ドーゾ。七三
◆◇◆
「……死にたい……殺して、くれ……」
死の懇願が響き渡った。
死にたいなら勝手に死ねばいいと、人は言う。
死にたいなんて甘えだ。
死にたいなんて病気だ。
死にたいなんて、所詮口だけだ。
ふざけるな
死にてぇから死にてぇんだよ。
死にたくねぇから死ねねぇんだよ。
なんで俺が死ななきゃいけねぇんだよ。
馬鹿が。
──お前が死ね。
彼は思う。
彼には自死が赦されていないから。
手足を縛られ、口にも舌を噛めないよう口枷が付けられている。彼はずっと椅子に座っている事しかできない。
故に、彼にできるのは考えることだけ。
一日に一度、得体のしれないものを無理やり食べさせられ餓死することも許されない。
そこから動くことは許されずそこには糞尿が撒き散らされている。
それらは魔法で処理されるが、再びアレが始まるまで彼はその居心地の悪い最悪な場所で過ごさなくてはならない。
肉体的にも精神的にも辛い場所だ。
こんな拷問じみたことをされている彼はしかし、肉体に直接的な拷問はされていないのか。
“綺麗なまま”だ。
しかし、可笑しい。
身に付ける衣服は──赤黒い『血』で染まっている。
衣服の繊維には血が染み込みぼろぼろになっている。
ズボンなどもはや黒に染まり、足元には──否、この部屋の地面は固まった血で埋め尽くされていた。
これが人一人から出たものとは俄かには信じがたい。
あきらかに拷問を受けたソレだ。
だが、それでも疑問が残る。
それならばその『痕跡』が残っていなければおかしい。
いくら魔法があるとはいえ『回復魔法』は高等技術にして希少な力。
このような場所でそんな高級な魔法が受けられるとも思えない。よしんば受けられたとしても何らかの後遺症は残るだろう。
これはどういうことだろうか。
「死にたく、ない……死ね、ない……まだ…──」
不自然は続く。
今度は死にたくないと言い始めた。
このような仕打ちを受けてまだ生きていたいと思えるのか。
それは不自然な正気。
死にたくないと思うことは人間にとって正常な思考。
だが、世の中には死ぬよりつらいことなんて当たり前に存在する。
目を
彼は、そんな蛮行をあろうことかすべて、その身をもって体験しているのだから。
狂気である。
そんなことをやる方もやられて生きている方も、人の想像の域を超えた狂気の沙汰である。そう彼は、そんな狂気の所業を乗り越えてしまったのだ。
普通なら死んでいるはず、しかし彼は死ななかった。
この世界の奇跡が彼を死なせなかった。
この世界には有限の奇跡──魔法が存在するのだから。
一つだけでも発狂する拷問を──幾つでも。
一回だけでもトラウマになる拷問を──何回でも。
やろうと思えばできるのだから。
できて、しまうのだ。
そんなこと、考えるだけでも頭がイカれていると分かるのに。実際にやろうと思うやつはまず間違いなく狂っている。狂人だ。人間じゃない。怪物だ。
じゃあ、そんな狂気染みたナニカを乗り越えて尚、正気でいる彼は──オレは。
果たして正気と言えるのか。
思考がイカれ、頭が壊れ、狂気に陥るのが正常なのであれば、それでも正気を保っているなんて、それはもはや『狂気』ではないだろうか。
その不自然を証明するように。
「殺してくれ。殺せ。殺せよ。はやく殺せ!あああ゛ああああああああ!!!死にたくない!死にたくない!死にたくないんだ!まだ死ねないんだ!なんでまだ死ねない!なんでまだ生きようとする!やめろ!ふざけるな!ばか!殺せ!やだ!ああっ生きたくない!逝きたくなんてない!でももういやだ!もういやなんだよ!死にたい……くない………死ね。死ねよ。なんで、なんなんだ。なんだってんだよ!?あ゛あ゛あ゛あああああああああっ!!!」
矛盾する精神が自身を破壊する。
自壊する心は瞬く間に狂気に陥る。
「………あァ………あ………あ、あ………」
しかし、すぐさま直される。
一度発狂すると、精神は強制的に鎮静化され再び思考の渦に沈むことになる。
彼は狂気と正気を行き来しているのだ。
その尋常じゃないストレスは彼の頭髪に表れる。
彼の髪は延々と白く染まっていく。
──しかしすぐさま黒に戻る。
そしてまた白く。また黒く。
黒く、白く、黒く、白く、黒く白く黒く白く黒く白く──それはいつまでも続く。──いつまでも。
壊れるなら、壊れてくれ。
壊れられるのなら壊れたい。
どうして、まだ壊れない。
どうしてまだ生きようとする。
『■■!』
誰の為、何の為。
答えは出ず、故に終わりもない。
ついには頭髪が抜け落ちていく。
抜け落ちては生えて。
抜け落ちては生えて。
それを延々と繰り返す。
独りでいる間、彼は繰り返す。
ずっと、ずっと、ずっと。
安らぎは拷問を受けている時だけだ。
それは狂気か、正気か。
あるいはもう、人ではなくなっているのか。
彼の地獄は終わらない。
◆◇◆
「目が覚めたかい?」
狭苦しい部屋に二人の影。
桃髪の少女と黒髪の少年。
黙して座る少年と一方的に話しかける少女。
「おや?……漏らしているね。ああ……そうか。人には排泄という生理現象があるんだったか。ごめんね。知識としては頭の中にあるんだが、どうにも経験が伴っていなくてね」
何も感じない。
感じたくない。
恥辱も恐怖も、どこかにやってしまいたい。
「ワタシが誰なのか、知りたいだろう?」
興味ない。
どうでもいい。
どうでもいいから早く解放してくれ。
「随分と落ち着いているね。普通、こんな状況に陥ったらヒトという生き物は容易く発狂するものだが、実際幾人かのメイドはそれだけで『心』が壊れたし、肝の据わっていた執事も三日と経たず舌を噛んだ。君は、やはり特別なのかな?」
特別?オレが?
そんなわけあるもんか。
バカバカしい。
「無視は酷いなぁ。これでもワタシは女の子なんだぞ。無視されると悲しい……」
お前にそんな感情があるものか。
ペテン師め。
「……まぁいい。応えてくれないのなら勝手に説明させてもらおう」
少女は一方的に話し続ける。
「君にはワタシの実験に付き合ってもらいたくてね。しかしどうやらそれは普通の人間に乗り越えることは不可能なようなんだ。しかし君なら──『■■』の魔■■子を持つ君なら、とそう思ってね。……おや?その様子だと、もしや知らなかったのかい?そうか。普通は宿った時に実感するはずだが、どうやら宿った時にそれ以上の衝撃があったらしい。そうかそうか。そんなこともあるんだね。まったく。──興味が尽きないよ」
何が言いたいのかさっぱりわからない。
「んっん、そう。実験だ。是非とも乗り越えてくれたまえ。──健闘を祈っているよ」
その言葉を最後に、思考はシャットアウトされた。
◆◇◆
「ほれ、起きろ」
バシャッ
冷や水を浴びせ掛けられてユウは目を覚ました。
「げはッげほッ………ハッハッ」
覚醒した脳が思考を開始する。
「私は忙しいのだ。早々に吐くが良い。さもなくば……」
そう言ってナイフを見せつける狂った貴族──ビーン。
「ひッ」
不理解の果て狂気に堕ち狂笑したユウだったが、一度眠りに就いて正気に戻ったのか、再び恐怖を味わっていた。
否、それは確かなトラウマとなってユウの精神を更なる恐怖で縛り付けていた。
「クックック。イタイのは怖いか?ほれ、嫌ならば疾く吐け」
「……は、発言、させて、いただいても、よろしい、で、しょうか………?」
どうして狂っていないのか。自分でも分からない。
狂っていれば何も感じずにいられたのに。
彼は今、正常に恐怖を感じている。
あの痛みがトラウマとなり、完全に心が屈している。したくもない敬語を使い相手のご機嫌伺だ。
滑稽、否、無様である。
しかしユウの思考は痛みと恐怖に支配されていた。
「はっはっは。いいぞ、どうやら最低限学習する頭は持ち合わせているらしいな。発言を許す」
「………ありが、とう、ございます………え、っと………な、何について話せば……」
「………はぁ……──そんなこともわからないのかッ!」
「い、まっ──っあぐァぁッ!」
指が舞った。
真空の刃はいともたやすく指の骨など断ち切ってしまう。風魔法とは、四大属性の中でも極めて恐ろしいものだ。
「貴様が失言する度──指を斬り落とす。足の指も合わせれば残り十九か。それまでに吐くことだな。なに、安心しろ。指がなくなればくっつけてやる。──私は優しいからな」
安心できる要素なんてどこにもない。
この男はイカれている。
はやく……はやく……何とかしなければ──。
──壊れてしまう。
「はっハっ、な、なにを話せば……」
過呼吸になりながらもなんとか答えようとするユウだったが、しかし何を言えばいいのかわからなかった。
当然だ。彼は何も問われていないのだから。
「はぁ……二」
「あがあッッ!」
再び。
「だから!何をっ!」
「三」
「あ゛ああああああああ!」
三度。
「なんで!ぐッあ゛ッ」
「教えてくれなきゃ答えられるわけッあがぐがああ!!」
「………がッ!ぐッ!あ゛ッ!」
聞いてもダメ。
黙っていてもダメ。
あまりに理不尽に涙が止まらない。
「ほれ、泣いていないで答えろ」
「だから……っなんでも言うから……何が聞きたいのか、教えてください……お願いします………」
二回目だからか。
ユウの脳は狂気に陥ることもなく、ユウはただ延々と責め苦に耐えるしかなかった。
──人は慣れる生き物だ。
それは生きる為に必要なもので、死に行くモノには不要なもの。
狂うこともできず、かと言って受け止めることもできない。しかし、ユウの胸中を埋め尽くしたのは『絶望』ではなかった。
そこにあるのは──『諦観』。
もうどうにでもなれという感情。
そこには誇りもプライドもありはしなかった。
「ふん。頭を使うということも知らぬようだな。これだから繁殖することしか能のない
……恥を知れ?
……畜生?
なんだよそれ。
プライドも何もかも捨てて頼んだのに。
それなのに、返答は否。
得られたのは罵倒、侮辱、否定の言葉だけ。
そもそも認識が違う。
こいつはオレを──同じ人間とすら思っていない。
こいつにとってオレは、ただ言葉を解せるだけの畜生でしかないのだ。
そんなの、どうしようもない。
もう──。
「あは。あは、あはははははは」
──笑うしか、ないじゃないか。
「気色悪い」
「あは、は、はは……ははは……」
「──壊れたふりなど醜くて見れたものではないな。もういい。興覚めだ」
ゴン、そんな鈍い音が響き、頭部を殴られたユウは再び意識を手放した。
殴られ脱力したユウが最後に見たのは、二十本もの指転がっている血塗れの床だった。
◆◇◆
二日目
痛い。
「あ゛あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」
響き渡る叫喚。
それは痛みを和らげるための本能的反応。
それは助けを呼ぶための原初的咆哮。
それは生き残らんとする生物的衝動。
「ほれ叫んでいないで吐け!」
ヒュパン
空気を割く音が響いた。
その音を生み出したるは柔軟な凶器。
それは人を痛めつける為だけの道具──鞭である。
ユウが今味わっている痛みはおよそ自然界では感じ得ないもの。世界中のどこを探したって鞭を使う生物はいない。
刃物を使う生物はいる。
ほとんどの生物はその鋭い歯で獲物を噛み千切るだろう。
槍を使う生物はいる。
蜂
地球上に存在する数百万種類の生物はその牙を使い、爪を使い、棘を使い、毒を使い、獲物を狩る。
それは生き残る為に必要だった『進化』。
しかしどの生物も鞭という攻撃手段を用いることはなかった。
それは鞭が弱いからか?──否。
それは鞭が知性のない獣には扱えないからか?
──否である。
では、それは鞭が生体上不可能だったからか?
──断じて否である。
鞭とは遠心力を利用して子供でも容易に力を引き出せる剣以上の凶器であり、剣とは違い無造作に振り暴れるだけでよく、蛇や蜥蜴といった尻尾を持つ生物なら可能だ。
しかし鞭を使う生物はいない。
理由は簡単──それが、生きる為に必要のないものだから、それだけだ。
鞭を生み出したのは人間。
人間は生物の中で唯一道具を使う知的生命体。
身体能力に乏しく、毒を生成する器官を持たず、狩りを行うには道具を使うしかない弱く小賢しい生物。
人間は剣も槍も弓も生み出した。
どれも他生物を参考にして。
しかし鞭は違う。
これは人間の人間による愚かで醜く残酷な器具。
それはただ命を傷つける為に存在する。
それは命を傷つけることしかできない。
頭に打てば鼓膜が破ける。目が潰れる。唇が削げる。
打てば打つほど皮が剝げ肉が削げ骨が抉れる。
ヒュパンという、そのちんけな音とともに空気を割きながら肉をも削ぎ落とすその衝撃は──その痛みは、想像を絶する。
猛獣使いが猛獣使い足りえるのは世界に生きとし生けるもの──そのどれもが慣れていない、慣れることのない痛みを与えられることだ。
生物は大なり小なり痛みに慣れるもの。
──だが、逆に言えば慣れていないものにはとことん弱い。
そんな下等生物を飼いならす為の調教師の道具を、何故同じ人間に振るうのか。
何故、同じ人間に振るえるのか。
何故、人間が人間を調教しようなどと考えつくのか。
狂気だ。
否、思っていないのだ。
同じ人間だなんて、考えもしない。
他人とは道具でしかなく、娯楽でしかなく、玩具でしかない。
狂人だ。
力を持った人間が力のない人間に鞭を振るう。
それは上下関係を教え込む為。
それはどちらが上かをわからせる為。
狂気に逃げることを許さず、死ぬよりも恐ろしい痛みを教える為。
この世界は──狂っている。
それが一時間。
二時間。
三時間。
四時間。
五時間。
六時間。
七時間。
八時間。
終わらない、終わらない、終わりが来ない。
己の肉の内側を見る機会なんて、人生で何度来ようか。
捲れる皮、まろび出る骨、ぐちゅぐちゅになった筋肉。
きっとゾンビの方がまともな姿をしている。
それでも死なない。
それでも死ねない。
──だって彼には──『傲慢』が宿っているから。
◆◇◆
『傲慢』とは百獣の王の罪。
古今東西、百獣の王と崇められるのは獅子。
獅子とは獣の頂点であり、古くは獅子の頭を持った人間を太陽の化身と崇める者もいたという。
しかし、現代においてそれは正しくない。
現代における百獣の王とはすなわち──『ニンゲン』。
あるいは『ヒト』と呼ばれる──食物連鎖の頂点に立つ我らのことである。
故に、『傲慢』とは『ニンゲン』の罪業である。
『傲慢』、それは下等生物を支配する力。
『傲慢』の魔女は同種たる人間を裁いた。
人が人を裁くなど神気取りの傲慢だ。
『傲慢』の大罪司教はこの世の上位者を知り、人間を、そして竜をも支配した。
人間如きが神を知った気になるなど思い上がりも甚だしい傲慢だ。
たかが人間が竜を支配するなど恥知らずな傲慢だ。
『傲慢』とは かくなる力。
それは傲り。それは勘違い。
それは思いあがりも甚だしいニンゲンの
人一人の意思など何十億といる人間にとってどうでもいいものに他ならない。
しかし、それを己こそが正義であると、己こそが王であると思い上がる。
それは傲り、それは不遜。
それは世界さえも滅ぼし得る脅威。
そして、人類を滅亡させかねない最恐の力である。
そんな『傲慢』の種子たる『傲慢の魔女因子』がユウに宿った。
それは偶然か必然か。
──否、それは初めから決まっていた。
それは彼がこの世界に来た時から定められていた道筋。
それは世界という人知の及ばぬ絶対の理によって決まっていた。
──人は其れを『運命』と呼ぶ。
ユウは確かな運命のもと、この世界に連れて来られ、力を得たのだ。
なぜなら、ユウはこちらに来る直前、願ったから。
──誰かの助けになりたいと。
──誰かを救いたいと。
それは『傲慢』。それは罪。
──許されざる大罪である。
その意が示すところは──誰かに自分より弱くあって欲しいと願ったこと。
──誰かが傷つき救いを求めることを望んだこと。
──誰かを救えると勘違いしていること。
それはまさしく『傲慢』。
同じ人間が人間を救いたいなどと言うのはただの自惚れ。身の程を知らぬ愚か者の分不相応で幼稚な思想だ。
──何よりも救い難いのは自分なのだから。
そんな人間が誰かを救いたいだなんてお笑い草だ。
しかし、それだけで得られるほど『権能』は安くない。
この世界の誰よりもユウが『傲慢』足りえたのは、彼が異世界人だったからだ。
──否、厳密には彼がこの世界を『創作の世界』だと思っているからだ。
そう、彼はこの世界の誰よりも──この世界に生きるすべてを見下しているのだ。
空想の産物、人のように動く人形、人擬きとしか考えていない。
──クルシュも、フェリスも、二次元の存在でしかないと、彼は無意識のうちに見下しているのだ。
彼女らが自らを好きになることに違和感なんて覚えない。彼女らと共に過ごせるのは当たり前。生き返るのだって、これからの未来だって、上手くいって当たり前。
──だって、『ナツキ・スバル』のいない今。
今だけは自分が──。
──この世界の『主人公』なのだから。
ああ、それはなんて傲慢なのだろうか。
彼はなんにも変わっていなかった。
元の世界でも、この世界でも。
この世界に来てすぐ幼児化したのがその証拠だ。
彼は、彼の精神年齢はそこで止まっていたのだ。
『傲慢』は決して偽りを許さない。
虚偽も虚栄も許しはせず、ただ己のままであることを良しとする。
彼はなんにも『彼女』から学んでいない。
彼は何一つ学ばない。
それは人間が歴史から学ばずに戦争を繰り返すのときっと同じ。
その『傲慢』は彼を生かすだろう。
しかしソレは応えてはくれない。
なぜなら、彼は己が『傲慢』であることを認めていないのだから。
彼は過去から学んだと思っているのだ。
今度こそ誰かを救えると思っているのだ。
──誰を助けたいかもわかっていないのに。
ああ、滑稽なり。
だからきっと、これは『罰』なのだ。
◆◇◆
※スピンクスは原作と異なっていマス。
クルシュとフェリスと過ごした五年間のお話読みたいデスカ?
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ある程度
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そんなに
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それより話を進めてほしい
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どっちでもいい
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お好きにどうぞ