一歩、あなたの方へと踏み出して   作:宵地

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たづな対談

「焼き鳥セットBと生ビール二つずつでお願いします」

 

「はいよー」

 

 騒々しい店内のなかで注文を伝えると、メモ用紙に書きなぐったような乱雑な字を綴った店員は店の裏方へ小走りで戻っていった。座席の粗方埋まったこの居酒屋によくある光景。そこかしこで皿を運ぶ店員が右往左往しているのはこの店の常だった。どこからか漂ってきた肉の焼ける匂いに空腹が刺激される。昔はここにタバコの匂いなんかもあったのかもしれないが、それは時代に取り残されてしまったようだ。全席禁煙!という文言がこの席に座るまでに三度ほど目に入っていた。

 

「相変わらず繁盛しているみたいですね、ここ」

 

「そうですねー、ここの焼き鳥はやっぱり美味しいので。私は焼き鳥が食べたくなったら真っ先にここを思い浮かべちゃいますし、他の人もそうなのかもしれませんね」

 

 前に座っているのは未だ緑の制服に身を包む、お馴染みたづなさんだ。結構目立つ服装で居酒屋に鎮座する彼女は既に周囲に受け入れられていて好奇の目で見てくる人はいない。以前着替えなくていいんですか、と聞いたところ替えを何着か持っているので大丈夫ですと返された。居酒屋の匂いはそう簡単に落ちるものではないだろうに。

 

「どうかされました?」

 

「いえ、なにも」

 

 考えに耽っていた俺に彼女はそう聞いてきたが、なんでもないふうに取り繕う。彼女も食い下がる気はないようで、小上がりの席でシンプルかつ可愛げのある彼女のバッグの置き場を探していた。

 

「卒業式、何事もなく終わってよかったです。たずなさんの方もお疲れ様でした、かなり忙しそうにしてましたよね」

 

「いえいえ、ここ最近は忙しい毎日でしたけれど学生の皆さんのためですから。それに柏木(かしわぎ)さんだって色々と手伝ってくれたじゃないですか」

 

「アヤベに関する仕事は終わっていたので当然のことですよ」

 

 始めにする会話は今日行われた卒業式について。教え子が卒業するときってどんな風だろう、というのは教職に関わる誰もが抱く疑問だろうけど、それは別段なんともない普通のことだった。アヤベが卒業してしまったことはもちろん寂しいけれど、そこそこ生きてきた身としては劇的とは言えない。もちろん個人差はあるだろうけど、少なくとも俺が得た結論はそう。別れというものに慣れすぎてしまったのかもしれなかった。

 

「良い卒業式でしたね、今年もちゃんと欠席なしでしたし。レースの結果には後悔があるかもしれませんけど、せめて学園からの卒業にはそれがないといいんですが」

 

「大丈夫ですよ、みんな賢くて元気な娘達です。レース以外にだって全力で取り組んで、文句のひとつも出ないくらいやりきっていると思いますよ。たずなさんならわかるでしょう?」

 

「ふふ、ですね。ちょっと感傷的になっちゃってるみたいです」

 

 そう言った彼女はテーブルに身を預け、ぐでーっと腕を前に出して伸びをする。そこまで広い幅のテーブルではないので、彼女の両腕はテーブルの端から端までを占領する。続いて聞こえたのはそれはもう深いため息。やはり忙しかったのだろう。大仕事を終えた彼女からは明らかに疲労の色が見えていた。

 

「でもいいじゃないですか、年度末の仕事も粗方終わったんでしょう。理事長もしばらくは休みをくれるって言ってましたし、この機会に旅行にでも行って来たらどうです?たづなさん、こういうときでもないとゆっくりできないんじゃないですか?」

 

「あー、いいですね旅行。この頃しばらく行ってません。いい温泉宿でもあるといいんですけど」

 

 そう言いつつも彼女は旅行スポットをスマホで調べる素振りもない。単に疲労がピークに達しているからなのか、それともハナから行く気がないのか。恐らくは後者だろう。ワーカーホリックな気質はなかなか治らないものだ。まあ、彼女は仕事が恋人といったタチではないのだけど。

 

「あ、焼き鳥きますね」

 

「お、ホントだ」

 

 左側頭部をテーブルに乗せている彼女の目線を追うと、店員が俺と彼女が注文した品をこちらへ運んでいる様子が目に入った。仕事が早いというかなんというか。注文した品はここに来た時の定番だったので俺たちの顔を見てすぐ用意を始めたのかもしれない。この店は回転率がいいので単に作り置きを回されただけかもしれないけど。

 

「はい、こちらご注文の品ですねー」

 

 店員が来る前に居住まいを直したたずなさんと俺で注文の品を受け取り、テーブルに並べていく。湯気を上げる白米と串に刺さった肉を見るとお腹が鳴ってしまいそうだ。慌ただしかったので忘れていたけど今日はお昼を食べていなかったかもしれない。ぼんやり、そんなことを考える。

 

「じゃあ、カンパーイ」

 

「カンパーイ」

 

 テーブルに料理が並び終わった後、音頭を取ってくれたたづなさんのジョッキに自分のそれをコツンと当てる。

 ちびりと舐めるように一口飲んだ俺とは対照的にたずなさんはグイっと大きく一口飲んだ。いつもはもっとゆったりとしたペースで飲んでいるが今日はどんどん飲むつもりらしい。ここに来る道中に今日は飲もうかなー、という不穏な呟きを聞いてしまっていた。この先いくつのジョッキが空になるのか、俺には予想もつかない。彼女は今まで、こうして飲むときには酔うどころか顔を赤くしたことさえない。相当酒に強いことは知っていた。

 

「そういえば、前に行ったことのある居酒屋さんあるじゃないですか。ほら、トレセン職員新年会で行ったおつまみが美味しいあのお店。あそこ、潰れちゃうらしいですよ」

 

「へえ、そうなんですか。初耳です。結構老舗だった気がしましたけど、呆気なく潰れちゃうものなんですね」

 肉をビールで流し込みながら彼女が話題にあげた店を思い浮かべる。小さい店だったが配慮の行き届いた良い居酒屋だった記憶がある。常連も多かったはずだ。なんとなく、やるせない気分になる。

 

「なんというか、いつの間にか無くなっちゃうものって多いですよね。私が結構前に実家に帰ったときも昔遊んでた公園とか、空き地とかが軒並み無くなっちゃってたりして。ちょっと悲しくなるんですよね、ああいうのって」

 

「ああ、気づかない内に街並みが変わったりしてるとそうなりますよね。俺も昔馴染みの場所が駐車場とかになっているのを見るとやっぱり少しは悲しくなります。それに、そういうときって昔の風景がぼんやりとしか思い出せないんですよね。一枚くらい写真を撮っておけばよかったなって、そのときになって思います」

 

「ですね、わかります」

 

 彼女は短くそう言った後、ジョッキをあおって中の液体を飲み干した。

 

 変わらないものなんて滅多にない。いつだって時間は一方通行で、景色も、人も、変わっていってしまうものなのだ。ふとした、気づかない瞬間に。でも俺はそういう変化が好きだった。変わらない良さというのも確かにあるけれど、変化というのは生きている証のようで、希望的なものだった。それに、変わらないままというのは独りだけ取り残されてしまうようで。結局のところ、それは行き止まりだと思うから。

 

「すみませーん、生ビール一杯追加お願いしまーす」

 

 彼女の声が空気を揺らす。俺は一瞬だけ逡巡してから、意を決して残っていたジョッキの中身をグイっと一気に飲み干し、彼女に続いて追加で注文をする。

 たづなさんは驚いた様子でこっちを見ていた。普段はあまり二杯目は頼まないので当然と言えば当然だ。

 

「そういう気分なんです」

 

 言い訳じみた言葉は彼女の耳に届いたようで、納得したような表情をしてからわずかに俯いた。

 

「そういえば、柏木さんは担当の娘が卒業するのは初めてでしたね」

 

「ええ、そうなんです。なんだか置いて行かれたような気分ですよ。卒業ってする側にとっては新天地へ向かう一歩ですけど、送る側からしたら寂しいことこの上ないものですから。新しくどこかへ踏み出せるわけでもなくて、ただいなくなっちゃったものを思い返しては隙間を感じるようで……なんだか、おんなじところをぐるぐる回ってる気分になります」

 

 まあ、まだアヤベが卒業してから数時間しか経ってないんですけどね、と最後にそう締めて、新しくやってきたビールで喉を潤す。必要ないことを喋りすぎてしまったかもしれない。丸まってしまっていた背筋を伸ばし、意識して気を引き締めた。

 アヤベはこの先、もっと変わってゆくだろう。彼女が変わっていくこと自体は喜ばしいことだけど、少しだけ寂しさを覚えていたことも事実だった。今までは近くで見てこられたけれど、これからはそうはいかないだろうから。

 

 僅かな時間、場が沈黙する。騒がしく楽し気な店内の中で俺と彼女の二人だけ浮いたような感覚になる。料理を機械的に口に運ぶ。美味しいけれど、少し冷めてしまったのか味が落ちてしまってるように思う。熱を失ってしまったら、たいてい質は落ちるものだ。ジョッキをあおってアルコールを体に入れる。飲まないとやってられない、という言葉には縁がなかったけど、今なら少しわかる気がした。

「柏木さんから見て、アドマイヤベガさんはどういった娘でしたか?」

 

 何か話さなければな、と思った矢先。聞かれたのはアヤベの話。アルコールで鈍った頭でも、それならなんとかカタチにできるはず。まだ呂律の回る舌を動かして、俺はゆっくりと彼女の問いに答えていく。

 

「そうだなぁ……アヤベはとにかく真面目で誠実な、優しい娘でしたね。引き受けたことは全力でこなすところとか、背負ったことはひとりで全部何とかしようとしてるところとか。優しくて真面目だから、困った人を見るとなんだかんだで手を貸しちゃうし。人に迷惑をかけないように自力で頑張っちゃったりする娘なんですよ、アヤベは。でも今では自分から人に関わろうとしていたり、今まで向き合ってこなかったことに目を向けたりしていて。そうやって現状に満足しないで、成長していこうとするところもあの娘の良いところだと思います」

 

「ふふ、そうですね……アドマイヤベガさんは何というか、ちょっと危うげのある娘でしたから。初めの頃はお節介ながら心配していたものです。今では本当に頼もしくなって、なんだかちょっと感動しちゃいます」

 

 首を縦に振って相槌を打つ。実際かなり危なかったときもあったのだ。今でこそ落ち着いている彼女だが、菊花賞の時期あたりは随分とヒヤヒヤさせられた。

 

「……私、あの娘のことを柏木さんが担当してくれてよかったなって思っていたんです。難しい娘でしたけれど、適切な距離感を保って、本当に大事な時にだけ踏み込んで接していたじゃないですか。彼女にはああいうことのできる人が必要だったんじゃないかと思うんです。無関心は当然ですけれど、踏み込みすぎるのも良いとは言えませんから。彼女がきちんと成長できたのは、あなたのおかげでもあると思いますよ」

 

「そうですかね、だったら嬉しいです。なんとか、彼女を担当した責任は果たせていたらいいんですが。長い間アヤベのことを見てきましたけど、本当によく成長してくれました」

 

「子供の成長は早いですからね……なんだか、羨ましくなっちゃいます」

 

「そうですね。俺も大人になってから、子供だったことの良さがわかるようになりました」

 

 子供は大人に憧れて、大人は子供を羨む。程度に差はあれ、大体そんなものなのだろう。自分に無い物を欲しがってしまうのは、誰だって同じなのだから。

 俺は、どうだろう。アヤベが羨ましかったかと自分に問えば、それは違っていた。そうしてもおかしくないのかもしれないけれど、彼女の成長は俺にとってただただ嬉しいものだった。

 

「私もです。……見たことも聞いたこともないような知らないことも、何日考えても答えの出ないようなわからないことも、目の前に現れるのは子供の頃だけなんですよね。大人になると大体のことに免疫というか、対策ができてしまいますから。健全に悩んだり、考えたりできたのはあの頃だけだったかもしれません」

 

 ほら、大人になるとズルしちゃうこともあるでしょう?

 彼女は後ろめたそうにそう言ってくる。まったくもって耳が痛い。子供の頃だってズルをしなかったわけではないけれど、大人になってからのそれは後ろめたいものが多い。

 やらなくてもいいことがわかるようになって、効率的で楽な道を選ぶようになってしまう。いくら努力したって必ずしも評価されるわけではないから、真面目に頑張ることは無くなっていく。必然似たような道を通るものだから、変化も成長もしなくなってしまう。

 目の前に壁が表れたらどう乗り越えるかより、どうするのが一番楽なのかを考えてしまうようになってしまったのかもしれない。

 大人、とそう区分されるようになってから、俺は何も変われていない気がする。

 

「まあでも、その分失敗もしたんでしょうね……きっと、忘れちゃっただけで。たくさん後悔もしたはずなんですけど、もうあんまり覚えてないです、私」

 

「それはきっと悪いことじゃないですよ。だってほら、後悔って後々の糧になるじゃないですか。だから――――だから、思い出せなくたって、きっと無駄にはなってないですよ」

 

 ――だから、どうやっても思い出せないくらい、綺麗さっぱり後悔を忘れられるのって。

 思い残していたことを他の何かに活かして、きっちり晴らせたようで。

 それが、過去の後悔にできる一番の手向けなんじゃないかって思うんです。

 

 せり上がってきた言葉を飲み込んで、代わりに無難な言葉を吐き出した。やっぱり酔ってしまっているみたいだった。普段はもうちょっと、ちゃんと話せるはずなんだけど。今日はなんだか、余計なことばかり考えてしまう。

 

「そうですね……どれだけ失敗しても、みんなそうやって乗り越えていくんでしょうね。ちょっとずつ自分に出来ることを増やしていって。そうして成長していって欲しいです、あの子たちには」

 

「アヤベは、まだまだわからないことだらけよ。なんて言ってましたけど、きっと大丈夫だと思います。みんな、立派に生きていけますよ」

 

 いつかの日に聞いた彼女の言葉を思い出す。

 彼女はああ言っていたけれど、わからない、というのはそれだけで良いことだ。

 だってそれはわかろうとしていることの裏返しであり、適当な結論に逃げずに誠実に物事に向き合っている証左なのだから。

 

「でも、わからないっていいことですよね」

 

「ええ、本当に。俺もそう思います」

 

 目の前の彼女もちょうど同じことを言う。果たして俺と同じ意味でそう言っているのか。わからなかったけど、その言葉に頷いた。

 

 彼女の意図がどこにあるのか、わざわざ聞き返したりはしない。肝心なことは語らないし、語れない。人のことをそこまで深く知ろうとしなくても、なあなあでやっていけることをどこかでわかってしまうから。

 人がこの世のありとあらゆる全てを理解せずとも生きていけるように、わからないことはわからないままでもいい、というのは残念なことにある種の真実なのだと思う。

 

 なんだかまた少し悲しくなって、沈黙の時間が流れる。手元には、いつの間にか空になっていたジョッキ。気がつくと彼女もおんなじだったようで、再度ビールとおつまみを二人分注文することにした。

 

 一口、また一口と新しくやってきたおつまみを口に運ぶ。あまり比べるのもよくないけど、潰れてしまうらしいあの店のおつまみが恋しくなる。正直に言ってしまえば、ここのそれより断然美味しかったのだ。

 そういえばどんな理由で潰れてしまうのか、まだ聞いていなかったことに気がついた。けど、まあ別に大したことではないか。聞いたところでどうなるわけでもないし、これ以上暗い話をして気分を下げるというのもいただけない。もう少し明るい話はないだろうかと頭を回す。

 

「あ。ところでたづなさん、例の恋愛話の方はどうなんです?」

 

「えー。それ、聞いちゃいます?」

 

 時刻はもう零時を回りそう。窓の外には夜の闇。話す話題は打って変わって彼女の恋愛話。彼女は新人トレーナーと交際を始めたらしく、よく俺にその惚気話を聞かせてきたりしていた。にへらっとした顔の彼女は嫌嫌の体を装いながらも語り始める。今日もまた長くなりそうだ。こうなったらなかなか止まらない。また一杯ビールを追加して、彼女の口はどんどん回る。俺は静かに話を聞いて相槌を打つ。そうして時間は過ぎ去ってゆく。過ぎ去ってゆく。

 

 流れる時間に身を任せ、俺は変わらず夜にいた。

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