憂鬱の魔神   作:萎える伸える

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 ボクは気持ち悪い人間の内心が大好きデス。七八


『虎馬』

 

◆◇◆

 

 

 長年過ごした屋敷を出て、身銭もなく泊まる場所もないユウはその日の夜を路地裏で過ごした。

 

 

「……死にたい……死にたい……」

 

 

 頭を抱え、殻に籠り、うわ言を呟く。

 

 それも仕方がないだろう。五年という時間は決して軽くはない。現実であり得るはずのない時の巻き戻し、彼方へと消えた世界の記憶。

 

 屋敷は追い出され、クルシュには拒絶された。もうやり直しは効かない。もう一度同じように生きることはできない。もう二度と──。

 

 

 ──あの二人に会うことはできない。

 

 

「こんなことなら、こんな気持ちにされるなら、あの時死んでおけばよかったんだっ!」

 

 

 こんな残酷な仕打ちを受けるぐらいなら、死んだ方がはるかにマシだった。

 これは罰なのだ。死んだ命を蘇らせた罰。

 自ら死を選んだくせに生きたいと願った当然の報い。

 ──だからといって。

 

 ──諦められるわけないッ!!

 

 そうして彼は己の喉元にゴロツキから盗んだナイフを向けた。

 

 冷静になって、もう一度死んで戻ろうと考えたのだ。

 己が首を掻き切って死のうとする。

 

 ──怖い。怖い。怖い。 

 

 ビルから飛び降りるのとはわけが違う。

 飛び降りの一歩と刃物の一刺し、その差は、そこに必要な勇気の差は同じ一手でもまるで異なる。

 

 ──それでも、叶えたい願いがあるのだ。

 

 願いは『希望』となり、『希望』は勇気へと変わる。

 

 ──クルシュ、フェリス。

 

 守りたい大切な二人の顔を思い浮かべて。

 

 ──君たちの為なら。

 

 ──俺の命なんて惜しくない。

 

 人が自ら死を選ぶとき、それはいつだって自分以外の誰かの為、それが人が人たる所以なのだから。

 

 希望を胸に、一筋の涙と共に世界は白く染まり、白昼夢となって消える──はずだった。

 

 だが──。

 

 

『一度だけよ』

 

 

 リフレインするのは『絶望』の言葉。 

 世界が闇に染まった。 

 ユウの目から光が消え、手からはナイフを取り落とした。

 

 

「なんで……」

 

 出てくるのは疑問の言葉。──否。

 

「なんで、なんで、なんで! なんで──ッ!!」

 

 怒り。妬み。嫉み。そして──。

 彼の心に浮かぶはたった一つの言葉。

 

 

 ──ズルい。

 

 

「なんでお前は何度でもやり直せるんだ……ッそんなの不公平だ! そんなのッズルいにもほどがあるッ! 理不尽にもほどがあるだろうが……なんで、なんでお前みたいなやつが、努力も何にもしてこなかったようなやつが、そんなチート使ってんだよッ!!」

 

 お前とはいったい誰の事か。そんなのは一目瞭然。

 彼は嫉妬しているのだ。

 ──この世界の『主人公』に。

 

 

「死にたくないだ……? ──ふざけんなッ!! なんだよそれ……なんなんだよそれ! 死ぬのが、怖い? 怖いわけあるかクソ野郎!! 甘ったれんじゃねぇッ!! ……なんでッ。なんで、お前みたいなカスが『死に戻り』できて──なんでオレじゃあダメなんだッ!!」

 

 

 世界を呪うように、呪詛を言葉にするユウ。

 嫉妬に狂った狂人は、分け目も降らずに誰もいない路地に向かって暴言を撒き散らす。

 

 ──ふざけるなっ。

 

 それは理不尽への憤り。

 それは不条理への憎悪。

 

 ──なんでッ。

 

 それは妬み、嫉み、嫌悪、怨嗟、厭悪、あらゆる陰の感情の集約された言葉。

 

 

 

 

 

「……死ぬのなんか、怖くも、なんともねぇだろうが……っこんな、こんなのっ…──だって……そんな………………………ずるいじゃねぇか……」

 

 

 泣き崩れるユウ。

 

 ユウにだって分かっている。

 死ぬのは辛い。死ぬのは痛い。死ぬのは苦しい。

 『死』は人には抗えない恐怖そのものだ。

 

 たった一回、それも即死だったにも関わらずユウは発狂してしまいそうだった。きっとクルシュやフェリスの声が聞こえなかったなら実際に発狂し例え生き返ったとしても壊れていただろう。

 

 そこは恐怖と絶望に満ちていた。

 一度でも知ってしまえばもう立ち入ることは許されない。この世界に来る前のように飛び降りて自殺などできないだろう。

 それほど無に帰す恐怖は絶対だった。

 

 だが、それを覆せるだけの希望がユウにはある。

 あるんだ。あるのに。

 

 ユウにはその資格がない。

 ユウにはその権利がない。

 ユウには許されない。

 

 ──どうしてっ。

 

 そこにはただ悲しみが詰まっていた。

 悲しくて、悲しくて、ただ、悲しくて。

 自分でもどうしたらいいのかわからないのだ。

 

 ユウには彼──『ナツキ・スバル』以外に八つ当たりできる相手がいなかった。

 今の自分の苦悩を理解できる相手など他にいるはずがなかった。

 

 ユウにだって分かっているんだ。

 『ナツキ・スバル』という男が如何に凄い奴かなんて、実際に死を知った身からすれば、それはもう格別だ。

 

「ああ、お前はすげぇよ。そんで、オレは弱ぇ……」

 

 嫉妬の魔女を憎んだところで意味はなく、むしろもしかしたら次に死んだとき戻してくれるかもしれないという、そんな淡い願望で怒りをぶつけることさえできない。せいぜい心の中で、クソ魔女と罵るだけだ。憎むことすらできない。 

 

 わかってるんだ。ユウはわかっている。

 でも──わかりたくなんてないんだ。

 

 

「死にたく、ない……っ!……でも……あの二人のいない世界で、生きていたくもない……オレが生きる意味なんて、ない……だから、だから……」

 

 ──もしかしたら、嫉妬の魔女が戻してくれるかもしれない。そんな一縷の望みに縋ろうとする。

 

 ユウに生きる意味はないのだから、せめて最後の望みにかけて自殺してしまった方が──。

 

 そう考えて、ユウは再びナイフを取ろうとする。

 

 

 

『──ユウ』

 

 

 

「ああっ……」

 

 

 声が聞こえてくる。

 ナイフを支える手が震える。

 

 

 

『ユウっ!』

 

 

 

「ああ、ああああ、あああああああああ!!!!」

 

 耳を塞いでも、消えてくれないノイズ。

 忘れてしまいたい、忘れたくない記憶。

 

 もし戻れなかったら、忘れてしまう。

 ──忘れられてしまう。

 

 本当にもう誰にも覚えていてもらえなくなる。

 オレの知っている。オレだけが知っているあの二人を──殺してしまう。

 

 ユウは決断できない。

 

「ああ、ああっオレは、どうしようもない臆病者のっ腰抜け野郎だ……っ」

 

 そんなことをもう何度も繰り返していた。

 

 ──死にたい。

 ──もう会えないっ。

 

 ──生きていたくないっ。

 ──死ねば会えるかもしれないっ!

 

 ──死にたく、ない。

 ──忘れたくない……。

 

 

 ──じゃあ、どうすればいいの。

 

 

「死にたい……死なせてくれ……諦めさせてくれ……オレは、僕は、何のために…──」

 

 

 過剰な情動の乱高下は心身ともに疲弊させる。

 あり余る感情の大波に流され、ユウは壁にもたれかかり崩れ落ちる。

 

 涙は枯れることなく流れ続けて目元は真っ赤に腫れぼったくなっている。首には何度もナイフを突き付けた跡があり少量の血が流れた跡がある。

 その顔はやつれていて目に生気はない。まさしく病人。

 

 愚かな病み人である。

 前に進むこともなく、過去に見切りをつけることもない。

 決断を何よりも怖がって、過去に縋って、未来に怯えて、今を憂鬱に貶める絶望の病み人。

 

 ユウは己の殻に閉じこもって、暗闇に身を置いて、もう何も見えなかった、もう何も見たくなかった。

 

 

 

 

  

 それでも空腹はやってくる。

 

 それでも心は鳴り血は巡る。

 

 そうして人は眠くなる。

 

 

 

 ユウは夢を見る。昔の夢。もう八年も前の夢。──この世界に来る前の夢。

 

 もはや夢か現実かもわからないこの世界から意識を反らしたかったのだろう。

 

 

 ──夢でまで現実逃避なんて、根っからの臆病者だ。

 

 

◆◇◆

 

 

 

「ほら起きて! ■君」

 

 

 

 ユウは何者かに肩を揺すられて、眠りを邪魔された不快感を感じた。だが、不機嫌な顔もその笑顔の前では保っていられなかった。

 

 そこにいたのは──。

 

「……おあ。──リカ、ちゃん?」

 

「そうだよ! ほらもう休み時間終わるよ。次移動教室だから一緒に行こ!」

 

 彼女──リカはそう言ってユウを急かした。

 周囲を見渡せば、ここは学校の教室だった。周りには誰もいない。そこには空席となった机がずらっと並んでいるだけだ。誰も起こしてくれなかったのだろう。──彼女以外は。

 

 だんだんと寝ぼけた脳が覚めてきた。

 

 

「……ありがとうリカちゃん。待っててくれて」

 

「もう。リカでいいってば、約束したでしょ?」

 

「うん、ごめんね……リカ」

 

「よろしい! ほら、それじゃはやく行こ。授業に遅れちゃう!」

 

 

 そう言って彼女は僕を置いて教室を出て行った。一緒に行こうって言ったのに……彼女らしい。

 

 彼女は■■(りか)。クラスで一番、優しくて、明るくて、可愛いクラスの人気者。

 

 そして僕は──チビでデブなニキビだらけの不細工な、性格の悪いクラスに溶け込めないはみ出し者だった。

 

 ──そう、これは昔のこと。小学生の頃の事。僕はそれが原因でいじめられていた。このころは周りの子供皆がサルに見えていたし、碌に足し算もできないクラスメイトを内心、いや口に出して馬鹿にしていた。そりゃあいじめられもする。

 

 なのに、彼女はこんな僕にも優しかった。だから、僕には彼女だけは周りと違って見えた。彼女は僕にとって地獄に垂らされた唯一の救いの糸だった。

 

 

『泣いても、いいんだよ』

 

 

 初めて彼女と会ったのは、否、初めて彼女を人として認識したのは、そのきっかけはこの言葉だった。

 

 はじめ、僕はそれを戯言だと思った。

 僕のことを知ったかぶって勘違いの憐れみを向けてきたのだと。

 僕はいじめを何とも思っていなかったし、彼女の言っていることはまったく的外れだった。

 しかし。 

 

『泣くのを我慢する必要なんてない』

 

『あなたが泣くのは、あなたが弱いからじゃない』

 

『あなたが強いから。あなたが優しいからよ』

 

 しかし、なぜだろう。

 その言葉は、どうしてか僕の胸に響いた。

 

 それは綺麗ごとだった。

 僕が泣かないのはそんな綺麗な理由じゃなかった。

 僕という人間のことは僕が一番わかっている。

 

 僕はただ──何も感じていなかっただけ。

 他人の気持ちが理解できなかったが故に共感もできず、他人の心の痛みも、そして自分の心の痛みも分からない、そんな心のない人間、それが僕だった。

 

 それは甘い甘い毒だった。

 その毒はじわじわと僕の心を揺さぶった。

 冷めきり、誰にも心を開かず、他人を拒絶することしかできなかったそれを甘く溶かし包み込んだ。

 

 それは間違っていた。

 僕は優しくなんてない。

 ただの心のない人間だ──でも、君にそう言われたら本当にそんな風に思えてきたんだ。

 

 ──僕にも、傷つく心が、ある……? そんなわけ……ぼく、は……あれ……?

 

 そう思ったら──頬に涙が零れ落ちていた。

 

 止まらなかった。

 わけがわからなかった。

 恥ずかしい、僕は、こんな、こんな……。

 

 僕は気づいた。

 僕はただ、意地を張っていただけだったのだと。

 ただ、傷つくのが怖くて、目を逸らしていただけだったんだ。

 

 僕は泣いた。

 しくしくと、わんわんと、えんえんと。

 恥も外聞も気にせずに泣いた。

 

 一度溢れ出たそれは止めようとしても止まらず。

 それはきっと、生まれてから二度目の号泣だった。

 

 僕は辛かったのだろうか。

 苦しかったのだろうか。

 今となってはわからない。

 

 でも、わかることもある。

 それは──彼女が僕を変えてくれたということ。

 彼女が僕を──救ってくれたということ。

 

 僕が泣いているところを、彼女はじっと見つめていた。

 

 

 

 僕は彼女を好きになった。当然だ。

 彼女は可愛くて優しくて、頭もよかったから。

 

 

 彼女は理想の女の子だった。

 

 

 僕には全然釣り合わない高嶺の花だったから僕は当然努力した。彼女と付き合うにはまず見た目をなんとかしないといけない。だからまず毎日運動をした。好きでもない将来の役にも立たない運動は辛かったけど彼女への想いを力に変えて頑張った。ただ彼女に釣り合う体を手に入れるために。するとお腹に蓄えられていた栄養は順調に身長に変えられて僕はあっという間にチビでもデブでもなくなった。そうなれば次は見た目だ。僕は身だしなみを整えた。まずは髪。好き放題跳ねている天パを整え、ワックスも日頃から使うようにした。次に眼鏡を外してコンタクトにした。そしていじめによるストレスと寝ればいつものように悪夢を見る不便な僕の脳のせいでできていたニキビも、彼女を想えばそれだけで幸せになれるし心が満たされる、悪夢なんてへっちゃらだった。夢に彼女が出てくれるようになってよく眠れるようになった。ニキビなんていつの間にかなくなっていた。それだけで僕の顔はいつの間にか見れるものになっていた。爪を噛む癖も直した。知ってる?爪を噛むのって自傷行為の一つなんだ。みんな赤ん坊が乳を吸う癖が治ってないんだと思って馬鹿にするけれど。爪を噛むのは主にストレスが原因。真面目で責任感があって、正義感があって物事を深く考える人ほど爪を噛むんだ。漫画でもよく見るだろ?賢い人が考えすぎて爪を噛みきるところ。あとはスポーツ選手なんかは試合中ガムを噛んでいるよね。NBAとかそうなんだけど。あ、僕は運動にバスケ部に入っていたから知ってるけど、日本じゃプロスポーツ選手がガムを噛んだりしないからわかりにくいかな。まぁとにかく人はものを噛んでいる時に集中力が増すんだ。勉強中にはガムを噛んだりするといいよ。授業中に僕が無意識に爪を噛んでいたのは多分そういうわけなんだろうね。僕が人より真面目で、睡眠以外でストレスを発散する方法を知らなかったから爪を噛んでいたんだと思う。酷い悪循環だよ。ニキビができて、爪を噛んでいるというだけでいじられて、いじめられて、他人を蹴落とし邪魔をすることでしか自分の価値を上げられない哀れで頭の悪いサルに馬鹿にされるそのストレスと不快感で眠れなくなってまたニキビが増えて、爪を噛むようになる。いじめてきたやつらは僕が悪いと思ってるんだろうし、『爪を噛む意味がわからない』と言って突き放してきた無能で無知な先生は本当に何気なく言ったつもりなんだろうけど、お前らみたいな低能とは違うんだ。彼女は違った。だから、痩せて、筋肉もついて、顔もまぁ自分で言うのもなんだけど格好良くなって──。

 

 

 

 だから、僕は彼女に告白したんだ。

 

 高校生になってようやく言えた。

 小学校で助けて貰ってから、ずっと好きでした、って。

 

 そしたら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた、誰?」

  

 

 彼女は僕のことなんて覚えていなかった。

 恥ずかしかった。

 一人で勝手に舞い上がっていた。

 

 

 彼女は小学生の頃とは違ってクラスで一番かわいい子というわけではなくなっていた。でも、僕は彼女が好きだったから、不細工でも、見た目なんて関係ない、僕は彼女の中身が好きなんだ、だから絶対幸せにして見せる、そう思った。僕はクラスで一番格好良くなった、君の為に、君に釣り合う男になる為に。成績だって学年で一番だ。君と同じ学校に行くために頑張った。運動だって誰よりもできる。喧嘩だって負けない、君がどんなに危険な目に遭っても守って見せる。全部全部君の為に頑張った。大丈夫、僕がメイクを教えてあげよう。ちょっとぽっちゃりしている体形も一緒に運動すれば昔みたいに美人になるだろう。素材は良いんだから。告白はオーケーされて当然。彼女は()()彼女になる。だって彼女は僕を助けてくれたから。彼女だけが僕の希望だから。助けて貰った。救ってもらった。

 恩を返さなければ。きっと彼女といれれば幸せだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傲慢だった。

 

 

 

「え、えっと……お友達からでいいかな?」

 

 

 

(は?)

 

 

 

 思考が停止した。

 あり得ない現実を脳が拒絶した。

 しかし無情にも時間は僕の理解を待たずに進んでいく。

 呆然として動かない僕を置いて彼女は去った。

 

 五年も努力してきたのに。

 ──何にもなかったみたいに。

 

 

(え? は? え? ──僕の五年間はなんだったの?)

 

 

 ……その時は本当にそう思った。

 

 口に出さなかったのがせめてもの救いだろう。

 僕はなんにも知らない、女の子に理想を求めるだけのガキだった。

  

 無知が罪というのはこういうことを言うのだろう。

 自分本位な、一方的な好意を押し付けるだけの気色の悪い男。

 

 

 それが俺だった。 

  

 

 心を手に入れても、相手の心すべてを理解できるわけではないのだと、知った。

 

 

◆◇◆

 

 

「私と付き合ってくれませんか?」

 

 

 後日、改めて彼女は僕に告白してきた。

 

 どういうつもりだろうか。

 彼女が何を考えているのかわからない。

 彼女は僕が思い描いていた彼女とは違った。

 僕にはもう彼女が分からなかった。

 

 僕は迷った。迷ってしまった。

 僕は彼女への愛を疑った。

 

 ──違う。違う。違う。僕は救ってもらった。彼女に救われた。それは間違いない、間違ってなんかいない。間違いになんてしてたまるか。彼女だけが希望なのだ。彼女だけが僕の──だから僕は彼女を──。 

 

 理想から覚めて、恋が冷めていくのを感じた。

 また、心が冷え込むのを感じた。

 それを認めたくなくて、戻りたくなくて、それから目を背けるように僕は言った。

 

 

「うん、よろしく!」

 

 

 彼女が何を目的に近づいてきたのか、その時はまだ知らなかった。

 

 

◆◇◆

 

 

 声が聞こえた。

 

 

『■君。実は言いたいことがあるんだけど…』

 

『私、幸せ者だなぁ』

 

『私のことはリカでいいよ』

 

『■君! 楽しいね!』

 

『泣いてもいいんだよ。泣くのは君が弱いからじゃなくて、君が優しいからだよ』

 

『…ごめん……ごめんなさい…』

 

『ありがとう!』

 

『どうしても泣けなかったら、私も一緒に泣いてあげる!』

 

『──軽蔑したよね。罵っていいんだよ』

 

『──好きだよ』

 

 

 彼女の記憶をまばらに想起する。

 チビで不細工で虐められていた僕を助けてくれた人。好きな人。何も感じなかった僕に心をくれた人。愛しい人。

 

 付き合う為に努力して、勉強して、格好良くなって、告白して、だれ、とそう言われた人。それでもやっぱり好きだった。

 

 彼女は変わったけど。僕も変わったけど。

 彼女の根は変わってなんかいなかった。僕の思い出だってセピア色になんてなっていなかった。過ごせば過ごすほど、知れば知るほど、僕は彼女を好きになった。

 

 彼女は理想の女の子じゃなかったけど。それを言うなら僕の方が気持ち悪かった。見た目を取り繕っただけで、理想なんてほど遠い男だった。それでも彼女は僕を選んでくれた。やっぱり嬉しかった。

 

 あれが偽善だったとしても欺瞞だったのだとしても、目的のために僕を利用するための利己的な行動だったのだとしても──それで僕が救われたのだから。

 

 そのおかげで今の僕があるのだから。

 愛に報いなければ。今度は僕が彼女を幸せにしなければ。救わなければ。

 

 無知だった子供は大人になろ──〖彼女が死んだ〗。

 

 

 

 

 

『最後に電話』

〘悪い夢のようだった〙

『救えなかった』

 

 

 

 

 

 何もない暗闇の先に影が灯った。

 

 水の滴る音を聞いた。

 

 見上げれば、そこには──。

 

 

『殺したのは(お前)だ』

 

 

◆◇◆

 

 

「ハっ…………………りか…」

 

 

 ユウは路地裏で目を覚ました。

 胸を押さえて跳び起きるユウ。

 額には汗がびっしりついている。

 

 

「……最悪の気分だ」

 

 ただでさえ陰鬱な心境だったのにこんな昔のトラウマまで思い出すなんて、最悪以外に言いようもない。本当に、最悪だ。最悪も最悪……最悪、なのに。

 

 

 ──でも。

 

 

「……そうだな。五年なんて、誤差だ」

 

 五年、それは途方もない時間、巻き戻せない時間、取り返すことのできないかけがえのない、時間。

 それをユウは誤差だと言い切る。

 

「……今、生きている二人がいる。彼女たちはまだ、生きているんだ。だからきっと、今からでもきっと、やり直せる。まだ、俺には、やるべきことがある」

 

 ──だから──。

 

 思い出したくもない過去が彼に一筋の光を見せた。

 時に、悪夢は人に勇気を与える。

 

 ユウは思い起こす。

 二度と姿を現すなと言われたことを。

 

 ──辛い。

 

 クルシュに他人を見る目で見られたことを。

 

 ──苦しい。

 

 もうあの二人には会えないことを。

 

 ──痛い。

 

 

 ──それでも。  

 

 

 

「…──行こう」

 

 

 ユウは前へと歩き出した。

 

 

◆◇◆

 





 チミはいったいどこのレグルスさんだい。
 中々に気持ち悪いネ。

 ※タイトル『冷静』→『虎馬』

クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?

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  • そんなに
  • それより話を進めてほしい
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