一歩、あなたの方へと踏み出して   作:宵地

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カレン対談

「お久しぶりです、アヤベさん!」

 

「ええ、久しぶりね。元気にしていた?」

 

 カレンさんは待ち合わせ時刻五分前にやってきた。やはり、これくらいが普通なのだ。彼女の姿が見えたのは私が到着してからしばらく経ってのことだった。今日は曇りで日差しが弱かったからよかったものの、これが快晴だったならなかなか辛かったかもしれない。

 手を振って近づいてきた彼女は帽子を深くかぶり、眼鏡をかけている。一応、変装なのだろう。それだけで彼女の存在感を誤魔化しきれるわけではないが、プライベートな時間を過ごしているということはアピール出来ている。現に今のところ注目されている様子もなかった。

 

「もちろん、カレンはいつでも元気ですよー。アヤベさんの方こそ元気でやってました?」

 

「私も問題ないわ。……そういえば、レースの方も順調みたいじゃない。よく見かけるわ」

 

 カレンさんは元気な声で私の言葉に返事をする。タフな娘だ。最近はよく彼女の話題を耳にすることも多く、ハードな日々を送っていることは想像に難くない。少し前にレースを数回走っていたはずだし次に向けた準備だってあるだろう。それでも疲れなんて一切見せないで明るく振舞うところは変わっていないらしかった。彼女は人から「カワイイ」と評されることが多いけれど、それと同じくらいパワフルな娘なのだ。

 

「アヤベさん、ちゃんと見てくれてるんですね。カレン、感激です♪」

 

「ちょっと、寄ってこないで……そりゃちゃんと見るわよ……」

 

 カレンさんの元気は本当にいつも通りらしく、昔みたいに密着しようとしてくる。しばらくぶりに会ったというのに、ぎこちなさなど微塵もない。寄ってこないでなんて言いつつも、結局はカレンさんになすがままにされてしまう。抵抗する気があまり起きないのは、それが無駄に終わると学習したからだ、多分。

 

「ほら、もう移動するわよ。いつまでもここにいるつもりじゃないでしょう」

 

「えへへー、ごめんなさい。アヤベさんと久しぶりに会えたのが嬉しくって」

 

 そう言うカレンさんをよく見てみると、幾分か背が伸びている気がする。時間は過ぎているのだ。当然なのだけどなんだか不思議な気分になる。見えていないだけで他にも変わったことはあるのだろう。彼女はまだ多感な時期なのだから少し見ないうちにガラッと変わってしまうことだってありえない話ではない。

 

 だけど、急にくっついてこようとするところみたいに変わらないことだってある。そういう意味ではこうされるのも悪くないのかもしれない。絶対、本人に言ったりはしないけど。

 

「えーっと、今日はアヤベさんお勧めのカフェがあるんでしたよね?」

 

「お勧めってほどじゃないけど、一度行ったことがあるし。そのとき食べたものも美味しかったからちょうどいいかと思って」

 

「じゃあ早速入っちゃいましょう!そこのカフェですよね?」

 

「ちょっ。急に手を引っ張るのはやめて……!」

 

 カレンさんの勢いに負け、手を引かれたまま店の前に躍り出る。待ち合わせた場所がカフェのすぐ目の前だったので、十歩と歩かずに足は止まった。顔を上げると目に入るのは二週間ほど前にも入ったことのある喫茶店。扉を開けるとカランカランと音が鳴り、私はそこに再び足を踏み入れた。

 

 今日は以前のように混んではいなかったので私たちはスムーズにテーブル席まで通された。曇りということもあり、窓際の席はともかく私たちの席までは陽の光が届いていない。上から吊るされているシャンデリアが暗すぎず、明るすぎない環境を提供していた。前に来たときは電気が通っていなかったのもあって目が向かなかったが、これもなかなかにお洒落なものだった。

 比較的奥の方の席に通されたことは幸運だった。誰に零すこともなくそう思う。カレンさんの知名度は本当に凄まじいので、外からの人目につきやすい席に通されたなら落ち着いて話ができるか怪しいところだった。

 

「んー、アヤベさん的におすすめってあります?どれも美味しそうで」

 

 お互い荷物を席の端に置く。テーブル席に向かい合わせになって座り、メニュー表を開いた彼女はそう聞いてくる。前回来たときにはあのパンケーキにすぐ決めてしまったのであまり他のメニューのことは知らない。有益なアドバイスは出来そうになかったけれどなんとか知っていることだけ簡潔に伝えることにした。

 

「そうね……私が前に入ったときは期間限定のパンケーキが……あ、まだあるわね。少なくともこのパンケーキは美味しかったわ」

 

「あー、確かにアヤベさんこういうの好きそう。じゃあカレンはこれにします」

 

「そう、じゃあ私も――」

 

 件のパンケーキを選んだらしい彼女に続いて、私もそれにしようかしら、と言いかけたとき。とあるものが目に入った。

 それは特に変わったところもなく、目立つように取り上げられているわけでもないただの抹茶パフェ。苺でもチョコでもなく、なぜだかそれが目についた。

 

「……私、抹茶パフェにするわ」

 

 気分だったのだろう。パンケーキはやめてなんとなくそっちを選ぶことにする。深い意味なんて特になかったのだが、カレンさんはそれが気になったようで目を丸くしてこちらを見ていた。

 

「え、意外です。てっきりアヤベさんもこれにするかと思ってました。ふわふわしたもの、好きでしたよね?」

 

「……まあ、好きだけど。それは前に来たとき食べたから、今日は別のにしようと思っただけ」

 

 端的にそう返す。カレンさんは私の説明に納得したのか、それ以上の追及はない。なんだか急に暑くなった感じがして手元に置いてあったお冷を大きく一口飲んだ。

 それからちょっと迷って、彼女は飲み物の注文を決めたようだった。カプチーノとアイスコーヒー。前者がカレンさん、後者が私のだ。

 

「そういえばアヤベさん大学生活はどうなんですか」

 

「そうね、今は――」

 

 彼女にはまだ馴染みのない大学というものに興味があるのか、はたまた上手い話題が思い浮かばなかったのか。そうして私のなんでもない話が始まる。大学生活といっても毎日目新しいことが起きるわけではないので、話すことの大部分は既に携帯で話していた内容と同じものだ。トレセンにいた頃と違って日常的に記憶に残るイベントや厄介事が舞い込んでくる環境ではないのだ。だからといってつまらないというわけでは決してないけれど。

 

「ご注文の品をお持ちしました」

 

 何分くらい話していたのだろう。話題もそろそろなくなりかけていたときのこと、店員の登場によって話は中断される。もともと大した話はしてないしちょうど良かった。ドリンクは違うけれど、テーブルに並ぶスイーツは前回と同じものだ。差異は抹茶パフェが私の前にあるということくらい。

 

「せっかくですし写真撮っちゃいましょう!もちろんウマスタには上げませんから」

 

「……一枚だけよ」

 

 やった、と彼女は小さく歓声を上げて、テーブル上にあるお皿やらカップやらの配置を変えてからスマホを取り出して自撮りの体勢になる。こういう時でも意識が高いのはなんとも彼女らしい。私もカレンさんと同様立ち上がる。

 

「アヤベさん、もーちょっとこっちに寄ってください」

 

 カレンさんの言葉通りもう少しだけ体を彼女の方へ寄せてみる。ほとんど密着しているような形になってしまっているなか、いまだ慣れないピースサインを控えめに添えてカメラに目線を合わせる。同じ姿勢で待つこと、数秒。

 

 カシャリ。

 鳴った無機質な音と同時に緊張が解ける。写真を撮るというのはなかなかに重労働だ。現役時代は何十枚も撮られていたというのが噓のようで、写真一枚とるのにも気苦労が絶えない。

 

「うん、ばっちりです。今送りますねー」

 

 写真の出来に満足したらしい彼女はすぐに写真を私に送ったようでポケットの中が振動した。スマホを取り出して早速それを見てみる。やっぱりぎこちない様子の私と、対照的に慣れた様子のカレンさんが同じ一枚に写っていた。あまり写真に明るいわけではないけれど、パンケーキとパフェもきちんと映り込んでいるところに技術を感じざるを得ない。見ているとちょっと緩んでしまうくらい、それはとてもいい写真だった。

 

「それにしても、アヤベさんとこうして卒業後に会ったり、一緒に写真を撮れるようになるなんて想像できなかったなぁ。ほら、最初の頃のアヤベさん結構冷たい感じでしたし。こんな風に誘っても、あんまり乗ってこなかったじゃないですか」

 

 唐突に差し込まれた言葉は私にとって都合の悪いもので、口に含んでいたコーヒーがグッと苦みを増したように錯覚した。そのことを言われると、ちょっと弱い。逃げるように目線が下がって、声も小さくなってしまう。

 

「……それは、その……悪かったと思っているわ……」

 

「いえいえ、悪いとかじゃなくてですね。嬉しいなあって思ったんですよ。アヤベさん、自分に厳しすぎましたから」

 

 カレンさんは独り言を零すみたいにそう言った。カプチーノをかき混ぜていたスプーンがカップにぶつかる音が静まった空間に響く。過去を懐かしむような声音は、以前このお店で聞いたものとよく似ていた。

 

 だからか、彼と同じように彼女にも聞きたかったことが頭に浮かぶ。その実何度も聞く機会があったのに、いつもどこかで躊躇してしまい聞けなかったことが。聞くなら、こうして顔を合わせている今しかないと、そう悟った。

 

 ほぅ、と息を吐く。

 ため息ではない。わずかに纏わりつく躊躇いを吐き出すような、ちょっとした踏ん切り。そんな誰でもやる当たり前のおまじないじみた行為。それだけでも、思いのほか後押しになったりするものだ。

すぅ、と浅く息を吸って、口を開いた。

 

「ねえ、カレンさん。最初のころ……というより私の菊花賞が終わる頃くらいまで、私ってロクな態度をとってなかったでしょう。あなたにも、他のみんなにも。それなのにどうして、私のことを見限ったりしなかったの?」

 

 わずかに両手に力が籠る。気にはなってはいたが、聞くことを避けていた言葉を表に出した。

 こういうことを聞くのはあまり得意ではない。大事なことを聞くのは、少し勇気がいるから。

 きっとこれは必要なことではないけれど、それでも私は知りたかった。そういうことは気恥ずかしくても、弱みを見せることになったとしても、ちゃんと聞いた方がいいことだとわかっていた。

 

「そういうのって、やっぱり自分じゃわからないものなんだなぁ…………」

 

 カレンさんは少しだけ驚いたように目を見開く。肺の空気を押し出すようにして吐き出されたか細いその呟きは辛うじて私の耳に届いた。彼女の目は何らかの感情を帯びているように思えたけど、それが何なのかまではわからなかった。

 

「えっとですね、色んな人がアヤベさんに関わろうとしていたのに特別な理由なんてなかったんじゃないかなって思うんです。強いて理由があるとすれば、それは単純にアヤベさんが良い人だったからです。少なくとも、カレンはそう思います」

 

 カレンさんはコホンとわざとらしく咳ばらいをしてから姿勢を正して、当たり前のことを説明するみたいにそう言った。子供に向けて言うみたいにゆっくり、はきはきと。

 

「それは……おかしいわ。だってあの頃は自分のことでいっぱいで余裕がなかったし、それに人とは距離を置こうとしていたから」

 

「それとこれとは関係ありませーん!ほら、アヤベさん確かに頼み事とかは基本断ってましたけど、相手が真剣に頼んでたり、切羽詰まってたりしたらちゃんと助けてあげたりしてたじゃないですか。それに一度引き受けたら全力で物事にあたろうとしてましたし。そういうのって、案外見てくれているものですよ」

 

「そう、なのかしら……」

 

「はい、そういうものなんです。アヤベさんを知ってる人に『アドマイヤベガってどんなウマ娘?』って聞いたら、真面目で優しい娘ってみんな答えると思いますよ。現にオペラオーさんは大体そんな感じに言ってましたし……なんなら今度、他の娘にも聞き回ってみましょうか?」

 

「それは本当にやめて……」

 

 冗談なのか本気なのかわからない提案を却下して、そろそろ溶けそうになってきたパフェにスプーンを入れる。カレンさんの言葉はあまり釈然としないけれど、彼女の言うことなのだから間違ってはいないのだろう。本当にそう思われていたのだろうかという疑念が消えたわけではないけれど。

 

 返ってきた答えを受け入れて、私は少し考える。ずっと気になっていたことは聞けたものの、もうひとつあった疑問は遂にわからずじまいだった。私がどんな性格かなんて、後になってからわかることだ。じゃあ、彼は。身近にいたわけでもなく、私に近づく必要もなかった彼は。一体どうして、私に関わって、放っておかないでくれたのだろう。だって、彼が私に関わる動機なんて、これっぽっちもないはずだった。

 

「というかあなた、オペラオーと交流があったのね。少し意外だわ」

 

 堂々巡りの思考に出口がないことを知って、話題転換がてら気になったことを聞いてみる。今までカレンさんからオペラオーの話題が出てきたことはなかったし、逆にオペラオーからカレンさんの名前を聞いたこともなかった。私が学園を去ってから何かしらの繋がりができたのだろうか。

 

「あれ、言ってませんでしたっけ。カレンとオペラオーさん、今同室なんです」

 

「……うそ、でしょ……?」

 

 あまりにも唐突なその告白。スプーンを落としそうになるのをなんとかこらえる。そんなこと、今の今まで知らなかった。青天の霹靂というかなんというか、奇妙な縁もあるものだ。

 

「ホントですよー。ほら、オペラオーさんも前はハヤヒデさんと同室だったじゃないですか。アヤベさんと同時に卒業しちゃったから余った者どうしで部屋が組まれたんです」

 

「そう……あなたも大変ね、本当に」

 

「そんなことないですよ。オペラオーさんいつも賑やかで面白いし、退屈しません。……あ、そうだ。オペラオーさんから預かってる物があるんでした。お喋りが楽しくてうっかり忘れちゃうところでした」

 

 思わずしみじみとした声を出す私をよそに、カレンさんは危ない危ない、と言いながらガサゴソとカワイらしいバッグの中を探る。彼女はオペラオーと同室であることを苦に感じていないようだ。あのテンションについていけているのだろうか。カレンさんのことだから、オペラオーのことを適切に制御出来ているのかもしれない。私にはできない芸当だ。私がオペラオーと同室になったらノイローゼにでもなってしまうんじゃないだろうか。決して嫌いなわけじゃないけれど、一日中相手できるような娘ではないのだ、オペラオーは。

 

 待っているとカレンさんはようやくお目当てのものを取り出せたようで、その手には小ぶりの封筒が握られていた。嫌な予感が頭をかすめる。ちょっと待って、あれはまさか……

 

「じゃじゃーん。これなんですけ――」

 

「いらないわ」

 

「ええー!即答?!ひどくないですかアヤベさん。まだ中も見てないじゃないですか!」

 

「見なくてもわかるもの。……どうせ、自撮り写真でしょう?オペラオーの」

 

 間違いない。あの封筒の大きさから考えても、中身は写真だろう。オペラオーが何かを贈ってくるとその大体が自己主張の強いもので、自撮り写真はその代表格だ。毎度のことながら呆れてしまう。よくもまああんなに自分に自信が持てるものだと思いつつ、一方でその姿勢を素直に尊敬している自分がいるのも事実だった。これもまた、本人には絶対言わないけれど。

 

「……よくわかりますね。カレン、ちょっとびっくりです」

 

「毎回同じことをされたら流石にわかるようにもなるわ」

 

「へー……なんかいいですね、そういう関係。友情!って感じがします」

 

「はぁ……碌な関係じゃないでしょ、これ」

 

「えーっ、そうですか?お互い遠慮ないみたいでいいじゃないですか」

 

 カレンさんの言葉を聞いて、ため息が漏れてしまう。本気で言ってるのだとしたら呆れることこの上ない。あんな遠慮なくグイグイくるのは迷惑以外の何物でもないのだ。あれに助けられたことは確かにあったけれど、トータルで言えば迷惑と言って間違いない。

 

「遠慮はあった方がいいでしょう。親しき仲にも礼儀あり、と言うじゃない」

 

「ある程度の礼儀は必要だと思いますけど、でもやっぱり遠慮のない関係って良いものだと思います。だって遠慮ばっかりじゃ、距離は縮まらないじゃないですか」

 

「…………そうね。言いたいことは、よくわかるわ」

 

 含蓄の感じられる彼女の言葉に丸め込まれてしまう。売り言葉に買い言葉で返してしまったけれど、遠慮も何もなしに踏み込んでくれる人の大切さは身をもって体験していた。トップロードさんを始めとするみんなが私の葛藤に踏み込んでくれていなかったなら、私はどこにもいけなくなっていただろう。

 私が変われたのは、決して自身の力だけではなくて。近づいて、手を差し伸べてくれたみんながいてくれたからだった。

 

 カレンさんの言葉は私の深いところに入り込んできて、心がほんのり熱を持つ。ついつい昔のことを思い出してしまう。踏み込まれて、踏み込んで。そうしてお互いを高め合った。本当、私にはもったいないくらいの友人に恵まれた。

 

 でも、それにしたってオペラオーはちょっとやりすぎだと思うけど。

 

「確か、オペラオーさんとは連絡とってるんでしたよね?」

 

「一応ね、ほとんどあっちからくるメッセージに適当に返信しているだけだけど。他にはトップロードさんとドトウとか、その辺りとは普通に連絡を取り合っているわね」

 

「いいですねー、卒業してもちゃんと仲良くしてるの。カレンもそうなれたらいいなー。……あれ、そういえばアヤベさんのトレーナーさんとは連絡とってないんですか?」

 

「あの人とはそこまで携帯でやり取りはしてないわね。月に一回会っているし、あんまりそうする必要がないわ」

 

「え?!アヤベさんトレーナーさんと月一で会ってるんですか!?」

 

 今日一番大きな声でカレンさんはそう叫んだ。突然のことに驚いた私を見て、彼女は一瞬の後にハッとした表情になる。冷静さを取り戻したらしい彼女はコホン、とカワイらしく仕切りして居住まいを正す。

 

「え、本当なんですかその話。アヤベさん、トレセンにいた頃はあんまりトレーナーさんとお出かけしたりとかはしてなかったと思うんですけど、どうしてまたそうなったんですか?」

 

 カレンさんはこの話題を広げようとしてるみたいで、かなり食い気味に話し始めた。回る口は先ほどよりも数段早く、あまりの勢いに面食らってしまう。言わなかった方がよかったかもしれないと今更になって思う。こんなに過剰に食いついてくるなんて思ってもみなかった。

 

「え、ええまあ本当だけど……でもそんなに驚くようなこと?お世話になったトレーナーさんと会ったりすることくらい、誰だってやってることでしょう」

 

「連絡自体は取ると思いますけど、普通は携帯で軽くとか、年賀状を送るだけだっておかしい話じゃないですよ」

「そう、なのかしら。月に一回くらいなら、全然普通だと思っていたけれど……」

 

 どうやらそうではないらしい。知らないうちに踏み込んだことをしていたのかもしれない。でも、そうなら尚更自信が無くなってしまう。踏み込んではいたはずなのに、私はまだ彼のことがわからない。得ているものはあるはずなのに、どうしても何かが足りない気がしていた。

 

「で、で?お二人は今どんな関係なんですか?」

 

「どんな関係って別に、それこそ普通よ。こういうところでお茶したり、たまに水族館とか動物園とかに行ったりして何か話すだけ。特別なことなんてないわ」

 

「へー、それで特別じゃないんだー。まあアヤベさんのことだから誤魔化してたり嘘ついてたりしてるわけじゃないんでしょうけど……ふーん」

 

 訝し気に私、というより私の手元のあたりを見てくるカレンさんの目線に居心地の悪さを感じてしまう。場をもたせるためにスプーンを口に運んでみたけれど、アイスの冷たさだけが体に染みて、味はちっともわからない。この話題を出してしまったことを本格的に後悔し始めていた。カレンさんの前では隠し事が通用しないような、そんな気がして。

「さっきも聞きましたけど、アヤベさんはなんでトレーナーさんと会ってるんですか?連絡をとるなら携帯で十分じゃないですか。顔を見たいならビデオ通話だってありますし」

 

「それは、そうだけど……」

 

 言い淀むと、カレンさんは真面目な顔をして私に向き合った。そこに好奇心とか、やましい気持ちは感じられない。彼女は他でもない、私の言葉を待っていた。私の想いがどこにあるのか、それを確かめようとしてるみたいだった。

「アヤベさんはどうしたいんですか?トレーナーさんと会って、何がしたいんですか?」

 

 答えを出せない私に、カレンさんは畳みかけるように問うてくる。それはほとんど尋問。恐ろしいほど的確に、私の痛いところを突いてくる。だけど無慈悲で遠慮のない問いはその実、私が無意識のうちに目を逸らしていたそのものだった。

 私は彼のことをわかって、それでどうしたいのだろう。

 

 カレンさんの視線は一層鋭くなって物言わぬ私を射抜く。彼女の瞳に映る私は竦むように身を縮めているのではないかと、そんな風に想像した。

 

「トレーナーさんのこと、好きなんですか?」

 心臓が跳ねる。ドクンと、大きく一拍。

 

 それについてだって考えなかったわけではない。恋、だとかそういう浮ついた感情が私にもあるのかはわからない。わからなかったけれど、彼に対する感情がそういうものなのではないかと、そう考えたことは一度や二度ではない。

 

 感謝、尊敬、疑問。彼に対して思うことなんてたくさんある。いろんな想いがないまぜになって、未だ彼という人間とどう向き合えばいいのかを見つけられずにいる。

深く、関わりすぎたのだと思う。

 

「……わからないわ、でも……」

 

 矢継ぎ早で容赦のないカレンさんの問いに即答できるほど、私は自分のなかに確かな答えを持てていない。

 私にはわからないことばっかりだった。周りを遠ざけ、物事に触れてこなかった私には人より格段に多くのわからないことがある。人のことも、自分のことも。まだまだ私は未熟で、大人になんてなれない。

 

 だとしても、そこから目を背けることは、したくなくて。

 

「でも、わかりたいの。彼がどういう人なのか、この気持ちはなんなのか。ちゃんと、カタチにできるくらいに」

 

 カレンさんにしっかりと目を合わせて、逸らさない。私はしっかりと、正面から向き合っていたかったから。ここで逸らしてしまうわけには、いかなかった。

 見つめ合ったのはたった数秒のこと。私の答えに納得したのか、真剣な顔をしていたはずのカレンさんはいつの間にか平常時のカワイさを取り戻していた。まるで百面相だ。私には何年たってもあんなにころころと表情を変えることはできないだろう。

 

 緊張が解ける。強張っていた筋肉が弛緩し、脱力してしまいそうだ。写真を撮ったときの比ではない解放感に身を浸す。全体重をソファーに預けたくなる気持ちを堪えて、なんとか背筋を伸ばす。

 

「ふふっ。いいですね、アヤベさんらしいです。やっぱり全然変わってません、アヤベさんは」

 

「そうかしら……変わったことは多いと思っていたけれど……」

 さっきとは打って変わった様子で、カレンさんは控えめに笑っていた。それだけで絵になるような可憐さで。

 思えば昔もこうやって、目を逸らしていたことに直面させてくれていた気がする。カレンさんにもたくさんの借りがあるのだ。自覚がないだけで、多分、たくさん。

 

「じゃあじゃあ~、これからはどうするんですか?」

 

「これからっていっても、やることは変わらないわよ。いつもみたいに会って、話をして、少しずつわかっていければそれで……」

 

「あー、駄目ですよアヤベさん!そこで逃げちゃ。せっかく大見得切ったんですからここは大胆に行かないと!」

 

 カレンさんは元気よく、生き生きとして私の言葉を咎める。ニコニコとした顔の彼女は楽しそうにして喋っていた。ちょっとだけ憎たらしい。私はこんなに真剣に考えているのに、彼女はなんてことのない雑談をしているみたい。もうちょっと真面目にしてくれてもいいんじゃないかと感じてわずかにムッとしてしまう。あと、大見得なんて切った覚えないから。

 

「……なら、これ以上どうしろっていうの」

 

「それは知りません、アヤベさんが自分で考えなきゃならないことですから。でもですね、ここで行動を起こさないのはあり得ません。だって――」

 

 聞いてみても彼女からまともな答えは返ってこない。そんなことよりもっと大事なことがあるのだと、そう言いたげな雰囲気で彼女は少し身を乗り出して、こちらに人差し指を突き付ける。

 そしてキラキラした目で、堂々と

 

「恋もレースも何事も、出遅れちゃダメですから!」

 

まるでそれがこの世の真実であるかのように大きな声で、自信ありげに彼女はそう断言した。

 

 少しきょとんとしてしまった私の表情を捉えたカレンさんは、堪えきれなくなったようにまた笑顔をみせる。私もなんだかつられて笑ってしまって、クスクスとふたりで小さく笑いあう。

「ちょっと聞きすぎちゃいましたし、今度はお返しにカレンとお兄ちゃんのお話をしますね!」

 

 二人でしばしの間笑ってから、話題は彼女のトレーナーの話に移る。こっちの話も長くなりそうだ。ガランとしたテーブルを見て、追加の注文をするか迷った。

 

 さっきまで真面目な話だったのに、もう取るに足らない話へとシフトしていた。ほんと、変わらない。こうしているとトレセンにいた頃から長い時間が経っていることを忘れてしまいそう。時間が経つと変わってしまうことは多くある。でも、変わらないでいてくれるものだってやっぱりあるのだ。

 

 内緒ですよー、と前置いてから、彼女はまだ誰にも言ったことのない秘密を打ち明けるようにして喋る。その話を聞きながら、ふと浮かんだのは彼がよくするいつもの質問。今度あれを聞かれたら、今この時間を過ごせたことが嬉しかったと答えることにした。

 

「んー、あとお話ししたいことは~」

 

 話の合間、彼女は人差し指を頬にあてて困ったような素振りをする。でも、そんな彼女の表情はとても柔らかく朗らか。きっと話題が無くなったわけではなく、多すぎて選べないのだろう。彼女のトレーナーに対する想いが伝わってくるようで、なんだかとても素敵なことに思えた。

 

 少しぼうっとして彼女が次に口を開くのを待つ。店内に小さく流れる音楽に耳を傾けて、ゆっくり時間が流れていくのを感じとる。何をするわけでもなく人と過ごすこういう時間が、私は好きだ。

 

 何も考えていなかった頭に残っていたのは、出遅れちゃダメですから、という彼女の言葉。そろそろ、いつも通りに甘えるのも終わりにしなくてはならないのかもしれなかった。ずっと変わらなかった関係にも、変化は訪れるべきなのかもしれない。

 

 そういえば。気になったことがあって、輪郭が滲んだ意識を覚ます。探すまでもなく見つけたのは茶封筒。カレンさんはさっき取り出したまま脇の方に置いていたらしい。行き場を無くしたそれはひっそりとテーブルの隅を占領していた。

 

「ねぇ、今更で悪いけれど……やっぱりそれ、貰っておくわ」

 

 なんとなくでも情けでもなく、私は結局その封筒を受け取ることにした。オペラオーの自撮り写真なんて毎週勝手に送られてくるのだし、顔が見たいわけでもなかったのだけど。そこまで嵩張るものでもないし、受け取るくらいのことはしようと思った。

 

「……はい!カレンも、それが良いと思います」

 

 私が指さした先を見たカレンさんはきょとんとした表情の後に意を得たようで、確かに返事を返す。彼女から差し出されたそれを手に取った。ちょっと開けてみようかとも思ったが、今はカレンさんの前だ。帰ってからにしようと決めた。今度、時間があるときにでも適当に開けてみよう。もしかしたらオペラオーもあの頃から変わっていて、手紙のひとつでも書いているかもしれないなと、そんなことを考えた。

 

 不意に、テーブルが照らされる。シャンデリアによる光ではない。どうやら太陽を覆っていた雲が流れて行ったようだった。窓の外はもう薄暗い。朱を暗くしたような色がほんのり薄くテーブルを彩る。そろそろ街灯が点き始める時間帯。夜になるまで間もないようだった。視線を窓の外から目の前のカレンさんに移したところ、ちょうど彼女は話す話題を絞ったらしい。何か喋りたそうにわざとらしくウズウズしている。私はまた聞き手に回って、彼女に話を促すことにした。

 

 彼女の話を聞きながら、夜の始まりを感じていた。

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