※※注意!※※
この作品は、『そのウマ娘が“白銀の突風”と呼ばれるまで』に登場する架空ウマ娘、スバルメルクーリの(捏造)史実やエピソードをふらっと投稿する三次小説的な何かです。原作は現状ウマ娘に入れてますがマズそうならオリジナルに変更します。
『白銀の突風』本編をご覧になっていただいた上での閲覧を前提としているため、各種ネタバレや馬の時代の話を敬遠したい方は閲覧を回避していただけると幸いです。
あらすじにも書きましたが、この作品は、『そのウマ娘が“白銀の突風”と呼ばれるまで』に登場する架空ウマ娘、スバルメルクーリの(捏造)史実やエピソードをふらっと投稿する三次小説的な何かです。
各種ネタバレや競走馬の時代の話を敬遠したい方は閲覧を回避していただけると幸いです。
1982年5月。
後に日本の競馬シーンを大きく沸かすことになる牝馬が生まれることになるのは日本のとある牧場だった。
母親はイギリスとフランスの2カ国のオークスを勝利し、G1計3勝の名牝ポーニーズ(Pawneese)。父親は日本競馬会で初の芦毛でのクラシック制覇を果たしたプレストウコウという異色の血統だが、これにはポーニーズの産駒受胎率の悪さに起因している。
4才から繁殖にまわったポーニーズであったが、9才になる本年までに受胎したのは8才時のペリコールのみ。お世辞にも成功とは言えない受胎率に頭を悩ませたオーナーの馬主はここでとんでもない策を講じる。
そうだ、日本の馬を種付けしよう。
補足としてつけるならば、当時は不受胎が続いている繁殖牝馬を妊娠させやすくするために環境を変える…というような話はあった。が、フランスからわざわざ日本に向かわせるあたり、是が非でも2年連続で種付け成功させたいという馬主の必死さが窺える。
当時の日本競馬界といえば81年にジャパンカップが新設されたことで、海外への挑戦という部分に注目が集まり出した時期。シンザン以降15年以上空席の三冠馬はいつ生まれるのか。そして世界で通用する競走馬がいつ生まれるのか。こういうところに競馬ファンの視線は注がれていた。そしてそれは生産者側も同じであった。
そしてそんなところに突如としてフランスからG1を3勝した名牝が日本に種付けをするために来るという嘘か誠かわからないような情報が駆け巡る。トウショウボーイやグリーングラス、マルゼンスキーなどの有力種牡馬は軒並み種付けの余裕がない中、白羽の矢が立ったのが毎日王冠での4着を最後に引退直後のプレストウコウであった。
ポーニーズにとってこの日本遠征は果たして成功であった。まさかの一回での受胎に日本側は「本当に不受胎続きだったのか…?」と首を傾げ、フランス側は「やっと安定して受胎してくれる」と肩を撫で下ろしたとか。
ただし、ポーニーズの産駒成績はこのプレストウコウとの仔を除くとわずか5頭のみ、その内4頭は不出走という悲惨な成績になってしまっている。ある種繁殖牝馬としての運をこの馬に全て注ぎ込んでしまったのかもしれない。
そのような紆余曲折を経た後、生まれた幼駒は少し赤みがかった白い体毛に包まれており、出産直後は白毛の突然変異かと思われていた。しかし目の色が白毛の場合は黒や茶色なのに対し、この馬の目は銀灰色であることから遺伝子検査が行われ、変異型MATP遺伝子をホモで持つことが確認された。こうして約二世紀ぶりに“佐目毛の競走馬”が生まれることとなった。
本編更新せずに何新しいの作ってん、って思うじゃないですか。私もそう思う。
本編の次話(56話)はこのまま書いてると10000文字超えそうで頭抱えてます、ぴえん。今しばらくお待ちを。投稿の目処がたったら活動報告なりなんなりで報告するかもしれません。