「ハァ………ハァ………少し、取り乱した」
蒲公英は溢れ出る力に根性でなんとか耐えしのぎながら肩で呼吸を整えていた。二つの強力な力が自身の内部で融合し、それを持ってして立っていれられることだけでも奇跡に近かった。
彼は変化していく心に精神が追いついておらず、我を保つだけでも精一杯の様子であった。吸血鬼に加えて鬼の力は明らかに一個人としての器に耐えれる許容範囲を超えている。加えて存在を転化させている能力だ。存在とは生まれるより前から既に決まっている森羅万象における魂の格。それを書き変えることで降りかかる代償が計り知れない程になるのは考えるまでもなかった。
現に彼の身体にはところどころにヒビのような枝分かれした線が見受けられていた。
心が壊れて自我を失くすのが先か、存在とともに魂が限界を迎えるのが先になるかの極限の二択状態であった。
「やっぱりあんたは誰かの下に収まるようなタマじゃない。鬼の生き方があってるよ。どうだ、私と一緒に来ないか?窮屈な従者の肩書きなんて捨てて」
「何度も言わせないでくれ。それにそんなことしたら咲夜さんにどやされちまうよ」
「相当尻に敷かれているようだねぇ」
「俺は座布団じゃないぞ」
「そういう意味じゃないよ」
見るからに体力を消耗している様子であったが、減らず口を叩くほどの元気はまだ残っているようだ。かく言う萃香も度重なるダメージで足元を少しばかりふらつかせていたが、まだまだ拳を振って戦える。
そろそろ限界が迫っていることは二人が一番よく理解していた。だけど全力を出し切れずに終わってしまうなんてごめんこうむりたい。
そして蒲公英は有り余る力を握り拳に込めておもむろに両腕を上げた。
「人間の本懐は心に在り!信仰も生まれれば恐怖も生まれる!そして全てを超克する覚悟もだ!想いとは力の根源へと昇華するのだ!」
そして両腕を大地へ力いっぱいに叩き付けると彼を起点に立っていることもままならなくなるほどの大地震が起こった。
「ならば私はそれを砕き、壊し、潰し、そして全てを喰らい尽くしてやろう!鬼という存在をその身を以って思い知るがいい!」
萃香も同様に右腕を掲げて大地に向かって拳を振りかざす。そして彼女の起こした大地の揺れは蒲公英の起こした地震とぶつかり合い、相殺された。
お互いは認め合うように口角を上げると全力で走り向かい、轟音が鳴り止まない激しい格闘戦を繰り広げた。
(これは一体どういうことなの…?)
紫は水晶に映し出される光景がまだ現実のものとは信じられなかった。二人の戦いには目で追うのが精いっぱいで、仮に自分がその場にいたとしても無事じゃいられないのは確かだった。
このような事態にまでなってしまったのは紫も完全に予想外だった。蒲公英という人間の可能性に萃香の身勝手な行動、様々な不確実性があれど、それでも今日ここで確実に彼の首を取っておきたい理由が彼女にはあった。
それは言わずもがな紫陽花の存在であった。彼女の放った妄言にも近しい言葉を信じて蒲公英を野放しにしておくなど紫に、いや幻想郷にとってリスクでしかなかった。それほどまでに“否定する程度の能力”は危険で脅威であった。
フランの一撃が蒲公英の奥底まで届き、残りの寿命が僅かなのは、彼女は以前に彼と会った際に既に気づいていた。放っておいても勝手に消えそうな残り火だったが、いや、だからこそこのチャンスを逃すまいと彼の中にとどまっているうちに、確実な消滅かもしくは封印をするべきだと考えたためである。
故に“あいつをずっと見ていた”“一発殴ってやらなきゃならない”と言って珍しく息巻いていた萃香をあてがった………と言いたかったが実際のところは萃香が無理矢理計画に乗ってきたのに近かった。
だが、ただ単純に命を奪えばいいという話ではなかった。彼は紅魔館の執事となり、レミリアの庇護下にあった。大義もなくその計画を遂行すれば紅い悪魔と恐れられる彼女の怒りを買うのは必然であった。
(だけどあなたは“漂泊者”……どこまでも独り流れ続ける者)
紫陽花の過去を知る彼女にとって、宿主である蒲公英が
漂泊者と幻想の存在は決して相容れない。紫はただその間にある亀裂を少し広げてやればいいだけの作業であった。そうすれば自ずとレミリアたちも彼を手放してくれるという算段だった。
しかし、その中で見誤ってしまっていた。彼が築き上げていたフランとの信頼を。
お互いがお互いを大切に想うあまりに多少のすれ違いは起きていたが、彼らは一つの言葉じゃ表しきれないぐらい強固な絆で結ばれていた。それはまるで紫が理想としていた人と妖怪が共存する姿に近しいものであった。
(いいわ……なら最後まで見させてもらうわ。華月蒲公英という存在を)
今となっては、以前までからは信じられなかった漂泊者を変えた彼に興味が溢れんばかりに湧き出ていた。もしかしたら霊夢とは別の道で人と妖怪の架け橋たる存在に成り得るかもしれない。
紫はそれを見定めるため、そしてその興味を悟られないよう扇子を再び広げて蒲公英と萃香の戦いを最後まで見届けることに決めた。
萃香は空を切り裂く程に放たれる蒲公英の拳を小柄な体躯を活かして躱し、彼の懐に潜り込むと顔と胸にかけて二段蹴りを打ち込んだ。
「ぐうッ!!」
二度の破砕音が響くが彼はそれを気にも留めず、その場を全力で踏みしめながら耐え忍んだ。
蒲公英は打ち込みの次の動作が間に合わないうちに素早く萃香の頭を片手で掴み上げ、地面へ叩き付けた。
「やるねぇッ!!」
彼女もただでやられずに、叩き付けられた反動を使って蒲公英の頬へ強烈な蹴りを放ち、鈍い音を彼から引き出した。
口から血液ではなく、黒色の液体を吐き散らしながらも彼は絶対に萃香から視線を外さずにいた。そして掴んでいる反対の手で拳を作って打ち込もうとした矢先、萃香は身体中からマグマのような熱気を感じさせるほどの闘気を解放させて彼を遠くへ押し出した。
蒲公英は即座に穴だらけの羽を広げて両足を地面に差し込んでその圧力を距離で数歩分に留めたが、萃香の飛び込みの膝蹴りにまでは対応できなかった。
「痛ってえな畜生!!」
そう言いつつも亀裂の走っている顔は笑っていた。萃香との戦いが楽しくて楽しくてしょうがないようだ。
そして、くるくると身体を翻しながら距離を置いて豪快に着地した彼女は掌に火球を創り出すと野球ボールのように力強く投球した。
「祭りが終わるにゃまだまだ早すぎるよな!」
火の球が直撃すると蒲公英の身体は轟音と共に爆炎に包まれる。炎が収まらない間に二発目、三発目と火球は撃ち込まれ続けていた。
「見ろ!この最強の肉体を!そんな妙な光もので俺を止められると思うなよ!」
灼熱の炎に焼かれつつも着実に一歩ずつ大地を踏み砕きながら萃香のもとへ歩き出している。
萃香はそれを視界に写すと弾幕の類は効果が薄いと判断し、火球の連弾を止めて拳を握って彼へ飛び出した。
「なら
「ぶへぇッ!!」
萃香の拳は蒲公英の頬にめり込むが、彼はそれを歯を食いしばって受け止めて返しのカウンターパンチを彼女の頬へ叩き込んだ。
(あと少し……あと少しだ…)
萃香との戦いなかで蒲公英の内側に奇妙な変化が起き始めていた。
蒲公英は以前から知らず知らずのうちに心身の不和を患っていた。それは健康に害を及ぼす病魔とは違った、科学的にも説明できないものであった。心と身体の認識の差異とでも呼べばいいいだろうか。
その差異は戦闘のなかでより顕著になって表れており、脳は敵の攻撃を避けろと命令を出しているのに心は逆の命令を出していることなどがしばしば起こっていた。油断をしているわけでもないのに攻撃を食らってしまっていたのは心と体が乖離しているが故の現象であったが、彼はそれほど気にはしてなかった。
しかし、萃香との戦いを経る過程で拳を振るう度、受ける度にその隔たりとなっていた壁のようなものが削れていく感覚のようなものを感じていた。それはもしかしたら、鬼と吸血鬼の力を得たことで眠っていた深層意識が呼び起こされてきたのかもしれなかった。
“心身の完全なる一致”。彼の目指す完璧がそこにはあった。
生きているのか死んでいるのかも分からない焦燥感や不安もない、その力だけで己を示す存在の証明に足り得るものを。
(あと少しなのに一体何が足りないんだ……?)
意外にもその答えはすぐに見つかった。自分と拳を交わす萃香はすでにそれを持っていたからだ。
(………俺は難しく考えすぎていたな)
その答えを見出したあとは自分のあるべき姿を思い描き、それを実行するだけだった。
「心の想うがままに、………か」
蒲公英は後ろへ大きく跳躍をして萃香との距離を取ると、目を据わらせて大きく息を吐いて落ち着きを取り戻す動作を行った。
萃香も急な彼のその行動に驚きを隠しきれずに身を少しばかり固まらせた。勝負を諦めたわけでもないのにそれは不可解であったが、その理由はすぐに身を以って知ることとなった。
先程までの彼は魔力や妖力の制御を知らずに荒々しくオーラを体中から解き放っていたのに対して、今はそれを感じさせず澄んだ小川のような静けさだけを纏っていた。何かしらの無言の変化を本能で感じ取った萃香は彼から視線を離さずに拳を構え直した。
そして蒲公英は流れるように片手を手刀の形に作ると大きく一歩を踏み込んだ。
(………来る!!)
萃香は勘だけでそう判断して、真正面から迎え撃ちにいった。その反応は歴戦の経験で培われてきたもので並大抵の者ならば動き出しの時点で潰されていたはずだ。そう、並大抵の者ならばだ。
「遂に
まるで居合切りのように、萃香の少し離れた背後で手刀を一閃振り終えた蒲公英は立っていた。そして遅れるように彼女のみぞおちから脇腹にかけて切り裂かれた傷から血が吹きだした。
それは彼女の反応を超える速度で行われたのだ。
「萃香………お前まさかこれを知ってたのか…?」
脳ではなく完全に心に任せて身体を動かした結果だった。幾度の変身を重ねて遂に一切のノイズなく自分の意志で身体を動かせたのだ。そして、まるでその成果を象徴するように蒲公英の身体からは黒い霧とは対照的に濁りのない純白の色をした霊力が湧き出ていた。
初めてのはずなのに妙に懐かしい感覚であった。身体はなぜかすでに慣れていたために、食事に箸を扱うが如く手に馴染んでいた。もしかしたら、幻想郷に流れ着く前の自分はすでにこの比類なき力を体得していたのかもしれなかった。
「それを今聞くのは少し野暮ってものじゃないか。そういうのは私に勝ってから聞くものだろ?勝てたらな」
手刀は深くまで届いており、萃香は口から血を溢しながらも挑戦的に笑いながら振り返った。彼女の言う通りに戦いはまだ終わっていない。
「そうだな。ならここでケリをつけてやるぜ!!」
霊力を右腕に集中させると萃香もそれに対抗するように妖力を右腕に集中させ始めた。その力の高まり具合はお互いが出す圧力で大気を震わせて周囲の地面を削り取っている程であった。
二人の死闘に決着の時が近かった。