これはヒドイ。四七
『悪夢の始まり』
◆◇◆
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなん─」
◆◇◆
「君は一体何者だ」
「──。」
不理解。
それは問い。
それは自らの名を名乗るだけの簡単な質問。
しかしユウは答えられなかった。
わけが分からなかったから。
「幼い子供に化け当家に侵入した目的はなんだ」
「──。」
未理解。
簡単な文章、筋の通った言葉の羅列。
しかしユウは答えられなかった。
意味が分からなかったから。
「──ッ。何故娘の名を知っている──ッ!」
質問に答えない、それどころか何の反応もしない“正体不明の男”に
──同時。
ようやく、理解。
ユウは知っている。
「……クルシュ様は、大貴族カルステン家の一人娘、です。……知っているのはおかしいですか……?」
少しでも理解できた言葉に精一杯に答えた。
少しでもこの状況を理解するため。
──クルシュ。クルシュさん。クルシュさま。
ユウは知っているから。彼女を知っているから。
咄嗟にそう答えた。だが──。
──あ──。
「──貴族のしきたりに疎いのだな。貴族は家を継ぐ長男以外の名を民に知らしめることはない。君が、いいや貴様が知っているはずがない。貴様はいったい何処の手のものだッ」
墓穴を掘った。
知ってる。そんなこと知っているのに。
──落ち着け。落ち着けよ、オレっ馬鹿かっ。
貴族は何かと危険に晒されることが多い。民を守ることがその存在意義だからだ。故に幼い貴族の子供が誘拐され人質にされることもある。だから貴族はどれだけ子が生まれようと長男、後継者以外の名が
カルステン家は第一子のクルシュを授かってから子宝に恵まれず、そのまま奥様が亡くなられたため家を継げる長男がおらず、当主様が亡くなられた奥様以外と子を作ることを拒んだために女であるクルシュが次期当主として選ばれたのだ。
奥様が亡くなるのは今からおおよそ一年後。
クルシュが剣を学び始めたのはそれからだ。
彼女は傑物だ。知恵を修め、剣術を修め、当主としての器を示した。だが、彼女が次期当主足りえると認められたのは彼女が十六歳の時の事だった。
そうしてあの日、彼女の十七歳の誕生祝いの日、大兎が現れた日、彼女の名は世界に知れ渡るはずだった。
──それは今から五年後の事。
故に民草が知っているはずがない。
オレが知っていてはおかしいこと。
──ここは、過去だ。
信じたくない。
心が理解を拒んでいる。
しかしこのままじゃいけない。
だから、だから──っ。
──なんで……っ。
ダメだ、動揺するな。
──落ち着け落ち着け落ち着け。
すー……ふー……
深呼吸をして、冷静に──ドクン、ドクン。
──落ち着いてくれよッ!。
戸惑うな。鳴るな心臓。
今はそんなことしてる場合じゃないんだ。
考えろ! 余計なことは考えるなッ。
考えろっ考え──。
「ぉ……おれ、オレは……っ」
「衛兵──ッ!」
「っま、待って! 待ってくださいッ! オレは、オレも何がどうなってるのかわからないんです! 本当、なんです……だから……だから……お願いだから……信じて、ください……」
信じてもらえるはずがない。
──自分自身でも信じ切れていないのだから。
ユウは心のどこかで思ってしまっていた。
もしかしたら──あれはただの夢だったのではないか、そんな不信感が彼の心を蝕んでいた。
そんなはずない、そんなはずはないんだ、とそう思いながらも信じ切れない。
記憶がどんどん曖昧になっていく。
夢と現実が、その
──そんなはずない。そんなわけ──。
──そう信じたいだけなのでは?
「──。」
落ち着け、深呼吸しろ。
まだ、まだなんとかなるはずだ。
考えろ。
何がどうなっているかわからないのは本当だ。
五年過ごして尚──この世界に来た時若返っていた理由はわからなかった。
今はいつだ。
「──っ!?」
今が、この世界に来てすぐの頃なのであれば──体は縮んでいて然るべきだった。
なのに──。
──身体、が………。
何故か今は体が元のまま……いや、違う。
──身体の感覚が、死ぬ前と変わっていない。
つまり──。
──これは、この身体は夢の中の──あいや違う! 過去の、じゃない、くて、未来の…──あれは、あれは現実だった。現実だったんだ。そうだよ、幻なはずがない。そんなこと、あるわけない。
──でも、でもじゃあ。じゃあこれは、なんで今この身体に、この身体は、なんだ………?
──混乱。
──混乱。
──混乱。
もう、わけがわからなかった。
頭がどうにかなってしまいそうだった。
不理解が不理解を呼んで、混乱が混乱を生んだ。
ただわかることは。
このままでは衛兵を呼ばれ、貴族の屋敷に侵入した不届き者として捕縛されるということだけ。
焦りが思考を乱し、浮かぶ疑問が次々と混乱に至る。
そんな窮地に──一人の女の子がユウの前に立った。
見知らぬ男に名を叫ばれ恐怖し先ほどまで後ろに控えていた女の子は──やはり気高さに満ち溢れていた。
「──お父様。この人──嘘を言っていません」
──いつだって、この人だった。
自分ですら信じられない俺を勇気づけ、
──信じてくれるのは。
いつだってクルシュは俺を信じてくれた。
俺は自分を信じられない。信じてなんかいない。
でも、クルシュが信じてくれるから。
俺はクルシュを信じているから。
クルシュの事は信じられるから。
ユウは勇気を持てた。自信を持てた。頑張ってこれた。
──やっぱり嘘じゃない──いいや嘘にしない。
あれが例え“質の悪い予知夢”でも──。
五年という時間がなかったことになっていても──。
誰も、俺のことを覚えていなくても──っ。
──俺が、覚えているからっ。
──クルシュが、肯定してくれたから。
──俺は大丈夫だ。
ユウは落ち着きを取り戻した。
「我らに危害を加えるつもりはない、そうですね?──ならば即刻去りなさい。捕縛は致しません。理由も聞きません。元々は当家の兵の不手際、不問としましょう」
──ぇ
「あ。え、ぃ、いや、オレは……!」
「それとも他に何か目的が?」
美しい翡翠の瞳。
いつもは輝いてこちらに向けられるその瞳が──。
今は
その目に温もりはなく、かと言って冷たくもない。
ただ──温度のない瞳。
その意味するところは事務的、貴族的、無関心。
「──っ」
──やめてくれ。
──いやだ。
──それだけは。
「……ぁ」
想いは口から出ることなく、ユウはただ口を無意味に開閉させることしかできなかった。
──その目だけは──。
偽りの大丈夫は剝がされた。
欺瞞の勇気は転じて恐怖へ。
気丈な楽観はぽっきりと折れて。
希望から絶望への急降下。
上げて落とされるような拒絶が取り戻した落ち着きを遥か彼方へと葬り去る。
盲信に近い期待は容易く裏切られた。
──その目で僕を見ないで。
「い、ぃえ……ありま、せん………」
ユウは心が折れた。
もう、彼女の方を見れなかった。
もう、それ以上、耐えられなかった。
「──よろしい。お父様、それでよろしいですか?」
「──ふむ」
カルステン家は優秀な貴族の家、思考は深く、決断は早い。俯いて意気消沈したユウに決断を言い渡す。
「よかろう。娘に免じて見逃してやる。だが一度だけだ、二度はない。──二度と我らの前に現れるな」
──二度と現れるな…──二度と…──二度と──…二度と…──。
「………」
瞳から光が消えた。
そこに写るのは。
──絶望。
──絶望。
──絶望。
希望は絶たれた。
願いは廃した。
夢は、終わった。
現実という地獄の中に──救いの糸など在りはしない。
脳内で延々とリフレインする呪いの言葉。心傷のトラウマ。絶望の病。
「───。」
「───。」
「───。」
──気づけば屋敷の門の外。
ガチャンと大門の閉じる音が響いた。
「………」
呆然とするユウ。
自分がどこにいるのかわからない。
自分が何をしているのかわからない。
自分は立っているのか、寝ているのか。
呼吸しているのか、心臓は動いているのか。
世界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
過呼吸になり心臓が痛い。
平衡感覚がイカレて立っていられない。
ふらふらと酔っぱらいのように前へただ前へと歩く。
絶望を経験した者は、誰もが皆──ありもしない希望に縋る。
──フェリス。
大切な人からの拒絶に心に致命的な傷を負ったユウはその傷を癒すため、癒してもらう為、もう一人の大切な人を探しに歩き出した。
その様はまるで──迷子の子供。
無償の愛を与えてくれる母親を探して彷徨う迷子の子供。
──遠ざかる影は、だんだん
◆◇◆
「なんで?」
「なんで?」
「なんで?」
──どうすればよかった。どうすればよかったんだ。どうすれば、どうすれば、どうすれば──
その問いに答える者はいない。
その理不尽に解はなく。
その不合理に意味はなく。
その不条理に価値はない。
ルグニカ王国カルステン領の路地裏。
そこに座り込み狂ったようにそうつぶやく青年がいた。
男は病人だ。
しかし外側に異常はない。
青年は病んでいた。
世界の理不尽が彼の心を蝕んでいる。
──それは絶望という名の病。
希望を無くし、生きる意味を見失い、前後不覚に陥った者のかかる精神病。
──それは『憂鬱』という名の呪い。
現代人の多くが無意識に、知らず知らずのうちにかかっている心の病。
それは個人差の大きい
しかしことこの青年を苛む絶望を理解できる人間など──後にも先にも一人だけだろう。
鍛えられた肉体に不釣り合いな子供服を着た変人──否、『狂人』ユウは、一日中自問し続けた。
──なんで。
◆◇◆
『プシュケー(古代ギリシア語)』
⇒心、魂、蝶を意味する。
wikipediaより
※タイトル『呪病』→『