憂鬱の魔神   作:萎える伸える

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 あなたが『好』きなのは女の子? 六千


『それは女子』

 

◆◇◆

 

 

「──」

 

 

 何もない白い場所。

 そこに一人、ユウは立ち尽くしていた。

 

「……夢?」 

 

 そして、これが夢の中であることを漠然と理解した。すると、白い空間はだんだんと掠れていき、ぼやけて色味掛かっていく。ピントが合うようにして鮮明に写ったそこは──。

 

「……カルステン邸」

 

 その屋敷だった。それを見るのはいつぶりだろう。

 この屋敷を追い出されてから二年だ。たった二年、それだけの時間なのに、とても……とても懐かしい感じがする。その時間はあまりに濃密で、ユウの心身に深く刻みつけられていた。忘れるはずもない苦痛の日々。長くて短い、思い出すだけで手指が震えてくる記憶。

 

「なんで今更こんな夢……」

 

 ユウは忘れることにしたのだ。そう決めたんだ。もう、思い出す必要なんてない。そうさ、ユウにはフェリスがいる。彼女がユウのすべてだ。こんな夢ほうってはやく起きなければ……。

 

 

 ──起きろ。起きろ。起きろ。──目覚めろ。

 

 

 そう念じて、意識を覚醒させて、再び目を開く。

 

「…………はぁ」

 

 だが、景色が変わることはなかった。屋敷は悠然とその場に佇み、ユウの来訪を待っているようだった。

 

「入れっていうのか……はぁ、わかったよ。入ればいいんだろ」

 

 認識外の何かの意思に導かれるようにして、ユウは屋敷の門を潜った。

 

 

◆◇◆

 

 

 広く手入れの行き届いた中庭を超えて、屋敷の中に入ると、ユウの記憶と変わりない光景が広がっていた。

 

「……」

 

 広すぎる玄関、正面には二股に分かれる豪奢な階段。その中でも目に付くのは中央に活けられたアネモネの花だ。赤に白、ピンクに青、そして紫といった色とりどりの花びらが玄関口を通った来客を迎え入れてくれる。

 そうしてもう一つ、中央階段に飾られた一人の婦人の肖像画。

 

「……奥様、亡くなったんだよな」

 

 絵の中で穏やかに微笑んでいる彼女、クルシュの母親であり、カルステン家当主の奥方は、フェリスがこの屋敷に来る前に病気で亡くなったのだ。今現在はもう生きていることはないだろう。もう二度と、彼女が動いている姿を見ることは叶わない。

 

「……戻ってきてから一度も会えなかったな、そういえば」

 

 ユウがこの世界に慣れるまでの、その短い間に彼女は亡くなった。あまり関わることはなかった。会ったのは数えるほどで、大した会話もしていない。ただ、彼女が亡くなるその場に、ユウは携わることを許された。クルシュがユウの手を掴んで離さなかったからだ。

 

 彼女は最後まで強かった。亡くなるその時まで笑みを絶やさず、泣いて縋るクルシュの頭を撫で、当主様に新しく妻を娶ることを許していた。結局、当主様が再婚することはなかったけれど。

 

 簡単なことじゃない。最後まで気高くあること、それは僕にはできないこと。できなかったこと。その様はまさしくクルシュの母親であると言えた。

 

 そうして彼女は僕にも声をかけた。ただ、一言。でも──。

 

「……ごめんなさい。約束、守れませんでした。結局、今も昔も僕は自分のことで頭が一杯で、それが精一杯でした。あなたは僕のことなんて記憶にないのでしょうが……どうか、ご冥福を」

 

 いい人だった。『原作』には描かれていない存在。そんな彼女の死が、ユウにこの世界が現実であることを教えてくれた。どこの世界も、現実は変わらないのだと、そう教えてくれたのだ。

 

『……クルシュを、よろしくお願いしますね……』

 

 彼女がそれを約束だと思っていたかは定かじゃないが、ユウはその声に確かに応えたのだ。そんな彼女との約束を、ユウは守れもしないのだが。

 

 ああ、いつだって約束を破ってばっかりだ。

 でも、

 

「……一緒にいる。この約束だけは、絶対──」

 

 他の何を捨てても、守らなければいけない。彼女を、約束を、この時間を。奪わせない為に、奪われない為に、例え相手が──誰であろうと、絶対に。

 

 

『──……。 ──。────。』

 

 

「──っ!」

 

 突然、誰かの談笑する声が響いた。何を言っているのかは聞き取れない。だが、その声は食堂の方から聞こえてきていた。

 

「…………」

 

 声は続いていて途切れることはない。その声には……聞き覚えがあって。一刻も早く夢から覚める為にさっさとできることをするべきなのに、一瞬、そこへ足を向けることを躊躇してしまう。ただの夢であるのに、何故──。

 

 だが、立ち止まっていても何も変わらない。ユウは意を決して食堂へと歩を進めた。──ユウの通り過ぎた陰からソレは覗いていた。

 

 

◆◇◆

 

 

「いただきます」

 

 『ユウ』は目を閉じ、手を合わせ、心の底から感謝の祈りをささげる。それは自分が狩ったわけでも育てたわけでもない、金で買った命をいただくことに対する感謝、そして懺悔である。

 

 ときどき、食事を楽しむことが罪であるかのように感じてしまう。しかし食わねば生きていけず、生まれたその時からその暴食の原罪からは何人(なんぴと)も逃れられない。それは言い訳か、正論か、諦めなければいけないのか、感謝すればいいのか、受け入れればいいのか……動物と会話できない以上答えなんて想像の域を出るものではない。

 

 わからない。それは恐怖の根源。無知は許されざる罪なのだから。知り、学び、思考することでしか懺悔の法はない。それがわかるまでは、ただ自分を慰め、そしてせめてもの情けとして感謝する。決して残さず、余さず、無駄にすることのないように。

 

 そんな風に無の表情で祝詞を刻む『ユウ』に、彼女は告げる。

 

「──ユウは、どうしていつも食事の前に苦しそうな顔をするのですか?」

 

 いつものことながら、しかし今日は殊更(ことさら)苦しそうに食事を始めようとする『ユウ』に、懐疑的に、不思議そうに、可愛らしく首をかしげて問うてきたのは──まだ若く、そして幼いクルシュだった。

 

 彼女にはわからなかった。食事とは家族の団欒(だんらん)の時間であり、一日のうちで最も落ち着ける時間なのだから、それを苦痛の時間であるかのようにする『ユウ』にクルシュは問うた。

 

「もしかして、嫌いなものでもありましたか? それならば替えの品を作ってもらえるようお願いしますけど……」

 

「……いえ、大丈夫です。すみません、気を使わせてしまって」

 

「……もう、ユウは本当に堅いですね。もっと気を楽にしていいんですよ? ──わたしたちは家族なのですから」

 

「はい……すみません」

 

「もう……」

 

 食事をする幼い二人はどこかぎこちなかった。この時まだクルシュと打ち解けていなかったのだろう。『ユウ』のそれは他人行儀で、クルシュもまだそんなユウを掴み切れずにいた。

 

 そんな過去の幻想を、食堂の扉を開け放った()()は二人に意識されることなく見ていた。

 

「なんなんだこれ……」

 

 どうやらユウは見えていないらしい。当然だ。これは夢なのだから。しかし、こんな夢、いいや、消え去った過去の記憶を見させていったいどうしろと言うのだろうか。

 

「…………」

 

 夢で見たところで、現実は変わらない。時は戻らない。それはもうどこにも存在しないのだから。ユウは求めず、諦め、受け入れた。……だから、何も思うところはない。ただ、ただ、さっさとここを抜け出して、フェリスを抱きしめたい衝動に少しだけ駆られた。

 

「──僕はフェリスを愛している」 

 

 ユウは心を決め、想いを定め、願いを捧げ、その果てに溢れ出た言葉を口に出した。

 

 ──すると、平穏な食事風景は──パリン、と大きな破裂音を響かせて文字通り砕け散った。世界の破片は発光し、粒子へと還元され、闇へ帰り、再び光がユウの視界を覆った。──場面が変わる。

 

「今度はなんだ……」

 

 視界を埋め尽くした眩い輝きが消え、目を開くユウ。

 

『──ユウ!』

 

 明るく、爽やかで、愛情のこもった呼び声だった。彼女、先ほどよりも少し成長したクルシュが()()()()()()微笑んでいた。

 

「……」

 

 彼女を無視して周囲を見渡せば、そこはカルステン領の大通りにある露店街だった。そうして、今度は過去の自分視点であることも理解した。

 

 そして、

 

「──どうしたんですか、そんなに嬉しそうにし、て……?」

 

 ──口が勝手に動き、ユウはクルシュに答えた。

 

「ふふ、ごめんなさい、嬉しくてつい」

 

「……嬉しい、ですか」

 

「ええ、あなたとこうして町に出かけることが出来て、それだけで私は嬉しいです」

 

「……それは嬉しいです、けど……僕は荷物持ちぐらい、しか……できませんよ……はぁ」

 

 勝手に動く口を止めようと抵抗するユウだったがしかし、口を手でふさぐことも、饒舌に動く舌を止めることもできなかった。ユウは諦め、過去の通りにする。

 

「それでもいいんです。父上も、やっとあなたのことを認めてくれたってことですから」

 

「……」

 

 よそ者であり、部外者であるユウ。生き残る為、この世界における重要人物の近くにいる為、元の世界の記憶に縋る為、多くの理由があってユウはカルステン家に居ついた。当主様も、奥方様も、使用人や騎士たちも、そのほとんどは優しい人ばかりだったけれど。それでも、『家族』として認められるには至らない。当たり前だ。

 

 ユウの家族は──彼らじゃない。ユウの大切な家族は──。

 

「……家族は……僕の、家族は……っあぁあ゛ッ」

 

 ──酷い頭痛がユウを襲った。過去の思考と、現在の記憶の矛盾が、ユウを襲う。しかし、そんなユウを無視して、彼女は、否、記憶は語る。

 

「……だから、あなたにも私たちのことを認めて欲しいんです、あなたの家族として。あなたの家族の代わりではなく、私は──あなたと本当の家族になりたい」

 

 丁寧な言葉をやめて、彼女は真摯に訴えかける。その瞳はまっすぐとユウを見つめている。頭を片手で押さえながらも、その視線は確かに交錯していた。その瞳にこもる親愛、それが、頭痛に煩わされる今のユウには──不快だった。

 

「……うるさい、煩い、五月蠅いっ!」

 

 夢だ。これは、悪夢だ。最近は見ないと思っていたのに、今になってこんな悪夢を見せてくるなんて。煩わしい、不愉快だ。──そんな目で見るな。あなたは、だってあなたは僕のことを──。

 

 

 ──その時、ユウの視線の先に、銀閃が煌めいて──。

 

 

「──っ!」

 

 咄嗟に反応したユウはクルシュの肩を掴み、自分の方へ寄せた。ユウはクルシュを抱きしめる形になり、その銀の刃は空振りに終わった。

 

 だが、

 

『ちっ、クソガキが邪魔しやがってッその女には痛い目に遭って貰わなきゃなんねぇんだよッ! ──エルフ―ラァァ!!』

 

「────」

 

 突然の襲撃、敵の出現。刹那の思考──否、そこに思考はなく、直感と反射で状況を理解し判断する。敵は──成人した犬型の亜人。その手には小型のナイフを握っていて、魔法の詠唱をしている。ナイフに碧風が宿る。

 

 ──回避可能。──迎撃可能。──今のユウには雑魚に等しい。──身体は、動く。縛られてない。なら……そのコンマ一秒の視界に、怯える彼女が写って──。

 

 

「くっ、あァあ゛ぁぁあああアアアッ!!」

 

 

 ユウはその背中に真空の刃を受けた。痛覚の消失したユウを、久方ぶりの痛みが襲った。

 

「あがぁっあぁ……ッ」

 

 ──痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 クソが、ああ、クソっ。なんで、なんで──庇ってしまったのか。

 

 その痛みは鮮明で、背中から大量の血が流れ出ている感触を感じる。ドクンドクンと心臓の脈打つたびに血は流れ、血の流れるほど思考は愚鈍に、肉体は機能を停止する。

 

「──ユウッ!?」

 

 あまりの痛みに倒れ込み、押し倒すようにして地面に手を突くユウの下で、その苦悶の表情を間近で見てクルシュは驚愕と動揺と焦燥で思考が埋め尽くされた。

 

 判断の遅れるクルシュ。だが、凶漢は止まらず、憎しみの言葉と──血を吐いて、魔法を詠唱する。

 

『エルフ―ラッエルフ―ラッエルフ―ラッ!!』

 

「ぐッがッあが──ッ」

 

『げふっ、どげよクソガキ。おれぁそいつを苦しめてやらなきゃなんねぇんだ! そいつのせいで、そいつのせいでッ!!! あ゛ぁぁぁぁアアアア! エルッフーラァッ!!』

 

 支離滅裂に、滅茶苦茶に、出鱈目に、怒り、憎み、魔法を放つ。その度に、ユウは久しく感じていなかった痛みに襲われる。慣れたはずの痛み。例え痛覚が戻ったところで問題なく動けるはずの、その程度の痛み。ただの裂傷。にもかかわらず、その痛みはユウを耐えるだけに止めて逃がさない。

 

「──ッ、か、はっ」

 

「ああっ、ああっ、ユウっだめ……っ!!」

 

 その頬に手を触れて、嘆くことしかできないクルシュ。守られることしかできない。か弱い女子。その瞳には涙が浮かび、その瞳は悲しみと苦しみ、不安と焦燥を写し……ユウの視線を奪ってやまない。その瞳から目を離すことが出来ない。

 

 その瞳を見ていると、痛みが少しだけ和らぐから。

 だが、

 

「──っあぁアア!」

 

 ──歯を喰いしばって、目を閉じ、立ち上がる。それは、ダメなのだ。ユウはもう、決めたのだ。それがユウの決断だから。立ち上がり、魔法の詠唱を……。

 

「エルフ―……!」

 

『げふっ……』

 

 そうして、下手人に向けられた手は、下へと下がっていった。その男は既に地面に倒れていて、血を吐いていた。周囲の誰かがやったわけでも、ましてやユウが止めを刺したわけでもない。そいつは純粋な亜人である、身体能力に優れ、魔法に疎い種族である。故にこそそれほど多くのマナを持ち合わせていない。

 

 にもかかわらず、男は馬鹿みたいに、狂ったように魔法を乱発していたのだ。当然、魔力が尽きる。魔力が尽きれば、今度はオドを消費する。それでも、そいつは魔法を討ち続けた。得意の身体能力でナイフを振るうでも投げるでもなく……その理由はその姿を軽く観察すれば分かった。

 

 男は酷く身を(やつ)していた。使い古したぼろ着で身を包み、その手足は細く、まともに筋肉がついていなかった。その生気のない目と窪んだ眼孔、瘦せこけた頬に蒼白な顔面を見れば男が病気であることも見て取れた。

 

「……」

 

 ──こんな無様を晒して、目的も達成できずに死ぬなんて、哀れな人間、哀れな命だ。こいつは、いったいどう育って、どんな理由があって、どんな思いを抱いて、人を殺そうとしたのか。わからない。理解できない。

 

 ──しかし、共感と悼みの念が胸から消えてなくならなかった。前の自分には理解できていただろうか。……思い出せない。

 

 思い出せない。考えて、考えて、思考が、視界が、ぐるんと回った。血を流しすぎた。更には無理に立ち上がったせいでもうまともに身体を動かせなかった。

 

「あっ……」

 

 がくん、と膝から力が抜けて、そのまま倒れユウは頭を強く打った。目は白目に向かい、途轍もない疲労に動かすことも困難な口を、喉を、肺を動かして精一杯呼吸をする。どれだけ苦しくても、思考は止まっても、呼吸だけは止めることが出来なくて。

 

 そのまま、ユウは意識を失った。

 

『──! ──……!』

 

 背後で、誰かが何か言っていた。

 

 

◆◇◆

 

クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?

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