「君と目指したその先へ…」
そう言って彼女は夢を見た。
彼方で鳴り響く雷鳴と共に散らかった部屋の中で携帯の着信が鳴り響く。
先程呼びつけたトレーナー君からだ
荒れた手で通話のボタンに触れ彼の声を聞く。
「────すまないタキオン。もうすぐ着くから待ってて」
少し不快なノイズの混ざった声が携帯越しに聞こえてくる。
物の扱いにさほど気を使わない私だ、他の試験管やビーカー同様消耗品のように扱っていた携帯の調子が悪くなっているのだろう。
「早くしておくれモルモット君。新しい薬の実験は一分一秒でも早く行わなくてはいけないのだよ」
もうすぐだよ という言葉と同時に部屋の扉が開かれ、息を切らし顔色の優れないトレーナー君が入ってくる。
「おやおや顔色が悪いぞ〜、そんなモルモット君には私の作った薬をあげよう。疲労回復、精神安定、心肺機能強化etc.....効能は盛りだくさんだよ」
顔色の悪そうなトレーナー君にいつも常備している発光した液体薬の試験管を振って見せるが、彼はその薬に目も触れず一目散にカフェが使っているコーヒーポットに向かっていった。
「.......つれないじゃないか。それにカフェのポットを勝手に使うと後々不可解な現象に見舞われてしまうよ? 」
そんな私の忠告を後目に、注ぎ終わった珈琲を一飲みして
「今は珈琲の気分なんだ」
と呟いた。
トレーナー君は紅茶が好きだと思っていたのだか、本当は珈琲派だったのか?
私が淹れる紅茶をあれほど美味しそうに飲んでいたトレーナー君の姿が脳裏に浮かぶ。
「──そんな事より薬の実験だよ! 新しい薬が出来上がったんだ、今すぐ飲んでおくれ」
机の上に散乱したビーカーに注がれる液体を少量採取しトレーナー君に押し付ける。
「また変な色した薬だね。これほんとに大丈夫なやつ?」
「今更何言ってるんだいモルモット君? それにこの薬は君の為に調整して作った薬だから大丈夫さ 」
.......なんで私はトレーナー君の為に薬を作ったんだ?
私の...実験.......なんの実験だ?
何かおかしい。 そもそもこれは何の薬だったか。
「まぁタキオンがそう言うなら問題ないか」
「ちょっと待ってくれ! そ、その薬は別のやつだった! 」
光る液体を一飲みにしようとするトレーナー君の腕を払うとその衝撃で手を離れた試験管が宙を舞い、床に落ちて綺麗に砕け散った。
「どうしたんだタキオン」
珍しく手を挙げた私に驚いた様子のトレーナー君が尋ねる。
「叩いてしまってすまない。それは製作途中の薬でね、まだ危険性の有無が確認できていないんだ。 私としたことが間違えてしまったよ」
「そっか....でも驚いたな。 あんなタキオン久々に見たよ」
トレーナー君は何か思い出したかのように微笑する。
「出会った当初のお弁当作り忘れた時以来かな? 」
「.......そんな事知らないね」
出会った頃の出来事なんてよくもまぁ覚えているものだよ。
かくいう私もハッキリ覚えているがね。
「そもそも君があんなにも美味しいお弁当を作るのが悪いのさ。 そのせいで今の私は君の手料理以外受け付けなくなってしまったよ 」
「そこまで気に入ってくれると作った甲斐があるよ」
嬉しくも恥ずかしいといった感じに笑うトレーナー君の笑顔につられて私の口角も微かに上がる。
「実験対象に胃袋を掴まれてしまうとは、いやいや不快極まるよ。 .......だがこの先もずっと作ってくれるなら許してあげてもいい」
悪い話ではないだろう? と問いかけると、トレーナー君はお腹を抱えて笑いだした。
「アッハッハッ! これは参ったな。お弁当を作り続ける贖罪なんて聞いたことないぞ! .......あー腹痛い」
「そんなに笑うことないだろう!? 美味しいものをずっと食べていたいと思うのはごく自然の思考だろう! 」
私の反論を聞きながらトレーナー君は床に散らばった試験管の破片を片付け始めた。
.......いやまだ笑っているぞこのトレーナー!
「いつまで笑っているんだい! そんなに笑いたいならこの『数時間抱腹絶倒して翌日腹筋が筋肉痛になる薬』でも飲むかい!? 」
これまた散乱した薬類の中から赤色をした液体の薬瓶を掴み、トレーナー君に見せつける。
「いやどうやったらそんな薬出来上がるんだよ」
「事故の賜物さ」
本来は腹筋と背筋を重点的に鍛える為に作った薬なのだが、なぜか笑いが止まらない副作用が付いてきた。
メジロライアン君に飲ませた後、血相を変えた他のメジロ家の者達に追い回された記憶がある。
「ほらッ、飲んでみたまえ。人間相手の効果はまだ調べていないからね」
破片を捨て終わったトレーナー君に瓶を放り投げると、彼は慌てて掴もうとする。
だが突然投げられた物を上手く掴むことが出来ず瓶は腕の間をすり抜けて再び地面に砕け散った。
「......今のは私が悪かったね。 片付けるよ」
「────タキオンさんッ!」
散乱した破片を片付けるためしゃがんだ私の耳にその声は割り込んできた。
「.......カフェ? いつの間にいたんだい? 全く気が付かなかったよ」
薄暗いこの部屋に溶け込むような黒髪から覗く黄金の瞳が何故だか悲しそうな感情を含んでいた。
「何を...しているんですか」
おそらくカフェは試験管を割った私に怒っているのだろう。
一応共同部屋ということになっているし、その気持ちは分からなくはない。
自分のスペースを汚されるのはあまり好ましいとは言えないからね。
「いやすまない、モルモット君が上手く受け取れなくてね。今すぐ片付けるから許しておくれよ。 ほらモルモット君邪魔だよ!」
「──何で.......未だにそんな事しているんですか」
佇む彼女から嫌な雰囲気が醸し出される。
『お友達』が近くにいるのだろうか.......
「どうしたんだいカフェ? こんな実験はいつもの事じゃないか。 どうして今更そんな事聞くんだい?」
「実験の事じゃありません....トレーナーさんの事です」
これはアレか?
『私のトレーナー君に対する不当な扱いに、友人として遺憾を示している』ということでいいのかな?
「なぁカフェ、このモルモット君は私のだ。君にとやかく言われる筋合いはないよ」
破片を片しコーヒーポットの前に立つ彼女に向けて私は睨みを利かせる。
「違うんです」
「いい加減くどいぞ、一体何が言いたいんだ。 はっきり言いたまえよ」
言おうか言うまいか悩む素振りを数刻見せた後、彼女は真剣な眼差しで口を開いた。
「タキオンさんのトレーナーは────」
近くに落ちた落雷の光が部屋を照らし、二人の影が浮かび上がる。
「亡くなったじゃないですか.......」
彼が注いだはずの珈琲の香りが鼻についた。
その薬は自らが為の物だった