暇つぶしとドクターの気晴らしを兼ねてラップランドは彼に近寄った。
仕事がなく手持無沙汰なボクは飾り気のない通路の壁に背を預け何をして暇を潰そうかと考えていた。すると、通路の向こう側から見知った人物がやってきた。
「ドクターじゃないか。今日の仕事は片付いたのかい?」
「……まあ」
ドクターは疲労困ぱいといった様子だった。ここ数日の仕事量が多すぎたせいだろう。それでも疲れた表情を見せないようにしているところを見ると、本当に優秀な男だと思わされる。まぁ、優秀だからこそロドスのリーダーなんて大役を任されているわけだけどね。
「ちゃんと休んでいるのかい?あまり無理をするとケルシーに叱られるよ?」
「いや……そのケルシーが仕事をどんどん振ってくるんだよ」
「あぁ……なるほど」
なかなか休ませてもらえないドクターにボクは同情の笑みを向ける。ケルシーの事だからドクターの有能さを理解したうえで仕事を回してくるんだろうけど、ちょっと可哀想にも見えるね。
ドクターは真面目すぎるからそういうのは断れないタイプなんだろう。
ボクはドクターの隣まで歩いていくと、彼の腕を引っ張って壁に押し当てる。そしてそのまま顔を近づけ、至近距離で囁いた。
「そんなに忙しいなら、ボクとイイコトでもするかい?」
「ラップランド……?」
ドクターは困った様子で見つめてくるけど、別に本気で言っているわけじゃないって分かっている。その証拠に纏う雰囲気は柔らかくなっていた。
ボクだってこんなつまらない冗談を言うような柄じゃないんだけど、たまにはこういう遊び心も悪くないだろう? それにドクターといると退屈しないからね。
ボクはドクターから離れると彼に背を向け歩き出す。
「さて、ドクター。ボクの暇つぶしにつき合ってもらうよ。大丈夫、悪いようにはしないからさ」
「ああ、分かった」
そう答えたドクターは後ろからついてくる。彼が付いて来ていることを背中で感じながら、ボクはどこへ行こうかと考えを巡らせた。
しばらく歩いてから、ふとある考えが思い浮かんだので足を止め、振り返る。ドクターも同じように立ち止まり不思議そうにしていた。
「ねぇ、ドクター。もしボクがキミを攫ったらロドスの皆はどんな反応をすると思う?」
突拍子もない質問だけど、何となく気になって聞いてみたくなったんだ。もちろん答えは期待していない。ただちょっとした興味本位だ。
案の定、ドクターは少し驚いた表情を見せる。しかしすぐに思案顔になると口を開いた。
これは面白い反応が見られそうだ。きっと真面目に考えてくれるに違いない。
そう思っていたけれど、予想に反してドクターの口から出た言葉は意外なものだった。
「そうだな、恐らく誰も驚かないんじゃない?」
「えっ」
今度はボクが驚く番だった。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかった。てっきり慌てふためくと思っていただけに、少し残念に思う。
「意外だね、もっと動揺すると思ったんだけどな」
「いや、驚いている。そもそも攫われるという発想がなかったから。確かによく考えたらありえない話でもないのかもしれない」
ドクターはそう言ってうんうんと頷いている。どうやら本当にそう思っているようだ。
なんだか肩透かしを食らった気分だよ。
それにしても相変わらずドクターの思考回路は読めない。普通はこんなことを聞いたら誰だって焦るか警戒するだろうに、それが全く無いなんて。しかも冷静に分析してるし……まぁ、そこが気に入ってるんだけど。
「じゃあさ、仮に今ここでボクがキミを攫おうとしたらどうするんだい?」
ボクは再び彼に尋ねる。もしかしたらドクターの本音を引き出せるかもしれないと思い試してみることにしたのだ。するとドクターは再び悩みだす。
「ふむ……」
どうやら真剣に考えているらしい。その様子を眺めながら待つこと数分、ようやく答えが出たのか彼は顔を上げた。
「その時は全力で抵抗するかな」
そしてさも当然のようにそんなことを口にする。これにはさすがに面食らってしまった。まさかあのドクターがそんなことを言うとは夢にも思わなかったから。
でも考えてみれば当然の話なのかもしれない。今まで一緒に行動してきた中でドクターの性格はだいたい把握できているつもりだ。彼は必要ならば非道なことだってやってのける人間でもあるのだから。
そんなことを考えていた時、ドクターが続けて口を開く。
「まあ、結局逃げ切ることなんてできないだろうし、抵抗しても無駄だってことは分かってるんだけどね」
「ふぅん、随分あっさりと認めるんだね」
ボクの言葉にドクターは苦笑いを浮かべながら答える。
「そりゃあ、君ほど優秀なオペレーターから逃げ切れるとは思えないからね」
「褒めたって何も出ないよ」
「別に褒めてはいないさ」
「ふふっ、そういう所がドクターの良いところだよね」
ドクターは良くも悪くも正直な人だ。良いものは素直に認め、悪い部分はしっかりと指摘する。だからこそ人望が厚いんだろうけど、彼の場合、あまりにも正直すぎるところが玉に瑕だと思う。
「……あまり自覚は無いけど」
ドクターは特に疑問に思った様子もなく首を傾げている。まったくもって鈍感な男だと呆れてしまうね。ま、そこも魅力の一つではあるんだけどさ。
「──そもそもキミを攫ったらアビサルの奴等に死ぬまで追われるからやらないよ」
スカジやスペクターがあの恐ろしい武器を振り回しながら追ってくる光景を想像すると寒気がする。
あれに追い回されるなんてゴメンだ。考えただけでも恐ろしくて身震いしてしまう。さすがのボクでもあんなおっかない連中と敵対したくないというのが正直なところだ。
「そうかな?」
そう言って首をかしげるドクターを見ていると本当にそう思っているのかと疑いたくなるけど、わざわざ藪蛇を突くこともないので黙っておくことにする。とりあえず今は彼との雑談を楽しみたい。
「──あ、そういえばラップランドは好きな人いるの?」
あまりにも脈絡のない突飛な発言にボクは激しく咽た。
一体なんの話の流れなのかさっぱり理解できない。というか唐突過ぎないかい!?なんでいきなりそんな話になったのさ。
ボクは困惑しながらも咳き込みつつドクターの方を見ると、いつもの穏やかな空気を纏っている。特に動揺している様子はない。至って冷静だ。いや、これはむしろいつも通り過ぎて逆に怪しいくらいだけど。
もしかしてわざと話題を逸らしたのか? いや、考え過ぎだろう。ドクターがそんな小細工を弄するとも思えないし、さっきのボクと同じできっとただの思い付きか興味本位で聞いたに違いない。
ボクはそう結論づけると、ドクターの問いに答えた。
「さぁ、どうだろうね」
はぐらかすような答えだけど、実際のところ自分でもよく分からない。恋愛なんてしたことがないから。
強いて言うなら戦いの中で生きている間はそういうことに興味がなかった。それだけさ。
「もし好きな相手ができたらどうする?」
「そうだねぇ……」
ボクは少し考えてから口を開く。
「やっぱり殺すしかないかな?」
「…えっ?」
ドクターが困惑した様子で聞き返してくるので、ボクは笑ってみせた。
「だってそうだろう?その相手が敵ならボク以外の誰かに殺される前に殺さなきゃいけないじゃないか」
「なるほど」
ボクの回答を聞いて、納得したように頷くドクターを見て少しだけ罪悪感のようなものを覚える。本当は冗談なんだけど……どうしてか本当のことを言えず誤魔化してしまった。
だから咄嗟に別の言葉を紡いだ。
「あぁ、でもボクが一番欲しいと思った相手は絶対に殺さないけどね」
ボクはそう言って悪戯っぽく笑うと、再び歩き出す。
──もちろん、ドクターの事だよ?なんて心の中で付け足して。
少し距離が近いラップランドでした。
ラッピーかわいいね^^