憂鬱の魔神   作:萎える伸える

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 ──さァ!
 死にたがりな主人公の成長と喪失の物語の始まりダ!

 ドウゾ。四千字


【2】彼方(あなた)(ささ)ぐ『夢現(プシュケー)
始まりの悪夢


 

◆◇◆

 

 

『──起きて』

 

 

 懐かしい声が聞こえる。

 

『もう朝よ』

 

 無償の愛と少しの厳しさが込められたその声。

 

『いつまで寝てるの。早く起きなさい。もう学校に行く時間でしょ』

 

 それが誰のものかなんて目を瞑っていてもわかる。

 

 ──母さん。

 

 これは夢。悪い夢だ。

 

 ──あぁ、その声に応えてあげたい。今起きるよって、今行くよって……そう言えたら、そんな当たり前の会話ができたなら、どんなによかっただろう。

 

 もう叶わない会話。二度と来ない当然。

 極々平凡な──戻らない日常。

 

『目を覚まして』

 

 こっちのセリフだよ。

 いつまで寝てるの。

 目を覚ましてよ。

 お願いだから。

 

 叶わない願い。

 伝わらない愛。

 すぐに覚めてしまう、人の夢。

 

 ──オレ、頑張るからさ。

 

 ちゃんと大人になって、ちゃんと働いて、老後だって安心して暮らせるようにしっかり養うからさ。

 

 だから……

 

『──もう、そんなこと考えなくていいのに。あなたはあなたのしたいことをすればいいのよ。──愛してるわ。いつまでも、いつまでも──見守ってる』

 

 

 

 

 

 

 ──あぁ──

 

 ──そういえば、母さんは最後にそんなことを言ってたっけなぁ──

 

 あれから──母さんがいなくなってから。

 時間はあっという間に過ぎてしまって。

 

 ゆっくり考える暇はなかったから。

 子供のままではいられなかったから。

 考えまいと、大人になろうとした。

 でも──、

 

 せめて夢の中でくらいは、子供に戻ってもいいだろうか。

 

 

 ──飛び降りたの、見てた?

 怒ってる、よね。

 いいんだよ……ぶん殴っても。

 

 怒ってよ。叱ってよ。

 

 なんでこんな馬鹿な真似をしたんだって。

 どうして命を粗末にしたんだって。

 

 ……もうわからないんだ。何が正しくて、何が間違っているのか、わからないんだ……分かんなくなっちゃったんだ。

 

 教えてよ。助けてよ。

 

 どうして、いなくなっちゃったんだよ。

 どうして、僕を産んだの。

 ──僕は何の為に生まれたの。

 

 ごめん、母さん……ごめんなさい

 

 まともでいられなくてごめんなさい。

 死に逃げてごめんなさい。

 生きることを諦めて、考えることをやめて、命を粗末にして、普通に生きられなくて、普通の子供じゃ、なくて。

  

 ──ごめんなさい

 

 

 

 

 

 ……でも、

 

 でもね。

 

 誰かがあの動画を見て、『自殺』の、『死』の、凄惨で 無為で 呆気なくて、虚無感で 喪失感で 孤独感で 満ち溢れたその光景を見て。

 

 

 ──誰か一人が、誰か一人を傷つけるのをやめて

 

 ──傷つけられるはずだった誰か一人が、何も知らぬまま救われてくれたなら

 

 ──誰かの救いになれたなら、俺の人生にも意味があったということ

 

 ──オレの憂鬱にもオレの絶望にも、誰かの力になれるだけの価値があったということ

 

 

 その為の行為だったんだ。

 その為の行動だったんだよ。

 その為に僕は身命を賭したんだ。

 見てくれた誰かが変わってくれると信じて。

 見てくれた誰かが救われると信じて。

 

 なのに、

 

 

 ──死ねなかった

 

 

 なぜ。なんで、どうして?

 その疑問が解決することはない。

 現実には夢も希望もないけれど、まさか。

 

 ──死の自由すら。安息の時を選ぶ権利すらないとは、思わなかったなぁ

 

 

 

 世界は自由奇天烈摩訶不思議。

 

 故に理不尽。

 故に災厄。

 故にあなたの思うが儘。

 

 

 故に、

 

 

 ──少年は夢から覚めなければならない。

 

 

◆◇◆

 

 

「───」

 

 

 少年は目を開いた。

 視界に写るのは見知らぬ天井。

 荘厳な光に目を覆われた。

 

 視界を取り戻そうと、一度(ひとたび)瞼を閉じれば。

 瞼から零れ落ちる雫とその余熱だけを感じる。

 いつも通りの寝起き。

 いつも通りの悪夢。

 

 起きた時、現実に目が覚めてしまった時。

 いつだって感じるのは生きることへの憂鬱。

 未来への不安。死ぬに死ねぬ絶望感。

 

 ──どうして目は覚めてしまうのか。

 

 微睡みに沈む権利すら人間には──。

 

 そんな益体もない戯言で頭の中を埋め尽くしていた少年に、その異物はどこまでも清廉に紛れ込んできた。

 

 

「──泣いているのですか?」

 

 

(──っ)

 

 突然 横からかかった彼女の声に、憂の世界は破壊され 思わず体を起こした。

 

「──ッ!? あ゛ぐっ痛ッたっ! いたいッ!?」

 

(頭が──ッ)

 

 今まで感じたことのないほどの頭痛。鈍痛。鈍い痛み。

 体を起こした反動で脳が揺れ、その振動が頭の中で二転三転 増幅し続け、結果 凄まじい振痛となって跳ね返ってきた。

 えげつい痛みに耐えかねた憂は両の手で頭を押さえ、ベッドの上で身悶える。

 

「だっ、大丈夫ですか!?」

 

 とんでもない頭痛に目を開くことすらできず、その声の方を見ることもできない。──が、どうやら背中をさすってくれているらしい。

 

 自然と涙が出てきた。

 それは痛みに因るものかそれとも。

 

 ──人の温もりを感じるのなんて、ずいぶんと久しぶりな気がする

 

 その温もりは憂の心に浸透し、頭痛を一時的に()ませるだけの力があった。憂は思考するだけの余裕を取り戻した。

 

 ──ちゃんと、感謝しないと

 

 母親が亡くなってからついぞ来なかった安らぎを齎してくれたことに。

 その温かな気遣いに感謝を述べるのは人として当然の行いなのだから。

 

「──あ、ありが、と──っあがあ──ッ」

 

 言えなかった。

 なんでこんなに痛むんだ。

 なん、で──いや待て。

 

 ──オレは確か

 

 憂は思い出した。

 目覚める前の出来事を。

 

 ──そう、だ、オレは……だから……

 

 過去と現在を結び付けて。

 結論を導き出す。

 

 ──オレ、飛び降りて死ねなかったッ!?

 

 飛び降りて頭を打ったのだと、そう直感した。

 だが──違う。

 落ちてたら生きているはずがない。

 そんな可能性のある高さではなかった。

 

 憂は最後の光景を思い起こす。

 

 ──確か、急に風を感じなくなって。

 

 そう、突然。

 突然光が目に差し込んできて

 それで『屋敷』が──、

 

「──今、お父様を呼んできますねっ!」

 

「………あっ」

 

 憂が思考している間に、そう言って声の主は行ってしまった。

 彼女は誰だ。……ナース? 

 いやでも 今“お父様”って……

 それに、声が凄く若い──少女のような──

 

 ──ドクン 

 

 その時、心臓が一段と大きく脈打った。

 

「っ」

 

 ドクン、ドクン、と心臓が大太鼓を鳴らしている

 ズキン、ズキン、と脳が警鐘を鳴らしている。 

 

 鈍く重く頭に圧し掛かる血の脈動。

 毎秒、心臓が脈打って鮮血が巡る。

 その度に頭の中心、脳が悲鳴を上げる。

 それは殴られたとか、そういった痛みとは違った。

 何か──脳の処理能力が圧迫されているような、そんな痛み。

 

 ──っ……頭痛、が、酷すぎる……

 

 ただでさえ考えることが多い今の憂にはその痛みは耐えかねた。

 ついには限界を迎え、意識が遠のき、目の前が闇に覆われていく。

 

 

 少年は再び悪夢に堕ちた。

 

 

◆◇◆

 

憂君はさ、どうして私に優しくしてくれるの?

 

 どうして?

 そんなの一つしかない。

 

◆◇◆

 

 

「───。」

 

 目が覚めた。

 同じ天井だ。

 死に際の夢じゃなかったのか。

 

 再び目が覚めると

 ──そこには見知らぬ男の人がいた。

 

 

「──大丈夫かい? 

 頭は……? 話せそうかい?」

 

 

 ──誰。

 

 医者か……?

 憂は未だ重い頭をゆっくり持ち上げてそちらを見る。

 そこには、見たこともない髪色の偉丈夫(いじょうふ)がいた。

 

 ──緑の、髪……?

 

「ずっと眠っていたから喉が渇くだろう。

 さぁ、これをお飲みなさい」

 

 男はそう言って、金属製の器に水を注ぎ手渡してきた。

 その奇抜、というより目に馴染みのない光景に一瞬思考が止まった憂は呆然とそれを受け取ってしまった。

 中を覗けば透明な液体。

 匂いもない。

 

 ──水……毒?

 銀の器なら大概の毒は入っていないはずだが……

 

 そんな思考がよぎり、

 ちらっと男の方を視認すれば、彼は朗らかに微笑んで見返してきた。そして、その瞳に確かな思いやりと心配の念が籠っていることを理解した。

 

 ……不安症が出た。

 悪い癖だ。

 憂は気を取り直すように水を一気に飲み込んだ。

 

「──ッげふっげふっ」

 

 男らしく一気飲みした憂は しかし勢い余って(むせ)てしまった。気管に入ったわけではないが、思っていたよりも自分の喉は乾いていたらしい。いったいどれだけ寝ていたというのだろうか。

 乾ききった体は突然の潤いを拒絶し、咳き込む。

 

 ──すると再び、背中を(さす)られた。

 

「──ほら、たくさんあるから。ゆっくりお飲み。

 もしお腹がすいているのならそれも用意させよう」

 

 ──まただ。

 なんだか、懐かしい感じがする

 

 憂は咳き込んだまま涙目になりながらもその方を向いた。そうして、その姿を視認したのと同時に、

 

 

「私はカルステン公爵家現当主。

 ──メッカート・カルステンという」

 

 ──。

 公爵家……? 貴族? 

 冗談……そんな雰囲気じゃない。

 なんだ、何が起きてる。

 

 その名乗りは憂の理解を超えていて、

 否、理解しないようにと憂の脳が拒絶していた。

 

 だが、確かに男は名乗った。

 ──よく知る貴族の名を。

 

 令和の世に生きる少年が知っている貴族などマリー・アントワネットか、あるいは──創作の中の登場人物くらいだろう。

 

 ──偶然、だろうか?

 

 当然そんなこと現実にあるはずはない。

 ありえない、当たり前だ。

 “カルステン”という名の貴族がいることを知っているが故のオレの勘違いかこじつけに違いない。

 そう、どうにか非現実を否定しようと試行錯誤する憂。

 

 だが、

 

 

「そして隣にいるのが娘の“クルシュ”だ。

 一緒にいると聞かなくてな……同い年くらいだろう?

 仲良くしてやってくれ」

 

 

 男──メッカ―トは続けて言った。

 ありえない。

 そんなはずない。

 そんな儚い抵抗を、その少女の存在が打ち砕いた。

 

 ──そこには──

 

 

 

「──クルシュ・カルステンです。どうぞよしなに」

 

 

 

 そこいたのは──まだ幼いお姫様。

 翡翠のような美しい髪をした美姫。

 高貴と清廉を体現した一人の女の子。

 

 そんな彼女が、

 ──こちらに微笑みながらお辞儀をしていた。

 

 その姿は、見知った姿よりもだいぶ幼かった。

 しかし、──見知った姿の百倍は綺麗な女の子だった。

 

「は。……ハ、ハハ」

 

 いけない、思考が止まった。

 

 受け入れがたいその現実に

 憂は思考を彼方に投げ打ってしまった。

 こちらに微笑むその魅力的すぎる女の子に。

 

 憂は乾いた笑いを溢すことしかできなかった。

 

 

◆◇◆

 






 ………鬱々しく鬱クシク!


 『偉丈夫』
 ⇒体が立派で、すぐれた男。
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