よく読まずに契約書にサインなんてしちゃダメダメだよ?
◆◇◆
「目は覚めたかい?」
「………」
「身体の調子はどうだい、違和感はないかい」
「………」
「無視は酷いなぁこれでもワタシは女の子なんだぞ。そんな反応をされてしまうと傷ついてしまうなぁ」
この会話は、会話と言っていいのかわからないが、憂と謎の女とのものである。
素振りでは確かに普通の女の子のように見える。が、ダメだ。こいつの目は感情を写していない。下手くそな演技。それじゃあ憂は騙されない。
――くだらない。
「御託は言い。お前の目的はなんだ」
憂は再び椅子に縛り付けられていた。しかしその態度は尊大。まるでいつでも抜け出せると言わんばかりだ。
「――目的。目的、ね」
思ったものと違った態度に興味深そうにする女。
「こうして君と会話するのは二回目だ。そろそろワタシが誰か気になっているのではないかな」
二回目?この女はあれを会話だとでも思っているのか。だとしたら滑稽だな。生粋のぼっちだ。
「一方的に話しかけることを会話とは言わねぇんだよ」
「おやおや、手厳しいね。しかし会話をする意思がないのは君の方だろう?ワタシは君とちゃんと言葉を交わしたいと思っている。君にその意思があるなら、君の質問にも答えようじゃないか」
「屁理屈だな。こんな狭っ苦しい場所に閉じ込めて、実験だか何だか知らないが拷問紛いのことをして、それでも友好的に会話できると思ってるんならお前イカれてるぞ」
不毛な会話だ。どちらも自分の理屈を押し付けているだけ。
「それで?」
そんな会話に意味はないと、女は断ち切る。
「ならば君はどうすると言うんだい。言葉を交わすことを拒否するというのであればそれもいいだろう。ワタシはワタシの悲願の為、君を徹底的に利用するまでだ。しかしそれではあまりに君という人間に対して不誠実ではないだろうか。ワタシはできれば君に進んで協力して欲しい。君が協力してくれるのであればワタシのもつ知識において可能な範囲で君の望みを叶えよう。これは提案だ。――ワタシと契約を結ばないかい?」
「…契約?」
「そう、契約だ。決して破ることのできない魂の契約。もし破ったなら即座に死に至る絶対の契約だ。ワタシが求めるのは君がワタシの実験に協力すること。それだけだ。実験が成功した暁には君の望むものを与えよう。どうだい?君は、何を望むかな」
まるで憂が契約を結ぶと確信しているような口ぶりだ。
「不愉快だな。そんな怪しい契約をオレが結ぶとでも思っているのか?」
そんなはずはない。
「……君は冷静だね。冷静だが、――愚かだ」
「なんだ?契約するまで拷問でもするか?」
「ああ、そうしようかな――」
拷問などもはや何も怖くはない。
憂が今考えているのはどうやってこいつを殺してフェリスを助けるか。それだけだ。
それを魔女もわかっている。
「――彼女を」
そう言った途端出てくる空間の穴。
その先に見えるのはおそらく異なる牢屋に閉じ込められているフェリスだった。
「お前ッ!!」
「――勘違いしているようだからはっきりと言うが、ワタシは君にお願いしているんじゃあない。――これは命令だ」
(こいつッ!フェリスを人質にッ!)
「ハッ、はったりだねッ。あの子はお前にとっても大切な子なんだろ!?殺せっこない!」
それは虚勢か、それともまさか本気で言っているのか。
「随分と浸食されているようで残念でならないが、それも仕方のないことだろう。それほど適性があっては精神的に制御できぬのも無理からぬこと。ああ、知性の損失は忌むべきものだが、その適性は唯一無二のもの。ワタシはこれを喜ぶべきかそれとも嘆くべきか。感情というものは難解だ」
何を。
「何を言ってやがるッ!」
「…はぁ。――ワタシがあの子に期待しているのはその素質と肉体にだけだ。ワタシはあの子が生きてさえいればそれでいい。要するに、あの子をどれだけ痛めつけようとあの子がどれだけ苦しもうと、ワタシが躊躇うことはない。君が拒絶を選ぶというのであれば、ワタシはあの子を死なない程度に苦しめよう。それに相応しい術もワタシの知識にはある。さぁ、どうするんだい?我が身可愛さにあの子を見捨てるかい?」
「このッ悪魔がッ」
「悪魔、ね。当たらずとも遠からず、ワタシは、――魔女さ」
魔女。魔女。魔女。
それは悪者。それは悪人。
それは人智を超えた化物である。
「――ここに契約を結ばん。我が名はスピンクス。さぁ、君の名前はなんて言うんだい?望みと共に言いたまえ」
魔法陣が現れる。
杖を構え、魔法陣を使い、理不尽な契約を迫る、まさしく魔女。
スピンクスと名乗った魔女は憂にも名乗るように言う。それがおそらく契約のトリガーなのだろう。
憂に拒否権はもはやない。
憂は決めたのだから。彼女を守ると。
「――七星憂。あの子に、――フェリスには絶対に手を出すな」
「――ああ、――契約成立だ」
一瞬、ほんの一瞬。
嫌な予感が過った。なにかを決定的に間違えたような。
取り返しのつかない過ちを犯したような。
そして見えた。それを肯定するかのように、女の口が弧を描くように、こちらを嘲笑う笑みを浮かべた瞬間を。
憂は間違えた。
◆◇◆
痛い、痛いっ、痛いッ、痛いッ!!!
苦しい、苦しいッ、苦しいッ!!!
もう見たくないッ!もう聞きたくないッ!
もうやめてくれッ!もうこれ以上オレを苦しめるのはやめてくれ!
このままじゃ、死ぬ。
それはどれだけ優秀な肉体でも抗えぬ痛み。その痛みは、その苦痛は、どこまでも跳ね上がる。
どこまでもどこまでもどこまでも。
その苦しみに限界はない。限界があるとするならば死ぬときだろう。
このままでは破裂してしまう。このままでは張り裂けてしまう。
しかし死ぬことはできない。それは死に相応しき苦痛であるにもかかわらず、死ぬことは許されない。
憂は死を選ぶことはできない。
ならば抵抗するか、それを止めるか、目を塞ぐか、耳を塞ぐか、痛みを感じないようにするか、どれもできない。
『契約』がそれを許さない。
抗えば待っているのは死。しかし死ぬことは許されない。それは憂が死にたくないからではない。
死にたくなる音。死にたくなる景色。しかしそれから目を逸らすことはできない。抗えば死。抗わねば、延々とそれを感じ続けるしかない。
理不尽の板挟みが彼を苦しめる。
ここは、地獄だ。
◆◇◆
「やだッ!やめてッ!いやだよぉっ!やめてッ痛いよぉやだよぉあ゛ああああああああぁぁああぁ!!!!!!」
あの子が泣いている。当然だ。喰われているのだから、腕を。
フェリスが泣き叫んでいる。オレの目の前で。
なんだこれ。
なんなんだこれ。なんなんだよ。なんなんだよこれは。は。なんで、なんでフェリスが、こんな。こんな。
――止めないと。
しかし、動かない。
――止めないと。
動かない。
――助けないと。
動かない。
――救わないと。
動かない。
「動けよ゛ォッあ゛あああッ!!!!!オレの身体ァァァアアア゛ァァ!!!!!!!!!」
憂は椅子に座っている。ただ座っている。縛られているわけでもなく、ただ座ってその光景を見ている。
否、憂は縛られていた、『契約』に。
「――あぁ。いい叫びだ」
その傍らには魔女がいる。否、悪魔だ。こんな外道な真似をするのは悪魔でしかありえない。魔女なんて、そんな可愛い存在じゃあない。
そいつが蟲を操って喰わせているのだ。フェリスを。
その様を『契約』を用いて憂に強制的に見させている。
「殺してやるッ!殺してやるッ!殺してやるッ殺してやるッ殺してやるッ殺す死ね死ねよ今すぐ死ねあ゛あああああああああ!!!!ふざけるなッ!今すぐこれをやめさせろッ!」
憂は叫ぶ。それは怒り。激情。憤怒。
その激情に呼応するように狂風が舞う。周囲のすべてを切り割かんと狂刃が舞う。
しかし。
「『やめろ』。大人しく見て、聞いて、感じるんだ」
ヒュン。その言葉一つで、突如として消える。
それが『契約』、否、これはもはや『呪印』。憂にだけ一方的に課せられた魂を縛る鎖。『呪い』だ。
「――なんでッ!フェリスには手を出せないって契約だったはずだッ!!ふざけるなッ!!どういうことだッ!!!!」
それは当然の疑問。しかし、憂は間違ったのだ。決定的なことを。
「――『フェリス』。フェリス、ね。いい名前じゃないか。女の子らしい可愛い名前だ。しかし……それはいったい、どこの誰さんなんだろうね?」
「はァッ!?」
「二つ、無知で愚かな君に教えてあげよう。一つ、契約魔法は世界を介して施される。故に契約の順守と違反は世界が見定める。故に契約内容は世界の認識によるものだ。故に、契約の内容に『人名』が含まれる場合、それはその者の――『真名』でなければいけない。そしてあの子の名前は『フェリックス・アーガイル』。さて、君の定めた『フェリス』という名の人間にワタシは指一本触れていない。故に契約は破られず、ペナルティは下されない。――わかるかな?」
そんな、そんなの。
「そん、なのッただの屁理屈だッ!あの子がフェリスだッ!あの子に手を出すなッ!」
「残念ながら、契約は既に為された。もはやワタシの願いが成就するまで君はワタシに逆らえない」
終わりだ。詰み。もう憂にできることはない。憂は決定的に誤った。
「そしてもう一つ、――魔女と契約を結ぶことなかれ。いい勉強になっただろう?」
「やめでぇっ!食べないでッ!いたいよぉやだよぉ…――ユウ!」
―――『タスケテ』
「ごめん、ごめん、ごめんごめんごめん、フェリス、ごめん、オレ…」
助けられない。救えない。
こんなに近くにいるのに、手の届くところにいるのに。
意思とは無関係に憂の身体は動かない。フェリスが嬲られるのを見ているしかない。
――痛い。痛い痛い痛い。
身体はどこも傷ついてないのに。
――苦しい。苦しい苦しい苦しい。
一番苦しいのはフェリスなのに。
――このままでは死んでしまう。
胸が張り裂ける。心が破裂する。――心が、死ぬ。
「あぁ…あ゛あ、ああああああぁぁあああ!!!!!!!」
呆然と、愕然と、その胸に絶望を満たし、その心を『憂鬱』で満たされ、壊れたように涙を流しながら、張り裂けそうな程心臓を鳴らして痛む胸を押さえて、吐きそうな程苦しむ心は破裂寸前で、ユウは叫ぶ。
それは苦しみの咆哮。それは悲嘆の叫喚。
「――あぁ。もっと苦しんでくれ。もっと、もっと、ワタシの願いが叶うまで」
「――なんでッ!なんでこんなことするんだッ!あいつは何にも悪くないだろうがッなんであの子が苦しまなくちゃいけないッ!やるならオレにやれよッ!オレになら何をしてもいい!だからッ!!」
「おいおい、ワタシのせいにしないでくれ。それはね、――君のせいさ」
「オレの、せい……?」
不理解。オレが悪いのか。オレのせいで、フェリスは傷ついているのか。
その様子を眺めスピンクスは言う。
「ああ、そうだとも。ワタシはね、君に苦しんでもらわなければいけないんだ。君にはもっともっと、とある因子を引き付けるほど強く深く苦しんで絶望してもらわなきゃいけない。なのに君はその肉体の力で痛みも苦しみも感じないのだろう?――なら、君の
その女の話など、憂は途中からほとんど聞いていなかった。
心の中にあるのは絶望、傲慢、苦慮。
助けられないという絶望。助けたいという傲慢。そしてどれだけ冷静に冷徹に思考しても存在しない、答え。
その日、一日中。フェリスは手足を蝕まれた。
◆◇◆
ガシャン
牢屋の扉が閉じた。一日が終わり、拷問は終わりを迎えた。
牢屋の中にはフェリスと憂、二人一緒にいた。
二人は一定の距離を保ったまま。
近づくことが出来ない。気まずいとかそんな次元じゃない。
憂はフェリスに対して目を向けることすらできない。
しかし、憂は声をかけた。
「フェリス……ごめん……」
その声はかすれていた。再生能力に優れた肉体であるはずなのに、未だに喉は壊れていた。むしろ何度も壊れるほど叫んだにもかかわらずこうして話せることがどれだけ強い再生能力かということを示している。
憂の言葉は謝罪だった。
きっと枯れていなければ涙も流していただろう。いや、憂には泣く資格なんてない。憂は少しも傷ついてないんだから。
「ごめん……オレ、なんに、もっ!??」
バサ
音と、温もり。
それは抱き着く音。それは泣きたくなる温もり。
「………」
フェリスは何も言わない。ただ、抱き着いている。
憂はどうしたらいかわからない。抱きしめていいのか。
「んっ!」
しかし、反応のない憂に対して更に強く抱きしめた。
抱きしめろ、ということだろうか。
恐る恐る、憂はフェリスに腕を回す。
そうして触れる。直されてはいるものの赤く真皮の露出した腕と脚を。
「ぐっ、うぐっ」
痛い。苦しい。
涙目になる憂。しかし泣いてはいけない。泣くことは許されない。だって、苦しかったのはフェリスなのだから。
歯を食いしばって、泣くことをこらえる。
そんな憂を見て、フェリスは言った。
「――ないても、いいんだよ」
なんで。
「ユウの苦しそうな顔。ずっと見てた。ユウが泣いてるの、ずっと見てた。だから、大丈夫。――わかってる。だから、ないてもいいんだよ」
「なん、で…」
なんで。それは色んな思いが籠っていた。助けられなかったのに。救えなかったのに。見ている事しかできなかったのに。そんなに強いのか。なんで、そんなに優しいのか。
「泣けないなら、一緒になく」
ああ、どうして。君はそんなに強いのか。
どうして、自分はこんなに助けられてばかりなのか。
「――ごめん…ごめんなッごめん、ごめんね…何もできなくて、助けられなくて、ごめんなさい、ごめんなさい…」
「ん、大丈夫。だい、じょうぶ…」
涙を流しながら謝り続ける憂。
そんな憂の頭を撫でながら自身も泣きながら、だいじょうぶと、そう言い続けるフェリス。
明日も、明後日も、これから先の未来には絶望しかない。
でも、二人一緒にいればなぜだろう。耐えられる。
◆◇◆
クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?
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ある程度
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そんなに
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それより話を進めてほしい
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どっちでもいい
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お好きにどうぞ