年末の中山、咲き誇る桜は誰が為に

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王の凱旋桜

 そのウマ娘を目にしたとき、真っ先に思い浮かんだのは「とても勝てる要素は無い」だった。

 他者を貶すなどあってはならないことだが、そうとしか思えなかった。

 未熟で出来上がってもいない身体、ピッチは遅く、ストロークは狭い。フォームはガタガタ、腕の上げ下げ、地面の蹴り方、何一つとっても速く走れる要素が無かった。

 飛ぶ様に、稲妻の様に、速いウマ娘を形容する言葉はいくらでもあるけれど、遅いウマ娘を形容する言葉を私は持っていなかった。

 いえ、例え持っていたとしても、その言葉は口に出来ない。それは全く一流に相応しくない振舞いだから。

 何より、とても楽しそうに走る彼女に、否定的な言葉など全く似つかわしくなかった。

 

「ハルウララだよー!!」

 

 同室の彼女はそう名乗った。天真爛漫が服を着て歩いているようなウマ娘。それが第一印象だった。

 

「キングちゃんはお嬢様なの? すごいねぇー!!」

 

 疑う、と言うことを一切知らないようなまっすぐな瞳。よく言えば、純真。悪く言えば単純。その二文字が両方似合うウマ娘だった。

 そんな彼女と過ごしていて分かった事。それは彼女は必ずしも、レースに勝ちたいと考えているわけではないといこと。

 もっと言えば、何か考えてレースを走っているというわけではないのだ。

 ただ誰かと走るのが好きだから。ただ走るのが好きだから。

 彼女が走るのはそんな理由。

 端的に言って、エリートぞろいのトレセン學園にどうして入学出来たのか、首を傾げるざるをえないウマ娘だった。

 理事長の肝いりだったという話だが、そんなものが何の意味を持つのか。

 実力無ければ、結果を残せなければ、この世界から消えていく。

 当時の私はそう考えていた。だから彼女もその内消えるだろうと思っていた。

しばらくして、私はぱっとしないまでもそれなりの結果を残すようになった。だがそれではだめなのだ。私は一流のウマ娘、キングヘイロー。誰もが認める結果でないと意味がない。

 

「キングちゃんはいつも一生懸命だねぇ」

 

 その言葉に、当然よ、と返した覚えがある。何せ周りは名だたるウマ娘ばかりなのだ。特に私の同期は粒ぞろい。『黄金世代』なんて有り難くも重々しいフレーズを頂くぐらいだ。

 勝ちたくないのかしら?

 そう問いかけた私に、彼女はきょとんとした表情で、応えた。

 

「うーん、皆と一緒に走るのは楽しいよ?」

 

 首を傾げる彼女は、私の言葉を理解してはいない。彼女は勝つことを知らない。だから勝利への執念が無い。周りのウマ娘からすれば、いや、同世代の友人たちからしても呆れる様な内心。

 自身とは正反対な心。

 ただひたすらに一着を、一流を目指す自身とは全く別の道。けれども、その時の私にそれを批判する気は無かった。むしろ羨ましいと、心のどこかで思っていたかもしれない。

 

 

 

 それからしばらくして、それなりの結果を残すようになった私。けれどもそれでは駄目なのだ。それなり、では一流ではない。それではただのレースが上手いウマ娘で終わってしまう。

 私は一流を証明しなければいけないのだから。

 その時の私は、ただ我武者羅に勝利だけを望んでいた。勝てば、大きなレースで勝てば一流になれると、そう思い込んでいたから。

 

「キングちゃん、最近怖い顔してるね」

 

 彼女にそう言われた時、私ははっとした。おそら理由は分からないだろう、だが、彼女の純真さは時として異様な勘の良さを見せる。

 

「そう、かしら」

「うん。こーんな顔してる」

 

 そう言って、自身の両目を指で吊り上げる彼女。それが怖いと言うよりおかしくて、思わず笑ってしまった。

 

「あ、やっと笑ってくれた」

 

 ほっとしたような声。その言葉に、そう言えば最近笑ったことがなかったと思いだした。勝つことばかり、一流を証明することばかり躍起になって、心の余裕なんて少しも無かった。

 駄目ね、周りに悪い影響を与えるなんて、一流のやることではないわ。

 自身を解してくれた少女に感謝しつつ、そう言えば、と思い出す。

 

「そうそう、ウララさんも掲示板に載ったんですって?」

「うん、5着だったんだー」

「そう、おめでとう」

 

 これは心からの称賛だ。勝つどころか、上位に付けることすらできないと言われていた彼女が、掲示板に載る。これだけでもとてつもない快挙だ。

 

「ありがとー!! でもね、キングちゃん。その時の私、変だったんだ」

「変、とは?」

「前の子の背中が見えてた。もう少しで届きそうだった。いつもならね、そこで満足してた。でも、その時の私ね、その子を『追い抜きたい』って思ったんだ……結局追い付けなかったんだけどねぇ。それでね、そのあとね、トレーナーに言ったんだ。『楽しい』より『追い抜きたい』が強かったって。これって変だよねって」

「……トレーナーはなんて言ったのかしら」

「『何も変じゃないよ』って。『それは成長してる証だよ』って。変だよね? 私背がおっきくなったわけでもないのに」

「いいえ、変ではないわ。むしろ素晴らしい事よ」

「そーなの?」

「ええ。勝ちたいと望むことは誰にでも出来る。でもいざ本番になって、実力見せつけられた時、本当に最後までその気持ちを持っていられるか。それは誰でも出来る事ではないわ。ウララさんはゴールするまで、前を走る子を追い抜きたかったのでしょう?」

「うん」

「追いかけてる間、どうだった?」

「すっごく胸がどきどきしてたよ。いっぱい走って苦しい筈なのに、不思議と力が湧いてきた。自分の身体じゃないみたいに、手も足もどんどん動いたんだ」

「そう……強いのね。貴方は」

「? 5着だったよ?」

「ふふ、走る速さではないわ」

 

 ああ、なんと羨ましい事だろう。ただ我武者羅になる余り、ただ苦しみしか感じていない自分に対し、目の前の少女は、純粋にレースに臨んでいる。余計な思考など一切持たない、ただ目の前のウマ娘を抜き、或いは置き去りにして、一番にゴール板を駆け抜ける。

 無駄な思考など一切要らないと言わんばかりの走り。それはある意味、強者にのみ許された走り方。

 自身とは違う。

 

「……格好悪いわね、私」

 

 そんな彼女に比べ、自身は一体何をやっていたのだろう。どうやって勝てば一流の証明になるのか、どんな勝ち方をすれば一流の証明になるのか、どのレースに勝てば一流の証明になるのか。

 そんな事ばかり考えていた。

 レースに集中できていないのはどちらだったのか。

 自嘲を込めたその言葉に、しかし彼女は首を横に振った。

 

「ううん、キングちゃんは格好いいよ」

「あら、ふふ……お世辞でも嬉し……」

「お世辞じゃないよ。だって、キングちゃんの走り方はカッコイイもん」

 

 いつもののほほんとした顔とは違う、普段見せない真に迫った表情。

 

「私ね、キングちゃんの走る姿、いつも見てたんだ。絶対に首を下げない。すっごく前の子と差が開いても、絶対無理って言わない。最後の最後まで諦めない走り方、私ね、大好きなんだ。キングちゃんにしか出来ない、キングちゃんだけの走り方だよ」

 

 真っすぐに、私を見つめそう言い放つ少女。その言葉に、ふと肩が軽くなるような錯覚を覚えた。

 ああ、一体自分は今まで何をしていたのだろう。

 一流の証明だなんだと、一体それは誰に対して言っていたんだ。

 私を見ない者に、私の一流が判るものか。

 私を「令嬢」と見ている者に、私の、キングヘイローの一流が判るものか。

 

「だからね。私、キングちゃんと走りたい。大好きなキングちゃんと大好きなレースに出れたら、きっともっとドキドキ出来ると思うから」

 

 どこぞの一流ウマ娘の娘ではない。どこぞの令嬢ではない。

 私と。このキングヘイローとレースがしたいと彼女は言った。

 彼女の純粋さが、これほど嬉しかったことがあろうか。胸中に湧き上がる熱。歓喜か、それとも熱狂か。

 

「―――勿論、受けて立つわ」

 

 彼女と同じく、いつの間にか瞳に縁に付着した雫を払いながら、私は応えた。

 そこからはトレーニングの毎日だったと聞いた。

 私達が選んだレース、それは年末の有馬記念。ファンの人気投票で選ばれたウマ娘達が集う、夢のレース。

 よりにもよって、何故それを選んだのか。

 理由は簡単だ、私、キングヘイローは『自身』の一流を証明するため。そしてハルウララは『一流のキングヘイロー』とレースをするため。

 それを発表した時、一番最初に浴びた言葉は『無謀』だった。

 短距離を主戦とする私に長距離は厳しいが、それ以上に、ハルウララはダートを主戦としているウマ娘だ。バ場すらあっていない。

 有馬記念と言う芝長距離のレースとは正反対の適性を持つ彼女に課されたトレーニング。それは通常のトレーニングとは一線を画していた。

 ハルウララから『有馬記念に出たい』と告げられた時、トレーナーは小さく微笑んで頷いただけだったらしい。まるで彼女がそう言いだすことが分かっていたかのように。

 それからトレーナーは変わった。普段は優しく、保護者の様に接していたトレーナーは、それ以降一切の笑みを見せなくなった。

 以前の飽き性のハルウララであれば即座に投げ出していたであろうトレーニングの数々。

 だが今の彼女は必死に食らいついていた。保健室に担ぎ込まれたのも一度や二度ではない。見かねた周囲がトレーニングを止めたのも一度や二度ではない。現に挫けそうなときもあっただろう。そんな時、トレーナーはどうしたか。

 手を差し伸べた? 優しい言葉を吐いた? そんなことはしない。

 トレーナーは一言、ハルウララに言うだけだったのだ。

 

―――キングヘイローが待っている―――

 

 全くもって嬉しい事を言ってくれる。ターフに寝転がりながら、荒い息をつきながら、キングヘイローはそんなことを思った。

 ハルウララと彼女のトレーナーによるトレーニングの噂は耳に入っているし、実際に目にしたこともある。

 常軌を逸していたとはあのことを言うのだろう。そしてそれを熟すほどの覚悟をもって、レースを目指しているのだ。

 ならば、それに応えるのが一流の定め。

 スプリンターからステイヤーへ。その転向はそうそう出来ることではない。

 だが不可能ではない。無理無茶無謀の三拍子を熟せれば、だが。

 

「ウララさんに、情けない姿は見せられないわ」

 

 そんな言葉を自身に投げかける。休むか? というトレーナーの言葉に、まだ行けると返す。彼女は、ハルウララは限界を超えて私に挑んでくるのだ。

 ならば、こちらもそれに応えねばならないと言うもの。

 

「限界の一つや二つ、乗り越えてやるわよ。私は一流のウマ娘、キングヘイローなのだから」

 

 内心から湧き上がる熱に突き動かされるように、私はトレーニングを再開した。

 

 

 

 そして迎えた当日。パドックには綺羅星の如く輝くウマ娘達が勢ぞろいしている。総大将、怪物、逃亡者、帝王、名優、不沈艦、怪鳥、仰々しい二つ名を備えたウマ娘ばかりだ。

 そしてその二つ名に劣っているウマ娘など存在しない。勿論私もその中の一人だ。和気藹藹としていながらも、心地よい緊張感の空気の中、誰しもがこれから行われるレースへ気をやっている。

 自身が負ける姿を思い描くウマ娘など一人もいない。

 

「キングちゃーん!!」

 

 そんな中、まるで周りの空気に頓着しない声が響く。緊張感の欠片も抱かない声。

 

「やっと一緒に走れるねぇ!!」

「ええ、この舞台を楽しみにしていたわ」

「私も私も!! 有馬記念でキングちゃんと一緒に走りたかったからすっごく嬉しいよ!!」

 

 本来、有馬記念はファンによって選ばれたウマ娘が走るレースだ。実績と可能性、その二つを併せ持ったウマ娘の舞台とも言える。だから以前のハルウララ―――ただ単に走ることを楽しんでいただけのウマ娘―――にとっては無縁のレースと言える。

 だが今の彼女は違う。遅咲きながら元来の根性で勝利を捥ぎ取ってきた。ファンは着実に増え、積み重ねてきた実績も悪くは無い。

 だが所詮そこ止まりだ。『悪くは無い』と『立派』は同義ではない。

 そしてハルウララは本来ダートの短距離を主戦場にしていたウマ娘。芝長距離の有馬記念とは何一つ噛み合わない。自身がダートが苦手なのと同じだ。

 では、実績も大したことが無く、ましてやバ場・距離適性が合わないウマ娘であるハルウララが選ばれたのか。

 端的に言って「盛りあげ要員」だ。

 観客とは難儀な物で、レースを見世物としている以上、そこに何かしらのアクセントを要求する。かつて無敗の三冠ウマ娘やスーパーカーの二つ名を持ったウマ娘が「勝ちすぎてつまらない」と言われたように。

 そんなわけで、実際の所、観客の誰一人としてハルウララの勝利は求めていない。ただ適性を無視したウマ娘が出場したらどうなるか、ある種観客たちの好奇心の被害者と言えるだろう彼女。

 だが、当の本人は元より、私もそんなことは微塵も思っていない。

 

「まったく、へっぽこね」

 

 今日この場で初めて彼女を、ハルウララを見た観客たちにはわからないのだ。彼女が苦手を克服するためにどれほどの艱難辛苦を越えてきたかを。

 どれほど泥に塗れ、傷を負ってきたかを。心身を削り、寝食を削り、倒れる寸前までいった彼女のトレーナーの努力を。

 

「キングちゃんといっぱいトレーニングしたもんね!!」

「ええ、実に実りある時間だったわ」

 

 実際、長距離が苦手な私にとっても、彼女のトレーニングを通して得る物が有った。気付けばほぼ共同トレーニングといっても過言ではない程、互いに切磋琢磨し合った。

 

「今日はね、キングちゃんにありがとーって言おうと思ってたんだ。全然勝てなかった私といっぱいトレーニングしてくれて。でもね、やっぱりやめたんだ」

「あら。どうしてかしら?」

 

 えへへーと暢気の笑う彼女。いつもなら真っ先にお礼の言葉を口にするであろう性格の彼女にしては実に不思議なことだ。

 問いかける私に、彼女は笑みを崩さないまま、言い放つ。

 

「だってねぇ」

 

 空気が、変わった。

 

「キングちゃんへのお礼はね、キングちゃんに勝ってから言うよ。だってそれが何よりのありがとうだと思うから」

 

 笑顔は変わっていない。いつも通り、力の抜ける笑顔だ。だが違う。今までののほほんとした雰囲気ではない。

 ぞわり、と背筋が粟立った。そしてそれは自身のみでは無かった。

 パドックで思い思いに過ごしてたウマ娘達が、全員動きを止めた。自身と同じ、ウマ娘だからこそわかるのだ。

 ああ、強敵が居るぞ、と。

 一分の油断も出来ない化け物が居るぞ、と。

 栗毛の怪物が、静かに笑みを深めた。不沈艦が犬歯も剥き出しに笑っている。逃亡者が目を細め、総大将は両の手で握りこぶしを作った。名優が、ゴールではなく彼女を見つめた。

 そして自分もそのうちの一人だ。知らずの内に唇の端が吊り上がる。はしたないと分かっていても止める事など出来ない。

 だって、目の前にとても素晴らしい好敵手が居るのだから。

 

「そう。ではお礼の言葉は貰えないわね。だって、このレースで一番になるのは、この私なのだから!!」

 

 熱に当てられた内心は、荒唐無稽な言葉を吐き出した。長距離適正の無い自身が、よりにもよって化け物達の集う長距離レースで一着になるなどという世迷言。

 でも不思議なことに、その時の私は出来る、と確信していた。

 そしてそれは目の前の彼女も同じだった。

 

「えっへへ~!! 負けないよぉ!!」

 

 彼女が拳を突き出した。私もそれに拳をぶつける。これ以上の言葉は要らない。あとはレースで応えるだけだ。

 私達を見つめていたウマ娘達が、思い思いにゲートへと向かっていく。その背中に先ほどまでのどこかリラックスした雰囲気は微塵も無い。

 あるのは全力でお前たちを叩き潰してやると言わんばかりの空気。

 ああ、とても素晴らしい。

 皆仲良く、なんてレースなんていらない。

 結末の分かりきったレースなんて要らない。

 泥に塗れ、汗を流し、無様に、不格好に、息も絶え絶えに。そして周りより小さじ一杯分でも力を絞り出し。

 レースが終わればその場に倒れ伏す無様さを見せる様な。

 全身全霊のさらにその先を目指すようレースを、この場に居る全員が求めている。

 さぁ、観客の方々、準備はいいかしら。

 最高のレースを目にする権利をあげるわ―――。

 

 





キングの脚って細いよね……

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