鼻で笑いたくなったらいつでもここに来てください。
「あなたはもう漂泊者じゃない。ここに存在していることを私が証明し続けるわ。それをしかと胸に刻みなさい。蒲公英」
「貴女様に仕えられること、ありがたき幸せに存じます」
蒲公英はレミリアと主従の関係を誓った。あまりにそれはあっさりと結ばれたために周りは理解が完全に追いつかず、状況に少し置いていかれていた。
そんなことお構いなしに、蒲公英は下げた頭を上げてレミリアと目を見合わせる。そしてお互いが同時に肩の力を抜いて脱力した。堅苦しいのはここまでのようだ。
蒲公英はくるりと後ろに振り返りながら立ち上がり、胸の中心に右手を添えて浅くお辞儀をした。
「ということで今より漂泊者改め、紅魔館の執事となった蒲公英です。これからよろしくお願いしますね!」
軽くウインクをしてピースサインを作った。執事となれたことが本人も嬉しそうな様子だ。
そして蒲公英はポカンと口を開けたまま固まっているフランのもとまで駆け寄り、膝をつく。
「フラン……いえ、フラン様。今日からあなたが俺のご主人様ですよ」
フランは徐々に夢だと思えてしまう今の状況を吞み込んでいく。思考が完全に追いついた暁には、彼女の身体は勝手に動いていた。
「蒲公英っ!!!」
「ふがッ?!」
「みぎゃッ?!」
初速からとんでもないスピードを出し、ほとんどタックルに近い抱きつきで蒲公英に飛び掛かった。蒲公英の身体はフランの勢いのまま後ろに押し出され、レミリアを巻き込んで吹き飛んだ。
「お姉さまも大好き!!!」
フランは嬉しさのあまりに蒲公英とレミリアに両腕を回して抱きしめた。力いっぱいで絞められているため、抱かれている二人からはミシミシと背骨から鳴ってはいけない音が鳴っている。
「「ギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブギブ」」
圧迫される身体で蒲公英とレミリアの顔はみるみると青白くなっていく。二人はフランの背にギブアップを示すタップをするが、興奮している彼女には届くことはなかった。フランの興奮が冷めるまで締め上げ続けられることになった。
ようやくのことで熱いハグから解放された蒲公英とレミリアは痙攣しながら床に並んで転がされていた。フランは込み上がる気持ちを美鈴やパチュリーたちにも伝えたいようで、今は彼女たちのもとで嬉しそうに語っている。
「さ、さすがは……この私の妹なだけはあるわ…」
「しょ、将来…有望ですね…」
レミリアと蒲公英は天井を見上げながら仰向けのままでまだ立つことができないようだ。
「ところであなた、よくフランが地下室にいるってことがわかったわね」
「レミリア様から見えたフラン様の光景が地下室らしかったのでそこを目指したまでです」
「私から見えたフラン?」
「想いの力ってやつですよ」
「………あとで詳しく聞かせなさい」
真面目な雰囲気で言われたが、寝たままの格好で言われたためにどこか締まりがなかった。
少しすると蒲公英の腹から「ぎゅるるる」と死にかけの鶏のような音が鳴った。部屋に響いたその腹の虫の音で全員の視線が蒲公英のお腹に集まった。
「そんな目で見つめちゃイヤン」
蒲公英は恥ずかしそうに赤くした頬に手を当てた。
空腹時の腹鳴は人間における三大欲求の食欲のサインだ。この音が出るということは人の行動原理である欲が正常に機能している証左。平たく言えば元気の証だ。
レミリアはやっと蒲公英の人間らしい一面を見れて少し微笑ましい気持ちになった。
「そういえば蒲公英。今まで何を食べてきたの?」
パチュリーが先ほど聞いた話を思い出しながら彼に訊ねた。
「どんぐりとナイフぐらいですね」
「咲夜、今すぐ蒲公英に食事の用意をしなさい」
その答えに周りはいたたまれない気持ちになり、レミリアはすぐに咲夜に食事の準備の指示を出した。
「ここに既に」
レミリアの言葉が言い終わるのとほぼ同時に蒲公英たちの視界はテレビの画面を切り替えるように、縦に向こうまで伸びている大きなテーブルにイスが並んでいる食堂へと移り変わった。
気がつけば蒲公英はテーブルの側面側のうちの一席に座らされていた。咲夜が時を止めて先ほどまでいた部屋から全員をこの部屋に移動させたのだ。一瞬の間に途轍もない重労働をしていたようだ。
そして蒲公英の目の前には作り立てで湯気が上っている純白のご飯にソースがのったハンバーグ、みずみずしさを感じさせるサラダなど見ているだけでも食欲がそそられるものが並べられていた。
蒲公英の鼻先においしい香りが漂い、唾液が誘い出される。彼はそれらに目を奪われており、いつの間にか首に巻かれていた苺の柄がついた可愛らしいナプキンには気づいていない様子だった。
「咲夜の料理はすごく美味しいのよ。冷めないうちに食べちゃいなさい」
「し、しかしまだ何もしていないのにこんなご厚意に預かることは俺の沽券に関わるというか…」
「あなたにそんなプライドなんてないのはわかってるから早く食べなさい」
「はーい」
いただきますを言うのも忘れてナイフとフォークを手にとり、ハンバーグを大きめな一口サイズに切って口に放り込む。
「んー!んー!んー!」
歯を通すと嚙み応えのある力強い食感に旨味を含んだ肉汁が口の中に広がってあまりの美味しさにほっぺたがとろけ落ちそうになる。
蒲公英は童心に返ったようになり、口に含んでいる状態のまま真向かいのイスについているレミリアに身振り手振りでなんとかこの味を伝えようとする。
「うちの自慢なのよ。咲夜の作るご飯はどれも一級品なんだから」
「んー!」
レミリアは自分のことのように鼻を高くしていた。
蒲公英は目を輝かせたまま咲夜の方を向いてテーブルをバシバシ叩いて美味しいということを伝える。
「言いたいことはわかったから落ち着いて食べなさい」
料理が褒められたことを当然のように受け止めるが咲夜の頬は少しだけ緩んでいた。
舌の上で踊る旨さに手が止まらず、頬袋をどんぐりを詰め込んだリスのように膨らませている。
一旦、蒲公英はフランがレミリアの隣の席からじーっと視線を送って見つめていることに気づき、手を止めて口の中のものを喉に流し込んだ。
「フラン様?そんなに見ていても面白いものではありませんよ?」
「私のことは気にしないで。いいから食事を続けて」
「そ、そうですか?」
何故か楽しそうなフランに少し戸惑い気味になりながらも、蒲公英は食事を再開した。
彩り豊かに並べられていた料理をあっという間に平らげるが、腹を満たすには物足りなかったようで空になった茶碗を名残惜しそうに見る。
「まだまだおかわりはあるから遠慮しないでいいわよ」
「おかわり!!」
「少しは遠慮しなさい」
空の茶碗を差し出された咲夜の早すぎる手のひら返しっぷりに目をむくが、彼女はそれをちゃんと受け取りご飯をついで彼に手渡す。
蒲公英は待ってましたとばかりに受け取り、追加のご飯をぺろりと速攻で平らげた。
「おかわり!!」
「はいはい」
咲夜は再度のおかわりにしゃもじで釜から白米をよそってつぎ足し、蒲公英に渡す。彼は早食い競争でもしているのかと問いたくなるようなスピードで食を進めていく。
「おかわり!!」
「こいつッ…」
ついだばかりのご飯がすぐに消えて空になった茶碗と共におかわり要求が何度も飛んでくる。
咲夜は蒲公英の厚かましい態度に耐えて空の器を受け取ろうとしたところ
「咲夜ばっかりずるい!私も蒲公英にご飯よそいたい!」
一連の流れを見ていたフランが自分もやりたいと抗議してきた。一応、蒲公英とフランは既に主従の関係であり、従者が主人にご飯をよそわせるということは前代未聞のことである。
蒲公英は反応に困ってしまい、レミリアに目でどうすればいいのか聞いた。
アイコンタクトを受け取った彼女はフランがしたいようにさせればいいと静かに頷き、彼に言外で伝えた。
「ではお言葉に甘えておかわりをお願いしていいですか?」
「任せて!!」
フランは力加減を間違えて茶碗を割らないように大事そうに蒲公英からそれを受け取り、いそいそと先ほどまで咲夜がご飯をついでいた釜のもとまで運んでいく。全員がその様子を心許なげに見守る。
咲夜は時を止めた間にフランにエプロンを着させ、隣について何かあった時にすぐ対処できるように備えている。
テーブル上の釜の前にいつの間にか置かれている土台に上り、咲夜のサポートのもと、慣れない手つきでしゃもじを握ってご飯をよそっていく。そして器からはみ出しそうになるお米の山を完成させて蒲公英のもとへ運んでいった。
「はいどうぞ!」
「わざわざありがとうございます」
米粒のついた指先で蒲公英にご飯を手渡した。彼は受け取った白米の山を箸でつまんで一口食べる。
「とっても美味しいですよフラン様」
「ほんと!?」
その言葉にフランは笑顔を弾けさせ、羽をぴょこぴょこと動かす。
「待ってて蒲公英。次のおかわりも持ってくるから!」
フランの嬉しそうに励むその様子に思わず笑みがこぼれてくる。レミリアは人のためにご飯をよそっている妹の成長ぶりに口に手を当て、感動の涙を流しそうになっていた。他の面々もその姿に口元を緩ませている。
「はい蒲公英!」
まだご飯を食べ終えていないところに追加の山盛りご飯が流れてきた。それを蒲公英の前に置くとすぐ次のご飯をよそいにいった。
「フ、フラン様?」
いくら蒲公英が食べる方だといってもそれは平均と比べればである。おなかの中にブラックホールがあるはずがなく、無尽蔵に食べれるわけがない。
蒲公英は湧いてでてくるようなフランのご飯に待ったをかけようとした。
「どうしたの?」
「ちょっと俺でもそこまでは食べれないかな~って」
その言葉でフランの動きが急に止まった。そして顔をゆっくりと蒲公英に向けて目に涙を溜め始める。
「咲夜のはいいのに、私のご飯………食べてくれないの?」
「食べれます食べれます!フラン様のよそって下さったご飯でしたら何百杯だろうといけますよ!」
蒲公英は泣きそうになるフランの涙を止めるため、即座に虚勢を張った。
その様子を見たフランの涙は徐々に潮のように引いていく。
「もお~蒲公英ったら恥ずかしがり屋さんなんだから。はじめからそう言ってよね」
フランは機嫌を取り戻したようで、鼻歌でも歌いそうに追加のご飯を楽しそうによそい始めた。
次々と目の前に置かれていく山盛りのご飯。一杯食べ終えてもさらにもう一杯と増えていくわんこそば方式。蒲公英の食べるペースよりそれらが置かれるペースの方が明らかに速かった。
これは非常に不味い事態となった。
そろそろ蒲公英の胃袋は限界を迎えそうなのに、そんなことお構いなしにご飯の山がテーブルを侵食するかのように埋まっていく。しかし、フランがご飯をよそうことをやめるような素振りは一切ない。やめさせようとすればフランが悲しんでしまう。
蒲公英は崖っぷちにも近いこの状況をなんとかしてもらおうとレミリアに視線で救難信号を送った。
「フランがあなたのためによそってくれてるのよ。残したら………わかるわよね?」
(お前ッ!)
助けるどころか崖から突き放してきた。レミリアの妹思いが炸裂し、蒲公英に全部食べるよう釘をさしてきた。
蒲公英はこいつは駄目だと姉の方の主人に見切りをつけ、美鈴へ視線を向けてヘルプのサインを送る。
「箸が止まってますよ。早く手を動かしてください」
(!?!?!?)
蒲公英は悟った。あの時のことを美鈴は水に流すと言っていたが絶対にまだ根に持っている、と。ここぞとばかりに仕返しに来られてしまった。
そうこうしているうちにもどんどんフランがよそったご飯が増えていく。
大慌てでパチュリーと小悪魔の方に顔を向けて助けを求めた。
「こっちを向いてる暇があるならはやく食べなさい」
「………ププッ!」
(他人事だからって!)
パチュリーは助けようとする態度すら見せず、小悪魔にいたっては笑いがこらえきれずに噴き出してしまっている。
蒲公英は最後の頼みの綱としてプルプルと震えながら咲夜の方へ視線を向けた。その視線を静かに受けた咲夜は時を止めて姿を消した。
能力が使われたことにこの状況を打開してもらえるかもと、蒲公英は淡い希望を抱く。
突然ドスン、と重量のあるものが置かれたような音が響き渡った。
その音へ目を向けると五右衛門風呂かと疑うほどの大きな鉄釜の隣に咲夜が立っていた。その釜の中身は炊きたてで真っ白なお米がこれでもかとぎっしり詰まっている。
「欲しそうだったから持ってきてあげたわよ」
(お前ええええええええええ!!!)
咲夜も美鈴と一緒で仕返しの行動を取った。蒲公英は事態を収めるどころか悪化させようとするメイド長に心の中で叫び声をあげる。
フランはしゃもじを握りながら運ばれた大釜を見て嬉しい悲鳴を出した。
「まだまだいっぱい食べれるよ蒲公英!」
「そ、そうっスね…」
ここまでくるともう諦めの境地まで至ってしまった。
蒲公英は息を深く吐き、戦地へ向かう兵士のような覚悟を決めた顔つきへと変わった。
「…ふりかけってありますか?」
風船のように膨らんだお腹を抱えながら最後の一口を口に放り込む。それと同時に椅子から滑り落ちていく。無理矢理水で流し込んだりした荒業でなんとか全て食べきった。
驚くことに、蒲公英は百に届きそうな数のご飯を食べることを成し遂げたのだ。
「ご…、
蒲公英「忠誠を誓う主人、間違えたわ」