どうかご自愛を。四五
『再会の一悶着』
◆◇◆
『———ユウ』
優しく包み込むような、少しだけ厳しい声。
『———ユウ!』
無邪気で癒される、少しだけ不安そうな声。
『———■』
知らない男の声、厳格で、少しだけ寂しそうな声。
『———■』
知らない女の人の声、そこには確かな慈愛があって、少しだけ辛そうな声。
——あなたは、誰。
その問いは口から出ることなく、女の人は続けて言った。
『———愛してる』
——僕も……。
最後まで言えなかった。
◆◇◆
「……はっ」
ユウは目を覚ました。
とても、心地のいい夢だった。今までにないくらい、絶望も恐怖もなく、切なさはあれど、やはり幸せな夢だった。
覚めたくない夢なんて初めてだったかもしれない。しかし、夢は起きなければならないもの。ユウは身体を起こした。
そばにはフェリス、『剣聖』の使っていた剣。
周囲を見渡せば上半身を失ったスピンクスの胴体に少しだけ積もった灰。
「……彼女も、殺したのか」
最後、気絶する間際、人としての遺志を取り戻していたはずだ。その彼女も今は灰となった。ホクトが自分の代わりにやってくれたのだろう。
「彼女のこと、ヴィルヘルムさんに伝えるべきだろうか……。いやでも、ヴィルヘルムさんはこのことを知らないはずだ。なら、知らないでいた方が……」
——いや、今はそんなこといい。
現実から目を背けてはいけない。怖がるな。待ちかねた再会だろう。
すーはー、と確かに小さく息をするフェリス。起こすのを憚られる気持ちが湧くが、ユウは起こす決心をする。
起こして、感動の再会をして、その声を聞くのだ。それがここまで辿り着いたユウの権利であり、褒美であるはずだ。
ユウはとある恐怖を、不安を押しのけてその肩を揺する。
「……フェリス?……起きて」
優しく壊れ物を扱うようにゆっくり慎重に揺する。その肌は柔らかく、その肌は愛おしく、その安らかな眠りを遮ることに背徳的な気分になる。
「………………ゆぅ……?」
ゆっくりとその目を開いて、フェリスは言った。己の名を呼んだ。最初に自分の名前を呼んでくれた。
嬉しい。感動的だ。感無量だ。
なのに。
——何も、感じない……。
ユウの心は何も感じなかった。
——どうして。——なんで。
「………ユウ?」
不安そうに問うフェリス。
——不安にさせるな。
答えろ。答えろ。その瞳を陰らせるな。
「…ああ。僕だよ、フェリス、ユウだ」
記憶がなくても、確かに自分はここにいる。フェリスの前で一切のぼろを出すな。信じろ。僕をユウと呼んでくれるこの子を信じろ。
「……ユウ」
「…うん」
「…ユウ」
「………うん」
なんで、こんな悲しい気持ちになる。なんで。なんで。
フェリスを信じろよ。僕なんてどうでもいいだろ?
——フェリスは、僕を呼んでいるんだ。僕を、僕だけを。——『ナナホシ・ユウ』を呼んでいるわけじゃない。
何を怖がってやがる。何を引け目に思ってやがる。疑われることを怖がるな。フェリスの身だけを案じろよ。
でも、でも、知られたくない。知って、もし拒絶されでもしたら、僕は。
信じきれない。
——フェリスがそうまで想ってくれているのは、——『
その不安が、その疑心が、ユウの声から自信を奪っていた。
「………」
そんなユウをフェリスはじっと見て。
「…ん!」
そう言って、手を広げた。
「……っ」
変わらない。
例え僕が変わっても、君が変わらずに僕を想ってくれるなら。
震えながら、その手でフェリスを覆って、懐にフェリスを招き入れる。
心は何も感じない。でも、身体は確かな熱を感じる。何もかもがなくなったわけじゃない。
きっと、フェリスといれば、きっとこの冷たく冷え切った心もいつか溶ける。きっとまた心からフェリスの声を聞ける時がくる。
——大丈夫。大丈夫。
きっと、大丈夫だよ。
そう安堵したら、なんだか、眠くなってきた。
フェリスの抱擁は、とても心地が良くて、このまま二人で二度寝でもしようかなんて、思えてくる。心地よい睡魔。
フェリスの手が、光っていた。その光は水の光。その幻想的な光は水魔法によるもの。
ユウが夢現に落ちたのを確かめて、フェリスはその頬を、喜悦に歪めた。
「ユウ」
「…うん」
「疲れたよね」
「…うん」
「少しだけ眠ったらどうかな」
「…でも、まだやることが」
「少しぐらい平気だろう」
「…じゃあ、時間が経ったら起こして」
「ああ、必ず」
「…そっか。じゃあちょっとだけ、いいかな」
「——ああ、お休みなさい、『ナナホシユウ』」
その声は無機質で、しかし確かな慈愛が籠っていた。
フェ■スの水のマナはユウの身体をめぐり、そのオドに干渉する。干渉されたオドは一種の催眠状態であり、その言うことをまともに聞いてしまう。
フ■■スの目的はわからないが、ユウはその言うことを聞いて眠りに就こうとしている。
だが、そうはさせない。
『いいわけあるか』
ユウの掌に不安定な薄紫のオーラが宿り、その手諸共、破裂した。
その衝撃で■■■■は吹き飛ばされ、壁に衝突する。
「…ああッ……やはり、別人格なのだね。普通はどちらかがどちらかを染め上げるものだが、共存するタイプとは珍しい。やはり君は興味深い」
勢いよく衝突した身体は所々折れ曲がり痛々しい姿にも関わらず——スピンクスは平然とその身体を治療して言い放った。すさまじい回復速度だ。
「……はっ」
両手の痛みでユウも正気を取り戻した。そしてゆっくり、壊れた絡繰りのようにゆっくり、その方を見た。
「………フェリス?」
「うん?ああ、ワタシは、いや——ボクはフェリスだよ、ユウ」
「…ふぇりす?」
「ああ、聞こえているよ」
「………フェリス。…フェリスは、どこ?」
「ここにいるよ」
「…フェリスをどこへやった」
「………」
「答えろッ!!!」
彼女は、フェリスではない。それは魔女、否、それは大切な子に憑りついた悪辣な、——悪魔である。
「もういない、と言ったら?」
魔女はおどけたように残酷にもほどがある真実を告げた。
「———」
脳が思考を停止していた。心が受け入れることを拒んでいた。
「……間に、会わなかった、のか?」
しかし、考えるまでもなく答えはそこにあった。
「…ふぇりす。フェリス、なぁ、そこにいるんだろ?ねぇ、ふぇりす、フェリスなんでしょ?応えてよ、ねぇってば!」
「………」
「なんとか言えよッ!ああ、なんで、どうして……っ」
「………」
「……お願いだ……。フェリスを、返してくれ……。フェリスの声を、聴かせてくれ……。お願いだから……ふぇりすを、かえして」
「——それはできない」
そこに希望はなく、されど絶望だけがあった。
「ははっはははははっ——あ゛ああああああああっ!!」
から笑いののち、ユウは発狂し、破損した両腕を再生しながら悪魔へ迫り、その首を絞めつけた。
「うぐっ」
ユウは殺さんばかりに腕に力を入れる。相手はフェリスの皮をかぶった悪魔だ。フェリスじゃない。
——殺してやる。殺してやる。殺してやる。
——死ね。死ね。死ねしねシネシネシネ!
ユウの頭の中は殺意で埋め尽くされた。悪魔を殺すため、怒りに身を任せ、その手に理不尽な世界へ向けてありったけの呪いを込めて。殺意という思いを込めて。
フェリスの気道が閉る。いいや、フェリスではない。こいつはフェリスの皮をかぶった化け物だ。悪霊だ。「う」
悪霊の顔が青く染まる。首から頭へと流れる動脈を止める勢いで喉を締め付けているからだ。「あ。が」
悪霊が抵抗する。やっぱり偽物だ。本物のフェリスなら抵抗しない。彼女は、僕になら殺されてもいいと、そうやって受け入れてしまう子なのだから。「ぐっ」
こいつは、偽物だ。僕が殺すのはフェリスではない、この悪魔だ。悪そのものだ。「あ゛」
こいつを殺して、フェリスを介錯して、僕も死ぬ、そうして戻ってまた、何度でも何度でも、その声を聴く為に死に続けるのだ。「あぐぁ」
その為だったら、死ぬことなんて怖くない。フェリスの顔をした悪魔を殺すことなんて怖くない。何も怖くない。だから、だから、「っ」
——涙を流すんじゃない。
泣くな、泣くな、泣くなっ。つらくない。苦しくなんてない。僕はまだ頑張れる。僕はまだ大丈夫。
またやり直せばいいだけだ。また、また、また。
いつまで、こんなことを続けなきゃいけないの。
「かはっ」
気づけば、ユウの手から力が抜けていた。スピンクスは地に落ち、その上にユウは覆いかぶさるように彼女の両際に手をついた。
必然、彼女の顔に雫が落ちる。
——殺せない。殺せない。僕には人を殺せない。
——ましてや彼女の顔をした子を、殺せるはずがない。
ユウには殺せなかった。
「あぁあぁああ、うああああっうぇぇうわぁぁああっひっく………」
もはや意味のない嗚咽を漏らして泣くことしかできなかった。どうして泣いてるのかもわからない。きっと疲れているんだろう。もう、何もわからないから、泣いているのだろう。
「………」
醜く、不細工に泣きわめくユウを、スピン■スはただ、じっと見ていた。その顔は無である。
「ごめん、フェリス、ごめんなさい……」
訳も分からず謝るユウ。それがフェリスではないと分かっていて、しかしその首を、ユウが絞めたことで痣のできた首筋を撫でて、謝り続ける。
殺そうとしたことへの謝罪、殺せなかったことへの懺悔。
「………」
「大丈夫。大丈夫だから、僕は大丈夫だから。大丈夫、必ず君を助ける、だから、待ってて、君を助けるためなら……何度だってっ」
だくだくと、もはや制御のできない涙を流して、自分は大丈夫だと偽って、無理をして、苦悩を抑え込んで、抱え込んで。
ユウはゆっくりとそばの剣を拾って、ゆっくりとその剣を掲げる。——その矛先を自分に向けて。
「ああっ、うああっ、ひっく、うう」
涙は止まらず、訳も分からず、その剣を腹に向かって振り下ろして。
その剣が辿り着く刹那の間に。
その小さな手が、その頬に触れた。
「———。」
涙が止まった。どうにもならない感情の波が、溢れ出した情動が、その掌の温かさ一つで停止した。
ユウはゆっくりとその手に自分の手を重ねた。
そして、ゆっくりと、落ち着いて、その方を見て。
「………しな、ないで」
──心が、震えた。
──脳が、震える。
──魂を振るわせるその振動。その声音。そのすべて。
──抗えぬ慟哭が胸を穿った。
「フェリ、ス?」
「ユウ……ユウがいる……ユウ…——会いたかったっ」
そう言ってフェリスはユウに抱き着いた。
「———。」
心臓が壊れた。身体が壊れた。脳がおかしくなってしまった。
心臓が爆音を鳴らして血を巡らせる。
身体が言うことも聞かずにフェリスを抱きしめた。
脳が、有り得ない多幸感で満たされて、何も考えられなくなってしまった。
「ユウ?」
「……ああ、あ、ああ…」
——フェリスだ。フェリス。フェリスだ。いや、偽物?まさか、でも、でも、これは。
「——大丈夫?」
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「大、丈夫、じゃ、ない、かも……?」
「えっ、ど、どこかいたい?」
「ううん、ううんっ。今、大丈夫になった。今、全部、ぜんぶ、なにもかも、よくなったっ」
「?」
「…フェリス」
「うん?」
「——会いたかった」
「うん!」
そう言って、互いに互いを抱きしめて、ようやく。
二人は再会を果たしたのだ。
◆◇◆
クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?
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ある程度
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そんなに
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それより話を進めてほしい
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どっちでもいい
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お好きにどうぞ