「もう落ち着いたー?」
ひとしきり泣いた後に冷静さを取り戻した。そして胸に押し当てている少女に気づき、慌てて腕を解く。
泣いている間、彼女は抱き着いてきた俺を振り払おうとするのではなく、ただこちらを見ながらされるがままの状態になっていた。それも泣き止むまでじっとしてくれて。
それは俺としてはありがたかったが、はたして彼女はどう考えているのか。
今はお互いが向かい合うようにして冷たい地面の上に腰を下ろしている。少女は靴の裏側をこちらに見せるようにぺたりと足を少し広げて座っている。
「ご、ごめん。苦しくなかったか?」
「ううん、大丈夫」
強く抱きしめてしまったことで不快な思いをさせていないか気に掛けるが、彼女は首を横に振って両手を横に広げ、気にしてないよと笑顔を向ける。その笑顔は月にも負けないぐらい夜の中で輝いていた。
それは優しさ故か、純粋さ故かはわからない。はたまた何も考えていないからかもしれない。
だけれども、理由なんて関係ない。その笑顔は暗闇にいた俺の心を照らすには眩しすぎるほどだった。
「どうしておにーさんは泣いていたの?」
呼吸が落ち着いたきた頃に少女が延びた声で問いかけてきた。まるで子どもがわからないことを実直に聞いてくるように。
「………独りが怖かったんだ」
どう伝えるか少し悩んだが、隠す意味がないから素直に伝えることにした。
その答えを聞いた彼女は率直に
「変なの」
切り捨てるようなストレートな答えが返ってきた。変なのは自分でもわかっているが、いくらかはオブラートに包んで欲しいものだった。
「独りぼっちが怖いの?」
「あぁ、怖いんだ」
確認するように問いかけてきた。俺は静かにゆっくりと頷いた。
「そーなのかー」
その言葉を聞いた彼女は手を顎に当て考え事をし始めた。しばらくの間は口を閉じ、眉間に深い皺を寄せていた。首を傾げながら「う~ん」と唸り声を上げている。必死に何かの案をひねり出そうとしている様子だった。
数分程待っていると急に閃いたと言わんばかりに目と口を大きく開けて言い放った。
「なら私と友達になろう!」
「へ?」
突飛なことを言い出すもので思わず間抜けな声を出した。戸惑う俺をよそに少女は目を輝かせて畳み掛けるように喋る。
「私はルーミアっていうの!あなたの名前はなんていうの?」
「お、俺は…」
少女はルーミアと名乗り、そのまま彼女の勢いに押されて自分も名乗ろうとしたができなかった。名前を出そうとした瞬間、鈍器で殴られたような衝撃が脳内を駆け巡った。
なぜかはわからないが自分の名前が浮かんでこなかった。どのように呼ばれていたのかも記憶がない。頭の中は絵の具で塗りつぶされたように白一色だけだった。
そのせいで出す言葉が見つからず、クラスの女子に話しかけられた陰キャのオタクのように口ごもってしまった。
「あ、あれ」
まさかと思い、名前以外の他の記憶を探ろうとしても一切出てこなかった。いくらめくっても記憶は真っ白なページしかない。脳の検索エンジンには何も引っかからない。検索履歴には何一つ残っていない。
記憶喪失というやつなのか?
いや、まだ決めつけるのは早い。何かを思い出す手がかりはないかと自分の姿を確認する。
服装は膝丈のハーフパンツしか履いていない上裸スタイルであった。裸足であり、頭には申し訳なさそうな程度にボロボロの穴だらけとなっているキャスケットがかぶられていた。
よく言えばバーバリアン。わるく言えば変態。そんな身なりだった。そこからは記憶のヒントになりえるようなものはなかった。
………あれ、ちょっと待てよ。成人になってるかなってないかぐらいの男である俺がそんな恰好でまだ年端もいっていないような少女のルーミアに抱き着いたんだよな。
なるほど。事件の匂いがする。
思考が少し別の方へ逸れてしまったので元の軌道へ戻す。大した問題であったが。
記憶が一切ないことによる当惑で固まっていると
「名前はー?」
ルーミアがあぐらをかいて座っている俺の膝の上に飛び込み、早く教えてと催促をしてくる。俺は動揺を隠すために彼女の頭を優しくかき撫で
「ごめんなー。名前をどっかに落としてきちゃって無いんだよ」
精一杯に作り笑顔をして、なんとか明るく振る舞って答えた。これ以上幼い子に心配させるのは気が引ける。
彼女は撫でられる頭に気持ちよさそうに目を細めていたが、俺の返事を聞くとキョトンと丸い目を開け首を傾げる。
「ないのー?」
「そうなんだよ。お兄さんはうっかり屋さんだから無くしちゃったんだ」
軽いように話しているが、自分にとってはただ事ではない。無くした記憶はかけがえのないものが詰まっていたかもしれない。しかし中身がわからない今、悲しむことすらできない。残るものは脱力感だけだ。
虚しさを込めた溜息をついてしまう。
「じゃあ私が名前を付けてあげる!」
「へ?」
名前がないことを知るや否やそれを付けると言い出した。二度目になるルーミアの突発的な言動に口をポカンと開けてしまうが、彼女の楽しそうな表情を見ていると止める気にはなれない。まるでペットの名前を考えているように少し興奮している。
え、俺ってルーミアからすれば犬畜生共と同じ扱いなの?
そうこうしていると彼女は俺の胸板に背を預け、組んだ足の間にちょこんと腰をはめる形に姿勢を変えた。俺たちは同じ方角へ視線を向ける形になった。
夜目が利いてるわけでもなく、月明かりしか頼りになれない時間の森の中では影がかかれば目を凝らしても見ることは敵わない。
すると彼女は突然「あ!」と声を上げ、ある場所を指をさした。その指の先を目で追ってみる木の根元に一輪の花が咲いていた。
たんぽぽだった。
和名は蒲公英。キク科の植物であり、ハーブや漢方の材料にもなる薬用効果のある多年草。そして時期が来れば球状に綿毛を展開し、風に乗ってどこかへ旅立つ放浪者でもある。
普通のたんぽぽであれば花弁は朝に開き、夕方に閉じる。しかし、先に見えるものはエナジードリンクでもキメたんじゃないかと疑うほどの真夜中に大きく開花している。
それに加えて木々の隙間から差し込む月光がスポットライトのように照らしており、なまめかしい雰囲気を放っていた。雑草の分際で生意気な。
「たんぽぽ!」
「たんぽぽだね」
花に対して何を喜んでいるのかいまいち理解できなかったが、とりあえず肯定の返事をしておく。やはりルーミアも純真無垢な女の子なのだろう。花を見つけて喜ぶなんて可愛らしいじゃないか。
だが実際は違った。今度はこちらの方へ指と視線を向け
「たんぽぽ!」
「え、あ、俺?!俺のことスカ?!」
予想外なことに思わず自分を指さして確認をとる。まさかこれが名前だというのか。
「うん!たんぽぽ!」
こぼれんばかりの笑みを浮かべて大きく頷く。
「そ、そーなのかー…」
初めの方は驚きが強かったが、出会って間もないのにルーミアらしいと何故か納得してしまった。短い会話のやり取りで彼女のことを理解してきているようだった。
「たんぽぽ………タンポポ………
いざ口に出してみると馴染みやすい言葉であり、不思議と親しみやすさも感じさせる名前だった。安直すぎる名前であるが、何度も口に出していくうちに気づけば気に入っていた。
「素敵な名前をありがとう」
心からの礼を言う。
名前を手に入れたことによるのだろうか。先ほどまであった不安感はもう感じない。煙のように形がなかったものに輪郭ががっちり当てはまったように。
「えへへ、どういたしまして。もうなくさないように気をつけてね」
照れくさそうに頬を搔いている。
「これで私たちはもう友達だね!」
記憶を失ってから初めて出来た友達は無邪気という言葉が似合いすぎるほど天真爛漫な女の子だった。