憂鬱の魔神   作:萎える伸える

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八八


『嘘』とホント

 

◆◇◆

 

 

「ここでいったい……何があったと言うのだ」

 

 

 この部屋の有様を見てクルシュは呟いた。

 あり得ない量の血、血、血。辺り一帯、天井も側壁も床も、すべてに血痕がこびり付き固まっている。まるで呪われた部屋だ。

 

 そして、部屋の中央に鎮座している謎の男。その男は一見、どこも傷ついているようには見えなかった。半裸の男だ。その肉体に目に見える外傷はなく、これといった異常も見当たらない。

 

 ──だが、部屋に染み付く強烈な血の香りが、この場で起きた凄惨なナニカを示していた。

 

 そしてもう一つ。

 彼の下半身がどす黒く染まっていた。それは固まった血。酸化した血液。いったいどれだけの時間を掛ければこれほど黒く、この闇より黒く染まると言うのだろうか。これが呪われた品と言われれば誰もが信じる。それほどの瘴気を放っていた。

 

 現にこの部屋に立ち入ることができたのは『風の加護』をもつクルシュだけだ。連れて来た兵たちは誰一人入り込むことが叶わなかった。否、彼らは近づいただけで正気を保つことすら出来なくなっていた。

 

 それほどまでに、正面にいる男から放たれる負の奔流は禍々しい。眼に見えて危険な者だとわかる。そこに男がいるだけで空気は汚染され、マナは淀み、濁り腐った風が吹く。いくら加護があるとは言え長居すればクルシュですら呼吸もままならなくなるだろう。

 

 ──それでも、彼女は助けに来た。

 

 それだけで彼女が如何に勇気ある人かわかろうというもの。彼女は、ゆっくりと近づき、男に語りかける。

 

 

「私はクルシュ・カルステン──助けに来たぞ」

 

「………」

 

 

 まず自己紹介をした。そうして救出に来たということを告げる。だが、男は返事をすることも、反応することも、こちらを見ることすらしなかった。さては既になくなっているのだろうか、とクルシュは考える。

 

 

「……無事、ではなさそうだな。だが──生きている」

 

「………」

 

 

 クルシュは男がまだ生きていると確信していた。それは彼女の『加護』によるもの。

 

 彼女の加護、『風見の加護』は空気のような目に見えぬものの『流れ』──すなわち風を読み取る。それは使いようによっては相手の心の流れを読み解き、嘘を暴くことも可能にする。

 そうして、その力は目に見えぬ『魂』の揺らぎすら感知する。

 

 凡人には知り得ぬ『魂の在り方』を、彼女は生まれながらにして見ることが出来る。魂の揺らぎとは心の揺らぎだ。魂は人の心に呼応して、陰りもすれば輝きもする。それは何者にも偽ることの出来ない本音であり本心。

 そうして、

 

 ──しにたく、ない……。

 

 クルシュはそんな男の魂の揺らぎを確かに感じた。故に男が生きているとわかったのだ。

 

 彼はこのような目にあって尚、未だ足掻いている。

 それは──賞賛に値するものだ。彼の魂の輝きを、こんなところで潰えさせていいはずがない。

 

 

「──よく耐えた。もう大丈夫だ」

 

「……ぁ……ぁ……」

 

 

 彼女のその、すべてを包み込むような声音は、男に反応を齎した。彼にも伝わったのだろう。

 

 だが、男はイヤイヤ、と怖がるように小さく頭を振った。その姿を滑稽だなんて、クルシュは思わない。彼女は男を安堵させるように言葉を重ねた。

 

 

「卿に対するこれ以上の狼藉は私が許さない。卿を傷つけさせることはしないと、私の魂に誓おう。だからどうか、私を信じて欲しい」

 

「……ぁ」

 

 

 彼女は告げる。何も持たず、何者でもない男に対して敬意を込めて卿と呼び、男を安心させ、信頼して貰う為に言葉を尽くす。

 

 普通、こんな怪しい男にどれだけのことができるだろう。人は見た目を、初めの印象を気にするものだ。それが当たり前だ。

 

 しかし彼女はそれをしない。彼女は、彼女の瞳はその者の本質を見抜く。どれだけ無情で残忍な光景を前にしても彼女の瞳が、その眼差しが陰ることはない。

 

 

「──」

 

「………今解放しよう」

 

 

 彼女は恐れない。彼女は退かない。それは勇気。それは英雄の資質。

 大人しくなった男に物おじせず近づいていくクルシュ。

 

 

 

 ──もうすこしでたすかる。

 ──かのじょがきてくれた。

 ──ぼくは、すくわれるんだ。

 

 

 

 諦めなかったから、救われるのだ。思い出の中のフェリスが、ユウを諦めさせないでいてくれたから。これはその褒美なのだ。ユウは、ようやく、救われる。

 

 ──本当に?

 

 疑心暗鬼になるユウ。幻を疑ってしまうのも無理はない。しかし彼女は幻などではない。幻にこれほどリアルにクルシュを演じることなどできまい。彼女は本物のクルシュだ。

 

 ──自分は救われたのだろうか。

 

 救われるだろう。あの魔女も、イカれた拷問官もどうなったかわからないが、そんなことどうでもいいじゃないか。

 

 ──救われた。救われてしまった。ああ、ありがとう。

 

「──ハハッ」

 

 彼は笑った。心の底から楽しそうに笑った。

 

 その突然の笑い声を聞いて、ピタッとクルシュの動きが止まった。クルシュはその笑い声のした方を訝しむように見た。そこには、先ほどとは打って変わって普通に笑みを携えた男がこちらを見ていた。

 

 ──風向きが変わった。

 

 何か、漠然とした不安がクルシュの心に去来した。それは不自然。それは違和感。彼の魂の趨勢(すうせい)がわからなくなった。一瞬、助けることを躊躇したクルシュに、男は言う。

 

「助けてくださいよ。遅いじゃないですかクルシュさん。ずっと待ってたんですよ」

 

「……何を」

 

 要領を得ない男の言葉にさしものクルシュも困惑する。

 

 どうしたんだろう、ユウは自分でもわからない言葉を放った。なぜ、自分は嗤っているのか。なぜ、自分はこんなにも愉快な気持ちなのだろう。

 わからない。あぁ、でもクルシュを怖がらせてはいけない。クルシュを安心させないと、近づいてもらわないと。

 

 不気味な笑みを浮かべる男に、警戒心を(あら)わにするクルシュ。クルシュは、逡巡し、そうして男に近づいた。

 

「……今助けてやる」

 

 クルシュの勘が危険だと告げていた。

 それでも、彼女は退かない。彼女は退けない。彼女は誓った、己の魂に。彼が救われるべき人間であると判断した自身の心を信じた。

 

 何かあればすぐさま対処するという心構えをして、クルシュは男を拘束する手枷を外そうと、手の届く距離まで近づいた。そうして彼女は気づいた。

 

 ──手枷はもう、その役目を為していなかった。

 

 長い間、血を浴び続けた手枷はとっくの昔に錆さびになりぼろぼろになっていた。その劣化具合は──子供でも簡単に外せるくらいに、脆い。

 

「これは……──ぐッ!」

 

 それに気づいたクルシュの首元に手が伸びてきた。手は彼女の首を絞め持ち上げる。

 

 ──誰の手だろうか。

 

 ユウは漠然と、朦朧とした意識の中で思考していた。ユウには寝ぼけまなこでわからなかったが、この部屋にはクルシュと自分以外に誰かがいたのだろうか。

 

 ビーンか、スピンクスか。

 ユウが救われることを妨げているのは誰なのか。

 

 ──あ。

 

 ユウは気づいた。

 

 ──違う。

 

 何が違うのか。

 

 

 ──これ……──オレの手か。

 

 

 そう。クルシュの首を締め上げ、苦悶の声を上げさせ、自身が救われること妨げているそれは、彼の手だった。彼の手は錆びた拘束を容易に引き千切り、クルシュを襲う。

 

「──あ?」

 

 ユウの意図するものではなかった。当然だ。ユウが、彼女を傷つけるなんてことはあり得ない。あっていいはずがない。なんだ、これ。ユウは理解を得られない。徐々に意識が覚醒していく。

 

 わかるのは、彼の腕が彼の意思とは無関係に勝手に動き、彼女を苦しめていることだけ。腕は言うことを聞かず、抵抗しようともビクともしない。

 

『───』

 

 ──何か、聞こえる。

 ユウはもう片方の手で自身の頭に触れた。

 すると、

 

 

『──殺せ』

 

 

 声が、聞こえた。

 脳内に響き渡る奇怪な声。いや、声というよりは思念のような──。

 

「くっ離せッ!」

 

 クルシュは叫び、腰に下げていた剣でユウの腕を断ち切った。腕は綺麗に断たれ、解放されたクルシュは地に落ちた。ドサッと音を立てて地面に着地したクルシュはすぐさま男から距離を取った。

 そうしてその瞳に義憤を募らせて問う。

 

「げほっけほっ……──どういうつもりだッ!」

 

 彼女が怒っている、当然だ。今、ユウはクルシュを、殺そうとしていた。なぜ? 何が起きている。オレの頭の中に、何が──。

 

「えっと……」

 

 ユウだってわかっていないのだ。

 クルシュが離れると、ユウの手は自由に動いた。自身の手を見て、両手を開け閉めして感触を確かめると、なにも違和感はなかった。

 

 だが、ユウの視界にクルシュを収めた途端──凄まじい頭痛がユウを襲った。

 

「あっ? ──あ、ガ、ぁッ!!」

 

 ユウは自由になった両手で頭を押さえつけた。

 ──聞こえてくる。

 

『殺せ』

 

 声が──。

 

『殺せッ!』

 

 それは命令。

 

『殺せッ!!』

 

 

 ──煩い、黙れ。

 

 

「あぐぁ──ッ」

 

 ユウは謎の声に抗う。頭を押さえ頭痛に抗う。

 そうして、抗えば抗うほどに、その『殺意』は勢いを増していく。

 

 

『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ──殺せ』

 

 

 ──あぁ……なるほど。

 

 

「──虫、か。……最悪だな」

 

 ようやく、ユウは理解した。

 頭の中で命令するソレがなんなのか。

 つまり、ユウはとっくに──。

 

「……ごめん。クルシュさん、オレ、操られてるみたい」

 

「卿は、いったい……」

 

 クルシュは困惑する。

 なぜなら彼女の加護が、それが嘘でないことを告げているから。彼女の困惑の根源は操られているか否かではない。彼女が困惑している理由、それは男がクルシュを知っているような素振(そぶ)りをしていること

 クルシュは、この男と何処かで会ったことがあっただろうか。

 

 

 ──最悪だ。せっかく助けて貰えると思ったのに。結局こうなるのか。希望なんてない。希望なんて持つから絶望するんだ。あぁ憂鬱。沈鬱。陰鬱だ。

 

 ユウはもう期待しない。ユウはもう、望まない。ユウはもう求めない。祈らない。願わない。もう、いい。

 

 クソみたいな人生だ。クソみたいな最後だ。クソまみれで自分の馬鹿さと生き恥を晒すだけの人生だった。

 

 ──でも。

 

 期待はしない。もう世界になんて期待しない。

 

 ──それでも。 

 

 彼女なら、もしかしたら。彼女だけには──。そんな希望に、縋らずにはいられないのだ。まったく、どこまでもオレは──。

 

「……あなたに看取ってもらえるなら、悪くない、よね」

 

 ユウは呟き、決断する。それが最善だと信じて、それが最後の望みだと知って。

 

「クルシュさん……一つ、お願いがあるんですが……」

 

「……なんだ」

 

 一人勝手に、何かを悟ったように冷静に話を進めるユウ。それに対しやはり要領を得ないクルシュ。

 

 操られているという言葉が真実だと言うのなら、彼女は先ほどのことを不問にし、なんとか救おうと思案していた。しかし、それとは別に、止むを得ず断ち切ってしまった腕から血の一滴も出ていないことに、そうして男が毛ほども痛がる様子を見せていないことにに疑問を感じている。いや、というよりも、その雲を掴むような現実味のなさに取っ掛かりを掴めずにいた。

 故に返答は上の空。

 

 とにかく情報が足りなかった。男が誰なのか、何があったのか、今何が起きているのか、男は何を知っているのか。疑問は募るばかりだ。故に、お願いがそれに類するものかどうか、兎にも角にも情報だと考えクルシュは答えた。

 

 

「──簡単です。オレを、殺してくださ──「断る」──っ」

 

 

 ユウの提案は最後まで言い終える前に、却下された。あまりに早い返答。流石は深謀遠慮に長けるカルステン家の女傑か。ユウの死相でも読み取ったのだろうか、その選ばれしものの加護で。

 

「あはっ……クルシュさんらしい、なぁ……」

 

 いいや、いいや、死の懇願など、クルシュが受け入れるはずがなかった。ユウは知っている。そんなの分かっていた。

 

 ──それ、でも。

 

「……お願いします、クルシュさん……時間が、ないんです……」

 

「先ほどから何を言っているのだ! 本当に操られているとして、諦めるのはまだ早い! 何か分かっているのなら私に教えてくれ。諦める前に私に頼ってくれ。そうすれば私が必ずなんとかしてみせる! 生きることを簡単に諦めるなッ!」

 

 クルシュは、自分を殺せなんて抜かす男に諦めないことを説く。まだ何かできることはあるはずだ。まだ死にたくないと、彼の心は言っていたのだから。男が諦める命を、クルシュは諦めない。諦めることを許さない。

 

 

 ──簡単、ね。

 

 クルシュは言う。簡単に諦めるな、と。

 確かに、諦めなければ虫なんて、もしかしたら簡単に取り除けるのかもしれない。もしかしたら、そうして助かった後で、クルシュのもとで世話になれるかもしれない。もしかしたら、また、クルシュと、フェリスと、また……っ、また一緒に……。

 

 そんな、都合のいい夢を見れたなら、どれだけよかっただろう。

 そんな希望に縋れないほど、ユウはもう、壊れていた。

 

 ──二年、二年だ。

 

 二年、二年、二年。そんな地獄の日々は、ユウから生きる希望を、残らず拭い去っていた。それでも、ユウは死にたくなかった。そうさ、ユウは死にたくなかった。死ねなかった。まだ、生き恥を晒している。ユウは──。 

 

 クルシュにも完全ではないにせよ、この凄惨な部屋を見て、何があったのかある程度は察せるだろう。それでも、彼女から簡単に、なんて言葉が出るのはきっと──僕を怒らせるため。

 

 僕が経験した狂気を、辛さを吐き出させる為。

 僕が真に不幸であったなら、きっとすべて吐き出していた。彼女の言葉にキレ散らかしていただろう。ふざけんな、と。何にも知らない癖に、綺麗ごと言ってんじゃねぇと。──ナツキスバルのように。

 

 そうしてきっと彼女は言うんだ。僕を怒らせた後、言うんだ。僕には想像もつかない綺麗ごとを。──誰かを救える綺麗ごとを。彼女は王道を突き進む真に英雄足る人。僕のような卑しい人間を光に連れ戻してくれる人。

 

 知っている。あなたがそういう人だということを僕は知っている。あなたは人の強さを信じている。誰もが絶望から立ち上がれると信じてくれる、だから誰もが、僕だって、あなたに付いて行きたくなる。

 それはナツキスバルと同じ英雄の資質。

 

 ──でも、でも、ダメなんだ。

 

 それでも、それが分かっていて尚、ユウはその手を取ることが出来ない。ここまで言って貰って尚、彼女の手を取ることが出来ない。

 

 僕は、そんな悲劇の主人公じゃない。僕には、救われる資格なんてない。ユウは誰よりも、己の事を知っている。自分のことは分かっている。

 

 

「……お願いします……」

 

「くっ、もういい! 卿にその気がなくとも無理やりにでも……──なっ!?」

 

 そう言いながらこちらへと近づいてくるクルシュだったが、しかし彼女は気づいた。十万人に一人にしか宿らない、特別で有用な加護が教えてくれる。教えてしまった。

 

「卿の、魂が……」

 

 ユウの魂は、もう──空っぽだった。

 

 世の中は等価交換。

 大いなる力にはそれ相応の代償がいる。人を生かすのに供物がいるように。彼を生かした『傲慢』は、適応しなかったが故に、彼の(オド)を贄に効力を発揮していた。オドを失った人間がどうなるかなんて、普通の人は知らないだろう。誰もそんな狂気な真似はしない。

 

 そう。彼はとっくの昔に、廃人と化していた。

 

「……あはは、バレちゃいました」

 

 彼はもう、壊れている。

 彼はもう長くは生きられない。

 彼は、もうすぐ死ぬ。

 肉体も精神も『傲慢』が無理やりもたせているが、もう魂が底をつこうとしていた。

 

「もう、長くないんです。それに……あなたを、傷つけたくないんだ。だから──」

 

「馬鹿なことを言うな! それが、それがなんだっ! だから諦めると言うのか! 私なんていくら傷つけてもいい! だから、私に卿を殺せなどと二度と言うなッ! 自分の事だけを考えろ!」

 

 クルシュは、彼女は涙を流しながらそう訴える。

 

 ──あぁ……僕は馬鹿か……。

 

 彼女は、まだ十数歳の少女だ。こちらでは大人であっても、ユウからすれば彼女はまだ子供と言ってもいい年齢なのだ。そんな彼女に人を殺せなんて、あぁ、罪作りもいいとこだ。まったく度し難い阿呆だ。

 

 ──僕は……。

 

 あぁ、分かっている。まだこれからである彼女に、自分を殺せということが、どれだけ罪深く、どれだけ傲慢なことなのか。そんなことユウにだってわかってる。

 

 ──でも、でも……っ。

 

 こんな目に合ったのに、なにも残せないで、なんにも見れないで、一人で死ぬのなんて、嫌だ。嫌なんだ。嫌なんだよ。

 僕は、本当に──。

 

 ユウは、続ける。

 その言葉、一言一言に罪を重ねていく。

 

「……お願いします。もう考えたんです。ずっと、ずっとここに来てからずっと、いいや生まれてから、ずっと……僕は、自分の事しか考えてこなかった。自分が幸せになることだけ考えて来た……誰かを幸せにするなんてこと、考えたこともなかった。僕は……」

 

 

 あぁ、そうさ、僕は──。

 

 

「僕は、最低な人間だ」

 

 

 ただ、忘れていたことを思い出しただけ。前世の罪を、忘れていた償えない罪を、自分が如何に汚く醜く、穢れた人間であるか、思い出した。それだけだ。

 

 誰かを救いたいって自殺しようとしたのだって、現実逃避の、自分にできる簡単な、出来の悪い言い訳だった。

 

 リカと付き合ったのだって、彼女を死なせたのだって、ぜんぶ、ぜんぶ、僕のエゴだった。

 

 あんなに立派な両親に恵まれたのに、自分が誰よりも命を大切にしてなかった。命の重さをわかってなんていなかった。

 

 

「だから、最後ぐらい……誰かの為に死にたいんです」

 

 

 それが、前にもまして出来の悪い言い訳であることをユウは分かってる。そんなこと分かってる。それでも、自分が死んで救われる人がいないなんて嫌なんだ。何も残せないなんて嫌なんだ。それはどうしようもない恐怖心。臆病者の戯言(ざれごと)。卑怯者の戯言(たわごと)。救いようもない屑の、最後の抵抗。

 

 大兎からクルシュを無駄に庇ったのだって。彼女は死なないと分かっていたのに庇ってしまったのは、ずっと意味のある死に場所を探していたから。彼女が、彼女が、彼女が好きと、そう言ったのだって全部全部全部自分の為だった。

 彼女らのことなんてなんにも考えてなかった。

 

 だからすぐ裏切られたなんて発想が出てくる。彼女たちを信じていないから。

 死んだ方がいいんだ、オレみたいな屑は。

 

「だから、だから……お願いです」

 

 必死に懇願する男。

 頭を下げて、泣いて乞う哀れで矮小な男に、クルシュは答えた。

 

「……わかった」

 

 それが本気で本性で本音で本当だと、加護を通さずとも理解できるから。

 だから──。

 

 

「卿を死なせはしない。後悔しているのなら次に生かせ。その為に必要なら私が卿を生かそう。だから──生きろ」

 

 

 彼女は曲がらない。それは、その魂の輝きは、眩しくてまばゆくて何よりも美しい。

 

「……ハハ、知って、ました。分かってました。オレ如きに、あなたを汚すこと、なんて、できないんだ、って」

 

 彼女に照らされると、まるで自分も明るい世界の人間なんだと思えてくる。綺麗な人はたくさんいても、僕みたいな人間には自分が余計に穢れた人間だと浮き彫りにされているように思えてならなかった。辛かった。

 

 だけど、彼女は違う。この世界に来て、幻でしかないはずの彼女と触れ合って、思えたんだ。彼女と一緒なら、自分でも輝けるかもしれない、なんて。

 

「ハハ、ははは……だから……はぁ……」

 

 でも、彼は何一つ成長していなかった。

 彼は理解してしまった。自分は、誰かを救える人間なんかでは、ないのだと。

 彼は、変わることのできる人間ではなかった。

 だから、

 

 

「──さようなら………ありがとう」

 

「──っ! まっ──」

 

 

 こうなるもの、自然の成り行きだろう。

 

 ──ユウは、

 ──彼女と同じ、風魔法で、

 

 ──自身の首を掻き切った。

 

 

『──お揃いですね!』

 

 

 ──あなたと同じだって知って、嬉しかったなぁ……

 

 ユウは字面に崩れ落ち、冷たい地面の感触に沈む。

 

「っ死な!」 

 

 くるしゅの声が聞こえる。

 

「生きろっ!」

 

 彼女がこちらの顔を覗いている。泣いている。

 ユウは残った腕で、彼女の涙を拭う。

 

「……ごめんなさい

 

 ユウは誤った。

 ずっと誤っている。

 ずっと、ずっと、誤り続けている。

 

「……おねが、い一つじゃ、ありませんでした」

 

 クルシュが首元を押さえ、一時的に血が止められて生まれた僅かな時間で、ユウは願う。

 

 ──人は死に瀕した時、本性が出る。

 

 彼が最後に願うのはなんなのか。

 今までずっと演じてきたユウという殻を脱ぎ捨てて、最後に、死の間際に、人生で最も自由な時間に、彼は彼として願う。

 

 

「フェリスを、あの子を、助けてあげてください」

 

 

 ──彼は願う。彼女の安否を。

 

 彼はずっと演じてきた。

 彼女たちに合わせて振舞ってきた。

 それは仮面で、それは偽物。

 嘘だった。そのはずだった。

 

 しかし、彼が真に終わりを目前にして願ったのは──他者が救われることだった。

 

 

 ──ならばきっと、それが答えなのだろう。

 

 

「…………わかった。クルシュ・カルステンの名において必ず助け出すと、我が魂に誓おう」

 

 

 ──やっぱり、クルシュはクルシュなんだなぁ…… 

 

 そんな感慨を得て、

 最後に、男は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 クルシュは思う。

 それは、その顔は、本当に、本当に、今まで生きてきた中で見た何よりも──優しい顔をしていた。

 

 ──■は人と接して初めて、なれる。

 

 最後に笑って死ねたのなら、きっとそれは幸福なことなのだろう。だが、それはそれとして、この蛮行を齎した者を許しはしない。

 

 クルシュは瞳に光を写さなくなった男の瞼を閉じさせて立ち上がり、彼の願いを叶える為 歩き出す。その瞳に必ず助けるという琥珀色の闘志を宿して。

 

 

 彼女は行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の死体が一つ。

 

 牢獄に転がっている。

 

 

 

 

 

 

 死んでいる。

 

 確実に死んでいる。

 

 

 頭の中の寄生虫も、宿主と共に心中している。

 

 後に兵士が回収に来て、埋葬されるだろう。

 

 

 物語はおしまい。

 

 彼は主人公になることなく。

 

 この世界での役割を終える。

 

 

 それでお終い。

 

 彼は最後に救われた。

 

 彼は本当を手に入れた。

 

 だから、もう、終りのはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──ズルい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬の声が聞こえた。

 

 

◆◇◆

 







アーク―ムーのーはーじーまーりー、デス。

クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?

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