……もっときれいで、もっと長閑で、もっと苦しくて、もっともっと鬱クシイのに。一万と四千
◆◇◆
「………はぁ」
夜に覆われた静寂とした森の中、その溜息の音は一際大きく響いた。
吐息は白煙となって空気中に溶けていく。特段夜の気温が低いわけではない。ただ溜息をついた少年──ユウは興奮冷めやらぬようで、その熱をコツコツと排出していた。
「……すー……」
隣で眠る子供──フェリスを優しく、寒くないように包み込む。すると、どうしようもなく心があったかくなって、身体もユウの心を体現するように熱をもってぽかぽかとした温もりを生み出している。
「………ほっ」
そうしてまた息を吐く。ただ息を吸って、そして吐くだけ。
「…それだけのことが……あぁ…──幸せだなぁ」
もはや何をしていてもきっとユウは幸せを感じられるだろう。──そこにフェリスがいれば、どんな場所でもどんな時でも幸福を感じられる。
そう確信できる。
──一人じゃない。それがただただ嬉しくて安心で温かいから。
上を見上げれば木々の天幕の隙間から月光が周囲を照らしてくれていた。──まるで二人を祝福してくれているように。
「……フェリス、大好きだよ」
何度でも言う。何度でも言いたい、伝えたい。ただ想いを口にしたい。ただこの幸せを言葉にして吐き出したい。
それは返事を期待しての言葉ではなかった。
しかし。
「──ふぇりすも」
眠っていたはずのフェリスから返事が返ってきた。
「……っ」
起こしてしまったか、そう思い焦ってフェリスへと顔を向けた。
「……ゆぅ……──大好き」
「───。」
そう言って、むにゃむにゃと寝返りを打ってまたユウに全身を預ける。
寝言、だろうか。どうやら起こしてしまったわけではないらしい。
でも。
──ああ、どうしようもなく──。
「……ごめん、訂正する。僕は──フェリスを愛してる。……だから、ずっと、ずっとこのまま………」
大好きだ。愛してる。言い足りない。もっともっと言葉を尽くしたい。行動で示したい。だから、いつまでも、一緒に。
心臓は心地よく一定のリズムを刻んでユウを眠らせてはくれない。少しずつやってきていた眠気なんて、そのただ一言で軽く吹っ飛んでしまっていた。
「もう、眠れないじゃないか。……まったく」
そう小さく悪態をつきつつ微笑む。
夜が明け朝日が昇るまで、フェリスの髪を梳くように、慈しむように撫でながら。
ユウは目を閉じてその心地よい空間に浸っていた。
◆◇◆
「んぅ~~」
頬を撫でる心地よい
生まれてから今までで一番安らかな目覚めだった。
フェリスは本能のままに凝り固まった身体を伸ばして解し、また心地よく唸りながら脱力して背中を預ける。
背中からは快楽ともいえる幸福が伝わってくる。
上を見上げればその瞳を閉じて眠っている少年がいる。
「……ユウ」
彼はユウ。
その名前を無意識のうちに口にする。
ユウ、そう呟くと途端に心臓が高鳴って胸がちょっと苦しくなる。
(これは、なんなんだろう……)
フェリスはそれが何かわからなかった。それは苦しいのに、心地よくて。胸がキュッとするのに、元気が湧いてくる。
でも、どうしようもなくその声が聴きたくなる。
「ユウっおきて」
その衝動もまま、静かに眠るユウの顔に触れる。
すると、ユウの手がフェリスの手に重ねられた。
「わっ」
「──おはよう、フェリス」
「………」
静かに瞳を開いて、そう言ってユウは微笑んだ。
──やっぱり、きれい。
フェリスは魅入った。
朝のそよ風に舞いながら陽の光を弾くその黒糸の髪に、フェリスに向けられたその透き通った純黒の瞳に、見ていると胸が温かくなってくるその静かな笑みに。
それは昨日の夜空にも負けない美しさだと、フェリスは思う。
「ん、どうかした?」
「う、ううんっなんでもないっ」
「そっか。……いい朝だね」
なんだか、顔が熱くなってきて、はぐらかしてしまう。
わからない。フェリスは自分がどうなっているのかわからなかった。
でも、わかることもある。
「それじゃフェリス、世界を見に行く第一歩。まずはこの森を探検しに──一緒に行こう」
「うんっ!」
そう言って手を伸ばしてくれるユウにフェリスは一つ返事で元気に答えた。
その手は温かくて、握っていると安心する。
ずっと握っていたい手、絶対に離したくない手。
──フェリスは、ユウが大好き。
夢に見ないようにしていた外の世界が、期待すらしてなかった自由がそこにある。
それはとてもわくわくして、そしてとても怖い。
フェリスは外の世界でどうしたらいいのかわからないから。
でも、その笑みが、この手の温もりが、フェリスの不安も恐怖も包み込んでしまう。
フェリスはユウが大好きだ。
だって、ユウはフェリスの、王子サマなのだから。
◆◇◆
それから、フェリスの好奇心のままに森を歩いて回った。
「これ、なに……?」
そうしてフェリスとユウが辿り着いたそこは、視界の限りどこまでも花畑の続く幻想的な、周囲を囲む山々に隠された秘境だった。
「……きれい」
「……」
辺り一面に多種多様な花が咲いている。
中心には一本の大きな木が生い茂っていて、その周囲を見たこともない美しい花々が囲んでいる。
そこには柔らかな風が吹き、温かい日の光が差し込んでくる。
その幻想的な光景を前にさしものユウも一瞬気を取られ、間をおいてからフェリスの疑問に答えた。
「……これはお花。育つと綺麗で色鮮やかな花を咲かせる植物だよ。……でも、こんなにたくさん、一斉に咲いてるのは初めて見たかも……種類によって咲く時期は違うのに。すっごい珍しい……」
「お花……あ」
ユウの説明を聞いているうちに、フェリスは一つの花に目を奪われた。赤黄桃紅藍紫に橙色、色とりどりに咲く花たちの中で、フェリスが目を奪われたそれは小さく、しかし真っ直ぐに、その可愛らしくも美しい花弁を目いっぱい主張するようにフェリスの足元に咲いていた。
「これ! これはなんていうの?」
フェリスが指をさしたそれは、星のような形の五枚の花弁をもった水色の花だった。
「ん、それは……アクアステラ」
「……あくあすてら?」
そう聞き返すフェリス。しかしどうしたのか、ユウはその声に応えない。いいや、応えられなかった。ユウの意識もまた、その花に誘われていた。ユウは、少しだけ寂しそうに、その花を見つめた。
「……。」
「ユウ……?」
「……あ、ごめん。なんでもない、……アクアステラって言うのはね、『水の星』っていう意味で、星っていうのは昨日見た空に浮かんでピカピカ光ってたもののことだね」
「へ~」
「そう。それでね、フェリス……しょっと」
ユウはそう言って、その綺麗なお花を摘んだ。それに魔法を用いて根、棘、葉っぱを排除し整える。
そして、野花から立派な花飾りとなったそれをフェリスの髪に飾ったのだった。
「ん……?」
「お花にはね、それぞれ『花言葉』っていう名前とは別に特別な意味があるんだ」
「このお花にも意味があるの?」
「うん。アクアステラの花言葉はね──『幸福な愛』。──うん。すっごく似合ってるよ、フェリス」
「えへへ………ありがとう、ユウ」
「ふふ、どういたしまして」
──本当によく似合ってる。
ユウは心の底からそう思った。彼女がそれを髪に飾っているだけで彼女の魅力が……いいや、違う。とてもよく似合っている、その気持ちに嘘はない。でも、これはきっと思い出してしまっているんだ。
ユウがその花を見て一度呆然とした理由、それはユウが──昔、その花をフェリスにプレゼントことがあったから。
当然、それは今のフェリスのことではなく──。
「───。」
悲しくはない。苦しくはない。ユウはその花を髪に飾って、花畑で元気に走り回っているフェリスを見て純粋に嬉しく感じている。喜んでもらえて何よりだ。彼女があんな暗い牢獄から出て、野原を自由に、そして元気に駆け回っていることが、それを見られることが他の何よりも幸せに感じる。
ただ、少しだけ。
ほんの少しだけ、郷愁の念が湧いた。
それだけのこと。
その花はまるでフェリスの為にあるように、フェリスの小さくて愛らしい『青』というイメージを表していた。だからこそ、ユウはフェリスにその花を贈ったのだから。
「……何度でも贈ろう。花はいつか枯れて色褪せるけど、思い出は一生色褪せないから……なんて」
つい思ったままに口に出してしまった。
ホクトの厨二病が移ったかもしれない。
郷愁に浸って詩的な気持になってしまった。
ぜんぶあいつのせいである。
『馬鹿が。なんでもかんでもオレのせいにするな』
「……何にも言ってないよ。というか出て来ないでよ。フェリスにバレるだろ」
『言ってなくても馬鹿にしてんのが伝わってきてんだよ馬鹿が。それにバレても別に問題ねーだろ。なぁにを怖がってるんだか、クソビビりめ』
「……はぁお前ほんとうに口が悪い。嫌なことばっか言いやがって、そんなんだとモテないよ」
『言っとくけど、「オレはお前」……』
ユウとホクトの言葉が重なる。
ホクトが言うだろう言葉はもうわかっている。
『……んだわかってんじゃねぇか、気色悪いポエム吐きやがって。てめぇの頭ン中はお花畑かよ。頭パッパラパーな乙女かよ、てめぇは』
「……じゃあ、お前も僕なんだからイタいポエムは共犯だな」
『はぁ??』
何と言われようとホクトのせいにする気満々のユウであった。それに不満を呈するホクトだったが、
「ユウーっ!!」
「……じゃ、フェリスが呼んでるからばいばーい」
『んな、てめぇ──…!』
「フェリスー!」
最近わかったことがある。
それは、ホクトの声を遮断する方法である。
ユウはホクトの声を遮って、フェリスのもとへ向かうのだった。
◆◇◆
「ユウ! こっちこっち!」
「おぉ……」
フェリスに手を引かれて行くと、そこには木漏れ日が点々とした遠目に見た大樹があった。
「ね! すっごいきれいだよね!」
「そうだね」
「ほら、ユウ、こっち来て!」
「うん」
再び手を引かれ、大樹の根元へと近づいた。
そうしてユウはフェリスに大樹の下に正座させられた。
ん?
「……どうしたの?」
「こうして、それで、こうするの」
フェリスは正座したユウの膝に頭を置いて、その場に寝っ転がったのだった。
「………」
「………」
静かに風が吹いた。
昨日の夜風とはまた違った、温かく長閑な昼の風。
静かで爽やかな空間は居心地がよく。
自然、ユウの手は愛しいフェリスの小さな頭に乗せられて、その髪を指で梳いた。
「~♪」
ユウと二人大樹の下に寝っ転がって、髪を梳かれる。それにフェリスは嬉しそうに、そうして楽しそうに足をぱたぱたさせる。
「……フェリス、楽しい?」
「うん!」
「そっか……僕も楽しいよ、すっごく、すっごく楽しいんだ」
「~♪」
こんな何でもない真昼時、彼女と二人で木陰で一休みする日常。それを至福と呼ばずして何と呼ぶのだろう。ユウが求めていた時間が、それこそが今だ。大切な夢、きっといつかの希望になる大事な思い出。
尊い時間。大切な今。そんな今のすべてを覚えていられるように、噛みしめるように過ごすのだ。
それがきっと、生きていくっていうことだと思うから。
「……フェリスはさ。……いや、うん、なんでもない。フェリスが楽しければそれでいいや」
「……?」
言うべきか、迷ってた。ううん、きっとまだ迷ってる。後回しにしちゃいけないなと思いつつ、時間が解決してくれるかもしれないなんて淡い希望を求めてしまう。
でも、いつか言わなきゃいけないことだ。
ホクトのこと、スピンクスのこと、そしてユウ自身のこと。でもそれはいつでもいい。後回しにしてるだけだって自分でもわかってるけど、いい。それぐらい、今、この時が心地いいから。
そんな不安気な態度と、どこか覇気がなく儚さを醸し出すユウを、フェリスは心配そうに見た。
もしかしたら、いなくなってしまうかもしれない。そんな危機感を覚えたから。それほどに、今のユウはこの快楽に近い心地よい空気に溶けて消え行ってしまいそうな気配をまとっていた。
その顔は、『満足』という言葉が何よりも似合っていた。
だから、フェリスは引き止めなきゃとばかりに身振り手振りと元気な声で主張した。
「……楽しいよ! すっごく、すっごく楽しいよ! 今も、明日も、次の日も! これから、いつまでもユウはわたしと一緒にいるんだもん! だから、だからっ、大丈夫なんだよっ」
どうしてユウから元気がなくなったのかわからないが、とにかく大丈夫だと、フェリスは言うのだ。その小さな体で、精一杯に伝えている。
『いなくならないで』
切実な彼女の想い。それも今の上の空なユウには伝わっているかどうか怪しい。
「……はっ。フェリスはすごいなぁ。人を元気にしちゃう魔法をこんな簡単に使えるなんて、こんなの、きっと時の大賢者にだって使えないよ」
「だいけんじゃ?……ユウ、元気出た?」
「ははっ、どうしたの? そんなに不安そうな顔して……超出た。超元気出たよ! ありがとう、フェリス」
そういって、ユウは彼女の頭を優しくなでる。
その笑顔はいつものユウだ。フェリスの不安は気のせいだったのか、わからない。でも、取り合えずいつものユウに戻ったからよしとする。
「……ううん、なんでもない。気のせいだった。……よかった」
「──。」
そう微笑むフェリスが、あまりに愛おしい。
「──。」
酷く愛おしいからこそ、打ち明けることに怖気づいてしまう。きっと、フェリスはユウが記憶喪失だからと言って嫌いになるなんてことはないだろう。ありえない。ネガティブな妄想だ。むしろ心配してくれるだろうさ。
でも、そう、だから猶更、打ち明けることはできないのだ。
──心配させたくない。
例え一生記憶を取り戻せなくてもいい。ユウにはもう正直必要のないものだから。ユウに必要なのはフェリスだけだ。だから、言う必要はないのだと、そう思いたいのだ。
元の世界のことなんて忘れて、この世界に生きる一人として平凡な人生を、彼女と歩む。それはきっと平凡で、普遍的で、過去のどんな人生よりも価値ある幸せな人生だと思えるから。
風と木漏れ日と大樹だけの静かな場所。
耳をすませば、森中の川のせせらぎは聞こえてくるかもしれない。
そんな場所。
そこには僕とフェリスしかいない。
二人だけの場所。二人だけの世界。
あまりに居心地が良くて、温かくて、大切な時間。
そんな幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。
でも、どれだけ短い時間でも、覚えてさえいれば『永遠』だから──。
「……」
「~~ぁ」
フェリスは目を瞑り、祈るように手を組んでユウの膝を枕に眠りに就こうとしている。まだあまり体力はないだろうから、というより子供なんてそんなものだろう。うとうとし始めたフェリスを見て、ユウもまた瞼を閉じる。
瞼を閉じれば、そこには一転暗闇が広がるばかりだ。
暗闇を見ては思い馳せる。
──僕は……。
これからのこと。これまでのこと。
そうして、思い出せない自分のこと。
──僕が忘れた記憶の中にも、そんな大切な思い出があったんだろうか……。
僕は、記憶を取り戻すべきなんだろうか。
答えは出ない。出しては変えて、決意して考え直す。
優柔不断でやんなっちゃうよね。
◆◇◆
次の日、ユウはとうとうあることへ挑戦しようとしていた。
それは──。
「それじゃ、フェリス。──水浴び、しよっか」
──フェリスを水浴びに連れていくことだった。
「──や!」
ユウのその言葉に、フェリスは木の裏に隠れて、はげしく? 抵抗する。
「いや、でも」
「い!や!」
「怖くないよ?」
「いや!」
──どうしたものか。
ユウは絶賛困っていた。
フェリスが水浴びを拒絶したためである。
「無理強いしない方がいいかな……? いやでも衛生的に良くないしなぁ……病気になったら大変だし……」
「……むぅ」
「ん~、なんでそんなに水浴びしたくないの? 水、怖い?」
「……こわくない」
「……じゃあどうして?」
もしかして、何かほかに理由があるのだろうか。水は怖くないらしい。なら、怖いのは『水浴び』という行為自体……?
やはり、僕が来る前の生活で水浴びに対して嫌な思い出が、トラウマがあるのだろうか……
──だとしたら、やっぱり……いやでも……
ここでも優柔不断が出てしまっていた。
優しさは美徳だが、子供に対して甘やかしすぎてもいいことにはならないのが世の常だ。まぁ、子供を産んだわけでも、ましてや恋人すらいた覚えのないユウに子育ての何たるかがわかるわけもなし。
そんな突然母性も父性も身に付きやしないのだ。
そもそも、ユウは彼女と対等であらんとしている為に、このような齟齬が起きるのだ。なにせユウは彼女と一緒に育った記憶が確かにあるのだ。なかなかその友達、もしくは同僚としての意識を捨て去ることもできまい。もう何も、捨てることも、忘れることもしたくはないのだから。
そんな困り果てるユウに、フェリスは言った。
「……だってユウ、一緒に入ってくれないんでしょ……?」
「えっ……? いや、うん……」
それが理由?
フェリスと一緒に、お風呂。
一緒に、お風呂。
一緒に、一緒に、一緒に。
──う~~~~ん。
考える。思考する。黙考する。熟考する。
(……衛生面……僕のメンタル……何故かよくわからないもやもや…………はぁ……)
「……わかった。じゃあ、一緒に入ろっか。……一人じゃ危ないしね」
「えっほんと!?」
「うん。だからほら、行こう?」
「いく!」
さっきまでの抵抗はなんだったのか。
そんなものは知らぬとばかりにすたすたとユウを通り越して、川の方角へと歩き出すフェリス。
(──んー?? なんだかなぁ……)
女の子とは、かくもわからぬものである。
そう心の中で独り言ちりつつ、ユウは勇み足のフェリスと手をつなぎ、二人で仲良く川へと向かい、一緒に水浴びをしたのだった。
◆◇◆
それからもずっと、毎日が最高に楽しくて幸せに満ちていた。
二人でいろんな場所を見て、触れて、楽しんだ。ある日は魚を取り、またある日は長閑な丘で昼寝をし、また違う日には小動物と戯れたりして過ごした。
フェリスにはきっとそのどれもが新鮮で、新しくて、色鮮やかに写ったのだろう。ユウがいろんなことを教えるたびに楽しそうに元気そうに幸せそうに笑ってくれた。
それがユウにとっても何より嬉しかった。
──だから、気づかなかった。
バタン
そんな簡素な音を立てて、フェリスはその場にうずくまった。
「う……っ」
「フェリス……? フェリス──っ!」
いつも通り森を探検していたある日のことだった。
躓いてしまったのだろうか、フェリスが突然倒れた。
ユウはすぐさまフェリスに駆け寄った。
「フェリス? 大丈夫?」
「……ゆう……はっはぁ、はぁっ……」
フェリスは過呼吸気味で、意識も朦朧としているようだった。
ただ転んだのでは、ない。ユウは彼女の額に手を添えて熱を測ろうとする。
そうして触れれば、自身と比べるまでもなく高い熱があった。
「っ、凄い熱だ……何が……」
フェリスの事を見れていなかった。
見てあげられていなかった。気づかなかった。
この子が、あの『青』と呼ばれた偉大な治癒術師とは違う、まだ幼い彼女だということを。
ユウは、彼女が病気になったところも、病に苦しんでいるところも、ましてや怪我で寝ているところも見たことはなかった。だから、心のどこかで過信していた。彼女は天才で、今だってこの幼さで水魔法を、治癒魔法を使いこなしている。森での生活くらい、なんとかなるだろうと。
実際、これまではなんとかなってきた。
──なんとかなってしまっていた。
──十年。彼女は十年もの間、日の当たらぬ衛生管理もままならない牢獄の中で暮らしていたのだ。
ユウもかなりの間地下牢に入れられていたがそれでも二年だ。フェリスは違う。彼女は産まれてからほとんどずっと、地下で暮らしていたのだ。
ユウは確かにフェリスの健康を考えて森で過ごしていた。食事も睡眠も運動も、自然の知識だってユウが記憶している限りを教えてきた。それにフェリスも応えていたし、怪我や毒、危険にも気を付けて生活していた。
だが、ユウの想像している以上に、急激な環境の変化は、外での暮らしはフェリスに負担を与えていた。フェリス自身も幸せに惑わされて自分の状態が分かっていなかったのだ。
──あまりに幸せな生活。あまりに幸せな日々。
それがフェリスに己の身体の異常を感知させなかった。更には彼女の持つ魔法の才が裏目に出た。半自動的に、本能的に身体異常を直すことのできる彼女は知らず知らずのうちに身体を回復し続けていた。回復魔法でもってその負担を、ストレスを、疲労を、誤魔化し続けてきたのだ。
──彼女が倒れるのも無理はない。
そうやって無理に無理を重ね続けてしまった結果、フェリスの身体は今日、今、限界を迎えたのだ。
森での生活の楽しさに目を奪われて、その危険性から目を逸らしてしまった。
──それを教えるように。
ポタっ
(──ッ)
初めての異常事態に焦るユウの頬に──雫が落ちた。
ポタ、ポタ、ポタポタポタポタポタポタポタポタ。
(こんなときに──ッ)
降り始めた雫は、止まることなく。
──雨が降り始めた。
◆◇◆
ポタポタと響き渡る水滴の音は途切れぬことはなく、それどころか急速に勢いを増していく。
本降りになるのも時間の問題だった。
──まずいっ。
このままではフェリスが雨に打たれて体調が悪化しかねない。
ユウは焦り、急いでホクトに命令した。
「ホクトッ!障壁を!」
『あ?今から使ったら夜まで持たねぇぞ』
その意図を理解したホクトだったが、後のことを考えて反論した。
しかしユウはホクトの考えを考慮しない。ユウの最優先はフェリスの安否。今目に見えている脅威に対してフェリスを守ることを優先する。
「そんなことは後で考えればいい!今はフェリスの身体を冷やさないことの方が大事だ!──はやくしろ!!」
『……チッ』
納得いっていない様子のホクトだったが、とりあえずユウの言葉に従い二人の頭上に雨を妨げる障壁が展開された。
「……フェリス、フェリス?」
「……う……うう、ん……──」
ユウはフェリスの意識を確認するように声をかけるがフェリスの反応は芳しくなかった。
フェリスは
それどころか呻きを最後に完全に意識を失ったようで、身体からもだんだんと力が抜けていく。
「フェリス……っとにかく今は休めるところを」
ユウは、動き──出そうとした。
だが。
「……どこへ、いけば……」
雨が降ることなんて簡単に予想がついたはずだ。しかし、ユウは雨が降った時のことなんて何も考えていなかった。迂闊。
フェリスと過ごす幸せな日々に酔って目に見える未来から目を背けていた。
「馬鹿か、僕は、なんでっいやそれより──ホクトっこの障壁はいつまで持つ!」
『……さぁ、一時間とかそこらじゃねぇか?』
「……はぁ!?なんでそんな短いんだ!!」
『あ?たりめーだろ、まだ昼過ぎだぞ。力の補充ができてねぇ』
「補充?なんだよそれ聞いてないぞ!」
『はっ知るか。てめぇが聞かなかったんだろうが』
「おまえ─ッ!」
『──ていうか、オレに八つ当たりしてる場合じゃねぇだろ?』
「くっフェリス……っ」
周囲の気温がだんだんと下がってきている。
頭上を覆っているだけの障壁では当然、風も寒気も防げない。
フェリスの身体がどんどん冷えていく。
フェリスもユウもまともな服を着ていない。
フェリスを温めないと、まずは、まず、とにかく雨をしのげる場所を、それで暖を取る。どうやって?火を起こす?なら、途中で木の棒を。いや、それよりまずどこへ行けばいい。
周囲を見渡すユウ。
しかし。
ザァァァァァァァァァァァ
本降りが始まってしまった。
もう、雨で周りがまともに見えない。
「──っ」
どうすれば、いい。
わからない。
どこへいけば。
どうすれば、どうすれば、どうすれば。
「……フェリス」
とにかく、今はとにかく動け。
雨風を凌げる場所を見つけるんだ。
「『
ユウはフェリスを抱えて風魔法を唱え、枝葉を突き抜けるほど跳躍した。
「どこか、何か、ないかっ」
中空にいる間に明かりや求める場所を探そうと目を凝らすユウ。
だが、現実はそう都合よくいかない。
(……暗すぎる)
暗雲が一帯を覆っていて、森は暗闇に包まれていた。
わずかな明かりも見えず、そこには強くなりつつある風に揺れる木々があるだけだ。
バシャッ
何も得られるものはなく、そのまま地面へと戻った。
「……なにか、なにか……」
わからない。何を見つければいい。
家?洞窟?なんだ、何を。
「………ホクトっ!もう一度空中に上がる、だからその時に足場を!」
ユウはホクトに命令した。
何を見つければいいかもわからない。
そもそも上がったところで何が見えるわけでもない。
しかし、なにかしなければ現状は変わらない。
とにかく動け。
できることをしろ。
「……フェリスっ冷たい、まずい、はやくしないと─っフェリスがっ──っホクト、聞いてるのかッおいッ!」
『──嫌だね』
ユウの嘆願を、ホクトは拒絶した。
「は?何言ってんだお前、フェリスがっ──」
『──知るか馬鹿が』
その声には確かに怒りが籠っていた。
この頃は関係が良好だったために、その怒りの籠った声にユウは動揺した。
「っなにを、おまえ……」
『──テメーの女ぐれェテメーで守れ』
「──っ」
そう言い残して、ホクトの声は聞こえなくなった。
◆◇◆
バシャッ
泥が跳ねた。
バシャバシャッ
泥となり滑りやすくなった森の中をユウは駆け巡っていた。
ホクトが手を貸してくれなくなった以上、空から探すわけにもいかず、しかし当然諦めるわけにもいかない。
ユウは安置を探して走り回っていた。
「どこかッ」
「なにかっ」
「お願いだっ」
「頼むからっ」
「なにか、」
「なにか、」
「なんかあれよッ!!馬鹿!!っあ──まずっ」
苛立ちと焦りが募った拍子に、足が弧を描いた。
踏み込みの一歩はズレて前のめりに体勢が崩れた。
──フェリスをッ。
咄嗟に身体を捻り、地面から遠ざけるようフェリスを抱え込んだ。
「ぐッ」
案の定、ユウの身体は危ない体勢のまま地面を滑りまともに受け身も取れなかった。
ユウは肉体にダメージを追いながらも、フェリスの身は守れた──かに思えた。
「──えっ?」
だが、ユウが足を踏み外した先は運悪く──急な下り坂であった。
「まっがっ」
「あ゛っ」
「ぐっ」
ぬかるみ滑りのよくなった坂を転がり落ちていく。
坂に乱立した低木に身体をぶつけて身体を傷つけながら、勢いは衰えることなく底まで転がり落ちた。
「うっ………」
底まで落ちればすぐさま肉体が再生していく。
切り傷も打撲も捻挫も、何もかもすべて回復していく。
自然、すぐに動けるようになる。
「……はっはっ、どうなって、いや……フェリス、大丈、夫………フェリス?──フェリス!」
しかし、その懐にはフェリスはいなかった。
「フェリス!どこだ!!フェリスっ!!!」
周囲を見渡すも視界が悪い。
ほとんど何も見えない。
しかし暗がりには慣れている。
すぐに目も慣れよう。
──いた。
「フェリスっ!」
ユウよりも坂の近くにフェリスは倒れていた。
見つけて、安堵したのも束の間。
「フェリス……っフェリスっ」
フェリスは雨に濡らされ、泥で汚され、身体のあちこちに切り傷までできていた。
──僕のせいだ。
一度濡れれば、身体が冷えるのなんてあっとう言う間だ。
はやく、はやく、身体を温めないと。
「──っ」
周囲を見渡すが、何もない。
そもそも。
──ここは、どこだ。
今、自分たちが森のどの辺りにいるのかもわからなかった。
──町も見えない。明かりもない。はやくしないと………はやく………。
再び焦りが募ったその時。
──障壁が、消えた。
「───」
天が二人を見放した。
凄まじい雫の軍が、木々を揺らす暴風雨が、二人を襲った。
二人の身体から体温を奪い、命を削る自然の猛威が、牙をむいた。
ユウは、それに為されるがまま、思考が止まっていた。
「………ある…ふーら……」
否、足掻く。
凄まじい狂風が二人を覆い、天の雫を、自然の流れを押し返す。
瞬間、雨が止んだ。
──だが、無意味。
ザァァァァァァァァァ
止んだのは刹那の合間だけ。
すぐさま自然が環境を支配する。
「あるふーら」
それでも。
「アルフーラっ」
それでも。
たった数秒を稼ぐために、ユウは自然に逆らわんとする。
何度も、何度も、何度も唱えた。
そして。
「アル、フ──ッがはっ」
マナが尽きた。
「……はぁ…はぁ……………ふぇりす………」
オドまで使えば、ユウは死ぬ。
でも死ねば、また時間が稼げる。
そう、ユウの目的は端からこれであった。
死んで、戻る。
朝に戻れば、フェリスが倒れる前に戻れば、雨が降ることさえ分かってれば、フェリスは苦しまなくて済む。
フェリスを苦しめなくて済む。
自分の情けなさを、不甲斐なさを、クソったれさを、挽回できる。
だから──。
「………ゅ……う……」
その刹那、フェリスが呟いた。
「フェリス!?──フェリス、しっかりして!今、今、い、ま………温かい場所に行くから!だから!」
「………う、うん………ふぇりす、げほっ……ふぇりす………」
フェリスは何かを言おうとしていた。
それが、何かなんて、もうユウにだってわかっていた。
「………ゆっくりでいい」
「………ごめんな……さい………」
「──………フェリス」
わかっていた。
わかっていた。
わかっていた。
やり直すのか。フェリスを置いていくのか。
こんな寒くて、寂しくて、何もないところに。
僕が逸って足を滑らせたせいでこうなったのに。
なかったことにするのか。
でも、フェリスが死んでしまったら元も子もない。
それに今までだって、置いてきただろう。
何度もフェリスを見捨てた。殺した。
そうして初めてやり直す権利を得た。
なら何も迷うことはない。
それはユウの気持ちを代償にして初めて権利足り得るのだから。
だから、ユウは──。
ザァザァ、と冷たい雨が広大な森に降りしきっていた。
◆◇◆
「……フェリス……ごめん……」
結局、あの後、ユウはフェリスを抱えて、花畑のあった場所まで戻ってきていた。
フェリスに自身の服を被せて抱きしめ少しでも温めるようにしながら、いつかの巨木の下で雨宿りする。
しかし、雨を完全に防げるわけでもなく、風を凌げるわけでもない。
別段いい選択ではなかった。しかし、ユウにはこれしか思い浮かばなかった。
──情けない。
あまりにも情けない。
奢っていた。思い上がっていた。なんでもできる気になっていた。
フェリスといられればそれだけでいいって、思考停止していた。
──僕は……バカだ。
「僕が、フェリスを、守らなきゃいけないのに……」
情けない。情けなさ過ぎて涙が出る。
ゴーゴーと雷雲の降りしきる中、フェリスの為にできることなどなく、ただ縋るように抱きしめることしかできない。
しかし、フェリスの身体はもう限界のところまで来ていた。
「フェリスが、死ぬ。僕のせいで、僕の、僕の、ぼく、の………」
フェリスが死んだら、死に戻りして朝へと戻る。
だから、フェリスが死ぬまでは諦めない。
そう決めたけど、ユウにできることは、何もなかった。
ただ、抱きしめることしかできない。
それじゃあいないのと同じだ。
──いいや。
「……僕が余計な事さえしなければここまで悪化することはなかった」
──僕は……最低だ。
「何が……何が、ずっと一緒だ……っ何が、世界を見に行こうだっ」
──涙が止まらなかった。
悔しかった。情けなかった。
罪悪感が、ゴミみたいなプライドが涙となって流れ出る。
「ごめん……ごめんね………やっぱり、だめなのかな……僕なんかに、君と一緒にいる資格なんて、ないのかな……」
憔悴して命が風前の灯火な女の子を前にして、泣き言しか言えない。
なんで。
何かしろよ、町まで風魔法で飛んでいけよ。
門が開いてないなら不法侵入でもなんでもすればいい。
とにかく人を探して必要なもん奪えばいい。
どうして諦める。
まだできることはあるはずだ。
お前はその程度なのか。
──死に戻りができなかったらどうするつもりなんだ。
「……僕は……無知で、愚かな、ただのゴミカスやろうだ……」
ユウには知識があった。
ユウには力があった。
ユウには共に生きていきたい大切な人がいた。
でも、ユウには生きていく上で必要なものがなかった。
否、自分一人ならいくらでも生きられる。生き残れる。まずまともに死にはしない。
痛みを感じず無尽蔵に再生する肉体がある、恐怖や不安を感じず何事にも動じない心をもっている、世界でも上位に入るであろう『剣聖』を模倣した剣技がある、罪を裁く神の如き『権能』がある。
素晴らしい力だ。
素晴らしい精神だ。
素晴らしい才能だ。
でも。
ユウには守る力があっても守れなかった。
ユウがもつ何にも動じないはずの精神は、フェリスが倒れたというだけで何も考えられなくなってしまった。
ユウには、根本的に人と生きる才能がなかった。
ユウには理解できないから。
ユウは死ぬ度に何かを失った。
ユウは死ぬ度に人足りうるものを失った。
でも、フェリスといる時だけ、人としていられた。
フェリスを想っている時だけ、人になれた。
そして、フェリスを失いかけた今、ユウは己の異常さを理解してしまった。
「………フェリスが………死にかけてるのに、なんで──何も感じないんだ」
動じない心が回帰する。
死に戻って次に行けばいいと、脳が、『合理性』が囁いてくる。
あり得ない。いいはずない。
そんな恥知らずな真似、していいはずがないのに。
「あはっあははっ」
心は死に戻り出来ることを喜んでいた。
──その顔は、涙と鼻水で醜く汚れながら、口角は弧を描き、歪に微笑んでいた。
「ぼくっどうなってるのかなっ壊れてるのかな………わかんない………わかんないよ………ふぇりす………ふぇりすっおしえて………たすけてよ………」
フェリスがいなくなった途端、心が崩壊する。
わけがわからなくなる。
ユウはフェリスを欲して揺するも、もう目覚めることはないだろう。
「ああっ戻れるっ解放されるっ諦められるっそれで、いい、よく、ない、けどっいいっもう、それで──」
『──エルドーナ』
不意に。
呪文が唱えられた。
すると、周囲の地面が盛り上がって、ドーム状にユウたちを覆い、暗闇に包まれた。
そして。
「『ゴーア』………これは、いったいどういう状況、なのかな……?ごほっ」
「───。」
呆然とするユウに対し──『魔女』はせき込みながら問うた。
◆◇◆
あァあったまいったいー--イ!!!
脳が震えるぅぅぅぅゥ。くそワクチンがァぁ!!
と、フェリスが水浴びを嫌がってるのはトラウマなのデス。実は地下牢には特殊な魔方陣があって病気を引き起こすような菌は死滅されていましタ。スピンクスの仕業デスネ。でも、フェリス父が生きていたころはそんな魔方陣ないので水浴びをさせていましタ。が、それが冷水を浴びせかけるだけのものでまるっきり虐待でありンしタ。一応そのあとは執事が拭いていたのですガ、それだけだったので水浴びというものをフェリスは怖がっているのデス。
ちなみになる話、ユウくんはいろーんな花やその花言葉を知っていまス。
あとアクアステラはオリ花デス。オリ花ですが、アニメでラムがもっていたあの花でもありマス。
クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?
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ある程度
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そんなに
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それより話を進めてほしい
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どっちでもいい
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お好きにどうぞ