プロローグ
ある晴れた日曜日。五反田食堂でとにかく甘いカボチャ煮定食を食べながら、俺──
「──でまあ、折角チケットもらったのに
「あー……まあ、
「そうそう、そんな感じ」
こいつは中学からの友人*1ではあるが、やたらと馬が合う。同じく男友達の
「で?」
「で? って何がだよ?」
「わざわざ俺にそのこと言ってくれたってんなら、くれるんだろ? あの『モンド・グロッソ』のチケットを!」
ぐいっと身を乗り出して弾は顔を寄せてきて──その額に高速のおたまがぶつかった。
投げたのは彼の祖父である五反田
「うるせえぞ弾! その日はこっちで食堂の手伝いだって何度も言ってるだろが!」
「えー……」
がっくりと項垂れる弾。ロングの赤髪となんともいえないバンダナの青色しか見えなくなるのを他所に、俺は定食を食べ終えた。
余ったお冷を喉に流し込みながら余った一枚のチケットのことについて考えていると、いきなり弾が顔を上げる。おたまが飛んでこないのを確認した後、彼は俺に耳打ちしてきた。
「だったら一夏、
「あいつか……『
わざわざ説明する必要はないだろうが、IS──正式名称を『インフィニット・ストラトス』というパワードスーツ──を用いた国際的なスポーツ大会、それが『モンド・グロッソ』だ。
男性からはアニメに出てくるようなその姿形で人気のISだが、女性からは別の方向でより熱狂的な興味を持たれている。
それは────
『らしい』というのは、ISを動かせない男性にはそもそもこれについて知る機会が少ないからである。
閑話休題。俺は弾が口にした名前からある一人を思い浮かべた。
それは三之川
「何言ってんだよ一夏。あいつだって男の子なんだぜ? そりゃISには興味津々だろ」
「あー……まあ、聞くだけ聞いてみるか」
良心的な代金を払って食堂を後にした俺は、とりあえず自転車に乗って近場の公園に足を運んだ。日差しが暑く思えるような空模様の中、案の定目当ての人物はそこにいた。
「おーい、三之川ー」
「…………」
石造のシンプルなベンチの上に座る彼は、携帯用の将棋マット
「……あ、一夏」
「やっと気づいたな。またその……エア詰将棋だっけ? 本当に駒無しでやれるもんなのか?」
「案外簡単だぞ。駒の動かし方はチェスよりシンプルだし」
ぶっきらぼうに答えながら、すっすとマットの上で指を動かす三之川。彼の脳内では駒がちゃんと見えているのだろう。
九回ぐらいそれをしたところで問題を解いたのか、彼はこちらを見上げてくる。そばかすも相まって、俺より二つほど年が下なのではないかと思うこともしばしばだ。
「────今日も昼飯は五反田のとこか」
「えっ」
「匂いだよ。油の香りもそうだけど、その
そう呟きながらマットを折り畳んで懐にしまい、三之川は立ち上がった。俺より頭一つぐらい背が低いものの、どこか頼もしさがある。
「それで、俺に何か用がある感じか?」
「あ、あぁ……これなんだけどさ」
ショルダーバックからチケットを取り出して渡す。彼はそれを繁々と見つめ、訝しげに口を開いた。
「……他の三人はどうなんだ?」
「そっちはかくかくしかじかでな」
「…………なるほど」
三之川は再びチケットに視線を落とす。それから何分か経ったところで、顔を上げて俺に返事をしてくれた。
「そういうことなら、ありがたく受け取らせてもらうさ。この日は暇だし」
「おお、ありがとな。てっきりまた断られると思ってたぞ」
「これでも人並みには
チケットをポケットに突っ込み、ふらふらと歩き始める三之川。
──その姿になんらおかしい所はない筈なのに、俺は思わず肩を掴んでいた。
「ん?」
「あー……せっかくだし、送ってこうか?」
自転車の荷台を指しながらそう言うと、彼は一瞬ポカンとした表情になり、すぐにいつもの顔になった。
「お前がそんなこと提案するなんざ、明日は槍でも降るかもしれねえな」
「なっ、その言い方は──」
カチンと来て語気を荒げそうになったが、三之川は俺を無視して自転車の後ろに跨り、「連れてってくれよ」と言ってきた。
なんだかいいようにあしらわれてる気がしなくもないが、考えてもしょうがないことだ。すぐに自転車へと向かい二人乗りで出発した。
そこからしばらくして道路の欠けでガコッと跳ねた瞬間、三之川が抱きついてきた。
「おっと、ちょっと怖いなこれ」
「っと……ごめんな」
「にしても、こう言うのって普通は男女でやるやつだよな」
「おまっ、今言うかそれ!?」
なんだか恥ずかしくなったので、ちょっとだけのつもりで飛ばす。しかし、いつの間にかギアは最大になっていて普段は経験しないほどの速度にまで到達していた。
その後は特にハプニングもなく、五分もかからず家まで帰ることができた。
「ふー……ありがとな、一夏。また今度もいいか?」
「……いや、今回だけにしてくれ」
「えー。ケチだなおい」
そんな軽口を叩きながら三之川は荷台から下り、家の中へと入っていった。
……とりあえず、もうちょっと散歩でもしてから帰ろうと俺は思うのだった。
小ぶりな冷蔵庫からフリーザーを取り出し、調味液とその中に漬け込んでおいた豚肉をフライパンの上に落とす。色が変わった辺りでレトルトの白米を投入して一気に炒める。茶色に染まったそれに小ネギを散らして完成だ。
漬け込みすぎて塩っ辛くなった肉と若干べちゃっとしたチャーハンをかきこみながら、俺は空間投影ディスプレイに文字を打ち込んでいく。
「『本日も異常なし』……と。全く、返事の一つでもよこしてくれりゃまだ達成感があるのによ」
狭いテーブルの隅に置いてある缶のコーラを流し込む。俺の雇い主はそれなりに名の知れた『裏』の組織……なのだがどうにも細かいところが杜撰だ。この業務報告が読まれたことだって、多分一度も無い。
歴史が古いから中身もそのころのままなのかーーなんて毒にも薬にもならない考えごとをしながら、俺は
場所を移して地下室。そこの長机の上に仕事道具を一通り並べ、状態を確認してその中から二つを手に取る。
一つは、柄を分割できて穂先をナイフとして扱える槍。接続部分にがたつきがあったので微調整し、ついでに刃を砥いでおく。
そしてもう一つは俺の上半身と同じぐらいの大きさの弓だ。弦を弾いて音色を確認し、ちょうどいい張り具合にする。
そのあとも細々とした微調整を行い、風呂に湯を張るまでの空き時間で矢を作る。数十セット作ったあたりで携帯電話が鳴ったのでそれに出た。
「よお、三之川。調子はどうだ?」
「……あぁ、おっちゃんか。悪くない」
「なら良かった。んで、今日はどんなことがあったんだ?」
電話の向こうのおっちゃん*3に、俺は今日起こった出来事を一つずつ口にしていく。
少し起きるのが遅れたこと、珍しく公園に誰もいなかったこと、一夏が相変わらず五反田食堂に入り浸ってること────当たり障りのない話題ばかりだ。
「なるほど。……話は変わるが、
「一夏からチケットを貰った。開催三日前にこっちを出る飛行機のやつだ」
「おし、よくやったな。お前にしては上出来d──ゴホッゴホ!」
「……こういう時ぐらいタバコ止めたらどう?」
この人は相変わらず煙を吸うのが下手だなぁ、と弓の弦の調整をしながら考える。弾いた音の高低で張りを確認するのだが、少し緩んでいたので解いて結び直す。
そうやって弄った弓に矢を番え十m先の的を狙って撃つと、心地よい弦音と共にど真ん中へと突き刺さった。
「────俺が言うのもなんだが、今からでもこの仕事から引くべきだぞ」
「……おっちゃん?」
電話越しの声色が変化する。少しうわずった、泣き声とはまた別の音。
「お前は
「おっちゃん」
「そもそも今まで護衛なんざさせてもらっちゃいねえ上に、武器は
「……お酒、あんまり飲まない方がいいよ」
心にもないことを言いながら俺はスマホの電源を落とす。おっちゃんがこうやって過保護になるのは昔からだが、今回は一段と過剰だった。
この調子じゃ他の武器の手入れなんて出来やしない。そう判断した俺はコップに水を注いで、瓶から薬を二錠取り出す。それを一気に飲み込んで、ふらふらとベッドに足を運んだ。
安物の敷布団へ横になり、薄っぺらい布を被る。そして目を瞑りながら、ぽつりと呟いた。
「──どうか、夢を見ませんように」
プロローグ(後出し)とはこれいかに
次回、『転換点?』