憂鬱の魔神   作:萎える伸える

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 飽き飽きする毎日デス。一万と千


『それは罪』

◆◇◆

 

 おはようございますこんにちわこんばんわ。オレは憂。七星(ななほし)憂です。

 

 本日はものすごく快適なオレの家を紹介したいと思います。

 

「フンッ!フンッ!」

 

 ここはなんと家賃ゼロ。これは凄いことです。現代日本に家賃ゼロの場所など刑務所ぐらいしかないのではないでしょうか。ええ、まぁここも似たようなものですが。しかしここに刑務等はありません。自由です。

 

 家賃ゼロ。ただ住むということにお金がかからない。それは人に働かずとも暮らしていいのだと、生きていいのだとそういう肯定の念を感じさせてくれます。

 

 ただ難点が少しだけあります。

 

 まずトイレがないこと。これが辛い。そして日当たりも悪く、風呂もなく、何故か血なまぐさい。

 

 ブチッブチッ

 

 でも家具が常備されてます。椅子です。椅子は欲しいですよね。

 

 プチップチッ!

 

 更に朝夕の食事つきです。何の肉かわかりませんが、まぁ不味くはないし毒も、おそらくないです。少なくともオレは食べても問題ありませんでした。だから問題ないです。

 

 バキッバキッ!

 

 えぇしかし最大の欠点は隣人さんがうるさいことですかね。

 

◆◇◆

 

「このっ!このッ!コノコノコノ!!!」

 

 力む声と共に響き渡る不気味な音。それは肉の潰れる音。押し切れる音。爪の割れる音。一本一本丁寧に潰されていく足先の音だ。

 

 想像するだけで痛く苦しく辛くなる。しかし、

 

「ふぁーぁあ」

 

 当の本人はあくびまじりに退屈の吐息を吐いていた。

 

(どうしたもんかな)

 

 痛みを感じず、何故か子供の身体で、尚且つ再生までする意味不明な肉体にも慣れてきた。そして同時に飽きてきていた。

 

 何も感じないのだ。怖くないだけじゃない。楽しくもなければ面白くもない。

 

 憂は拷問に飽いていた。切られても斬られても潰されても捩じられても引きちぎられても剥がされても刺されても折られても砕かれても削られても殴られても叩かれても蹴られても、死なない痛くない。

 

 そんな意味不明な自身の身体だが別段怪力ということはなかった。故に手足の拘束から逃れることはできない。

 

 憂にできることは脳内で独りごちることくらいだった。しかし二十日も経てばネタが切れる。

 

(夕ご飯まだかな)

 

 憂の楽しみは唯一食欲を満たすことだけだった。

 

「馬鹿にしおって!私を、私を私をを私を私を、私をッ!!あ゛あああああ!!!苦しめ!苦しめ!ぐるじめ゛ぇ!!!!!――ジネェェ!!!………ギ!!!?」

 

 バタン。

 

「………あ?」

 

 それは突然の出来事だった。

 

「――ぶっ倒れやがった」

 

 どこか狂った貴族だと思っていたが、まさかオレに舐められすぎて脳の血管でも切れたか?

 

 男は目、鼻、耳、顔の穴という穴から血を流し倒れている。

 

「えぇ…。…おーい、起きろー生きてっかー」

 

「………」

 

 ただの屍のようだってか。

 

「おいおい、どうすんだよ」

 

 

 憂は一人取り残された。

 

 

 

◆◇◆

 

 ポタ、ポタ、ポタ。

 

 あれから、もう二週間。

 

 拷問官が再び立ち上がることはなく、食事も止まり、憂は飢えていた。

 

 水の滴る音がする。それは口から滴る唾液の音。飢餓の限界。

 

 椅子に縛り付けられた憂は一週間、抜け出す方法を考えた。しかしどれだけ暴れても手枷も足枷も外れなかった。

 

 どうせ治るし痛みもないのだ。時間を掛ければ無理やり抜け出せるだろうと、そう思った。

 

――甘かった。

 

 まず腕を折った。可動域の限界を超えて動かすだけで簡単に折れた。一回じゃ足りない。何度も何度も粉砕するまで折って手枷から抜こうとした。しかし、

 

――再生の方が遥かに速かった。

 

 どれだけ折っても抜け出す前に再生する。関節を外しても、肉ごと千切り取ろうとしても、抜け出す前に再生する。

 

 

 次に拘束を破壊しようと足掻いた。しかし鋼鉄の拘束はどれだけ藻掻いてもどれだけ頭突きしても噛みついても壊れなかった。

 

 一週間ずっと、破壊しようと足掻いたが遂には歯形を付けるだけに終わった

 

 動かせるのは首から上だけ、飢えは限界。そもそも食事なし水なしで人は二週間も生きていられない。これもおそらく再生能力の恩恵だが、もう限界だ。

 

(食い物…食い物…食いもん…肉…肉…肉…)

 

 思考はもう飢餓で埋め尽くされている。

 

 大切な水分を唾液として放出してしまう矛盾。

 

「ハアァ…ハァ…ニク、ニク、ニク!!………あ」

 

―――肉ならあるじゃないか。

 

 たくさん。たくさん。

 

 食べても食べてもなくならないお肉が。

 

 こんなに近くに。

 

 どうして気づかなかったんだろう。簡単なことだった。

 

 

 飢餓の狂気に至った憂は、――自身の腕に嚙みついた。

 

 

 ブチ、グシャア、ポタ、ポタ

 

 

―――美味しい。

 

◆◇◆

 

「ふぅ…」

 

 憂は拘束から抜け出した。

 

 骨がむき出しになるまで、食べた。どういう原理かわからないが、食べたところの再生は遅かった。もしかしたら食べられた部分を再生に利用できないからかもしれない。

 

 憂はそのまま骨を砕き、拘束から解放された。腕が自由になれば後は簡単だ。並べられていた拷問器具の中からナイフを取って斬るだけだ。切れ味のいいナイフだ。

 

 なくなった腕も、斬り落とした足も再生が終わり、憂は立ち上がった。

 

「…おわっとと」 

 

 ドサ、と尻もちをついた。当然だ。もう一か月も座りっぱなしだったのだから。立ち眩みもするだろう。しかしそれもすぐになれる。

 

「…いくか」

 

 ガキン、ガシャン

 

 牢獄の南京錠を外し、憂はこの世界に来て初めて、外に出た。

 

 

 

 

 

 歩くあるくあるく。廊下を歩く。一本道だ。 

 

 明かりはたまにある蝋燭だけ。ほとんどの蝋燭は切れていて、ポツンポツンと奥へと続く道を照らしている。

 

 奥に見えるのは暗闇。

 

 この一か月。あのビーンと名乗った男しか見ていないが、あれが貴族であるのなら兵隊がいてもおかしくない。慎重に慎重に歩を進める。

 

 

「?」

 

 なにか聞こえた。

 

 それは空気の音。空気が吸引される音。空気が吐き出される音。

 

 人の呼吸する音だ。

 

 ちょうど何も明かりのない場所に、ただ呼吸音が響いている。

 

――敵か、味方か。

 

 味方である可能性は極小。

 

 敵ならば、――殺す。

 

 憂にとって、この世界の人間はあの男のみ。憂にとって、あの男が基準。故に、殺せる。あんなのは人の形をしているだけの獣だ。

 

 もし、この世界すべての人間があのような狂人であるのなら、殺せる。

 

 憂に人を殺せる度胸はない。しかし獣なら殺せる。妙に冷静、否、冷徹な思考が彼に覚悟させる。

 

 ゆっくりと音に向かって近づく憂。

 

 

「………すぅ………すぅ………」

 

 手にナイフを構え、それに触れる。

 

 柔らかい。子供、か?寝ているようだ。

 

「………はぁ」

 

 憂は迷った。しかし決断する。

 

 

――子供は見捨てられない。

 

 憂は子供が起きるのを待った。

 

◆◇◆

 

「ん……」

 

 ■■■■■■は目を開く。その瞳は猫のように縦に鋭い瞳孔をしていた。この暗闇でも、その瞳は周囲を見通す。

 

 しかしすぐに目を閉じる。そしてもう何もすることはない。

 

 毎日少しだけ期待して目を開くも、何も変わらない。

 

 少し前から食事もなく、もう死んでいくしかない身だった。

 

 しかし■■は何もしない。何もできないからではない。何をすればいかわからないからだ。

 

 お腹がすいたと泣くことを知らない。寂しくても、寂しいという感情を知らない。希望がなければ、絶望もしない。

 

 それは生きる人形だった。受け身の最終系。■■はそれを受け入れていた。

 

 ■■■■■■はただ言われたことをするだけ。食べろと言われれば食べる。ここにいろと言われたからここにいる。変化のない日常が■■にとって当たり前だったから。

 

 しかし、少し前■■は初めていつもと違う命令を受けた。

 

『ここに来た人間を攻撃しろ』

 

 そう言われたから、■■はここに来た人間を■■の持つ力で攻撃した。

 

 ■■■■■■には心がない。それは■■の持つ防衛本能による処世術。痛みも苦しみも、感じない。感じたくない。

 

 しかし、『■■■■』と呼ぶ声に、少しだけ――胸がチクっとした。

 

 あの男は誰だったのだろう。そう思うも、すぐに忘れようとする。きっともう会うことはない。そうわかるから。

 

 身体は痛くないのに、なぜか感じるこの胸の痛みも、忘れる。

 

 ■■は期待しない。希望を持たない。

 

 ■■はこの場所で、このなんの変化もない場所で、少しずつ弱って死ぬだけの存在。

 

 なのに。

 

 

 

「――目が覚めたか?」

 

 

 そこにはいるはずのない男がいた。

 

◆◇◆

 

「目が覚めたか?」

 

「………」

 

 反応がない。暗くて表情も読み取れないが、こちらを見ている視線は感じる。

 

 故に憂は話しかける。

 

「あー、なんだ元気か?」

 

 自分はいったい何を聞いているのか。人と話さな過ぎて話し方を忘れた。

 

「………な、んで」

 

 少女か、少年か、その高い声からは分からなかった。どれだけ声を発していなかったのだろう。その声はカスカスだった。

 

 それより。

 

「なんで…?なんでって、なにが?」

 

「………」

 

 また反応がない。話せると分かったが、会話が通じない。

 

 仕方なく一方的に話しかける。

 

「えっと、ここから抜け出したいか?」

 

「………」

 

 反応なし。

 

「お腹、すいてるか?…食べ物もってないけど…」

 

「………」

 

「なんでこんなところにいるんだ?」

 

「……言われた、から」

 

 答えた。

 

「!言われたってのは、誰に?」

 

「………」

 

 また答えない。しかし、

 

―――こちらに手を伸ばしてきた。

 

 影が近づいてくる。

 

 だから憂もゆっくりと、手を近づけた。

 

 手と手が触れ合う。

 

 

 ドクン

 

 

 心臓が跳ねた。

 

「……あ?……がはっ」

 

 ドクドクと心臓が脈打っている。突然なんだというのか。

 

 痛みはなく苦しくもない。しかし突然吐血した。

 

 

―――しかし、それだけだ。

 

「……な、なんで…」

 

 その様に子供は驚いているようだ。

 

 この子供がなにかしたのか…?

 

「お前、なんかしたのか?」

 

 敵か、とそう思考が過り、子供相手に鋭い視線を向ける憂。

 

「…ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」

 

 すると謝り始める子供。

 

 なにがなんだか、こいつは敵なのか。憂は思考を巡らせるが、でもしかし何故だろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 気持ちの悪い感覚だ。むしゃくしゃする。その感情のまま、憂は言う。

 

「……ああもう、なんだかわかんないけど、いいよ。別に痛くも苦しくもなかったし。許す。というか謝るぐらいならちゃんと話せ。やりづらいだろううが」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

「ん。それで、なんでお前こんなとこにいんの」

 

「え、えっと…」

 

 怯えられている気がするが、きっと気のせいだ。仕方なく一旦腰を落ち着けて話すことにする。

 

「ん、そうだな。ごめんな、怖いよな」

 

「え、いや…」

 

 

「――オレの名前は憂。ただの憂だ」

 

 

 まだ自己紹介をしていなかった。

 

「――ユウ」

 

 なぜだろう。名前を呼ばれただけなのに、心のどこかがざわめく。

 

「――おう。んでお前の名前は?」

 

「ぼくは…――フェリ………ふぇりす」

 

 一瞬なにか躊躇ったように、しかし子供は名乗った。

 

「フェリス、か。うん、いい名前だな。――ああ、いい名前だ」

 

 この子供と、いやフェリスと話していると、何故なのだろう。不思議と心が落ち着く。

 

 心の中で、フェリスと呟いて凄くしっくりくるのを感じた憂は繰り返しいい名前だと呟くように言った。

 

 心の衝動の赴くまま、憂は言う。

 

「なぁフェリス。握手しないか?」

 

「あくしゅ?」

 

「握手ってのはな…ほら手出せ」

 

「……」

 

 無言で、なにか期待するように先ほどと同じように手を出すフェリスに、憂は一切躊躇わずその手を握る。

 

 その手は、暖かくて。温かくて。

 

 なんでなんだろう。

 

「……あったかい」

 

「……っ…!」

 

 何故なのだろう。 

 

「?――ないてる、の?」

 

 涙が、止まらなくて。

 

「い、いたかった?ご、ごめんなさ、ん」

 

 そう言って、手を放そうとするフェリスの手を強く握ってしまう。

 

「――ユウ?」

 

「……ぐ、うぐ……」

 

 その小さな手を両手で握り涙を流すことしかできない。

 

 

 

「―――だいじょうぶ。だいじょうぶ」

 

 昔、ずっと昔に、誰かが言っていた言葉を、誰かが自分に言っていた言葉を、フェリスは口に出した。

 

 その頃はとても温かくてとても優しい場所にいた気がする。

 

 今、その時の言葉を思い出して言いたくなったのは、きっと男の手がそれと同じくらいあったかくて、やさしかったからかもしれない。

 

 

 暗くて、冷たくて、何もない場所のはずなのに。

 

 今は明るくて、温かくて、満ち足りた場所のようだった。

 

 暗くて明るい部屋で、慰める言葉と、すすり泣く声だけが響いていた。

 

◆◇◆

 

「…ごめん、な。急に泣き出したりして」

 

 どうしてかわからない。わからないけど、救われた。憂は救われた。

 

 どうしてこうも自分は弱いのだろう。救われてばかりなのだろう。

 

『―――』

 

 ああ、違う。そうじゃないだろう。それはただの言い訳なんだ。それじゃあ何も変わらないんだ。救おうとしようとそうでなかろうと人は救われる。それは強いだとか、弱いだとかじゃないんだ。

 

 だから。

 

「いや…ありがとうな、フェリス」

 

「ありが、とう…?」

 

「ああ、ありがとう」

 

「………」

 

 それはただの一語なのだ。たったの一語。数音。ただの、振動でしかない。

 

 でも、その振動は時に、人の心までもを揺さぶる。

 

 『ありがとう』という言葉に秘められた力がフェリスの心を揺さぶる。その言葉に湧き上がる何かがある。なのにソレがなんなのか、フェリスはわからない。

 

 胸が痛くて、目が熱くて、『■』が震える。

 

 フェリスはその放出の仕方を知らない。それは苦しくて、■しい。

 

 今度はフェリスが憂の手をその小さな手で包み込み、強く目を瞑る。

 

 それは、いけない事だから。それは、苦しいことだから。

 

 ■望を持ってはいけない。期■してはいけない。それをしてしまったら、苦しくなるのは自分だから。

 

 そうやって、何もかもを抑え込んで、ふさぎ込んで、我慢する。

 

 人はそれを『憂鬱』と呼ぶ。

 

 

「――フェリス」 

 

 

「―――あ」

 

 

「いいんだよ、泣いても。いいんだ」

 

 憂は言う。

 

「泣きたいときは、泣いてもいいんだよ」

 

 憂は知っているから。

 

「それは君の弱さの証明じゃないんだ。それは君が悪いんじゃないんだ」

 

 憂は教えてもらったから。

 

「それは、君が本当に優しい子だからなんだよ」

 

 温かさに縋るフェリスを、凍える心を温めるように、憂は抱きしめた。

 

「…んぅ」

 

 フェリスは知らない。知りたくなどなかったのかもしれない。いや、知らない方が良かったのかもしれない。

 

 

 苦しい時、悲しい時、誰かに救われることは必ずしも最良ではない。一人で解決しなければ成長できない人もいるのだから。

 

 でも、それでも。これが間違いだったとしても、これがこの先彼女を縛ることになっても。今、この瞬間がすべてなのではないだろうか。

 

 未来のことを考えない人間を、人は時たま現実逃避という。今だけを考えて生きる人間を、人は時たま向こう見ずな馬鹿だと嘲る。それは正論なのかもしれない。

 

 でも人は機械になど憧れていない。人が憧れるのはいつだって正義の味方。

 

 未來のことは、その未来が今になった時に考えればいい。この世にあるのはただ一つ。未来でも過去でもない。今なのだ。今が、最初で最後なのだ。それは綺麗ごと。でも、それでいい。だって人を救うのはいつだって、正論でも、合理でもなくて、――綺麗ごとなんだから。

 

 

「ッん…ふぇっ…」

 

 

 泣くのは、恥ずかしいかも知れない。泣くのは、もしかしたら笑うより難しいことなのかもしれない。

 

 だって、泣くのは悲しみを受け入れることだから。悲しいと心から叫ぶことだから。

 

 一度決壊すれば、もう戻れない。それは怖くて、未来に逃げてしまうこともある。でも、誰かがほんの少し背中を押してあげるだけで、人は勇気を振り絞ることが出来る。それが人が人たる所以なのだから。

 

「うぇぇ…わぁぁあぁあぁん」

 

 大きな泣き声。みんな大人になればなるほど、赤子のように泣くことはできない。その理由はきっと誰にも分らない。わからないけど、どれだけ成長しても、どれだけ一人に慣れていても、赤ん坊みたいに大声で泣いちゃいけないなんてことは、きっとないんだ。

 

「――大丈夫。大丈夫だよ」

 

 さっきとは真逆。何も見えない暗闇の中、憂はフェリスを抱きしめて背中をさすりながら言う。

 

 感じるのはその温かさとその鼓動だけ。

 

 それはとても居心地が良くて。泣きたくなるほどの温かさで。

 

 心を塞ぎこんで自分の殻に閉じこもっていた二人を、その殻を親鳥が卵を包み温め孵すように優しく砕いて開放する。

 

 人は人に救われても成長はできないかもしれない。

 

 でも、人は人と関わることでしか生まれ変われないのだ。

 

 その泣き声は産声だ。

 

 悲しいとか、嬉しいとか、そんなのわからなくたって人の子は泣ける。赤子がそう証明してるじゃないか。

 

 

 

 

「……フェリス?」

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 眠ってしまったようだ。存外泣くのは疲れるからな。本気で泣くから疲れるのだ。

 

「……君の顔が見たいな」

 

 早く暗闇から抜け出して、この子の顔を見たい。

 

 ここはきっと異世界で、知り合いも頼れる人もいない。

 

 でも、フェリスと一緒ならなんとかなる気がする。

 

 そうさ。世界なんてのは割となんとかなるようにできているのだ。

 

 ここから抜け出して、仕事を見つけてお金を稼いで二人で住める家を買って、そうやって普通に暮らすことがきっと――。

 

 

 

 

 

 ガゴンッッ!!!!!………からんからん

 

 

 

 

 

 そんな二人を許さない世界があった。

 

◆◇◆

 

「ぐっ!うぐっ!こんのっ!」

「ふぅ!…ふぅッ……ふぅッ!…ごろずぅ…」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

 

 何も見えない暗闇で三つの声が響く。

 かすれた声、鼻息の荒い声、謝る声。

 三者三様、狭い牢屋は混沌に満ちていた。

 

◆◇◆

 

 ドスン、ドスン、ドスン

 

 音がする。その音と共に奥からだんだんと消えてゆく燭台の灯。

 

 誰か、いや何かが炎を消しながら近づいてくる。

 

 憂は震えだすフェリスを抱きしめ立ち上がり今すぐにここから脱出しようと試みる。

 

 が、ここから最も近かった蝋燭が消える。

 

 同時に、何かの近づいてくる音。

 

(何も見えないッ!)

 

 

「ふぅ!ふぅ!ふ―ッ!――ニクッッ!!!」

 

 

 その声は、真後ろから聞こえた。

 

「ぐっ。――がッ!」

 

 憂は何かに押し倒され転倒する。なんとかフェリスに怪我をさせないよう、巻き込まぬよう逃がすも憂はソレに乗りかかられ身動きを封じられてしまう。

 

「なんだっ!こいつッ!うぐッ」

 

 抵抗するも子供の身体では力が足りない。

 

 さらには首を絞め上げられ苦痛の声を上げる。

 

「――ごろ゛す…殺じて゛や゛るぅ…喰わ゛ぜろぉ……」

 

 この声。

 

「おま、えッ生きて、やがったかッ」

 

 拷問官である。しかし明らかに様子がおかしい。

 

 殺すはともかく、食う、だと…?それではまるで獣、いやゾンビだ。

 

 それが嘘ではないことはすぐにわかった。

 

 

 ぐちゃり

 

 

 噛みつかれた。首筋から血が噴き出す。

 

「がはッ」

 

 まずいまずまずい。

 

 そう危機感が思考を乱すものの、それでも憂は冷静に思考する。

 

 ――喰われれば再生が間に合わないッ!

 

 そう。それはさきほどわかったこと。このまま喰われ続ければ憂は、――死に得る。

 

(そんなこと、あって、たまるかッ)

 

 せっかく見つけたのだ。これから特別になれるかもしれない子を。

 

 分かり合えるかもしれない子。傷を分かち合えるかもしれない子。

 

 助けたい子。自分の生きる意味になるかもしれない子。

 

 助けなければ、いや助けたいのだ。

 

 こんなところで死ぬわけにはいけない。ここがどこだか知らないが、あの子を助けぬまま死ぬなんて、許せない。憂は、また誰も助けられないなんて、認めない。

 

「あがッご……ごんの゛……ッ」

 

 喰われることを最大限に警戒し相手の顔を全力で抑える憂に対して、獣のごとき男はならば殺してから食らってやると首を絞めてきた。

 

(ダメだッ力が足りないッ)

 

 咄嗟に自身の首を絞める腕を掴むも、抵抗むなしく再び噛みつかんとしてくる。防げない。

 

「――フェリスッ!頼むッ!さっきのをこいつにッ!」

 

 助けたい子に、助けねばならない子に頼るのは情けない限りだが、このままじゃおとされる。そうなれば次は確実にフェリスが狙われるだろう。故に憂はフェリスに助けを求める。しかし、

 

「――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ッ!」

 

 転んだ衝撃で目を覚ましたフェリスはしかし、目を閉じ自身の身体を抱き殻に籠り、ひたすら謝っていた。

 

(トラウマか、恐慌か)

 

 あるいはどちらもか。どちらにせよフェリスは動けない。このままじゃ。死ぬ。

 

 

 ピタ

 

 

 動きが止まった。

 

 男の腕は未だ憂の首を絞めているが力みが止まった。

 

「………ヴぇり、ぐず………」

 

(なんだっ?)

 

「ヴぇりっくずふぇり゛くすふぇりっくす。――フェリックスッッ!!!!」

 

「げはッ」

 

 男はそう言って憂の拘束を解き、そして突貫する。――フェリスに向かって。

 

(まずいッ!)

 

 ここまで冷静だった憂も焦る。

 

「ひっ!ごめんなさい、ごめんなさい、お父さん、ごめんなさいっ!」

 

 それに気づいたフェリスは言った。

 

(こいつが、フェリスの父親?いや)

 

 今はそんな事どうでもいい。フェリスが食われる。

 

 いけない。あってはならない。それはダメだ。許してはならない。許されてはならない。こいつが誰だろうとどうでもいい。父親だろうがなんだろうが、フェリスはオレが助ける。

 

 しかし憂には手段がない。

 

 あるのはおよそ不死身の肉体のみ。しかし肉体は非力な子供。

 

 すでにフェリスに向かって飛び掛かっている男。

 

 時間なんてもはやありはしない。

 

(どうすれえばどうすればどうすればどうすればどうすれば)

 

 どれだけ脳が冷静で思考が早かろうと答えがなければ意味がない。

 

 脳が焼ききれそうな程、スローモーションの世界で無理やりに思考を加速させ考えて考えて考える。

 

 死ぬわけにはいかない。

 フェリスを守らなければ。

 オレは、フェリスを守るんだ。

 どうすれば、どうすれば、どうすれば。

 足が、砕かれてる。首の骨も折れている。無理やり起き上がるので限界。フェリスフェリスフェリスふぇりすふぇりすふぇりす。大切になれるかもしれない子。いいや違う。大切な子。もうあの子はオレにとって大切だ。救われた。こんなわけのわからない世界に来て、ここを抜け出したところで生きる理由もなく死ぬしかなかっただろう自分に生きる理由をくれたんだ。それになぜかわからないけどあの子に名前を呼ばれて大丈夫と言ってくれたから、自分の中のなにかが救われた。わからないけど、でも救われたから。だから助けたい。今度はあの子を救いたい。

 

(また、また救えないなんて、そんなの──絶対に許さない)

 

 憂の中でなにかが膨れ上がった。

 

(なぁオレの身体。あるんだろ、力が──)

 

 数舜の間なのにもうずっと考えているような気がする中、憂は己に語り掛ける。

 

 意味の分からない再生力に痛みを感じない身体。子供の頃にまで縮んでいる不可思議な体。

 

 根拠はない。しかし憂は確信している。この身体にはまだ何かがあると、そう信じている。それはある種狂人の域。あるはずのないものをあると信じるなど。

 

 目には見えない、感じ取ることもできない、それが何かもわからない。

 

 が、聞こえた。

 

『■■■』

 

 それが何かはわからない。わからない、がわかる。

 

 憂はそれをその心の激情のままに叫ぶ。構えるのは手。男に向かって。時が、動き出す。

 

 

「──フーラッ!」

 

 

 それは詠唱。世界に奇跡を具現化するトリガー。

 それは夢幻の創造。

 生み出されるは翠緑の風。不可視なる凶器。

 

 それは世界を満たす空の水。

 それは生きとし生けるものを生かす慈愛の奔流。万物を包む大いなる気。

 

 そして恐るるべきは自然の猛威。

 

 

 ヒュイン

 

 

「──ァッッッ!!! …………」

 

 

 スパ、そう聞こえてきそうな程、あっさりと淀みなく少しの乱れもなく、男の影が真っ二つにずり落ちた。悲鳴もなく最後に何も残すこともなく、男は絶命した。

 

 飛び散る血。匂い立つ臓物の腐臭。まれで本当にゾンビのようだ。

 

「はッ……はぁ……ッ」

 

 緊張からか、限界を超えた思考からか、それとも人の形をしたものを殺した動揺からか、息を荒げる憂。

 

 しかしそれも少しすれば落ち着く。奇妙な感覚だ。

 

 そうして心を落ち着けた憂は問う。

 

「フェリス、大丈夫、か……?」

 

 おそらく血を被ってしまっただろう。トラウマになるかもしれない。だがそうしなければ死んでいた。

 

 憂は間違っていない。

 憂はフェリスを救ったのだ。

 

 それは良いこと。それは間違ってない。

 

 だが、

 

 

「…………ひっ」

 

 

 憂を見て、フェリスは怯み、そして後ずさった。

 

 それは無理からぬこと、フェリスはただの子供、優しい子供。傷つくのも傷つけるのも嫌な優しい子だから。どれだけ父親として酷かろうと、男はフェリスの父親だったのだから。

 

 それを目の前で殺した憂に、満面の笑みで感謝するなんてことはできない。

 

 それは当然の事。それは仕方のないこと。

 

 憂はそう脳内で冷静に分析する。

 

 が、

 

 

(は?)

 

 

 憂の心は受け入れられなかった。憂は極度に拒絶を恐れていたから。理解はできても、納得できない。助けたのに、報われないことを受け入れられない。

 

 誰かを助けることに対価を、報酬を求めることは強欲だろうか。例え求めているのがただ感謝を一つ貰うことだとしてもか。

 

 憂の心にあるのは怒りでも、悲しみでもない。――拒絶。

 

 大切な子に拒絶される恐怖を、その現実を拒絶しているのだ。

 

 

 

 だが──違う。

 

 違った。

 何が違うのか。

 

 フェリスが怯えたのは──憂じゃない。

 

 フェリスが怯えたのは──、

 

 ──憂の後ろにいる──

 

 

「──ああ、壊れてしまったか。残念だ。意識を遺している稀有な固体だったのに」

 

 

 ──憂は、

 

 ──その時、絶対的に。

 

 ──油断していた。

 

 

「グアアァァァアァァァッッッ!!!」

 

 

 この世界に来て初めての、激痛。

 痛みを感じなかったはずの憂の肉体が悲鳴を上げる。

 

 

「ダメじゃないか逃げ出しちゃ……あの子まで連れ出して。──いけない子だ。いけない子にはお仕置きをしないとだよね? さっ──実験の続きをしようか」

 

 

(なん、だ、こい、つ……)

 

 劇痛に沈むもしかしぎりぎりで意識を保っていた憂。見えるのは桃髪の女の子。いったい誰なんだ、この女は。

 

 女はこちらに気づいた。

 

「──おや? 意識があるのかい? ──それは凄い。竜も一撃で悶絶する術を最高出力でかけたんだが……それが君の『権能』なのかな? ……いや、少し違うな。まだ完全に適合していない。──にも関わらずその竜にも勝る耐久力……――やはり、君は特別だ」

 

 頭がガンガン鳴っている。

 

(何、言ってるのか、ぜんッぜんわかんねぇっ)

 

 口もまともに動かせず、話すこともままならない。

 半開きのまま微動だにしない口から舌をまろび出させながら地に付し、その状態でしかし眼だけには目一杯の反骨心を込めて睨みつける。それしかできはしないのだから。

 

 そんな憂に女は一方的に語る。

 

 

「再生能力に思考能力、変化する肉体に痛みを感じない身体──そして耐久力まで。やはり君を選んで正解だった。君のその『適応』の力をもってすれば必ずや実験は成功する。そうして遠くない未来、君は『それ』に適合する。私は確信をもってそう言えるよ。そう、君は私の──希望なのだから」

 

 

(選んだ……? 実験?希望?)

 

 微睡む脳内を満たす不理解。未理解。非理解。

 そんな惰考の末、限界が来る。

 

 

「ほら、フェリックス。──こちらへおいで」

 

 

 ──聞こえる。

 彼女を呼ぶどこまでも冷めた声が──。

 

 ──見える。

 悲痛に染まるフェリスの顔が──。

 

 

 故に確信する。

 

 ──こいつは『敵』だ。

 ──こいつが『敵』だ。

 

 ──絶対に殺してやる。

 

 そして、

 

 

 ──必ず助ける。

 

 

 それが憂の最後の思考だった。

 

 

◆◇◆

 





 語彙力。

クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?

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