ルーミアは名前をくれた後、
初めに驚いたのは彼女は自分自身を妖怪だと言ったことだった。それも人食いの。
それを聞いて当然疑問は生まれる。なぜ人間である俺を食べないのか。どうして友達になってくれたのかと。
それに対する答えは「面白そうだったから」だそうだ。喜んでいいのかわからなかった。
まあ裸に近い恰好の変態が森の中で倒れてたらそれはある意味面白いだろう。
とりあえず食べないこと選んでくれたことにありがとうと感謝を込めて、自分の胸元に寄りかかる彼女の頭をわしゃわしゃ撫でてやる。
ふと撫でる手を見ると違和感に気づいた。指の本数が明らかに足りていないのだ。正確に言えば右手の小指が鋭利なもので切られたようになかった。知らぬ間にケジメをつけさせられエンコでも詰めたのだろうか。
「なあ、ルーミア。俺の小指知らないか?」
何気なく聞いてみた。俺を面白そうだから食べないと言ってくれたのでそんなことはないはずだと信じている。
「美味しかった!」
「ファーwww」
元気いっぱいの返事が戻ってきた。おかげで変な声が出た。そういえばあの闇の中に意識があったときに『いただきまーす』って聞こえたな。あれ俺の指を食ってたんか。
よく見れば彼女の口の端や襟元に血が付着している。
しかし、ルーミアの曇りなく笑う顔を見ているとそれすらも許せる気になれる。この笑顔には勝てない。親バカと呼ばれる人たちの気持ちが今ならわかる。
もしもルーミアが彼氏を連れてきたら、俺はそいつに向かって容赦なく引き金を引くことができる。
そのまま話は流れて、今は涎を垂らしながらいかに人の肉が美味いかを熱弁している。
人間である俺に人の美味しさについて嬉々として喋ってくれる。やれ筋肉質な人は嚙み応えがあるだとか、やれ太っている人は油が乗っていて美味しいだとか、やれ赤子は特に旨いだとか。ちなみにルーミアの食べるときのおすすめポイントは腹の肉からいくといいらしい。
俺をカニバリズムの道へと引き込もうとしてくる。ルーミアは妖怪だからいいかもしれないが俺は倫理観からしてしちゃいけないのはわかっている。だからそこはきちんと線決めをしておく。お腹が空いていない時に限るが。
話していくうちに涎が止まらなくなった彼女は俺の腕を口に入れ始めた。入れたといっても甘嚙みのため、止めはしなかった。
「ごぎゅるる~」と俺の腹の虫が悲鳴を上げてきた。首を絞めたような力ない声だった。腹が鳴ったのはルーミアの話を聞いたせいじゃないはずだ。多分、恐らく、きっと。………そうだよね?
腹からの振動と音が直接腕の中の彼女に届き、口に入れていた腕を離して首だけ振り返ってこちらを見上げる。
「おなか空いてるの?」
コクリと首を縦に振った。この場に人が通りかかれば俺たちは一心不乱で狩りに行き、カニバリズムしていただろう。しかしこの森の中だ。俺とルーミア以外の気配は何も感じない。虫のさえずりが響いてるぐらいだ。
頷くのを目に写すと立ち上がり、ポケットの中か五百円玉程の大きさのある木の実を複数鷲掴みで取り出した。見ればどんぐりであった。
「これあげる」
ルーミアの優しさに涙が止まらない。これ以上俺を泣かせないでくれ。食べ物を無償で与えるという行為はそれだけの心の度量か、それ相応の関係が築けていなければできないことである。
しかしこれをそのまま食えと申すか。致し方なし。
「口あけて」
まさかの食べさせてくれるあーん宣言。嬉しさで胸を満たし、彼女の言う通りにすっと目を閉じ口を開ける。残念だったな全国のロリコン共よ、俺は一足先に新世界へ行ってくるぞ。
「もっとあけて」
大きく開けていたつもりだったがさらに大きくと言われ、顎が外れてしまいそうな程に開ける。一気にどれだけのどんぐりをあーんしてくれるつもりなのだろう。
そうしていると開けた口にどんぐりを鷲掴みにしている小さな手ごと突っ込まれた。そのままの勢いで喉にダイレクトアタック。
「ウェオロラッッッ!!!!!!!!!」
「あ、ごめん」
数分の間は涙が出るぐらい激しく咳き込んだが、やっと落ち着いてきたところだ。
俺たちはどんぐりをつまみのようにボリボリと食べている。味は顔に皺を作ってしまうほど渋かった。噛めば嚙むほど苦味が水風船のように口の中ではじけ飛ぶ。飲み物が欲しくなってくるところだ。
一緒に食べているルーミアを見れば同じように皺を寄せていた。女の子がそんな顔するもんじゃない。
アク抜きもせずに食べれたものではなかったが、動かす手は止まらない。この時間を彼女と共有出来ていることが嬉しかったから。
一通り食べ終えるとルーミアは大きく開いていた目をウトウトと眠りかけの半開きの状態へなっていった。食べたら眠くなるのは妖怪も人間も変わらないようだ。まだまだ話し足りない様子であったが容姿相応に眠気には抗えていないようである。
そして腕の中で眠りこけてしまった。急に寝てしまったものなので頭が自分の体の横へ落ちそうになり、慌てて腕で受け止めた。足を反対側にやって、今ではお姫様抱っこに近い体勢だ。
そのおかげで寝顔を視界に映すことができた。規則良く寝息を立て、幸せそうに目を閉じる姿は妖怪ではなく天使だった。見ていると汚れた心が浄化されていく。誰でも相好を崩すはずだ。
手持ち無沙汰となった彼女の手はふらふらと宙をさまよい、俺の胸についている突起物をつまんだ。
「ん゙っっっ?!?!」
乳首を掴まれた俺は眠った彼女を起こさないために必死に悶絶の叫びを押し殺した。手を引き離そうとしても強い力で握られているため簡単に解くことができない。下手すればちぎれてしまいそうだ。こんなところで妖怪と人間の力の差が出ているというのか。
このままでは新しい扉が開いてしまう。しかし彼女を起こすわけにはいかない。ならば耐え抜くしかないだろう。
敏感な部位を責め続けられる痛みにも慣れてきたころ、自分にも眠気が段々と襲ってきた。慣れとは恐ろしいものである。新しい扉の方は多分開いた。
あくびが伝染することはあるというが、眠気まで伝染するものだろうか。重くなる瞼にそんな問いはどうでもよくなる。
うつらうつらと視界が狭まっていく。この平穏な幸せに身を浸かりながら眠りに落ちよう。
意識を手放そうとした時だった。
突然、黒いモヤのかかった触手のようなものに巻き付かれ、とてつもない力で後ろの方へ引っ張ってきた。それは身体中に巻き付いており、一切の抵抗は許さなかった。
触手の出る場所に目をやれば闇の世界だった。その闇には嫌となるほどに覚えがあった。自分を追い詰めた孤独の世界。
「い、嫌だ…!」
途切れそうになる声を出した。あそこに引き込まれようとしているのだ。だけれども、身体は蛇に睨まれた蛙のように動かない。このままでは飲まれてしまう。
「戻りたくない…!あんな思いはもう二度としたくない…!」
涙が零れ落ちるが、そんなことは知らないとばかりに引き込む力は段々と強くなっていく。
「あ………」
ついに身体の半分ほどが闇に入った時
「たんぽぽ!たんぽぽ!」
ルーミアの呼びかけで目が覚めた。どうやら体を揺すって起こしてくれたようだ。心配そうに俺を見つめている。
急いで辺りを見回すがあの闇はもうなかった。心臓は激しく動いており、汗は身体中を滴り落ちていた。
「よかった…やっと起きた。寝てたのに苦しそうだったよ?」
悪夢を見ていてうなされていたようだ。だが、あれは夢で終わらないことは自分がよくわかっている。きっとまた襲ってくるはずだ。
もしもあのままだったら俺はまた黒しかない世界で独りぼっちだっただろう。
「ありがとうルーミア。おかげで助かったよ」
腕を背中に回してぎゅっと抱きしめる。何度彼女に救われたことか。返しきれないほどの恩だ。この手を離したくない。ずっとずっとこうしていたいのは叶わないことなのだ。
感謝の他に伝えることがもう一つある。肩に手を置いて顔を見合わせる。
「ごめん。俺………行かなきゃ」
どこへ行くべきなのかは自分もわからない。しかしいずれはあの闇に飲まれるのは確実だ。次は助からないだろう。俺はここでじっとしているよりも逃れるためのすべを探しにいくことを選んだ。
「行っちゃうの?」
泣きそうに小さな声だった。目には涙を浮かべていた。俺もほんとうならばここにいたい。
被っていたボロボロのキャスケットを手に取り、ルーミアの頭に被せた。付けているリボンが穴の空いた部分からひょっこり出る形となり、元からそのために空いているようだった。
「大丈夫。また会えるから」
自分にも言い聞かせるように話した。その言葉を聞くと涙を袖で拭い、ポケットの中を探り始めた。
そして両手で作った皿いっぱいのどんぐりを差し出してきた。
「私もこれあげる」
それはズボンのポケットがパンパンに膨らんでしまうほどの量だった。ルーミアの頭を帽子の上から優しく撫でて感謝を伝える。
お互いの物を交換することで一つだけじゃない繋がりができた気になれる。おまじないに近い行為だが、俺たちにはそれで十分だ。
「それじゃあ行ってくるよ」
あくまで笑顔で手を振って別れる。一生のお別れにしないために。それに答えるようにルーミアも笑ってブンブンと手を大きく振っている。
再会するときももちろん笑顔でだ。
彼女のあふれんばかりの無邪気さには元気を貰った。頑張らなきゃなと心に強く言う。また会うために。
俺は霧が濃くなる方へ歩みを進めた。