東方漂泊録   作:芳養

32 / 40
漂泊者の真髄③

 自身の胸を貫いた手を抜くとその穴からは石油よりも黒い液体がドクドクと零れ落ちていく。それと同時に蒲公英の身体が色を失って半透明になってしまった。まるでその液体が一緒に彼を構成する大切なもの流していくようだった。

 

「まだ“否定する程度の能力(この力)”について何も説明してなかったな」

 

 寒さで冷えていく身体だが余裕を見せつけながら手の平から黒色の霧を展開する。突然の自傷行為に水晶越しの少女たちは驚愕の表情のまま固まっていたが、しっかりと耳だけは傾けていた。

 

「こいつは色々とややこしいが言ってしまえば“答え”を失くすことができる能力なんだ。これを恐怖から生まれて実体の持たない妖怪(お前ら)が喰らっちまえばひとたまりもねえだろうな」

「まさかその能力だけで私とやり合おうってわけかい?」

「待て待て、お楽しみはここからだぞ」

 

 蒲公英は霧を握り拳の右手に吸い寄せていく。森で目覚め、そこから紆余曲折あって否定の力を使っていくうちにその本質に気づいていたようだ。そして本来の使い方も。

 

「答え………つまり事実があるものにこの力をぶつけると面白いことが起きるぞ。どんな現象に流れつくのかは俺にもわからないんだからな」

 

 ニヤリとそう笑うと彼は拳を天に向かって威勢よく突き上げた。その先端からは凝縮された霧がレーザービームのように射出され、ドーム状に囲っていた結界を突き破ってその勢いは空まで続いていく。

 

 

 

 バリンッ!!!

 

 

 

 蒲公英の放った霧が広がった数秒後、突如として思わず耳を塞いでしまうほどの破裂音が響き渡り、幻想郷の空には幾重にも広がる亀裂の線が走って天候を一変させた。

 亀裂は澄み切った空を黒く侵食していき、それに耐えきれなくなった部分は破片となって落ちてくる。空の欠けた一部分からは月空が覗かせており、昼と夜の混在する非現実的な世界を作り出していた。それはまるで壊れた液晶テレビのように光と闇の規則性がない混沌だった。

 

「……昼を否定すると夜になるんじゃなくてまったく別物になるんだねえ」

 

 萃香はその能力の実演を驚くのでなく冷静に分析してみせた。

 これは紫もあそこまで警戒するわけだ。あの能力は単純なものでなく、理の外側をいってしまっている。人間の子どもなんかが持っていて良い力ではなかった。

 

 

 

 

(あれ……、これ思ったより結構やばくね?)

 

 一方、蒲公英は崩落している空を見上げて内心震えていた。同時並行する昼と夜が気圧差を生じさせて突風を引き起こしており、複数の小さな竜巻を生み出して天を貫いていたのだ。自然法則では起こりえない現象を無理に引き起こした弊害か、天変地異のような異常気象が目の前に広がっていた。

 

 面白いことが起きると宣言したがここまでなのは想定外だったようだ。校庭で野球していたらクリティカルホームランを打ってしまって学校の窓ガラスを割ってしまったかのようにやっちまったと後の祭り状態であった。

 だけどここで焦りを見せるのは恰好がつかない。常にクールでいることがハンサムな男の条件だ。テンパる気持ちを隠すように片側の口角を吊り上げながら萃香へ振り向き直った。

 

「ま、まあ否定した先の答えがどうなるかは予想できないんだよ。…………俺を除いてな」

 

 何も無い暗闇をただ漂っていた時は孤独が辛かった。正確にいえば孤独にいることで自分が分からなくなって心が壊れてしまうことが怖かった。自分がここに生きている根拠が欲しかった。長い時間自分が何者なのか自問自答を繰り返して我を失わないようにしていた。

 

 だがそれを恐れるのは今日までだ。その恐怖すらも利用して己が力へ変えてみせる。

 

 

 

 

 今の蒲公英は能力によって答えを失った状態、つまりは何色にも染まっていない“空白の存在”。ただ理の流れに沿って消えゆくだけの泡沫に等しい木端。

 

「俺がどうして“漂泊者”なのか今なら分かる気がするな…」

「なら教えてくれるかい?あんたの“漂泊者”を」

 

 蒲公英の立つ場所を中心として墨染の風が吹いてくる。まるで何か不吉なものが集まっていくようだった。

 

「何者でないからこその“漂泊者”。だがそれだけに非ず!何者でないが故にこそ何者にでも成れる!」

「はあ?」

 

 彼の言っていることは聞くよりも前から既に破綻している超逆説的理論だった。これには萃香も小首を傾げるほかなかった。

 

 

 

「一ついいことを教えてやるよ。男の憧れってのは簡単に諦められるものじゃねえんだよ…」

 

 それだけ言い残すと彼は手で顔を覆い隠し、ぶつぶつと彼女に聞き取れないぐらいの声量で繰り返し何かを呟き始めた。まるで自分に言い聞かせるかのように。

 そしてそれに同調するように辺りを漂っていた霧が集約していき、彼の身を球体状に包み込んだ。そのせいで外界から遮断された中の彼の様子を窺い知る由がなかった。それは紅魔館の少女たちも同じであった。

 

「おいおいおいおい………!マジかよ!?」

 

 だが間近にいる萃香は中で起こっていることが見れなくとも、肌でピリピリと感じる力の奔流に先程までしていた腕組みを解いて驚愕の声をあげた。まるで蛹が蝶になる過程のように殻の中で神秘的な変化が起こっていることは確信した。

 

『萃香!今のうちに早くトドメを刺すのよ!前の時とは何かが違うわ!』

「邪魔をしてくれるな紫!蒲公英が漂泊者になるまでは協力してやったんだからその後は勝手だろ!もし手出しするようだったら私は一生恨むぞ!!」

『あなたが珍しく買って出たのってやっぱり闘いたいだけだっーーー』

 

 萃香は焦る紫の忠告に耳を貸すどころか水を差すような真似はするなと釘を刺した。それに留まらず、形代を取り出して頭からビリビリに破り裂いて風任せに捨ててしまった。

 形代の向こう側で愕然の声のあとに「どうなっても知らないんだからこの戦闘お馬鹿!!」と聞かん坊に対して投げられたが彼女に届くことはもうなかった。

 

「さあこれで誰も邪魔はいなくなった。私は応えたぞ!今度はあんたが応える番だ!」

「最高だぜ萃香ァ!」

 

 彼に起こっている変化に興奮が抑えきれずに期待で胸が膨らんでいる。闘争心に油を注ぎ続けられて彼女も正常でいられなくなってきていた。今すぐにでもこの男と死合いたい。だが彼の準備が整うまで我慢するという理性だけはかろうじて残っていた。

 欲求で溢れそうになる涎をなんとか吞み込みながら蒲公英の完成を心待ちにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは一分にも満たない時間だったが萃香には途轍もなく長く感じられていた。そしてその時は突然と来た。

 

 

 蒲公英のいる球体から発せられていた突風が急に止み、ただそこに安置されてるだけの置物になってしまったように何も活動を起こさなくなった。

 

 

 

 

 

 

 それも束の間、突如として球体の内側から無理矢理突き破るように人影が飛び出し、常人の目には追えない速度で萃香に急接近して膝蹴りを繰り出した。

 

 

 

 しかし彼女はそれを片腕だけで難なく受け止める。

 

「あんたみたいな面白いことをするのは初めて見たよ」

 

 彼女は彼の頭目掛けて拳を放つが、猫さながらのしなやかさで地面すれすれに伏せて躱された。そしてお返しとばかりに避けたその体勢から大きな弧を描いて遠心力を乗せた蹴りを萃香の頬に迫らしたのだ。

 

「………血なんて流したのはいつぶりだろうねえ」

 

 蹴りを受けた側の口の端から血が流れ落ちるも、踵を頬にめり込ませながら獰猛な笑みを浮かべた。

 

「待ち焦がれたこの瞬間がやっと来た。私の命が灰になるまで楽しませておくれ」

 

 彼女は彼の足を掴むと空高くへ向けて放り投げた。それはもはや人の体を投擲する速度ではなかった。

 

 

 しかし、投げられた人影は我が身にかかる力を流すように何回転もの宙返りをして体勢を立て直し、空中で静止(・・)した。

 

 

 

 

 

 萃香を見下ろしながら浮遊する彼は月と太陽の二つの光に照らされてその姿を現していく。

 

 

 

 背中からは蝙蝠のように膜で結ばれた大きな翼が生えており、獲物の血を吸うことに特化した鋭い牙を生やしていた。そして瞳は血よりも紅い深紅の色へと色変わりしている。

 

 その姿はまるで御伽噺の………いや、彼の仕える主人とそっくりだ。

 

 

 新しい姿を手にした蒲公英は憧れの彼女を目指すように、優雅にそして艶麗にゆっくりと口を開いた。

 

「タンポポチェンジ“吸血鬼(ヴァンパイア)”」

 

 しかし、世紀末のようなネーミングセンスは相変わらずだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。