「うぇっぷ」
蒲公英は腹の底から喉にかけて逆流してくるものを抑えながら重くなったお腹を持ち上げてイスに座り直した。そしておもむろに首に巻かれたナプキンを外す。
「ぷふーッ」
すると彼の身体からは黒色の蒸気が栓を外したかのように抜けていき、みるみるとお腹はしぼんでいって霧が止んだころには元のスリムな体型へと戻っていた。普通の人間からは見られない不思議な変化に周りはその光景をまじまじと見つめている。
「ダイエット終わりました」
「女性を前にしてその言葉は気軽に使うものじゃないわよ」
レミリアは非現実的な光景に驚きつつも蒲公英の地雷を踏み抜きにいくような発言に注意を促した。
いくら食べても太らない能力と聞けば女性からしてみれば喉から手が出るほど欲しいものである。レミリアに釘を刺されたことにより、蒲公英はこの能力の価値が彼女たちにとってどのようなものかを理解した。
「むふー」
蒲公英は咲夜にニヤニヤと得意満面の顔を向けて自身の腹をポンと一叩きした。彼女に対して「羨ましいでしょ」と含みを持たせた態度を送ったのだ。
瞬きする間もなく、蒲公英のすぐ目の前のテーブルにナイフが大きな音を立てながら突き立てられた。
「ビョアッ?!」
蒲公英は視界に現れた突然の刃物の襲来に仰天し、勢いよくイスからひっくり返った。そうすると咲夜は背中から思いっきり倒れた彼の両頬に手を添えて持ち上げ、瞳を紅く光らせて自身の顔へと近づける。
「あなたを太らせてから肉を削いでいくのも面白そうね」
「すみませんでしたあああぁぁぁ!!!」
食べ終わった食器は咲夜の手によって下げられ、今はイスに再度座り直した蒲公英の膝の上にフランが羽を畳んで足を上下に揺らしながら腰を下ろしていた。
「あなたは『
蒲公英は膝上のフランが落ちないように彼女のお腹の前で手を組み、人力のシートベルトを作りながらレミリアの問いに耳を傾けた。
「レミリア様や美鈴さんの反応を見る感じ結構ヤバそうな能力だとは」
「ヤバい能力の認識で間違いないわよ」
彼にとっての一番の議題にレミリアは紅茶を一口喉に流し入れてから踏み込んでいった。
「聞くけど、私たち妖怪がどうやって生まれてきたのかわかる?」
「人間にとっての恐怖を具象化したものですかね」
その返ってきた答えにレミリアは正解を示す頷きを彼に送った。
彼女は薄々気づいていたことだが、やはり蒲公英は頭の回転が速い節がある。しかし、いかんせん大事なところでおつむが足りていないのだ。
「じゃあその妖怪が恐れているのは何だと思う?」
「妖怪が…?」
恐怖の象徴たる妖怪が恐れるとは本末転倒のことである。蒲公英はそれが何なのか分からず考え込む。
はじめに浮かんだのは退治できるほどの力を持った人間の存在だった。だが、それはないなと頭の中ですぐに切り捨てた。力比べを求める妖怪なんざ伝承を探せばすぐに見つかる。むしろ妖怪からしてみれば望むところだといったところだ。
こういう時は一度、当事者の立場に立って考えてみるのが良い。蒲公英は自分が妖怪だと仮定して何が恐いのか考えてみた。目を瞑ると思い浮かんでくるはナイフを持ったメイド長。誰だって恐いに違いない。
彼はチラリと視線を咲夜の方に向けた。
その視線を受け取った彼女は、まるで侍が鞘から刀を抜くような所作でゆっくりとエプロンからナイフを取り出し始めた。
蒲公英は銀色のナイフが目に映ると急いで視線をレミリアの方へ向き直す。
「わ、わからないです!」
「正解はね、正体が暴かれてしまうことなの」
レミリアは「少し意地悪な問題だったかしら」と答えにたどり着けなかった彼をクスクスと小さく笑った。
流石にそれだけでは説明が足りないと思ったかパチュリーに補足を入れるよう求め、彼女もそれに応じた。
「人間の恐怖の感情は未知から来ているのよ。それは人が様々な環境で培ってきた異種の動物たちとの生存競争に勝つための至極道理にかなった本能的機能。不識のものを危険と判断し、それを恐れて遠ざけることで生き延びることができてきたの」
恐怖という感情は生きていく上では大切なものだ。もしかしたら人間が太陽の下で活動する昼行性であるのは、夜という目の届かない闇を恐れ避けたからの結果かもしれない。
「だけど彼らはそこで終わらなかった。わからないものをわからないなりに解釈しようとした。そして妖怪、神や妖精といった幻想の像を当てはめて未知じゃなくそうとしたの。時にはそれを魔法だと言ったりしてね」
空想上の生物の誕生である。解明されてないことだらけの古代では最盛期であったはずだ。
「時が流れていけば科学が発展して数多くの謎が解かれてしまったわ」
一つ例を挙げるとすれば“かまいたち”という両手が鎌でイタチの姿をしている妖怪がいる。この妖怪は旋風に乗って現れて人を切りつける。切られた箇所は出血をしているが痛みは感じないと言われている。その怪異性から恐れられていた。
だが科学が発達した近現代では、旋風で皮膚が切れてしまう現象は気象のせいだと言い始めた。気圧による変化のせいだとか、乾燥のせいだとか、様々な説が飛び交うがそこにはもう“かまいたち”の姿は見当たらない。
「正体を明かしてしまえば恐れる必要はどこにもなくなる。やがて人々の意識の中から排除され、消えてしまうの」
レミリアが正体が暴かれることを恐れていると答えたのは自身の存在の消滅へと繋がるからだ。
「そこまではわかりましたけど、それが俺と何の関係が?」
「結論を急ぎすぎよ。簡潔に言ってしまえば過去、人間は妖怪を理解できるものにしようと願い、妖怪はその実現を恐れていたということ」
そしてここからが本題だと言わんばかりにパチュリーの雰囲気が少し張り詰められた。
「おかしいと思わない?恐怖が集えば妖怪が生まれる。願いが集えば信仰に繋がり神が生まれる。“未知を否定する”ことに恐怖も信仰も集まっていた。ならそれに呼応した神か妖怪が生まれていてもいいはずよ」
「………んあ?」
話の流れからして少しずつ嫌な予感を感じ取る。
「だけどその集った想いの性質上、幻想の姿はとれなかった。とってしまえば自分の力で自分が消えてしまうもの。じゃあその行き場を失った信仰と恐怖の塊はどこに流れ着くの?」
「えっ…ちょ、ちょっと待ってください。………噓ですよね?」
蒲公英もここまでパチュリーの話を聞いていれば嫌でも察してしまい、動揺が隠せなくなる。思っていたよりスケールの大きくなった話に蒲公英は餌を待つ金魚のように口をパクパクと開け始める。すでにこの部屋の視線が彼に一点集中していた。
「幻想の存在ではなく、消えることのない確立された存在………人間であるあなたよ」
「ファーwww」
人間は何千年と妖怪に苦しまされたために、妖怪を消してくれる力を望んだ。
妖怪は未来永劫人間の記憶に残りたいがために、妖怪を消してしまう力を恐れた。
それらの結晶が『否定する程度の能力』を発現させたという。
「そんなとんでもない能力をどうして俺が持ってるんですか?!」
「こっちが聞きたいわよ。あなたのことだから落ちてる変なものでも拾って食べたんじゃない?」
パチュリーは眉に人差し指を当てながら、“否定の力がなぜ人間の中から蒲公英を選んだのか”と思考を巡らすが一切見当がつかなかった。
「しかしパチュリー様。蒲公英さんは人間ですけど、能力のせいで消えかけていたと言っていませんでしたか?」
「大方、長い年月を経てそれが出来てしまうほどに力が膨れ上がっているのよ」
蒲公英が消える、その言葉に反応したのかフランは彼の着ている服の裾をぎゅっと握り込んだ。蒲公英はそのフランの少しの変化を見逃さず、右手で彼女の頭を帽子の上から優しく撫でて不安を拭ってやる。
「俺はどこにも行きませんよ」
「………もしも蒲公英が消えちゃったら私が絶対に見つけにいくからね」
「その時は頼りにしますよ」
そのもしもの時が来ないことを祈るばかりだった。
レミリアは紅茶を飲みきり、空になったティーカップをソーサーの上に置いて話を続けた。
「今いるここは外の世界で忘れ去られた者たちの終着点である“幻想郷”よ」
妖怪や妖精、神までもが住まう世界。彼らにとってはまさしく楽園と呼べる場所だ。
「その能力があればこの地の根幹を揺るがすこともできるの」
「できちゃいますね」
「あなたにはそうする心づもりはあるの?」
いくらレミリアの軍門に下った後とはいえ、これだけははっきりとしておかなければならない。その回答次第ではもう一度戦う覚悟すら必要になってくる。
部屋中に緊張の糸が張り詰められている。彼女たちの視線をものともせずに蒲公英は口を開いた。
「大変そうなのでやらないです。それに平和が一番ですよ」
あまりにも蒲公英らしく拍子抜けな答えが返ってきた。
先ほどまでの空気と比べてその緩さときて寒暖差でレミリアはイスから滑り落ちそうになる。
「あなたが馬鹿で助かったというかなんというか…」
「む、そう言われるとちょっと癪ですね。一回やっちゃおうかな?」
「そんなことすれば霊夢………あなたには”博麗の巫女”と言った方がいいわね。彼女があなたを消滅させに来るわよ」
彼女が説明するに、博麗の巫女とは幻想郷の守護者のような立ち位置らしく、その秩序を乱す者には容赦のない裁きを与えるという。
「その博麗の巫女だか婿だか知りませんがコテンパンにして返り討ちにしてやりますよ」
蒲公英は片腕の肘を力んで曲げ、力こぶを作って自信満々にそう言った。
「無理ね」
「無理に決まってるわ」
「無理ですよ」
「無理よ」
「無理ですね」
「もうちょっと言葉とか選ぼうと思わないんですか?」
言葉という名のナイフで集中砲火を食らって少し涙を目に浮かべてしまう。蒲公英は最後の頼みの綱とばかりにフランを見やった。
「私が守ってあげるから安心して!」
「え、博麗の巫女ってそんなヤバい奴なんスカ?!」
蒲公英が勝てると言わないあたり、とんでもない力量の持ち主らしい。客観的に見ても勝算は無いに等しいと紅魔館の住民らはみな同じ考えだ。
「否定する力を言葉どおりに使えるようになって概念を曲げることができたとしても、あなたが理の上に立つ限りは彼女には絶対に勝てない」
「そ、そこまで?!」
もはや博麗の巫女が妖怪だろと思いたくなってくる。聞いてるかぎり無敵の能力を使ってくるらしい。
レミリアたちも過去に異変というものを起こして博麗の巫女に敗れたことを聞き、そこでも蒲公英は驚きで目を剝いた。
「消されたくなかったら私の言うことを大人しく聞いてなさい。じゃないとルーミアにも二度と会えなくなるわよ」
「ルーミアを出すのはズルいですよ…」
渋々といった感じで俯きながらもレミリアの指示には従うことを改めて約束した。
(ほんと、蒲公英はどんな星の下に生まれてきたのよ)
レミリアには他人の運命を見ることができる能力がある。それは『運命を操る程度の能力』とも呼ばれることがある。
運命とは非常に複雑なもので、簡単な弾みで変わってしまうこともあれば楔でも打ち込んだかと疑うほどに変わらないものもある。
蒲公英の運命を能力を介して見てみれば後者であった。
(少しでもあの
レミリアは見てしまったのだ。
蒲公英が博麗の巫女に討ち滅ぼされる運命を。
パチュリーさんの言っていたことを要約すると、
“未知を否定する力”を持つ未知の生物は矛盾しているため存在ができないが、“未知を否定する力”を持つ未知ではない生物、つまり人間は存在できるということです。
難解なところでもあると思うので追々補足は加えていこうと思います。