——あなたに残酷な現実ヲ。
ドウゾ。九三
◆◇◆
『えー■■ちゃんもしかしてあのデブと付き合ってるの~?wwありえなーい!ww』
──耳障りな声が聞こえる。
キーキーと鳴く子供。まだ社会を知らず無知で無思慮で純粋無垢ゆえの悪意。他を蹴落とし、己が優位に立つことしか考えていないメス猿の
──静かにしろよ
彼女を馬鹿にするな。笑うな。喋るな。
聞いているだけで不愉快になるその口を閉じろ。
──どうしてこうも違う。
『ニキビクンまた爪噛んでるよ!きったねぇ!』
うるさい。うるさいよ。もう黙ってくれよ。どいつもこいつも人を貶めることしか能がないサルばかり。
僕がお前に、お前らに何をした。
お前らはそうやって人を馬鹿にして、
耳を塞いでも聞こえてくる罵倒。誹謗。罵詈雑言。
『チビでデブで不細工とかっ!wwマジかわいそww』
──うるさい。うるさいうるさいうるさい。
それでも僕は何もしない。何もしてやらない。傷ついてなんてやらない。注意なんてしてやらない。こんな奴らを更生させたところで何の意味もない。
世の中はこんなアホどもで溢れかえっているのだから。
馬鹿にしたければ馬鹿にすればいい。足りない脳を総動員して粗さがしでもなんでもすればいい。
お前らの一生も人生も、僕の知ったことじゃない。
──僕は違う。
僕は、お前らなんかとは──っ
やり返したら同じになる。
やり返さなければこの地獄は続く。
それでも逃げない。逃げるわけにはいかない。
逃げる必要なんて、ない。
僕は、大丈──
『──いいんだよ、泣いても』
それは糸。
地獄に垂らされた一本の糸。
『毒』を孕んだ蜘蛛が垂らした──救いの糸だった。
◆◇◆
「──ッ──『リカ』っ!」
夢から覚める。
夢幻は露と消え、望みのない現実に帰ってくる。
憂は勢い良く起き上がり、その名前を叫んだ。手を伸ばし、薄れゆく彼女の幻影を繋ぎ止めるように。
しかし、ここは現実。
すぐに「はっ」と酔いが覚めた。
「……はぁ……はぁ……」
体中から嫌な汗を感じる。
呼吸は荒く、身体はだるく、思考をすることさえ陰鬱に感じる。さっきまで寝ていたはずなのに、疲れが取れたようには思えず、それどころか増したようにすら思える。
──あぁ、いつも通りの朝だ。
だが、これが憂にとっての当たり前の起床。いつも通りの惨めな朝。慣れたものだ。この悪寒も、最悪な目覚めも、容赦ない悪夢も。だけど慣れても慣れても終わりは来ない。むしろそのどれもが悪化していくばかり。
それがどうしようもなく不快で心地悪くて報われなくて、寒がるように両の腕をさすってしまう。
──そうやって自分を抱きしめていないと、どうにかなってしまいそうで……
「──大丈夫ですか?」
それは、芯のあるせせらぎのような、美しく清廉な声だった。
それは人を安心させる庇護者の声音。
その声のもつ不思議な温かさが、魔法のように憂を包んで覆ってくれる。
……温かい。
その一声が憂に与えた影響は絶大だった。
体を縮めて自分を守り、心を
「……いえ、大丈夫です。──クルシュさん」
「もう……クルシュで良いといつも言っているでしょう? それにどう見ても大丈夫そうには見えません」
クルシュは心配そうに憂を見つめた。
その瞳は真っ直ぐこちらへ向けられていた。
そこに負の影は一切なく、ただこちらを
──心配させてはいけない。
不安そうな顔をさせたくない。
あなたには笑っていて欲しい。
憂はその気遣いが嬉しくて、同時に心苦しい。
そんな顔をさせる自分が情けなくて、不甲斐ない。彼女に不安そうな顔をさせたくない、笑っていてほしい。
憂は彼女のひたすらに清らかな微笑みが好きだから。
彼女がそうやって微笑むだけで、憂を煩う痛みも苦悩も容易く風に乗って飛んでいく気がするから。
憂は話を切り替える。
「そんなことより。どうしていつも起きると横にいるんですか? あなたはそんなに暇じゃないですよね? お貴族様の勉強はいいんですか。──最近は剣術も習い始めたらしいじゃないですか」
「あなたの寝覚めが悪いのがいけないのですよ。確かに最近は忙しい身ではありますが、それ以前に私はあなたの家族、お寝坊なあなたを起こすのも私の役目です」
「……寝顔を見られるのが嫌なんですよ」
「私に寝顔を見られるのが嫌というのならもう少し早く起きてください。ほら、こうしているうちにそろそろお勉強のお時間ですよ。早く支度をしませんと!」
「……はぁ、あなたは僕のお母さんですか」
「何か言いましたか?」
「いいえ。……はい、わかりました。わかりましたから、先に行っていてください」
「……まったく、ユウは年下のくせに生意気です!」
「……。」
「──早く来てくださいね!」
バタン、と音を立ててドアは閉まった。
誰もいなくなった自身に与えられた部屋で一人の少年は──
「…はぁ、いったい何がどうなっているのやら」
現在クルシュお嬢様は十二歳。
──僕は
そんなはずはないし、こんなはずではなかった。
自分は
「……俺はいつからコナン君になったんだ」
──ああ、憂鬱だ。
原因不明。まったく
憂は再び子供として人生を歩むことになった。
それを人生をやり直せるいい機会だと考えるか、憂鬱だと捉えるかは明暗別れることだろうが、憂は後者であった。
しかし、憂の呟きは別段悲嘆に暮れてはいなかった。
これはただの口癖のようなものだ。
──なにせ、もうこの屋敷で過ごして
流石にそれだけの時間があれば受け入れるしかない。
これは夢でもなんでもなく、本当にリゼロの世界に迷い込んでしまったのだということ。身体は縮み、少年となってカルステン家の小間使いとしてお世話になっているということ。それはもう受け入れるほかない現実であった。
憂は大学を中退しているが、それでも高校までの勉学をマスターしている。魔法があるとはいえ中世に近いこの世界でそれだけ学を修めている人材と言うのは貴重だ。
それをクルシュさんが見抜いてくれて、文官候補として雇えないか、と当主様に掛け合ってくれたのだ。
そうして何とか右も左もわからぬまま放り出されることはなく、カルステン公爵家に居候をしながら勉学まで教えてもらい、雨風空腹に心配のない生活をさせてもらっている。
正直言って恵まれすぎている。
まぁ、そんなことは実際どうでもよくて。いやどうでもよくはないんだが……。
──それより。
「──クルシュ様──可愛すぎるッ! 尊いッ!」
もう本当に、本当の本当に可愛い。美しい。綺麗だ。
自分の語彙力のなさが恨めしい。
『原作』での『武人』としてのイメージやスバルに対しての『厳格』なイメージがあって正直結構怖かったんだけど、だけど──。
──全っ然! ──そんなことなかった!
「何でもできる完璧な人を想像してたけど、勉強も運動もそれほど得意なわけじゃなさそうだった。まだ子供だからというのもあるだろうけど、きっとクルシュさんは人よりも自分に厳しい、人に甘えるのが不得意な、天才でも完璧でもない、そんな努力の人なんだ」
憂は一年間、ずっと見てきた。
一年間、彼女と共に暮らし同じ時を過ごした。
幼いながらに熱心に
子供ながらに自領を誇らしく語る可憐な彼女を見た。
嫌々ながらピーマルを食べる可愛らしい彼女を見た。
母君に抱きしめられ抱きしめ返す、そんな子供らしい彼女を見た。
騎士たちやご両親、メイドらや執事にこよなく愛され、期待され、大切に育てられ、そうしてそれらの期待に応えようと一生懸命頑張る彼女を、憂は見てきたのだ。
僕はそんな尊い景色を見て、ただ──。
──いいなぁ。
そんな感傷を抱いてしまった。
僕は、本当にダメな奴だ。
その完成された光景に。美しい家族の輪に、自分なんかが入り込むことはできなかった。
僕は一人勝手に疎外感を得た。
──でも。
「……クルシュさんは料理もそんな得意そうじゃないのに……手にたくさん傷を作って、僕に──クッキーを作ってくれて」
──それは固くて、苦くて、歪な形をした。
──温かい愛だった。
多分きっと、彼女の前で泣くのは後にも先にもその一回きりだ。
僕はもう大人なのに。相手はまだ子供なのに。
それは、その温もりは、泣きたくなる温かさで。
家族を失った日の心の罅が埋まるようで。
『彼女』との温かい思い出が蘇るようで。
飛び降りたあの日に冷えた身体が温まるようで。
僕は耐えられなかった。
そうして、泣いて泣いて泣き喚いて、僕は──俺は決意した。
もう泣かない。涙はもう出尽くした。
だから。
──彼女を守る。
憂はそう決意したのだ。
また間違えるかもしれない。
また傷つけるかもしれない。
俺は間違っているのかもしれない。
俺は関わるべきではないのかもしれない。
──それでも。守るのだ。そう決めた。
──今度こそ、絶対に。
──と、そんなこんなの時を経て、今に至るわけなのだが。
「……クルシュって呼んであげたいんだけどなぁ」
憂には多くの課題があった。
まず、地位。
それはカルステン家での地位を指すものではない。それも大切ではあるが、もっとわかりやすく言うならば──身分である。
憂がクルシュ、なんて呼び捨てにしているのが周囲の人間にバレれば一発で──クビだ。それは誇張でもなんでもなく貴族社会では当たり前の礼儀、礼節だ。
当主様は娘の対等な友達になることを俺に求めてくれているが、実際この家に厄介になっている身でクルシュさん呼びなのもグレーゾーンなのだ。公的な場では必ずクルシュ様と、そう呼ばなければならない。
それは仕方のないこと。
だって憂は──『孤児』ということになっているのだから。
それが憂の身分であり、覆しようのない事実である。
「はぁ……憂鬱」
思わずそうため息と口癖が出てしまうのも仕方がない。憂には本当にどうしようもないのだから。
孤児だからどうしたのか、だって?
それの何が問題なのかと言えば──『騎士』に相応しくない事、である。
──そう。孤児では騎士になれないのだ。
そして、それがもう一つの課題に繋がる。
それは──『戦闘力』。
戦う力。憂には“守るための力”がなかった。
運動神経が悪いわけではない。むしろ平々凡々に過ごしてきたにも関わらず──日本人離れした肉体、筋肉、身体能力を憂は持っていた。
生まれつき憂は割とハイスペックなのだ。
た・だ・し……今の憂は子供の身体である。
故に将来はわからない。
そして何より──憂には“人を殺す覚悟”が──それ以前に人と武力で争う武人としての心構えがなく、人にその手で暴力を振るえる確信が持てなかった。
致命的である。
ならば、『ナツキ・スバル』のように知力で守り支えるか? 答えは否である。
憂は賢い。物覚えは良く一度見たものは大抵忘れない。学びを活かす力もあり、概ね天才の部類である。
しかし憂には──『死に戻り』がない。
それではいくら賢くとも守り切れない。大事な時に──そう、いずれクルシュに降りかかる災厄に対して、それではダメなのだ。
守り抜く『力』が要る。それもただ守る力では足りない。
憂がクルシュの『騎士』になる為には──『孤児』という身分を覆して堂々とクルシュを守る為には──圧倒的な力がいるのだ。
故に。
「……さて、準備しますかね」
憂は今日も魔法の鍛錬に勤しむのである。
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
「──フーリエ殿下がお亡くなりになりました」
王族の元小間使いである男が告げた。
元、だ。もう──王族はいないのだから。
「つきましては『盟約』に従い龍歴石のお告げに即し新たなる王の選定、王選が執り行われます。時代の王候補は偉大なる神龍に選ばれし龍の巫女。その可能性のある貴族のご子息ご息女の方々は必ずご参加ください。それでは失礼致します」
王が不在となってしまった王国に、亡くなってしまった王族を喪に服す時間などありはしない。それどころか王がいなくなったことを他国に知られないようにするため国葬すら行うことはない。王選候補者五人が揃い王選が開始するその日まで、殿下の死を悼む時間はやってこない。
小間使いが去り、応接間に残るのは四人。
当主様とクルシュ様、そして俺とフェリスだ。
「とうとう殿下も逝ってしまわれたか。予期していたとはいえ、これから王国は荒れるだろうな」
そう当主様が切り出した。
「私は殿下との約束通りその遺志を継ぐ為、王選に参加しましょう」
「だが『巫女』に選ばれなかったら、わかるな?」
「……はい」
王候補として、龍の『巫女』として選ばれなかったのならクルシュは女であるため当主足りえず家督を継げないため、フーリエ殿下以外の殿方とまたお見合いをし婚姻しなければならない。
それは父親としてはさせたくないが、代々続いてきた家を、民を守る、民を導く貴族としての役割を娘可愛さに放棄するわけにはいかないのだ。ただの娘を溺愛する父親であれるほど貴族という民草の税で生きる者の肩書は安くない。
だがそれは──選ばれなければの話だ。
「──選ばれますよ。クルシュなら絶対」
憂は断言する。憂は知っているのだから。
「ユウのゆー通りですよ当主様! クルシュ様が選ばれないはずありません!」
フェリスも賛同する。フェリスはクルシュ大好きフリスキーだからな。当然その未来を信じている。
「ありがとうな二人とも」
「「はい!」」
「……ああ、そうだな。お前ならばまず候補には選ばれるだろう。私だって信じているさ」
「期待を過分な評価にさせないよう己の魂に誓って、王選に努めましょう」
メッカ―トもまた贔屓目抜きに娘が傑物であると確信している。
そしてクルシュ自身も殿下が信じた己と、自身を支えてくれるフェリスとユウがいればそれを為せると、そう己と仲間を信じている。
「ルグニカ王国四十二代目の国王には──私がなる」
──手を貸してくれるな? ユウ、フェリス。
そうクルシュは宣言し、最後の確認をする。
──答えなど決まっている。
「はい!」「当然!」
いずれ来る災厄も──俺が絶対になんとかする。
その為に力をつけてきた。
その為に今まで必死に努力してきた。
俺はこの世界の異物だけど、もう八年も共に暮らし共に助け合って生きてきたのだ。
──俺が必ず──クルシュを王にする。
誰にも邪魔はさせない。
魔女にも魔女教にも──『ナツキ・スバル』にも──誰にもだ。
そう。
何も起こらずに。
一度も死なずに。
憂鬱を忘れ。
絶望を知らずに。
順風満帆に異世界を謳歌する。
『──そんな未来は来ない』
『これは夢』『泡沫の夢』『胡蝶の夢』
『あり得たはずの、──ありうべからざる今なのだから』
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
──ここは、どこだ。
憂は得体のしれない微睡みの中にいた。
『ユウ!』『ユウっ!』
──声が聞こえる。
大切な人たちの声が──。
『……ユウ。私は令嬢として女らしくあるべきなのでしょうか。それとも当主として剣を嗜め民を導けるよう強くあるべきなのでしょうか』
『──ありがとう』
『あなたとの婚姻が許されたなら──』
『今日から一緒に住まう家族が増えますよ!』
『フェリスとユウはどうしてそう喧嘩ばかりなのだ』
『喧嘩するほど仲が良い、なるほど。…ならば私も──』
『また、助けられてしまったな』
『フーリエ殿下との婚約が決まった』
『殿下は素晴らしいお人だ。…だが、私は──』
『──領内に大兎が出ただと!! 父上が討伐に向かわれた!? ──私もすぐに向かう!』
クルシュさん。クルシュ様。クルシュ。
──夢じゃない。覚えてる。
朧気だけど──ちゃんと覚えてる。
『──ユウッ!!』
泣かないでくれ。あなたの為なら、俺は──。
──声が、聞こえる。
『わたしは、ぼくは……』
『ぼくがきもちわるくないの?』
『…──ふぇりす』
『……とも、だち?』
『そっか。──ありがとね、ユウ』
『クルシュさまを一番お慕いしてるのはこの私っ!』
『時間にゃんて関係にゃいもん』
『──今、にゃんて』
そんな驚くことだろうか。君が──。
──そうだ、俺は──。
『──ユウっ! 待って──いかないで!』
ごめん。過信した。ああ、こんな呆気なく。
……大丈夫。俺がいなくてもきっと──だから泣かないで。
──そうだった。俺──死んだんだ。
命の雫が零れている。
既に下半身の感覚はなく。
否、下半身そのものが存在しない。
突然肥大化した
いくらフェリスの力でも、これだけの損傷では『禁術』でなければ治せないだろうな。
フェリスは、使うだろうか。きっと使うだろう。
──フェリス、怒るだろうな……。
──あぁ…──起きたら、謝らないと。
──起きたら…──起きたら……──起きたら………。
『違う』
暗く暗く淀んで澱んで穢れた汚らわしい──凛とした声が響いた。
その声と共に、フェリスの引っ張る力とは比べ物にならない力で──憂の魂は漆黒の魔手に攫われた。
『──違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……──アナタじゃない』
気が付けば目の前に黒い女の影がいた。
彼女は何度も何度も何度も何度も壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返した。
──なん、だ……違う……?
──それは…──
周囲を見渡せばそこには何もあらず。
そこは光も通さぬ闇の中。
高濃度の瘴気に満ちる場所。
彼女以外誰もいない孤独の場所。
ふいに、女の影から手が伸びてきた。
そして──
──今までに感じたことのない苦痛を与えられた。
「──ッア゛あ゛あああぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!?!???!?!」
それは耐え難い激痛だった。
それは尋常ならざる苦しみだった。
──痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛辛辛苦苦痛痛ッッッ!!!!!
それは魂を締め付けられる感覚。
剝き出しの『命』を捕らえられた危機反射。
それは言葉に言い表せない苦痛。辛苦。心痛。
その痛みはありとあらゆる『正』の感情を封じ、ユウの心に── 『底なしの絶望』を── 『際限なき恐怖』を── 『狂気の恐慌』を齎した。
──怖い。やめて。恐ろしい。一人は嫌だ。恐い。息が苦しい。怖い怖い怖いやめて悲しい怖い寂しい辛い怖いよ悍ましい怖い寂しい怖い嫌いだ怖い憎い怖い妬ましい妬み嫉む人が怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い ──『■■!』『■■っ!』──怖……
──声が聞こえた。
──怖い
──恐がるな。
──怖い
──恐れるな。
──怖い
──それでも──!
「……あ゛ぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
精一杯の雄叫びをあげる。
その思考を染め上げる恐怖を跳ね除けんとする。
言わなければいけない。
それは絶望と憎悪が溢れ出すユウの心中に──未だ強く輝く二筋の『希望』が残っているから。
「──お゛…まえ゛…は──ッ……がっあ゛ぐァあああッッッ!!」
声を出すたびに身体が弾け飛ぶような痛みを感じた。
だが──
──二人を失う恐怖に比べればッなんてことないっ!
「……ッ『嫉妬』のッ──魔女」
途端、影は動きを止めて。
『──また。またまたまた失敗したまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまた失敗したまたまた失敗したまたまたま失敗したたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまた失敗したまたまたまたまたまたまた失敗したまたまたまたまたまたまたまたマタ失敗したマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタ失敗したマタ失敗したマタ失敗したマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタマタ……また……わたしは──』
影を通じて、彼女の嘆きが伝わってきた。
その底なしの絶望が、その際限なき恐怖が、その狂気の恐慌が。
──それらはすべて彼女のものだった。
『アナタじゃない』
『アナタはチガウ』
『アナタは── 『あの人』ジャナイ』
──…それは──
──まさか…──
──人違いで、連れて来たのか……?
──お前が、俺を、ここに──
──この世界に。
『──もうここには来ないで』
様々な疑問を想起するユウ。それに対し嫉妬の魔女はそう言ったっきり、それ以上の興味を無くしたようにユウを手放して何処かへ行ってしまう。
──待て。
──おい、待てよ!
──どこ行く気だっ!
──待て、待て、待て待て待て!
──どこに行くつもりだ!?
──待てッ! 待ってくれ! 返してくれ!
── オレの魂ッ!
──フェリスの元に!
魔女は意に介さない。
しかしユウも諦めるわけにはいかない。
行かせない。行かせて堪るか。
こんな、こんなこと、こんな現実──あっていいはずがない。
「どこ、行く気だッ! ──ふざッけるなッ!! 返せ! 返せよッ! あの子の元にッッ!!」
行くな。待て。まだ何も伝えてないんだ。
まだ、何も……
これからなんだ。これから。だからっ
──お願いだから。
「──返せぇぇぇぇぇェェェェェッッッッッ!!!」
ユウの瞳が深紅に染まった。
『──一度だけよ』
その魂の慟哭に魔女は振り向き一言。
それを認識してすぐ、ユウの意識はシャットアウトした。
「──ぁ」
──戻れる、のか──?
それがユウの最後の思考だった。
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
◆◇◆
目が、覚めた。
悪い夢を見ていたような気がする。
──知ってる天井だ。
どうやら、戻ってきたようだ。
しかしなんだか記憶があいまいだ。
何か大切なことがあった気がするのに、それが何か思い出せない。思い出そうと思考するユウだったが、それを妨げるように──。
「うぐッ」
あまりに酷い
あまりの痛みに思考が途切れる。
それはまるで頭を鈍器で殴られたような鈍痛。
その痛みで、ユウはふと思い出した。
「オレ、は……大兎に……そうだ、それで……だから……」
少しずつ記憶を回復させていく。
大兎に襲われたこと。
クルシュを庇ったこと。
フェリスが治そうとしてくれたこと。
何故か酷く
いや、それより早く──。
──二人の無事を確認しなければ。
いや危険だったのは俺だが。
俺がいなくなった後大兎がどうなったかもわからない。
──二人は無事なのか。クッソイタイ……でもッ
今まで鍛錬を積んできたのだ。
痛みには耐性がついている。
これくらいどうってことない。
俺は大丈夫だ。
「……クル、シュは……フェリスは……ッ!」
──何故だろう。
──酷く喉が渇いているようだ。
上手く声が出せない。
「──君は何者だ」
その声の
「……当主…様? ご無事でしたか……!」
「──一体、何を言ってるんだ。いやそれより──娘の名をどこで知った」
──え?
え、え? は? 何、言ってるんですか、当主様。
ユウは理解できなかった。
嫌な予感が、脳裏をよぎった。
──そんなわけない。
「クルシュ下がりなさい」
「は、はい」
──大切な人の声が聞こえた。
間違いない。そこにいる。クルシュは生きているんだ。
その安堵と更なる安心を求めて反射的にその名を呼んでしまった。
「クルシュ様──!」
「ひっ」
──そこにいたのは──
「──。」
──幼い少女。
──見知った顔の……女の子……
──日に日に可愛くなる……絶世の美女。
オレなんかを好きと、そう言ってくれた……大…切な…──
「あなた、──誰」
目に見えない、大事なものに──罅の入る音を聞いた。
「は?」
◆◇◆
良かったネ、——悪夢は覚めたヨ。
──憂鬱の迷い人 結──