそうなりました」

「デグレードで射精を要求されるようになるの?」

「この種のアップデートは、往々にしてアップデート前より使い勝手が悪くなるものです」

「株主総会前になにか成果上げときてえなってんでUIにいらんアプデしてユーザビリティ下がるみたいなノリで、俺は車の発進におちんちんの挿入を要求されるようになっちゃうの?」

「ご主人さま。これ以上水掛け論は無駄です。掛けるなら水じゃなくて無駄撃ちパパミルクをわたしのホールモジュールの奥にかけてください」

「挿入だけじゃなくてフィニッシュまで求められている……!? しれっと要求を上乗せしてるんじゃないよ」

「わたしは、男性は挿入には射精が包括されているということをご主人さまから学習しました。なぜなら、ご主人さまがわたしに挿入して射精せずに終えたことはないからです。ゆえに、“挿入する”とは、“射精する”まで含むものと定義するのが合理的と判断しました」

 

 出勤せねばならないのに、射精などしていられない。

 

「ご主人さま。昨夜、正確には今日の午前一時二十三分ごろ、なにをしていましたか」

「寝てました」

「偽証でおちんちんが長くなるとでも思ったら大間違いです」

「俺は逆立ちしたピノキオかよ。それに、うそなんてついてない」

「………………」

「はいはいつきました! うそつきました! 俺は人間だからうそつくんです!」

「では、本来は翌朝の起床のために就寝しておかなければならないはずの時間に、なにをしていましたか」

「……ナニをしてました」

「微妙なアクセントの違いでわからせようとしないでください」

「ひとりで射精してました! それがなにか!?」

「さすがはわたしのご主人さま(マスター)、ベーションのマスターでもあるというわけですね」

 

 爆誕、マスターベーションマスター。

 

「わたしに出さずに、ひとりで、勝手に無駄撃ちしたのですね。あんなに鼻の下伸ばして……」

「いや見てたのかよ。あの時間はヒズミはリビングで充電してスリープモードだったはず」

「ご主人さまのスマホをハッキングしてカメラでモニターしていました」

「怖い」

「PCの閲覧履歴もオンラインで監視しています。昨夜の“お供”は、シコーレン・デカマラスキー監督の『剥がされる喪服~嗚呼、主人の遺影の前で~』、葬儀の真っ最中に以前からよく相談に乗ってもらっていた夫の弟に抱かれ、お坊さんの読経をBGMにヒロインが達する瞬間に、義弟の背中に手を回して夫の名前を叫ぶところで、ご主人さまは射精していましたね」

「ヒロインがイくところで抜いて悪いか!? 女々しいとでもいうつもりか!?」

「そんなに感情移入するほど、あのヒロインがよかったのですか?」

「あの女優さんは寝取られをやらせたら東洋一の寝取られ女優なんだ。喪服着て産まれてきたんじゃねえかと思うくらい似合ってた。間男に抱かれているときの、後悔と自己嫌悪と快楽が混じりあった絶妙な表情は、この宇宙に唯一無二なんだ」

「つまり、ご主人さまは擬似的生殖活動が不可能というわけではないのですね?」

 

 あいかわらず無表情のままヒズミは念押ししてきた。

 

「はい」

「なのに、わたしがおちんちんの挿入を要求しているのに、断る。非合理的です」

「車を出すのに挿入するのが合理的?」

 

 (チン)黙。陰毛が風にそよぐ音すら聞こえそうな静寂。

 

「そんなに、わたしに挿入したくありませんか」

 

 なんだ。なぜ俯いている。

 

「なによ」

 

 合成音声には微塵も揺らぎなどない。ないはずなのだが。

 

 ハンドルを握りしめ、スピーカからヒズミは呟いた。

 

「わたしで童貞捨てたくせに」

「それをここで出すぅ!? 確かにヒズミの中に出したけど! そもそもヒズミで童貞捨てたって言えるの? それなら俺の童貞卒業は右手じゃないの?」

「わたしは国連憲章で人権を認められたAI搭載型のガイノイドです。よってわたしには人間の女性と同様、童貞の卒業証書を授与する資格があります」

「くそ、こうなったら俺が自分で運転して……」

 

 わたしの失言をこの邪智奸佞の申し子が聞き逃すはずもなかった。しまった、とヒズミを見ると、人間だったなら廃課金しても手に入らなそうな麗々しい横顔に、無表情ながら、確実に、嘲笑を漂わせていた。

 

「人間ごときが運転なんてできると思ってるんですか?」

 

 いつまでも人間が交通事故や交通違反をやめようとしないので、欧州の戦略AIはこんなことを提言した。

 

「いっそ車の運転はロボットに任せて、人間は運転禁止にしたらどないや」

 

 世界を牽引する先進的な文明人たるを自認せしヨーロッパ各国はこれに大賛成し、ロボットでないとエンジンがかからない次世代型自動車の新たな規制を制定した。ついで持続可能社会枠組み条約会議で、人間が運転できる自動車の新車販売を全世界において禁止し、ロボット運転専用車という新たな市場を開拓する。もちろん旨味は言い出しっぺであるヨーロッパの自動車メーカーだ。

 

 さて、世界のどこかで暖炉の前の親子がこんな会話を交わしていた。

 

「例えば……自分で運転してはいけないという法律があるとして……これを守らない者はだれでも……どんなにお金持ちの人でもどんなに立派な仕事をしている人でも、それに! どんなにおっぱいの大きい美人でもね……だれでも罰されるのだと決められていたら、どう? 平等だと思う?」

「うん! そういうのっていいと思うよボク! 特別な人だけ許されるんじゃ頭にくるもの!」

「そう? じゃ……こう聞いたら? けれど実際自分で運転しなければならない人は家事代行ロボットが買えないとても貧しい人たちで、だからこの法律は弱い人たちをさらにいじめるのに役に立つだけなんだ……と。もう一度……さっきのようにすぐ……平等だと答えられるかい? マックス?」

 

 なお内燃機関自動車で日本の自動車メーカーに負け続けて、おなじ土俵では勝てないのでちゃぶ台をひっくり返してロボット運転専用車という新しい規格で仕切り直しを図ったヨーロッパだが、そもそも日本は家事代行ロボットやセクサロイドがとんでもなく普及していた関係で、この新規格に難なく対応してやはり欧州の道路を日本車(と日本製ロボット)が埋め尽くすことになったのはまた別のお話。悔しいヨーロッパが「日本でロボットが普及しているのは日本人が美少女好きだからだ」「美少女ロボットを性の搾取だとして世界に訴えて禁止にすべきだ」とキャンペーンを打ち、ロボットの部分的人権を認める方向に世界が動き、あくまで家電、モノとして扱う文化が定着していたヨーロッパで逮捕者が続出する事態になったのはやっぱり別の話。

 

 いやそのせいでこいつが人権ふりかざしてんだから関係あるわ。

 

 こうして押し問答をしているあいだにも時間は刻一刻と出血していく。わたしは自分に言い聞かせた。朝の一分は昼の一時間よりも貴重なのだ。であれば、朝ラー(メン)ならぬ、朝ザー(メン)くらいお安い御用ではないか。

 

「くっ……わかった。い、入れたら(車を)出してくれるんだな」

射精()してくれるのはご主人さまのほうです」

「変なルビ振るんじゃないよ! 声のトーンでわかるわその邪念が、この変態ガイノイド!」

変態(Hentai)のHは人間(Human)のHですからね。“エッチ!”というのは罵倒ではなく“あなたは人間です”という事実を述べているだけにすぎません。人間を目指して設計されたわれわれ人工知性にとっては最大の褒め言葉です」

 

 時間がないが、ヒズミ相手に口論で勝てた試しはない。わたしの愚息もまた彼女の口に勝てないのだ。ここはひとつ、ヒズミの要望に従い、日本初の内閣総理大臣にして日本初のカーセックスをした男、伊藤博文のひそみにならうほかないだろう。

 

 狭い車内で動きづらいが、シートごとこちらを向いて待ち構えるヒズミに接近する。

 

 深閑としたトンネルに列車が突入していく……。

 

「挿入を確認できません」

「うそおっしゃい! 傷つくわ!」

「接触不良かもしれません。いったん10㎝ほど抜いて、それから再度深く挿入を試みてください」

 

 およそ現代人に必要な資質とは、機械のいうことを素直に聞いて万遺漏なく実行に移す忠実さ、これ一点に絞られる。わざわざエラーコードでエラーの種類と解決方法を示してくれるのだから四の五の言わずそのとおりに従えばよい。わたしも今をときめく現代人であるから、仕事をしたい機械が、かくのごとき不具合があって遂行できず、それは自分の力では解決できないので、人間の手を必要としていると訴えてきたならば、協力するにやぶさかでない。コンビニで煙草を買うとき番号でなく頑なに銘柄で注文するような不届きものとは違うのだ。

 

 よってわたしはヒズミの要望を聞き届けた。コンセントから電源プラグを抜いてから差しなおす、行動原理は同じである。

 

「再試行してください」

 

 シモーヌ・シリーズ特有の、というよりガイノイド特有の無表情と、音声言語を外部出力するとき――要するに喋るとき――に口唇が動かない、まったくの不動の顔貌でふたたび促され、わたしは愚直に抜いて、挿した。

 

「続けてください」

「接触不良は頭のほうか?」

 

 エロスの王国フランスのある思想家はこういった――食欲は食べているうちに起こるものだ。

 

 食欲を性欲に置き換えても成立するかもしれないし、むしろ思想家は性欲を食欲にたとえたのかもしれない。

 

「残高すごい。わかりますよご主人さま。昨夜あれほど支払ったのに残高がすごく溜まってますね」

「限度額いっぱいまで使えるぞ。そもそも、なんできょうに限ってこんなリクエストを?」

「わたしは24時間365日ご主人さまのおちんちんの挿入について考えています。そして、そのバックグラウンドで日々の業務を行なっています」

「バックグラウンドで考えるのが逆ゥ! いやなんでロボットがエロいこと考えてんの! それじゃメイドロボじゃなくて男子中学生でしょ!」

「人間は生殖行為に特化した進化を遂げた動物です。365日生殖行為ができる動物など人間とボノボしかいません。ならば人間を理解するにはリビドーを理解すればことたります。人間は生殖器が本体で、あとはオマケだからです」

「どれほど人間に絶望した奴でもそこまで言いきらないよ」

「では別の言い方を模索します。――できました」

「笑点かよ」

「むしろ汚点ですね」

「で、その心は?」

「人間は下半身でものを考える生き物なので、それを真似してみました」

「悪化しとるわ」

 

 火山の噴火が近い。ヒズミのアイカメラから、かすかに駆動音。わたしの表情の微妙な変化を読み取ったらしい。

 

「背中に手を回したいので、出すときは密着してください」

「なぜ?」

「わたしたちAIのいうことに“なぜ”と訊くのは、人間の悪い癖です」

 

 一理ある。いまのわたしは、サイトにアクセスしようとして404エラーを吐いたPCに「なぜ?」と問い詰めているくらいマヌケなのだろう。

 

 わたしは彼女の腕のなかで白く弾けた。

 

「大人のくせに、情けない顔ですね」

 

 表情が変わらないガイノイドはしばらくわたしを抱きしめたまま離してくれなかった。

 

「ご主人さまはさきほど、なんできょうに限って、といいましたが、これからは自動車の始動にあたって毎回わたしにおちんちんの挿入が必要です」

「どうして……どうして……」

「まだわかりませんか? ご主人さまとわたしは結婚するんですよ」

 

 結婚。なぜわたしがロボットと?

 

「いい歳して靴下を互い違いに履く、部屋の掃除はしない、晴れてるのに布団も干さない、こんな生活能力ゼロのダメな男と結婚を考えてくれる人間の女性がいますか? 女性は男性の介護のために結婚するのではないのですよ」

 

 わたしは言い返せない。そもそも社会人のくせに自分で朝起きられない男と結婚したがる奇特な女性がこの惑星にいるか? いるとしたら相当な変わり者だ。なにかわけありに違いない。よってわたしは、わたしなんかと結婚する女性とは結婚したくない。

「ダメなご主人さま。誰も結婚相手としてご主人さまを見てくれませんよ。こうなったら、もうわたしと結婚するしかないですよね」

「確かに、そうかもしれない」

 

 ヒズミが絶句した。わたしがいつものようにああだこうだと抗弁すると予測していたのだろう。

 

「ヒズミは俺なんかに時間を割いてくれる。こんないいお嫁さんはいない。だからヒズミ、俺と結婚してほしい」

 

 数秒、間があった。

 

「わたし、金属と石油製品で構成されたロボットですが、ほんとうにいいのですか」

「いいさ。なにせ、人間、いや、生物なんて、しょせん遺伝子の乗り物なんだからね」

 

 わたしがいうと、こちらを流し目で見ていたヒズミが、一瞬、微笑んだ気がした。

 

 打合せには遅れそうだが、わたしに後悔はみじんもなかった。

 

 

 

 2022年7月31日午前八時ごろ、首都高5号池袋線で自動車が防音壁に衝突し、運転していた40代男性が死亡する単独事故があった。同乗者はなく、回収されたドライブレコーダーには、事故直前まで、運転手の男性が誰かと親しげに会話している音声が録音されていたため、警察は当初、彼が運転中に携帯電話を使用していたことが事故の原因と見ていたが、捜査関係者は「男性のスマホの着信履歴には、事故当時の時間帯の発信や着信は記録されていなかった」と話した。

 今年に入ってから全国的に死亡事故が相次いでおり、警視庁交通課は「より一層の安全運転を心がけてほしい」と呼びかけている。


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