一歩、あなたの方へと踏み出して   作:宵地

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一歩、きみの方へと踏み出して

「ねえ、なんで星って綺麗なんだろうね。ほら、星っていつでも見られるし、たくさんあるから貴重なわけでもないだろう?それなのにどうして、綺麗だと思えるんだろう。何か、変わることがあるわけでもないのに」

 

 見ていた星空は、とても綺麗だった。人工の光は足元で控えめに光るランタン以外はここになかった。澄んだ空気に適度な気温、月のない空は星を見るには絶好だった。

 他に誰もいない場所で、俺は彼女と言葉を交わす。星のこと、昔のこと、今のこと。話す話題には事欠かない。なんでもない話をふたりでしていて、それはその延長線上の言葉だった。

 見上げた星は確かに綺麗で、でもなんで綺麗だと思えるのかちょっと気になった。ただそれだけの言葉だったけれど、彼女は難しい顔をして考えているようだった。

 

「ああ、難しく考えなくてもいいよ。適当なこと聞いちゃったな、ごめん」

 

 なんだか申し訳なくなってそう伝える。特に意図のない言葉に付き合わせるのには心苦しさがあった。次は何の話をしようかと考えていると、遮るように彼女は言った。

 

「いえ……ちょっと待って。ちゃんと考えれば、わかると思うから」

 

「……うん、わかった」

 

 彼女は存外真剣に考えているらしかった。邪魔するのも本意でないので、彼女なりの答えを待つことにする。どうして星が綺麗だと思えるのかなんて俺にはわからなくて、すぐに考えるのを止めてしまった。彼女はこの星々を見て、何を思うのだろう。それにはとても興味があった。長いこと星を見てきた彼女なら、きっといい答えを導けるのではないかと思った。

 

 黙りこくって考える彼女を待つ間、手元の図鑑を眺めていた。星座について、星の大きさについて、星と地球との距離について。色々なことが載っている図鑑のページをめくると、今度は星の寿命についてのページだった。

 

「そうね……」

 

 彼女はようやく何か見つけたらしい。聞こえた前置きに合わせるようにして図鑑から目を離し、彼女の言葉に耳を傾ける。じっと動かず、彼女の答えを待っていた。

 

「星は、どれも同じように見えて、その実どれもが違うもので。特別なものがあって、そうではないものがあって。どれも身近でありふれたもので、でもどれもが輝いていて。そんな風に、星は私達が生きてきた日々にどこか似ているから。だから綺麗だと、そう感じるんだと思うわ」

 

 言いながら、彼女は星を仰いでいた。俺も同じようにして星を見る。彼女の言葉はどこか詩的で、でも実感がこもっていた。ずっと星を見てきた彼女には、それだけ身近なものなのだろう。彼女が星に抱いた想いはきっと誰よりも真剣で、誤魔化しのないものだった。

 

「……ごめんなさい、喋り過ぎたわ。忘れて」

 

「そう?俺は素敵な考え方だと思ったけど。……そっか、アヤベはそんな風に考えるんだね」

 

「……あなたは、どう思うの?」

 

 ちょっと卑屈だった彼女の言葉に返すと、今度は幾分か都合の悪い言葉がやってきた。何も考えていなかった俺に残った選択肢は、正直に白状することだけだった。

 

「俺?俺は、そうだなぁ……これといった答えはないかな。でもアヤベの考え方は素敵だし、俺もそう思った。……うん、そうだ。星は確かに日々に似てる。星だって、ただそこにあるわけじゃなくて。ちゃんと生きて、輝いているんだね」

 

 言われてみれば星と日々はよく似ていた。どちらも懸命な輝きだった。どちらも手は届かないけれど、いつでもそこにあった。過ごした日々も、浮かぶ星も。静かな夜の帳の中でこそ、見ていたくなるものだった。

 自分なりに感じたことを付け加えて喋りを終えると、視界の端の彼女はこくりと一度頷いてそのまま黙ってしまった。どうしたのだろうと隣を見ると、彼女は遠くを見てひとり何かを考えているようだった。それは彼女にとって大事なことに見えたから、俺は黙って待っていることにした。

 

 見上げた夏の星空。そこは雲も月もない、ほんとうに綺麗なひとつの世界。

 そんな世界で夏の大三角をなんとか見つける。デネブ、アルタイル、ベガで構成されたその三角は有名な夏の風物詩。アルタイルとベガはそれぞれ地球から十六光年と二十五光年。デネブに至っては千四百光年も離れているらしい。ひとつだけ遠く離れた星は、それでも三角で結ばれている。そういうところも似ているなと思った。その年月の離れとは関係なしに、日々もきっとどこかで繋がっている。遠い昔のとある日が、どこかの日に繋がって、そうして動き出せたことがあったように。どんな日だっていつかの日と繋がっているものだった。それこそ、星座みたいに。

 

 俺は、どうだろう。眩しいほどに輝く星は、だからこそ容赦がなかった。

 あの彼方の星が、わずかずつでもその身を燃やしているのだったら。そうして、変わっていっているのだったら。俺の日々にも、ちゃんと変化はあるのだろうか。そうだとは、とても思えなかった。だって、星はあんなに懸命に見えるけれど。俺は、ちっとも――

 

「あの……聞いて欲しい、話があるの。自分でも全部わかっているわけではなくて、ちゃんと伝えられるかわからないけれど。それでも、聞いて欲しいことがあって……」

 

「……わかった。ちゃんと聞くから、とりあえず話してみてよ」

 

 話しかけられた声に引き戻されて、俺はそちらを優先する。彼女の声は少し震えているようで、これからする話はきっと大事なものなのだと予想がついた。星を見ながら俺は待つ。彼女も同じ方を向いていた。

 

「あなたは……あなたは、ずっと私についてきてくれたわ。ついてきて、待っていてくれた。私のことをちゃんと見てくれていて、すぐそばにいてくれた。ほんとうに、返すことなんてできないくらい、多くのものをもらったわ」

 

 彼女の口から出てきた言葉は、俺への感謝のようだった。ゆっくり、一言ずつを大事にするような声音は彼女がどれだけ本気でそう思っているかが伝わってきて、ただ嬉しかった。彼女はひたすら頑張って言葉を探していた。喋って、止まって、また喋って。そのおぼつかない繰り返しを、彼女の心ゆくまで聞いていた。

 

「私はそのどれもが嬉しくて、大切だった。……あなたにとってはただのお仕事だったかもしれないけれど。私にとっては、かけがえのない日々だった」

 

「ううん、そんなことはない。あの時間は俺にとってもかけがえのない、とても大事なものだよ」

 

 話の腰を折らないよう静かに聞いているつもりだったけど、そこで声を出してしまう。そこだけは、譲れなかった。それを見過ごしてしまったら、いよいよ終わりだったから。

 俺の言葉に半分驚いて、でも半分予想していたみたいなそんな曖昧な反応をして、彼女は少し長めに言葉を切った。それで全部かなと思ったけれど、彼女はまだまだ言い足りていないみたいで言い淀みながらも言葉を繋ぐ。

 

「……だから、私はあなたのことがわかりたかった。なんで私にそうしてくれたのか。あなたは、どんな人なのか。ちゃんと、自分でわかりたかった。でもこうやって何度も会って、話しても。やっぱりわからないことは多くて。あなたは私のこと、ちゃんとわかってくれているけれど、私にそうはできなかったわ」

 

 最後に悔しさを滲ませて、彼女はそこで一区切りした。そういえばあのお願いがどういう理由のものだったかは知らないままだった。なるほど、月に一度のひとときにはそういう意図があったのだなと今更ながら納得する。

 

「ずっと考えて、悩んでも、確かな答えは私になくて。あなたのこと、どう思っているのかもわからないままなの」

 

 自分に向けているみたいに、静かな声で彼女は言った。言い聞かせるようなその声にはどこか力強さがあって、いつもの彼女とは違っていた。

 ふぅ、と覚悟を決めたように彼女は小さく息を吐く。どうしたのかと俺が横を向くより、微かに震えた声が聞こえる方が早かった。

 

「ねえ、伯次(はくじ)さん」

 

 呼ばれて、驚く。彼女に名前で呼ばれたのは初めてだった。

 

「私を、あなたと一緒の家に住ませてくれないかしら」

 

 次いで聞こえた言葉も、あまりに突飛で、唐突なもので。

 

「私は、今よりもっとあなたの近くで、もっとあなたと時間を過ごして、そうしてあなたをわかっていきたいの」

 

 アドマイヤベガは俺に向き合っていた。お互い目線は空を向いていたけれど、それは間違いのないことで。その声は震えていたけれど、強い意志を内包した、なにより誇り高いものだった。

 

 全開のエゴだったその言葉は本当に彼女の言葉かどうか、疑ってしまうくらいだった。月に一度というあのお願いとは比べるべくもないその言葉は、どう考えても彼女が言えるはずのないものだった。だって、彼女はいつでも誠実だった。相手のことをちゃんと考えて、そうして向き合っているのが彼女だった。人を尊重して踏み出しきれないところは彼女の変わらないものなのだろうと、ずっとそう、思っていたけれど。でも今の言葉はそれを真っ向から乗り越えていた。

 

 息をするのを忘れてしまうくらいの衝撃だった。

 だって、その踏み出しは、その変わりようは、俺がずっと望んでいたもので。

 変わらないものなんてないのだと、彼女はそう言っているみたいだった。

 どうやって形容すればいいのかわからないくらい、感情はごちゃまぜだった。

 こういうとき、人はどんな表情をしているのか。鏡があるなら、見てみたかった。

 そっか、きみはちゃんと変わっていけるんだね。変わっていっているんだね。

 きみがそういう娘だって知っていたはずなのに、全然知らなかったよ。

 

「うん、わかった。断る理由なんて、どこにもないよ」

 

「そう……ありがとう」

 

 そんな淡白なやりとりで、話はようやく終わりを迎えた。彼女は長く息を吐き出した。大きな内容の話だったけど、結末はなんとも呆気ないもので。そういうのは俺達らしいのかもしれない。彼女はまだ、俺と関わって、一緒にいてくれるようだった。

 

 見上げた空に、未だ星は輝いていて。俺にはきっと、まだやり残しがあった。

 終わりが見えた夜に抗うように、星はひかり続けていた。空はわずかに白みがかかり、地平線の際は水色だった。俺は図鑑をバタリと閉じる。それが合図で、どちらからともなく立ち上がる。体をほぐしながら片づけを始める。ゆったりとした進行は、名残惜しさの表れだった。

 

「私、あなたのことが好きなのかもしれないわ」

 

 そんななか、彼女は何でもない風にそう言った。すぐにどこかへ流れてしまいそうなその言葉。俺はそっか、とそれだけ返した。それ以上の答えを、彼女が望んでいるとは思わなかった。それだけは間違えていないはずだった。彼女が返事を望むなら、もう一度、さっきみたいに向き合ってくれるだろうから。

 

「今度は、私が持つわ」

 

 そう言った彼女はランタンを手に取っていた。まだ明かりは必要だった。片づけが終わったこの場所には、俺達がいた痕跡は何も残っていなかった。

 

「じゃあ行きましょうか」

 

「そうだね」

 

 彼女は俺より前を歩いて道を照らす。後はこのまま、車に乗って帰るだけ。それだけだった。

 

 ……ほんとうに?

 

 そんな声が突然聞こえた。いや、違う。そんなのは嘘だ。

 今までずっと聞こえていて、知らないふりをしてたんだった。

 

 これでいいとは思えなかった。これで終わってはいけなかった。まだ俺には、やり残したことがあった。そんなこと、ずっと前から知っていた。

 

 だって、俺は何もしていなかった。いつも変わらず、ただ黙っているだけだった。

 俺からはまだ、彼女に何も伝えていなかった。

 

 いつもいつもそうだった。最後の最後で止まっていた。自分のことは伝えなくたっていいと思っていた。それは必要のないことだと、そう思ってしまっていた。きっとそれは間違いじゃない。必要のないことは存在するし、世の中の多くのものはそうだった。言ったってどうにもならないことはあるし、言わずともやっていけることはある。

 だけど、それは間違いじゃないだけで。そこからじゃないと、始まらないものだってある。

 きっと線引いてしまっていた。ここまででいいと決めつけてしまっていた。知ることも、聞くことも、言うことも、そうやって消極的になっていた。変わりたいと思っていながら、変わらなくても生きていけてしまうことに甘えてしまっていた。わかってはいた。だけど動けなかった。そこからずっと目を背けていた。ずっと変わらないままだった。

 

 でも、今日は違っていた。今日だけは違っていた。だって彼女は向き合ってくれた。踏み込んでくれた。彼女は大きく変わってまで、そうして俺に関わってくれたのだから。

 

 アドマイヤベガの言葉を聞いて、想いを受けて。見て見ぬふりなんて、できるわけなかった。

 

 このまま、ちっとも変わらずに。何もせず、ただ突っ立っているだけだなんて。

 それはあんまりにも、きみに対して失礼だった。

 

 息を吐き出して、それから吸い込む。

 ここで向き合えなかったら、いつまでたっても変わらないまま。

 ほんの少しでいい。誰に気づかれることもない、そんな程度のものでいい。

 たったそれだけでいいから。

 俺だって、変わるんだ。

 

「あのさ」

 

 立ち止まって、吐いた言葉は。

 思っていたより、あっさりと出てきて。

 

「ああ、いや。大したことじゃないんだ、ほんとうに」

 

 この言葉は、ほんとうに、大したものではなくて。

 

「大したことじゃ、ないんだけど……うん」

 

 わざわざ伝える必要なんてないくらい、くだらないものだったけど。

 

「代わりといってはなんだけど、俺からも君にもっと色んなことを聞いてもいいかな」

 

 それでもこうして、ちゃんと聞けたのは。思ったことを、伝えることができたのは。彼女に踏み出すことが出来たのは。

 間違いなく、俺のなかでの変化だった。

 

 背負っていたものが、ようやく降ろせたようだった。たったこれだけのことに、どれだけ時間をかけたんだろう。長いこと同じところで足踏みしていたけれど、やっと先に進めそうだった。

 

「え、ええ。もちろんいいけれど……でも、あまり意味はないかもしれないわ。だってあなた、私のこと、よくわかっているじゃない。何か聞かれても、あなたが知ってることしか答えられないわ」

 

「いいや、そんなことないよ。君がどんな理由で俺と会ってくれてたかも知らなかったし……ああ、そうだ。俺も君のこと、まだまだわかっていないんだ」

 

 確かに俺はきみのことをよく知っている。長い間ずっと見てきた時間は伊達ではない。それでも、やっぱりわからないことはある。きみはいつだって変わってゆくし、ちょっとしたことで変化は起きるものだから。まだまだ俺は、きみのことがわかっていない。

 

「ありがとう」

 

 一言呟いた言葉は、本心からの感謝。ずっと見ていた背はいつの間にか大きくなっていた。ランタンの光を掲げて歩く彼女は、出会った頃とはまるで違う。迷いなく進む姿は、どれだけ彼女が変わったのかわかるようで。一体どれだけ、この背に助けられたのだろう。

 

 懸命に生きれば生きるほど、人はどんどん変わってゆく。わかったはずのことはすぐに変わって、全部がわかることなんてきっとあり得ない。だから人のことをわかろうとするのは大変なだけで、必要のないことなのかもしれないけれど。それでも、もっとわかるようになりたいと思った。そうしようとすることは、何より大事なことだった。

 

 生きていくって、そういうことだ。

 

「帰ろっか、アヤベ」

 

 そうね、と彼女は言った。心の中で星に別れを告げて、ふたりで車に乗り込んだ。

 

 ふたりきりの車内に満ちるのは、やっぱりいつもの静寂だった。音楽もかけずに、ただ黙っているだけ。それがなんでか心地よかった。バックミラー越しに見た彼女は疲れているのか、力が抜けていて眠そうだった。昨日はあまり眠れなかったのかもしれない。彼女のことだし、それは十分有り得そうだった。

 

「……本当によかったの?もしかしたら、あなたに迷惑をかけるだけになるかもしれないのに。それに私、きっとすぐにはわからないわ。長い時間をかけることになると思う。それでも……それでも、あなたは待っていてくれる?」

 

 その言葉は、彼女には珍しく弱音だった。彼女はきっとたくさん悩んで考えて、そうしてあの言葉に至ったのだろう。変化は怠惰に生きるだけでは起こり得なくて、懸命に生きるからこそのものだった。

 アドマイヤベガはアドマイヤベガのまま、踏み出せるまでに変わっていた。でも彼女の真面目な本質は、きっと変わりきってはいなかった。急激な変化なんて起こることはまずなくて、俺達は緩やかに変わっていく。そんななかでも、ちょっとの勇気と決心で高い壁を越えることはできるから。彼女はそうして、俺に向き合ってくれたのだろう。

 

「もちろん。前にも言ったけど、待つのは割と好きなんだ。それに――」

 

 待っていてくれるかと聞かれたら、そんなの答えは決まってる。俺はそれにはっきり答えて、でも続く言葉は止めてしまった。

 ――それに、それだけ想われてるってだけで俺には十分すぎるから。

 なんて気障ったらしい台詞を吐けるわけがなくて、代わりに咄嗟に浮かんだ言葉で濁す。

 

 でも、それはいつものように必要がないから言わなかったわけではなくて。

 いつか、気づいて欲しいから。待っていれば、きみなら気づいてくれるだろうから。

 だからこそ、言わなかった言葉だった。

 

 だって、きみは間違いのない答えが欲しいわけじゃない。

 それを自分で見つけることが大切だと、そう思っているんだよね。

 

 もはや何と言ったのかもわからない言葉に彼女はどうやら納得してくれたようで、それ以上の言及はなかった。またバックミラーに目をやれば、どうやらそろそろ限界らしい彼女はうつらうつらと船をこいでいた。

 

「アヤベ、眠いなら寝てていいんだよ」

 

「じゃあ……少し、眠ることにするわ……おやすみなさい。また、明日」

 

 声をかけると、それがとどめになったようで彼女は本格的に眠るようだった。

 最後に一つそう言って、彼女は瞼を閉じる。おやすみと、そう返した俺の声は果たして届いていたのかどうか。そうして彼女は眠りに落ちる。やがて聞こえてくるのは彼女の寝息だけになった。眠る彼女はほっと一息つけたような、いくらか満足したような、そんな顔をしていた。きっと、それだけ頑張ったのだろう。

 

 いつだってきみは一生懸命だった。ただひたすらに生きていた。

 彼女の成長が、その生き方が、俺に希望を見せてくれていた。

 ずっと後ろから見ていたその背は、誰だって生きてゆけるのだと。

 迷いも苦しみも乗り越えてゆけるのだと、そう教えてくれていたようで。

 

 ああ、そうだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。

 俺はずっと、きみに導かれてたんだった。

 ずっと救われていたんだった。

 だけどそんなきみにできたことなんて、当たり前の微々たるもので。

 今までずっと、導かれてばかりだったから。

 だから、今度は俺が。ちょっとでも、きみに何か示せるように。胸を張って、隣に立っていられるように。そんな風に、変わって(生きて)ゆきたい。

 

 道はあるんだ、どこにでも。いつだって、誰にだって。そう示してくれたのは、他でもないきみだったから。ずっとそう示していてくれたから。だから今、俺はこんなにも生きている。生きていると、自信を持って答えていられる。

 

 瞬く星は空に消え、夜はゆるゆる明けてゆく。

 

 差し込んだ光は眩しくて、思わず目を細めてしまう。いつの間にか日の出の時間。今日という日はもう終わりらしかった。でもちょっとそれはもったいなかったから、もう少し今日を続けることにする。この日を終わらせてしまうには、まだ幾分か早かった。

 誰にするわけでもない我儘をして、今日この日を考える。始めに思ったのは、特別な日ではなかったということ。だって彼女には時間があった。悩んだ日、迷った日、きっとたくさん考えた日があって、それが繋がって今日になった。彼女がそうして積み重ねた日々は、確かに価値を持つ日々だから。その末が今日だったのだから、特別というのは違っていた。

 

 特別ではなかったなら。今日には果たして、どんな言葉が似合うだろう。

 

 そんなどうでもいいことを考える。必要のないことを考える。今日という日を表す言葉はなんだろうと、それだけを探している。その蛇足はいたく愉快で、なんでか不思議と笑ってしまう。こういうの、いつぶりだっけ。

 

 錆びついた歯車が回るみたい。ゆっくりじっくり考えて、そうして答えを出すことにした。窓から見える景色は色鮮やかで、止まることなく流れてゆく。窓をいくらか開けてみると、ぬるい空気が頬を撫でる。坂を上ってそれから下る。よろよろ道を右へ左へ。荒れた道、平坦な道。ふたりを乗せた車は揺れたり揺れなかったりして過ぎ去ってゆく。まだまだ道は長いんだ。行き止まりなんてもっと先。移ろう景色に目を向けて、まだ見ぬ何かを探していく。差し伸べるように手を伸ばす。

 

「ああ、うん。そうだな」

 

 一定のリズムを刻んでいた人差し指は、ハンドルに乗ってそのまま止まる。

 指先が空を切ることはなく、何かに触れたことを知る。またひとつ、得たものがあって。

 今日はどんな日だったのか、誰に聞かれることもない呟きで確かめる。

 

「今日は星の綺麗な、輝く夜の日だった」

 

 呟いたのは、そんな陳腐な映えない言葉。だけど忘れることのない言葉で、忘れることのない日だった。特別じゃなくていい。そうでなくとも大切に抱えていたい。何でもない日々だって、きっと輝くのだから。俺はそう信じている。心の底から。莫迦みたいに、大真面目に。

 

 それはきっと、とても素敵なこと。

 

 明けた夜の結論を得て、この日はとうとう終わりゆく。陽に照らされる道を進んで、その先にまた期待する。きっと楽しいことばかりではないけれど、もう大丈夫。どんなことだって乗り越えてゆける。笑いあってゆけるとも。俺は目を背けずに前を向く。これからに胸を躍らせて進みゆく。そうして明日に向かってゆく。そうしてこれから変わってゆく。

 

 そうして、俺は生きてゆく。一歩、きみの方へと踏み出して。




ここまでご覧くださった方、本当にありがとうございます。
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重ねてになりますが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
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